狂おしい夜
                            Written by Kidsuki






「静かね………」

 どこか投げやりな視線を宙に向けて,秋葉様がぽつりと呟く。

「………そうですね」

 空になった秋葉様のグラスに新しいお酒を注ぎつつ、私は返事を返す。
 …そのグラスが満たされるやいなや,秋葉様はそれを一気にあおった。

「まったく……。大体,兄さんもわかりやす過ぎるのよ。あんなににやけた顔
して,乾さんと旅行? 今日びの小学生の方がよほどマシな嘘をつくわよ」 
「ごもっともです」

 なおも続く愚痴に,私は当り障りのない相槌を打った。

 秋葉様の立腹も良くわかる。
 今朝,志貴様は前々からおっしゃっていた‘旅行’に出かけてしまった。
 志貴様曰く『御友人と泊まりで出かけてくる』だそうですが……。秋葉様と
私に本当の目的が看破されないとでも思っていたのでしょうか?
 十中八九,あの人の所です。以前この屋敷を出た,私の双子の姉。

「兄さん……今ごろ琥珀と何やってるのかしら」
 いつのまにか手杓子で注いだ,姉と同じ名の色をした液体によって満たされ
たグラスを、宙に掲げながら秋葉様が呟く。

「…………色々と,積もる話もあるでしょうから……」

 ―自分でも珍しいと自覚しながら―苦笑して言う。しかし,秋葉様は不機嫌
そうに鼻を鳴らして,手の中の液体を喉に滑りこませた。

「はっ。どうせ,兄さんの事です。今ごろ琥珀と‘しっぽり’とやってるんで
しょうね」
「…………それは,私の口から言うのははばかられます」

 顔に血が集まるのが自覚できた。一瞬その光景を想像してしまい,頭を振っ
てその考えを振り払う。

「いいわよ,別に。今朝も言っていたでしょう? 今夜はせいぜい兄さんの悪
口で盛り上がろうって。本人公認なんですから,翡翠も言いたい事を言えば良
いのよ」

 あっさりと言って,ふと秋葉様は何かに気付いたような顔をする。
「………何か?」
「翡翠………お酒が入ってないわね」

 刺すような視線をこちらに向けたままぼそりと言って,秋葉様はまだ何も使
われていないグラスを私の前にずいっと押しやって,近くにあった氷をガラガ
ラと入れた。
 私が口を挟む前に,近くにあったウィスキーをそれに入れ、手早くストレー
トを作ってしまう。

「翡翠………飲みなさい」

 言って,秋葉様はそれを私に押し付ける。

「……秋葉様………」
「飲みなさい」

 先程から秋葉様の隣に控えていたのを見る限り,秋葉様は先程からかなりの
量のアルコールをお召しになっていた筈。しかし,顔は若干赤くなっているも
のの酔いをまったく感じさせない強い口調で私にグラスを押し付ける。

「しかし……私は………」
「飲みなさい」
「………………………………」

 どうやら観念するしかないようだ。軽く嘆息して,私はグラスを手に取った。
 冷たい感触。からんと言う小気味良い音を立てて氷が揺れる。
 暫くじっと琥珀色の水面を見つめて,私はそのふちに静かに口を付けた。
 あまり馴染みのない喉を灼くような感触と共に,ゆっくりと熱くて冷たい液
体が喉を下りて行く。
 美味しい……のだろうか? いまいちお酒を飲みなれない私には味など良く
わからない。でも,飲んだ後に気持ち良くなれるなら,それは美味しいという
事なんだと,そう思う。
 二口目,三口目と口をつけるうち,すっかりグラスの中は空になった。
 グラスをテーブルの上に戻す,と,間髪入れずに再びそれは満たされた。
 見ると,そちらにはこちらを見つめる秋葉様。
 …………どうやら,覚悟を決めなければいけない様だ。
 嘆息しながら,私は再びグラスを手に取った。
 と、
 私の背に,重みが加わる。軽くて,柔らかな感触。
 一瞬,我を忘れる。
 気がついたときには。
 秋葉様が,私にしなだれかかっていた。
 そのまま、すっとまるでこれが当然の行為であるかのように,秋葉様は服の
上から私の胸に手を添えて、

「あ,秋葉様?」
「やっぱり服の上からだと良くわからないわね。……そのメイド服が厚いって
言うのもあるんでしょうけど」

 独り言のように呟いて,ゆっくりと手を動かし始めた。

「……あ…秋葉様っ!」

 非難するように幾分強い声を出して身動ぎする。が,そんな私の声など馬耳
東風とばかりに聞き流しその手を緩めようともせず,秋葉様は手を動かす。
 初めはただ触れるだけ。さすると言った程度だった手の動きが段々強くなる。
指先に力がこもり始め,そして私の体脂肪を軽くつまむような動きになって
ゆく。
 服に包まれていても,その刺激は私の体に十分届いていた。
 今まで感じた事の無い感覚に,頭が,朦朧と,する。

「…………くっ……あっ」

 その蕩けるような感覚に,自然と声が漏れた。

「なに? 翡翠,もしかして感じてるの? 服の上から胸を触られて?」

 昏い愉悦をたたえた声で、秋葉様が呟く。

「………っ! …そ…そんな事……ありま……せん…」

 お酒と胸からの快楽にぼんやりとしていた理性が,その一言で瞬時に蘇る。

「秋葉,様。一体…なぜ,こんな事を………?」

 息を荒くしながらも,なんとか声を絞り出す。その問いに,秋葉様は何処か
遠くを見るような口調になって,答えた。

「なんて言えば良いのか,自分でも良くわからないんだけどね。……私,最近
凄く‘渇き’を感じるの」
「かわ……き?」
「そう。衝動……って程じゃないわ。完全に自分でも自制がきくし,食欲や睡
眠欲なんてものほど切羽詰ってもいない。ただ,満たされない願望、希望みた
いなものが悶々としている状態」

 だから,理性を失ったりは絶対にしないわ,と妙に自信のある声で秋葉様は断言する。

「だ……だったら…!」
「貴方のいいたい事はわかるわ,翡翠。だったらなぜ,こんな事をするのか,
でしょう?」

 秋葉様は私の言葉を遮った後,くす,と小さく笑う。

「確かに,私は遠野の血も,この欲望も完全にコントロールできる。……でも
ね翡翠。だからって絶対にその欲望を我慢しなくちゃいけないって事は……無
いでしょう?」

 まるで秘密を独占している子供のような,自慢げで,無邪気な顔。

「本当は兄さんが良かったんだけどね。琥珀があっさり攫って言っちゃったし。
だから,その事はきっぱりと諦めた。兄さんの代わりなんて何処にもいな
かったから,その乾きも兄さんの二番になる事で我慢しようと思った。……け
ど我慢って言うのは、感情を不自然に抑圧しているって言う事でしょう?  
そうなると,どうしても欲求不満になってしまう。今の私みたいにね。だから
お酒でも飲んで憂さ晴らしをしようと思ってたんだけど……逆効果だったみた
い。私,どうしても欲しくなっちゃったの」

 その顔を悦びに染めて,秋葉様は言う。




「翡翠って言う,可愛い人形が」

(To Be Continued....)