4/
 超越的な聴覚で自分に近づいてくる足音を察して、アルクェイドは僅かに注意をそちら
へ向ける。
 もう随分と長い間緊張し通しで、いいかげんに疲れてきた。
 あのふざけた虚像を叩き伏せた後でこうして千年後から朱い月を引っ張り出してきてい
るのだから疲労もするか。
 ワラキアの夜。あの些か気の利きすぎた贈り物をしてくれた吸血鬼は、是非ともこの手
で叩きのめしてやりたかったのだけど。
 状況が状況だけに仕方がないし、正直面倒になってきたし、
 ――――そもそもこういう荒事はどう考えても志貴のほうが適任だから。
 きっとあの足音は志貴で、もうすべて片付けてきて、これからマンションでラーメンで
も作ってくれるんだ。
 そう思うと、なんだか顔が緩んできた。
 ゆっくりと近づいてくる足音が待ち遠しい。
 そして、一番待ち望んでいた声が聞こえた。

「――――ご苦労さん、アルクェイド。もういいぜ」
「志貴っ――――――」

 ぱっと表情を明るくして、アルクェイドは声の方へ振り向く。
 だが、出迎えたのはとぼけた志貴の笑顔ではなく、
 ――――――音速を伴って肉薄する、銀色の凶刃。

「なっ――――――!?」

 咄嗟に首を捻って刃を避け、前方に目を凝らしても志貴の姿はなく、遅れて歩いてくる
影――確か、シオンとかいう錬金術師――が見えるだけ。
 彼女がナイフを投げたのか?
 否。現実には断じて否。
 硬直するアルクェイドの頭上に、糸を垂らした蜘蛛のように無音を纏って、けれど暴力
的な速度で志貴が舞い降りる。
 まだ気付かない。
 左手がアルクェイドの肩口を通過するナイフを掴み取り、その時になって漸くアルクェイ
ドは空中からの強襲を察知した。
 しかし、遅すぎる。
 志貴は見えない糸で宙に逆さで吊られたまま、右手にアルクェイドの頭を捉え、
 
 ――――――吸血鬼の暴力で、一切の容赦無く捻り回した。

「――――――あ」

 ばきり、と渇いた音がして、アルクェイドの首が歪に一八〇度回転する。
 だが、月の影響を受ける真夜中に於いて、この程度の崩壊では彼女は死なない。
 そんなことは、遠野志貴なら解かりすぎるほどに解かっている。
 両足を踏み締めて着地し、美しい唇からとろりと血を零すアルクェイドの凄絶な形相を
眺めて、志貴は恐怖と恍惚に身を震わせる。

 この化物には首を捻った程度では不足に過ぎる。
 矢張り斬断。
 かつてのように美しき十七の破片へと解体する。
 ――――――いや、待て。
 今宵は美より寧ろ。
 試してみようか。人と決別した、魔人としての完成度を。

「――――――殺す」

 短く呪(マジナ)って、ナイフを握った志貴の腕が幾度も振り切られる。
 偉大な画家が風景を妥協なく如実に筆で刻むように、狂的な緻密さで斬影が走る。

 十八。
 十八。
 十八。
 十八。
 十八。
 十八。

 十八解体にて六連。
 故に百八分割。六道地獄へと余すことなく葬送。

 最後の一線を描いた志貴の前で、アルクェイドは正確に百八つの肉片と化してアスファ
ルトに散らばった。
 同時に、夜空を煌々と照らしていた朱い月が消失する。
 紅月は未来へと帰還し、現在を支配する黄金の月が再び闇に輝く。
 空に月の在る限り永遠に力は枯渇せず、拳大の断片に変わり果てながらもアルクェイドは
死に切れず、目も眩むような血の海で眼球が、千切れた臓腑が、乳房が、腕が、心臓が、
性器が、唇が、憎々しげにもぞもぞと蠢く。
 
「確か、夜が来れば死の要因は限りなく零化すると言っていたが――――今夜は敗因が多
すぎたな。不完全にも程がある。
 朱い月という像を全霊で心象して、遠野志貴という像に心が揺れてしまったら、お前も
綻びだらけだ。それでも完全に殺し切れないのは、全く以て流石と言うほかないけどな」

 皮肉げに呟いて、志貴は自分の身体に流れ込みつつある奇妙な感覚を噛み締める。
 朱い月が消滅し、ズェビアの尽くを略奪し征服した志貴の中に、吸血鬼タタリの駆動式
が回復している。

「そうそう、こいつを返して欲しかったんだ。有耶無耶じゃなく、きっちりとケリをつけ
ないと面倒だし」

 完全に駆動式が復活すると、志貴は一度目を閉じて意識を尖らせる。
 そして、吸血鬼の認識で以て、吸血鬼アルトルージュが協力し、吸血鬼ズェビアが生み
出した摂理を直死した。
 自分の身体に網の目の如くに張り巡らされた、タタリがタタリであるための法則。
 その“死”を司る一点を、志貴は自らに刃を突き立てることで破壊する。
 数百年の時を試行し錯誤し、大いなる法を突き崩そうとした術師の抗いの歴史を、気軽に、
子供が飽きた玩具を叩き壊すように、志貴は完殺する。

「――――ああ、スッキリした」

 いかにも肩の荷が降りたという調子で、志貴の顔が無邪気に綻ぶ。
 そこへアルクェイドの破片を避けるようにしてシオンが追いつき、志貴の胸に突き立っ
たナイフを見て息を飲む。

「まさか、タタリの駆動式を殺したのですか!? でも、一体どうして……」
「どんなに便利な式でも俺には必要ないからさ。誰にでもなれる、実体のない噂じゃ意味
がない。俺は俺のまま、いつでも自由に犯して殺して、血を吸いたい。
 それならタタリの力なんて邪魔なだけだ。だから殺したのさ」
「志、貴――――」

 不遜に嘯く志貴に、シオンは畏怖すら覚えて身を震わせる。
 しかし、恐ればかりではない。
 目の前に立つ吸血鬼のあまりにも強大無比な力と、絶対の自信とに触れて、シオンは羨
望とともに強い恍惚を覚えていた。
 何故なら。

「これでタタリは死んだ。街を不安にしていた噂の殺人鬼、吸血鬼も消えた。
 でも終わりじゃない。偽者が消えただけさ。
 今夜からは現実(ホンモノ)の殺人鬼が思う存分暴れさせてもらう。
 解かってるだろうけど、駆動式が消えても闇の血脈は消えない。
 だから――――シオン。君は俺のモノだ」

 そう。シオンはこの狂おしい殺人技巧を持った吸血鬼に傅く者。
 彼の寵愛を授かる栄誉を得た者。
 志貴と二人、長い長い時間を共に分かち合うことができる。
 その喜びを思うだけで、熱い悦楽に全身が痺れる。

「はい――――志貴」

 夢見るように頷くシオンを抱き寄せて、志貴は血の海に散乱するアルクェイドの破片を
見下ろす。
 百八に分断された女の肉体。
 意味もなくこの数を選んだわけではない。
 ひとつには実験であり、またひとつには決別の数字であった。
 前者は満足の行く結果を生んだ。
 頭に描いた図面通り、一分の狂いもなくアルクェイドを百八に分割できた。
 そして。

「百八の身となりて衆生一切の煩悶を知るがいい。
 その幽玄なる感情の地獄、人の身のあはれを痛飲したならば速やかに舞い戻れ。
 いかに仏が慈悲深くとも、三度は微笑むまい。
 俺かおまえ――――その時こそどちらかが決着する」
 
 志貴の中の死神が、そんな辞世を吐き捨てる。

 百八とは即ち現世に氾濫する煩悩数。
 人の痛み苦しみの数だけに切り刻んで、その意味を傷口に塗り込んだ。
 遠野志貴が人間の認識で放つ末期の斬撃。
 飛び切りの皮肉を込めた切断数だった。
 後者もまた成功。だが――――まだ足りない。

 自分はまだこの女を殺し切れていない。
 二度もその機会に恵まれながら、ただの一度もだ。
 なんて屈辱。ひどい恥辱。果たされない陵辱。
 フラストレーションが爆発して、またぐらが煮えたぎる。

 だからこその三度目、正直に後腐れのない決着。
 煙に巻かれる結末はもう沢山だから、綺麗にどちらかが消え失せるしかない。
 生/死(デッド・オア・アライブ)。
 呆れるほどに単純。
 気軽にコインを投げて受けるような、そんな終わりをこそ望んでいた。

「責任を取れって言ってたっけ。そうだな、そうしよう。
 次こそは綺麗に殺して、中途半端な強姦を終わらせてやるよ。
 だから――――早く、早く戻ってきてくれ、アルクェイド……」

 志貴は眼球を含んだ破片を拾い上げ、まだ認識の機能が在るらしく自分を刺し殺さんば
かりに睨みつけている球体にねっとりと唇を寄せる。
 すぅ、と浮いた一滴の涙を舌で拭うと、志貴は興味を無くしたようにソレを地面に放り
捨てた。
 控えていたシオンが一歩踏み出して、主に伺いを立てる。

「……これから、どうするのですか?」
「一先ずはアルクェイドの復活を待つさ。とはいえこれだけこっぴどくやったんだ、そう
簡単に帰っては来ないだろ。暫くは他の愉しみを考えなきゃいけないな」
「――――殺人、ですか? 確かに獲物には事欠かないでしょうが」
「誰でもいいっていうなら、確かにそれこそ選り取りみどりだけど。
 丁度良く骨のあるのがたくさんいるだろ、この街にはさ。
 まずは先輩かな。秋葉だって本気でかかってくればそれなりにはおいしいだろうし。
 そうそう、翡翠と琥珀も仲間外れにはしておけない」
「あの姉妹が、今の貴方を愉しませるだけの戦闘能力を備えているとは思えませんが?」

 シオンの問いに、志貴は心底いたずらっぽい笑顔で反撃する。

「シオン、俺の愉しみは殺人だけ、なんて一言も言ってないよ。
 殺し合わなくたって、夜を面白くする方法はちゃんとある――――だろ?」
「あ…………」

 言葉に陰に含まれた淫らな意味を悟って、シオンは頬を染め自らを掻き抱く。
 身悶える姿を冷ややかに眺めながら、志貴は不意に可愛らしい従僕へと顎をしゃくる。

「してくれよ」
「え……?」

 シオンがはっと身を竦めると、志貴は心外だとでも言いたげに唇を歪めた。

「とぼけなくたっていいさ。ズェビアをバラバラにしている時からまた濡れてたんだろ?
 俺も殺しの後でガチガチなんだ、スッキリさせてよ、シオン」

 志貴のズボンから、また天を貫くばかりに勃起したペニスが引きずり出される。
 見えない糸で引き寄せられるように、シオンはその前へと近付いて跪く。
 そして、彼女が未来永劫に服従しつづけるであろうその灼けた肉の柱へ、愛欲を込めて
口付けた。

 ……一夜限りの祀は、朝日と共に霧散した。
 けれど再び月が昇るその時には、終わりのない狂気のカーニバルが幕を開く。
 現実を浸食した悪夢は、彼に成り代わりその舞台で鮮やかに踊るのだ。
 
 ――――さあ。
     老若男女の分別なしに、終わらない血の宴を愉しもう――――

                      
                     【Shall We Dance,
                      In The Funky Bloody Night!】



【後記】
 長えよ兄さん。誰だよ兄さんって。
 兄貴ィ――――ッッ ってなんだ? MaわレMEら輪な居こーとーサァ?
 ……いつもより多く狂っております。
 某Aで始まる人と某IRCな人々に感謝。てめえらの血は何エロだ。
 とりあえずアルクごめん。
 ベルトを奪ったフィニッシュパターンは許してください。
 せめてジャック兄さんの見開き全力パンチで。どっちも死ぬか。
 こんな長いのを最後まで読んでくれた貴方、愛してます。