視えていたのに・・・
 私には視えていたのに・・・
 伝えなければ、伝えなければいけなかったのに・・・

 残ったのは、昏い、昏い、重い、重い、後悔だけ・・・

  紅葉
           光静

 その日は、朝からあまり天気が良くなかった。どんよりとした灰色の雲が空にぎっしりと詰まり、まるで太陽の光が地上に降り注ぐのを拒んでいるよう。神様がいるのならきっと性格が悪いのだろうと思う。朝から随分とテンション下げてくれるなぁ・・・全く。
 乗らない気分のまま私、瀬尾晶は、起き上がって顔を洗い、寝癖(余りつかないだが・・・)を整え、食堂で朝食をとって、いつも通りに学校に向かった。
 本当にいつも通りに。いつも通りということは、慣れ親しんだという意味なのに、妙に気持ち悪い。
 具合でも悪いのかなと思うが、そうでもない。身体のダルさはないし、額に手をあててみれば平熱だ。おかしいところなんて何もない。
 なのに、何でだろう・・・
 よく分からないが、兎に角気持ち悪い。
 でも、今にして思えば、これは前兆だったのかもしれない。
 最も起きて欲しくない未来を『視て』しまうことへの・・・


「―――!!」
 それは突然やって来た。
 どういうわけか、私には未来を視る能力がある。能力といっても、自分の意思でどうにもならず、ある日、ある時にいきなり視えてしまう。なので、どっちかというと、能力というよりは体質と呼んだ方が合っている気がする。
 この体質は小さい頃から・・・いつ頃だったかは・・・思い出せないが、それくらい昔からのもので、中学に上がった今となっては、これが私の普通なのだと達観してしまっている。
 でも、嫌だと思う時も勿論ある。だって当然だ。未来が視える、これは必ずしも良い未来が視えるわけではないのだから。
 この時視た未来は、最悪だった。
 本当に、本当に、一番起きて欲しくない未来だった。


 時刻は分からないが、夜。満月がゾッとするほど綺麗。
 場所はどこかの学校。少なくとも、私が通っている浅上でないことは分かる。
 その長い廊下、暗がりで奥のほうは闇の世界の入り口に見えてしまいそう。
 そこで、信じがたい光景があった。
 私の大嫌いな、R指定のスプラッター映画のワンシーンみたいだ。
 未来を視ているはずなのに、あまりにも凄惨すぎて、一瞬、現実のものだとは思えなかった。
 でも、これは間違いなく近い未来。認めたくないけど起きてしまう事象。
 私の大好きな先輩、遠野秋葉先輩が死んでしまう未来。
 遠野先輩は廊下に倒れていた。
 胸に大きな穴が開いている。背中に届くほど深くて、私なら手を突っ込めちゃうくらい大きい。
 流れる血が、遠野先輩の白いブラウスを赤く染め、それでも飽き足らず、床をその赤色で塗りつぶしてゆく。
 視えたのはそれだけだった。
 他に何もない。そこに至る経緯も、いつ起こるのかも、何もかもがわからない。 
ただ、この未来視で視えたのは、『死』という事実だけ。
「―――!」
 近くで誰かが声をかけたみたいだが、耳に入らない。
 私の頭は受け入れられない事実で一杯になっていた。
 どうすれば、どうすればいいのだろう・・・


 考えた。兎に角考えた。
 どうやったら、遠野先輩にこのことを教えてあげることが出来るのか、ひたすらに考えた。
 まず、『遠野先輩、近いうちに先輩が殺されちゃう未来が視えました。』なんて口が裂けても言えない。そんなわけの分からない話じゃ、電波と同じだ。そもそも、私の『未来視』は誰にも話していない。この能力を明かしたところで、自分で自由に使えないのだから証明の仕様がない。これで信じてもらおうなんて鉛筆書きの原稿を印刷所に持って行く位無謀に思える。
 何としてでも信じてもらわなきゃいけない。この未来だけは起きてほしくないから。どうすれば良いのか。それこそ、脳味噌が沸騰するほど考えた。授業中何度も先生が呼んでいた気がしたけど、一切聞えなかった。
 それからどのくらい時間がたったのか。
 気がつくと、教室には私一人だけになっていた。
 冬が近づいているせいで日が落ちるのは早い。夕焼けで教室が真っ赤に染まる。
 私の席は窓側にあるので、真っ赤な夕焼けの丸い形まで見て取れた。
 真っ赤な夕焼け。
 真っ赤な教室。
 真っ赤な自分。
 真っ赤、
 赤い、
 紅い、
 まるで・・・
「―――!」
 その赤が、血を連想させた。つい先ほど視た血塗れの遠野先輩の姿を思い出し、吐き気を催した。
「帰ろう・・・」
 このまま教室にいると夕焼けのせいでどうにかなってしまいそうだ。どこか外の見えない場所に行きたい。
 机の中の教科書やノートを鞄の中に突っ込み、さっさと教室を出ようと椅子から立ち上がったときだった。
「!!」
 何気なく、本当に、特に何の意図もなく見た外の風景。
 その端っこに偶然映っていた。
 遠野先輩。
 後ろ姿だが間違いない。あの黒くて長い髪を間違えるなんて有得ない。ただ、遠野先輩の髪が微かに紅く見えるのはなぜか、夕焼けのせいではない気がした。
 遠野先輩は、今まさに帰ろうとしているらしく、黒い服を着た運転手風の人が恭しく開けたドアから、これまた真っ黒のいかにもお金持ちって感じの車に乗り込もうとしている。
「―――!!」
 そこで、また頭を過ぎるあの未来の光景。
 血塗れになって倒れる遠野先輩。
 途端、寒気がした。
 未来視ではなく、ただの勘。根拠は何もない。不確かで砂上の楼閣のようなもの。
 でも、私を動かすには充分だった。
 今伝えなければ、間違いなく遠野先輩は死んでしまう。
 そう思って、私は走った。 
 鞄も持たず、教室を飛び出し、私は必死で走った。
 いつもどおりの廊下が今日に限って妙に長い。
 全力疾走で走りきり、階段に躍り出る。
 遠い、何て遠いんだろう。
 門の前の遠野先輩のところに行くためには、階段を三階分降りて、渡り廊下を抜けて、グラウンドを越えねばならない。
 なのに、私はまだ階段を降り始めているところ。
 遅い遅い遅い。
 自分の足の遅さが呪わしい。早くしたいのに、逸る心とは裏腹に身体はゆっくりとしか動いてくれない。
―――急がなくちゃ!
 遠野先輩がいつまで門の前にいるか分からない。
 もう無理なんじゃ・・・という想いが頭を掠める。
 そんなことはない!と、力の限り否定し、駆け下りる。
 やっと一階まで降りてきた。
 喉が痛い。胸が苦しい。私って、こんなに運動できなかったっけ。確かに体育の成績悪いけど。
 それでも、苦しい身体に鞭を打って走る。途中、三澤先輩にぶつかったが、悪いけど無視。振り返ることさえしない。「あわわわわ〜〜〜プリントが〜〜〜〜」という声が背中越しに聞こえた。
 あと少し、
 渡り廊下の終わりが見える。
 もう少しだと、少し安心した。グラウンドに入ってしまえば声を張り上げれば届くはず。
 とうとうグラウンド。地面には昨日の雨で出来た水溜りがたくさんある。
―――遠野先輩!!
 いた!
 思わず飛び上がりそうだった。遠野先輩は偶然出会った蒼香先輩と雑談を交わしていたらしい。蒼香先輩が離れていくのが見えた。
 すごい幸運。きっと単に走っていただけでじゃ間に合わなかったと思う。同人界の神様に私は心から感謝した。
 もうここまで来れば声は届く。兎に角叫べば、あっちが気づいてくれるはずだ。
 遠野先輩が今度こそ車に乗り込もうとする。
 急げ。叫べ!
 さっきからずっと走っていたので喉が痛い。
 だが、それがどうした。遠野先輩の命が掛かっているのだ。喉が痛いくらい何だ。
 痛みも、苦しいのも何でもかんでも我慢して、ありったけの声を絞り出そうとする。
 ―――お願い届いて!今度のコミケ落ちても構いません!!
 運転手の人がドアを閉めようとする。
 不味い!急げ!!時間がない!!!
 叫べ!それでいいんだ!!
 力の限り叫ぶ。
「とお――――」
 突然、視界が上から下に向ってぶれた。
 何が起きたのか分からないまま、言葉が切れてしまう。
 いきなり眼の前が泥水の溜まった水溜りに変わり、私は顔から突っ込んだ。
 冷たくて、汚い、濁った水が顔を濡らし、口や鼻にまで入り込む。
 小石なんかも、口に入ってくるものだから、気持ち悪くて勢いよく顔を上げた。
 雨で出来た窪み脚をとられてしまったらしい。膝も擦り剥いてジクジクとした断続的な痛みがある。結構深いかもしれない。
 でも、今はそれどころじゃない!
 遠野先輩に会って、遠野先輩に伝えなければ!!
 と思った時、それはもうできないと、悟ってしまった。 
 あの黒い高そうな車はもうなかった。
 勿論、遠野先輩もいない。
 転んで起き上がる、そんな数秒にも満たない時間。 
 だけど、その僅かな時間で車は行ってしまったのだ。



(To Be Continued....)