道場から出る頃には、空は赤く染まり始めていた。

「本気でテレビに出る気なのかな藤ねえ」
「さあ……どうなんでしょうか?」

苦笑いをしながら、2人で家路につく。
藤ねえは残った用事を片付ける、美綴は弟と一緒に帰ると言っていた。
夕焼けに影が伸び、建物の影と混ざり、また離れる。
濃淡の影は足跡を残すが如く、ずっと付いてきていた。

「しかし、本当に霊なんて出るのかな? 別にもう聖杯の影響は出て無いんだ
ろ?」
「多分……だと思うんですけど」
「でももしかしたら桜の知らない所で何か起こってるのかもな。
 後で知ったけどあの番組って視聴者からの葉書で取材地決めてたらしいし」

桜は困ったような表情をしている。
傷跡は薄い、しかしまだ消えてはいない。
あまり思い出したくもないのだろう。
そんなことに今更ながらに気がついた。

「………ごめん、あんまり思い出したくないよな」
「いえ、もう大丈夫ですから。………でも、ということは誰かが何かを見た、
 ってことでしょうか?」

かもしれない。
まぁ、おそらくは”やらせ”なのだろうが。
あの場所には何も無い。有り得る筈が無い。
あの子が命を賭して閉じてくれたのだ、あってたまるか。
しかし、崩壊した柳洞寺の復興は、2年経った今でも一向に終わる気配を見せ
ない。

言峰の後釜の神父も絡んでいるだろうから、そのあたりの心配は無い。
蓄えられていた”この世の全ての悪”、アンリマユの膨大な量の魔力。
その残りが発光したりして、人魂と間違えられたりしているのだろう。

「んっ? 桜は昼間そのことで呼ばれたのか」
「あ、はい……大聖杯跡地の管理も、姉さんから任された仕事の一つですから」

落ちた霊脈のある冬木市。
その管理も、セカンドオーナーである遠坂(今は桜が管理している)の役割。

よって、何も無いと分かっていても、
裏で色々と工作をしないといけないのである。
万が一、何か間違いがあっては困るからだ。

「ってことは………」
「はい、私が様子を見に行くことになりました」
「…………なるほど」

紅に染まる道の上、納得しながら歩を進める。
少し眩しい。

「あ、そうだ。 今日も遠坂とライダーは来れないって言ってたんだっけ」
「え、そうなんですか?」

せっかくの休みなのに、と桜も残念そうにしている。
まぁ一年に一度しか帰って来れない訳だし、それも当然。

「ま、一緒に花見には行けるとは言ってたから、そう気を落とすな」

まだ残念そうな桜だったが、はい、と何とか頷いてくれた。
と。

「………そういえば、久しぶりですよね。こうやって二人で学校から帰るのっ
て」
「そうか? 桜がそう言うのならそうかも」

思い返してみれば確かにそうかもしれない。
部活を辞めたあと、ずっとアルバイトを続けていたし、
この一年は尋常じゃない状態だったし。
桜は弓道部の部長になってたこともあり、
俺とはなかなか帰宅の時間が合わなかったのだ。

「じゃ、遠回りして帰るか」
「え……先輩?」

少し戸惑う桜の手をひいて、ゆっくりと角を曲がった。

そして――――――

「ここって……」
「たまには寄り道も悪くないだろ?」

桜の疑問の意味は分かっていたが、あえて話題を逸らす。

行き着いた場所はあの公園。
赤く染め上げられた小さな四角。
切り取られた想い出の小箱。
その紅が、またあの瞳を思い出させる。

「ここで……初めてイリヤと会ったんだ」

目に映るのはあの日の雪。
ここで初めて出会ったのではない。
本当の初見はあの夜の坂道。
でも、本当のイリヤに出会ったのはここ。
本当のイリヤを知ったのはあの日の公園。

「あいつ、最後に言ってたんだ。 ”私、シロウのお姉ちゃんだもん”って…
……」
「先輩………」
「血は繋がってなかったけど、確かに家族だったんだよ、あいつは」

誰に言うでもない。
強いて言うならおそらく、自分に対してのみ、その呟きは響いている。

「だからさ、柳洞寺って聞くたびに………浮かぶんだ」

時間は心の痛みを薄れさせてくれる。
傷を隠してくれる。
記憶の中、忘却という蓋をしてくれる。
でも………

「痛みを消しては………くれないんだな」

自嘲するように言って、立ち上がった。

「――――ごめん、また変なこと言ってたな俺。はやく帰ろう」

涙を振り切るように首を振り、
後ろで待ってくれている桜に向き直る。

「はい」

俺が笑顔を見せたことで安心したのか、
桜も笑顔で返してくれた。

また夕暮れ道を並んで歩く。
その距離は先ほどよりも近く、影も重なりかけている。
すると、不意に手が触れた。

「「っ――」」

同時に硬直してしまう。
夕日の所為だろうか、赤い頬で向かい合っている状態。
俺はそっと手を差し出して、

「行こう、桜」
「あ………」

それにに戸惑ったのか、桜はもじもじと手をこね回した後、

「はい」

柔らかい手で、こちらを握り返してくれた。

「先輩の手って、大きいですね」
「何だ、改まって」
「いえ、ふと思っただけです」

そんな桜にふ〜〜ん、と頷いて、

「あ」

と、思い出した。

「桜、渡したいものがあるんだけど」
「?」

立ち止まって、俺の顔を見る桜。
ごそごそとポケットを探り、
昼間に貰ったブローチの入った包みを取り出して、
目の前の彼女に差し出した。

「えっ、何ですかこれ?」

目をぱちぱちさせている桜。
もう少しそんな顔を見ていたかったが、
やはり喜ぶ顔の方が見たい。

開けてみて、と促す。

「…………あ、これ」
「その、貰いもんなんだけどな」
「………………先輩」

あ。
どうやらお気に召さなかった―――――

「凄いですっ!!」
「へっ?」

――――――なんて事はなかったみたいだ。

「綺麗………これ、貰っても良いんですか?」
「ああ、桜にあげようって決めてたから」

頬を掻きながら顔が真っ赤になっている事を自覚する。
そうしながら言った。

「先輩…………」

夕日が町を包む。
自身の掌の上で煌く飾り。
それを両手で胸に抱きしめ、


「ありがとうございます、大切にしますね」


――――――その笑顔は、夕日よりも輝いて見えた。



                ◆
  


「出る、絶対出るんだからっ!!」

まだ言ってる。
用事を終えて帰ってきた藤ねえは、
まだテレビ出演?の野望を捨て切れていないようで、
飯を口に掻っ込みながら叫び続けていた。

「やめとけって藤ねえ」

隣で桜も頷いている。

「何で? こんなチャンス二度と無いよ!?」
「はぁ。……あのなぁ、柳洞寺は今立ち入り禁止なんだから、
 どうせ何も出来ないって。行くだけ無駄だ」

しかし藤ねえは首を横に振ったまま、意地を張り続けている。

「いい加減にしろよ藤ねえ。部外者が勝手に出れる番組じゃないんだから」
「そうですよ先生、スタッフの方々の迷惑にもなりますし……」

なだめるように言い聞かせる桜と俺。
そんな態度に藤ねえもようやく、

「ぅう〜〜〜分かったわよぉ」

渋々頷いてくれた。
で、同時に差し出される4杯目のお代わり。
食べすぎ……ではないな、藤ねえの場合。

「でもさ、あの番組って視聴者の葉書で場所選ぶんだろ?
 テーマは何だよ、幽霊か? 人魂か? それとも………?」
「う〜〜ん、よく分かんないんだけど、確か予告では

 ”謎の発光物体出現!! 崩壊したお寺に一体何がっ!?”

  って言ってたような………」

謎の発光物体? 何だそりゃ。
内心呆れながらも、何故かそのフレーズが頭に残ったまま消えなかった。



「うむぅ〜〜!!」

家を出る時まで藤ねえの機嫌は傾いたままだった。
そして玄関をくぐる間際に、

「発光物体の馬鹿ぁ〜〜〜!!!」

なんて場違いな怒りを夜空にぶつけていた。
その虎の咆哮を見届けてから、桜の待つ居間に戻る。
洗い物も終わったのか、桜は湯飲みにお茶を入れていた。

で、隣に腰をおろしつつテレビのスイッチを入れた。

と。

ザザザアアアアァァアアア ザアー――――――

「…………んっ?」
「どうかしたんですか先輩?」
「いや、チャンネルを間違えたらしい」

適当にボタンを押して、他の番組へと画面を移行させた。

―――――――。

今一度全てのチャンネルを回してみるが、
ノイズの移っている局は何処にも無い。

(気のせいか……?)

首をかしげながら、桜の入れてくれたお茶に手を伸ばした。
まだ湯のみは温かい。

「どうする? そろそろ行ってみるか?」
「そうですね、もう番組も終わったみたいですし」

ずずずっとお茶を口に含み、暖かさの残る内に喉を通した。
うむ、まったり。
しかし、いまはそうもしていられない。

「でも、誰かいたらどうする?」

座布団から立ち上がりながら聞いてみた。
廊下に出る俺に向かって桜は、

「とりあえずは様子を見ることになってます。
 何かあった場合、私たちで処理できることは私たちで始末しないといけませ
ん」
「だな。 でも本当に聖杯の影響は無いのか?」
「絶対とは言えません。でも私に何の影響も現れていないことから、 
 聖杯が何らかの影響を及ぼしているとは考えにくいです」

なるほど、と頷く俺。
何故かいつもと桜のキャラが違うような気もするが、
それは置いておこう。

「それに―――」

と、何故か頬を薄紅く染める桜。

「んっ、どうした桜?」
「――――私に何かあったら、先輩が護ってくれますから」

あ………。
つられて頬を赤く染めてしまう。
照れてしまうが、それは本音だ。
誓っている。必ず護ると。
握り締めた拳に意識を乗せて。

「何かあればライダーも駆けつけてくれます。
 それに姉さんだって……」
「そうだな。まぁ、出来るだけそうならないように、努力しよう」

そう言って、二人で玄関をくぐった。



散歩のような足取りで、夜の闇を進む。
月は半分ほど欠けてはいるものの、充分にその光で道を照らしてくれていた。
風が吹く。
感覚には何の感触も無いが、風は吹き続ける。
闇の中でも影はその色を保ったまま、無限にその存在を広げていた。

「――――――」

何も話すことは無い。
言葉を交わさなくても、握った手の温もりはその何倍もの精度と量で、
大事なことを教えてくれている。

足音は二つ、しかしそのテンポもゆっくりと重なり、
闇夜に響いていた。

交差点にたどり着く。
昼間であれば何度も通ったことのある道。
しかし夜になったというだけで、その場所は全く異世界の道へと姿を帰る。

月の光は尚幻想的に。
黒の闇は常幻惑的に。

何かに導くように俺と桜をいざなっているように思えた。

しかし、その導きは決して悪いものではないような気がする。
魔力の発動は感じないし、自身の意思に反するわけでもない。

その意味を確かめるために、足は少しだけ、その速さをあげた。


――――――そうして、目的の寺へとたどり着く。


見上げるほどに長く続く石段。
しかし頂上付近には物陰は無く、あの時の戦いの激しさを思い出させた。
遠坂が桜と暴れた所為なのだが、今はそんなことはどうでもよかった。
こつっ、と何かが足に当たった。

「これは………」

予想通り、長く続く石段の麓には誰もいなかった。
誰もいなかったのだが………

「―――――マイク……ですね」

石段の一番下、道と石の境目にそれは落ちていた。
よくテレビのリポーターが持っている報道用のマイク。
何故こんなものがここに………?

「………何かあった、訳ではなさそうだけど?」
「そうですね、魔力の波動も感じませんし、ここで何かが行われた形跡もない
です」

あたりを確認してみるが、異常は全く感じられなかった。
無言のまま、二人で立ち尽くす。

「どうする?」

行ってみるか? と目線で聞いた。
行くのはもちろんあの洞窟の入り口。
奥の巨大な空間は陥没しているはずだが、入り口付近であれば近づくことぐら
いはできるはずだから。

「行ってみましょう、可能性は低いと思いますけど」

頷きだけで返し、石段から外れ、脇の茂みに入っていく。
ええと、確かこのあたりだと――――

「先輩、こっちです」

少し離れたところから桜の声がした。
こんなに暗いのによく分かるなとも思ったが、
まぁ桜には色々と因縁が深い場所、それも当然だろう。

細い小川を上流へと辿っていく。
流れる音さえ闇に吸い込まれていたが、今は恐怖も感じない。

「…………どうだ、桜?」
「いえ、もう少し奥に行ってみます」

その言葉を聞いて、更に足を進めていく。
すると、視界の端に、淡い光が映った。

「ここは………」

明るい。
碧の蛍光を放つ一面の壁、そして地面。
光苔の生える空間、闇に染まりし戦友を自らの手で失った場所。
何とかここまでは入り込む事が出来たが、そこから先は落盤で埋まっており、
先に進むのは難しく思えた。

「行き止まり……?」
「そうみたいですね……………っ!?」

急に桜の表情が険しくなる。
張り詰めた神経は薄明るい空間の中で、離れている俺にも伝わってきた。

「さ、桜!?」
「っ……これって………っっっ!??」

明るい。
緑の空間は更に光を増し、今が夜だということを忘れさせていく。
徐々に増えるその光………その中で桜が………んっ?
光の……中?

――――違う、この光は光苔のものじゃない。

じゃあ、これは………

「桜!?」

その光は桜自身から溢れ出していた。
際限なく溢れ続けるその光は、即座にその空間を埋め尽くし、感覚を支配して
いく。
しかし眩しいわけではなく、何か暖かいものに包まれているような。

見つめる先には一人の少女。
光に包まれるその姿に目を奪われ、思い出すはあの日あの場所の雪妖精。
次第に、徐々に、その姿が鮮明になっていく………。
そこには………

「――――――」

息を呑む俺と、


”………シロウ?”


白銀の雪髪……ルビーの瞳。

どうして………?

「――――――」

理解は出来ない。
しかし分かっている。
目の前にいるのが何なのか、そして誰なのか。

変わらない、その漏れ続ける光の中で、その少女はただ以前と同じ姿だった。

「――――イリ、ヤ?」

知っている、分かっているのに言葉が漏れた。
頭では分かっている、しかし理性が反論する、有り得ないと。
でも確かにいる、俺の目の前に、先ほどまで桜がいたはずの場所に彼女は、
あの時の姿のまま。

「――――――」
”――――――”

光が無言のまま、闇が消えたまま。
言葉を交わす事無く見詰め合う。
小さなその体に不釣合いなものを、幼いその心に多大な運命を背負っていた白
い少女。

「どう、して……」

それだけ、何とかそれだけを言い切る。
あたりを包む光、その中で白き少女は、

”―――――シロウ”


”まだ、私と会いたい?”


などと答えるまでも無いことを聞いてきた。
その問いに、上手く喉が動かない。


”ねぇ、また……私と、会いたい?”


「……た………だ!!」

光に埋もれながら言葉を吐く。


”え―――――?”


「だからっ、当たり前だって言ってるだろう!!」

あの時叶わなかった願い。
闇へと、虚無への扉を閉じるために身を賭した少女。
俺が救えなかった、家族。
零してしまった、尊い思い。

「当たり前だ……会いたくないわけなんて………ないだろう………?」

問い掛けるように、声を搾り出した。


”シ、ロウ―――――”


声が消えていく。
徐々に薄れていく光の中、彼女は泣いているように見えた。



                ◆



遠くで何かの力が消滅した。
普段は距離のある場所の感知などは出来ないが、
その力があまりにも強力で、なおかつ身近で感じたことのあるものなら、
魔術師であれはそれも可能だった。

「…………気づきましたか? リン」
「ええ、何かあったみたいだけど………っ、でも……」

わたしは急いで考えをまとめる。

ライダーの話の内容、
今感じた巨大な力の動き、
そして………

「…………これって、もしかして桜?」
「おそらく。 士郎もついているようですから心配は無いとは思いますが」
「わたしもいっしょに行くわ、ちょっと気になることもあるし」 

似た感じを前にも経験した事がある。
ゆったりと話をしている場合では無さそうだ。
今まで飲んでいた紅茶の入ったティーカップをテーブルに戻し、
目の前で立ち上がったライダーにつられるように、私も席を立った。

玄関で、準備をしながら話を続ける。

「どう思う? あなたのマスターに何か異常は?」
「いえ、これといって特には………しかし……」

そこで言葉を切るライダー。
表情は険しく。
いつかの戦いを思わせる。

「しかし? ……どうかしたのライダー?」
「先ほど感じたのは確かにサクラの魔力でした。でも今伝わってきているのは
………」
「あ、ちょっとライダー!?」

言い切るよりも先に、紫の長髪は風を切り、走り出していた。




                ◆



「ぅ………ん……」

腕の中に震えが伝わる。
抱きとめている腕に吐息がかかり、それが少しくすぐったい。

薄暗い中で影が僅かに動いた。

「気が付いたか?」
「え、ぁ――――先輩?」

桜の目が半分ほど開く。
うつろな双眼に映るのは淡い碧の光と俺の顔。
視界がぼやけているのか、
目を擦りながらゆっくりとこちらに顔を向ける桜。

光はとうに消え去り、その空間は淡い光が再び支配していた。

「どうして……わた、し……?」
「急に倒れたから驚いたぞ。 まぁ、まだ数分しか経ってないから」

気にするな。と。
ゆっくりと抱えていた体を起こしてやる。
春とはいえまだ夜の空気は冷たい。
あまりここに長居するわけにもいかないだろう。

「帰ろっか。 ここには何も無かったみたいだし。
 誰かが何かを見間違ったんだろう」
「………はい」

桜に真実を告げはしない。
それが真実だったかどうかも分からないし、話したところでどうなるものでも
ない。

彼女も薄々は感じているはずだ。
俺が嘘をついていること。
ここで何かが起こったこと。
自分自身に何かが起きていること。

僅かに表情を暗くして、桜と共に洞窟を後にした。




茂みを分けて、石段の麓まで戻ってくる。
―――――と。

「無事ですか、サクラ」
「えっ、あ? ライ、ダー?」

間抜けな声を出してしまい、つい足を止めてしまった。
後ろにいた桜が追いついて、隣に並ぶ。

「何かあったの?」
「いえ、無事ならばいいのですが――――」

と、視線を俺に向けるライダー。
無言でそれに頷き返し、答えた。

「一人なのか? 遠坂は?」
「リンですか? リンなら……………んっ?」

と、自分の来た方向に振り向きながら、
何かを探すように目を凝らすライダー。
続くのは闇。
ヒトの目では到底視認出来ない黒いカーテンの向こう、
響いてくる足音が一組。
それは、

「……はぁ……はあ……っ、もうっ!! 置いてかないでよライダー!」

もちろん遠坂のもの。
腰ほどにまで伸びた黒髪を振り乱し、息を切らせて走ってくる。

「……っぁ……は、はぁ……っで、二人は…………ぁ」

と、場違いな質問をしたことにやっと気づいたのか、
つまらなそうにこちらを見上げる遠坂。
それを改めてみると、魔術師と言うより魔女みたいだ。
………なぁんてことは死んでも言わないでおこう。

「………んっ? 士郎、今何かくだらないこと考えなかった?」
「いや、客観的事実を連想しただけだ、それでお前が気を悪くするのは知らん」
「むっ………言ってくれるじゃない。 まぁいいわ。で、何かあったの桜?」

と、俺の隣にたっている桜に視線を投げる魔女様。
それに桜が答えるより先に、

「とりあえず家に戻ろう。 ここで話すよりその方がいい」

遮るように、俺は答えていた。



                ◆  



「…………………………………で、一体何があったのよ?」

居間に入ってすぐ、遠坂の不機嫌オーラをまともにくらってしまった。
桜は先ほど倒れたこともあり、自分の部屋で寝かせてある。
そして、いつもの定位置に腰を降ろす。
遠坂は俺の向かいに、ライダーはテーブルの側面に座った。
茶でも入れようかとも思ったが、約一名青筋立てて睨んでくる奴がいるので、
さっきの話をすることにした、もちろんイリヤのことは伏せたままで。

「ふ〜〜ん、なるほどね………」

何か納得したように、腕を組みながら頷く遠坂。
で。

「何がなるほどなんだ?」
「ええと、だから……ブツブツ……ってことは………ぶつぶつ………」

即座に自分だけの世界に入り込んでしまった。
目の前で手を振ってみるが、もちろん効果なし。

「お〜〜ぃ………遠坂ぁ〜〜?」

出来るだけ小声で、出来る限り刺激しないように呼びかけてみる。
しかし、彼女の様子に変化は見えない。
ぶつぶつ、と何かを呟き続けたままだ。

「ぶつブツぶつブツ物々ぶつぶつブツブツ物物ぶつ仏……………」

――――――駄目だこりゃ。

もはや理解出来ない言葉を口走っている遠坂。

「――――――」
「………………」

となると当然、その場は沈黙になるわけで。
まぁ黙っているのもなんだし、ライダーと話してみる。

「そういえばライダー、どうして俺たち二人が柳洞寺にいるって分かったんだ?」
「簡単なことです。忘れたのですか士郎、聖杯戦争が終わったとはいえ、
 私と桜の契約は続いたままです。彼女に何か異常があれば私にも伝わってく
る」
 
あ、なるほど。そういえばそうだ。
あの戦いから時間が経っていたせいか、
彼女がサーヴァントだということを忘れていた。

「でも異常って………何を感じたんだ?」
「それは―――――」

口を開くライダー。しかしそれは、


「それは………私から説明します」


「「「っっ―――!?」」」

新たに響いた四人目の声で遮られた。

「さ、桜……大丈夫なのか?」
「はい、少し休んだら大分楽になりました」

そう言いながら俺の隣に腰を降ろす桜。
その表情からは読み取ることは出来ないが、
何かとても言いにくそうにしているのだけは分かる。

「で、桜。 何があったの?」

前置きもクソも無い。
短刀直入に遠坂は体を乗り出して、聞いた。

桜はとつとつと話し始める。
大体は、俺の話と符合し、その殆どは同じ内容、同じ印象を与えるものだった。
が。

「意識を失いかけた時、私―――――」

その言葉だけは、


「――――――イリヤちゃんに、会いました」


俺のものとは違っていた。


「さ、さく、ら……?」
「何言ってるのよ、もうあの子に会えるわけ無いでしょ?」

俺を含めた皆の視線が桜へと集まる。
まさかイリヤの事が話に出るとは思わなかった。
俺以外の二人はその意味が分からないから、
そして俺はそれが、桜がイリヤとあったことが本当かどうか知りたいから、
ただその答えを待つ。

「いえ、確かに会ったんです………その、何かを話したわけじゃないんです。
 けど、けど本当に、あの子は私の前に立ってました」
「――――――」

言葉が続かない。
それは遠坂もライダーも同じなのか、会話が途切れてしまった。
その沈黙に痺れを切らし、

「今日はここまでにしよう、時間も遅いしな。話の続きは明日、な?
 桜も、今日休んだ方がいい」

俺も疲れてるから、と最後に付け足して。
言い聞かせるように、俺は口走っていた。

心を射抜かれたような感覚。
それを振り払うように。

「……………まぁいいわ、詳しくは明日に聞くって事にする」

ライダーは無言のまま、遠坂も何か言いたそうにしていたが、渋々頷いてくれ
る。
桜はというと”少し一人で考えたい事があります”と言って、
一人で居間に残ることにするらしい。

出来れば傍についていたかったが、
一人にしてくれませんか? と桜にお願いされては、強制は無理。

何かあったら遠慮無く呼べよ、とだけ言い残して、
俺も居間を出た。


――――――時刻は日付が変わって一時間と少し。


今日は月も出ていないため、夜の闇は降りたまま、
蒼光も届かない海の中、影だけがすぅっと伸びていた。



                ◆



「………………」

一人になって思い返してみる。
あれは一体何だったのか、考えてみても答えはでない。

光の中、自分と向かい合うように佇んでいる少女の影。
自分と似た運命を辿り、自分と正反対の属性の聖杯となった少女。
銀に帯びる髪はただ美しく、命を賭した小さな体は、
最後に見たときのまま、その存在を示していた。

「でも、どうして………」

分からない。
あの子は自分で聖杯の門を閉じた。
暴走したアンリマユを抑えるため、先輩を助けるため、
第三魔法による魂の具現化を行い、そして消えた………否、消えたはず。

消えてはいない。
何故なら、確かにあの子の魔力は私の中に今も存在している。
感じる。
自身の鼓動と同じように、私があの子と繋がっているのを感じる。
体内に流れている血の巡りと同様とでもいうように。

「――――――」

そして、思うはもう一つ。
姉さんやライダー、そして先輩にまでついた嘘。

「……………あの時」

脳裏をよぎるは光の海そして―――――


”イ、イリヤちゃん………イリヤちゃんなの?”


目の前には、白銀の髪の少女。


”久しぶりねさくら。 ずいぶん大人っぽくなったじゃない”

”で、でもどうして……先輩は、あなたは消えたって……”


少しの間。


”そうね…………確かに私は消えたはずだった。でも、やっぱり私の器、
 つまり私の体で第三魔法を使うのには無理があったの………”

”えっ―――――?”

”不完全な状態での魔法の行使。私は魔法の威力をシロウだけにとどめる事が
出来なかった”


光の中、イリヤは続ける。


”威力を抑え切れなかった魔法の効果は自分に跳ね返る。
 聖杯の門を閉じるため消え去りかけていた私の魂も具現化されて、体から離
れてしまった”

”じゃあ、あなたは………”

”そう、今は魂の状態ってわけ。しかも聖杯の門を閉じる時に魔法を使ったか
ら、
 魂は聖杯と繋がったままだし”

”だから私と………”

”そう、曲がりなりにもさくらも聖杯なんだから、
 私と意識を共有するのも当然なの”


それに沈黙を持って返す。


”さっきね、シロウと少しだけ話したの”

”え、先輩と?”


うん、と笑顔で頷くイリヤ。


”まだ私に会いたい? って聞いたら怒られちゃった。
 当たり前だろ!! って”

”先輩ならそう言うでしょうね”

”でも、どうすればいいのかな………?”

”えっ?”


思わず聞き返していた。


”私もシロウの傍にはいたいよ……でも、でも………………”

”イリヤ、ちゃん………?”


途切れ途切れの言葉はやがて、光の海に飲み込まれるように、
聞こえなくなってしまった。



――――――何を言おうとしていたのか。

分かっているような気もするし、
もしかしたら何も分かっていないのかもしれない。

どうすればいいのか、誰かに相談するべきなのだろうか。
先輩? 姉さん? ライダー?
…………………いや、やめておこう。

そっと立ち上がる音。
長い髪が闇夜に再び溶けていくまで、そう時間は掛からなかった。



                ◆



「………………」

眠れない。
先ほどはああ言ったものの、体は眠気を拒否している。
目を閉じていても、あの光が意識を呼び戻してしまう。

”まだ……私と会いたい?”

「だから………当たり前だって、言ってるだろう………」

天井を見上げながらの声は、闇に飲み込まれることもなく自身に響く。
問い掛けるように、呼びかけるように、小さな少女を思い浮かべる。

それで、眠気は消えてしまった。
と。

「――――――っ?」

襖の向こうに、微かな気配を感じた。
僅かに体を起こし、最低限の警戒をする。

「誰かいるのか……?」

別に敵意は感じない。

「あ。起こしちゃった、士郎?」
「っ、遠坂か。 いいぞ入っても」

じゃ、と静かに呟いて、遠坂が部屋に入ってきた。
立ち上がろうとしたが、

「あ、そのままでいいから。明かりも点けなくていい」

だそうだ。
普段ならこの時間にこんな状況は有り得ない。
しかし、遠坂の声にはかなりの真剣みが混じっていたので、
とりあえず話を聞いてみる。

「どうかしたのか? 珍しいな、お前がこんな時間に俺の所に来るなんて」
「まあね。実は………桜がさっき家を出たわ」
「なにっ?」

条件反射のように布団から飛び起きた。
冷静に物事を考えられなくなっている。
血圧は既に沸点。
何か表現が間違っているような気もするがそんなことは関係ない。

「外に飛び出したのは数分前みたい。今はライダーが後を追ってくれてる」 
「ど、どういうことだ遠坂!? 桜が家を出たって」 
「ちょっ、知らないわよ! でもあんまりいい予感はしない…………で、
 どうする……って、決まってるか」

こくん、と無言で頷き、夜の道へと走り出した。
あ、もちろんちゃんと鍵はかけて。



「桜………どうして……」

やはりあそこで起こった事が原因なのだろう、
ならば、自ずと彼女が向かう所は限定されていく。

「はっ、はっ、はっ―――――!!」

乱れる呼吸もお構い無しに闇夜を、先ほど一度通った道をもう一度辿る。
しかし今回は全速力で、足がちぎれるかと思えるほど、その回転は速く、
風を切る音さえ聞こえない。
聞こえないのだが、

「ちょっと待ちなさいって士郎!!」

何故か後ろについて来る奴の声だけは聞こえていたりする。
ストライドを緩め、彼女に合わせるため立ち止まる。

「あ、悪い、つい」
「あ、つい……じゃないわよ!! ったく、桜の事が心配なのは分かるけど、
 アンタまで焦ってどうするのよ!?」

自分が遅いのを棚に上げて………とは流石に言えない。
俺だけでは正直どうしていいか分からないし、ライダーが後を追っているはず
だ。
それならそう心配することもないだろう。

少し遅れて追いついてきた遠坂を待って、
今度は少しペースを落として柳洞寺跡へと、俺たちは再び向かい始めた。



                ◆                



かつん、とどこかで小石のぶつかる音がした。
視界は闇、手探りでゆっくりと前へと進んでいく。

ごつごつとした細い洞を抜け、眼が闇に慣れてくるのが分かる。
それと同じくして、徐々に視界に明るさが戻って来た。

光を放つ苔。
その様は何度訪れようとも変わることはない。
おそらく自分達以外にここに来るものがいないからだろう。

「――――――」

淡い光の中、自身に語りかけるように呟いた。

「ここなら………」

もう一度………と、静かに意識を澄ませる。
濁った水をろ過するように、くすんだ空に光が戻っていく。
目はもう閉じている。

自身の生み出している光に埋没していく。
閉じた瞼の外は熱く、その目を開け開けと急かすようだ。


”さくら……?”


その声に、ゆっくりと目を開いた。



                ◆



「何っ!? 桜がイリヤと繋がってる!?」
「おそらくね。桜と聖杯、つまりイリヤとの間にはまだ関係が残っている。
 それにライダーが私にしてきた話から考えても、あの大聖杯跡はまだ機能し
ているみたい」

夜の道を走りながら話を続ける。
既に闇夜に目は慣れきってしまい、足元から前方までよく見える。

「大聖杯………でもどうして……あの時イリヤは確かに門を閉めたはずだ」
「そう、確かにイリヤは門を閉めた、自分を犠牲にしてね。
 そしてその時、あなたを蘇生させるために第三魔法を使った。
 でも、イリヤの体で第三魔法を使うのには無理があったの」

えっ、と隣を走る遠坂に視線を向けた。
それに答えるように、

「自身で制御し切れなかった魔法は自分にも跳ね返ってくるわ。
 彼女の体では、士郎だけに魔法の効力をとどめる事が出来なかった」
「え、じゃ、じゃあ……イリヤは………」
「魂のままで、聖杯の中に………いえ、殆ど聖杯、アンリマユそのものとなっ
て、
 桜と今繋がってるのよ」
「――――――」

走りながら、自分が息を呑むのが聞こえた。
無言で足を進める俺に遠坂は、

「桜が光ったって言ってたわね、それはおそらく桜と繋がってるイリヤの魂が
 呼応したのよ。このままだと桜が危ない」
「え、危ないって……どうして!?」
「分からない? 桜の体はただでさえ膨大な魔力が溢れてるの。
 それをアンタに分け与えてることで、今は何とかやってこれた。
 そんな状態なのに、イリヤの魂まで繋がってる………」
「ってことは……まさか」 

そう、と認めるように一呼吸置いて、


「―――――いくら桜でも、許容しきれなくなって、破裂するわ」


その言葉に返答は出来なかった。
嫌な予感がする。
その黒い靄を自分では振り切る事が出来ない。
ただ振り払うために、俺は闇夜を駆けた。



                ◆



「そんな………!?」

その光景を目にしたとき、彼女は言葉を失った。
神話の時代、数々の奇跡・神秘、そして神の御業を目にしてきた彼女にとって、
現代の出来事などそのどれをとっても、
彼女の時代に切迫するものは今までなかった。

しかし――――――

「これが……サクラ……?」

――――――今目の前で起きている事は、神話の時代にさえ見た事がない。

視界は殆どが光に覆われている。
しかし、その中で彼女だけが鮮明に輪郭を保っていた。

通常では信じられないほどの魔力の量。
リンに相談したのも、サクラの様子がおかしかったから。
表面上は分からない、いや、彼女自身でさえ、自身に異常が起きていることは
知るまい。
安定しているとはいえ、聖杯と繋がっているのだ。
僅かな異常でも見過ごすわけにはいかない。

この身はサーヴァント。マスターに異常があらば、
魔力のラインで繋がっている以上、それが伝わるのは必然。

確かにサクラの魔力は膨大なものだ。
聖杯であることに変わりない体、それによって生まれるアンリマユとの繋がり。
だが、例えそうだとしても、この数日の彼女の魔力量は異常だ。
おそらくは、

「バーサーカーのマスター、
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン………」

彼女の力がサクラに流れているからだ。


――――――このままでは持たない。


彼女の直感がそう告げていた。
いくら聖杯とはいえ、許容量を超える魔力を注がれれば溢れ出してしまう。
つまりそれは……………

「くっ…………!!」

………………彼女の消滅を意味していた。


口惜しさに歯を鳴らす。
しかし分からない。
どうすればいい、一体どうすれば彼女を、自身のマスターを救う事が出来る?
その思考は、


「「ライダーっ!!」」


重なった二つの声にかき消された。


(To Be Continued....)