メモ
権兵衛党 作
三学期の終業式も終り明日から、まあ実質的にはたった今から春休みに突入
する。
この高校一年生最後の日をあたし、月姫蒼香はのんびりと過ごす予定だった。
かばんを机の上に置き、中に手を差し入れる。
「うん?」
手を差し入れたのは使い慣れたノートを引っ張り出す為だったのだが、あた
しの手が掴んだのは一枚のメモ用紙だった。
なんだいこれは。
あたしにはこんなメモに覚えがなかった。誰かがこっそりと入れたのだろうか。
どうせそんな物にろくな事が書いてある訳も無い。特にあたしの様な一種異
端的な人間の所にこっそり届くような物には。口外出来るようなことなら伝言
でもされているだろう。
丸めて捨てようとして、思いなおした。まあ暇だし。
一応文面に目を通してみる。
メモの文面は予想したようなモノでは無かったが、代わりにあたしを呼び出
す内容だった。ご丁寧に判り辛い地図が描かれていて、差出人の名前は何処に
も無い。
本来なら歯牙にもかけずに丸めてゴミ箱へ放り込むところである。
けれど、あたしはメモを丁寧に畳んでスカートのポケットへと仕舞った。
改めて置き放しにしていたノートをかばんに移し、それから教室を見回す。
当然の如く目当ての人物は居なかった。さもありなん。
ついでに言えば、ルームメイトの遠野秋葉の姿も無い。昨夜の内から鼻歌交
じりで荷造りしていたのだから今頃は寄宿舎か、はたまたもうすでに愛しの兄
さんの所へ驀進中か、どちらかだろう。
かばんを担いで教室を出る。
一旦寄宿舎へ戻るかどうかちょっと迷ったが、直接指定された場所へ向かう
ことにした。恐らくメモの主はまっしぐらに其処へ行ったに違いないから。
あいつ、何のつもりなんだかな。
署名は無かったが、あたしにはメモの差出人に心当たりが有った。
正確にはその異様に丸っこい文字と文体に。
人の気配のまるで無い雑木林。
広大な浅上女学園の敷地内にはそんな場所が幾つもある。
ここは寄宿舎からほど近い、そんな雑木林の一つだった。
薄暗い林の中、木々の間をすり抜けて歩いていると、大概の事には動じない
あたしであっても漠然とした不安というか、若干の心細さを感じる。
「よく怖がりのあいつがこんな所に呼び出せたもんだ」
心細い思いをして待っているかもしれない。
それだけに急いで行ってやらなければいけないと思った。
足早に林の中を進む。
いつの間にか小走りになっていた。
林の中に出来た陽の当る広場。
その中央にある大きな木の下にたどり着いた時には肩で息をしていた。
膝に手を付いて息を整え、顔を上げる。
そこには、
「蒼ちゃん」
ちょっぴり目を潤ませた羽居が立っていた。
「心細かったのか」
「うん、でも蒼ちゃんが来てくれたからもう大丈夫なのだー」
えへへと笑う羽居が妙に可愛く思えた。
ドキドキと高鳴る胸を、走って来たからだと言い聞かせ、努めて普段通りに
振舞う。あたしは困らせる気はないはずだ。
「それでどうしたんだ、こんな所に呼び出して」
「うん。蒼ちゃん、急に呼び出してごめんねー」
あまりすまなそうには聞こえないが、まあ羽居だから。
「でも、どうしてもここじゃなきゃダメだったの」
胸元で握り合わされた手にギュッと力が込められたのが判った。
その表情はいつも通りだ。
けれど、あたしにはどこか無理をしている様に思えた。
...あの、天然アルファ波発生装置の羽居が?
自分でも首を傾げる思いだが、何故かそう感じた。
「わたしね、蒼ちゃんに伝えたい事があるの」
その言葉にドキッとする。落ち着け、そうと決まった訳じゃない。
ともかくもあたしはそれを聞きにここまで来た訳だ。
一度大きく息を吸って、そして吐く。
それで覚悟は決まった。
伝えたいことと云うのがどんな重大な事であるにしろ、...あるいは羽居
らしくほんのささいな微笑ましい事であるにしろ、何であれ全て聞いて受け止
めてやろうと決めた。それで羽居が喜ぶのなら。
なんだ、いつの間にかあたしは羽居第一主義になってるじゃないか。
「いいよ、言ってみな」
自分でも驚くほど優しく聞こえた。
なるほど、今のあたしは平静を装ってはいるがいつも通りとはいえないな、
と自嘲する。いつからだろうな、こうなったのは。
「わたし、ね…」
羽居はぽつりと言って下を向いてしまった。
待ってみたが、やがて紡がれた言葉は。
「…ごめんね、やっぱり言えないや」
そう言った時の羽居の顔をなんと形容すればよいのか。
あたしには分からなかった。
ただ。
言うべきことは分かっていた。
「それで、いいのか?」
「…え?」
羽居がこちらを向くのを待って繰り返す。
「羽居はそれでいいのか?それを言う為にここまで呼び出したんだろう」
「でも…聞いたら蒼ちゃん困るかも知れないよ?」
「構わない」
「…でも」
羽居はまだ迷っている。
けど、あたしはもう決めたんだ。
「どんな事でも聞いてやる。受け止めてやる。そう決めた。だから言ってくれ
羽居」
羽居は今にも泣き出しそうだ。
でも、
下を向いてはいない。
「…うん分かった。蒼ちゃん、わたしね」
そして今度は下を向かない。
「わたし、蒼ちゃんのこと好き」
あたしの目を見てそう言った。
「お友達として、じゃなくて好きになっちゃったの」
羽居ははっきりとそう言った。
あたしは。
あたしは何も言えなかった。
「やっぱり蒼ちゃん困るよね。わたしも蒼ちゃんも女の子だし」
でも、言わなければ。
「羽居」
だって
「え?」
それは
「あたしも、羽意が、好きだ」
あたしが言うつもりだったんだから。
そう、いつか言うつもりだった。
...いつか、か。
あたしの言葉とは思えないな。結局あたしの方が勇気が足りなかったってこ
とか。
「蒼ちゃーん」
そう思ったのもつかの間、涙を湛えながらも満面の笑みを浮かべた羽居がす
ごい勢いで抱きついてきた。
「うわっ」
体重差で押し倒され、そのままゴロゴロと転がってしまう。...抱きつき
というよりタックルと言うべきか。
羽居は地面の上であたしをひしと抱きしめた。
「ふっふっふ、そうと分かればもう離さないのだー」
すりすりとほお擦りされる。
羽居のモチのように柔らかいほっぺたが押し付けられるだけでなく、羽居の
全身が暖かくくっついて来ていて、あたしの、その、小振りの胸にも大きく柔
らかい代物が押し付けられている。遠野ほどではないがあたしも密かに気にし
ているというのに。...なにか不公平なものを感じる。
まあ複雑な心境はさておき、羽居に抱きしめられるのは気持ちよかった。そ
れだけであたしは今までなにを怖がっていたんだろう、と思うほどに。
しばらく好きにさせることにしたのだが。
いつまでもそのままなのだ、これが。本気で離さないつもりか?
「こら、動けないだろうが」
「んー、もうちょっとー」
ほお擦りを繰り返して一向に離してくれない。
「しかたないな…」
あたしも羽居の背中に手を回した。片手を羽居の顔に添える。
そして。
「羽居」
顔をゆっくりと近づける。
両目が閉じられた。
唇を重ね合わせる。
「ん…」
それがあたしと羽居との初めてのキスだった。
二人して大きな木の下に座り込んだ。
「へへへー」
羽居はあたしにぴっとりと身体をひっつけて座っている。
こうして二人で居るだけで幸せだった。
あたしは羽居が告白するまでどんなにドキドキしたか等を嬉しそうに話すの
をずっと聞いていた。
「ところで、何でここでなきゃダメだったんだ」
話が途切れたところで聞いてみた。
「うん、あのねー」
羽居はやっぱり嬉しそうに話してくれた。
「『そこ』で告白して両思いになれたら幸せになれるっていう場所の話を聞い
たんだ。条件に合う所を一生懸命探したんだよー。そしたら晶ちゃんが教えて
くれたの」
「で、条件にあっていたのがここなのか」
「うん、そう」
占いか風水か知らないが何か羽居らしいな、と思いつつ、スカートのポケッ
トから件のメモ用紙を取り出した。
そこには分かり難い地図と共に、丸っこい文字でこう書かれていた。
《伝説の木の下で待ってるねー》
...なにかが間違っているような気はするのだが。
結局羽居が幸せそうだからまあ良いか、ということにした。それで羽居が勇
気を出してくれたから今こうしてあたしも幸せ噛み締めてるんだし。
「なあ、このこと晶に話したか?」
「え、この事って?」
「だから、その、…告白の事」
その場合、何の罪もない晶は踵落しで記憶を失った上で簀巻きで吊るされる
ことになる。あたしは同人誌のネタになるのは御免こうむる。
「ううん、言ってないよ」
幸いにも晶は記憶喪失を免れたようだった。
しかし憶測はつくんじゃないだろうか。あたしは知らなかったが、この木の
下が告白スポット(しかも全寮制女学園の)なのだとしたら。
「違うよ、伝説の木って知ってる?って聞いただけだもん。ここで告白する子
は他にいないんじゃないかなー」
「どんな伝説なんだ」
興味はあった。あたしは本来そういうモノに興味は無いんだが、まあその、
二人の出発点になる伝説なんだし、知っておいてもいいかな、と。
羽居の口ぶりではあまり恋愛成就といった感じのものではなさそうだが。...
せめて失恋モノの伝説でない事を祈ろう。
「うん、あのねー…」
羽居が嬉しそうに話してくれた、脱線しまくった話をまとめるとこうなった。
《X年前、ある特定の活動をしていた生徒が修羅場モード期間中にここで倒
れ、そのまま亡くなった。以後、この木の下では夜な夜なネタ出しをする独り
言が聞こえるという伝説が囁かれ、恐怖のスポットとなっている。ただし晶と
その仲間達はネタに困った時の最後の頼みの綱として利用中。まさにネタの生
る伝説の木》
...間違っている。
激しく完璧に完膚なきまでに間違っている。
思わず頭を抱えた。他にどうすれば良いのやら。
自分と最愛の恋人の関係が『恐怖伝説』から始まっていると知った時のスタ
ンダードなリアクションというものを是非とも教えて頂きたい。
いくら伝説でもこれは。
「…羽居、伝説の木って他に無かったのか」
「うん、これしかなかった」
誰に吹き込まれたのか、どうしても伝説の木の下で告白したかったのだろう
が。
「…たぶんご利益ないぞ、その伝説」
あっても困るような代物だし。
「うーん、でもずっと蒼ちゃんと一緒に居たかったんだよ」
ちょっとだけ困った顔をした羽居に手を伸ばした。
心配しなくてもずっと一緒だ、と言おうとした時。
それは聞こえた。
『それが望み、か』
反射的に立ち上がって構えを取った。油断無く辺りを見回す。
誰も居ない。そのはずだが...ごくわずかに変な気配を感じた。良く分か
らない。
「誰か…いるのか?」
感じるのは、少なくとも人とは思えない気配。
『…いる。ずっとここに』
また聞こえた。
どこから聞こえてくるのか全く分からない。こんなことは初めてだ。
ぞくりと背筋を冷たい物が伝った。
本能が告げる。これは人間じゃない。
ともかくも羽居を守ろうと慎重に移動しようとしたとき、羽居がスッと進み
出た。
「羽居!」
「うん、分かってるよ蒼ちゃん。こんなときは…」
自信満々といった感じで応える羽居。
そして、言う。
「えっとねー、どちら様ー?」
緊張感の無い声が辺りに響いた。
...確かに正月の一件で知らない人には名前を聞いておくこと、としつこ
く言った覚えがあるが。
それが通用する相手かどうかは...
『ふっふっふ、何を隠そう!私が伝説の木の精だあぁ!』
《つづく》
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