ネロの胸に、宙から湧き出るように黒い剣が突き刺さった。
それに遅れ、ドスドスッ!という鈍い音共に、ネロの足下がら地面を擦る耳
障りな音が響き渡たった。志貴は地面に背中から転がり、己の頭を握りしめた
ままの右腕を引き剥がし、顔を上げる。
そこには、燃える剣をオブジェのように胸に刺し、のけぞるネロの姿と
黒い修道衣の裾を翻して地面に降り立つ、蒼い髪の女性の後ろ姿。
志貴はその女性が、見慣れた女性であるような気がしてならなかった。だが、
志貴が声を上げ掛けた瞬間に、キラリ、と女性の背中が光った。
ドシュッ!
志貴が身動きする暇もなく、黒い剣が志貴の傍らに突き刺さる。凍り付いた
ような志貴がそちらにおそるおそる目を向けると、そこには――まだコートの
袖をまとわりつかせたネロの断たれた右腕が、串刺しにされわきわきわきと気
障りに蠢く。
そして、その腕も黒い剣の炎により、焼かれて泡立ち消えて行った。
志貴は、この女性が志貴の断ったネロの右腕にとどめを刺したのだと気が付
いた。それも、細身とはいえ腕長ほどもありそうな剣を、見もせずに投げて。
何という腕の冴えだ……そう志貴が感じ入る間にも、胸に剣を突き刺したネ
ロが、不快そうな顔つきで剣を掴み、道端に投げ捨てた。
「……埋葬機関の殺し屋が、遅いお出ましだな」
ネロの声は憎々しげであった。志貴の目に映るネロは、切り飛ばした筈の右
腕がすでに生えそろい、燃えていた剣が残したのはコートの上の焼け焦げのみ
であった。ネロに対する女性は、志貴に背を向けたままで冷たい声で言い捨てる。
「ネロ・カオス……死徒二十七祖が貴殿は、あの吸血姫を追っているのでは無
かったのですか?それが、このような人間風情に道草し、あまつさえ苦戦するとは」
はん、と女性は挑発するように笑う。
その声を志貴は聞き、確信した。これは間違いない――シエル先輩だ。だが、
何故こんな恰好をしてここに出て来たのかが……分からない。
「ほざけ、〈矢〉とやら……そう、あのメレム=ソロモンは息災か?」
ネロの声にも嘲弄の色が濃い。ネロの挑発に、修道着の女はぴくり、と不愉
快そうな身動きを示すが、それ以外に身動きを示そうとしない。
なんとか立ち上がろうとして、膝を立てたままで動きを止める志貴を無視す
るかのように、二人の対峙は続く。まるで、指一本動かしただけでも崩れるよ
うな危うい力と緊張の均衡。
「……ふむ、邪魔が入って気が削がれた。その少年の力に興味があったのだが……
今日はその力、試せただけでも満足としよう」
「逃げるのですか?ネロ・カオス」
女の声に、ネロは顔を憎々しげにゆがめる。
「貴様も、この私と決着をつけるだけの概念武装も持ち合わせておるまい。焦
るな……吸血姫を我が者とした後で戦ってやるわ……あやつの躯、せめても有
効に使わせて貰うことにする」
ネロはそう言い捨てると、す、と身体を引くと夜の闇に身を躍らせる。
ネロの身体は、街路灯の明かりの中から闇に走り、そして融けるかのように
消えていく……そんな感じが志貴にはした。
修道衣の女性は、無言でその姿を眺めている。
「待て!秋葉を返せ!」
闇に向かって志貴が叫ぶと、嘲弄の笑いが闇の中ならこぼれ落ちる。
「急くな、遠野志貴……そうだな、あの吸血姫が我が物となれば、用済みとなっ
たお前の妹、返してやっても良いがな……はっ」
それが、闇の中から響く最後のネロ・カオスの声であった。
闇にネロ・カオスが消え、志貴は呆然として為すところを知らない。緊張が
体の中から解放されるに従い、ネロに負った手傷の数々が痛み出す。
だが、志貴はなおも身体を起こしながら、この場に残された人影を見つめた。
修道衣の女性は、くるりと踵を返して志貴に向かってくる。その顔を改めて
確認して、志貴は安堵の吐息を漏らす。
「……シエル先輩……」
「遠野くん、大丈夫ですか?立てますか?」
街路灯の明かりの下に照らされたシエルは、地面の上の志貴に手をさしのべる。
志貴は、さしのべされた手を握って立ち上がろうとしたが、足に力が入らず
にその場に崩れ落ちる。そして、助け起こそうとするシエルの顔を見ながら、
ぼんやりと考えた。
――先輩、メガネしてないな
ネロとの戦いの緊張から急激に弛緩し、流れる血により朦朧とした志貴の思
考はおぼつかず、訳もないことをぼんやりと考えるのが精一杯であった。シエ
ルにもう一度何かを尋ねられ、いや、だめみたいだ、と訳の分からない答えを
返す志貴。
「じゃぁ、私が連れていきますけど……私の家と遠野くんの家、どちらにしま
すか?」
――翡翠が、待っている。帰るって約束したよな
「俺の家に……」
「わかりました、遠野くん。少し我慢してくださいね」
シエルは志貴の脇の下に手を入れて身体を持ち上げる。豊満なシエルの胸が志
貴に押し付けられるような格好になるが、もはや半睡の状態の志貴はそれに気が
付いていなかった。
あー、なんだろ、跳んでいるみたい――そんなことを志貴は考えながら、志貴
の意識は不明確でノイジーなグレーゾーンの中に落ち込んでいった。
(To Be Continued....)
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