「はぁ……はっ、はっ………くっ……!!」

呼吸も忘れて走っていた。
何かから逃げるように。

………何か。
何だっただろうか。

もはやそれさえ覚えていない。
思い出せない。
思い出すことはない。
思い出したくもない。


――――――体は………で出来ている。


鼓動が破裂しそうになりながら、走っていた。
何かを忘れるために。

…………何か。
一体何だったのであろうか。

もはやそれさえ思い出せない。
覚えていない。


血潮は理想で―――――――

―――――――心は幻想


悲しみは記憶に罅を走らせ、
孤独は孤高の幻想を植付け、

怒りは、目に映る全てを破壊した―――――


「ハッ―――ハッ………っ………!!!」


――――――幾たびの孤独を超えてあの場所へ


そう、走る。
涙は止まらない。
いや、もう流れてさえいないのかもしれない。

全てを失った。
全てを消し去った。
全てを零してしまった。


ただの一度も振り返らず――――――


全てを奪われた。
全てに裏切られた。

全てを―――――恨んだ。


ただの一度も立ち止まらない――――――


愛する者を………失った。

――――――――走る。

担い手は、ただ独り………………全てを失いて最後を待つ。


――――――――俺が有る意味など、もはや無い。


ならば、その生涯に意味は無く………………




――――――――零してはいけなかったもの。




その体は……………




――――――――この両手にはもう何も残ってはいない。





……………………きっと……………………







 終焉の丘                 末丸
 






”じゃあ、いってくるから………”


そう言って俺は彼女に背を向けた。


”行ってらっしゃい士郎。無事に……無事に帰ってきてね、セイバーも………



それが、俺の見た………


”ああ、必ず戻る”



…………彼女の最後の笑顔だった。






簡単に言えば、ただ運が悪かっただけのことなのだろうか?

罠?

率直に言い切ってしまえば、それが当たり前のだったのか?

俺と、セイバーを………おびき出すための?

答えだけを言えば、俺は独りになった。


思えば何かが違っていた。

いつものように理想を追い求めて戦った。

いつもよりも、戦いははるかに楽で、ただ時間だけを無為に過ごしていた。

しかし、途中で違和感に気づく。

気づいたのは、俺ではなくセイバーの方だった。


”凛が、危険です……!!”


走った。

無事であることだけを祈って。

あいつさえいてくれれば、それだけで、それだけでよかったのに。

俺は――――――間に合わなかった。




薄暗い幻想に赤い背中が見える。

追いつき、追い越すのだ。

そう決め、そう心に誓い、そう胸に刻んで。


「歩いて………来たのに………」


崩れきった残骸の上。

その姿を見て、俺は全てを忘れた。

聞きたくも無い言葉が、残留思念となって頭に入り込んでくる。


”扱えぬ力というものは、邪魔なだけなのだよ………”

”なっ―――――!?”

”お前達には消えてもらおう………”

”やっぱり、何かおかしいと思ってたわ………”

”死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね……………!!!!”

”っっ!!――――!!”

”全ての闇を被って消えてもらうには、お前達ほどちょうどよい存在はいない
からな”

”ごめん……………私、もう………”


思い浮かぶのは、あの日の繰り返しだけ。

はるか昔に忘れたはずの、あの灼熱の海。

自身が焼かれ、彷徨い、救われた命の重さを知ったあの場所。

その光景が記憶の全てを喰らい尽くし、ただやり場の無い怒りを呼び起こす。


「………なのに………どうして……俺は………!!!」


その姿の前で、自分を殺したくなった。

もはや二度と動くことの無い、力を失い冷たくなった体。

二度と見ることの出来ない、愛する物の笑顔。

それだけで、また涙が溢れる。

その最後の姿さえ、ぼやけて見えなくなる。


「シロウ…………」


声を掛けられる。

目を閉じ、最後にもう一度だけ、冷たくなった体を抱きしめた。

冷たい体に熱が灯り、吸い込まれるように消えていく。

戻らぬ熱は涙を呼んで、開かれぬ瞳は言葉さえ失わせた。


「休ませて、あげましょう……」
「――――――――」


頷きだけで返し、力無い体を抱えあげた。


墓を作った。

人一人がちょうど埋もれるほどの深さの、小さな小さなあいつの眠り場所。

十字架は立てない。

宗教を信仰するようなやつじゃなかったし。

目立たない方がよいとも思ったから。

これ以上誰か他の奴の目に、彼女を晒したくは無かったから。

彼女もそれを望んでいるはずだから。


後ろから、また声が。


「シロウ…………」
「あと………どれぐらいだ?」
「このままであれば……一日が限度かと」
「そうか………」


もはや涙は止まっていた。

今思えば、それが俺に残っていた、最後の涙だったのかもしれない。






「………っん……はぁっ!!」

夜は深い。
耳に届く音は無い。

今聞こえているものは声、音ではない。

冴え渡る月光。
崩れ落ちた廃墟の中、俺は彼女と肌を重ねている。
場所はどこでも良かった。
ただその目的さえ果たせれば。

「んむっ……ゃん……あっ、あ、あんっ!!」

高く響き、そして応える。
まだ足りない。
俺ではなく、彼女が足りない。
これでは不足だ。
もっと、もっと、もっと彼女の中に注ぎ込まないと………

「あ、つい……っ………はああっ!!」

自分の感覚は無い。
快楽さえ、今の自分にとっては邪魔な物に過ぎない。
言い聞かせる。
それが彼女に対する侮辱になろうとも。
今はそれだけを思って。


”私を……抱きますか?”

”――――――――――”


目を合わせることなく頷いた。

彼女は知っている。

これが愛を交わす営みではないことを。

彼女は分かっている。

これが俺に触れる最後のときであることを。

だから、分かっているから、ただ俺のために、その意思を殺してくれている。

こんな馬鹿な俺のために。


「は、あ、っぁあっん!! シロウ……シ、ロウ……!!」

彼女の腕が背中に回る。
抱き寄せられて、彼女の細い裸体と密着する。
触れた胸は柔らかく、白い肌は彼女を思い出させる。

「ぃ……っっんっ!! は、はぁ―――――あっ……あっ、ん!」

快楽に耐えるためか、痛みに耐えるためか。
指には力が入り、俺の背中に紅い線を残す。
だが、もう何も感じない。
体に走る痛みさえも、今は膨大な悲哀に押し潰されていた。

貫いていくたびに、俺の動きにあわせるように、
敏感に反応してくれる。
膣内も、表情も、声も………。

「っ―――――ん、ゃ……っん……!」

感覚はもちろん違う。
伝わる快楽も、彼女とは違う。

触れている皮膚も。
押し潰している小ぶりな双丘も。
交わっている秘部も。
響く淫音も。

何もかも、違う。

作り、形だけではない。
伝わる熱も。
聞こえる声も。
感じる思いも。

「んっ、んんっ!! も、っと……もっとはげ、しく……」

求められる。



―――――――士郎、私………わたし、ね………



愛を?

「んっ、ああっ……んっ!! ゃん……!!」

求められる。



―――――――やっぱり、私………士郎が、士郎の事が………



快楽を?

「いっ、いいで、す……! シロ、ウ――――!」

求められる。

何を?

届く言葉を幻想に変えて。
馳せる思いは儚き記憶。



―――――――うん、私も、同じだから………



聞こえた言葉は風に消えて。
遠き思いは闇に溶けていく。

何を?


「はぁっ!……な、かで……擦れて……ぁぁああんっ!!」


求められる?

魔力を?

そんなことはどうでもいい。

彼女は既に理解している。

いや、理解してくれている。

ただもう二度と会えぬ主のために。

ただ俺の馬鹿な考えのために。

その心がわかる。

分かるから、感じるから、伝わるから。

抱きしめ返す両腕に力がこもる。

細い体を押しつぶすように。

「きゃっ……シ、ロウ……?」
「ごめん………セイバー……俺は、俺は…………お、れは…………」
「……………構いません。愛する者を失う悲しみは、私も知っているつもりで
すから」

震える。
聞こえる言葉が、全ての言葉が心を洗う。

繋がった部分から、絡み合う部分。
元から白い体を更に白に染める。

目が合って。
ぼやけて、だがそれは涙ではない。
震えて、力がこもって、でもそれは愛ではない。

「シロウの思うままに。私は、マスターに従うための存在ですから」

闇に光る碧眼。
それが、この上ない快楽に浸っているように見えて。
それが、何もかもを俺に委ねてくれたようで。
それが、最後の決断を迫っているように見えて。

「セイ、バー………」
「シ、ロウ………んっ、ふ……ぁ」

強引に唇を奪う。
最初から乱暴だった行為が、更にその凶暴さを増す。

これが答え。
これが最後。
これが結末。

強く、ただ強く。
抱き寄せることで意思を伝える。

「ん、ちゅっ……るん……むっ……ちゅ……んっん……」

それでも、今度はさっきまでとは違う。

求める。
彼女に与えるための行為ではなくて。
俺も求める行為へと。
粗暴に、技巧など何も無く。

「ぁあっ!、はんっ、お、くに……奥にまで……っ、んっ……!!」
「セイバー……セイバー!!」

息苦しさに口を離せば名前だけを呼び合い。
それに続くように体は互いに絡み合いを深くしていく。

響く淫音は闇に溶けていく。
貫くたびに響く音は回数を増すごとに大きさを増す。

普段であれば、これが何気ない日常の出来事であれば。
背徳に囚われ、彼女の怒号に怯えて。
それでも結局は愛を確かめるように、また意志を交わして。

蹂躙する快楽。
蹂躙される快楽。

もう、そんなことはあり得ない。
もう、そんなことは起こり得ない。
もう、それは全て幻想へと成り果てたのだから。

「はぁ………っあ、んむぅ……」

行き着く先は見えている。

たどり着く場所は知っている。

それでも今は………

「ま、だ……ぁぁっ!―――――っん、っつ……んふむっ………んやぁっ!」

選んだ道が正しいかは分からない。

答えが出るのかも知らない。

それでも今は………

「もっと、もっとくださ……んっ!! んんっ……んぁっ……あああっ、ああ
んっ!!!!」
「はっ、んっ、はっ………ぁ!!」

息は荒く。

流れの中でつかみ合う互いの体。

快楽と言う白い波に押し流されて。

互いの体が離れるのを惜しむように、絡み付いてくる彼女の膣。
そこに意志は無くても、今は行為だけの満足感だけで。

たよりになる物は無く。

分かるのはお互いの肉の感触だけ。

絡めて。
絡んで。
絡み合って。
また交わる。

「はっっぁ……っあ……んっ!! んんっ!! んんんんっっ―――――!!!!!」

一番の奥。

彼女の中心で叩きつけるように意思を弾けさせる。

何にも確かな物など無くなった。

衝動が収まり、屹立していた体も次第に熱を逃がしていく。

最後に、一度だけ、彼女の体を引き寄せる。

「セイバー……俺は………俺は………!!」
「泣いて……いるのですか……シロウ……?」
「いや、涙は………もう………」

――――――枯れ切っていた。

そんな俺の腕の中、彼女は言葉を途切れさせる。

それでいい。
今は抱きしめてくれているだけでいい。

それでよかった。
今は何も言わなくていい。

それでよかったはずだ。
魔力の補給は完了した。

ああ――――――これでいい。
もう、全ての準備は整った。


後は―――――そう―――――――


「今思えば…………長くて、短き夢だったのかもしれません………」

俺は何も言わない。

それでいい。

今は傍にいるだけでいい。

今は俺を、俺がどこかに消えてしまわないように抱きとめていてくれるだけで
いい。


後は―――――――


「夢は、いつかは覚めるものです………」


――――――――そう


独白のような、彼女の声。

明日になれば全てが終わる。

いや、明日中ではなくとも、この数日中には全てが終わる。

世界が終わるかは知らない。

「確かに短かった………されど………」
「――――――――――」
「されど………楽しき、夢、でした………」

だが少なくとも、俺の全てが終わるはずだ。

だから、今は眠ろう。

彼女と同じように愛した、もう一人の彼女の腕の中で。

僅かな時間だけの、かりそめの再契約。


揺れる時は、闇に混ざりて、静かに二人を包んでいた。


後は―――――そう―――――――


零れ落ちる雫は透明と紅。

彼女の雫は頬を伝い、月の光を帯びて煌き。

俺の雫は、闇に落ちて尚、その紅を残していた。




                
終わりを告げる夜明けを待つだけ――――――――――――――――――





(To Be Continued....)