風が、意識を今へと呼び戻す。

どれほどの間こうしていたのか………日は既に高く昇り、柔らかく山間のここを照らしている。
舞い降りた光は地に命を与え、その場一帯に咲き誇る花達を輝かせていた。

過去に、あんな惨劇が行われた場所とは、到底思えない。

しかし、事実は消えない。
過去は消せない。

今でも鮮明に思い出せる………あの瞬間の、あの子の瞳。

「……………………わかってる」

誰に言ったのか。
その答えは風も知らない。

静かに腰を下ろし、雲を見上げた。

流れに逆らうことなく、止まっているかのようにゆっくりと流れていく。
いや、あれで雲も抗っているのかもしれない。
自身の進みたい方向へと進むために。

また、風が吹く。
少しだけ、雲脚が早まった気がした。

背を倒し、そっと目を閉じ―――――――



「見つけたっ!!」



―――――――――――――すぐに見開いた。



「――――――――っ!?」
「ようやく見つけたわ……まさかとは思ったけど、本当にこことはね」

聞きなれた声。
聞き間違うはずなど無い声。

目を開いたそこには、

「何とか言ったらどうなのよ?」

もうブチ切れる寸前なのであろう彼女の姿。
怒っているのは彼女で、怒らせているのが俺。
今まで何度も目にしてきたこんな風景。

それが、何とも懐かしくて。
思わず、

「……………何笑ってるのよ」

何やら”ビキッ”と聞こえたような気もするが、気のせいだろう。

「……いや、こうやって話すのも、久しぶりだと思っただけだ」
「っ………でしょうね。ずっと違う所にいたわけだし」

思い出すように言いながら、彼女がゆっくりと隣に座る。
ふわっとしたその仕草に、昔の感情が少しだけ甦ったような気がした。

「もう、また急にいなくなったりして………」

非難しているようで、やっぱり心配している様子を覗かせる。

「協会からは捜索の命令が出るし……まぁ、別に良かったけど」
「…………………」

静かに、彼女と同じ風景を眺める。
風はやさしく。
言葉さえいらぬとでも言うように。
時の流れを遅くする。

と、不意に彼女が口を開いた。

「協会の決定が出たわ……」
「っ――――――そうか」

大体予測はついていた。
彼女が俺の前に現れた理由。
彼女が俺を探していた理由。

自分の中ではもう一つの考えのほうが大きかったのだが、さすがにそこまでは甘くない。

おそらく、俺は処分を言い渡される。
彼女はその伝言役。
まあ、一番の適任者であることは間違い無いし、俺も彼女に言っておくことがある。
その前に、俺は彼女の言葉に、

「…………でも、忘れちゃった」

耳を疑った。

「…………………は?」
「確かに処分は下ったんだけど、忘れちゃったのよ」
「………冗談は止せ」

笑みを浮かべたまま、彼女に続きを促す。
しかし、

「忘れたって言ってるでしょ? 私は忘れたの。だから、あんたに伝える言葉は何も無いわ」
「なっ、何を訳の分からない事を………」
「簡単なことでしょ? そんなの言わなくても分かると思うけど」
「でも、それでは………」

いいのよ、と。
彼女はそれ以上、その事について何かを話そうとはしない。

その表情は俯き気味で、瞳は何かを背負ったまま、己の意を。
心の奥に仕舞い込んで、鍵の無い牢獄の中で、ゆっくりと朽ちさせていく。

「…………………」

それが、逆に俺に彼女の隠していることを教えてくれた。

「なるほど……やはり再執行、か」
「ぇ!?どうしてそれ…………………っ」

しまった、という表情で、そのまま顔を伏せる。
やはり変わっていない。
こういった場面での凡ミスは、もはや彼女の代名詞と言うべきものだろう。

無言のまま、風音を耳に聞く。

揺れる風景の中、

「………………行かせない」
「………………」

彼女の言葉に、俺は頷くことも出来ない。
もし頷けば、それは嘘の上塗り。
俺は、やはりこの時に居るべきではない。
その思いが、彼女の隣、俺の居場所を消していく。

立ち上がる。

「行かせないって、言ってるでしょ……!」

だが、歩き出すことは出来ない。
かろうじて留めている。
俺の歩みを、彼女の言葉が。

「……………俺は」

背中を向けて、もう一度彼女の横に腰を下ろす。

「もう生きる意味を失った………。あの時切嗣に救われて、正義の味方になる事を目標にして………」

目を閉じて、緩やかに息を吐く。

「それが目標だった。それが俺の生きる理由だった。それが……その理想が……折れちまったんだよ………」

そう、もう砕けてしまったのだ。
もう、跡形も無く。
何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も。

それを貫き通すために歩いてきた。

でも、いつも最後に待っていたのは。
答えなど存在しない選択肢のみ。

「………俺には、もう………」
「行かせない………」

首を振る。
もう決めた。
もう、俺には………。

全てを振り切って、終焉へと向かうために立ち上がる。
しかし、確かに立ち上がったはずの体は………


「行かせないっ。絶対に、行かせないんだからっ!!」


………彼女の声に、再びその動きを封じられていた。

動けない。
背中から聞こえるのは彼女の声。

今まで聴いた事も無いような悲しげな響き。

そうか。
俺は、彼女にこんな声を出させてしまうほどに。

馬鹿な事を――――――。

「どうして? どうしてあんたはいつもいつも!! いつもいつも勝手に一人で背負い込むのよ!?」
「…………………」
「なんでよ……なんでなのよ……私じゃ駄目なの? 私じゃあ……あんたの隣には、いられないの?」

もう一度首を振る。
否定か肯定か。
自分でも分からない。
ただ、彼女のこんな声をもう聞きたくない、それだけのために、空気を打ち切った。

「違う………それは、絶対に違う………」
「じゃあ、どうして…………」

背中に僅かな重み。
同時に伝わる震え。
むせび泣く小さな声も、今はただ痛かった。

「俺は……もう存在しちゃいけないんだよ。人を救うために人を殺す? はっ、正義の味方が聞いて呆れる……だから、だから………」

それ以上は、うまく言葉が続かない………。
溢れる涙は誰の物か。
震えていたのはどちらだったか。

「こんな奴は………」

自身の理想が、自身によって否定される。

それが、

切嗣や……あいつを………そして自分を………………全てを。

「居ちゃいけないんだよ………」

否定してしまったように聞こえて。

「………………………バカ」
「そう、だな……」

背中に力を感じる。

「あんたがもしこのまま死を選ぶって言うなら、私もいっしょに逝くわ」
「………………っ!? 何!?」

思わず振り向いてしまった。

「なっ、何を考えている!? 何故そんなことを………」
「もう、一人は………嫌だから」


誰かに置いていかれるのは―――――――――


もう、嫌だから。と。
彼女は顔を伏せたまま。
そう、静かに体を震わせていた。

「ぁ………………ぁ…………」
「―――――――――っ!」

どうしてだろうか。
そのとき俺は、また真っ直ぐ伸びていた道から外れて、違う道へと入り込んだ。

どうしてだろうか。
自然に。
そんな彼女を放って置けなかったのか。
単純に。
その場に俺しか居なかったからだろうか。

いや。

「だから………もう、置いて……いかないで………」
「――――――――っ」

そんな事は関係ない。
ただ。
彼女が居ることが当たり前だった頃。
その頃の俺に戻っただけ。

理想よりも、未来よりも。
ただ愛する者の笑顔を見ていたい。

夢よりも、願いよりも。
ただ今を、現在を、彼女と共にいたい。

そう思っただけ。

腕の中から聞こえる声。
細く、柔らかい体。
そう。
俺はいつも自分が一人だと思っていた。
少なくとも、彼女と別れてからは、ずっと。

しかし、それは彼女にとっても言える事。
彼女が俺の隣に居ないということは、俺が彼女の隣に居ないということ。

それは……両者にとっての孤独。

俺は……やっぱり。

「馬鹿だったのか………」
「いい? これだけは覚えて置きなさい……あんたが他人を放って置けないように、あんたを放って置けない奴もいるのよ………」
「………………ああ、どうやらそうらしい」

少しだけ、腕に力をこめた。
返ってくる感触も、また強くなる。

「………言ってたじゃない、誰かを助けたいって気持ちは、絶対に間違いじゃないって……」
「…………………」

包まれている。
優しく。
暖かく。

「私は………一緒にいたいの、助けたいのよ………この気持ちは、絶対に間違いじゃないんだから……だから……」
「ああ……分かってる」

一呼吸置いて。

「…………ったく、今のままでも脱獄犯だっていうのに………これじゃあ賞金首にでもなってしまうかもしれない」
「いいでしょ別に。今の私とあんたなら、魔法使いでもやってこない限り負けないわ」
「ふっ、どこか論点がずれているような気もするが?」
「いいのよ。あんたは私の使い魔みたいなもんなんだから、いちいち反論しないの」

その言葉に、思わず吹き出してしまった。

「何よ?」
「いや、元に戻ったなって」
「ふ、ふんっ戻るも何も、私はいつもの私よ」

ああ、そのようだ。
これなら、もう少し、もう少しだけ。
この時に居るのもいいかもしれない。

だが、俺は許せない。
自分を。
自身の理想を砕いた自分自身を。

「俺は……」
「あのね、何考え込んでるかは知らないけど。あんたの道はまだ続いてるのよ? 理想が折れたなんて言ってる暇はないの。あんたがそんなんじゃ、貫けるものも貫き切れなくなるでしょうが………あいつに、笑われるわよ………?」
「―――――――――」

目を閉じて、思い返す。
今でも、あの響きは胸に残っている。

自分と交えた刃。
背中を押してくれたもう一人の自分。
ああ………そうだな。

彼女の隣で。
彼女と共に、同じ時を刻むのも。
それも………いいか。

だって………


「まだ何も……終わってなんかないんだからな」
「そうよ。何当たり前の事言ってるのよ」
「ああ、そうだな……」


だが、その前に。

「では一つ聞いておきたい事がある」

腕を解き、彼女と正対する。

「……何よ、急に改まって」

「君は、私のマスター、ということでいいのかな?」

少し冗談も交えて、そう聞いた。
それが、案外効果的だったようで。

「っっ!?………はっ、そ、そうよっ! あんたは私の使い魔なんだからぁっ!!」

彼女は顔を赤くして、こちらを睨んでいる。
ははは、よしよし。
ここまでは冗談が半分。
でも、

「ではマスター。君の事は何と? 私は君をどう呼べばいい?」
「――――――――っ!?」

ここからは冗談は無し。
新たな一歩目を踏み出すための、最初の地点。
この問いは、絶対に外せなかった。

「…………り、………」
「?」

彼女は一瞬何かを言いかけて、そのまま首を横に大きく振った。

「私は遠坂凛。今まで通り呼んで頂戴」
「了解した。じゃあ…………」

彼女と視線を合わせ、立ち上がる。
先ほどまでは全く動かなかった足が、今はスムーズに動く。



「いこうか、遠坂?」
「――――――っっっ!!!」



また赤くなる遠坂の顔。
?? 俺何かしたか?

「どうした、顔が赤いぞ?」
「なっ、何でもないわよっ!!」

ぷんっ、とほほを膨らませながら怒る顔は、何とも微笑ましい。

「ほらっ、さっさと来ないと置いていくわよっ!!」
「ああ……分かってる」

そう遠坂に告げて、ゆっくりと花が咲き誇る草原を振り返る。

「じゃあ、もう行くよ」

最後の分かれではない。
また、会いにくるから。

その時はきっと、ちゃんと君の笑顔が見えるように。
ちゃんと俺の道を歩んでいられるように。

そう誓いを残して。
草原に背を向けた。

「ほら士郎っ! 早く来なさいよっ」
「……………………」

無言で、先を行く遠坂の姿を見る。
ああ、きっと大丈夫。
彼女が居るなら、俺はもう迷わないだろう。
いや、迷うことがあっても、きっと助けてくれる。
逆に彼女が迷っても、俺が助けてみせる。

大丈夫。
きっと大丈夫。


……………………そう、







「君が、いるなら………………きっと」







遠い空。

光に煌く蒼空は、いつかの朝焼けを思い出させた。





「もう、遅いわよっ士郎っ!!」
「ああ………すぐ行くっ!!」









                               <fin>










〜〜あとがき〜〜


のへ〜〜。
一応書き上げては見たものの。
何だかまた微妙な仕上がりで。

リベンジ作品ということでしたので、あえて「終焉の丘」と同じような路線でいきました。

あれよりは、まだ情景は分かりやすいかと思います。

ふむ、こんどはもっとほのぼの&えろ〜〜んで行こうっと。

ここまで読んでいただけて、ありがとうございました。

末丸。

では、また修行の放浪へと。