承前として[ それはうけとれません ]があります。まずはこちらを。 Will you walk into my parlour?
バタンと扉をしめて、わたしはため息にも似た吐息をついた。 ――気づかれなかったはずです。 計測上、わたしがあそこまで、まるで機関銃のようにしゃべれば、志貴の意識はそれに向いて、何の判断もできなくなるはず。 その推測どおり、志貴はわたしの言葉に押されて、混乱した。 口の中には、今もらったキャンディ。 とろけてきて、甘い。イチゴミルクだった。 人工着色料と人工甘味料と香料の味が広がる。 口の中でそれを転がす。 甘くねばついたものが広がる。 ――――おいしい。 こういうものは向こうではよく食べたが遠野家に逗留してからは食することはなかった。琥珀がクッキーやケーキを焼いたりして用意してくれたからだ。 だからこういった人工的な甘味料の味は、懐かしい、と思った。 それにしても、志貴は酷い、と思う。 最初、志貴が差し出してきたものがいったいなんだか理解できなかった。 いえ、予測はしていました。 計算して確率上ありえないことではない、と知っていたというのに。 わたしはそれをあえて無視していた。 志貴の善意を、あんな口調で責め立てるなんて……。 悔悟にも似た感情が脳内神経を駆け抜ける。 このような感情をもつのは、いささか計算外だった。 口の中にある甘ったるいはずのキャンディがなぜか――苦い。 歯にあたる硬い感触。 口の中で転がす。 ――このままでは、駄目になってしまいます。 昔きいた、寓話にも似た詩を口ずさむ。 "Will you walk into my parlour?" Said the spider to the fly. "'Tis the prettiest little parlour That ever you did spy. The way into my parlour Is up a winding stair; And I have many curious things To show you when you're there." "Oh, no, no," said the little fly; "To ask me is in vain; For who goes up your winding stair Can ne'er come down again." ――まるでこの詩のようだ、と自嘲した。 がちょうおばさんの詩。 今さっき志貴を怒濤のように叱咤した台詞をまた、つぶやく。 ――志貴には、真祖の姫君がいるのですから……。 なぜ彼はこうもズカズカと土足で入り込んできてしまうのだろう。 ズカズカと乱暴に入り込んでくるというのに、それはやさしくて。 そんなやさしさなんて――いらないのに。 志貴はそういった論理、秩序、理性といったものを無惨に破壊して、乗り越えてきてしまう。 暴君、だった。 その思考に、第二思考が異議を唱える。 そしてその異議を認めるしかなかった。 そう――――志貴が悪いのではなく――わたしが、シオン・エルトラム・アトラシアが悪いのだ。 志貴は誰にでもやさしくふるまう。好意を向けた相手にとことんまでつき合う。 タタリの時だってそうだ。協力は解消です、というのにシュレインビルにいて、ついてきて――血まみれになってまで戦って。
そう。 わたしは志貴に好意を抱いている。 こんな感情ははじめてだった。 アトラスにいたころにも感じたことはない。 放り出したいほど、荒々しくて繊細で、我が儘な、情。 それはエーテライトで集めたエルトラムの知識にもない、わたしだけの“知識”。 わたしだけ、と考えた途端、躰が震えた。 背筋をゾクゾクとした快感めいた何かが駆け抜けていく。 ――――やっかいなモノを背負い込んでしまった、と思う。 いっそエーテライトでわたしの頭の中をいじろうかとさえ思う。 神経接続して、過電流で不必要なシナプスを焼き切りさえすれば――。 感情を司っている前頭葉と記憶を司っている海馬にある志貴のところを、ほんのちょっと灼けば――。 こんな想いなんて、抱かなくてもいい。 なのに、志貴にたいするこのワケのわからない感情を捨ててしまうのは、なぜか、イヤだった。 なんて我が儘なんだろう。 酷く――女らしい感情で、わたしは錬金術師として失格だな、とまた自嘲した。 理性と秩序をもって、推測と計算によって未来を予測し的確に行動する錬金術師だというのに。 こんなにも――――愚かで。 志貴のことを莫迦だなんて、言えなかった。 だいたい志貴も悪い。 あんな顔をして、まるでじゃれつく子犬のような顔をして、にぱって笑うだなんて――卑怯だった。 あんな顔をしてしまうと――つい顔を背けてしまう。 そんな顔は――愛していると公言してやまない真祖の姫君にだけ向ければいいのに。 やさしい瞳。 はにかんだ笑顔。 ファニーフェイスといってもいい優しい顔立ち。 なのに、だらしくなくて、節操がなくて、エーテライトをつかってもいないのに人の心にズカズカと土足で入り込んできて、こんなにも、こんなにも、わたしを、シオン・エルトラム・アトラシアの心をかき乱すのだから。 しっちゃかめっちゃかにして、千々に乱れさせて、胡乱にさせてしまうのだから。 冷たいわたしの中をこんなにも荒れ狂う感情があるなんて――はじめて知った。 冷徹な倫理と計算と推測によって成り立っているはずの錬金術師の中に、 アトラスの名を冠するほどの錬金術師の中に、 栄光あるエルトラム家の者の中に、 こんなはしたない感情があるなんて――思いもしなかった。 「志貴が全部……悪いんです。なにもかも……悪いんです……」 そう呟いていた。 同士であり同朋である秋葉のことを、ふと思う。 彼女もこんな感情を抱いているのだろうか。 こんなにも狂おしくて、こんなにもつらくて、こんなにも切なくてたまらない、想い、というものを。 胸の奥で震えているこの想いを。 ――――だから志貴なんて、出鱈目、なんです。 志貴のせいにしなければ、感情が収まらなかった。 口の中が甘く粘つく。 甘いくせに、妙に苦かった。 苺の香りとイチゴミルクの味が広がっていく。 口の中にあるキャンディがすこしずつ小さくなっていくのが――とてももったいなくて。 でも口の中にキャンディがあるから、こんなにも虚ろなんだと考えると、いきなり歯をたててかみ砕きたくなってしまう。 二律背反。 矛盾。 整合性がとれない想いであふれそうだった。 錬金術師としては最低でアトラスの名を返上しなければならない、と思ってしまうほど。 それでも――このような感情を抱けることに、なんとなく誇らしかった。 シオンとして、嬉しかったのだ。 がちょうおばさんの、あの詩からすれば、志貴は蜘蛛だった。 可愛らしい蠅はわたし。 その誘いにのってしまったら――二度と戻ることは出来ない。 危ない誘惑。 何もかも放りだしてしまって、身を委ねてしまいたくなるような、堕落にも似た誘惑。 ああ、 わたしは思い至った。 悪魔と天使のどちらが美しいのか、という話を。 それは悪魔。かれらは天使たちよりも美しく、人を誘惑し堕落させるから。 その逸話が本当なら、志貴は悪魔だった。 こんなにも、人を誘惑する。 ――志貴なんて。 わたしは口の中にあるキャンディに歯をたてた。 ガリっと音をたてて、キャンディが割れる。それをさらにかみ砕く。 口の中がザラザラとしてとがったものでいっぱいになる。 まるでわたしの心のよう、と想いながらもそれは少しずつ溶けていく。 この想いも、キャンディのように溶けてなくなってしまえばいいのに。 口の中は甘く、心の中は苦かった。 了 あとがき
ええっと……ゴメンなさい。 シオンさんの別バージョンのはずなのに、続き、になってしまいました(爆) あーうーあーうーといった感じで。 わたしの中のシオンさんって、志貴のことを好きかも知れない、でも仲間だから、で終わっているんですよね。 これはそのままMoonGazerさんに裏紫苑祭に投稿した「好きだから――」にもつながっています。 わたしの中で、シオンさんがいかにして志貴の手のうちに陥落(爆)するのかがすすんでいまして(笑) 裏紫苑祭の「好きだから――」の続きである、陥落編(笑)「実験」で、わたしの中のシオンさんというものに決着がついて固まると思いますので、もう少しの間つきあってくださいね。 マザーグースの歌の訳と意味は以下にあげておきます。 かなり口語風にして意訳してあります。 -------- 「ボクのお部屋にこないかい?」 クモがハエに言いました。 「君が今まで見たことがないような、素敵な可愛らしいお部屋なんだ。 ボクのお部屋に入るには、螺旋階段を昇らなくちゃいないんだけどね。 でもお部屋の中にはとっても珍しいモノがたぁくさんあるから、もし昇ってきたら、 いろいろと見せてあげるよ」 「ムダよ」 可愛らしいハエはクモにこう答えました。 「わたしを誘ってもダメよ。 だって、その螺旋階段を昇って降りてきた人がいないことを、知っていますからね」 --------- それでは、また別のSSでお会いしましょうね。
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