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 春でも、夏でも、秋でもない。
 冬にだけの特権。
 その一時だけ、楽園となる絶対領域。

 温域をもたらすモノ、それは火燵。


『火燵酔いで、ほにゃーんでぽわぽわ♪』

                       10=8 01


 年明けに寒波はやって来る。
 年末には雪こそ降ったものの、世間では暖冬と見られている今期の冬。だが、
たとえ暖冬だったとしても寒いことには変わりは無い。天気予報によれば今日
は一番の冷え込みを見せて雪も降ってくるらしい。

「ふっ、の、っは、ぬ、おおおお」

 だが。
 そんな季節にもかかわらず、坂の下から聞こえてくるのは暑苦しそうな声だ。
息を荒々しくしているそれは、聞いているだけで発汗しそうな程。
 空は暗転とはいかないまでも、灰色がかった雲が分厚く青を塗りつぶしてい
て圧迫感を大地へと与えていた。
 志貴は大きなダンボール箱を担いで、その坂を登っているところ。押し潰す
ような冷たい風が坂の上から吹いてきているというのに、その肌からは珠のよ
うな汗が雫となって零れ落ちる。

「ん、にゃ、ろぉぉぉっ!!」

 白い呼気を気合に変え、腰から全身へと力を込める。収縮した筋肉が志貴の
身体を弾かせ、坂道を踏破させてゆく。
 目的地である遠野家の屋敷まで残り僅か。
 と。
 坂の約五分の四を制覇したというところで、急な突風が坂下へと吹き抜けて
ゆく。思わぬ強風に煽られた志貴が、そのまま傾き。
 天を仰ぎ。
 青い、空が、くるりと、1回転。

「って――――の、おおっ!?」




「あらあら、志貴さん。どうしたんですか、身体中ボロボロで」
「いや……ちょっと、大自然の驚異を感じて」

 上半身、下半身、あちこちに生じた生傷に琥珀が塗り薬を塗りたくる。傷口
から、さらに痛痒が重なって志貴は顔をしかめた。
 やわやわと、琥珀の細い指が志貴の肌を這う。傷薬を塗っているだけだとい
うのに、妙に意識してしまうのは何故だろうか。琥珀の触り方が、心なしか舐
めるような印象を憶える。
 志貴の思い過ごしか、それとも解ってやっているのか。
 おそらくは後者だろう。
 即決して、自己完結。

「あ、ありがとうございます。傷もそんなに多くないですし、後はほっといて
も治りますよ」
「そうですか……あまり、無茶はしないでくださいね」
「解りました……というか、そんな無茶しているつもりは無いんですけどね」
「志貴さん。自分ではそう思っていても、人から見れば無茶な行動に見えるこ
ともあるんですよ。具体的には、秋葉様が御自分の胸を大きくしようとしてい
る、とか」
「そりゃ、無茶じゃなくて無理してる、でしょーに」

 小声でツッコミを入れる志貴。
 いくら屋敷の離れだからといっても、秋葉が聞いていないという保障はどこ
にも存在しない。この和室にも盗聴器、防犯カメラの類は無きにしも非ずなの
だから。
 周囲を必死に警戒し、索敵する志貴に対して、琥珀は小首をかしげながら笑
う。

「どうしたんですか、志貴さん。そんな、神経を尖らせちゃって」
「いや、下手したら聞かれている可能性も………」
「大丈夫ですよ、わたしがいるんですから、その類の物はありません」

 やけに自信満々と断言する琥珀。
 その態度が逆に猜疑的な思いを掻き立てるが、この上なく確実性のある言葉
もない。
 志貴はやや迷った様子を見せたが、彼女の言葉を信じることにした。

「で、志貴さん……一体、何を持ってきたんですか?」

 こんな大きなもの、と付け加えて琥珀が畳の上に置かれたそれを見やる。
 志貴が担いできたダンボールは、大きさだけで見れば大型のテレビが入りそ
うな勢いである。よく、こんなものを担いで持ってこれたものだと、琥珀は感
心した様子で改めて志貴を見やった。

「まあ、実際にはそんな重くないですから……いや、重かったんですけどね。
それほど、重くはない、というか……」
「はぁ……なんとか持ってこれる程度、というわけですね」
「そうですそうです。いやー、まさか商店街の福引で当たるとは思ってもいな
くて……」
「へぇ……あの、志貴さん。中身、見せてもらってもいいですか?」

 まるで、子供のように瞳を輝かせる琥珀に、志貴は断れるはずも無く彼女の
意見を肯定した。駄目と言っても聞き入れるような性格でないことは、もう十
二分に理解しているつもりだ。
 琥珀がダンボールを開封すると、まず最初に発泡スチロールの塊が視界に飛
び込む。あちこちに傷があるところを見ると、これが衝撃を吸収して中身を保
護してくれたらしい。志貴は先程に転げ落ちたことを思い出しつつ、安堵の吐
息。

 ダンボールから引き出されたのはこたつであった。脚の部分が折畳み式にな
っており、既存のものよりもコンパクトな印象を受ける。
 志貴はそれを見て、改めて「こんなもん運んでたのか」としみじみ。坂の急
勾配を登ったことを思い出し、自分で自分に感心してしまう。
 一人、志貴が頷いていると琥珀が覗き込んできた。

「このこたつ。用意しちゃっていいですか?」
「あ、そ、そうですね、琥珀さん。じゃあ、俺はダンボール捨ててきますよ」
「いえいえ、そこまでお手を煩わせるわけにはいきませんよー」
「何もしないのもあれでしょう? 捨てるのもすぐですし、琥珀さんは先に準
備して温まっていてくださいよ」
「あ……ここに準備ですか」

 成る程と、琥珀が納得したような表情を浮かべる。
 さすがに屋敷の洋風建築ではこたつの似合う部屋など見つかりそうもない。
深く考えずとも、自ずとこの離れが選ばれるだろう。
 志貴は手早くダンボールと発泡スチロールを纏めると、両手いっぱいに全て
を持つ。

「それじゃあ、後はよろしくお願いします」
「は、はい……あ、あの、志貴さん」
「すぐ戻りますからー」

 琥珀の静止をよそに、志貴は離れの部屋を後にして出て行ってしまった。そ
の後姿をどこか名残惜しそうに眺める。伸ばしかけた手をそのままに、琥珀は
呆然と組み立てられるのを待っているこたつを見下ろした。
 さて、どうしたものか。



 折畳まれた脚を立てて、掛け布団にも似た布を被せる。その上に机の置き場
所となる版を乗せて火燵は完成。それを琥珀は部屋の中央まで運んで一息を漏
らす。
 これで、一応の準備は出来たことになる。

「………さて」

 どうしようか。
 完成したこたつを眺めて、琥珀が腕を組む。
 できたはいいが、ここから先はどうしていいのか見当つかなかった。別に琥
珀はこたつの存在を知らないという訳ではない。ただ、遠野家は外観からも解
るとおり洋館であるために、特別にこたつを必要とすることがなかったのだ。
 そのために、知識としては知っていても、実際に使うのはこれが始めてだっ
たりする。

「これが、こたつですかぁ」

 しみじみ。と言うほどでもないが、それなりの感慨を持って呟く。
 とりあえずは、ぐるりと周囲を回って外観を確認。座卓に掛け布団をくっつ
けたようなそれはテレビで見たものと同じ。一見して、なかなかいい素材を使
っているように琥珀には思えた。こたつの値段が案外と高いことを、琥珀自身
はよく知らないが、なんとなく高そうというニュアンスだけは感じていた。

 続いては、その布団を思わせる部分――後に聞いたが、こたつ掛け布団と言
うらしい――を捲って下の部分を覗き込んでみる。
 網目が掛かった電灯のようなそれをじっと見つめるが、闇がかぶさったまま
だった。琥珀は手近なコンセントを探して差し込む。

「あれ、おかしいですね?」

 だが、一向に電気が通う様子は無い。
 琥珀がじっとそれを覗き込みながら、小首を傾げる。おそるおそる触っても
みるが熱を帯びてはいなかった。
 確か彼女の知識では、こたつは網目の掛かった熱灯の部分が発熱することで
温まると理解していたが、それは間違っていたのだろうか。それとも、実際に
温まるまでには、それなりの時間がかかるというのか。
 使ったことが無いだけに、急に不安が押し寄せてきた。コンセントがあると
いうことは電気で温かくなるものだし、組み立ても間違ってはいない。だが、
温まる気配が無いというのはどういうことだ。

「まあ、入っていれば温かくなる……かな?」

 楽観半分、不安半分といった口調で誰にとなく口にすると、そのままこたつ
の中に脚を入れて、そのまま志貴の帰りを待つ。
 実際にこたつの中に入ってはみたが、感覚的には座卓というよりも布団のよ
うな感じだろうか。上半身を出さなくてはいけない分、寒さを感じるが頭寒足
熱とも言うし、それこそ布団のように潜ってしまえば済むことだろう。
 成る程。
 琥珀は体感してみて納得の頷き。思っていたよりも、これは気持ちいいかも
しれない。
 だが。

「ちっとも、温かくなりませんね……」

 眉根を訝しませて、掛け布団をめくる琥珀。先程、コンセントに差し込んで
からというもの、もう五分は時間がたっている。だが、こたつは暖かくなるど
ころか電気が通った様子すら感じさせない。
 ただ、掛け布団の中は暗い闇で覆われているだけだ。発熱して赤みがかって
もいい頃合だと思うのだが。

「むー、不良品でしょうか」

 ばんばんっ!
 琥珀はとりあえずテレビの要領でこたつを2・3度程叩いてみるが様子に変
化は訪れない。むうー、と唸ってみるがそれで何か変化が起きるのであれば、
最初から苦労などしていなかった。
 先程まで温かかったはずのこたつの中が途端に寒く思えてくる。風通しのい
い離れの和室は、閉め切っているはずなのに妙な冷たさを空気が含んでいるよ
うだ。

「そうだ、志貴さんなら―――」

 言いかけて、琥珀は思いとどまる。
 志貴に助けを請うのが一番かもしれないが、琥珀の中でその選択に抗す何か
が芽生えていた。
 仕事に対する責任感とかそういったことではない。ただ、志貴にこたつの準
備も出来ないと思われたくないだけ。こたつを用意することだけで、志貴にち
ょっとした優越感を感じさせることに琥珀は抵抗を感じていた。これっぽっち
のことも出来ない、そう思われるのは少し我慢できそうにない。
 ほんのささやかな、琥珀のプライド。

「やっぱり、ここは自分でなんとかしますっ!」

 自分自身に活を入れて、再びこたつの周囲をいろいろと見てみる。
 組み立ての段階で不備は無い。特に破損した状態ではないし、コンセントに
もしっかり差し込んでいる。これで何が不備だというのか。

「あ」

 不意に母音が零れる。
 確認の際にコンセントを見やると、それはあった。
 差し込まれているそこと火燵を繋ぐコードの中間に、ちょっとした膨らみの
ような物があり、よく見ると簡素なスイッチが一つ。
 オフからオンへ。

 あまりにも初歩的なミスに温まってもいない琥珀が赤面する。この場所に志
貴がいなくてよかったと心底思いながら、改めてこたつの中へ。念のためにめ
くって確認したが、灯はうっすらとオレンジを帯び始めているところ。
 安堵の吐息を落とし、中が温まるのをじっくりと待つ。

 そういえば、志貴はゴミ捨ての割には随分と遅い。背筋を猫のように丸めな
がら、彼女は寒空の中でゴミ捨てをする少年を思い描く。それに対して、こち
らはこたつを設置してのんびり待つだけ。

「志貴さんったら……」

 割が合わない方を率先して選ぶあたり、彼の性格がよく解る。
 琥珀はそんな志貴を思いながら、そっと微笑を零した。
 こたつの中は熱を帯び始め、にわかに温かくなってきた頃合。そういえば、
テレビとかではお茶や蜜柑が乗っている光景をよく目にする。

「うーん、どうしましょうかねぇ」

 今から屋敷に取りに行ってもいいが、それだと志貴とすれ違いになってしま
うかもしれない。ここで待っていてもいいが、一度でも気にしてしまうとどう
にも落ち着かない。なるべく手間はかけたくないし、かけさせたくないのだが。

「志貴さん、来ないかな……」

 早く戻ってこないものか。
 今すぐ出ても構わないのに、どうしても志貴を待とうとする自分がいること
に、何となく琥珀は気付き始めていた。それほど志貴を待つことにこだわる必
要性も無いはずなのだが。
 そこで、彼女は一つの可能性に思い至った。

「うー、もしかして」

 これが―――こたつの魔力というものなのか。
 あまりの心地よさに、そこから抜け出すことすらも億劫になってしまうとい
う、人に怠慢と惰性を与える恐ろしき特性。面倒くさがりな者は、こたつに生
息を始めてしまうと言われているほどだ。
 じんわりと脚全体を焦がすような温かさは、日向ぼっこをしているようでも
あり、冬の早朝の布団の中の気持ちよさを思わせる。

「あうー。お蜜柑も持ってきたいですけど……わたしがいないと志貴さんがご
心配なさるでしょうしー」

 えらく間延びした声で呟く琥珀。どこか、言葉が言い聞かせるというよりも、
言い訳がましく聞こえるのは本人も気付いている。それに、少し自分が寒い思
いをすれば蜜柑も手に入るし、こたつだって逃げるわけでは無いことを自覚し
ている。
 だが、そんな冷静な思考とは裏腹に、身体は感情の赴くままに動いていた。
冷えた空気に当てられた掌を、こたつの中に突っ込む。

「はぁぁぁ、ふぅぅ」

 思わず零れる、至福の吐息。
 冷え切った掌に響くような熱は、適度な刺激を肌に与え、痺れにもにた感覚
を感じさせる。ゆっくりと氷が解けるような印象を掌に感じつつ、さらに深く
こたつの中へ。
 あまりに心地よすぎて、靄がかかってきた思考の端でそっと琥珀は思う。

 こたつサイコー、と。




 それから志貴が戻ってきたのは、十数分後といったところか。
 あまりの寒さに眉根を寄せながら、いくらかの荷物を持ち込みながら離れへ
と戻ってくる。

「お待たせしましたぁ……一応、お茶の一式と冷蔵庫の冷凍蜜柑持って来まし
た」

 と、志貴は呟きながら室内を見回すが誰もいない。
 こたつは中央に用意されていて、スペースをとっているが。そこに琥珀の姿
は無く、無人のこたつのみが置かれているだけ。
 一度、外へ出て周囲を探してみるも琥珀は見つからなかった。
 雪の降り始めた外は、凍てつくような風を志貴の身体に叩きつける。その、
あまりの寒さに外を探すことを断念した。
 ただ、寒い中で琥珀を探すことが厭だという訳ではない。

「これだけ寒いと、琥珀さんも外には出ないだろうしね」

 よくよく考えれば外へ出るまでもないことだ。
 こたつを用意してスイッチも入っている。必然的にこたつの中に脚を入れる
だろうし、その何とも言えない様な魔力に引き込まれてしまうだろう。絶対に
引き込まれる、と断言してもいい。志貴は己の経験からそこまでを思考する。
 ごく簡単な推理とも呼べないような推理。
 つまりは。

「琥珀さんっ」

 こたつ用掛け布団をめくって中を確認する。案の定、そこには冬眠でもして
いるのか、身体を丸めたままこたつの中で眠りこけている琥珀がいた。
 やはり、飲み込まれたか。
 見つかったことの安堵というよりも、呆れを混じらせた吐息を一つ。
 琥珀の脇に手をやって引きずり出すと、その掌に湿った感触が伝わる。思わ
ず顔をしかめてその原因を確認すると、衣服がものすごい量の汗を吸い込んで
いるのが解った。

「うにゃー、志貴さんですかぁー」
「何やってんすか、琥珀さん。凄い汗じゃないですか」
「あはははー、こたつって気持ちいいですねぇー。なんか、こー、ぽわぽわー
って」

 彼女の寝起きは、まるで酒に酔っぱらっているようであった。少し寝た程度
でここまでなるとは到底思えないし、アルコールの匂いも無い。
 まさか、こたつに酔ったとでも言うつもりか。

「琥珀さんっ、起きてくださいっ」
「しつれーなっ、起きてますよ! 火燵最高ー! ほにゃにゃー♪」
「しっかり、意識呑まれているじゃないですかっ――――っと」

 志貴の言うことを聞こうとしない琥珀が腕の中で暴れる。倒れこむ身体を反
射的に支えることに成功したが、その勢いからか彼女の寝相が悪かったのか、
ほんのりと赤みを帯びた白い肌が露になっていた。
 襟元がはだけて、肩と二の腕のあたりまでが見える。後ろから支えるような
志貴の角度からだと、上から覗き込むように胸の谷間が……

「こ、琥珀さんっ」
「ほえ? なんですかー?」
「わざとですか?」
「んにゃ?」

 真直ぐな志貴の視線にも、疑問符を浮かべることで琥珀は応える。どうやら、
意識は本当に呑まれているらしい。常に意識して第三者の立場に立っている琥
珀にしては随分と珍しいことだ。
 そんな琥珀の様子に志貴は思わず微笑みを零す。

「くちゅんっ」

 ふと、その微笑の吐息に当てられたのか、琥珀が小さなくしゃみを一つ。
 少しだけ身を震わせながら、彼女がそっと志貴へ上目遣い。

「志貴さん……冷たい」
「え、あ、ああっ、ごめん。外は雪が降っているから」

 先程まで外に出ていた志貴の掌は、こたつの中で温まった柔肌にはさぞ効い
たことだろう。だが、くしゃみの原因はそれだけではないはずだ。見れば、珠
のような汗がこたつの外の空気によって冷え始めていた。

「あーあー、琥珀さん。そんなんじゃあ、風邪ひきますよ」
「大丈夫ですー。ちゃんと起きてますからー」
「………しっかり呑まれているな、この人」

 琥珀のこたつ酔いが醒めるまではまだ少し時間がかかりそうだ。このまま待
っていてもいいが、それだと汗が乾いて体調を崩しかねない。志貴は「やれや
れ」と自分自身に言い聞かせ、お茶のセットと一緒に持ってきたタオルへと手
を伸ばす。

「志貴さーん。こたつって、いいですねー」
「そうですね、琥珀さん。そのままじゃあ、風邪ひいちゃいますから……汗、
拭かないと」
「んっ! 志貴、さん……冷たいです」
「あ、す、すいません」

 肌に触れた指を離す志貴。先程まで雪の降る外に出ていたために、指の芯ま
で冷え切ってしまっていた。それとは対照的に芯までこたつで温まった琥珀の
肌とは、さぞ温度差があることだろう。
 なるべく指先を触れさせないようにして、琥珀の汗を拭ってやった。
 吸い付くような彼女の胸は、タオル越しといえどもしっかりと感触は伝わっ
てくる。大きいというわけでもなく、適度な大きさの胸は押せば戻るような弾
力。

「あっ、ん……志貴さんってば」
「琥珀さん。動かないで……」
「なんか、手つきが……やらしいですよ」
「……普通ですってば」

 こたつの中にずっと入っていればさぞ息苦しかっただろう。琥珀の口からは、
荒く刻まれた吐息が零れている。はだけた着物が、ほんのりとした朱色に染ま
った肌を露出させていて、志貴は目のやり場に困ってしまう。
 彼としては、特にいやらしい行為をしているつもりはないのだが、琥珀から
もれる吐息が艶っぽく、志貴の意図しない部分で勝手にそのように意識してし
まっていた。

 続いてはゆるやかな曲線のある背中へと。
 浮き上がった琥珀の肩甲骨が滑らかなラインを描いており、タオルで拭くと
その固い感触が指先でも確認できた。ただそれだけなのに、美しい陶磁器を触
っているような錯覚を覚える。

「あぅ……ん、志貴さんの、指が、つめたいっ、ん」
「琥珀さん。次、前の方いきますよ」

 宣言すると、志貴は彼女の返答を待たずして、タオルを持った腕を琥珀のお
腹へと滑り込ませた。わずかな衣擦れの音が、そっと両者の鼓膜に震えをもた
らす。
 ある程度、琥珀の腹部を拭いてやると、志貴はそこから掌を上へと持ってゆ
く。ゆっくりと這うように昇ってゆく掌は、琥珀の肩甲骨を一つ一つ確認する
ように撫で上げてそのまま胸元を下から押し上げた。

 たゆん。

 そんな擬音が聞こえるのではないかという錯覚。
 それほどまでに、琥珀の胸元の感触は心地よく、柔らかい。和服は胸元の上
半分だけを露出させていて、志貴が下から押しやることで微妙な布と肌との均
衡が崩れそうになっている。

「や、やだっ、志貴さんってばっ」
「拭いてるだけ、ですよ」

 そっと耳元に息を吹きかけるように呟く。
 琥珀を後ろから抱きかかえるような格好になり、お互いにこたつへ脚を突っ
込みながら言う台詞にしては白々しいと、志貴自身もそう思ってしまう。

 雪のように冷たい指先が、タオルという薄い隔ての向こうでさわさわと波打
つ。下から持ち上げるように、軽く胸を揉みしだく。
 ふるふると震えているのに、何かに堪えているように和服の胸元は決壊を起
こさない。その微妙な加減の光景が、また志貴を刺激する。この先の禁忌を犯
したくなってしまいたい、そんな酔いのかかったような思考が脳内を埋め尽く
す。

「ん、琥珀さん。やわらかい……」
「あんっ、志貴さん。なんか、駄目……ちょっと、変ですってば」
「琥珀さんは、こうやって“されること”に慣れてないだけですから」
「確かに、そうですけど―――ひゃんっ!」

 より甲高い声が響いた。
 志貴が琥珀の頬に舌を這わせたのと同時といったところか。赤い舌がそっと
汗の珠を掬い取り、舐める。
 しょっぱい。
 当然と言えば、当然の味であった。頬に舌を這わせ続けても、その味は変わ
ることは無かったし、琥珀の反応は相変わらず可愛らしかった。すして志貴に
はそれがひどく甘い何かを思わせて仕方が無いのも事実であった。
 どこか脳髄に響くような感覚。

「琥珀さん……すごく、可愛い顔してる」
「ふえぇぇ、志貴さん、ずるぃですよぉー」

 潤いのある朱の表情は、とても艶やかで純であった。
 それと同時に感じる、掌の感触。冷えた手と温まった肌の温度差や、ぴくぴ
くと戦慄くように震えるたわわな胸がたまらなく気持ちいい。
 何よりも、琥珀さんが責められていることで為すすべもなく受け入れている、
という状況がたまらなく可愛らしかった。

「琥珀さん……もっと……」
「ぁ……志貴、さん……、―――――っ!!」

 突如、琥珀の声が息を飲むものへと変化する。
 力なく志貴へと項垂れていた彼女はどこへいったのか、あっさりと身体を戻
した琥珀は、志貴へと振り返ると首筋を掴む。

「って、こ、琥珀さんっ!」
「志貴さんっ、秋葉様が来ます」

 その言葉の意味は即座に理解できた。
 こんな状況を一目見られただけで、志貴の一生は終焉を迎えることであろう。
脊椎反射的に実を強張らせる彼に、襟首を掴んだ琥珀の腕が引き寄せられて、
そのまま身体が傾き―――気付いたときにはこたつの中へと押し込まれている。

「む、もがっ!」

 程なくして、足音が聞こえてくる。入室する直前までは志貴が悟ることも出
来ないような無音歩法であった。それをする秋葉も秋葉だが、気付く琥珀も琥
珀だ。
 室内を一望した秋葉が、琥珀しかいないことを確認して拍子抜けの表情。

「あら、琥珀だけなの?」
「ええ、そうですよ、秋葉様。こたつをご用意いたしましたので……」
「ふうん。こたつなんてあったのね」

 琥珀に答えつつもしっかりと志貴を探す秋葉だが、こたつの中にいるとは思
っていないらしく気付いた様子は無い。志貴は落ち着かない気分で、こたつ越
しの会話に聞き耳を立てる。

「秋葉様はどういったご用件で?」
「いえ、兄さんがいると思って……」

 なかなか鋭い。
 その宇宙世紀に生きる新人類並の直感を、こういう時には役立ててほしくな
いものだ。渇ききったこたつの空気の中で志貴は眉根を寄せて思う。

「まあ、いないのでしたらいいですけど」
「そうですか」
「けれど、どこをほっつき歩いているのかしら。もう子供じゃないんですから、
かくれんぼみたいな事をしないでほしいものですっ」

 と。
 あっさり限界は訪れた。
 唐突なそれに、周囲どころか志貴本人ですらも驚く。

「――――ぶはっ! あぢぃっ!!」

 汗だくになって、こたつから抜け出す志貴。むしろ、飛び出すといったほう
が適切かと思ってしまうくらいの勢いであった。新鮮で冷たい空気を求めて喘
ぐ志貴に、秋葉の冷ややかで鋭い視線が突き刺さる。

「あら、兄さん……かくれんぼですか?」
「いやー、あはははは。そのー、かくれんぼです」
「嘘だということくらい解りますっ!! いったい、いったい、何をしている
のですか!」
「いや、秋葉が思うようなことは何もしていないぞー」

 実際には“する一歩手前、もしくは半分はしていた”ということになるだろ
うが。
 聞く耳持たずといった表情で、秋葉が詰め寄る。

「兄さん。別に、ここで琥珀といることを咎めたのではありません……」
「あ、そうなんだ」
「ですが……わざわざ、隠れるようなやましい事をしていた、というのが問題
です」
「いやー、それはだなー、汗があれで、こたつの中でだなー」
「しっかり、要点を纏めて言って下さい!」

 あたふたと、まともな言葉すら構成で来ていない志貴に秋葉の一喝が飛ぶ。
それを見やっていた琥珀が、ふと直していた和服を再びはだけさせながら、袖
に手をひっこめて「よよよ」と泣き崩れる。

「志貴さんが、嫌がるわたしに無理矢理……汗をふきふきして……」
「にーいーさーんー」
「だぁぁぁっ、琥珀さん!? ちょっと、語弊があるんじゃないでしょうかー!?」
「兄さん」
「は、はい……なんでしょうか、秋葉さん」
「覚悟は、よろしくて?」

 微笑を浮かべながら、朱色を髪に纏わせる秋葉。
 志貴の悲鳴が屋敷中に響き。
 その声を聞いた翡翠が駆けつけた頃には、すでに志貴は物凄い状態になって
いたという。
 それはもう、物凄いことに。








 そして。

「ふぁー、やっぱり、こたつは温かいなぁ」
「そうですねー、志貴さん」
「秋葉はどうだ、初めてのこたつ?」
「そ、そうですね……気持ちいいです」
「そーかそーか、うおっ、翡翠……脚が」
「も、申し訳ございません、志貴様。何分、狭いので……」

 四人がこたつに入れば、もう満員といった様子である。
 互いの脚を絡ませながら、のんびりお茶をすする。

「んっ、兄さんだって……わたしに脚をっ」
「うわ、悪い……秋葉も俺に―――って、そんなとこまでっ」
「あ、それはわたしですよー、志貴さん。えいえいっ」
「ひゃうっ!」
「琥珀っ、兄さんに何をしていの!?」
「それはですねー」
「だーっ! 口で言わない、そういうことはっ!」

 志貴が上半身を乗り出し、慌てて琥珀を制した。
 残念そうにする彼女と、疑わしげな視線を投げつける秋葉。
 何となく板ばさみな空気を感じ始めた志貴が、誤魔化しの為か蜜柑へと手を
伸ばす。先程から、翡翠が黙々と蜜柑を頬張っていて残りはもう少ない。

 のんびりとした時間がゆるやかに流れる。
 外は大雪。積雪は膝まで積もってしまいそうなほどに勢いがある。四人は、
このまま離れで寝てしまおうか、などと冗談めかした談笑。

 ふと。
 全員が同時に手を伸ばした。
 その先にはあったはずの蜜柑がもう残っていない。

「琥珀。取ってきたらどうですか?」
「そうですねー、翡翠ちゃん。お蜜柑はどこだったっけ? お姉ちゃん、場所
が思い出せないんだけど……」
「食料に関しては姉さんに一任していますので……姉さん、自分が行きたくな
いだけじゃないのですか?」
「翡翠ちゃん、いきなり確信っ!?」
「まあまあ、秋葉だって無理矢理こたつからひっぺがして取りに行かせること
ないじゃないか」
「じゃあ、兄さんが行ってはいかがですか?」
「いや、たまにはお前が行ったらどうだ?」
「琥珀っ」
「うーん、場所が思い出せませんしー。ねえ、翡翠ちゃん」
「姉さんに食料品は一任しています」

 と。

「………………」
「――――――」
「………………」
「――――――」

 そこで、全員が沈黙による均衡を選んだ。
 各々の表情を保ちつつ、互いの表情を探る。動くは眼球のみで、刹那の隙を
窺う姿は獲物を狙う肉食動物のそれに似ていた。

「ふふふふふふふふ………」

 決壊が崩れたように、誰かが笑い出す。
 誰が笑ったのかとお互いが特定する前に、別の人物が笑みを刻む。

「あははははははは………」
「うふふふふふふふ………」
「はっはっはっはっは……」
「……………………にやり」

 その笑顔は、途絶えることがなかった。
 離れの部屋に、笑い声がよく響く。

 白い結晶が舞い降りる夜空。星辰の代わりとでもいうのか、煌きを仄かにま
とった淡雪が舞い落ちる。降り積もる。

 火燵には魔力があると言う。
 そして、魔物が潜むとも言われている。

 各々を見据え。
 全員が頷く。
 意思は一つに。
 そして、志貴が代表して高らかに叫んだ。

「せーのっ」

 じゃんけん―――――っ!


                      <END>




『後書 ―火燵? 炬燵? どっちやねん― 』


 ども、01です。
 今回のコンセプトは「おこた」ということで、お送りしました。
 ほのぼのなのか、えろなのかが正直に言いまして微妙で中途半端な感じにな
ってしまったかなー、という反省点を残しつつ書き上げてみました。
 最後の終わり方は、まあ、後日談的なものということで………誰がお蜜柑を
取りに行ったのかは想像にお任せいたします。

 なんか、パターン的に阿羅本さんの『むねむね』にエロシーンが似ているよ
うな気が……胸責めとか、後ろからとか……反省すべきですね。

 兎にも角にも。
 前回が、ちょっちしんみりなお話だったので、今回は軽く読めるような作品
にしてみました。上手く行ったかどうかはこの際さておくとしまして(さてお
くなよ)。

 ではでは
 10=8 01(と〜や れいいち)でした。


 BGM:ロンサムダイヤモンド(the pillows)