志貴は、駅の改札まで晶を見送ると。駅舎に背を向けた。
 隣の県からわざわざやってきた晶であったが、今からでもまで寄宿舎の門限
に間に合う様子であった。駅で家路を急ぐ人並みに飲まれていく晶を見送りな
がら、名残惜しいような心地を感じていた。

 ――これからアテのない捜索だな……

 そう思い、志貴は意志を決した目で辺りを眺める。駅前には降った雪はすで
に片づけられており、道の角や歩道の脇にグレーの残滓を止めるばかりであった。
 町の無秩序な灯りの中を、志貴は歩く。時に頭を巡らせながら、道行く人々
の中に求める物がいるかどうかを探しながら。

 一人は白い美女。
 一人は黒い男。

 どちらがこの事件の真相を握っているのかは志貴にも見当が付かない。晶の
話では黒い男が直接の秋葉の失踪の鍵を握っているのだろう。だが、あの雪の
平原を引き連れて歩く白い美女も全くの無関係というわけではないとも思える。

 志貴は、繁華街や商店街を何度も足繁く通う。通りを十字に横切ってみたり、
足を止めて人待ちをする振りをしながら通り行く人々の顔を眺める。黒い男は
想像が付かないにしても、白い美女は――あの秀麗無欠の美貌はたとえ暗闇と
雖もすぐに目に付くはずであった。

 志貴は、また時計も見ずに町中をうろうろと歩き回る。時には歩き疲れて息
が切れ、ガードレールに腰掛けて休んだりもしていたが、探すことをやめよう
とはしなかった。

 こうやって歩いていることで、目処が付く訳ではなかった。本当なら、あの
倉橋刑事なり誰なりを通して、白い美女と黒い男の子とを告げればいいのかも
知れない――が、そうすることは晶の未来視という特異な能力を、不必要に世
間に晒すことになる。
 それ故に、志貴は一人で探すしかなかった。こうやって、当てもなく。

 ――誰かに手伝って貰うか?

 志貴の頭にようやくそう言う考えが浮かぶが、その候補を考えてみると、己
のつき合いの狭さに思わず溜息が漏れる。翡翠や七夜は屋外ではあまり頼りに
ならないし、有彦も秋葉のことがあるので巻き込めるかも知れないが、怪異の
臭いのする事件に常人である有彦を巻き込むわけには行かない。

 そうなると、あとはシエル先輩か……と、志貴は口の中で短く呟く。
 シエルも不思議な人物であった。学校の気の置けない先輩ではあったが、時々
不可思議な態度を見せる。それに、志貴の事にも並ならぬ興味を抱いているよ
うであった……それも彼自身のみではなく、彼の生い立ちに関しても。

 シエル先輩に相談すれば――でも、先輩を巻き込むのは――

 志貴はそう思い悩みながら歩いていたが、ただでさえ無い体力が身体に悲鳴
を上げさせ、志貴はつい側の自動販売機に手をついて休みを取る。そして、そ
の瞬間、志貴の知覚が何かを感じた。

 ――追跡されている

 志貴が不意に立ち止まった瞬間に、真後ろではなく、五mほど離れた後ろで
誰かも一瞬足を止めた。そして、そのまま何事も無かったかのように歩いて行
くが、志貴の――いや、志貴の中の朦朧とした七夜志貴の知覚はそれを感じ取っ
ていた。

 志貴は手をついたまま、何事もなかったかのように息を整える。そして、後
ろを敢えて振り向かないようにしながら、ゆっくりした足取りで散策をする。
 志貴の頭の中で、七夜の言葉が蘇る。遠野邸の外に、警察らしい人影が見受
けられることがあると。直接は七夜は言わなかったが、おそらくは――当局の
監視の下にあるのだと。

 ならば、不用意に外出した志貴の周りにも監視の目があるはずであった。
 俺は何も知らないのに、ご苦労なことだ――と笑い掛けた志貴であったが、
考えが進んでいくにつれて俄に笑いも凍り付く。

 もし当局が――俺を疑っているのだとしたら?

 それは、全く考えられない事ではなかった。ひどく馬鹿馬鹿しいと思う志貴
ではあったが、嫌な不安は止むことがない。三咲町連続殺人事件も、結局はシ
キを殺したのは志貴であり、事件が遠野家の圧力によってうやむやになったの
であれば、当局は秋葉と同じく志貴を疑い初めても不思議ではない。

 さらに下司の勘繰りをされれば、長男である志貴は、遠野家の当主の座を秋
葉から奪うべく陰謀を巡らせていたのだと言われる恐れもあろう。さらに、た
ちが悪いことに、事故現場の第一発見者は志貴だった。

 加えて、このように不穏な徘徊を繰り返す志貴である。

 もしや、当局は秋葉不在の間の遠野家の圧力が弱まった時を見計らい、俺を
犠牲の羊に仕立て上げ、一連の事件の解決をでっち上げるのでは――志貴はま
るで貧血の如く、頭から血が抜けるかのような気味の悪さに襲われた。

 志貴は、冬にも関わらず流れる汗を拭うと、立ち止まった。
 今日は、もう帰った方が良いのかも知れない――俺まで妙なことになると、
秋葉のことも救えなくなる。そう志貴は考え、疲れた足を運ぶ。

 繁華街を抜け、住宅地に入っても志貴は背後の気配を感じていた。一度は嫌
がらせをして路地に走り込んだり、走り出したりしようかとも思ったが、無駄
な挑発をするほどに志貴には体力に恵まれている訳ではない。

 時折立ち止まり、息を付く志貴は住宅街の電信柱に寄りかかり、住所を確か
めた。場所は遠野家からほど遠くなく、しばらく歩けば遠野家に至るあの長い
坂にさしかかる筈であった。

 志貴は膝に手をついてはぁはぁ息をしていたが、顔を上げて前を見ると――
その瞬間に、異変を感じて息を飲んだ。何事もない、冬の夜の住宅街の光景。
電灯の青白い蛍光灯の明かりに照らされたダストボックスの上に、嘴の大きな
鴉がいる。

 鴉が――志貴を睨んでいる。

 鴉は身動き一つせず、まるで置物のようにダストボックスの上に留まってい
た。残飯あさりも羽ばたきもせず、黒い羽根を畳んで感情も何もない瞳が、じぃ、
と志貴の上に注がれていた。

 普段なら気のせいで片づける志貴であったが、この鴉には――言いようのな
い禍々しい物を感じ取っていた。不吉な鴉、と言うだけではなく、黒く大きな
意志が辺りに立ちこめ、その黒い触手が鴉の形を取って志貴の前に現れた、と
も志貴には感じ取れる。

 志貴を見つめる鴉が、カァ、と嘲るような声で鳴いた。
 そして、それに答えるような、狗の遠吠え。

 志貴が足が竦む中、背後から――足音が迫ってきた。

「遠野、志貴君だね?」

 その声に、志貴は振り返った。
 そこに立っているのは、二人の男であった。一人は中年でコートとスーツ姿、
もう一人は二十代のまだ若い男で、グレーのスーツに地味なネクタイをしてい
る。声を掛けてきたのは、中年の男の方であった。
 あの、病院で会った倉橋の姿はそこにはない。

「はい……そうですが」

 志貴は振り返り、その声に答える。街路灯の明かりの下で、中年の刑事が頷
くや、コートの間から警察手帳を取り出す。その後ろで、若い刑事が顔を強ば
らせていた。

 カァカァ、と鴉の鳴く声が黒く闇の空気を歪ませて響く。
 志貴は、胸の内が絞られるような苦しさを覚えていた。顔色は蛍光灯の下で
も青く見え、震える手を志貴は押さえつける。

 刑事二人はお互いの顔を見合わせると、尋ねてくる。

「君は、ここで何を?」
「家に戻るところです……警察の方ですか?」
「そう。遠野くん、君に、聞きたいことがある」

 若い刑事が口を開く。志貴は、知らずに身構えてしまう。
 志貴が身構えたのは、この刑事に対する警戒の念もあった、ただ、それ以上
志貴を脅かす何かが、志貴の背中の闇の中に蟠っているからであった。

 目の前の警官もまずいことになった、と志貴は思う。だが、背後より迫る脅
威は、比較にならない。

 二人の刑事は、そんな志貴の様子を怪訝そうに眺めている。志貴は、この二
人に向き直っているよりは、一刻も早くこの二人から離れ、背後にに備えたかった。

 狗の遠吠えは、どんどん近づいてくる。
 鴉は一声甲高く叫ぶと、ばさり、と羽根を翻して闇の中に飛び立つ。
 鴉は、闇に――消えた。

「聞きたいこと、ですか……」

 志貴は、こう答えながらも全ての注意を背中に向けている。脅威は、この二
人の刑事ではない――遥かに恐ろしく禍々しいモノが、一歩、また一歩と近づ
いてくる。
 志貴の背中を、冷たい汗が流れる。冬の空気の冷たさよりも、背中から押し
寄せてくる濁った重い風のなま暖かさが感じられる。
 そして、風に乗る獣の臭い。

 ガツガツガツ、と重い足音が迫ってくる。

「ほう、聞きたいことか。私もあるぞ……少年」

 闇が――吠えた。

(To Be Continued....)