遠野先輩が死んだ。
　死因は老朽化した自宅の事故と校長先生は言っていたが、私は真実を知っている。
　私の視た未来が現実になったのだ。
　私は打ちひしがれた。
　たくさんの人が泣いた。
　いつもクールな蒼香先輩でさえ、声を上げて泣き崩れ、三沢先輩は遠野先輩の名前を繰り返しながら机に縋り付いた。
　たくさんの人のたくさんの涙。
　私のせいだ。
　皆を悲しませたのは私だ。
　そう思わずにはいられない。
　あの時、私がちゃんと遠野先輩に伝えていれば、こんなことにはならなかった。
　そうだ。私がちゃんと伝えていれば・・・
　遠野先輩はいつもどおり学校に来て、蒼香先輩や三澤先輩達と仲良くして、そんな遠野先輩を私は慕いながらもビクビクして・・・
　それはつい先日までの何気ない日常で、この上なく幸せな日々。
　失った時に初めて大切だと気づく。
　でもその日々はもう戻ってこない。
　私のせいで。
　未来が視えるくせして、未来を変えることが出来なかった私の責任。
　馬鹿だ。今度こそ自分が嫌になった。　
　全ては私のせい。
「私が、遠野先輩を殺したんだ。」


　気がつくと、私は学校の雑木林の中にいた。
　辺りはすっかり暗くなっている。空の上で欠け始めた満月が林を照らしているが、頼りない。
　どうしてこんなところに来てしまったのか・・・全校集会で遠野先輩の訃報を聞いてからの記憶が曖昧でよく思い出せない。
　まるで夢遊病者みたいだな・・・と、自虐的に笑い、その場にしゃがみこんだ。
何の気なしに、足元に散らばっている葉っぱを手にとって見ると、それは、小さな紅葉だった。名前の通りに紅いはずだけど、月の光が弱いので色までは分からない。
しばらくの間、ぼんやりと紅葉の葉っぱを眺めた。　
　遠野先輩は、紅い紅葉が好きだった。　
「―――！」
　思い出して、涙がこぼれた。
　悲しい。
辛い。
　もう会えないのが悲しい。
　何も出来なかったのが辛い。
―――どうして、どうしてこんなことに・・・・！！
　紅葉の絨毯に倒れこみ、ひたすら泣いた。
　泣いた。身体の水分がなくなるくらい。
　地面を引掻き、顔を押し付け、声を上げて、
　泣けば泣くほど、悲しみが増して、更に泣いた。
―――ごめんなさい。
　ごめんなさい。
　ごめんなさい。
　そして、許されるはずはないのに、何度も、何度も謝った。
「瀬尾」
　不意に、聞きなれた。だけど、ひどく懐かしい声を耳にした。
　ビクリと震える身体。
―――今、私を呼んだのは・・・？
　気のせいだと思う。ここにいるのは私だけのはず。
「瀬尾！」
　でも、その気のせいがもう一度。今度は少し怒りっぽい。
　分かってる。分かってるけど、そんなことは有り得ない。　
　だって、あの声が、もう聞こえるわけがないのだから。
「瀬尾！聞えないの！？」
　けど、これで三度目。
　もう幻聴じゃない。
　顔を上げる。　
威圧的な切れ長の瞳。
長くて綺麗な黒髪。
「遠野先輩・・・」
　いるはずのない人が、そこにいた。

　
遠野先輩がいた。
二日前と全く同じ姿で。
まるで、何事もなかったかのような様子で。
いつも通りの遠野先輩の姿がそこにあった。
―――どうしてここに・・・？
　不思議だった。　
本当なら遠野先輩がいるのはおかしい。おかしすぎる
だって、遠野先輩は死んでしまったって聞いたから・・・
こんなところで、うつ伏せになって泣いている後輩を仁王立ちで見下ろしているなんて有り得ない。
　校長先生の誤報だった？と一瞬思ったが、そんな不謹慎な誤報、あるわけない。
　だから、変だ。いるはずのない遠野先輩がこうして私の前に現れたのが。
「瀬尾！呼ばれたら変事をしなさいと何度も言ってるでしょ！」
「はい！すみません！」
　長い間から繰り返されたやり取りのせいか、つい反射的に謝ってしまった。
　即座に立ち上がって、４５度でお辞儀をするのも忘れない。　　
でも、あまりにも普通どおりだから、逆に理解できてしまった。
その声を確かに聞くことが出来ても、
手を伸ばせば触れられるくらい近くにいても、
私と遠野先輩の間には、絶対的な距離があるという事実に。
「瀬尾。呼んだらすぐに返事をしなさいって言ったでしょ」　
「はっ、はい。すみません！」
　つい反射的に謝ってしまった。即座に立ち上がって45度の角度で頭を下げることも忘れない。　　
　これまで何度もやって来た動作で、
　これからもきっとやるはずだったと思う。
　でも・・・もう、それはない。
　遠野先輩があまりにも普通どおりだったから、却って思い知らされた。
　私と遠野先輩の間には、近付けないほどの絶対的な距離があることに・・・
　そして・・・その原因は・・・・
　溢れ出す・・・涙の粒。
「あら？どうして泣くの？」
　涙でぼやけた遠野先輩が首を傾げた。　
―――どうして泣くの・・・って、当然ですよ？
「瀬尾。困ったことがあったらいつでも私に相談なさいと言ったはずよ」
　覚えている。確かにそう言ってくれた。
―――でも・・・違うんですよ・・・
　私は、困ったから泣いているんじゃない。
　この涙は罰だ。
　何も出来なかった私に対する・・・
「ごめんなさい・・・」
「どうしたの？」
　訳が分からないわと呟く声が聞こえた。
　でも、確かにごめんなさいなのだ。
　私が遠野先輩にしてしまったこと。
　言って許されるとは思えないけど、私は懺悔をしなければならない。
「遠野先輩があんなことになったのは、私のせいなんです・・・」
「あなたのせい・・・？どうしてそう思うの？それに、あんなことって、まるで視てきたかのような口振りね」
「はい・・・だって、私・・・」
「だって・・・で何？」
「だって、私、視えたんです・・・遠野先輩が死ぬのを・・・」
　遠野先輩は眉を潜めた。そりゃ、いきなりこんな告白をされたら困惑するだろう。
「信じられないと思いますけど、私、時々未来が視えちゃうんです・・・」
　初めて、私は自分の秘密を口にした。
　途端、私の中で何かが決壊し、流れ出す言葉。
「この前、遠野先輩が死んじゃう未来が視えて、だから、教えなきゃいけなくて、だけど、どういえば良いのか分からなくて、それで、それで、やっぱりちゃんと言えなくて、だから、それがいけなくて、そのせいで、遠野先輩は・・・私がちゃんと伝えなきゃいけなくて、そうすれば、遠野先輩は助かったかも知れなくて、私がちゃんと言わなきゃいけなくて、なのに、言えなくて、私が言わなきゃいけなかったのに、だから私が・・・」
　辛くて、悲しくて、申し訳なくて・・・心の中はグチャグチャだった。
　途中から何度も同じことを繰り返したり、前後したりして何を言っているのか自分でも分からなくなったけど、口の方は止まってくれない。
　遠野先輩は黙って私の話をしばらく聞いていたけど、
「瀬尾。」
　不意に、
「あなた、そんなくだらないことで悩んでいたの？」
　と、とんでもないことを口にした。
「え―――」
　何を聞いていたのだろう。
　私のせいで、遠野先輩は死んでしまったのに、『そんなくだらないこと』なんて、些細なミスみたいに言えるのだ？
　恨まれるのも、憎まれるのも、覚悟していた。でも、まさかそんな風に呆れ返るなんて・・・　
「・・・どうしてですか？」
「どうして・・・て？」
「だって、私のせいで遠野先輩は死んじゃったんですよ！！もっと私がしっかりしていれば助かったかもしれないのに！！」
「瀬尾、それは違うわ。」
「えっ・・・？」
「私の死は、私が私の意志で選んだ結果なのよ。」
―――そんな・・・！！
　それじゃあ、自分で死ぬことを選んだ言いたいのか・・・？
「あっ、別に私も死にたかったわけではないの。」
　私の考えを察し、遠野先輩は言った。
「勿論、私だって、死にたくはなかったわ。けどね、私には自分が死んでも助けたい人と、謝りたい人がいたの。そのために死んだのだから、悪くないとは思っているわ」
　そう、きっぱりと言い放つ遠野先輩の顔に、一切の後悔は見えなかった。本当に、自分の死を受け入れた上で、こうして毅然としているのだ。
「だから、あなたは悪くない。何も気にしなくても良いのよ。」
　言って、遠野先輩は背を向けた。
「待ってください！！」
　思わず、叫んでいた。
　分かってしまった。
遠野先輩が行ってしまう。遠くに、それも、とんでもなく遠いところに。
　別れたくなかった。
　いくら遠野先輩にとって悪い結果ではなかったとしても、私は納得できない。　
　これからも、一緒にいたかった。
　もっと話したいこともあったし、もっと一緒に行きたいところもあった。
　だから行かないでほしいと思った。使者と生者は相容れないって言うけど、それでも行かないでほしい。
　私個人の我侭だったけど、言わずにはいられなかった。
「瀬尾・・・」
　遠野先輩は振り返らない。
　でも、微かに肩が震えている。何かを必死で押さえ込むように。
「ごめんなさい。あなた達には悪かったと思っているわ・・・」
　口調はいつもと変わらない。
　変わらないから分かってしまった。
　遠野先輩も、辛いんだ。辛いんだけど、私なんかのために、最後までいつもどおりに振舞おうとしている。
　だったら、私もいつもどおりでいなければならない。
　いなければならない・・・のに・・・
　涙は止まらない。　顔を伏せ、嗚咽を漏らし、私はまだ泣いていた。
「瀬尾、もう泣くのはやめなさい。」
「でも、でも・・・」
　出来ない。私はそんなに強くない。
「仕方ない子ね・・・」
　呆れてしまったらしく、遠野先輩は深く溜息をついた。
「じゃあ、今日一日だけ泣きなさい。」
「えっ・・・？」
　顔を上げた。　
　相変わらず、そこにあるのは遠野先輩の背中。
「今日だけは泣きたいだけ泣いてもいいわ・・・だけど・・・」
　首だけ振り返る。
　綺麗な黒髪がサラサラと流れた。
「明日になったらもう泣いちゃ駄目よ・・・また、頑張りなさい・・・」
　柔からな笑顔で、そう言った。
　風が吹く。
　風に揺られ、木々が何枚もの紅葉を吹き散らしていく。
　そして、風がやみ、宙を舞っていた紅葉が全て地面に落ちてしまった時には、遠野先輩の姿はどこにも無かった。　


　泣いた。
　ひたすらに泣いた。
　悲しくて、哀しくて、ひたすらに泣いた。　
でも、遠野先輩は言った。
『一日だけ』だと。
だから泣くのは今だけ。今だけは泣く。　
優しかった遠野先輩。
厳しかった遠野先輩。
怖かった遠野先輩。
頼りになった遠野先輩。
遠野先輩は、もう、いない。
それでも、私は笑えるように頑張ろう。
遠野先輩が、『さすが私の後輩』だって誇れるように・・・
きっと・・・
きっと・・・



【後書き】
　はじめまして、光静といいます。ＭｏｏｎＧａｚｅｒには『翡翠純情』企画の頃からちょくちょく足を運んでいたのですが、今回初投稿致しました。
　このＳＳは翡翠トゥルールートでの浅女でのお話です。
「悲しんでいるのは志貴と翡翠さんだけじゃね〜〜〜〜！！」　
　が、このＳＳを書く切っ掛けです。
　翡翠トゥルーエンドのＳＳは見かけますが、このルートでの浅女はどうなっているかを書いている人がいなかったので、「だったら僕が書いてやる。」と思いました。
本当は蒼香や羽居も詳しくやりたかったのですが、キャラの立ち居地が決まらず、晶ちゃんと秋葉さんだけのお話になってしまいました。
　このＳＳを楽しんでいただければ幸いです。