協奏曲

作:しにを






「遠野くん、浮気していますね」

 疑問ではなく、確認でもなく、断定。
 それでもできるだけ穏やかに言葉を口にしたつもりだが、遠野くんは死神に
でも会ったかの様に驚愕と恐怖の色を浮かべてわたしを見ている。
 冷水を浴びせられた様にがたがた震えているのに、額には汗を浮かべている。

 もちろん確信を持っての台詞であったが、その明らかな肯定の態度にはやは
りショックを受けた。
 なのに何故だろう。
 笑みが浮かぶ。
 きっと嫌な笑顔だろう。
 はたして、遠野くんはさらに絶望的な顔になっている。

「否定しないんですか? わたしは冗談で言っているのかもしれないし、単に
カマをかけているだけかもしれませんよ。
 秋葉さんとお出掛けしたのを見て変に勘繰っているのかもしれないし、琥珀
さんと最近一緒にお料理したりして親密なのを気にしているだけかもしれませ
んよ。それに、翡翠さんも何だか最近は目に見えて表情豊かに遠野くんに接し
ていて、いったい何があったのだろうと疑問だったり……」

「アルクェイドだよ、シエル先輩」

 意を決した様に遠野くんが答える。
 ……不思議だ。
 こういう態度は予想していなかった。
 その答えを引き出すべく会話を始めたのに、かえって戸惑わざるをえない。
 もっと追い詰めた挙句に遠野くんがボロを出す、そういう展開になると思っ
ていたのに。

「アルクェイド……。
 本当ですか、遠野くん」
「本当です。
 シエル先輩の目を盗んで、俺はアルクェイドと何度も会って、そして……」

 痛みを堪える様な表情で、そしてわたしの目をまっすぐ見つめながら遠野く
んは酷い事を言う。

「アルクェイドが遠野くんを誘惑したんですね。あの泥棒猫が……」
「違う。俺が、自分の意思で、アルクェイドの体が欲しくなったから、抱いた
んだ。それも一度でなく何度も、何度も」

 やはりおかしい。
 内容もとてもそのまま受け入れられるものでは無い。
 それに遠野くんはこういう物言いをする人ではない。
 そして何だろう、このわたしを見る目は。
 独り善がりの自惚れかもしれないが、これはわたしに拒絶されるのを、わた
しに嫌われるのを恐れている目だ。
 そして、それでいながら死ぬような思いで自ら二人の関係を絶つ真似をして
いる目。
 何故だろう。
 何故、そんな真似をしているのだろう。

 黙っていればいいのに。
 嘘をつけばいいのに。
 遠野くんが本当にわたしに嘘をつき通すのであれば、わたしはあえて騙され
る事なんか承知している筈なのに。

 アルクェイドだ。
 彼女が何かこの異変のキーポイントになっている。
 
「なんでです。
 どうして遠野くんはそんな真似をしたんです?」

 駄目だ、冷静に問い質そうとしても声が大きくなる。
 しかし、その問いには遠野くんは答えてくれない。
 ただじっと黙っている。

 何度も何度も訊ねた。
 優しく、怒りをこめて、本当の事をと言って下さいとすがって。
 しかし遠野くんは何かに耐える様に何も言ってくれない。

「では、仕方ありませんね。この家の敷居を跨がせるのは不本意ですが、緊急
事態ですから」
「えっ?」

 急に風向きが変わったわたしの言葉に遠野くんは戸惑った声を上げる。
 そして唐突に窓に向かって歩きガラス戸を開けたわたしを、遠野くんは訳が
わからないという顔で見ている。
 さらにわたしの次の行動に……。


「危ない、シエル先輩」

 部屋から遠野くんの慌てた叫び声がする。
 大丈夫ですよ、遠野くん。
 わたしは窓から身を投げた訳でも、転落したわけでもありませんから。
 窓枠を蹴り、壁のかすかな突起に指をかけ、ふわりと上へと登るというより、
飛ぶ。
 すとんと屋根にしゃがむ様に降り立つ。
 自分でも惚れ惚れする様な、重力が消えたが如き華麗な動きですが、観客は
いませんね、残念ながら。
 いえ、一人いました。
 いえいえ、人じゃありませんから、やっぱり誰も見ていないですね。

「ええっ、シエル?」

 いつになく泡を食っているそれの足首をむんずと掴む。そのまま手を振り上
げて宙へと投げ飛ばしかけ、腕の動きにブレーキをかける。
 わたしも屋根に掛けた手を外し、自由落下。
 すんでのところでまたスピードを殺し、窓から自室へ帰還。


「な、何やってるんですか、せんぱ……、アルクェイド?」

 当惑の表情の遠野くん。
 そちらはとりあえず置いておいて、わたしは歓迎すべからざる来客に対峙す
る。

 目の前にはアルクェイドがいる。
 しかし今の彼女は、わたしには馴染みの感情の無い殺戮者、真祖の姫君でも、
わたしの遠野くんにちょっかいをかける泥棒猫でもない。
 怯えた表情でわたしの目を逸らし、それでいて傍にいる遠野くんに助けを求
めるでもない追い詰められ怯えた姿。
 およそわたしの知るアルクェイドという概念からは逸脱している。

「明文化した取り決めがある訳では無いですけどね、わたしが貴方のテリトリ
ーに近づかない、貴方がわたしのテリトリーに近づかないというのは一種の紳
士協定だと思っていました。
 それが、こんなわたしの部屋の様子を窺う様な真似をするとは、どうしたん
です、アルクェイド・ブリュンスタッド?」
「……」

 彼女からの返答は無い。

「では質問を変えましょう。今の遠野くんとの会話は聞いていましたね。
 遠野くんの言う事は正しいのですか。貴方を自分の意思で何度も……」
「志貴が悪いんじゃないわ」
 ぽつりと呟く。

「違う、先輩……」

 遠野くんが無駄と知りつつも必死で叫ぶ。

「いいのよ、志貴」
「遠野くんはしばらく黙っていて下さい」

 期せずして彼女と声をそろえる。
 二人共静かな声。
 遠野くんは絶望的な表情で口を閉じる。

 アルクェイドは再び語り始めた。
 遠野くんとの間にあった事を。


(To Be Continued....)