04/
すでに消灯時間を過ぎ、そろそろ寮監の見回りがやってくる頃。
だけどあたしは自分の部屋に帰ることも出来ず一人、寮の裏にある森の中に
立ち尽くしていた。
先ほどからの雨は、ついに激しくなり始め、あたしの身体に強く打ち付けて
くる。
凍えるほど、冷水だった。もうそろそろ、暦の上では冬になっている時期な
のだから、当たり前だ。
雨粒は身体に触れた瞬間にその場所の体温を奪い、そしてそれが広がってい
った後には何の感覚も残らない。……それは、単なる錯覚だったけれど、でも
このまま立ち尽くしていれば、いずれそうなる事は間違い無かった。
……でも、むしろこの方が好都合だ。
お清めは、冷水と相場が決まってる。
この雨は、あたしの穢れを洗い流してくれるだろうか?
本気でそう、考えた。
もしこの身体を無かった事にできるのなら、あたしは……。
馬鹿げた願いだと思いながらも、願わずにはいられない。
凍える身体を抱きしめながら、あたしは思った。
この身を切り裂くほどに、激しい願い……これが「切望」という感情なのだ
ろう。
「蒼ちゃん……?」
どれくらい時間がたったのか。いや、この寒さでそう長い時間感覚を残して
いられるわけが無い。おそらくは十分もたっていないのだろう。
聞こえてきた声は、間違い無く羽居の声だった。
幻覚ではない。
どうして、こんな場所にいるのか。
わからないけれど、たしかに聞こえた。
今一番聞きたくて、今一番聞きたくない声だった。
羽居は……どちらのあたしを求めているのだろうか?
女としてのあたし?
男としてのあたし?
あたしはどちらを選べば良いのだろうか?
どちらを選べば、彼女と幸せになれるのだろうか?
フッと、冷たくなった身体に暖かい何かが覆い被さってきた。
雨で濡れ、長い髪が貼りついた顔が、すぐそばにあった。
あたしは、その時やっと自分が抱きしめられているのだと理解した。
じんわりと、温もりが広がっていく。その温もりは、あたしの全てを赦して
くれる。
それだけで幸せだった。
だけどそれで良いのか?
この幸せに……ただ与えられるだけの幸せに満足して、未来から目をそらし
てしまって良いのだろうか?
――――良くない。
良くない事を教えるために遠野が来たのだ。
あたしは、あたし自身で決着をつけなければならない。
答えを、出さなければならない。
「蒼ちゃん……どうしちゃったの?」
いや……違う。
答えは決まっている。
ずっとずっと、昔から決まっていたことだった。
だけど、あたしはそれから逃げ続けてきたんだ。
「蒼ちゃん?」
決断するときが、来たのだ。
顔を上げろ。
目を開け。
まっすぐと。
受け入れるんだ。
「羽居……」
「ね……帰ろ?」
「――――うん」
・・・
消灯後にはいくらなんでもシャワーを使うことは出来ない。
あたし達は自分の部屋へと帰ると、全部の服を脱ぎ、バスタオルで念入りに
身体を拭いた。
遠野は……居なかった。
消灯時間を過ぎているというのに、どこに居るのだろうか……。
どうして居ないのだろうか?
雨に濡れて冷えて固まってしまった思考では、まったく分からなかった。
とはいえ、その事自体は非常にありがたかった。
あたし達は、誰に遠慮することもなく、裸のまま同じベッドに潜り込んだ。
そうなれば当然、次の展開は決まっている。
最初は優しいキス。触れるだけの口付け。
唇同士がふれあい、そこからむず痒いような痺れが走る。
それをニ、三度続けていると、もう二人とも堪らなくなってくる。
あたし達はがむしゃらに口を合わせ、舌と舌を絡ませ、唾液を交換した。
羽居の唾液は甘く、身体を溶かしていく。
あたしは、もっとそれが欲しくて、餌を求める雛鳥のように唇を押し付け続
けた。
同時に、手は胸へと向かう。
「ぅん……」
羽居の甘いと息が漏れる。
それが嬉しくて、あたしはさらに力強く指を動かしていった。
指に吸いつく脂肪の感触を味わいつつ、焦らすようにゆっくりと中心へと滑
らせていく。
羽居の中心は、もうすでに固くしこっていた。
それを、親指と人差し指で挟みこむ。
「ん、ん……」
小さく呻くその声がもっと聞きたくて、あたしは身体をずらすと、左の胸の
先に口付けした。
硬くて、でもプリプリしたそれは、唇で挟むだけでもなんとなく気持ち良い。
子どもの頃を思い出しているのかも。
羽居も、ただされてるだけではない。
赤ちゃんみたいに胸に吸いつくあたしの耳に舌を這わせ、手を胸へ向ける。
あまり、胸を愛撫される機会はない。
まだ愛撫するほどの成長を見せていないからだが、それでも乳首に指が触れ
たときはビリッときた。
羽居の指は縦横無尽にあたしの胸の上を滑りまわり、拙い性感を刺激した。
そしてその指は次に、下のほうへ向かって行った。
――――ダメッ
身体が、明らかに拒絶を意味した震えを見せた。
「蒼ちゃん?」
「今日は……そこは無しにしよ」
短く言うと、あたしは再び羽居の胸に口をつけた。
そうだ。あたし達は女の子同士なんだから、そんなところへの刺激は要らな
い。
あたしは羽居のアソコに顔を沈めた。
暗くて、ほとんどなにも見えないけど、その場所の形を忘れるわけない。
羽居のそこは、もうすでにビチョビチョに濡れていた。
先っちょのオマメさんに吸いつくと、それはさらに広がっていたった。
……嬉しかった。
あたしは、女の子として羽居を感じさせることが出来てる。
このまま、羽居のことをイかせる事が出来たら、もう醜いアレなんて要らな
くなる。
そう……思っていたのに……。
「――――キテ」
その一言に、熱くなっていたあたしの心が静止した。
熱く燃え上がっていた感情が、いっきに冷めていく。
性的快感で勃起していたあそこも、萎えていった。
何もかもが、一瞬にして崩れ去った。
あたしは、羽居に語らなくてはならない。
それは分かってる。
今がその時なのだ。
それも分かってる。
なのに……。
「蒼ちゃん、どうしたの?」
心配げに聞いてくる羽居に、あたしは何も言えなかった。
羽居がどう答えるか分からない。
どんな風に思うのか、分からない。
だから何も言えなくなってしまった。
治ったと思っていたのに。もう、大丈夫なのだと思っていたのに。
あたしの中で、過去の傷は未だ治ってなど居なかったのだ。
他人が怖い。何を考えているのか分からないから。
あたしの事を、どんな風に思うか分からないから。
怖い……。
怖い……。
羽居すら……怖くてたまらなかった。
だけど、言わなければならない。
決断したのだ。
覚悟を決めたのだ。
あたしは――――
「あたしは女として生きるんだ。そう、決めたんだ。明日になったら……親に
電話する。コレを切除してもらうんだ。そうすればあたしは、普通の女の子と
して生きていける」
溢れ出す言葉は、むしろ血に似ていた。
自らの傷を切り開いて、膿を出す。
搾り出される膿は、ただ一つ。
――――嫌わないで……。
「着替えの時に困ったりなんかしない。プールにだって入れる。お風呂だって。
皆と普通に、一緒にいられる。誰かに背を向けて生きなくてすむ……」
嫌わないで……。
「あたしは変わるんだ。汚いものを切り落とすんだ。女の子になるんだ」
嫌わないで……。
「あたしは……」
さらに言おうとして、言葉に出来ずにあたしは押し黙った。
これ以上口をあけたら、必死になって隠そうとしている恐怖が表に出てしま
う。
嫌わないで。
嫌いにならないで。
溢れ出した、声にならない叫びが、心の中に反芻する。
ずっとずっと、願ってきた想い。
自分の身体を曝け出せば、嫌悪される。
人とは違うこの身体は、蔑視される。
だから心が凍りついていく。
心を曝け出すことすら、恐怖していく。
みんな、あたしを嫌ってるから。
みんな、あたしを気持ち悪いと思ってるから。
だから、何も言えなくなる。
願いはたった一つ。
嫌わないで。
ただそれだけ。
なのに、それすら。
あたしの身体は、赦さない。
「あたしは……こんなの嫌だ……」
あたしは、あふれようとする涙を押し殺した。
「どうして……そんなの事言うの?」
あたしは……顔を上げられなかった。
そこにはきっといつも通りの「のほほん」とした羽居の顔があるはずだから。
それを見てしまったら、あたしは……。
「蒼ちゃん……顔を上げてよ」
その言葉にどれほどの強制力があったのか……いや、実際には強制力なんか
無かったのかもしれない。
だけど、その時のあたしは羽居の言葉に逆らえるほどの精神力を持っていな
かった。
ゆっくりと、顔を上げる。
そこには――――見たことの無い羽居の顔があった。
「どうして……どうして、そんな事言うの?」
あまりにも想像から離れていた顔だったから、あたしはそれが……泣き顔だ
なんてすぐには気づけなかった。
羽居は泣いていた。顔をくしゃくしゃにして。
羽居の涙を見たのが初めてっていうわけじゃなかった。
でも……本当に、悲しくて泣いてるその顔を見たのは、初めてだった。
胸が締め付けられたように……急に苦しくなった。
いったい、どうして泣いてるのか。誰が泣かせているのか。彼女が、泣く必
要なんて、絶対無いはずなのに。
「どうして、自分の事、そんなに酷く言うの?」
違う――――
羽居は自分が悲しくて泣いてるんじゃないんだ。
あたしの為に泣いてるんだ。
あたしの代わりに、涙を流してくれているんだ。
「私は……蒼ちゃんが好きなのに」
「わ、わかってる……」
「わかってないよぉ……」
ポロポロと、あたしの肩に羽居の涙のしずくが落ちてくる。
それが、癒しだった。
嫌いだとか、気持ち悪いとか、そんな残酷な言葉でボロボロに乾いていたあ
たしの身体に、その一滴一滴が染み渡っていく。
傷口に、かさぶたが出来ていく。
「私は、蒼ちゃんがそうしたいんなら、それで良いと思うよ? だって蒼ちゃ
んのことが大好きだから。でもね、今の蒼ちゃんの身体のこと、汚いとか、嫌
いだとか、そんな事言わないで欲しいよ。だって、私は、蒼ちゃんのことが本
当に本当に本当に……大好きなんだもん」
「……わかってるよ」
「嘘。絶対絶対、蒼ちゃんわかってないよぉ」
羽居は、押しつけるように顔を振りながら、「わかってない」と繰り返した。
涙と、ついでにきっと鼻水だろう……いろいろと、肩に塗りつけられていく。
分かってる……つもりだった。
羽居が、あたしの事を好きになってくれているって。
だけど、もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。あたしは分かってな
かったのかもしれない。
だって、分かろうとしなかったから。
言葉を怖がって、答えから逃げてたから。
だから、あたしは……羽居の本当の言葉なんて、知らなかったのかもしれな
い。
「羽居……」
「蒼ちゃんは、分かってないんだからぁ」
「……うん。分かってなかった、かも……」
嫌わないで。
そういって、逃げ続けてきた、本当の気持ち。
本当の言葉……。
でも、今なら聞ける。
羽居になら。
「だから……」
羽居の身体を離す。
「教えて」
目と目が合わさるように。
「教えて。羽居の気持ち。羽居の言葉で。――――本当のことを言って」
今、羽居の瞳の中に、あたしが写ってる。
きっと、あたしの瞳にも羽居の姿が写ってる。
それが嬉しくて、あたし達は同時に笑った。
「私……三澤羽居は……月姫蒼香ちゃんの事が、本当に大好きです。世界中の
誰よりも大好きです。良いところも、ダメなところも関係無く、全部、全部―
―――愛してます」
「……あたしも、羽居の事、大好き。全部……愛してる!」
まるで、結婚式みたいだった。
だから、あたし達は……誓いの口付けをかわした。
倫理観と嫌悪。理性と羞恥。
いろんな、複雑な感情を一つに纏める言葉は……「恐怖」。
だけど、気づいたら、もう、なにも怖くなかった。
不思議なことに、ずっとずっと嫌いだった自分の身体を、愛することが出来
た。
羽居の愛してくれたこの身体を、あたしも愛することが出来た。
だって、あたしが大好きな人が、愛してくれているんだから。
世間が嫌悪したって構わない。
神様が赦さなくったって構わない。
だってあたしは……羽居が愛してくれた、あたしなんだから。
もう、なにも怖くなかった。
・・・
翌日、教室であたしは遠野と会った。
結局一度も部屋に帰ってこなかったくせに、ピチッとした制服で、いつも通
り座ってる遠野に、なんとなく苦笑しそうになる。
そんな事じゃダメだ。
これから、あたしは大切な話しをしなければならないのだから。
「遠野……」
「おはよう。何かしら?」
ずいぶんと余裕だ。こっちは緊張してるってのに。
「昨日のことで話しがある」
「そう。それで? 答えは出たの?」
「あぁ。あたしは……女にも、男にもならない。そんな二択で選んだりしない。
あたしは、あたしのままでいる。そう決めた」
「そう。なら良いわ」
「…………へ? なら良いって……それだけか?」
「他に言う事があって?」
「だってお前、どっちかを選べって……」
あたしなりに色々答え方を考えて来たって言うのに。
遠野はため息をついた。
「何か盛大な勘違いをしているようね。私が言ったのは中途半端な気持ちのま
ま続けるのは止しなさいという事よ。でも今のあなたは、自分の意志で道を選
んだわけでしょう? それは中途半端な気持ちなの? 違うでしょう? だっ
たら私が言うべき言葉なんか無いじゃない」
「…………」
なんというか……言うべき言葉も無いってのはこっちの方だった。
当然のようにそう言いきり、当然のように「用はそれだけ?」なんて言って
のける遠野に、あたしは呆然とした。
……本当に、この女はすっごいなって思った。
同い年で、一見自分よりも幼げに見えるお嬢様のクセに。
身体だって、あたしとトントンのクセに。
他人を尊敬するなんて心を長く持たなかったあたしだけど、遠野だけは純粋
に尊敬できる奴だと思った。
こいつには、一生敵いそうにない。
あたしは、
「サンキュ」
――――小さく頭を下げた。
《つづく》
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