「夢を見て、手を」

 作:しにを








「ふぅん……」
「……」

 沈黙が支配する場。
 停滞する空気。

 その何とも手を出しにくい雰囲気に風穴を開けたのは、赤い服の少女だった。
 遠坂凛の声。
 もう一人ここにいる者、セイバーは口を閉ざしたまま。
 目が凛へと向けらりる。
 この状況を打ち破る者として、幾分かの期待。
 二人で息を呑んだように黙り込むのに、いい加減に嫌気がさしていたのであ
ろう。

 もっとも、そう長時間を経てはいない。
 ここ、衛宮家の土蔵に来た時からそれほどは経っていない。
 それに、ずっと言葉を喪失した状況だった訳ではない。
 凛は、セイバーにというより独り言を口にする調子で、喋っていた。
 セイバーは、言葉少なくとはいえ、凛に対して返答したり、異議を唱えたり
していた。
 だが、「それ」の存在が、状況を一変させたのだった。
 二人でしげしげと「それ」を見つめ、固まってしまった。
 視線は強く「それ」に向けられる。しかし、「それ」に触れるのを怖れるよ
うに手は動かない。
 
 決して「それ」は予想外のものではない。
 そもそも、「それ」を求めてここへと来たのである。
 発案者は凛。己のサーヴァントを言葉巧みに誘い、ここへとやって来た。
 セイバーもまた、非難じみた瞳を向けつつも、賛同してマスターと行動を共
にしたのだった。
 けれども、いざ発見した時の覚悟が二人には足らなかった。
 それだけの話。

「その……、あれね」
「……」

 やっと場の停滞を破った凛が、何とか言葉を続ける。
 小さな穴を拠り所として、広い突破口とすべく。あるいは自分の動揺を宥め
るように。
 セイバーは返答をしない。
 眉に小さい皺をよせて、いったん凛へ向けた視線を足元に戻していた。
 こちらは、何かを外へ発する余裕も無いのかもしれない。
 考えてみれば、不思議な光景ではあった。
 共にタイプは違えど、胆力と機敏な反射力にかけては常人離れをしている凛
とセイバーの珍しい状態。

 雲霞の如く現れる敵軍勢とて平然と薙ぎ払いそうな二人に息を飲ませている
のは、名だたる戦士でも、幽鬼の如き魔術師でもなかった。
 それは木々の屍骸だった。
 砕かれドロドロにされ、さらには引き延ばされて原型を留めぬ姿。
 では、二人は、その無残さに気押されていたのであろうか。
 いや、そうではなかった。
 その残骸の群れ……、言い方を変えれば紙の山、さらに端的に言えば本や雑
誌の類いが、より正確に言えば印刷されているものが二人から言葉を奪ってい
た。
 
 言葉を発しつつ、凛は足を動かした。
 爪先でちょんと突付くと、一番上にあった雑誌が崩れる。
 表紙で笑顔を見せていた少女の、不連続な未来の姿が見える。
 着ていた服が消えていき、童顔には不釣合いな釣鐘型の胸が露わになってい
く。
 水着、薄手の下着、さらには剥き出しに。
 それだけではなく、積み重ねられ一山になったものは、そんな類いのものの
集積だった。

 男にとっての永遠の憧憬と神秘の源、女体の秘密を赤裸々に、端的に、示し
た本の数々。
 端的に言えば―――、エロ本。
 遥か古代より脈々と受け継がれる情欲の癒し手。
 もっとも、それは反転する性別の者にはなかなか理解されない。
 遠坂凛もまた、幾分かの呆れ、幾分かの失望を交えた表情で、それらを見つ
めていた。

「士郎も男の子だったと言う事かな」
「……」
「ベッドの下とかが定番らしいけど」
「……」
「部屋に鍵とかも掛からないものね」
「……」

 凛の言葉に、セイバーは返事をしない。
 それを気にする様子を見せなかったが、さすがに弾んだどころか会話にすら
ならないので、凛の発言がいったん止んでしまう。
 また、短い沈黙。
 しかし、今度はすぐに新たな言葉が紡がれた。
 それも変化を伴って。凛の口調は明らかに変わっていた。

「ちょっと、びっくりしたけど。
 でも、わたし……、少し安心した」
「え?」

 言葉の意味より、声の響き。
 それがセイバーの気を引いた。

「うん、あいつにこういうのに興味持つ普通の男の子の部分も、ちゃんとある
んだなって思って。
 それは、そうね、いい事かな」

 多少、演技めいた作っている表情、態度。けれども凛の心情には虚偽は無い
とセイバーは見て取る。
 そんなセイバーの推し量るような視線を気にせず、凛はその山に手を伸ばし
た。
 無造作に一冊を手に取る。
 ぱらぱらと、捲ってみる。

「わりあい、グラビア系というか、綺麗なのが多いわね。
 まにあっくーなものばかりあったら、今後を考えるところだけど」

 先ほどのバランスが悪く、将来に悩みとなるであろう、忌まわしき体形では
なく、今度はささやかなる体形の少女が映っている。
 いや少女というには少々幼……、いささか凛は士郎の嗜好に不安を感じる。

「凛……」
「何、セイバー?」
「私には凛のする事が、シロウに対する下世話な詮索としか思えなかった。
 でも、本当は別の意図があったのですか?」
「うん、両方。悪趣味な興味もあったわよ。
 士郎だって、一冊や二冊そんな本持ってるわよーって主張の証明が半分。
 あんまりセイバーが士郎を庇うから、こっちも勢いでってのはあったわね。
 残りは、少し安心が欲しかったのかな。あいつだって、それはそれでいろい
ろな面があるんだって知りたかったから」

 凛は苦笑じみた表情を浮かべる。
 セイバーは思い出す。
 士郎と凛が通っている学校の様子、同年代の少年少女についての話。
 衛宮家は、セイバーと凛のみだった。特にやる事もない午後のひと時に、セ
イバーは凛にそんな話をせがんでいた。
 凛の語る当たり前の高校生活の話は、凛が驚くほどセイバーの興味を引き付
けていた。
 しかし、男子生徒一般への女性らしい批判めいた言葉が続くと、セイバーは
やんわりと反論した。
 ひとつはその一般論に士郎を入れる事に抵抗を覚えたからであり、ひとつは
長い事男として生きてきて男として反論したくなったからでもあった。

 ―――士郎だって聖人君子じゃないんだし、絶対にやらしい本の一冊や二冊
持ってるんだから。
 ―――そんな事はありません。よしんば、そうだとしても凛には関係ないで
しょう。
 ―――じゃあ、確認してみましょう。わたしは土蔵が怪しいと睨んでいるの。
 ―――凛。
 ―――何も士郎の部屋や机とかを荒らすんじゃないわよ。魔術用の工房を師
匠として確認するの。
 ―――詭弁です。
 ―――いいから、セイバーも来なさい。何もないのなら、平気でしょう?
 ―――それは……。

 で、土蔵の中で、二人は隠されたものを見つけたのだった。
 驚くほどあっさりと。
 数冊がささやかに隠されていたのであれば、洒落や笑いに転嫁して済ませる
事も出来ただろう。
 しかし、予想外な程の量を誇っていたが為に、それも適わず、二人は押し黙
るしかなかった。
 ある種の数の暴虐。
 
「セイバーにはショックかしら。
 あいつがこんなのを隠し持っていたと、はっきり分かったのは?」
「いえ、人として性欲を持つのは当然の事です。
 シロウも凛と言う恋人がいるくらいですし、別に不思議には思いません」
「あら、意外。さっきあれだけ庇ってたのに。
 不潔です、シロウ……とか、言うかと思った」
「写真というものは、眺めて楽しいものですから。
 シロウがわたしの目の前で、眺めていれば、少々複雑ですが、一人の時の行
動にまで口を挟むべきでないでしょう」
「まあね。そう言えば、セイバーも写真集一人で眺めている事あるわね」
「は、はい」

 多少、恥ずかしいという意識があるのか。騎士王は頬を染める。
 といっても、今、凛が手にしているような類いとは、セイバー所有の本は趣
が違う。
 世界の名料理店の逸品を集めた写真集、簡単三十分クッキングの本、デザー
トの作り方の本。
 いずれも、凛や士郎と出掛けた際に、目を輝かしているので、買って貰った
本だった。

「まあ、他人の趣味にとやかく言えないわね。
 何しようと自由と言えば自由だし。
 でも、あいつは、わたしが宝石の本見てる時の表情が怖いって文句言ったわ
よね」
「それは、凛がぶつぶつと……」

 セイバーの控え目な声が聞こえたのか、どうなのか。
 思い出し怒りという妙な事をしつつ、八つ当たりのように、凛は本の山を崩
す。
 下の方の雑誌が転がり、今度はそれを手に取った。

「あら写真だけでもないのね、マンガ雑誌?
 なんだ、普通のも……じゃないのか。……わたしは読まないけど、レディコ
ミみたいなものね」

 よく見ると、グラビア系の写真集だけではない。
 告白系の記事なども載っている雑誌、マンガなども載っている本。
 幾つかをぱらぱらと捲りつつ、何とはなく読み始める凛。

「こっちは結構……、凄いわね」

 顔が顰められる。
 凛が見ているものは、かろうじて芸術とか美とか言い逃れられるボーダーを、
あっさり越えていた。
 
「……ふうん、ちょっと妄想がただ洩れしている感じ。くらくらする。
 男の子って、こういうのが好きなのかしら。
 これなんか、折り癖がついているけど、もしかしてお気に入りだったりする
のかな。
 凄い内容……」

 手にした雑誌のマンガでは、覗きを見つかった少年が、少女に命じられるま
まに従っている。
 その少女がツインテールなのが、何とは無く凛の気に入らない。

「うーん、SかMかって言ったら、私がSで士郎がMの気がするけど。
 その反動で逆転するとも言うし。
 さすがに、女子トイレで裸にさせて、こんな台詞……、喜ぶのかな、士郎。
 それにしたって、こんな奴隷チ…、………ルで絞り潰してあげ…………」

 さすがに小声になったものの、幾つかの台詞を口にして、自分は何をしてい
るのだろうと凛ははたと我に返った。
 ふと、顔を上げると、セイバーもまた凛と同じように幾つかの本を手にして
いる。
 ただし、何だかんだ言いつつも面白がっている凛と比べて、難しい顔で考え
込んでいる。
 まさか……、でも……。
 そんな呟きが口から小さく洩れていた。
 さすがにこんなのはショックだったかなと、気遣いつつ凛は声を掛ける。
 もしも、セイバーが士郎に幻滅したりしたのなら、フォローしないと、と内
心で思った。

「どうしたの、セイバー」
「いえ」

 凛の声に目線を合わせたセイバーには、しかし動揺らしきものは無い。
 どこかぽうっとしているのは、内容にあてられたのか。
 やや、凛は違和感を覚えた。
 ともあれ、一応、士郎の為に弁明を始める。

「セイバーから見れば、現在は乱れた風俗に見えるかもしれないけど」
「いえ、そんな事はありません。確かに私が生まれ育った処とは、場所も時代
も違います。
 でも……、人は変わらないものですよ、凛」

 どこか考え深げにセイバーは答える。
 人としての歳月を外観以上に重ね、英霊としての生をも経た少女の言葉は、
簡単ながら重みがあった。

 しかし、その表情はまた、何か物思うものに変わる。
 あれは、何かで見た表情。
 でも、今あんな表情を浮かべるのは、何なのだろう。
 いったい何を考えているのだろうかと凛は思ったが、藪を突付く真似はしな
いでおこうと、訊ねはしなかった。

 それからしばらくして、元通りにした土蔵から、二人は母屋へと戻った。
 凛はさっさと去ってしまったが、最後の後始末確認をし扉を閉めたセイバー
の足は、すぐに動かなかった。
 その顔に、もはや考え込む表情、ある種の迷いは無い。
 結論を出した顔。

「……知らなかった。ぜひ、確かめないと」

 決意した顔。
 そこに凛がいれば問うたかもしれない。
 いや、次のセイバーの呟きを知れば、間違いなく肩を揺さぶってでも、答え
を要求しただろう。

「……士郎」

 夢見る表情。 
 口元に笑み。
 憧れの表れ。






(To Be Continued....)