「凸茸」 須啓
1.
じりりりりじりりりり。
朝の静謐さを打ち壊して響く、目覚ましの音。
うつぶせで枕に顔を埋めたまま、私は腕だけをのばしてその音を止める。
その姿勢のまま再び、眠りの淵に落ちていきそうな意識。
それをなんとか引きずり戻して、ベットの上で身を起こした。
「ふあ」
小さく欠伸をかみ殺しながら、時計へと目を向けと、7時00分。
普段の起床時間よりは遅いが、それでも日曜にしては早い目覚めなのかも知れない。
日曜のこの時間に目覚ましを鳴らすことには、蒼香と羽ピンがいつも口を尖らせて抗議するのだが、
私としては、貴重な日曜日の時間を惰眠で費やすことのほうが我慢なら無いのだから、仕方ない。
こういうことを口にすると、蒼香や兄さんは『貧乏性だな』とそれぞれの表情で笑うのだけど。
怠惰と貧乏性の方がいくらかまだましだと思う。
大体、羽ピンは目覚ましくらいで目覚めないのだから、彼女にまで抗議される謂れは無い。
まだ霞がかかっている頭でそんなことを考えながら、羽ピンのベットに
視線を向けると...そこは既にもぬけの殻のようだった。
一瞬、自分がまだ寝ぼけているのかと思い、目をこすってから再び羽ピンの寝姿を探す。
が、やはりそこにあるのは、主のいないベットだけ。
...羽ピンが、私より先に起きたってこと?
閉じられたカーテンの隙間から差し込む光は穏やかで、窓ガラスを叩く風も吹いてはいない。
別段、天変地異が起こっている様子はないようだが―――あるいは、起こった後なのかもしれない。
「カーテンをあけたら、見渡す限りの瓦礫の山、だったりするのかしら」
「起きるなり何を物騒なことを言ってるんだ、お前さんは」
欠伸交じりに言ったのは、もちろん蒼香だ。
揶揄するような彼女に、私は真顔で首を振る。
「だって、羽居が私より先に起きるなんて、異常よ。ありえないわ」
「それはまた、容赦のない言葉だね。まあ、珍しいことは認めるけどね」
苦笑を浮かべて、頭を掻く蒼香。
なにしろ、朝の布団のぬくもりを感じていられるのなら、
膀胱炎になることも厭わないとのたまう羽ピンである。
この間なんて、脂汗を浮かべてまで、布団にしがみついていた。
蒼香がむりやり布団を引っぺがさなかったら、本当に膀胱炎になってたかもしれない。
そんなエピソードを思い出す私の傍らで。
「ふあ」
と、いかにも眠そうに蒼香が欠伸を一つ。
「お茶でも淹れてあげようか? 蒼香」
「羽居が珍しく早起きしたからって、お前さんまで珍しいことをしなくてもいいんだぞ」
とんでもなく失礼な台詞をごく平然とのたまう蒼香。
「だって、茶柱がたつかも知れないじゃない」
「なんだい、そりゃ」
あたしの言葉に、蒼香はあきれたような表情を浮かべる。
まあ、むりはない。私だって羽ピンあたりに同じことを言われたら、苦笑で応じるだろう。
「遠野って意外と迷信深いところあるよな」
「せめて、ロマンティストといって欲しいわ」
「世のロマンティストたちが文句をいうだろうね。『一緒にするな』って」
「あんたね...」
そういって私が、蒼香に指を突き付けようとすると。
ぱたぱたぱた・・・
と、スリッパが廊下を叩く音が勢い良く近づいて来た。
「羽居かな?」
「多分ね」
日曜の朝からこんなに騒々しいのは奴ぐらいだろう。
だいたい、こんなに盛大にスリッパの音を立てて走れるのも奴ぐらいだし。
私たちの考えを肯定するように、騒音は真っ直ぐに私たちの部屋の前まで迫ってきて―――。
ばん!
と、乱暴にドアを開ける音に、騒音の座を譲る。
開かれたドアの向こうから姿をあらわしたのは私たちの予想に違わず、三澤羽居、その人だった。
「こら、羽居。朝なんだから、もう少し静かに―――」
「蒼ちゃん!」
乱暴なドアの開け方に眉をひそめた蒼香の苦言を、何時になく切迫した羽ピンの声が打ち消した。
切迫していたのは、彼女の声だけではなかった。
いつも朗らかな笑みを浮かべている彼女の顔に、緊張と不安と焦燥が張り付いている。
それは、そう、必死でトイレを我慢していたあの時の表情に似ていなくもなかった。
うすいピンク色のパジャマも、全身隈なく、うっすらと汗で湿っているようだった。
いつも机に飾ってあるハンマーを持った茸のぬいぐるみを腰の辺りに抱え持っているが、
抱え持つその手が僅かに震えている。
その様子は、まるで―――ひどい悪夢から覚めた直後のよう。
「羽居、一体、どうしたの?」
「秋葉ちゃん―――私、私、私――――」
いつもの間延びした口調が、はっきりとした動揺に震えていた。
明らかにいつもと違う羽ピンの様子に私と蒼香は、同時に顔を見合わせる。
―――何が、あった?
「落ち着いて、羽居」
「どうした? 一体、何が」
ベットから飛び降りて、私たちが駆け寄ろうとすると、怯えたように羽ピンが一歩身を引いた。
「羽居?」
「秋葉ちゃん! 蒼ちゃん!」
普段の羽ピンからは考えられない、強い口調。
悲痛な声に、思わず、黙り込んだ私と蒼香に向かって。
羽ピンは、大きく息を吸い込んでから、酷くはっきりとした口調で告げた。
「私―――生えちゃった」
「え?」
「は?」
腰の辺りを隠すように抱え持っていたきのこの人形を、
ぽとり、と床に落とした彼女の股間から。
確かに・・・そう、なにかの隆起がはっきりと見て取れた。
それは、そう。たとえるなら、兄さんのーーーー。
「私、おちんちんが、生えちゃった」
呆然と、その隆起と、羽居の言葉を反芻して。
その意味を理解して、カタチにならない悲鳴を上げたのは、
それからちょうど一分後のことだった。
《つづく》
|