遠野秋葉の朝は早い。
 まだ陽も昇り切らぬ払暁に目覚めると、遠野家の令嬢である秋葉の一日が始まる。
 寝床の中で目を覚ますと、秋葉は日課となった朝のオナニーを……

「するぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 グシャッ!

 今度はサイドキックが琥珀の脇腹に突き刺さる。
 サイドキックも蒼香の直伝だった。蒼香のサイドキックはかのブルース・リー
にインスピレーションを受けたらしく、怪鳥の様に簫声を上げながら腰から蹴
り出すタイプだ。

 琥珀は今度はくの字に折れ曲がりながら部屋の中を吹き飛んだ。
 「ゲハッ!」などという叫びと共に琥珀は吹っ飛び、ごろごろと絨毯の上を
転げ回る。右脇腹に刺さるように決まった、我ながらほれぼれする一撃だった。

 琥珀の手から、マイクと台本がこぼれ落ちる。

 ……デジャヴというか、これは明らかに先ほどの続き……
 私が台本を手に取ると、和綴じの表紙と筆書の題箋の下に、まだ濡れた墨で
「第二稿」と書き加えられている。題は『令嬢・遠野秋葉の華麗なる一日』。
 さっき見た台本だった。私はその台本を握りしめ、そのまま……

「まだやる気なのっ、琥珀!」

 バシーン!とその台本を床に叩きつける。
 でも、リノリウムやチーク貼りの床と違ってこの絨毯はばふっ、という妙に
気合いの入らない音を立てたばかりだった。台本が床の上を滑り、放り出され
たマイクにぶつかる。

「いたたた……秋葉さま、レバーは止めて下さいレバーは……」
「もう一発ネリチャギくれて貴女の首を胴体に叩き入れても良かったのだけけ
れどもね。まぁ、私の思いやりに感謝しなさいな……琥珀?」

 私はまだ床の上で転げ回る琥珀に指を突き付ける。
 ……心なしか琥珀の口から泡を吹いている様な気もするけども、この際それ
は後回しだった。 
「それで……さっきは乾布摩擦で、次はお、お、お、オ」

 オナニー、という言葉を口にするのが躊躇われて思わずどもると、琥珀は床
の上から顔を起こして……

「オーラルセックスですか?秋葉さま」
「オナニーより進んでどうするのっ!」

 私はそのまま低空ドロップキックと言うか、スライディングキックを……

 バシッ!

 今度は琥珀の背中に私の脚が命中する。
 私と琥珀はそのまま絨毯の上を滑りながら――
 背中の肩胛骨の間に命中した琥珀は、逆えび反りになって呻きを上げる。

「クァハッ!秋葉さまこれは効きすぎ……」
「だまらっしゃい琥珀……だから、なんで私の朝の日課がオナニーなのよ!」

 私が憤然と立ち上がって琥珀に怒鳴りつける。
 あれほど二連撃を受けて痛がっていた琥珀も、しばらく呻いていたかと思う
と、よろよろと起きあがる。
 だけどもその顔に怪しい笑いが張り付いていて……

「……秋葉さま秋葉さま」
「なによ、琥珀」

 ここまで打撃を受けてもまだ反省した様子のない琥珀は、したりげに笑って
私に近づいてくる。腕を組む私はそんな琥珀を胡散くさげな瞳で一瞥した。
 だけども、幼馴染みのような使用人には堪えるはずもない……こうなってし
まった琥珀を誰が一体どうやって止めるのだか。

「やはり、秋葉さまが朝陽の柔らかく射す寝室で、ベッドの中で慎ましやかに
その白魚のような指を動かしてオナニーする、というのは凄く絵になると思う
んですけどねー」
「……」

 ……私は琥珀の顔に穴でも開け、といわんがばかりの視線を浴びせかける。
いっそ檻髪を繰り出して略奪してしまったほうが良かったのかも知れない。
 いや、一リッターばかり血を吸って黙らせてしまうのも良いかも知れない。

 それに琥珀の言うことは、その、私の自慰のことだなんて……

「やはり秋葉さまにはオナニーシーンがなくては試聴者の皆様は満足しないん
ですよー、秋葉さまと言えば《志貴さんを拘束しながらオナニー》《離れで志
貴さんを思いながらオナニー》
《寝室で志貴さんの名前を呟きながらオナニー》
《お風呂場で志貴さんの下着の臭いを嗅ぎながらオナニー》のどれかがありま
せんと、視聴率が稼げませんからー」
「なによ、その視聴率って言うのは……と、とにかく私は朝になんか自慰はし
ませんっ!」

 ぷい、と顔を背けて私は琥珀に言い捨てる。
 だけど、顔に血が上がってくるのを抑えることが出来ない。それは、兄さん
の名前が出て来たから――

 兄さんのコトを思って自慰をしたことは……その……無いとは言わないけども……

 
「秋葉さま、いつも秋葉さまはされてるじゃないですか。恥ずかしがってもみ
んな秋葉さまがオナニーしていることは知っているんです、はい、この世の中
にオナニーをしない女の子はいませんから」
「……朝から大声でオナニーオナニーと連呼しないでくれて?琥珀……」

 へっへっへー、と笑いながら袖を舞わせ、怪しい言葉を繰りながら踊る琥珀。
 ……琥珀にその、現場を見られたことはない……いやでも琥珀は家の警備シ
ステムを管理しているから、もしかして……
 黙って琥珀を前にしていると、自分の考えがどんどん袋小路に落ち込んでく
る様な気がする。ここでいますべきなのは、ただ一つ……

「とにかく、私は朝にオナニーなんかしません!琥珀!!」
「……じゃぁ、夜にお風呂に入る前ですか?」
「する時間の問題じゃないでしょうが!私がそんなオナニー娘だと世間の後ろ
指を指されたら、草葉の陰の遠野のご先祖に何とわびればいいの!まったく」

 大声で絶叫し終えると、私ははーはーと肩で息をする。
 えー、と琥珀は不満そうに顔をしかめる。この後琥珀にどんなお仕置きをし
なければいけないのかという考えが私の頭を過ぎる。

 だが、琥珀はぱちん、とつまらなそうに指を鳴らすと……

「志貴さまは毎日秋葉さまを想ってオナニーしてらっしゃるのに……」

 ――え?

「な……」

 兄さんが?毎朝自慰を?
 その、私を思いながらっていうことは……

 不覚にも私の頭の中にピンク色の妄想が広がっていく。
 あの簡素な寝室の寝台に、兄さんが横向きに横たわっている。寝間着の胸が
はだけて傷跡が見えるけども、その下には無駄のない筋肉質な身体がある。
 兄さんは軽く身体を折りながら、手を股間に添えていて……

 ああ、兄さんの手が、逞しいペニスを右手で握りしめている。
 目を瞑った兄さんがはぁはぁと荒い息を吐きながら、その右手を上下させる
ようにしてしごく。そうすると握った指の間からむき出しの亀頭が現れ、指に
しごかれてまた消えていく。

 兄さんは一心不乱に股間のペニスをしごいて自慰している。
 そして、兄さんの唇が「秋葉……」と呟くと、そのまま兄さんの手が荒々し
く握られて。
 兄さんがどんどんペースを上げると、硬く強ばった肉棒がぴくぴくと震える。
兄さんは「秋葉、秋葉……」と囁きながら、時には強く時には柔らかにしごき
上げて……

 やがて兄さんが脚から腰まで突っ張らせると、ペニスの先から濃厚な兄さん
の精液が迸って……

「……秋葉さまー?」

 ああ、兄さんが私のコトを思いながら自慰をしている。
 そう思うだけで私は……身体の奥が熱くなってくる。腰の奥の子宮が鳴き始
めるみたいになって、兄さんの姿を考えるだけで……あああ……

「そうですよー秋葉さま、志貴さまもされているのですから、ここでハァハァ
しながらオナニーしちゃって下さい、はい、カメラさんスタートぉっ!」

 私は指を、ネグリジェの上から……足の付け根に……
 ……待て。なんで私がそんなはしたないことを琥珀の目の前で……
 私がつと目を向けると、そこには台本を丸めてなぜか映画のカチンコを持っ
た琥珀が。

「……」

 私は何とか指をまさぐらせたい欲望を堪える。そして、その手を握りしめると――

 バキッ!

 そのまま拳を繰り出して、琥珀の鳩尾を狙う。
 琥珀は私の拳を受けて、また身体を折り曲げて崩れ落ちた。

「ぐはっ!秋葉さま……」
「ふんっ、危うく琥珀の口車に乗せられるところだったわ」

 床に崩れ落ちてうずくまる琥珀を私は見下ろす。ふぅ、油断も隙もない……
兄さんのことを口にすれば、良いように私を扱えると琥珀は考えているのだろう。
 この遠野秋葉さまがそんな奸計に乗るわけがない、でも、兄さんがもしかし
て……

 また、私の頭の中をピンク色の妄想が広がる。
 兄さんはべっとりとなま暖かい精液に濡れた手を見つめながら、熱に浮かさ
れた目のままで私の名前を呟きながら――

 ええいっ、私は頭をぶんぶん振って、妄想を頭の中から追い払う。

「琥珀、兄さんがそんなことをするわけがないじゃないっ」
「えー、秋葉さま。そう仰ると志貴さんはオナニーしたくなるほど秋葉さまを
好きじゃないって言うことになりますよー」

 ……むっ
 な、なんかそう言われると凄く腹が立つ。

 オナニーされるほど兄さんに好かれると言うのは、きっと兄さんは私と兄妹
であることを禁忌として私に禁断の情欲を紛らわせようとしているとこなのだ
ろう、ああ、なんてコト、私と兄さんは他人同士の義理の兄妹であってそんな
コトを悩む必要はないのに――

「そ……そ、それは……」
「もしかして、志貴さんはアルクェイドさんやシエルさんのコトを想ってオナ
ニーしているのかも」

 兄さんが、泥棒猫や尻デカ眼鏡を考えながらオナニー?!
 それは……それだけは許せない。兄さんの貴重な精液をあんな外道な女たち
を思いながら消費させることは許されざる罪だ。
 私の中で、怒りと嫉妬が渦巻く。握りしめたままの指が手の平に食い込む。

「秋葉さま、ですから秋葉さまも……」
「……そんなことは……そんなことはこの遠野秋葉が許しません!琥珀!」

 私はキッと琥珀を見下ろして叫ぶ。
 琥珀は度重なる打撃から回復して立ち上がるところだったが、私の目を見て
ぎょっとしていた。眼を見開いて口を半開けにする琥珀の顔に、私は言葉を叩
きつける。

「今から事の次第を確かめに行きます!」
「え?その、確かめると仰いますと……」
「決まっているじゃないの、琥珀!行くわよ!」

(To Be Continued....)