この作品はMoonGazerさんに寄稿いたしました拙作 [ 一歩 ] の続編です。 まずはこちらをお読み下さい。 わたしはようやく三咲町についた。 隣の県から電車でガタコト揺られて、産まれ育った町に帰ってきたのだ。 どうしてこんな遠回りをしてしまったのかわからない。 電話をいれて車をまわしてもらえば1時間もかけずに屋敷に帰れたというに。 (どうしてでしょうね、兄さん) 鞄にさわる。そこにある七夜の短刀にそんな風に心の中で語りかける。 そんな幼い子供のようなところが蒼香がいうところの少女趣味なのかもしれない。 でもそのことに対してわたしはもう拘る気もない。 わたしは一歩、踏み出したのだから。 そう、それはまるでお伽噺
まず駅のお手洗いにはいり、身だしなみを確認する。 鏡の中のわたしは、わたしが知ることのない『わたし』だった。 麗しのお姉さま、完璧な遠野先輩、とわたしのことをそう下級生は評する。これはあながち間違いではないと思う。 なぜなら、そうなるように常に振る舞ってきたから。 同じ学院に属していても、心から――それでも心の底からといえないところが、わたしらしいと思うのだけど――信頼した蒼香や羽居、環といった面々以外では、わたしは猫を被り続けた。それは自分でもあきれるぐらい見事なまでに。 固く、硬く、堅く。 それがわたしの甲冑。そうすることによって、わたしは今の地位を築いてきた。学業だけではない、口の使い方、立ち居振る舞い、なにもかも遠野の長女としての体面のため。それは父槙久が望んだもので、遠野の家の当主として、退魔組織の長として、そのようにふるまうことが常に求められていた。 昔はいやだったと思う。自由に遊んでみたかった。だから兄さんがいつも連れ出すのが、わたしにとって大切な思い出だった。 勉学、躾、習い事の先生たちは、幼いわたしにとっては意地の悪い魔物。そんな中にいるわたしを兄さんは何とかして連れだしてくれて、一緒に遊んでくれた。 それは幼いころ聞いたお話のよう。 魔物に囚われた姫君を解放してくれる騎士物語。 (――ああ) ようやく得心した。わたしの乙女チックな少女趣味な所は、兄さんが創り出したのだ、と。 ――いえ 兄さんとわたしのふたりで創り出したもの。だから、わたしは冷徹なクセにどうしても徹底できないところがあるのだ。羽居にいわせれば、そこがわたしの可愛いところ、だと言うのだが、わたしにはとても信じられない。常にα波をだしているような羽居には、どのような人物でも良い子にみえるのだろうと思うし、そのことをこっそり蒼香に言ったら、違いない、と同意してくれた。 なのに、わたしときたら。 兄さんに逢いたいだけだというのに、また甲冑を身にまとってしまって。 意地っ張りなわたし。 でも、いつも兄さんが、兄さんだけが、わたしを助け出してくれるのね。 鏡の中のわたしはほんとうに知らない女性のようだった。 わたしはこんな風に笑えたのだろうか? 目を細めて、柔らかく、こんなにも可愛らしく、まるで乙女のようだ。 もちろんわたしは乙女である。でも甲冑を心にまとい、猫をかぶって澄まし顔であり続けたわたしが浮かべられるものではない。 髪は昔と同じぐらい。先を手にして確認する。枝毛があったら大変だし、兄さんに逢うのに、ヘンな髪なのはイヤだった。ざっと調べただけだけど、まずまずで、及第点である。髪が長いのも困りものである。 遠野家にいれば琥珀に手伝ってもらって髪を洗っていけれども、寮ではひとりで手入れするしかない。 ブラッシングも一苦労。前に蒼香に手伝って貰おうと思ったが、面倒の一言で断られてしまったし、羽居はわたしの髪を玩具にして遊んでしまうのだから、わたしひとりでやるしかなかった。 だからいつも蒼香や羽居よりも1時間早く起きる羽目になる。それでなんとか授業に間に合う時間になるのだから、どうしようもない。 でもこの黒髪は兄さんが褒めてくれたのだし、わたしもとても気に入っているのだから、仕方がないというもの。 顔色は健康的。というより少し赤い。これは兄さんに逢えるのだというときめきのせい。なんだか兄さんに逢えると思うだけで紅潮していく。なんだが恥ずかしくなってくる。兄さんに逢いたくて帰ってきたというのに、そのまま引き返したくなってしまう。 ポーチを取り出して化粧直しをする。 頬にかるくファンデを塗って、毛穴をふさいで発色を良くする。大木さんからもったらルージュを取り出す。桜色のそれは、十代の、しかも若い時でしかつけることしかできない瑞々しい色合いで、そっとつける。唇がゆっくりと桜色に染まっていくのを見るのはなんだか嬉しくて、そして気恥ずかしかった。兄さんが化粧した女性が好きなのかどうか、まだわからない。こんなことはきちんと観察して確認しておかなければならない初歩だというのに――どうやらあのときのわたしは兄さんと過ごせるだけで浮かれていたらしい。 化粧直しも終わり、わたしは駅から出ていく。 目指すはわたしの育った屋敷。丘の上にある遠野本家。 いつも車で通り過ぎてしまうところだし、また来客があっても車を向かわせるだけで、駅前を徒歩であるくというのは、わたしにはほとんどありえないことで、だからとても新鮮だった。 駅前は夕方ということもあって、とても混雑していた。雑踏の中、ほんとうに様々な人がいろんなところにいて、いろんなことをしていた。 道ばたに座りこみギターを演奏し歌っている男性。前においてあるギターケースにはお金がいくらか入っていたのはなんだろうか? なぜこのような汚い道ばたに座っているのかわからなかったが、激しくギターをかき鳴らしている。よくわからない激しく荒々しいというより刺々しいリズムで、習っているヴァイオリンとは大きく違うので面を喰らってしまった。歌声も歌うではなく、怒鳴りつけるような喉を絞り出すような声で、声帯をよく痛めないものだとびっくりしてしまう。蒼香の好きなロックなのかもしれないが、わたしにはよくわからなかった。 とあるお店の前には携帯電話が飾ってあって、それをカップルが色々いじっていた。髪を金髪に染め、この季節にしては肌は妙に日に焼けている。体中にアクセサリーをつけているが、数が大すぎて逆に下品に見えてしまう。服も原色を派手に用いていて、見ているだけで目がチカチカしそうだった。 映画館前には誰もいない。たぶん上映中なのだろう。映画館の看板はみんなエンターティメント性のたかいアクションものばかりだった。どうやら同じような映画を流しているらしい。 喫茶店の大きなウィンドウから中が見えて、中年の方がケーキを食べながら、文庫を読んでいる。 本当にいろんな人がいる。わたしが知っている世界なんて、こんなにも狭い。車ではなく電車で帰ってくるだけで世界はこんなにも大きく違うだなんて。世の中には新鮮な驚きに満ちている。 そして駅前からゆっくりと離れる。 歓楽街から離れた途端に、住宅街の様相を見せ始めた。 今さっきまでの喧噪が嘘のよう。まったく音がしない。ときおり開いている窓からテレビかラジオの音声が耳に飛び込んでくる。 人の姿がまばらになって、アスファルトに舗装された道路には、子供がかいたであろうイタズラ書きが道一杯に大きく書かれていた。 いびつな丸がかかれてあったり、線路のような線がかかれていたり。 子供というものは、いつもこういのうが、好きなのよね。 ふと、わたしは子供のころ兄さんといっしょに家中にかいた落書きを思い出した。 シキシキアキハ あれは魔法のおまじないだった。 あれを書くことによって、屋敷がどんどんわたしたちのものになっていくようで。 今思えばなんてたわいもない幼稚なことを。なのに、それはとても綺麗な思い出で、時折、屋敷の壁にその落書きを見つけては、そっと撫でている。 通りかかった公園の植え込みには梅があり、咲きほこっていた。遠くからは沈丁花のなんともいえない芳しい香り。桜はまだ蕾。木々の葉は若く瑞々しく青かった。いつの間にか冬が去り、春がもうきていた。 公園の中ではもう黄昏だというに、長い影を引きずり回しながら、子供たちが楽しそうに騒いでいる。 お行儀の悪い行為だけど、それが楽しいことは、兄さんとの思い出で知っている。元気いっぱいにクタクタになるまでかけずり回るのは、本当に楽しい思い出だ。昔、兄さんと四季と翡翠とわたしで遠野の森を駆けずりまわったことが今でも鮮明に思い出せる。 夕飯の支度だろうか、おいしそうな匂いが漂ってくる。 恥ずかしいことに、くぅとお腹がなってしまう。すぐに浅上を飛び出してきたので、食事はまだである。それにお金もない。寮で生活している以上、必要最低限のお金だけあればよかったし、必要ならば銀行から降ろせばいい話。だから、いつも所持しているのはあり合わせという程度。そのお金を使って電車に乗ってここまで帰ってきたのだからお金はほとんど尽きていたし、なにより、ここまで帰ってきたのならば家で食事すればいいだけで。 少しクセがあるけども、本当においしそうな匂いだった。 何の料理だかわからないけれど、ふと琥珀の料理を思い出した。寮の料理はまずくはない。普通こういうところ寮生活で出てくる料理というのはあまりおいしくないのが定番なんですよ、と瀬尾が言っていた。 だけども浅上の寮は専属の調理人がいて食事をこしらえてくれるし、マナーの勉強をかねてか、きちんとフォークとナイフをもちいて行儀良く食べる料理が多い。実際、肥えたわたしの舌からみても、美味しいといえる。 でも、こういう時に思い出すのは、きまって琥珀の料理だった。味付けはどちらかというと、寮の方が整っているといえる。けれど、琥珀の料理が時々恋しくなることが多い。寮の料理人の方には悪いと思うし、わたしの舌も寮の方が整っていると告げているけれども。やはり、同じようなものを食べるのならば、なぜか琥珀の料理が食べたかった。 もうすぐ兄さんに逢えると思うと胸が高鳴る。心は浮き立ち、そわそわしてしまう。 歩幅も大きくなり、はしたないことだが、ついつい急ぎ足になる。食べるときでもまず最初に好きなものからてべてしまうわたしらしかった。こういう事柄には辛抱できないらしい。蒼香は『好物は一番最後に食べる』と言っていたし、羽居は『セロリとニンジン以外は右から』、と参考にも何もならない意見を言っていた。 あの長い坂に、茜色に染まった坂道を上ろうとした時、 「やっぱり秋葉じゃないか」 その声に、一度たりとも忘れたことのない、懐かしくて愛おしい、その声に。 わたしの心臓の鼓動は一瞬とまった。 |