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ともだちのおねーさん

 作:しにを



 
 死地にあった。

 もはや倒れる寸前Iに追い込まれていた。
 敵は数多く、こちらは単身。
 頼みとするは手にした刃のみ。
 これで血路を切り開かねばならない。
 
 障害物の向こう、敵の気配を肌に感じる。
 蠢く無数の物音が、耳に寄らず聞こえる。
 
 単純な戦闘能力は遥かにこちらが上。
 一撃で相手は崩れ去る。
 しかしその相手にする数が尋常でない。
 この迷宮に入ってから何体、何十体、何百体を屠っただろう。
 
 ここに巣食う群体を一つの個体と見るするならば、
 かすり傷程度のダメージを与えているだけなのかもしれない。
 それに対し、こちらはずるずると体力を消耗していく。

 しかし、ここで死ぬ訳にはいかない。
 敵がどれだけいようと、千いれば千を、万いれば万を屠るのみ。

 無造作に手を動かした。
 行く手を遮っていた壁に亀裂が入る。
 その先には……、薄白い死霊の群れ。

「行くぞ」
 
 殺到する敵をひたすらに倒す。
 じりじりと強引に前に進む。
 最初は視界を埋め尽くしていた壁がやがて消える。

 出口が見える。

「よし、あそこから……!!!」

 安堵した為、僅かに遅れた。
 致命的な空白。
 
 空間転移して来た魔術師の光撃を、かわし切れない。

 馬鹿な、こんな処で……。
 死ぬのか、俺は……。
 ・ 
 ・
 ・


「っと、さすがにここまで来るとさすがに辛いな。
 それに疲れた」

 ゲームオーバーの画面を眺めつつ、黒いパッドをぽんと横に置く。

「でも古いゲームもけっこう面白いものだな」

 最近の有彦はこの手のレゲーにはまっているそうで、何処で手に入れてくる
のか、何世代も前のゲーム機が忽然と部屋に鎮座していたりする。
 最近は歴史の闇に消え去ったこの黒いのにご執心だ。
 カセットを引っこ抜き、箱にしまってから、さて次はどうしようかななどと
考える。
 
 それにしても和むなあ。
 変な話、遠野家の自室よりもこの散らかって狭い有彦の部屋の方が落ち着く。
 翡翠の仕事にケチをつけるつもりは毛頭無いし、そんな事をしたらバチが当
たると思うけど、完璧に片付いた部屋ってどうにも居心地が悪い。
 適度に私物が積んであったりちょっぴり乱雑の方が体温が感じられる部屋と
言うか。
 そんな事を言っても秋葉には絶対に理解して貰えないし、翡翠は冷たい目で
こっちを見られそうだし……、そういう意味では部屋を自由にしている琥珀さ
んてやっぱり凄いな。

 ごろりと寝転んで、その辺から手を伸ばして雑誌を取って何とはなく眺める。

 と、襖がガラリと開いた。

「なんだ、随分早かったな。もしかして振られ……、こんにちは、イチゴさん」
「やあ、有間。お寛ぎだな」

 逆さになっている一子さんの姿。
 慌てて起き上がり改めて挨拶する。 

「お帰りなさい、イチゴさん」
「……ただいま。なんか変じゃないか」

 無表情に見えて、僅かに苦笑を浮かべている。

「あっ、有彦は今出掛けてて……」
「うん、知ってる」
「へ?」
「駅の近くで、嬉しそうに突っ走っている馬鹿に会ってね」
「ああ、なるほど」
「留守番頼んで出掛けたんだろ、すまなかったね」

 そういう事である。
 珍しく誰にも束縛されない休日、家にいるとまた厄介事に巻き込まれそうだ
から、乾家にてごろごろする事に決定し朝からここにいるのだ。
 ……我ながら非生産的な自堕落ぶり。
 有彦とぐだぐだと過ごしていたのだが、突然時計を見つめて立ち上がると有
彦は家を飛び出して行ってしまったのだ。

「すまねえ、遠野。大事な約束があるんで先に失礼する」
「おい、失礼するって何だよ。おまえの家だろう」
「ついては、一子が帰って来るまで留守番を命じる」
「なんで」
「どうせ暇だろ。部屋好きに使ってていいから。一子の奴、鍵も携帯も置いて
っててさ、連絡も取れないし戸締りしないで行くのも物騒だしな」
「イチゴさん、何時頃帰ってくるんだ?」
「昨日は昼までにはとか行ってたから、もう1,2時間もすれば戻るだろ。俺
は夜まで不在なんで、そう言っといてくれ。じゃあな」

 そんな会話で取り残されて、仕方なくお留守番していたのだ。
 これはこれで楽しいけれど。

「まあ、ご苦労賃として昼でも奢るから」
「あっ、嬉しいなあ」
「……、なんというか別に食うのに困ってる訳でもないし、少食の癖して有間
って、そういうの妙に喜ぶな」

 僅かに一子さんが笑みを浮かべる。
 この笑みも普通の人間にははっきりとは見て取れないかもしれない。
 もっと表情がはっきりとしていれば、もっと綺麗に見えるなのに。
 ふとそんな事を思った。
 
 そうだよな、一子さん本当は綺麗だよな。
 本人が聞いたら「普段はどうなんだ?」と詰め寄られそうな事を考える。
 一子さんの事を普段はまったくそういう目で見ていないから。
 本人はナチュラルメークなんだと主張するが、面倒なのでほとんど化粧っけ
なしな処。
 過度に装ったり、女っぽい格好するのが嫌いで、いつも同じような格好。
 素っ気無い物言い。
 何より異性をあまり感じさせない態度。
 そういったものの為、ほとんど女であるとすら意識しなかったりする。
 まあ、これは一子さんが俺にとって身近で、例えば姉とか妹の美醜に鈍感に
なるのに似た事かもしれない。
 たまに颯爽としたコーディネイトをしていると、驚いて一子さんの真価に気
づかされたりもするから。

 ぼんやりしている俺には特に気にせず、一子さんは自分の部屋へ戻るのか、
背を向けて出て行こうとしていた。
 そして襖から顔だけ振り向いて言った。

「ちょっとシャワー浴びてくる。
 頼みたい事があるんで、40分程したらあたしの部屋に来てくれるかな」
「わかりました」
「……覗くなよ」

 冗談めかして一子さんは階段を降りていった。
 言われなくても、そんな真似は。
 でも一子さんあれでけっこうプロポーションいいよな等とちょっと想像して
頭を振る。
 考えちゃいけない事のように思えたから。

 
             ◇   ◇   ◇


「なんでイチゴさんまで服脱いでいるんですか」

 思わず叫び声を上げる。
 しかし一子さんは不思議そうな顔をする。

「脱がないと出来ないだろう?
 ああ、自分で脱がしたいという事か。それなら……、違うのか?
 もしかして有間って服着ている女としか出来ないとか、裸だと欲情しないと
か、そういう性癖なのか?」

 ちょっと気味悪そうな顔をされる。
 不本意な物言い。そりゃある種のコスチュームは好きだし、そういうの着て
る時には全部脱がすのは駄目だと思うけど……、って違う。

「人をおかしなフェチ持ちにしないで下さい。
 俺が訊ねているのは、どうしてイチゴさんが服を脱ぎ始めているのかという
理由です」
「じゃあ聞くがなんで有間は裸になっているんだ?」
「脱げと言ったのはイチゴさんでしょう」

 そう、そこだ。

 ぱたぱたと一子さんがシャワーを終えて自室に戻ってからまたしばし後。
 言いつけ通りに俺は一子さんの部屋へ向かった。
 意外と片付いている一子さんの私室に入るのもなんだか久々だなとちょっと
どきどきしていると、一子さんは口を開いた。
 そこで唐突に言われたのが「服を脱げ」の一言。
 当然のような物言いに、俺は素直に上半身のシャツを脱ぎ捨てた。
 絵のモデルか何かの実験か、突拍子無いのは乾姉弟の共通の特徴だった。

 で?
 そう目で言って首を傾げる俺に一子さんはさらに言葉を重ねる。

「下も」

 なんでわざわざ指示しないととわからないのかとでも言いたげな雰囲気。
 ためらってから、おずおずとパンツ一丁の姿になる。
 なんだかわからないけど。
 取りあえず一子さんには従うように回路が出来ている。

 そしてである。
 ふと顔を上げて驚愕に身を石にした。
 そこで目にしたのが、ブラウスのボタンを外して下着姿になっている一子さ
んだったのだ。
 上がプラジャーのみで、そのまま、ジーンズのボタンを外している。

 ああ、やっぱり一子さんてけっこう胸が大きいんだ……。
 ぼうっと眺めてはたと我に返り叫んだのが、冒頭の通り。


 困惑した表情で一子さんはしばし俺を見つめる。

「有間、もしかして良くわからないのに、言われるままにそんな格好になった
のか?」
「ええ、まあ……。なんか理由があるんだろうし、突然理解不能な行動するの
はイチゴさんのいつもの事だし」
「うーん」

 一子さんはこめかみに手をやって目をつぶっている。
 数秒そうやって固まってから、疲れたような声を出す。

「一般的にだな、二人きりで他に誰もいない家で、女の部屋に通されて、しか
もその女が事前にシャワー浴びてて、男に裸にならせて、自分も服脱ぎ始めた
ら、どうするつもりだと思う?」
「どうって。………………ええっ」
「わかった?」
「俺の若い青い体を貪ろうとしている……、え、まさか正解?」
「正解」

 真顔で肯定された。

「だって、なんで、嘘。からかってるんでしょ、イチゴさん?」
「冗談でこんな事しない。それとも悪ふざけだとでも思うか?」
「……いえ。イチゴさん、そういう人じゃないし」

 一子さんの様子には冗談っけが微塵も無い。
 目はあくまで真剣だ。
 と言う事は、と言う事はだ、本当にそういう……、誘われているのか、一子
さんに?
 あれですか、年上の経験豊富なお姉さんが、純情で経験の乏しい少年を喰っ
ちゃうっていうお伽噺みたいな憧憬のシチュエーション。
 この場合、年上のお姉さんと言うのが一子さんと言うのがあれだが。
 いや、一子さんじゃダメと言うのじゃなくて。
 むしろ本当ならどんなにか。
 いやいやいや。 
 でも、嘘だろう、信じられない。
 だって、ほら、ええと、あの、ええい……、一子さんだぞ。
 ずっと姉さんみたいに思ってた一子さんな訳で。
 なんで、なんで唐突に。
 あああ、わからない、わからない、わからない。
 ……。

 俺が混乱し無言になっていたからだろう。
 一子さんは不安そうにこちらを見る。
 そんな表情は初めて見る……、気がする。

「嫌か。それなら無理にとは言わない」

                                      《つづく》