「―――シロウっ!」
「おー、おはようセイバー」

 こんな会話が普通に交わされる日常の、なんと素晴らしいことか。
 彼女の今までいた世界とは、何もかもが違った日常。

「シロウは、今日はいかがお過ごしに?」
「んー、午前から夕方までバイト……悪いな、なんか暇がとれなくて」

 日々の暇は短い。
 せっかくの休日も、二人きりの時間はこの一瞬を含め僅かだ。

「そうですか―――二人きりは今だけですね」
「そうなるな」

 一拍。
 次いで、彼の言葉。

「シロ―――」
「それじゃ、飯にしようかっ」

 がくり―――彼女が肩を落とす。

 ぬるま湯のように彼の中に浸る日常。
 どうも、ここ最近は目まぐるしすぎて彼に深く染み付いてしまったようだ。

 こういう日常も悪くない。
 悪くないが。

 もう少し愛されてもいいのではないか、とも彼女は思う。


 だって、彼と彼女は恋人同士なのだから。




『愛をもっと』
                         10=8 01





 陽光は中天にさしかかり、昼の刻限を伝えていた。
 晴れ渡った青空は、本当に吸い込まれてしまいそうなくらいに澄み切ってい
る。
 仰ぎ見た景色の色合いを瞳に移しながら、そっと溜息。重く吐き出されたそ
れも、悠久に広がる空にかかっては霧散するのみ。

「―――ふう」

 先程の溜息とは異なった一息をついて、用意されている紅茶を一口。香りが
口の中いっぱいに広がってくる感覚に心を委ねる。
 縁側を通り抜ける風は、そんな心安らぐ気分をさらに包み込んでくれるよう
に優しかった。

「溜息? もしかしてセイバー、わたしに相談する事を後悔しているとか?」

 だが、隣に座る相手はそうもいかないようだ。
 同じように縁側で紅茶を飲みつつ、語りかける少女のツインテールが揺れる。

「後悔ですか、凛?」
「まあ、根拠はないんだけど、その物思いに耽るような顔されちゃあね」
「……むぅ」

 そんなに表情に出ていただろうか。
 金髪の少女は一つ唸り、視線を落とした。陽射しの暖かさで、気が緩んでし
まったのだろうか。これでも王であった頃は感情を周囲に気取らたことは無か
ったというのに。
 もっとも、今となっては感情を押し隠すことに意味は無い。
 もう彼女自身、王としての過去ではなく、一人の少女としての未来を選んだ
のだから。
 しかし、顔に出てしまったのは感情を律することが出来ていない証拠なのだ
ろう。少し気を緩めすぎただろうか、と思案した。例え少女としての歩むこと
を決めたとしても、その生真面目な性格は変わらないようだ。

「まあ、言いたくないものは仕方が無いし、そもそも言わなきゃ後悔なんて出
来ないんだから、そこは負うべきリスクってことね」
「それについては重々承知しています」
「なんか、あっさり言い返されると含みがあるみたいに聞こえるんだけど」
「まあ、概ねリンの想像通りかと思われます」

 遠坂凛という少女の性格を考えれば、リスクは避けて通れないものであった。
 基本的に面倒見がよく、合理的でありながらも情を捨てずに残している彼女。
それは非常に好感の持てる性格なのだが、凛には厄介な悪癖―――真面目な相
手をからかう事に喜びを覚える、というものがある。
 苛めっ子の持つ性癖だ。
 
 普段なら相談を持ちかけることを躊躇っていただろう。
 しかし、その悩みを自分だけで解決出来るか、と問われれば、正直難しい。
 それに話さずに後悔するくらいなら、話して後悔する方をセイバー自身が望
んでいた。後味が悪い方は圧倒的に前者の選択なのだから。

 数度の呼吸で気持ちを落ち着かせ、セイバーは凛にそっと打ち明けた。




「シロウがいつも通りなのです」
「いつも通り……って、何か問題があるの?」
「いえ、その、問題というほどではないのですが……」

 詳しく話すことを憚るように、セイバーは視線を逸らす。
 さすがに凛もそこで黙られては何を悩んでいるのか理解できない。
 衛宮士郎がいつも通りということは、いつものように真面目に鍛錬して、い
つものように飯を作って、いつものように誰かの為に働いて、いつものように
自分を顧みていないのだろう。

「ひょっとして、士郎が自分のことを後回しにしてること?」
「いえ、それもそうなのですが……いつも通りというのが、私には」

 疑問符を浮かべて、凛は眉根を寄せた。
 当面、衛宮士郎の問題点といえば、自らを削ぎ落としてまで他人の為にあろ
うとする―――いわゆる“正義の味方”であろうとしている部分が顕著すぎる
ことなのだが、セイバーはそれとは異なると言う。

「いつも通りが不服って……刺激が欲しいとか、そういうことなのかしら?」
「いえっ、そこまではさすがに……ただ、その」

 真面目でハキハキとしているセイバーらしからぬ様子は、どうにも要領を得
ない。
 はっきりと言うことに躊躇があるのだろう。

「―――セイバー。相談してほしいんでしょ、言わなきゃ何も始まらないんだ
けど」

 凛が促すと、セイバーは二三回ほど深呼吸して気を整え、吸い込んだ空気を
吐き出すように言葉を紡ぎ出した。

「聖杯戦争が終わってからも、シロウはいつものシロウでした。食事を作って
くれますし、剣の鍛錬も一緒にやっています。学校での様子は凛がよくお解り
でしょう?」
「ええ、まあ―――それはね」

 つまり、学校で凛は士郎ばかりを見ていることとなる。実際にそれは事実な
のだが、認めてしまうのは癪なので曖昧に彼女は誤魔化した。
 セイバーと衛宮士郎は聖杯戦争を経て相思相愛になった聖剣と鞘。無敵の二
人組みと言っても過言ではない。端から見ているだけでも、微笑ましい二人の
組み合わせなのだから、そこに自分が変な形で介入するのは藪蛇というものだ
ろう。
 幸いなことに、セイバーは凛を不審に思った様子もなく、そのまま独白を続
ける。

「いつも通りが悪いと言うわけではありません。ただ、我侭を言ってしまうよ
うで気が退けるのですが……もう少しですね、その……」
「ああ、成る程ね」

 はっきりとした確信があるわけではなかったが、何となくセイバーの言わん
としている事が、凛には理解できた気がする。
 何てことはない、要するに。

「士郎にもっとかまってほしいんでしょ、セイバーは」
「そ、それは……そ、その……はい。そうなります」

 要約された指摘を否定しかけたが、事実なので口ごもりながら認める。
 否定しようがしまいが、悩み事を打ち明けた時点でセイバーに嘘をつく必要
が無い。

 確かに相思相愛となった士郎とセイバーであったが、その後の日常に戻った
生活は目まぐるしく二人を巻き込み、翻弄した。普段から学校に通わなくては
ならぬ士郎。彼は生活費を稼ぐためにバイトもしている―――セイバーが彼の
家に住むようになってから、なおさら働かなくてはならない状況だ。
 さらに、畳み掛けるように士郎の周囲を“進路”という重大な選択が迫る。
正義の味方になるという夢は変わらないが、だからといって明確な進路が決ま
っているわけでもない。
 こうして士郎とセイバーを呑み込んだ日常が二人を翻弄し、二人きりでいら
れる暇もほとんど無い。

「二人きりになれない、というわけではありません……ですが、日常に浸りす
ぎたのでしょうか……どうも、その延長という風で……」
「つまり、もっと士郎といちゃつきたいんでしょ?」
「え、ええ……まあ、有り体に言えば、そうなります」

 セイバーの言葉に、凛は一つ息を吐く。
 聞く限りでは悩み事と言うほどのことではない。心の贅肉もいいところでは
ないか。だが、セイバーの王として過ごしてきた過去を想像すると、一概にセ
イバーの贅沢だとは言い切れない。
 まあ、少し考えれば―――いや、考えなくても解決法など見つかりそうなも
の。
 それを真剣に悩むセイバーは可愛らしくもあったが。

「つか、何でわたし惚気話に付き合ってるんだろ」
「すいません。悩みとも言えぬ悩みで……」

 瞳を伏せて苦々しく呟くセイバー。確かに他人にとってはどうでもいい事に
違いない。話すべきではなかったか。彼女は伏したまま黙してしまった。
 凛はそんなセイバーの感情を見て取ったのか、彼女の顔を上げて告げる。

「気に病むことないわよ、セイバー。まあ惚気た話を聞くのは疲れるし、悩み
とも呼べない悩みを相談されるのもどうかと思うけど―――」

 そこで一拍言葉を切って。

「わたし、二人のこと好きよ」
「―――リン」
「士郎とセイバーの二人ともも見てて微笑ましいったらありゃしないんだから。
そりゃあ、幸せにしたくなるってものよ」

 おかしい。
 心情を吐露するのは、相談する側の立場のはずだ。普通は。
 見やればセイバーが穏やかな笑顔を向けていた。それが凛には胸中を見透か
されたようで、悔しさや気恥ずかしさが浮かび上がる。

「い、言っておくけど、わたしが面倒見良くてそうしているわけじゃないのよ。
セイバーと士郎の在り方がそうさせるんだから、そこのとこ自覚しなさい」
「ええ、わかりました」

 苦し紛れの言い訳を軽く受け止めるセイバー。
 やはり、お互いの立場が変わりつつあった。今の状況は、凛がセイバーに相
談しているようではないか。
 不利を悟って、凛は話題をセイバーの悩みへと戻した。このまま、やり込め
られているような立場でいるのは癪であったし。

「大体、端から見る分には十分すぎるほどに幸せそうなんだけどね、士郎とセ
イバーって」
「そ、そうでしょうか?」
「まあ深く考えること無いと思うわよ」

 余裕たっぷりに微笑んでやるが、セイバーは腑に落ちない様子で再び疑問符
を浮かべた。この妙に気難しい彼女の性格は凛も承知している。
 だが、気難しいからこそ微笑ましくもあるのだ。

「はあ……そんな簡単でいいのでしょうか?」
「いいのよ。聞く限りでは別に冷たくされているとか、そういうことは無いん
だし。今の状態が不服だったらセイバーから求めてみたら?」
「―――なっ!」

 セイバーが顔を真っ赤にしながら、抗議の意を表情で示す。だが、凛の方は
余裕たっぷりに受け流す。やれやれ、とでも言いたげな吐息を一つして、セイ
バーの瞳を見据える。

「セイバーが甘えればいいのよ」
「で、ですがっ」

 さらりと言ってのけた一言に、セイバーが身を乗り出す。金細工のような髪
の毛が乗り出す勢いそのままに揺れた。

「大体、二人とも揃って似たもの同士なんだから……例えば相手の笑顔を見る
ことでやっと笑えるところとか。待ってないで、自分から笑いなさいって。そ
うすれば笑いあって万事解決じゃない。それと同じ理屈よ」
「は、はぁ……」
「難しく考えなくていいから、肩の力を抜いて―――アイツ、しっかりしてそ
うで鈍感なんだから、セイバーから求めた方がいいんじゃないのかしら?」

 悩み事とも呼べないような悩み事。
 その解決策の一つを提示されて、セイバーが小さく呻いた。
 納得はしたが、行動に移すことを思うと躊躇いを感じるのであろう。瞳を軽
く伏せて思案顔のセイバー。
 そんな彼女の背中を押す最後の一言を凛は紡いだ。

「好きな相手に甘えないで誰に甘えるつもりなのよ、セイバー」






 その日の晩は珍しく士郎とセイバーの二人きりだった。
 いつも食事を狙って突貫してくる大河は弓道部の合宿。必然的に部員である
桜もやってこない。聖杯戦争以降、凛も頻繁に衛宮邸の食卓に加わっていたの
だが、今日は何やら用事があるらしく早々に帰宅して、ここにはいない。
 大河や桜はともかく、凛はセイバーに気を利かせての帰宅なのだが、昼に女
性二人で交わされた会話など士郎には知るはずも無い。

「シロウ。お風呂が湧きましたが」
「ん――解った。セイバー、先に入りたかったらいいよ」

 夕食も終わって、のんびりとまどろみに浸る。
 賑やかな食卓風景にはすっかり慣れてしまったが、こうしてセイバーと二人
だけというのも悪くはなかった。ただでさえ、日常に追い回されて暇らしい暇
が最近は無かったから、余計にその一時を深く実感する。
 もっとも、夕食を満足そうに頷きながら食べているセイバーを見つめている
だけだったのだが。

「でも久しぶりだな、こうやって二人だけってのも」
「ええ、そうですね。ですが仕方が無いことです……シロウは学校生活にアル
バイト、その上で剣と魔術の鍛錬も行っているのですから」
「もう日課だからな。普通だよ、このくらい」
「シロウ。私はそのことを誇ってもよいと思います。普通だと貴方は言います
が、そうは思いません。少なくとも私は貴方の努力を見ています」
「う………真顔で言うなよ。なんか、恥ずい」
「まあ、そこで誇らないところがシロウらしくて良いと思います」

 とりとめのない会話が続く。
 久しぶりに二人きりになったというのに、これではいつも通り。そう言われ
ても否定できない。毎日のように繰り返される会話の一つだ。
 だが、セイバーから浮かぶ穏やかな表情を眺めると、いつも通りも悪くない
な、と思ってしまう。

「―――シロウ」
「そういえば? お風呂じゃなかったの、セイバー?」

 涼やかな声音が思考を中断させる。
 ちょこんと横手に正座するセイバー。

「え、ええ、もちろん入浴もしますが……今は、少し」

 セイバーはそう言うと黙りこくってしまった。そんな彼女の様子が気になっ
て仕方がないのに、理由を尋ねるのも悪い気がして、不思議な沈黙が生じる。
 別段、互いを無視しているわけではなく視線は交し合っていたのだが、セイ
バーは士郎と視線が交わると、気恥ずかしそうにそれを逸らしてしまう。
 もじもじと左右の指を絡ませ、肩を上下させる。
 その姿は普段のセイバーと比べて落ち着きが無い。

「じゃあ、先に俺が風呂に入るから」

 何か言いづらいことでもあるのだろう。
 そう結論付けた士郎は腰を上げた。とりあえずは、風呂に入ってセイバーが
落ち着くだけの時間を稼ぐことにする。

「ま、待ってください!」

 呼び止める声に上げかけた腰が止まる―――正確には止められた。
 セイバーが士郎の服の裾を掴んでいたからだ。

「あ、せ、セイバー、先にお風呂入るの?」
「い、いえ、そういう訳ではなく……」
「じゃ、じゃあ先に行くけど」
「だ、駄目っ! ここにいてくださいっ」
「は、はいっ」

 再び声を大きくするセイバー。突然のことに面食らう士郎の服の裾を、セイ
バーはさらに強く引っ張って、この場へ留まることを要求する。
 無論、士郎に断る理由は何一つ無い。

「あ、そ、その……」
「どうした、セイバー?」

 尋ねる。だが返答は戻ってこない。
 セイバーは相変わらず押し黙ったまま。しかも、俯いているために前髪がそ
の表情を隠してしまい、士郎の視界からは様子が窺えなかった。
 彼女の気配から微かに感じるものは、緊張。

「…………」
「…………」

 未だ、沈黙が支配する。
 セイバーの緊張がうつったのか、士郎の耳朶を早鐘のような己の心音が響く。
掌を軽く握ると指先につたわる湿った感触。
 最早、いつも通り云々と思考している状況下ではない。

 そして、無言のままセイバーが両手を後頭部へ。
 そのまま彼女は纏められていた髪を解き始めた。白く陶磁器めいた美しさを
持つ指先。それが金を掻き分ける仕草に、思わず顔が火照る。
 髪と指が擦れるさわさわという音。それが激しく士郎の胸を引っ掻く。
 何気ない仕草なのに、妙に色っぽい。
 すぐ目の前の光景に意識を奪われていると、セイバーはあっさりと髪を解き
終わったようだ。
 指先が流れるように下りると同時に、花開くように金細工が解き放たれる。

「―――あ……セイバー」

 髪を下ろしたセイバーは雰囲気が一転していた。
 普段の髪型は、無駄なく纏まっていて彼女の生真面目な性格を表していて彼
女らしかったのだが、それを下ろすと彼女の女の子らしさが一気に上昇する。
それは、普段は窺えないセイバーの“少女”という純真な部分に触れるよう。

 セイバーが、そっと目線を上げる。
 その上目遣いの視線から、士郎は彼女の意思を感じた。
 こちらを窺うような色彩の瞳で彼女は問うている。

 ―――どうですか、シロウ?

「う、うん……すごい、可愛い」

 それは世辞ではなく本心からの言葉であった。

 ごくり。嚥下の音が耳朶を打つ。
 それは士郎自身のものだったのか、セイバーのものだったのか判断できない。
ひょっとしたら両者ということもある。士郎には何だかそれが一番可能性が高
いような気がしてならない。
 重いというよりも、肌に吸い付くような沈黙の気配から脱却するため、士郎
はマトモに機能しない思考で何とか言葉を紡ぎだす。

「俺は、その……髪下ろしたセイバーも、いいと思うよ」

 上手く紡げない。喉が枯渇している。
 縁側へと通じる襖は開いていて涼やかな風を運んでいた。
 だが、その風すらも微々たるものに過ぎない。
 風の音すらも聞こえない。

「いつも通りの髪型も似合っているけど―――うあっ!」
「――――っ!」

 そこで視界が揺れた。
 同時に胸元へ訪れた衝撃に声を詰まらせながら、士郎は視線を落とす。
 ぎゅ、と彼の身体を抱締める音。

「せ……セイバー……」
「駄目、なのですか?」

 小さな囁きが士郎の聴覚を刺激する。
 セイバーは士郎を胸元から抱締め、そこに顔をうずめ、上目使いで彼の顔を
仰ぐ。
 朱よりも赤くなっているのではないか、と錯覚してしまうほどに火照ったセ
イバーの顔。だが、それを言うならば士郎も同じ。
 二人は茹で上がったような顔をお互いに向き合っていた。

「すぅー、はぁー、すぅー、はぁー」

 瞳を伏せ、深呼吸するセイバー。
 昂る気持ちを落ち着かせているのだろうが、その何気ない様子も今の士郎の
前では感情をさらに昂らせる起爆剤でしかない。
 す、と伏せた瞼が開く。
 士郎を見据えた瞳は、潤いを湛えていた。

「いつも通りでなくては、駄目なのですか?」
「――――」
「確かに、充実した毎日は楽しいです。私も、満たされて、本当に嬉しい」

 でも―――

「でも、私は……いつも通りよりも、今は……士郎と一緒にいる、今は―――」
「今は?」
「その、わ、私は、シロウに……」

 セイバーから求めている。その感情が暴発してしまったのだろうか、常に騎
士らしくあり続けていた彼女が見せた少女の一面に、士郎の胸中が刺激された。
 決心の中に恥じらいを残したセイバーの表情は、眩暈でも起こしそうなほど
に可愛らしい。考える間も必要とせずに身体が自然と動く。

「こうしてほしいのかな、セイバーは」
「あっ……し、シロウ」

 士郎が囁きながらセイバーを抱き寄せる。
 抵抗は無く、素直な受け入れが胸の内を満たしてゆく。あたたかい。セイバー
のぬくもりが布越しでも確かに感じられた。
 今なら理解できる。
 髪を解いたのは、彼女の中の女性を開花させた為。
 甘えるために。衛宮士郎の騎士としてではなく、少女として甘えるために彼
女は髪を解いたのだ。

「シロウ。私を、愛してください」

 期待と戸惑いが入り混じった声音。
 いつも通りという日常の上で士郎とセイバーはバランスをとっている。普段
は並行を保っているが、セイバーから求めることによって僅かにそれが傾く。
 傾けば、自然とそちらへと引き寄せられる。

「あのな、セイバー。俺……時々さ、セイバーの仕草とかに……感情が、抑え
られなくなることがある」
「シロウ?」
「セイバーのことを、すっごく愛したくて仕方がなくなっちまう」

 それは。
 セイバーが愛してほしいと願ったように。
 多忙な日常の中に埋もれていた感情。
 セイバーを愛したいと願った、衛宮士郎の気持ち。

「―――セイバー。愛してほしい?」

 冬の湖のように静かに澄んだ声。
 それは確認であり、同時に肯定の意味合いを含んでいる。
 士郎の言葉には、セイバーの微かに残った躊躇いを霧散させる包容力があっ
た。抱締められるだけで迷いは消し飛び、陽光の中に包まれているように暖か
さが彼女を包み込む。

「シロウ……その、お、お願いします」

 彼女の言葉に、士郎はしっかりと頷いた。


(To Be Continued....)