[an error occurred while processing this directive]


 限り無く白に近い黒
                      秋月 修二


 1

「っふあ……」
 蕩けた声が喉の奥から込み上げた。さっきから左手は忙しなく乳房を揉みし
だき、右手は熱くぬかるんだ秘裂をなぞり上げている。
 既に上着は全てのボタンを外されており、スカートは膝の所で未練がましく
――これが精一杯なのだと言わんばかりに――止まっている。ショーツは秘所
がギリギリ見えるくらいまで下ろされて、体液を避ける為に身を捩っているか
のよう。
「ああっ、志貴ぃ……乳首ばっかり、責め、ないでぇっ!」
「何言ってんだよ。オマエがこうして気持ち良くなってくれないなら、こんな
ことしないぞ?」
「で、もぉっ!」
 隣室から、間断無く嬌声が響いてくる。いつ終わるともしれない秘め事の声、
これはいつから始まったのだったか。
 胡乱な頭で考えようとする。はっきりと覚えているはずなのに、どうしても
思い出せない。そも、そんなことはどうでもいいのかもしれない。思考は霞み
がかっているのに、五感は妙に冴え冴えとしている。今この場にある現実はそ
の程度だ。
 真祖と志貴の遣り取りから、まるで今思い出したように、自身の乳首に対し
ての刺激を加えようと思い立つ。
「はしたない……」
 その言葉は誰に宛てたものなのか。解っているのに、知らないフリをしてい
る。
 わざとらしく息を飲む。そろそろと手を伸ばし、親指と中指を右の乳首に添
える。今まで自分で慰めていたお陰ですっかり堅く尖った先端は、ただそっと
指を置いただけで快楽を頭に伝えて来る。
「あ……」
 喉から漏れ出た声が外にまで溢れないように、必死で声を抑える。今は真夜
中だ。あまり大きな声を出しては、見回りをしている翡翠や琥珀にばれてしま
う。
「挿れるぞ……」
「んんん、ああっ! いいよぉっ、志貴!」
 見回りが来たら、と意識してしまうと、よりはっきりと喘ぎが耳に響く。き
っと、あの声量では気付かれてしまうだろう。
 だったら―――私一人が多少大きな声を出しても、問題は無いかもしれない?
 いけない。
 いけない。
 そう思う気持ちが逸ったのか、緊張で両の手に力がこもる。左手は捻るよう
に乳首を弾き、右手は卑猥な水溜りに、強く掌を押し付け形になる。上半身の
快楽に体が折れ、次いで股間から走った衝撃に似た刺激に、弓形に反り返る。
 がくんがくんと体をゆさぶった反動で、あまり豊かとは言えない乳房がそれ
でも揺れた。電気を点けていないこの薄闇の中で、自分の肌の白が妙に目に刺
さる。
 黒に浮かび上がった白。白は微かに朱に染まり、一人遊びの興奮をまざまざ
と私に見せつける。
 違う。私が悪い訳じゃないはず。
 それもこれも、毎晩のように真祖と淫らな愉悦に耽る志貴が悪いのだ。
 この真夜中に。隣には私がいるというのに。
 そんなことにはまるで無頓着に、異性を貪る自堕落な彼がいけないのだ。
 だから、私がこんな風に自慰行為に走るのは、きっと、そう、仕方が無いこ
と。
 そう結論づけて、私は僅かに呼吸を落ち着かせる。自身で予測していなかっ
たあの体の動きにも関わらず、手の位置がそのままだったことに少しの安堵と
少しの恨めしさを覚える。
 まあ、良しとしよう。
 深く息を吐き出す。自身に性的経験が無い為、あまり強過ぎる快楽には耐え
兼ねる。それは身を以って理解出来た。手を入れ替えて、長らく放って置かれ
ていた逆の乳房にやわやわと力を込める。弛緩している常の様子とは違って、
どこか―――今の私の体には、堅さがある。
 強張りとも言えるし、血流の関係で肌が張っているとも言える。
 興奮しているというのか?
 そうだ、と頭に浮かんで、さあっと耳が赤くなるのを自覚した。違う。そん
なはずはない。一時的なものだ。意識しすぎだ。
 視線を下ろせば、止まらずに開閉を続けていた右手によって、乳房は刻々と
形を変えていた。好ましくない行為だとは知りつつ、その絶え間無い変化は少
しだけ愉快に映る。
 強過ぎず弱過ぎず、ただ長く尾を引くような緩やかな愛撫。浅く吐き出した
呼気が、生温く体に纏わりつく。
 微かな湿り気を帯びた空気。まるで秘め事は隣室ではなく、ここで行われて
いるのだ、と主張しているかのよう。
 今、私の股間をこんなに厭らしく濡らしているのは、志貴の手なのだ、そん
な他愛も無い幻想を見る。その発想が背筋を走ると、何故なのか手がふやける
のでは、と危惧してしまう程に、淫蜜が股を濡らした。
 息が詰まるような静かな闇の中、志貴が私を犯している。
 真祖ではなく、この私を。
 ああ、それは泣きそうになる幻だ。
 猥雑な空気。真祖の嬌声。肌の朱。暗闇。真夜中。湿気。蜜。
 志貴。
 重い。
 想い。

 私ではなく、貴方を感じさせてほしい。
 彼との握手を記憶している。その手の感触を覚えている。
 彼の手に触れた手が、今こうして私を暗い愉悦に向かわせている。彼が触れ
た指先がくちゅりと音を立てて、裂け目に埋没する。
 まだ少し痛みがある。でも、数日に渡って隣室の雰囲気に流された私には、
そこまで苦ではなくなっていた。
 ―――あまり、喜ばしくなんて、ない。
 願わくは、彼の手で触れてほしい。でも、自分の好いた人の声を聞きながら
気持ち良くなれることは、ある種の歪みを帯びた、幸せなのかもしれない。
 限られた者しか知り得ない彼の痴態。その一部をエーテライトではなく、自
らの耳で聞き取れるということ。ここ最近ずっと続いているその事実は、この
上ない責め苦でありながらまた甘美でもあった。
 毎晩のように続く。儀式にも似た、私だけの秘め事。
 いつしかその声を、手を、体を、
 逞しいであろう、ペ、ペニスを。
 その想像だけで酷く緊張を催すのだが――と、ともかく、感じられることを
夢見て、私はただ埋没した指先を肉襞に擦りつける。
「ああっ、奥までぇ、いいよぉ!」
「ああ、こっちも最高だ」
 彼女は躊躇い無く奥底への没入を促せる。私は入り口で躊躇いを覚える。女
という個としての差は歴然としており、だからこそ彼女は志貴という器の受け
入れが可能である。
 私には――無理だ。同じ立ち位置におらず、また、彼との歴史も浅い為、至
るまでの経過は余りにも難儀が過ぎる。
 こんな自覚、忘れてしまいたい。いや、これこそ留めておくべきなのだろう
けれども、事実を受け止めてなお私は私でいられるのか、それが解らない。
 胸ではなく女としての感情か、子宮がしくんと疼く。
 馬鹿げている。矛盾している。有り得ない。
 手を止めず、速度を上げた。余計な考えを消せれば、ただそれだけを思う。
「はっ、はっ、はっ、はっ……」
 上下に擦れるリズムに合わせ、規則正しく息が乱れる。乱れという名の整合
性。
 この部屋限定の静けさを破る水音と荒い呼吸、それを生み出しているのが自
分だという浅ましさに、這い回る快楽がシャープになる。僅かに粘性を帯びた
液体は、今や手首に絡みついている。
 滴った蜜がシーツに垂れ、染みを広げてしまう。いけない、これでは洗う時
にどう思われてしまうのだろう。
 ダメ。
 恥ずかしい。
 厭らしい。違う、そんなつもりじゃない。私は厭らしくなんてない。
 焦りが心の防壁を突き崩し、私は仰け反った。両踵に背中をくっ付けて、天
井を仰ぎ見る。
「んああ、気持ち、い……」
「志、貴、ちょっと、強い……」
「オマエの、まんこが良過ぎるからだ……よ!」
 認めたくない、でも声は認めてしまった。体は認めてしまった。ううん、ア
レは、真祖であって私じゃない。
 抱かれているのも、私じゃ、ない。
 薄く視界がぼやけた。
「志貴、いっちゃう……!」
「ああ、俺もだ……!」
 最早愉悦は悲鳴に近く、私の絶頂はもう程無く、彼は私からは遠く、真祖は
彼を一心に。
 ――――ああ、あ、あ、あ、あ。
 何か、が、きちゃう。
「っく……!」
「あああああっ!!」

 最後の声は、誰のモノ?

 汁気に塗れて、私は上り詰める。
 自己嫌悪で涙が流れて、頬までもが、濡れていた。


                   

                                      《つづく》