わたしは口の中にまたひとつチョコをほおる。
 薫るココアとチョコの風味。
 とろりととけて口の中が甘く、ただひたすら甘く粘つく。
 どろりと溶けた甘みがわたしの官能をくすぐった。





それで充分です





 ――なぜ、買ってしまったのだろうか。

 それが、わたし、シオン・エルトナム・アトラシアが当初感じた齟齬である。
 理路整然として論理だった観測による、ほとんど予言といってもいいほどの確立での予測によって行動する錬金術師であるのに、わたしは不可解な衝動にかられた行動をとってしまった。
 そもそも街へ出かけたのは、唯一の趣味といっていい『服』をショッピングしにきたことが発端である。

 秋葉の好意により、屋敷に逗留させていただくこととなったわたしは、久方ぶりにファッションを楽しむことができるようになった。わたしは自分の服装がとても気に入っているのだが、琥珀は、少々派手ですね、といい、志貴もそれにたいして控えめに同意したので、どうやらこの日本のこの街で着るにしては、いささか目立つらしい。
 そもそもファッションというのは周囲へのアピールであり、この服装がわたしらしくとても気にいっているのだが。たしかに毎日同じような服というのは、わたしとしても、またファッションとしても好ましくない。
 そこで、わたしはショッピングにきたわけである。

 秋葉の屋敷とても広く、個室にはきちんと備え付けのワードローブがあり、たくさんの衣服がかけられるのは、とても気に入った。
 そしてもっとも重要なことだが、たくさんの靴が収納できるのである。今までのアトラスにおいては実験や研究が第一義であり、そのような事柄に対して関心は払われることもなく、またわたしの服装も控えめにいってだが好意の視線も、敵意の視線もなく、ただ無関心であったことをつけくわえておく。ただエルトナムの血をひく者として見られるだけであった。

 その点、ここにきてファッションを楽しむことができるのは、とても有意義である。ここは自己満足に等しかった事柄が他人からの賞賛や好意の視線といったものによってさらに楽しませてくれるのだ。
 そう。わたしは心浮かれていたといっていい。
 このような趣味に属する事柄で浮かれる、心ときめかすというのは、錬金術師としては失格だとは思う。それでもこの街に来ることが、住むことが出来てとてもよかったと考えていた。

 なんだかんだいって、服と靴には100万単位のお金を消費した。ここで過ごすのならば、まぁ当然だろう。それにそれに支払った代価に等しいものを手に入れたのだから。
 今日の晩餐には何を着ようかとさえ思う。そういえばわたしが少し着こなしを変えてみたら志貴が珍しく気づいて指摘し評価してくれたのを覚えている。異性からの評価、賞賛の声というのものはくすぐったいものだ。ただそれを共に聞いた秋葉は、なぜか次の日からいろんな服をきて晩餐に望むようになった。でもそのことには志貴は何もいっていなく、ただ秋葉が可哀想に思ったことを覚えている。あれほどきちんと見せているのに志貴はいったい……まったく鈍感というべきか。
 でも、とても志貴らしいな、と心の中で考えていた。

 ともかく、最近の流行についてエーテライトによって情報収集し、わたしなりの着こなし、シオン流というべきか、ただ流行をおいかけるのではなく、わたしの個性を主張する着こなしをいかにしてやるのか考えていると、ひとつ変わった情報がはいってきた。

 ヴァレンタイン・デー。

 アトラスにはなかったのだが、どうやら日本において、2月14日はなんらかの意味があるらしい。その日においては女性から好意をもつ男性へとチョコをおくる行事がある。
 なぜかそれが特別な行為らしく、エーテライトで確認すると、どうやら、しなくてはならない、らしい。
 義理チョコ、会社への上司、つき合いで知っている周囲の男性全員に、など、あげなければならない事柄らしく、チョコをたとえ義理であったとしてもひとつももらえないようであれば、男性として面目がつぶれるとのことだ。
 親しき男性というところに、わたしはつい――志貴の顔を思い浮かべてしまった。
 なぜか紅潮する。
 どうやらこの手の事柄に対して知識はあるが実践がともわないエルトナムの者としての常らしい。わたしはこの点をどうにかしたいと思っていた。
 ああ、だからなのだろう。
 わたしがファッションに費やしたお金の500分1程度の費用を支払って、チョコレートを仕入れてしまったのは。
 志貴の顔を思い浮かべたら、つい安いものなどではなく、高価なものをと考えてしまっていた。
 どうやらわたしにとって、志貴に対しては法則なんてない。計算なんて通用しないらしい。
 そう思うと、不愉快になる。
 錬金術師として、不理解で、不合理極まりない。
 志貴の顔をこんな時に思い浮かべてしまって、胸が苦しくなるのは交感神経の作用によって心臓への血流が増加し、負担がかかっているだけ。解剖学的にはそれだけだというのに――それだけではすまないものを感じてしまっている。
 頭にくる。
 あのにやけた、黒縁眼鏡のおっとりとした男性に対して、わたしが好意に少し抱いていることを。
 志貴に対して感じる不条理が、いわゆる“憧れ”に似たなにかというヤツなのだと。
 頭にくる。たかだか一個体の異性に対してこうまでして感情が制御できず、また不理解で不合理になるということに対して。
 あんな出鱈目な行動論理をもつ男性に、こうまで心動かされるとは。
 まぁだけど――そのことが、少しだけ誇らしいと思う。
 志貴の出鱈目さに笑ってつきあえるわたしは、錬金術師としては失格なのかもしれないけど、一人の女性としては、とても誇らしいと思っている。

 そんな出鱈目な理不尽さに引っかき回されたのか、わたしはこうしてチョコを買ってしまった。しかもそこそこ値のはる立派なものを。

 ――――ああ。

 ようやくわたしは今朝の屋敷で、秋葉も翡翠もそわそわしている理由に思い当たった。彼女たちもまた志貴にチョコレートをプレゼントするつもりだったのだと。
 たしぶん真祖の姫君のご寵愛を受けているから、真祖の姫君も渡すだろうし、代行者もどうやら志貴に対してはなんらかの感情を抱いているらしい。

 わたしはひとつため息をついた。
 どうやらライバルは多いらしい。
 それよりも、秋葉のことを考えてしまう。
 同朋である秋葉。
 一目見たときから、わたしと秋葉は大の仲良しになった。日本語では親友というらしい。シンユウという言葉の響きはとてもよくて、気に入っている。
 その秋葉が志貴にチョコを渡すということは、秋葉はどうやら志貴のことが好きらしい。兄妹ではなく、異性として。
 まぁ秋葉にもいっていないが、エーテライトで調べた結果、秋葉の本当の兄は四季といい、志貴とは戸籍上兄妹であるが、血のつながりはない。大手を振ってアタックできるというのに、秋葉は志貴のことを『兄さん』と呼んでいる。

 ――――秋葉はこのままずっとそうしていくつもりなのだろうか?

 自分の気持ちを抑えて、真祖の姫君の寵愛をうける志貴を見続けるといのうは、どんなに残酷なことか想像に難くない。わたしでさえ、この胸に痛みを感じるのだ。秋葉はいかほどの痛みをその胸に抱いているのだろうか?

 わたしは荷物がいっぱいなので、公園で一休みすることにした。
 缶ジュースをかってくる。最初見た時、アルミでできたフラスコだな、と思ったが、やはりそうだった。そう考えればアトラスでの生活とあまり代わり映えしないものだな、と思う。
 そして手には少し大きめな箱。
 少々値の張ったチョコレートが入っている。
 これは志貴に渡すはずのもの。
 そのために買ったもの。
 しかしわたしは躊躇いもなく、包装をほどいた。
 手のひらにのるチョコレートが12つぶ、綺麗に並んでいた。
 それをつまんで、口にほおる。
 甘い。
 カカオとチョコの芳醇な薫り。
 アルコールをつかっているのか、口の中にアルコール独特の旨味が広がり、官能さえ感じてしまう。
 甘くとけて、口の中いっぱいをとろけさせてくれる。
 わたしは口の中にまたひとつチョコをほおる。
 薫るココアとチョコの風味。
 とろりととけて口の中が甘く、ただひたすら甘く粘つく。チョコ独特のねっとりとしたしつこい甘さがアルコールで綺麗に消えて――余韻だけがたなびく。
 ……おいしい。
 とても高級なチョコだった。
 そして最後のひとつを口に放る。
 そんなチョコを、わたしは躊躇いもなくすべて食べ尽くした。

 ――――これがわたしが出した計算の結果だった。





◇     ◇     ◇






 夜、晩餐の時に、志貴に対して、秋葉も翡翠も琥珀もチョコを差し出した。
 秋葉は少し口をとがらせて、遠野家の長男がひとつももらえないようでは世間に対して示しがつきませんから、なんて言い訳をして。
 翡翠は顔をただ赤らめてぼそりそぼりとしゃべって。
 琥珀は、はい志貴さん、もてもてですねー、と笑いながら。
 そして、わたしの番。

「志貴――これを」

 そういって差し出す。

「え……これは……」

 志貴はわたしが差し出したチョコを見て、驚いていた。

「……これは」
「チ○ルチョコといって、20円で売っているものですけど、どうかいたしましたか?」

 鳩が豆鉄砲を喰らった顔というのはこういうのだろう。
 そんな志貴に、わたしはにこりと笑う。

「志貴には、これで充分です」
「……ありがとう、シオン」

 それでも、嬉しそうに大切そうに笑う志貴の笑顔に、わたしの胸は貫かれた。

 ――――わたしが秋葉のために出した結論を。

 胸が痛い。
 内心ため息をつく。

 ――――志貴はこんなにも出鱈目で不合理で不条理だ。

 錬金術師としての計算を出鱈目で乗り越えてきてしまう。
 でもこのような男性に好意を、“憧れ”というのを抱けたのは僥倖だったのかもしれない。

「さぁみなさん、食事が冷めてしまいますから」

 琥珀が晩餐の開始を告げる。
 晩餐のあいだ中、そんな志貴のことを誇らしく思い、また秋葉に対していくばくかの罪悪感をもって過ごした。

 これが、シオン・エルトナム・アトラシアが生まれて初めてヴァレンタインのチョコを送ったことについての詳細のすべてである。




あとがき


 わたしの初めてのシオンのSSです。シオンさんってまわりくどいから、まわりくどくしてみましたけど、いかがでしょうか?
 ただラブラブじゃないところがシオンらしくていいと思っています。
 ただシオンらにしくかけたかどうか不明ですけど、でもこういうのをかいて性格をつかめていないと裏紫苑祭は無理ですからね(笑)

 そしてそのままホワイト・デーへと続きます、はい。

14th. February. 2003 #93

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