「……中の様子はどうだ?瀬尾」
寄宿舎の廊下で、ドアを背中にもたれ掛かった蒼香が尋ねる。口をへの字に
結んで何とも言えない複雑な表情で天井の片隅を見つめていた蒼香は、その足
下にしゃがみ込んだ晶の答えを待っていた。
晶はどこから持ってきたのか、硝子のコップを耳に当ててドアの向こうに聞
き耳を立てていた。年経た見た目とは違って防音はそこそこにされている浅上
の寮の壁やドアも、こうやって聞き耳を敢えて立てる人にとっては中の声を聞
き取ることが出来る。
晶はしゃがみ込んだまま、真っ赤になって中の様子を伺っている。そんな晶
の耳に流れ込んでくるのは、今まで聞いたことがない男と女の嬌声であったの
だから。
知識としては知っていたが、実際に耳にするのは初めての声であった。それ
も畏怖し敬愛する自分の先輩と、その兄――なぜか少年の姿をして、おまけに
女装させられている――との間の情交。これは想像するだけでも興奮するとい
うのに、実際に……
「……す、凄いです。月姫先輩」
「だろうな。アタシも微かに聞こえるから……浅上寮史上初の行為がアタシの
部屋で行われるとはまったく遠野の奴も……ふー」
蒼香は溜息をついてみせる。が、その顔は妙に楽しそうであった。
出歯亀紛いの真似をしている、という負い目は蒼香にはなかった。ただ、実
際その手の行為が始まってしまうと蒼香も少女、当然手をこまねくばかりである。
晶は扉に張り付いてしまったかのように中に耳をそばだてていたが、つと顔
を上げて蒼香の姿を仰ぎ見る。そして、その満足げに見える蒼香に心に浮かん
だ疑問を口にする。
「先輩……一つ聞いて良いですか?」
「なんだ?瀬尾」
「……こうなると分かって先輩は、その、遠野クンを……」
年上に向かってクン付けはないだろう、と蒼香は思うが少年の志貴に「ボク」
と何度か呼びそうになった自分のことも考えて苦笑しかけた。が、問いかけた
内容は蒼香に考えさせるには十分で、どうだろうな、と蒼香は呟いてしばらく
黙る。
僅かに間をおいて、ふっと目を閉じて頭を扉に預けて答え始める。
「ここまでしでかすとは思わなかったけど、あいつがあれだけ意地になってる
から良かれ悪しかれなんかあるとは思ってたな。でも」
「でも……ですか?」
「あいつに会わせないままうじうじさせるより、喩え遠野とその兄さんが喧嘩
別れになっても会わせた方がいいとオレは確信していた。それだけだ」
蒼香は目を閉じ、それ以上はなんともね、と付け加える。
きょとんとした晶は蒼香の顔に、彼女と秋葉の間にある心の紐帯を微かに見
つけていた。蒼香のやったことはこの女性的で婉曲な浅上ではひどく直情怪行
な行為であったが、それも蒼香が秋葉を彼女なりに信頼しているからだったの
だろう。
うらやましい、と偽り無く晶はそのことをそう感じていた。
だが、そんなことより問題なのは、今こうやっている間にもコップ越しに聞
こえてくる晶と志貴の喘ぎ声であった。
「あああっ、今度は遠野くんが遠野先輩を……と、遠野先輩があんな声を上げ
るだなんて初めて知りました。ひゃー」
「……楽しそうだな、瀬尾」
にわかに実況中継じみた言葉を漏らす晶に、蒼香が呆れた声でたしなめる。
が、興奮している晶には効き目がない。
晶はぐっと拳を握って答える。
「それはもう、せっかく遠野くんにあそこまでした甲斐がありましたよ、月姫
先輩。こんなに美味しい耽美なお話は滅多にないですから……次の作品に使わ
せていただきます」
「なんだ、漫画のネタにするのか……名前ぐらいは変えてやれよ。しかし瀬尾、
お前――」
顔をしかめて尋ねる蒼香に、はい?と晶が小首を傾げて応える。
「制服借りてきたの、お前だろ?こーなってるときっと中では制服が凄いことに」
「あー……そう言えばそうでした、すっかり失念してましたー。でも……むふ
ふふふ」
一瞬青い顔になる晶だったが、すぐに何かを思いついたらしくふふふ、と微笑む。
蒼香はそんな、全身嬉しくて堪らないと言った感じの晶を羨ましく思うが、
そんな自分も口元が笑い始めているのを感じていた。
どうあれ秋葉の奴はこれでまともになるだろう――それから先、秋葉とあい
つの兄さんとどうなるかは、ギャラリーとして楽しませて貰うことになるだろう。
「さて、羽居と琥珀さんだったか?が来るかも知れないな……中の二人をどう
したもんだか」
「え?中にお邪魔するんですか?先輩?」
そう言いながらも思わず興奮と妄想で目を輝かせ、鼻息をふんふん荒くする晶。
蒼香はぱし、と手を打ち合わせるとふふふ、と不敵な笑みを浮かべる。
「この部屋の中で遠野のやらかしたことの後始末もあるし、遠野の兄さんを外
に連れ出す工夫もいる。ヤった後の遠野の面を見るのも楽しみだし、そうなる
と皮肉の一つもいってやらないとな。それで遠野の借りはチャラにしてやるさ。
さぁて……お楽しみはまだまだ、これからだ」
「……はい、先輩!」
二人は廊下からこの部屋に向かって近づく複数の足音を聞きながら、笑っていた。
§ §
秋葉と志貴は、二人とも抱き合い、繋がり合ったまままどろみの淵に落ちて
いた。
目を瞑った秋葉は、柔らかい声で囁く。指で柔らかい志貴の髪を弄びながら。
「……お帰りなさい、兄さん。もう離しません……私は兄さんなしでは生きて
はいけないから」
〈fin〉
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