狂想曲

                                                     作:しにを


 

 ※拙作『協奏曲』の続編ですので、 こっちをお先にお読み下さい。




 穏やかな寝顔の、遠野くんの体。
 こうして見ると病弱だった割には、けっしてひ弱ではないと思う。
 手で触れれば筋肉の質がわかる。
 鍛えているかいないかで変わるけど、これは先天的な質というものがある。

 それにしても、いい感触……。 
 反応しないのを良い事にわたしは、普段なら出来ないような観察をしていた。
 まあ、ただ遠野くんの体を弄んでいるのではなくて、あくまで体を拭ってい
るついでだけど。

 タオルを絞って、腕を、胸を、お腹を拭った。
 だいぶ汗をかいていた。
 こうしているとむっとするようなオトコの匂いを感じる。
 だけど、それは決して不快なものではない。
 むしろ心地良い、そう言ってもおかしくはない。

 でも、そんな事を言うと、恥ずかしがるだろうな、遠野くん。
 わたしも胸の谷間とか脇とかに顔を埋められて「オンナの匂いがするよ、シ
エル先輩」なんて言われると、真っ赤になってしまうもの。

 丁寧に遠野くんの体を清める。
 本当はシャワーでも浴びればいいのだけど、疲れてか、ばたりと倒れちゃい
ましたからね。
 なんだかお家でもいろいろ立て込んでいて睡眠不足とか言っていたから。
 それでも、こうしてわたしの処へ来てくれるのは本当に嬉しい。
 でも久々だったから、ちょっと無理させちゃったかな。
 ……少し反省。
 
 遠野くんの横で眠るのも悪くはないけど、うっかり二人で朝まで寝過ごして
しまったらとんでもない事態に陥る。
 たとえば遠野くんが外出禁止になったりとか、秋葉さん辺りがうるさいだろ
うから。
 だから、情事の跡を濃厚に留めた遠野くんの体を、こうして綺麗にしてあげ
ているのだ。

 でも、こんな事をしていると、ふと昔の仕事を連想したりもする。
 何十体もの遺体を一人で洗ったりしたんですよねえ、あの時は。
 凍るような冷水を何度も汲んできては。
 ……。
 ナルバレック!!!

 いけない。
 綺麗な花畑の中にいる時に、わざわざ下水道を探すような真似をしなくても
いいですね。
 さてと、下半身。
 遠野くんのおちんちん。

 ……ああ。

 こうして見ると本当に可愛い。
 いつもわたしを半狂乱にさせて泣き声を上げさせているアレと同じものだと
は、信じられないほど。
 こんなにふにゃってなってしまっているし。
 ここはとびきり丁寧に。
 ちょっとぐちょぐちょで酷い有り様ですものね。
 精液と愛液とそれに……。

 本当は尿道からバイキンが入るから、ゴムでも使った方がいいと思うけど、
こちらから言うのも何だし。
 前で普通にする時はそのままして貰っているから、タイミングもとりにくい。
 タイミングを見て言わないと、こっちからお願いしているみたいだし……、
終わってから綺麗にすれば大丈夫かな。
 はい、きれいきれいしましょうねえ。
 
 いろんな体位を取ったからかな。
 けっこうお尻の方までねとねとになってしまうものなんですね。
 うふふ。
 
「ふうん」

 ……え?
 今、何やら声が。

「手が止まっているよ、シエル」

 顔をゆっくりと向ける。
 おそるおそるゆっくりと。

 ああ……。
 アルクェイド。
 彼女が少し体を曲げて、こちらを覗き込むように見ている。

「な、な、なんであなたがいるんです」
「ちゃんと玄関から来たよ。ドアもノックしたし」
「え……」
「夜だから、あんまり激しくは叩いたりはしなかったけどね。それで返事が無
いから鍵は勝手に開けさせて貰ったんだよ」
「そ、それでも、立派に不法侵入ですよ」

 うう、反論する声に力が無い。
 気がつかなかった。
 不覚。
 あっさりと不審人物の侵入を許すとは。

「それにしても」
「何です?」

 とげとげしく答える。
 どうせ、何かからかい口でもきくつもりでしょう。

「シエルって本当に志貴のこと、好きなんだね」
「えっ?」

 少ししみじみとしたアルクェイドの声。
 なんだろう。
 すっかり意表をつかれてしまった。

「凄く熱心に、それに丁寧に志貴の体をタオルで拭いていた、わたしに気がつ
かないほどにね」
「……」
「それに、自分ではわからないかもしれないけど、その時のシエルの顔」
「どんな、顔をしていました?」
「幸せそうな顔していて、声掛けづらかった。志貴のペニスを弄っている時は
少しニヤニヤしてたけどね」
「そ、そうですか」

 いろんな意味で恥ずかしい。
 動揺を隠しつつ、手早く洗面器とタオルを片付けた。

「あれ、もういいの?」
「だいたい終わりました」
「気にしなくていいのに」

 気にします。
 あーあ。


                 ◇


「どうぞ。温め直しですから、香りは落ちてますけど」

 マグカップを一つ手渡し、自分の分を一口啜る。
 やっぱり、コーヒーは煎れたてでないと味が落ちちゃいますね。
 でもアルクェイドはと言うと、特に不満はなさそうにカップを傾けている。

 うーん。
 アルクェイドがわたしの部屋に。
 そして差し向かいでこんな……。
 改めて考えると、何だか頭がくらくらとしそうだった。
 昔なら考えられないことだ。
 と、アルクェイドがわたしの視線に気がついて小首を傾げる。

「うん、どうしたの?」
「いえ、あなたを部屋に迎えて、一緒にコーヒーなんか飲んでいるのが、不思
議に思えただけです」
「え、ああ、そうだね」

 そう言ってアルクェイドは笑う。
 不思議だ。
 この真祖の姫が、わたしに笑顔を見せるなんて。
 でも、それは不思議ではあっても、不快ではない。

 そういう顔をされると、こちらもあまりつんけんとするのが躊躇われる。
 消化しえぬ複雑な気分で、また苦味の勝ったコーヒーを啜った。

「志貴の寝顔って可愛いよね」
「そうですね」

 体を捻じ曲げるようにして、背後を振り返ってアルクェイドは呟いた。
 カップを持ったまま、アルクェイドは遠野くんの休んでいるベッドに近づく。
 わたしもそれに倣った。

 遠野くんの寝顔。
 時に悪夢でも見るのかうなされる事もあるが、ほとんどの時に遠野くんは信
じられないほど穏かな顔で眠っている。

「翡翠が言ってたけど、本当に死んだみたいなんだね」
「もうちょっと言い様が。彫像みたいとか……」
「うん……」

 アルクェイドは遠野くんの顔をじっと見つめている。
 見惚れていると言ってもいいかもしれない。
 確かに、眺めるに足る光景であった。

「ねえ、シエル、どうしてもわたしが志貴に抱いて貰うのダメなのかなあ」

 どれだけ二人でそうしていただろうか。
 その無言の時を破ったのは、アルクェイドの小さな声だった。

「そんな事……」
「わたしは志貴がわたしの事一番に好きでなくても構わないよ。
 前は絶対に嫌だったけど、今はシエルが一番でわたしはその後だって少しも
構わないと思ってる。シエルだって志貴のこと大好きなのは知っているし」

 アルクェイドの双眸が正面からわたしに向けられた。

「アルクェイド?」
「でも……。わたしも志貴のこと好きだから。初めて好きになった人だから」

 強い、意思の込められた声。

 そしてさらに何かを言おうとして、ふっとアルクェイドから力が抜けた。
 何を言おうとして、何故それを止めたのか。
 わたしの心に疑問を残して、アルクェイドはまた、遠野くんを見つめた。
 その横顔。
 すごくアルクェイドは優しい顔をしていた。
 遠野くんの事、本当に好きなんだな。
 きっと、わたしに負けないくらい……。

 数瞬、迷った。
 そして、わたしは決断した。
 自分でも馬鹿だなあ、と思いつつ、行動に移す。
 問答無用で叩きだせばいいのに。
 ふぅ……。 

「そんなに、遠野くんの事好きなのなら、試してあげましょうか?」
「試す?」

                                              〈続く〉