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初めての……、そして初めての……

 作:しにを

 
 
 テストの終了。
 普通だったら解放感で心弾んでいた筈。
 すぐにでも外へ出かけるか、夜になるのを待って塀を乗り越えようと算段す
るとか、いや何もしなくても喜びが胸に湧いていただろう。

 でも、あたしはテストが終わってもしばらく立ち上がろうともせずぐすぐず
と残り、一人になってしばらくたって、ようやく溜息混じりに教室を後にした。

 それから、校内と敷地をふらふらとして、帰りたくないという思いを忠実に
反映した足を無理に寮に向ける。
 歩きつつも、小さく溜息が洩れる。

「あ、月姫先輩」

 うん?
 聞き慣れた声に振り向く。
 小柄な態度まで小動物めいた後輩が駆け寄ってくる。
 あまり立ち話をする心境ではないが、邪険にも出来ず表情をなるべく普通に
戻そうと試みた。
 まあ、もともとにこやかに微笑を浮かべたりはしていないけど。

「随分と遅いんですね」
「まあ、な。アキラこそ、どうしたんだ?」
「あ、わたしは少々生徒会の用事がありまして」
「ほう、ご苦労だな。って事は遠野も一緒だったのか?」

 なんの気なしに、あいつの名を出すとアキラがふぅと溜息を洩らす。

「遠野先輩は今日はお仕事なくて、先にお帰りになったんです。
 でも、どうしても確認頂かないといけない書類があって」
「とは言っても、もう帰ったんだろう?」
「それで、遠野先輩のご自宅へ伺う事に」
「ああ、それで外出する格好か。しかしなんでアキラが?」
「はい。酷いんですよ、みんな。押し付けあうと言うか、泣いて嫌がってわた
しに押し付けるんですから」

 なるほど、さっきの溜息はこれか。
 まあ、遠野を慕っている後輩なんてのもいるようだが、余り自宅まで行きた
がるのはいないだろうしな。

「仕方ないだろう。遠野のお気に入りだからな、アキラは」
「うう……。そういう訳でこれからお出掛けしてきます」
「頑張れよ」

 でも、志貴さんに会えるかな、とぶつぶつ呟くとアキラは、手を振って駆け
ていってしまった。
 なんとなく落ち込みの気持ちが薄れて、あたしは部屋へと戻った。


 
                 ◇


 
 ドアノブを握り部屋に入ろうとして……、動きが止まった。
 鍵が掛かっていた。 
 あれ?
 もう羽居は帰っているかと思っていたのに。
 確か、今日の選択科目の試験で、あたしより早くテストを終えていた筈。

 でも、それなら好都合だ。
 すぐに顔を合わせなくて済むなら、そっちの方がいい。
 少しでも、そうだ、少しでも後の方が……。
 ほっとしつつポケットに手を突っ込んだ。
 
 カチャリという無機質な音と共にドアは開いて、あたしは足を踏み入れかけ
て、ピタリと立ち止まる。
 おかしい
 部屋が暗い。
 まだ日が出ているというのに。
 
 うーん?
 疑問に思いつつ部屋に入った。
 
 まあ、真っ暗で何も見えないという訳ではない。
 しかし窓が全部厚手のカーテンで覆われていて、今まで外にいたあたしから
すると、ここでは洞穴の中のように目が利かない。
 電気をつけて、と手を伸ばした時だった。

 部屋の隅から微かに音がした。
 びく、として音のした方をを見る。
 ベッドの横の隅。
 何か塊のようなもの。
 ……動いた。

 それこそ明りをつければよさそうなものだけど、それより先にそちらに足を
向けていた。
 恐る恐るそろそろと近づいた。
 僅かに緊張しているのか、自然と体が動きやすい体勢を取っている。
 膝が微かに曲がり、すぐに横にでも後ろにでも動けるように。
 そして半身がちで、何かあればすぐに右手が前の敵を……。
 って、これ。

「羽居……?」

 羽居が膝を抱えるようにして隅に座っていた。
 背を丸め、顔を伏せて。
 薄暗がりとは言えあたしがこいつを見間違える事は無い。
 でも、その名を呼ぶ声の末尾に僅かに疑いの色が混じった。

 その弱々しい姿に。
 その息を呑むような悲しみを漂わせた姿に。

 あたしは息を呑み、……動揺した。

「羽居、どうしたんだ?」

 そっと小声でもう一度話し掛け、近寄る。
 羽居が顔を上げる。

「蒼ちゃん……」

 濡れた声。
 目に涙が滲んでいる。
 それを目にして、心臓を鷲づかみにされたような痛みを覚えた。
 こんな、羽居の泣き顔なんて……。
 あたしは見た事が無い。

「羽居、おまえ……、誰かに何かされたのか?」

 自分でも声が硬いのがわかる。
 握り締めた拳にさらにぎゅっと力が加わり、掌に指先が食い込む。
 不特定の何かに対する怒りのようなもやもや。

 羽居は小さく首を横に振った。
 
「じゃあ……、実家から何か連絡があったのか?」

 また、羽居は否定の仕草。
 それなら他に何が……、考えつつ足を動かした。
 羽居の傍へ。

「来ないで」

 震えた、しかし強い声。
 悲鳴のような羽居の声。

 驚いた。
 一瞬思考が停止して立ち竦んだ。
 否定。
 羽居からの、あたしへの否定の言葉。

「羽居……。あたし、羽居に何かしたのか。
 羽居のこと傷つけるような事……」

 声が震えている。
 動揺が隠す余裕もなくそのまま声に現れている。

「あッ、違う、違うの。
 ……蒼ちゃんには知られたくないの。こんなの、わたしが」

 言いかけて羽居の目からまた涙がこぼれ落ちた。
 駄目だった。
 体が勝手に動いていた。
 羽居にそれ以上制止する間を与えることなく、あたしは羽居の眼前に跪いて、
その綺麗な雫を指で拭っていた。

「駄目、お願い、……蒼ちゃん」
「どうした、言ってみろ」

 弱々しい声の羽居に、出来るだけ優しく声を掛ける。

「こんなの見られたら、嫌われちゃうよう」
「あたしが羽居を嫌う? 
 そんなの、絶対にありえない。
 だから、何があったか知らないけど、一人で抱え込まないでくれ」
「でも、こんな気持ち悪いモノ……」

 羽居の顔が心の中の葛藤を露わにしている。
 だから、あたしは力強くしっかりとした言葉をぶつけた。

「あたしを信じろ。
 絶対に羽居のこと嫌いになったりしない、絶対だ」
「……うん」

 長い長い数瞬。
 そして羽居は頷いた。
 ほんの僅かでも羽居の顔に笑みが浮かんだ事に、心の底からほっとする。
 
「見て、蒼ちゃん」

 羽居がスカートの裾を捲くり上げ、そして同時にそろそろと足を開いていく。
 唇をぎゅっと噛み締め、そして羽居はそこをあたしの目に晒した。

 そこには……。

「そうか……。安心しろ、羽居」
「え?」

 目を背けていた羽居が、あたしの言葉に正面を向く。
 あたしの声に潜む不可思議な何かに、気付いたのかもしれない。

「それなら……。うん、羽居に直接見てもらった方が早いな」

 疑問符が浮かんだ羽居の視線を受けながら、あたしは立ち上がり、手早くス
カートを脱ぎ捨て、ショーツに手をかけた。
 勢いで、そこを羽居の目に晒す。
 これを他人に知られるくらいなら死んだ方がマシだとついさっきまで思って
いたのに、今はまったく躊躇がない。
 ほら、羽居……、ね?

「え、え、蒼ちゃん、それ……」

 羽居の驚愕の声。

「ああ、あたしも羽居と同じ」

 羽居は声も無くまじまじと見つめている。
 その顔には既に悲哀の色は無く、驚きと安堵が取って代わっている。

 羽居が見ているあたしの下半身、そしてあたしが見下ろしている羽居の
同じ部分。
 そこにはあり得ざるモノがあった。
 女である者にはついていないモノが、あった。

 男性器、ペニス、おちんちん。

 呼び名は何でも良いが、とにかく本来の女性器の上に、でろんとした異物が
鎮座していたのだった。

                                      《つづく》