願いの果て

                      竜次

   Interlude 1 (introduction)


 シロウの瞳は今にも泣きそうな深い悲しみの色を浮かべ、それでいて迷いを
捨てた深さを持っている。目を閉じる事も背ける事もなくなく、私を見つめ、
手にした短剣を振り上げる。

 そう、それでいい。そのまま振り下ろしてもらえれば。
 誓いを違え、シロウに刃を向けた罰を下してもらえれば。
 敵に取り込まれ、シロウに反逆するという屈辱に終止符が打てる。

 短剣が、私の胸に突き立てらる。死に至る苦痛は、むしろ、解放の安堵。
 聖杯戦争が終るまでは聖杯で、その後は死の間際の眠りについている私の本
当の体での、仮初の安息。

 胸が、痛む。

 私に止めをさしたシロウの短剣が、まだ胸に刺さっている。サーヴァントと
しての死を迎え、霊体として分離した私の胸に、まだ刺さっている。
 霊体に、ことに送還される霊体に、召喚先でのモノは一切の影響を与えられ
ない。たとえ宝具であったとしても、だ。そうでなければ英霊の分霊ではない
……使い捨てではないこの私は、次の召喚に応じられなくなる。もしも、この
短剣が私の霊体に影響を与えられるとすれば、それは……

「でも、セイバー」

 もはや聞こえるはずの無い、シロウの声が聞こえた。

「ありがとう。おまえに、何度も助けられた」

「!!!」

 叫んだ。声も出せず、涙も流せない無い闇の中で、魂の慟哭を止めることが
出来なかった。
 私は何を思い違っていたのか。
 胸に刺さった短剣は私への罰ではない。
 私の死は贖罪では無い。
 私を殺すというシロウの罪。
 それは、シロウに罪を負わせる私の罪。
 シロウを守るという誓いを、死してなお破る私の罪。
 死ぬ事で罪を贖うどころか、更なる罪を重ねてしまうのだ。

 そうだ、死が贖罪ならば、私はあの時、アンリマユに取り込まれるときに、
自己保存の限界を超えた一撃を放つことで死ぬべきであった。シロウを守ると
いう誓いに従い、取り込まれシロウに仇為す危険を回避し、シロウの敵へ文字
通り全身全霊を懸けた攻撃を放つ。それはマスターを守る挺身であり、サーヴ
ァントシステムでも許される行為だ。

 そうだ、私はこの世界で死ぬ機会すら失っていたのだ。
 死ぬ機会を失った以上、死ねない。死んでいないから、霊体になってなお、
この短剣は胸に刺さっているのだ。

 誓いを破り、罪を重ね、贖罪の機会を失い、死ぬ事も許されず、私は……


 気が付くと、光があった。

 闇の中で、剣が、時空をも切り裂く光を放っていた。否、放とうとしていた。
 だが、その剣を構えた少年は、もはや剣に与える力など残っていなかった。
 少年は、シロウは、私を倒した時点で歩く事さえ困難なほどに傷ついていた。
それがいまや、存在していることさえ奇跡と思われるほどに壊れ果てている。
 肉体は既に機能していない。故に魔力は既に無い。
 それでも、自らの魂を捨てることで、必殺の剣を投影している。その行為は、
魂の存在すら失うという点でも危険であり、投影の完成の可否の点でも危険で
ある。そう、あの剣を投影しきっただけでも奇跡といえるだろう。
 だが、剣を投影しただけでは終わりではない。あの剣の力を発動させるには、
更に1度の投影が必要だ。剣の使い手の技術を、魂を、自らに投影しなければ
剣の力は使えない。
 更なる奇跡により、今一度の投影が完成したとしても、それで完全に終わり。
あの剣の力を発揮するには、その剣に膨大な魔力を注がねばならない。それは
並の魔術師数人分。練達の魔術師がかろうじて注ぎ込める量。半人前にも満た
ない駆け出しのシロウが、その磨滅しきった魂の全てを注いでも剣の力は発揮
できない。

 肉体を失い、魂を奉げて剣を完成させても、剣を振るえなければそれは徒労。
そのための死は犬死。
 しかしシロウは止まろうとしない。魂からも欠落してしまったであろう誓い
を果たすため、死を超えた消滅へと進みつづける。
 その行為こそ、あの夜、私が為すべきであったことだ。誓いを守るために、
全身全霊を懸けるとはこのことをこそ指すのだ。

 胸が、痛んだ。
 最強のサーヴァントと謳われていながら、私は何も為し得ず、何も知らない
貧弱なマスターだったシロウは、私の為すべきであった全てを引き受けている。

 違う。
 私には後悔する資格など無い。
 胸の痛みは、自責の念によるものではない。胸に刺さり続ける短剣の痛みだ。
 私がまだ現界している証の痛みだ。
 そうだ、私はまだシロウの世界にいる。
 契約は失われようと、誓約は失われない。
 私はシロウを守ると誓った。
 私はシロウの剣となると誓った。
 シロウが構えているのは私の剣。
 あの剣を振るうのは私の役目。
 肉体の有無に関わらず、私が在る限り私が為すべきこと。
 そうだ、今こそシロウの剣となろう。

 剣に手を伸ばす。

 今度こそ、この身の全てをかけてシロウを守ろう。

 届け。

 シロウのためにこの魂を奉げよう。

 もう少し。

 私は、全身全霊を懸けて、シロウに仕えよう。

 あと僅か。

 私は、シロウの力になりたい!

 掴んだ!

 この一瞬こそが全て。魂が砕け散ろうと、剣に光を!

 剣の光は闇を裂き、大聖杯を貫き、私を、シロウを、全てを包んでいく……


(To Be Continued....)