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天井を眺めている。隅の暗がりで身を縮めている闇が、意識を誘っているよ
うに見えてならない。
空虚だった。
「何て―――はしたない」
結局、私は快楽に流されてしまった。その上、お漏らし、まで、してしまっ
て。
羞恥に顔が染まる。もうイヤだ。
両手で顔を覆う。涙が零れそうになるのを、必死で堪えた。
――――――コンコン。
………部屋に二つ、堅い音がした。
「シオン?」
声。聞き慣れた、声。低い男性の声。ドアの向こう側に、気遣わしげな気配
がある。彼の後ろに感じられるのは、先程まで睦み言を唱えていた真祖だろう。
「……入るよ?」
ドアノブを回して、鍵がかかっていないことに気付いたのだろう。この時間
に廊下に二人でいるのは危険が伴う。応答が無いことを肯定と取ったのか、二
人は息を潜めて部屋に滑り込んだ。
ショックで私は半ば放心していた。冷静に彼等のことを考えてはいたが、た
だそれは、それしか出来ていない、ということでもあった。
絶頂に伴う眩暈を味わってからずっと、私は何もしていない。
何もしていないのだ。せいぜい泣いた程度。
「な………」
「あ………」
二人が絶句する。私は何故かと訝る。
視線を辿る。その先には。
「いやああぁっ!!」
絹を裂くような悲鳴を上げた。慌てた志貴が口を塞ぎ、かろうじて事無きを
得たが、異性――それも志貴が私に触れているという事実に、ますます混乱し
てしまう。
今の私は、隠れているべき部位、つまり乳房や秘裂が剥き出しという、異種
異様な有り様であった。大事な所が全て露になっている。これでは、彼等が言
葉を失うのも当然だ。そして、私が我を忘れるのも。
ベッドの上で暴れる。暴れた拍子に志貴に乳首が掠め、その痛みと痺れで少
し自分を取り戻した。鼻で荒く息をしながら、彼を見据える。
彼は私の目を見ている。顔は紅潮している。
あああ、見られて、しまった。
「うっ、ううっ」
瞳が潤む。恥ずかしい、死んでしまいたい。
唇に触れた掌が温かくて、逆説的な慰めを得てしまう。見かねた真祖が志貴
を押し戻した。
「こら、志貴。襲ってるみたいに見えるわよ」
彼の寝巻きの端を掴み、持ち上げて遠ざける。仕方が無いなあ、なんて嘆息
しながら、真祖は私に布団をかけようとした。その手が止まる。何とも形容し
難い表情で、彼女は布団を床に全て落とした。
「アルクェイド……?」
「黙って。志貴はちょっと目でも閉じててよ。ん〜と、大丈夫そうなのは……」
真祖は一枚の毛布を引き上げた。私もそれでようやく思い至る。さっきベッ
ドの上で失禁してしまったので、汚れていないものを探していたのだ。私は彼
女等の痴態を眺めるような真似をしていたのに、それなのに、彼女は。
志貴が気付かないように、という配慮までして、私の恥を隠そうとしている。
どうして? この様子を見れば、真祖だって私が今の今まで何をしていたか
くらい想像はつくはずななのに。
「……どうして……」
寝そべったままの私に毛布をかけ、裸身を覆う。その手を止めて、彼女は私
に、不思議そうな顔を向けた。
「見られたいの?」
「……っ、そんなことは!」
「ならいいじゃない」
さらりと問いを受け流し、真祖は作業を終える。布団を隅に押しやって、隠
すことも忘れない。追い縋ろうと唇を開きかけたが、彼女はそれを気にせず、
「志貴、いいわよ」
「……ああ」
どうしたものか、と迷っていたらしいが、ようやく許可が下りて志貴は安堵
の表情を浮かべていた。でも、結局見られたという事実が変わらないのと、余
裕のある真祖の態度がどうにももどかしい。
「……あの、さ」
しどろもどろに切り出す。真祖は何を躊躇うのか、と言いたげだ。
「つまりね、私達は隣の部屋から妙な声がしたんで、こっちに来てみたの」
「そ、そう、そういうことなんだ」
「…………」
思い返してみる。そういえば、私は、彼等の行為を覗き見て、挙句失禁して
しまった。その時に、何事か声を出した気もする。
彼等の、私の光景が瞼の裏にまざまざと浮かび上がって、私は顔が熱くなる
のを感じた。性懲りも無く涙腺が緩みそうになる。
ああ、もう、どうして。
「ほら、落ち着きなさいって」
真祖が私の背を摩る。
止めて下さい。
安心して……しまうから。
私の行為を知っているはずだ。あの姿から鑑みて、自慰に至らないはずが無
い。そも、布団の考慮をした時点で失禁のことも知られている。もしかしたら、
私が性交を見ていたことも解っているのかもしれない。
それなのに、どうして優しくするのか。よりにもよって、貴方が。
歯噛みする。解らない。
愛されて―――いるから?
「落ち着いた?」
コクン、と一つ頷く。軽く微笑んで、真祖が私の頭を撫でる。癪ではあった
が……でも私は放って置いた。何よりも癪なのが、それが心地良いということ
だったから。
「シオンは……あの、どうして?」
呆、としていると、あまりに間延びした問いかけが聞こえた。穏やかになり
つつあった心が、一瞬で不快にざわめいた。
「貴方がそれを訊くんですか、志貴……!」
怨嗟にも似たものが、軋った。真祖も刺々しい目付きで志貴を睨む。一人状
況についていけない志貴が、驚いて少し引いていた。
「志貴が毎晩毎晩ああいうことしてるからでしょ。隣はこの錬金術師なのに、
気にしないんだから」
「なっ、オマエが言うか!?」
「ほら、大声出さない。琥珀とかが気付いちゃうわよ?」
志貴が喉を詰まらせる。だが自分でも思い当たる所があるし、何より正論だ
ったので、結局反論を続けることはなかった。
私はただ恨みがましく志貴を見ている。
「何で俺だけなんだよ、アルクェイドだって……」
じ〜〜っ。
見詰める。何も言わない。
真祖も確かに責はあるだろう。覗いていた私も勿論責はある。
でも、一番の当事者たる志貴に、自覚が無いというのはどういうことだ。今
更たじろいで見せたって、私の気持ちは変われない。
「いや、あの……」
「言い訳しない」
「言い訳しないで下さい」
二の句は告げさせなかった。こういう時ばかり気が合うというのも考えもの
だが、意識しているだけまともであろうと思う。
馬鹿馬鹿しくなってきた。
ずっと、私は、泣きそうで。厭らしいって、泣いて。
なのに、なのに志貴は。
「愚鈍、外道、志貴は最低です。どうして解らないんですか!」
神経を掻き乱すような吃音。自分でもその声に驚いた。真祖も意外そうな顔
である。でも、元はと言えば、志貴が悪いのだ。
もう止まらない。もう戻れない。
「我慢していたのに! 毎晩毎晩あんな声を聞かされて、私に何をどうしろと
言うんですか!? どうして気にしてくれないんですか! 私は……!」
分割思考の二番が、待ったをかける。無視。次いで他の思考も二番に続く。
やはり無視。何を口にしようというのか。
それは、あまりにも、決定的な言葉。
「私は貴方に好意を抱いているのに! それなのに……酷いです!」
―――ああ、ああ。
残響で、自分がとんでもないことを口走ったと悟る。
私は何を。何を……!
自分を制止しきれなかった。浮かぶ。予測し得る未来、絶望的な光景、困っ
たような瞳がこちらを向く。止めて下さい、そんなつもりじゃないんです。困
らせたい訳じゃないんです、志貴。
私はただ……知って、ほしかった。ただ、少しでも気にしてほしかっただけ
なのに。
顔を背けた。もう、彼の顔なんて見れない。恥ずかしくて死んでしまいたか
った。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も、何も切り出せずにいる。重苦しい無言が続く。私はもうこれ以上何も
語るべきものを持っていない。語るべきを持つ者は、志貴と真祖の二人だけ。
いっそのこと、真祖が私のだからダメ、などと場を茶化してくれれば楽なの
かもしれない。或いは、志貴がきちんとした理由を以って私を退けてくれるな
ら、それでも救いはある。いずれにせよ、私は結果を待つしかないのだ。
この停滞を打ち破りたい。嘘です、なんて気の利いた科白が吐ければ良かっ
た。
「……で、どうなの? 志貴は」
「え?」
「志貴は錬金術師のことどう思ってるの、って訊いてるの」
責めるでも縋るでもなく、真祖は淡々と尋ねた。愛情に自信があるとかそう
いうことではなく、純然たる事実の確認であるらしかった。彼女のどこを探し
ても、質問以上のものを見つけることは出来なかった。
「……ええと」
「真面目に」
「解ってるよ。……確かに俺はシオンのこと好きだけど、アルクェイドも好き
だし、でも付き合ってるのは……」
「はい、ストップ」
私は密かに続きを期待していた。だから正直、このタイミングは惜しいとす
ら思ってしまった。浅ましい。馬鹿みたいだ。
心情がころころ変わり過ぎる。これだから私は、こんな状況に陥っていると
いうのに。進歩がまるで無い。振り回されっぱなしだ。
「あのね、志貴」
「なんだよ」
「どうせ嘘なんかつけないんだから、普通に話せばいいじゃない。錬金術師の
こと嫌い?」
「そんな訳ないだろ!」
志貴が噛み付く。真祖はやれやれと嘆息する。
私は置いていかれている。
「じゃあ好きなんでしょ? 別に私がどうこうじゃなくて、志貴がどう思うか
の問題なんだから」
「「―――――――――は?」」
呆気無い言葉に、これまた呆気に取られたのは、他でもない私と志貴だった。
彼女は、何を、言っている?
固まってしまう。ぽかんと口を開けっ放しの私達を見て、真祖は腕組みをし
た。
「驚くことじゃないと思うんだけど。ねえ錬金術師、私は志貴が私を嫌いにな
ったと思う?」
「いえ、思いませんが……」
「でしょ? だから、それでいいのよ」
あっけらかんとしているのはいいが、理由になっていない。恋人同士が持っ
ていて然るべき、独占欲が無いと言うのか?
混乱してきた。しかし、こう言われてショックなのは、私以上に志貴の方だ
った。
「オマエ……何言ってるんだ……?」
「解らない? つまり、嘘つけないんだから、正直になればいいでしょ、って
ことよ。好きなんでしょう? そういう感情抱いたことが無いって、言い切れ
る?」
「う……、いや……」
「ほらね。志貴が自分に嘘ついたってロクなことにならないし、私は私をちゃ
んと愛してくれるんなら、それで幸せだもの。違う?」
「いや、違わないけど、そうじゃなくて……」
志貴も巧く言葉に出来ないらしい。私だってそうだ。淡白であるとすら言え
る彼女の根拠は、他ならぬ志貴の愛情なのだ。しかもその感情が純粋かつ無邪
気と来たら、戸惑うのも当然である。
愛していないからではなく、愛しているし、愛されているからこその奔放さ。
眩しさすらある。彼女は、心から志貴を信じている。理解しているのだ。
……そろそろ落ち着け、シオン・エルトナム・アトラシア。状況をきちんと
確認しなければ、見えるものも見えなくなる。
まず、真祖は志貴が好き。志貴も真祖が好き。これはいい。何度も意識して
きたことだ。OK、では次に。
私は……志貴が好き。感極まったからの世迷言ではない。そして、志貴も…
…私を、憎からず、お、想ってくれているらしい。深く考えない。いいことに
してしまう。
次が問題だ。志貴が真祖と私を好いていてくれるとして――優劣はあるだろ
うけれど――それで真祖はいいと言う。私は、元々二人に割って入ったような
形であって、何がどうこうというポジションではない。せめてもう少し考えて
ほしい、と思っていたら、一足飛びに進展を迎えてしまったのだから。不満以
前の問題である。
では、志貴は……どうなのだろう。
彼は自分に嘘をつける人間だったか。否。
彼は他人に嘘をつける人間だったか。否。
彼は恋愛に器用な人間だったろうか。否。
だから、解らない。知らないことを想像は出来ない。私はそんな生き方を知
らずに過ごして来たから。
真祖は自分を示した。私もまた示した。残るは志貴だけだ。
本当は、こんなに結果を急ぐこともないのだろう。志貴だって、我を忘れた
私がいきなり想いを伝えたりするなんて思わなかったはずだ。考える時間が足
りない。
「志貴……あの、そんな、焦らなくとも……」
気を遣った答えを出してほしくはないので、おずおずと付け加えた。でも志
貴は首を横に振ると、はっきりとした口振りで告げる。
「いや……、シオンがきちんと言ってくれたからな。どう言えばいいか解らな
いけど、俺は確かにシオンが好きだよ」
それ以上、志貴は何も言わなかった。友達としてとか、そんな修飾も無く、
ただ彼は好きだと言ってくれた。
本当……に? 志貴は、いいのですか?
唇は動いた。でも、喉は震えてくれなかった。
だから音は出ていない。何故か真祖は嬉しそうで、ますます混乱してしまう。
「何でオマエがそんなに嬉しそうな顔をする」
何がなんだか、といった風に、志貴は溜息をついた。真祖の答えはシンプル
の極み。
「志貴が志貴らしいから。志貴がしたいようにして、私もしたいように出来て
――その中に錬金術師が入っても、ちゃんと私を愛してくれるんでしょ?」
「当たり前だろ」
「だったら、私は幸せだよ」
――――――――――は。
参った。
心底、参った。
やられた、と思う。
どこまでも我侭で、何て幸福な。
言うことは無い。完敗で、乾杯な気分。もう我ながら支離滅裂、笑うしかな
い。
「っ、くくっ、あははははははは!」
心が温かくて、おかしい。
手に入らないと思っていた。自分はダメだと思っていた。
魅力の無い人間、優劣などに囚われていた。
この地で友情を得て、私は彼に惹かれた。それで充分だと思って、また、諦
めてもいた。これ以上は望むべくもないと。
でも、違った。
不可思議な偶然の連なり。日本人の観念にこんなものがあった。
『初恋は実らない』
どうしてなのかと思ったが、漠然と理解していた。違う、違った。
敵対していたはずの真祖が、こんなに近い位置にいる。近づいた志貴が、よ
り近くへと。
もどかしい。ああ、歓喜で、どうにかなりそうだ。
叫んで、しまいたいくらいに……!
「嬉しい……です……!」
ああもう、なんて真祖の声。
ちょっと…と志貴の声。
感極まった私を、二人は優しくあやしてくれた。
黒く澱んだ意識から醒めると、白く澄んだ世界が待っている。
私は幸いにも、そう知ることが出来たのだった。
(了)
初めまして、あるいはお久し振りです。秋月 修二です。
書くきっかけとしては色々あったのですが、私はエロが書けるのかなあ、と
いう疑問が自分で自分にありましたので、取り敢えず頭を悩ませてみた次第で
す。
……結局、よく解りませんでしたが(爆。
とにもかくにも、事前にチェックしていた方々に、お礼申し上げます。そし
て、長くなってしまいましたが、お読みいただければ幸いです。
ではでは〜。
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