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 とおの・えくすぺりめんと
                         阿羅本 景


 琥珀は楽しそうに、ワゴンの上のティーセットにお茶を注いでいた。
 トレイの上には暖められた四組のカップとソーサーがある。琥珀はストレー
ナー片手に回しながら大きなポットからこぽこぽと、香気の高いお茶を満たし
ていく。

 ポットの中の最後の一滴、ゴールデンドリップまで綺麗に注ぎきると、琥珀
は満足したように頷き、銀のトレイを持ち上げる。チャカリ、と磁器が触れる
小さな音。

「あ、琥珀さん、紅茶ありがとうね」
「いえいえ、どうぞ、アルクェイドさん」

 応接間のソファーに、背中を預けて深く腰掛けている金髪のショートカット
の女性がひょい、と手を伸ばして琥珀の手からソーサーを受け取った。今この
場に居る女性たちは世間の基準から照らせば美女・美少女揃いであるが、その
中でも群を抜いて豪奢と言えるほどに美しいのが彼女――アルクェイドだった。

「……こんなバカネコにオータムナルのダージリンなんか勿体ないですよ、琥
珀さん」
「あはは、そう言われましてもやはりお客様には最上のお茶をお煎れしません
と非礼にあたりますので……」
「もったいないのはそっち、そんな女にはカレーうどんの出汁でも飲ませてお
けばいいのよー」

 アルクェイドと同じソファーの反対側に、ベストとスカートの制服姿で距離
を置いて腰掛けているの女性。光の具合では青黒に見える短い髪に、眼鏡の下
に何とも不本意そうな瞳を宿らせているシエルであった。シエルはソファーに
端座する……というよりも、同じソファーにアルクェイドが居ることが我慢出
来なさそうな、そんな苛立ちに似たものすら感じる。

 琥珀はこの二人に先に給仕をすると、残った後二つのティーカップを手に取る。

「どうぞ……」
「はい……ありがとうございます」

 ティーカップを渡された少女は、緊張を隠せない様子だった。目の前に座る
アルクェイドの存在に、というよりもそんなアルクェイドとシエルの見慣れぬ
ちょっかいの出し合いに気圧されているようだった。
 
 そして、その横に座る遠野秋葉が、琥珀の素振りに満足そうに頷く。
 秋葉とこの少女、二人は――揃いの白紺のセーラ服姿であった。
 言うまでもなく浅上女学院の制服である。

 琥珀がトレイを胸に抱いて、一礼して戻ろうとする。
 だが、その琥珀を呼び止める秋葉の声――

「お待ちなさい、琥珀。貴女もここに居なさい」
「はぁ……よろしいのですか?私がこちらにいても?」
「ええ」

 思わぬ言葉に琥珀は立ち止まり、何とか驚きを顔から隠そうとする。
 微かな動揺を示す琥珀の様子を、カップを口に付けるアルクェイドは横目で
眺めている。そして、朱色の瞳を鶴のように端座する秋葉と、その横の制服姿
の少女に移す。

――見慣れない顔ね

 アルクェイドはその少女を知らなかった。肩まで伸ばした黒髪と、意思の強
そうな目元と口元。何となく妹に似ているわね……とアルクェイドは思う。制
服が同じ、というのだけがその理由では無さそうだった。

 それでもぎこちなくしている感じるのは、自分が凝視しているからなのか?
 アルクェイドはつい見慣れぬ相手に向け険しくなりかけた表情を弛めると、
前にいる少女もわずかに肩の力を抜いた様に見える。

「……何を初対面の女の子を怯えさせてるんですか貴女は」
「シエルにそんなこと言われるとわねぇ……分からない?これはこんなに可愛
い私なら男女問わず視線が釘付けに……」
「馬鹿なことを言わないでくださいそもそも……」

 二人同席すると始められずには居られない、アルクェイドとシエルの丁々発
止のやり合いであったが……二人がギアをシフトアップして本格的にやり出そ
うかとした途端に。

 ごほん、と聞こえよがしの咳払い。
 シエルもアルクェイドも口を止めて、その元である秋葉を見つめる。二人と
も渋々といった様子で厳しい顔で睨む秋葉に向き直った。

「……よろしい?お二人とも。今日はたっての相談があるのでお越しいただい
たのですけども」
「うん、そうだったわね……で妹、そっちの娘は?」
「ええ、紹介するわ。こちらは永野環……私の同級生で、浅上女学院の自治会長」

 秋葉に紹介された環が、軽く頭を下げてお辞儀をする。
 
「私はアルクェイド・ブリュンスタッド。アルクェイドでいいよー」

 胸元に手を当ててそう、朗らかに名乗るアルクェイド。
 眩しいばかりのアルクェイドの笑顔に環は会釈をするが、すぐに脇で秋葉を
つつく。

「妹って言われてるけどあんた、こんないかにも外人の姉が居たの?」
「コレが私を妹というのは複雑な事情に基づく勝手な二人称で、気にしなくて
いいのよ、環。」

 ひそひそとセーラー服の二人が囁き合うが、その言葉を敢えて気にもとめな
いアルクェイド。シエルははぁ、と軽く息をつくと背筋を伸ばす。

「初めまして、環さん。私はシエル……まぁ、その、南杜高の生徒と言うこと
で一つよろしくお願いします」
「うわっ、私も人のこと言えないけども、いかにも怪しいわよアンタ」

 にっこり笑って初対面の環に挨拶するシエルに、横から刺さるアルクェイド
のちょっかい。
 シエルはキっとアルクェイドを瞳だけで一瞥するが、器用に笑顔だけは崩さ
ずいかにも親しみやすい先輩の雰囲気を醸し出そうとしているかのようだった。
 シエルの猫かぶり振りを鼻で笑うアルクェイドであったが、そんな二人を見
つめて仕方なさそうに頬を綻ばせるのは――

「私は秋葉さまの使用人の琥珀と申します。環さんのことは秋葉さまから常日
頃伺っておりますわ――」
「止してよ琥珀、恥ずかしいわ。さて……」

 琥珀の世辞を笑って秋葉は止めると、やがて顔色を改める。
 秋葉が背筋を伸ばして話を始めると、アルクェイドも背中を起こしてカップ
を置き、シエルも眼鏡の底の目に真面目な光を交える。
 琥珀だけは微笑んだまま、応接間のソファから一歩離れた位置で控えている。

「……私とシエルに妹から相談がある……珍しいこともあるものね。相談とい
うのはそちらの――環さんのことで何か?」

 アルクェイドは膝の上で指を組むと、秋葉の様子を探るように訪ねる。秋葉
の真剣な様子が伝染したかのように、普段のどこかふざけているような様子は
無い。
 シエルも、そんなアルクェイドの言葉に不承ながらも頷く。秋葉から相談が
ある、と言うことだけでも珍しいのに、アルクェイドと一緒だというのは何か
尋常ではない。

 それもこの少女が――もしや死徒の君主や協会にまつわる何かを?

 シエルは目の前の環を計った。ほとんど幻想種に近い秋葉の手に余り、真祖
のアルクェイドや埋葬機関の自分を頼らなければならない何か――それは神と
呼ばれる程の霊格を持つ程の脅威の存在なのか。

 アルクェイドとシエル、二人が真剣な空気を漂わせ始めると応接間の空気が
とたんに温度が下がり、重苦しい粘性すら帯びてくるかのような錯覚がある。
 その空気を重そうに呼吸しながら、環は目の前の二人と、秋葉を見つめた。

 親友であり同志である秋葉は、環の視線を感じると軽く頷く。

「……今、浅上女学院の自治会と寄宿舎では大変な問題を抱えています。この
ままで自治会の存続、いや浅上女学院の存続にすら重大な問題を与えかねない
……」
「……そんな学内の重大な問題を、学外の私やアルクェイドに喋って良いので
すか?」

 環の話をシエルの声が遮る。
 ソファの上に前屈みになって座るシエルだが、一瞬走った強い警戒の色は薄
らぎ疑りを宿した顔色で環を見つめている。環はその言葉を待ちかまえていた
かのように、滑らかに答える。

「ええ、生徒会の遠野さんに相談したところ、お二方が信頼が置ける専門家で
あると伺いましたので」
「そぉ……妹がそんな事言ってたんだ。ふーん、妹も普段からもっと私を頼り
にしてくれると良いのにねー」

 アルクェイドがそんな言葉を口にするが、暗に皮肉られた秋葉は涼しい顔色
であった。やがてシエルは身を乗り出して玉城に尋ねる。

「専門家……ですか。確かに問題の持つ方向性によっては私やアルクェイドは
これ以上ない専門家でしょうね。それで環さん、重大な問題というのは……」

 シエルがすっと声を潜めて尋ねる。
 秋葉もわずかに居住まいを正し、その様子を見てなんとなく、アルクェイド
も砕けた態度を改めてすっと座る膝をそろえる。

 三人の注目を一身に集める環。
 環はごくんと唾を呑む。そして逡巡の色を僅かながらに浮かべるが、やがて
意を決したように、だが訥々と――

「浅上女学院の寄宿舎で起きている問題が――それは……」
「それは……」

 シエルとアルクェイドが、環の唇を見つめる。
 立って控える琥珀すらも、環の次の言葉を待ちかまえていた。
 だがそれでも言いづらそうな環の横顔に、秋葉が助け船を出す。

「…………環。言いにくい様なら私が」
「いいのよ遠野さん、私が持ち込んだ寮の問題だから」

 頭を振ると、環の髪がさらりと動く。
 やがて顔を上げ、環の口が……

「……寄宿制の中……それが、生える現象が起きているのです」
「生えるって何が?」

「そ、その……男性器です」


                                      《つづく》