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 深夜の訪問者

 作:しにを




 控えめなノックの音がしたのは、もうかなり夜も更けた頃だった。
 でも部屋の明かりはついていて、俺はまだ眠ってはいなかった。
 とりあえず返事をして、ベッドから体を起こした。 
 部屋のドアを開けると、シオンが佇んでいた。
 帽子はかぶっていないけど、いつもの姿。
 訝しげに見つめる俺をまっすぐに見返して、シオンはこう言った。
 極めて事務的に。
 そして静かに冷静に。

「志貴の精液を欲しいのですが……」

 それに対しこちらも悠然と応じた。 
 機械的に頷きかけて驚くような真似、例えば……、
 ――うん、いいよシオン、精え…えええッッッ!?
 と叫び声を挙げるような真似はしなかった。

 シオンの頼みに、何の疑問もなく同意したからではない。
 言葉が頭に染み込んでいかなかったから。
 もっと平易に言えば、何を言っているのかわからなかったから。
 ただ、身動きもせず間抜け顔をしていただけ。
 こっちの思考停止状態にシオンは訝しげな顔で、ゆっくりともう一度繰り返した。

「……? 志貴、あなたの精液が欲しいのです。頂けませんか?」
「う…え……」

 やっと認識出来てきた。
 そんな俺をシオンは正面からじっと見つめている。
 冗談では無いようだ。

 しかし、冗談で無いとすると、ずいぶんシュールな夢だ。
 これが、琥珀さんとか秋葉ならまだ……、いやそれはそれでおかしいけど。
 うん、そんな真似はしないよな?
 いやいや、今はシオンだ。
 シオンだってそんな事を言いはしない。
 従ってこれは……。

「夢ではありませんよ、志貴。
 あなたは間違いなく目覚めています。
 そして、私は理知的な状態で志貴と話しています」

 いつもと変わらぬシオンの眼。
 確かに正気のようだ。

 夢や幻覚ではない?
 本当に、シオンが俺のを?
 精液を求めて夜にやって来た?

 改めて呆然としてシオンを見つめる。
 でも、そんな反応は予期していたのだろう。
 シオンはまったく動じる事無く、口を開いた。

「要は、研究に使いたいと言うんだね」
「文献や各所のデータバンクを活用し、思考実験の中で理論を練り上げるだけでなく、地道な
実験と検証も必須ですから。
 今は私自身の体液についていろいろとデータを集めていますが、異性のものも必要になって
きたんです」
「そうか」

 俺はベッドに胡座をかいて、シオンは椅子に腰掛けての向かい合い。
 ともかく立ち話も何だし、話題が話題なので部屋に入って貰ったのだ。
 どんなとんでもない話が……と危惧したが、蓋を開けてみればむしろ散文的な、いたって真
面目なお話だった。
 ……高度に整理されているが故に、レトリカルな感じだったけれど。
 
 結論はどうにか理解できた。
 シオンが俺の精液を求めたのは、研究材料として使用する為。
 それならば理解できる。
 シオンの抱いているあまりに困難な研究。
 吸血鬼化した人間の治療。
 それには、いろいろと俺などには窺い知れないデータや実験の積み重ねが必要なのだろう。
 少しでも成果があがるのなら、喜んで手を貸したい。

 とは言うものの……。
 さすがにちょっと躊躇の気持ちが湧いてくる。
 精液を提供すると言う事は、つまり自分でむにゃむにゃで……、採れたてのをシオンに渡す
って事な訳で……。
 考えると何だかとんでもない行為。
 真面目な事であって、むしろ変に感じる方がいけないのだろうけど、これはどうにも。
 モノがモノだけに。
 これが血液採集とかなら二つ返事なのだけど。

「少々おかしな頼みだとは思いますが、他に頼める者もいませんし、外で調達するのも可能で
はあっても困難です。これが血液などであれば比較的容易なのですが」

 まあ、そうだろうな。
 何かの研究施設とか。病院とかの分野だろうし。
 でも変な苦労しなくても、夜の街でシオンがこの格好で……。
 そしてその辺の男に声を掛けたら幾らでも……。
 いやいやいや。
 もしかして思考を読まれているだろうかと気づいて、不埒な想像を慌てて打ち消す。
 心なしかシオンの表情が強張った気もする。
 怒られるかな?

「お願いします、志貴」

 でも、シオンは深々と頭を下げた。
 俺が考え込んだのを、拒絶と考えたのだろう。
 そして顔を上げた時には、すがるような表情。
 正面からそうまで懇願の目で見られると、これは拒み難い。
 まあ、痛い事をする訳でもないし。

「わかったよ、協力する」
「ありがとうございます」

 こんなに嬉しそうなシオンの笑顔も珍しい。
 これだけでも、先払いのお礼として充分すぎるな。
 
「で、どうすればいいのかな?」
「はい。ここに……」

 言いながら、シオンは持ってきた布の鞄をがさごそと探った。
 用意のいい事だな。

「まさか、ビーカーいっぱいに出せとか言わないよね?」
「そんなには必要ありません」

 軽口めいた低レベルな冗談を真顔で返し、シオンが差し出したのはシャーレだった。
 ふむふむ。
 まあ、こんなものだろうな。

「わかった。ここに出せばいいんだね。
 じゃあ今から……、あ、そうだ。一つ条件がある」
「はい」
「俺がしている間に、エーテライトの使用はやめてよ」
「はい?」

 不思議そうな顔をされた。
 思考の流れに戸惑っているようだ。

「そのさ……、している最中にシオンに考えている事を覗かれている、なんて思ったら出来る
事も出来ない」
「ああ、なるほど、それは理解できます。
 わかりました、志貴。約束します。シオン・エルトラム・アトラシアの名にかけて、エーテ
ライトの使用はしないと誓います」
「そこまで仰々しく……、まあ、いいや。なら、約束だよ。
 よし、じゃあ始めるから。少し待っていてよ」
「お願いします、志貴」

 宣言しての自慰の開始なんて、一種の羞恥プレイだなとか頭に浮かぶ。
 小さく溜息。
 では、シオンの依頼を実行するか。
 やると言った以上は、のたのたしていても仕方ない。
 よしと寝間着に手をかける。
 膝辺りまでずり下げながら、ふと視線を上げる。
 手の動きが止まった。
 
 シオンがこちらをじいーっと見つめていた。
 それも熱心に。
 出て行ってくれと言ったつもりなんだけど。

「あのさ、シオン」
「何でしょう、志貴?」
「そこで何をしいているの?」
「私は男性の生殖器の機能を具体的に知りませんから、観察させて貰おうと。
 もしかして、ご迷惑でしたか?」
「いや……」

 そう真正面から答えられると……。
 迷惑といえばこの上なく迷惑。
 まあ、出て行けと言えば席を外してくれるのだろうけど。
 何だか言い難い雰囲気。
 前から思っていたけど、シオンてやっぱり少しどこかズレている部分があるよなあ。

 いいや。
 えいとパンツまで下ろしてしまう。
 シオンの視線にさらされる、俺の全て。

 ここで威風堂々たる姿であるなら、それはそれで大人物かもしれない。でも、こんな訳のわ
からない状況においては、ペニスは微弱に質量を増しているかどうかという按配。

「なるほど」

 小さくシオンの声。
 何がとは、その意をあえて訊かない。
 シオンだから、成人男性の平均値云々とか言い出すかもしれない。
 そんな事を言われたら、勃つものも勃たない。

 意識を集中し、ソロプレイの体勢に入る。
 この時。
 手近な対象に心が向くのは男として間違っていないと思う。
 端的に言うと……、シオン。
 ……。
 ……。
 妄想開始。
 ……。
 ……。
 ……。
 シオンが視てたら、どうなっただろう。
 ……。
 釘刺しといて良かったな。
 ……。
 でもどうにも集中しにくいな、やっぱり。
 うう、もっと妄想強化。
 はぁはぁ。

「志貴……」
「うわあ」

 突然の「初めてのペニスの仕打ちに打ち震えつつも快感に目覚めて」「顔に似合わず熟練し
た性技で俺を翻弄して」「ニーソックスでペニスを弄んでくれて」「手で触れるのすら泣きそ
うな顔で嫌がって」いる「俺の言う事に何でも嬉しげに従う淫乱肉奴隷」な「冷たい視線で俺
をなじる女王様」にして「突然出来た義妹」の声に飛び上がりそうになった。

「な、何だよ」
「すみません。どうも志貴が苦労されているようなので……」

 顔と、今ひとつ勃ちが甘いペニスをシオンがちらりと見る。 
 確かに、少々没入しきっていない。
 心も体も。
 こんな、他人の目を意識しながらなんて経験無いしなあ。

「やっぱり、このやり方だとね」
「すみません、志貴。私の思慮が足りませんでした」
「う、うん」
「こういう行為には、メンタル面での影響が大きく左右しますね」 
「ああ、そうだな」

 少しほっとする。
 シオンの存在が集中力を阻害している事に気付いてくれたようだ。
 これで俺を1人にしてくれるなら、それにこした事はない。
 でも、ちょっぴり残念なような気がしないでもないような、あるような。
 いやいや、そんな露出願望は俺には無い。無いったら無い。

 あれ?
 シオンは一向に回れ右する様子は無い。
 代わりに、ちょっと顔を赤らめて……、言葉を続けた。

「気付くべきでした。志貴にオカズが必要だと」
「オカズって、ちょっと……シオン?」

 俺の返答を待たず、シオンは行動を開始した。
 スカートを少し手繰り上げるともぞもぞと手を入れた。
 突然の行為に驚き、そして目を奪われる。

 ええと、何をする気だ?
 そんな疑問が頭いっぱいに広がる。
 いったい……おおッ。
 シオンの太股がちらちらと見え隠れする。
 こんな根本まで。
 凄い。
 見えてますよ、シオンさん。
 絶妙な曲線の張りがある太股だけでなくて、その奥まで。
 シオンの穿いているのが、スカートが捲くれて。
 ふうん、こんなショーツつけているんだ、じゃなくて。
 ええええッッ!?
 薄いピンク色のストライプが……。
 シオンの腿を伝って下へ……って、ちょっと、シオン。

 ごくりと唾を飲み込む音が妙に大きく聴こえる。
 目は大きく見開いている。
 瞬きは止まっている。
 ただ焦げ付きそうなほど目の焦点がそれを見つめて上から下へと動く。

 腿から膝へ。
 そして、ふくらはぎ、足首、つま先。

 ついには軽く屈んで、シオンはそれを抜き取ってしまった。
 立ち上がり、俺に差し出す。
 手にしたものを。
 丸まった小さな布の塊を。

「どうぞ、志貴。使ってください」



                                      《つづく》