――一人、環を除いて。

「そう言われてみれば確かに……」
「たとえば陰核が巨大化して疑似男根になるのか、恥骨辺りに別の組織が根を
張るのか、あるいは陰嚢の有無と女性器の変化、ひいては神経や内性器の変化
や内分泌の分析もしてみないと『おちんちんが生えた』だけであれこれ考えて
結論を出そうというのは」

　琥珀はそこで間を取ると、一同を見回す。
　秋葉は意外なものを見るかのように、アルクェイドは純粋に感心したように、
シエルは己の不覚を恥じるかのように。

　琥珀の目は、皆の注目から逸れている環にもう一度向けられる。

「いささか早計で、なおかつ科学的じゃありませんねー」
「………………あなたにそんなことを真顔で言われるとなにか癪ね」

　秋葉が腕を組んで、不満そうに呟く。
　そしてどっかりとソファーに腰を下ろすと、顎を撫でながら……

「確かに琥珀の言うことにも一理あるわね。実地調査なしに対策の講じようが
ないのだから」
「じゃぁ、浅上女学院に私たちで潜入するんですか」
「おもしろそー、そのセーラー服私似合うかなぁ？」

　にっぱり笑って楽しそうにするアルクェイド。
　馬鹿なことを、と秋葉は口にしようとした。なんだってこんな核弾頭よりや
っかいなものを浅上女学院に連れ込まなくてはいけないのか――

　だが、その秋葉の断言する言葉が喉から漏れる前に。

「その必要はありません」

　琥珀の、ぞっとするぐらい落ち着いた声。
　琥珀は端然と控えながら、薄笑いすら浮かべてその言葉を口にする。
　しぃん、と応接間の中が静まり返る。

　秋葉もシエルも、アルクェイドすらも一瞬呼吸をするのを忘れた。
　でも、その中でするのは、荒く浅い息。

　はぁ、はあ、はぁ、はあ、はぁ、

「――環？」
「はい、正解です秋葉さま……そちらに実際におちんちんの生えた浅上の方が
いらっしゃいますので」
「どうしたの？どうしたのよ環！」

　はぁ、はあ、はぁ、はあ、はぁ、はあはぁはあはぁはあはぁはあはぁはあはぁ

　秋葉も漸く環の異常に気を巡らせる事が出来た。
　だが、環はソファに腰掛けたまま項垂れ、そのまま体を小刻みに痙攣させて
いた。頭がかくかくと震え、髪が揺れる。その間から除く耳はまるで風邪を引
いた様に真っ赤に鳴っており、プリーツスカートの膝を握りしめる拳も硬く、
皺を作っていて。

　明らかに普通の様子ではない。
　秋葉は環の顔を覗き込み、肩に手を触れる。指がセーラー服の袖を掴むと、
体がびくん！と強く震えが走る。
　
　シエルもアルクェイドも、このただならぬ事態に腰を上げていた。
　琥珀は呆気にとられたように言葉もなく見守る二人に、余裕すら感じる笑み
を浮かべている。

「お気づきになられませんでしたか？シエルさま、アルクェイドさま……」
「その、環さんに……おちんちんが生えていることを？」
「話を聞く前に、そんなこと分かるわけないわじゃない」

　くすり、と得心する琥珀。

「秋葉さまもお気づきになられないのであれば仕方なくもあるのですが……環
さんの歩き方がおかしかったので私は気が付きました。こう、足のつま先が外
を向いて歩く――女性では普通あり得ません。いえ、股間に何かがない女性で
はあり得ないと申すべきでしょうけども」

　琥珀の、どことなく暗さを感じさせる言葉を聞き入るだけしかない二人。
　だがそんな説明を聞こうともしない秋葉は、聞くこともできない環の肩を揺
する。

「環！環！どうしたの！しっかりして！」
「遠野……さ……あ、あああて…………」

　はぁ、はあ、はぁ、はあ、はぁ、はあはぁはあはぁはあはぁはあはぁはあはぁ
　はぁはぁはあはあはぁはぁはあはあはぁはぁはあはあはぁはぁはあはあはぁはぁ

　環の手が秋葉の肘を掴む。それも軽く触るようにではなく、溺れかけた人が
縋り付くような強い力。
　強く体を環に引きつけられながら、秋葉ははっと気が付く。琥珀は絶えず環
を見つめていた、それも事情を説明する前から――

「琥珀！あなたいったい環に何をしたの！」

　秋葉の、触れれば全てを燃やし尽くしそうな鋭い視線。
　岩に穴をも穿ちかねない瞳を目の当たりにしても琥珀は悠然と、悪びれるこ
となく。

「ええ、環さんのお茶に……身体に正直になってもらうお薬を少々。媚薬、と
も下世話な言い方では言いますがー」
「貴女はっ！」

　秋葉は吼えると、環を離して琥珀に突っかかろうとする。
　その必死の形相と殺気に、シエルが思わず反応して身構える。アルクェイド
もそんな秋葉を抑えようと手を伸ばしかける――

　だが、そんな皆の動きの予想を裏切るように。
　環の腕は秋葉を放さなかった。いやそれどころか秋葉の身体を両手でしっか
と抱き寄せていて。
　腰をかがめた秋葉の不安定な体勢と、予期しないこの環の挙動に秋葉は虚を
突かれていた。あっ、と誰が誰へと口に出す訳でもなく。

「遠野さん！」

　環はそのまま秋葉をソファーの上に組み倒していた。
　仰向けに倒された秋葉は、信じられないものを見つめていた。自分を環が押
し倒しなおかつ上に被さっている。環は潤んだ瞳で、口の端からはしたなくも
たらりと唾液を垂らし、舌を熱げに伸ばして……

「それに、お体だけ正直になると苦しいので、一緒に心にも正直になっていた
だくクスリもご一緒に……ああもう、嬉しくなっちゃうほど効果覿面ですねー」
　
　秋葉と環、ソファーの上で絡み合う二人にいかにも楽しげに言ってのける琥珀。
　そんな琥珀のあまりにも嬉々とした様子を見つめながら、囁き合う二人の乙女

「貴女は鬼ですか、琥珀さん」
「やるわね……ブルーとアルトルージュの次に強敵だと見なすことにするわ、
これから」
「いや、なまじの死徒だとこの女には敵いませんね、ロアが壊れたのも今更な
がら納得です」
「こんどじいやに言おうっと、人間にも侮れない奴が居るって……」

　額を寄せ合って、いつの間にか不倶戴天の間柄の二人は意気投合して語り合
っていた。
　それもそのはず、今の琥珀はあまりにも泰然と己の悪行を誇っているのだか
ら。そしてその被害者二人が今もソファの上でもつれ合っている。
　環は秋葉の上に被さって、唇を秋葉の首筋に寄せていた。そして切れ切れに
熱い吐息を言葉に混じらせて吐く。

「遠野さん……あなたを……前からずっと……」
「ちょっと！正気になってよ環！何を言ってるの！ああもう！琥珀！何を笑っ
てこっちを見てるのよ！」

　ただ、首筋にキスの山を降らせられ、身体を抱き寄せられる秋葉は堪ったも
のではない様子であった。心の準備もなにもない上に、応接間のソファの上で
なおかつギャラリーまで居るのだから。
　秋葉は渾身の力で引き離そうとするが、リミッターが切れたような環の腕の
力も尋常ではない。ギギギギ、と骨がきしむ音が聞こえるほどの競り合い。

「ダメですよ秋葉さま、せっかく環さまが心も体も正直になっているのにそん
な手荒なマネは女の子に対してはしてはいけません〜」
「馬鹿なことを言わないでよ琥珀！」
「まぁ、馬鹿ってひどいですー！環さまは問題を解決するために身を挺してお
ちんちんで実演されて、秋葉さまはそれに協力するために御親友に我が身を捧
げられて、私たちが事態の解決のためにそれを観察する。これが完璧な私の計
算、まじかる方程式です！」

　えっへん、と胸を張って得意満面で自慢する琥珀。

「……志貴の周りの一番の難敵は、琥珀さんだったとは」
「遠野くんの教育上いろいろよろしくないような気もします、嗚呼……」

　呆れたように、それで居て感心したようなうめき声を上げるアルクェイドと
シエル。そうこうしている間に環の唇は、あがく秋葉の首筋に唾液と接吻の跡
を残していく、そして襟元まで顔を埋める。
　顔を背ける秋葉は、ついと顔を背けて自分を観察する視線に向き直ると――

「とにかく、私は――」
「残念ながら秋葉さまには選択権はないんですねー」
「うがぁぁぁ！」

　秋葉は吼えた。そして怒りと動転でざわざわと秋葉の髪の端が朱色に染まり、
我を忘れて反転し掛けるや否や、間髪入れずに飛ぶ琥珀の指示。

「アルクェイドさん、秋葉さまの力を押さえ込んでください〜」
「え？」
「だってそうしないと、この面白いおちんちん実演劇が中断しちゃいますー」
「面白いって何よ！琥珀あなた今日ばかりは……アルクェイドさんもこんなこ
とを止めさせてください！」

　アルクェイドは素早く琥珀と秋葉の間を見比べる。
　そして、秋葉に、そしてその上の環の姿ににんまり笑うと……

「んー、今回は妹、ごめん。琥珀さんに逆らうと大変そうだから」
「私にこんなことをして只で済むと……」
「思ってないけども、ま、あきらめてー」

　けらけらと笑いながらひどいことを言うアルクェイドに、秋葉は愕然とする。
　そして、アルクェイドの周りから陽炎が立つようなそんな不思議な波動が流
れる。それは秋葉の赤い世界を浸食し、まるで髪を引っ張って後ろに掴まれる
ような……
　秋葉の耳に、じゃらりと重い鎖の音が響く。それは己の檻髪に絡まり、釘付
けにするかのような――そんな信じられない感覚。

　秋葉は知った。アルクェイドの空想具現の力が、自分を封印しようとしてい
るのだと。
「……身近で真祖が力を行使するのを看過するとというのは後々の査問の対象
となりそうですが……」

　シエルは眼鏡を抑えて低く呟く。でも、しかめ面しい顔をしても口元が笑っ
ているのは隠しきれない。
　琥珀をちらりと見ると、いつもの仕方なさそうな表情で一言。

「まぁこれは秋葉さんの立っての願いであるわけですし」
「そんなことひとっ言も私はいってないのに！あー、あーあーあーあ！」

　秋葉は環に抑えこまれつつあった。自分の力の源を押さえ込まれると、身体
すら満足に力が振るえない……それに、環の力はまるで男性のように力強く、
秋葉の腕をはね除けてその身体を折れそうなほど抱きしめていた。

「遠野さん……どうして嫌がるの……私はこんなに貴女が欲しいのに……」



　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　《つづく》