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それからは、風に乗って飛んでいく綿毛のような穏やかな日々。
……実際の所、水面下では穏やかでもなかったんだけど。
シオンの笑顔が増えたのはまあいい。
それだけで見るなら非常に喜ぶべきことだが、なにせ遠野の屋敷には勘の鋭い女性ばか
りが狙ったかのように揃い踏みだ。
シオンの変化からあからさまに俺が何かしたと疑ってくるのは当然だった。
翡翠は無言の視線で抗議してくるようになったし、琥珀さんはおそらく解明しているで
あろう真実を言葉のオブラートで包んでねちねちと追究してくるし、
……なにより、“兄さん、シオンと買い物に行った日、何か事件がありませんでしたか
?”などと真顔で質問してくる秋葉には肝が冷えた。
まあ、いつかははっきりと言わなきゃいけないことだけど。
シオンには、一年だけ猶予をもらうことにした。
色々と整理をつけなければいけないことが多いし、新しい生活の準備も必要だ。
俺自身、自分で選んだ女性と二人で暮らしていくために、心身を引き締めたかった。
――――そのために、この森を訪ねた。
かつて、七夜と呼ばれた一族がその総力を結して戦い、そして果てた天然の墓標へ。
幼い頃、なにかに導かれるようにこの森を歩いた。
死と、夜と、悲鳴と、血と、暴力が充満する結界を。
見渡す限り、闇のヴェールを纏った深く豊かな碧の園。
ここで。
目に見える場所と、眼に視えない場所で、俺は俺を生み出した人を失った。
七夜という名にとってこの地は忌み場であり、同時に終焉でもある。
けれど。遠野志貴の中に、七夜は確かに息づいている。
彼等は滅んではいない。
陰を歩き闇を狩る退魔の一族。
重ねつづける歴史の渦で次第に彼等の場所は狭まり、今となっては必要とされず忘れら
れていくだけの存在なのかもしれない。
それでも、この森を血塗られた終焉に定めてはいけない。
それは、あまりに悲しい。
だから――――新たなものを刻むために、遠野志貴はここへ来た。
残念、無念。そんなものが存在していつまでもこの地に在るとは思わない。
ただ、この地で果てた父と母に聞こえたらと思いながら、言葉を紡いだ。
「幸せのカタチって、一つじゃない。
七夜(オレタチ)だって、太陽の下で笑って、泣いて、恋をしていいんだと思う。
好きなものは好きだって、楽しいものは楽しいって、口にしちゃいけない理由なんてないから。
だから――――俺は、ここから変えていくよ」
空を、見上げる。
暗い森の中からでも、真昼の空は宝石より鮮やかに眩しい。
この森にも日の光が差し込む。
明けない夜なんてない。永遠の闇なんて、お呼びじゃない。
「俺は遠野志貴として幸せを掴む。でも、七夜としての自分を捨てたりはしない。
明るい所で好きなように生きて、笑って、嫌なコトには刃向かってやる。
皆にはできなかったことを、思い付く限りしてやるよ。
それをする時に、俺は“七夜志貴”になって生きていく。
悪いけど、薄暗い所でひっそりやってるのはもう止めにするからな」
一息に吐き出して、酸素不足の肺に新たな空気を胸一杯吸い込む。
「……好きな人が、できた。俺は、彼女をめいっぱい幸せにしてやりたい。
でも、幸せにするなら、自分も幸せにならなきゃいけないって思った。
だから、こんな生意気を言いに来たんだ。
シオンの辛い時間を終わらせるように、俺達の時間も動き出さなきゃいけない。
だから、どんな時間がかかったって、一生かけたっていい。
シオンと歩きながら、俺は七夜を変えていく」
言葉は、森に投げた願いであり、決意だった。
胸に詰め込んだ想いのすべてが解き放たれると同時、誓いを果たすための活力を全身に
漲らせる。
冷気を帯びた森林の中、我が名を刻んだ刃を無音にて抜き放つ。
無心のままに瞼を伏せ、暗黒の中で自らの呼吸を定め、研ぎ澄ましていく。
「言いたかったことはそれだけだ。
俺はまだ当分そっちに行くつもりはないけど――――元気で。
この森の闇は、俺が終わらせるから」
安らかな場所へ彼らを送る言葉を、無量の感情を込めて捧げる。
禊の用意は整った。
二つの名の新しい門出を、この一刀にて仕る。
「残魂怨念の群々よ、いざ、安らかに――――――」
刮目と同時、眼鏡は外さないままに世界の闇へ向けて斬撃する。
りん、と空の鳴る音。
汗と吐息を投げかけた蒼のキャンバスに、太陽と雀の親子がいつも通り戯れていた。
―――――斬闇。 七つの夜を斬り開き、黎明の暁景へ独り立つ故に七夜と号す。
【Happy Your Lovely Wedding...】
【後記】
年貢の納め時、という言葉があるけども。
泣く子に比べれば地頭など物の数にも入りませぬ。
だってほら、
『この紋所が目に入らぬかァ』『親は関係ねえだろ、親は。おー?』
の殺し文句を使えばヤツらは実は一番の悪党かもしれない爺さんに平伏すわけでして。
当時MEAがあれば御老公はブラックリストのトップに名を連ねていたでしょう。
……はて、確か自分は水戸黄門結構好きだった気がするのだけど。
ああ、そうか。弥七が好きなんだ。
結局何が言いたいのか。
“やっぱ、最後はハッピーエンドでしょ”
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