迷妄の夜 道標の曙光
阿羅本 景
熱い微睡みに俺の身体はゆらゆらと漂う。頭が上か足が上なのかもよく分か
らない、体温よりも暖かな液体に浸かって居るような――甘くねっとりしてい
るそれは俺の身体にまとわりつき、何かをしようとすると重い液体の中で手を
足を動かすような気がする。
熱いのは俺の回りだけじゃなくて、俺の身体もだった。内側からかっかと炭
火で熾されているように熱い。ただそれは瀕死の傷を負ったときの様な厳しく、
ひどい乾きを伴う枯れるような熱さではない。湿った暖かさというか、なんと
いうか――
でも、そんな中で一つだけ温度が違う箇所がある。俺の手首が、冷たい何か
に握られている。女性の手のような――いや、女性の手だ、間違いない。で、
なんで俺はそんな女の人に手を取られているのか?
「シロウ、大丈夫ですか?」
「んぁー、だいじょーぶだいじょーぶ、歩けるって」
驚いた、俺の喉が勝手に声を出している。そんな風に声を出して、俺はよう
やく自分がどうなっているのかを理解する。コンパスの針を見て自分の方向と
地図の位置が分かるように。ぐるんぐるんと回っていた俺の身体が重力の軸を
発見して、どこがなにやらバラバラになっていた手と足の位置が正しくくっつ
く。
くっついても、この足が動いてない。でも、俺は前へと進んでいた。
つまるところ、俺は脇を抱きかかえられて引きずられていた。
それも情けないことに歩けると言いながらも膝下が萎えていた。だって、力
が籠もらないしもっとひどくなると締まりが無くなって気が付くと垂れ流しに
なりそうだから仕方がない。なので、脇の下から支えられて足を板間にずるず
ると引っ張っている。
この熱さと前後不覚な感じは――ああ、酔っぱらった、な。
そして、俺の身体を支えているのは――この口調と身長から言うと間違いな
くセイバーだった。鈴を鳴らすような彼女の声には心配というよりも、どこと
はなしに不条理な怒りに震えるようなそんな――
「凛が調子に乗ってシロウを飲ませるからいけないのです」
「あははははー、でもあいつも強いよなぁ、もしかして酔い止めの魔術掛けて
飲んでるのかもなー、そういうの得意そうだし」
「笑い事ではありません!それに飲み過ぎるシロウもシロウです」
脇の下でそんなぷんぷんと怒る声がする。セイバーにしては怒っていても妙
に感情的で、起伏が激しい――何となく俺は思いつく。
だが、それがぽろっと口に出る。そうだ、この迂闊さは酒だ、間違いない。
昔オヤジが面白がって飲ませてくれたときもこんな風な――
「セイバーも酔っぱらってるだろ」
「なっ、何を言うのですかシロウ!私が酔う筈などありません!」
「酔っぱらってる人間は酔っぱらってることは認めないものさー、だって俺も
酔っぱらってないからー、あははははー」
うむ、我が口から出るにしてはあまりにも軽薄な言葉だ、まさに酔っぱらっ
ている証拠だ。それにこう、記憶の片隅にはセイバーも俺の脇でこれもカロリー
供給源です、とばかりにかぱかぱコップで日本酒を空けている姿があるけど。
……と。
セイバーの足が止まったらしい。
「おりょ?」
「おりょ、ではありません!あそこでシロウが酔っぱらったままで倒れていた
ら風邪を引くでしょう、それに凛は無責任にもセイバー、シロウをお願いねと
かいって客室に……」
「あー、台所片づけなきゃなぁ、あいつも多分あの後ばたんきゅーだろうし、
明日の朝飯もあるし、ご飯焚いてないし……」
そんなことばっかり思いつき、そして口から出てくるのが不思議だ。
――それに、なんでこんなにセイバーが腹を立てているのかもよく分からな
い。そうだ、セイバーはたしか飲んでる最中もやたらに怒りぽかったような…
…聞いてますかシロウ、と一言言うたびに俺の耳を引っ張りかねない剣幕だった。
一方の凛も飲んでるんだけど、結局ガードが降りないままだったので俺が全
面的にセイバーの相手を仰せつかることになったわけだった。でももっと凛の
奴を飲ませてみれば……
「きっとあいつ、笑い上戸だな、うん」
「何を暢気なことを……とにかくシロウは酩酊しているのです、ですので大人
しく私に運ばれてください、いいですか!?」
「了解ー……ぃくぅ」
喉から胃の辺りまで一気に収縮して、そんなしゃっくりが出る。
セイバーに聞こえたみたいで、ぷるぷると震えている様だったけど……この
まま怒らせると俺は庭の池に放り込まれかねない、うん。
やはり、こいつは酔っぱらっても俺のことを心配している訳なんだし……謝
っておかないとなぁ……
「……済まない、セイバー」
「…………これが私の務めです。それにしてもシロウ、酒に弱すぎます。凛と
私が鍛えなければいけない事柄が増えましたね」
「嬉しいんだか哀しんだかなぁ、まだ学生だぞ俺」
まぁ、藤ねぇが居れば冗談でも酒なんか飲めなかった訳なのに、今日はどう
したものか……。
セイバーは俺の謝罪の言葉を受けてくれているようだった。脇の下で触れる
と暴発しそうにとんがっていたセイバーの気配が、ふっと緩む。
――くるくる回る瞳が、闇夜の白い月を捉える。
夜の風が熱い体に心地良い。このままここで暫く風に当たっていたい。
すこし身体が醒めれば、この酔いも引くだろう。今は酩酊の快楽が泥酔の不
快に突っ込む寸前というか、身の回りの全てが何もかも気持ちよくなっている
状態で――
首が頭を支えきれない。俺の首が曲がり、俺を抱えてくれるセイバーは視界
に入る。
セイバーはまだ怒っているみたいだったけども、その青い瞳は怒ってなかっ
た。月明かりの下で、彼女は儚く美しく――そんな一見か弱げな女の子に引き
ずられる俺の情けなさが身に染みる。
少なくとも、ここまでセイバーを煩わせるのはよくない、いやきっと良くな
い。少なくとも俺の信条には反している。
「あう、セイバー。一休みしよう」
「?何を言うのですか?シロウの部屋までもう少し……」
「いやー、なんかこう、涼しいから少し休めば歩いて帰れるってー、あーあー
あー」
かっくん、と足が止まる。今まで引きずられて歩いていた俺の足が腰からぶ
ら下がって、そのままずるりと崩れ落ちる――なんだ、もう腰まで回って立た
なくなっていたのか?と妙な感心を覚える。でも、こういう何がなんだから分
からない内にコントロールを失うのはまぁ……苦痛と血潮の中で苦く失うより
はどれほどいいか……
気が付くと膝が床を擦りそうだった。セイバーもなんか慌てている。
「だめ、セイバー、休憩」
「シロウ!ああもう全く世話が焼けますね、前からあなたは言い出すと聞かな
い頑固な……」
「御免よー、後で埋め合わせするからなぁ……あはふぅ……」
俺はそのまま床に跪いた。なんかもう駄目だ、セイバーまた怒らせちゃって
るし、俺。
そのまま俺は床板の上にしゃがみ込んだ。ああ、セイバーはこのまま知りま
せんシロウ、勝手にしてくださいとか言いながら俺を放りだしていくのかなぁ、
とかぼんやり思う。でも、俺はぐんにゃりと座り込んで、まるで捨てられた雑
巾みたいなみっともなさに――
「…………………」
何かセイバーが言っている気がする。
ただ、それももう分からなくなってくる。また手足がバラバラになって、俺
がどっち向きにどう漂っているのかもさっぱり。つまりはアレだ、ここまで衛
宮士郎は情けなく酔っぱらっていると。今は動くよりもじっとしていたいと―
―ふがいないにも程がある、が。
俺の頭になにかがぽん、と柔らかく当たる。
あれ?セイバーは俺を布団まで運んでくれたんだろうか?酔っぱらうとここ
まで分からなくなるのか、とか何か頭の中で他人が考えるみたいに反応すると、
俺はそのまま……
(To Be Continued....)
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