温泉に行くことはやぶさかではない俺もその実現に関しては少々眉唾だった。
 何せアルクェイドと二人きりで温泉に行くなど秋葉なりシエル先輩なり黙っ
ているはずがない。翡翠や琥珀さんは何も言わないだろうが無言のプレッシャー
に苛まれることは必至だ。
 それでも身内の居ないアルクェイドに他の誰かと行くなんて事は考えられず、
俺は複雑半分、嬉しさ半分のまま温泉旅行の実現のために東奔西走した。
 一番の難関と思われたのはシエル先輩だったが教会の都合か何と一週間ほど
街を離れるという話。

「近頃静かだったんですけどね。もう、つまらないことで呼び出さないで欲し
いんですけど」

 今がチャンスとばかりに、たこ焼き器を前にねちねちと攻める有彦を何とか
説き伏せ秋葉へのアリバイ工作を図り、翡翠や琥珀さんの目をかいくぐって旅
行の準備を整えた。
 それら全てがようやく終わったのがついこのあいだ。
 その間に起こった薄氷を踏むような攻防戦を意識の外へ追いやるように頭を
振った。
 こんなこと考え出すと旅先で夜中にうなされる羽目になりそうだ。


 とにもかくにも俺達は一路目的地へと向かう。
 電車で三時間。最寄りの駅から送迎バスに乗り、そこから一時間。
 目的地に―――到着。







 山の中腹あたりに山林に隠すように建てられた昔風の日本家屋が覗いていた。
 他には民家も見当たらないからここに間違いないだろう。
 屋根に大きな瓦があるところなんかいかにも高級旅館っぽかった。
 こういった建物は雰囲気作りにあえて古色を施すことがあるけど、ここは本
当に歴史があるのかもしれない。
 ホテルタイプの今風な旅館じゃないけれど、むしろ昔育った遠野の離れを思
い出させてほっとした。よくよく遠野志貴は庶民派に出来ているようだ。
 バスの音を聞きつけてきたのか、和服姿に身を整えた女将とおぼしき女性と
従業員らしい人が外まで迎えに出てくれていた。

「遠いところをようこそおいでくださいました」
「あ、どーも。お世話になります」

 俺と仕草を真似て頭を下げたアルクェイドが目の前の建物を目にして、

「うっわー。すっごいおんぼろだね。ちょっとびっくり」

 早速やらかしてくれた。
 身も蓋もないアルクェイドの台詞に俺は内心天を仰ぐ。
 美人女将の頬がひきっと歪んだ。

「す、すいません。こいつ日本の文化とかまだよく判ってなくって。ほら、ア
ルクェイド! おまえも謝るの!」
「……ご、ごめんなさい」

 俺と一緒によく分からないなりに頭を下げるアルクェイド。
 確かにアルクェイドの行動範囲は街中と遠野の屋敷くらいだろうから、こう
いう本格的な日本家屋を目にするのは初めてかもしれないけど……どーしてこ
うなんだこいつは。

「お、おほほ、いいんですのよ。確かに見かけはボロですものね。でもその代
わりと言っては何ですが、お食事とお風呂の方は期待して下さいな」

 俺達の取りなしに一瞬で笑顔を取り戻す女将さん。さすが客商売。
 プロ根性に感心していると、俺達の来た方向から車の止まる音が聞こえた。
 どうやら別口のお客さんが着いたみたいだ。
 女将さんは本来なら部屋までご案内するのですが、と申し訳なさそうだ。
 旅館の主として挨拶に出ないわけにはいかないだろう。
 別段気にしない俺達はさっさと部屋に案内してもらうことにした。


 丁寧に配置された日本庭園を横目に仲居さんの後を追う。
 内装も外見に違わぬ重厚な木のつくりでしっとりと落ち着いた雰囲気が漂う。

「……ふうん、こういう木で出来た建物って初めてだよ」

 さっき叱った所為か、隣を歩いていたアルクェイドが前を行く仲居さんにも
聞かれぬようこそこそっと話しかけてくる。

「ああ、そうか、お前自分の国じゃ……」

 たまに信じられなくなるけど、こいつって吸血鬼で、さらに信じられないけ
どあっちじゃお姫様らしい。

「ブリュンスタッド城は基本的に石造りだからね。城から出るときでも欧州方
面ばっかりだからホテルが多かったかな」
「こっちでもマンション住まいだもんな。遠野の屋敷もあんなだし」
「そうなのよね。だから志貴のうちに行くと妹はうるさいけど結構落ち着くのよ」

 窓から俺の部屋に押し入るアルクェイドに飽きもせず小言を繰り返す秋葉を
思い出して少し笑う。

「……で、ここの感想は?」
「悪くないわ。石の冷たい落ち着いた感触も嫌いじゃないけど、ここの雰囲気
は何かあたりが柔らかい気がする。周りを囲んでるのが全部木だからでしょう
ね。さっきはオカミサンに悪い事言っちゃったかな」
「そーだ。反省しろ」
「うーん、でもさ、ここって志貴のとこより小さいじゃない? わたし泊まるっ
て聞いたからてっきりもっと大きなホテルを予想してたのよ」
「な、なるほど」

 遠野の屋敷より大きな旅館っていうと……もう旅館ってイメージじゃない。
 アルクェイドは旅館を知らないんだからそう考えるのも仕方ないんだけど―――
うーむ、こいつが喋るときはギャップに注意しておかないと。
 そんな事を考えていると、目的の部屋に付いたのか仲居さんが立ち止まって
振り返った。

「お待たせいたしました。藤の間でございます」
「あ、ども」
「ありがと」

 通された部屋は二十畳くらいの和室で、奥に床の間、真ん中に座卓、その両
脇にはもう座布団が敷いてあった。
 南に向かった窓側には籐掛けの椅子とテーブル。よく見ると隣にもう一室あ
るようだ。
 とりあえず基本的なところは普通の和室だけど、これってかなりいい部屋な
んじゃなかろうか。
 仮に自分で旅行に行こうと思ってもこんな部屋は予算の関係上はじめから選
択肢にいれないんじゃないかと思う。
 この分だと夕食も期待できそうだし、よく考えたらアルクェイドと二泊して
これでロハってのはかなりタナボタだ。
 アリバイの裏付けを頼んだ手前、多少事情に通じた有彦あたりがこんな詳細
を知ったら地団駄踏んで悔しがるに違いない。
 許せ親友。復讐を未然に回避するためにもこんな事をそのまま話す訳にはい
かないのだ。

「アルクェイド。よくやった」

 掛け軸を見て頭をひねっている今回の功労者の頭をぽんぽんと叩く。

「な、何志貴? 何の事だかよく分かんないんだけど」
「まあいいってことよ」

 アルクェイドはよく分かってなさそうだったが、置いた手で頭を撫でてやる
と困ったような照れたような複雑な顔をした。細く、硬い金髪の手触りが手に
心地良い。

「うふふ、仲が良くて羨ましいですね」

 部屋の説明をしてくれていた仲居さんが俺達を見て笑った。
 う……まずい。

「あ、いや、ははは」

 あわてて手を引っ込めると照れ隠しに笑ってみせた。
 アルクェイドも照れているのか俺から少し離れてそっぽを向いた。
 取りなすようにアルクェイドに問いかける仲居さん。

「こちらお国は分かりませんけど、日本語お上手ですね。日本はもう長いんで
すか?」
「え? あ、うーん……。こっちに来てからそろそろ4ヶ(モガ)」
「よ、4年です4年!」
「はあ、そ、そうですか。それにしてもお上手ですよ。隣で聞いていても全然
違和感ありませんもの」
「あ、あはは、ありがと」

 とりあえず取り繕うアルクェイド。

「それにすごくお綺麗ですこと。うちの旅館も結構外国からのお客さんがいらっ
しゃいますけど、今までのなかでもピカイチですね」
「そ、そーなんだ」
「そうですよ。わたし最初にお客さんの顔見てモデルさんかと思いましたもの。
ご出身はどちらなのかしら……どことなく北欧からいらっしゃるお客様の造作と
似てらっしゃるけど……」

 まずいな、このままほっておいても大丈夫だとは思うけど、アルクェイドがぼ
ろを出す前に出ていってもらわないと。
 何かを思い出すように頬に手を当てる仲居さんの隙をついてアルクェイドと素
早くアイコンタクトを交わす。

「あ、あの、すいません。夕食なんですけど、何時頃……」
「そうそう、わたしおなか減っちゃった」
「あ! すいません私ったら。お夕食は今からでもご用意できますけど、その前
に温泉に入られた方が宜しいかと思いますよ。露天風呂、うちの売りですから」
「そうですか。今……」

 テレビの横の時計を見ると6時過ぎ。なんやかんやで着くのが遅れたから付近
を回って歩くのは明日になってからだ。

「じゃ、夕食は7時頃にお願いします」
「はい。それじゃごゆっくりどうぞ」

 話を打ち切られた仲居さんはそそくさと出ていった。まだちょっと話足りない
ようだったけど、この際それは勘弁してもらう。

 ―――おなか減っちゃった、か。



「さて」

 部屋の真ん中でぼーっと突っ立っているアルクェイドに声を掛ける。

「ご希望の温泉だぜ。ご感想は?」

 俺の声にアルクェイドがはっと我に返る。

「そうよ! すっごく待ったんだから!」

 他に人が居なくなり、下手なことを言って俺に怒られる心配が無くなったの
で、俄然意気込むアルクェイド。
 そうなのだ。
 アルクェイドはこの旅行、というか温泉を非常に心待ちにしていたらしい。
 おしゃべりなこいつが秋葉やシエル先輩に喋りたくて仕方なかったのをぐっ
と堪えて一言も漏らさなかったところをみても、その熱の入りようたるや相当
なものだ。
 何が彼女をそこまで惹き付けたのか分からないが、まぁ、仮に一言でも秋葉
達に口を滑らせていたらこうして俺達がここにいることはあり得なかっただろう。
 秋葉、翡翠、琥珀さん、シエル先輩……。
 みんなを謀って二人こうしてここに来てしまった罪深さを思う。
 すまん、きっとみんなも連れてくるから今度ばかりは勘弁してくれ。

「志貴ー。一人でひたってないで早く行くよ。七時まで時間ないんでしょ」
「お、おう、そうだな」

 まとめて置かれた荷物から手早く着替えを取り出すと、アルクェイドを振り返る。

「あれ? お前着替えとか良いのか?」

 アルクェイドは手に何も携えていないそのままの格好で突っ立っている。

「えっ、あ、そうか。このタイミングで着替えるんだもんね」
「そりゃそうだ。せっかく風呂に入るんだし」
「ちょっと待って。準備してくるから」

 アルクェイドは鞄を持つと、襖を開けて隣の部屋へ滑り込んだ。
 いつもあっけらかんとしてるあいつでもやっぱ鞄の中ってのは男に見られた
くもんだろうか。ま、下着なんかも持ってきてるんだろうし、当然か。
 それほど待つこともなく直ぐにアルクェイドが出てきた。

「お、準備できた?」
「う、うん。その、志貴。ここってベッドって……無いんだね」
「ああ。和室だし、たぶん布団だろうな。食事の後で引きに来てくれると思う
けど……そうだアルクェイド、おまえ布団平気か?」

ベッドに慣れた俺も布団は久しぶりだった。

「あ、うん、平気だと思う。そ、そろそろ行きましょうか!」

 後ろ手に襖を閉めるアルクェイド。

「ああ。そうだ、俺もタオル出さないと」
「わっ、わたし持ってくるから。はい志貴タオル」
「これお前の手持ちじゃないか。こういうとこは大体備え付けのタオルが準備
されてるはずだぞ」
「そ、そうなんだ。すぐ持ってくるから志貴先に行っててよ」
「ん? どうした、何かおかしいな」
「あ、あはは、何でもないわよ。ほら、温泉行くの!」

 何故か焦っているアルクェイドは部屋から追い出すように俺の背中をぐいぐ
い押してくる。
 どうあっても俺を奥の座敷に入れたくないらしい。
 ピンとひらめいた俺は押されるままと見せかけて爪を襖の縁に引っかけた。

「うりゃ」
「あっ、こらーっ!」

 アルクェイドがあわてて開き掛けた襖を閉じにかかる。

「……み、見た?」

 ちらっと覗いた部屋の中には重ならんばかりに並べられた二組の布団が枕を
並べて敷かれていた。
 アルクェイドが微妙に力んだ顔で俺を睨む。
 黙っているのもアレなので仕方なく頷く。

「ま、あ、そりゃあな……」
「……あ……ぅ……」

 何か口の中で呟いて押し黙るアルクェイド。
 ……まあ二人きりで旅行に行くと決まった時点で否応なく予想される事態で
はあったが、何かがっついているように思う自分が嫌で、その話題に触れるの
を意識的に避けていたのだ。
 その押し隠していた欲望が顕在化したような場面に今この場で出くわすとは
思っていなかったので正直うろたえた。
 頬を桜色に染めたアルクェイドの顔がそれに拍車を掛ける。
 か、考えなしに開けるんじゃなかった……。
 俯きかげんのアルクェイドと目が合う。

「志貴……その……」
「う、うん……」

 こらっ、今更その程度で照れるな、俺まで恥ずかしくなるじゃないか。

「……」
「…………」
「………………」
「…………お、お風呂、行くか」
「……そ、そだね」

(To Be Continued....)