このSSは巴祭(三人祭り)の出展作です。
[ Moon Gazer ]という、阿羅本さんのサイトにある天戯さんの Dry? の続きという形をとっておりますので、まずは先にこちらをお読み下さいませ。
















魔法の一時
















/志貴

 俺は呼び止められた。
突然のことにきょろきょろする。
俺のことを、志貴、とか、遠野とか呼ぶヤツは多い。
けど――有間、そう呼ぶのはただ一人。
なのに、その姿は見あたらなかった。
 夜の繁華街。
 有彦と機動屋台中華反転マークIIでラーメンを食べ終え別れた後である。
琥珀さんの料理はいい。秋葉と豪華な食事をするのもいい。でも、中流階級で育った俺は時折こういったものが恋しくて堪らなくなる。
 このことをいうと、秋葉は兄さんは! といい、琥珀さんは、わたしの作る食事では不満なんですね、よよよ、と嘘っぽい演技さえしてくる。
 だから、こうして誤魔化して、有彦んところに泊まりにして食事を食べることにしている。
 しかし……問題は今である。
食事のあと、いつもどおり家で遊ぼうかと思ったら。

「わりぃ」

といって俺をおいて、見たこともない女の人と繁華街に消えてしまった。
 まぁ俺は落胆しない。
イザとなれば、アルクェイドや先輩のところに駆け込むこともできるし、どうしようもなかったら公園で一晩で済む。
 そしてぶらぶらと時間を潰して歩いていた時、声をかけられた。
 周囲を見回しても、あの人はいない。
 すると――。

「有間、わからないのか?」

と聞き覚えのある声。
そちらを向くと、そこにはとても上品そうなお嬢さんがいた。
薄紅色のドレスの、着飾った楚々とした女性である。
メイクもナチュラルなのか、ほとんどわからず、眉はぼんやりと描かれていて、でもはっきりとわかって。唇は赤い。なんていうかぷるぷるした色をしていて、目元はマスカラでただ艶やかな表情を生み出していた。
 髪をまとめアップにしていて、耳にはイアリング。首にはペンダント。どういうものだか俺にはわからないが、とても似合っていた。

「あのぅ、どちら様でしょうか?」

すると目の前のお嬢さんは、その柳眉を逆立てる。

「おい、有間。ほんとうにわたしのことがわからないのか?」

その声は確かに……でも……えぇ!?

「もしかして……」

自分でも間の抜けた声だと思った。

「……イチゴさん、ですか?」
「ばーか」

目の前にいるのは、たぶん、一子さんだと……思う。
いや……でも……しかし……。
ワイシャツにジーンズ。化粧っ気がまったくなくて、くわえ煙草とポニーテールがトレードマークのだらしないお姉さん……だよな?
でも目の前にいるのはお嬢さん姿の綺麗な女性で。
 よく観察する。
うっすらとされた化粧。赤い口唇。そしてけぶったような眉毛。でもよく見れば、確かに一子さんで――この美人は一子さんなのだ。

「……そんなにおかしいか?」

一子さんの不機嫌そうな、少し消え入りそうな声。

「わたしがドレスアップすると……どこか、ヘン、なのか?」

あわてて首どころか手までふって、釈明する。

「ち、違いますよ」

必死だった。なぜ必死なのか、わからなかったが……。

「綺麗な人だなぁっと思って……」
「そうか?」

少し不審がっている尖った声と突き刺さるような視線に、俺は大きく頷く。

「一子さんはドレスを持っているのを忘れてしまって……」

持っている服はワイシャツとにジーンズにドレス、という一子さんのことを忘れていた。
 そして、こんな一子さんをただ眺めることしかできなかった。

ふん、と鼻を鳴らし、片目を閉じる。
いつもの一子さんの癖に、ほっとする。目の前にいる女性が一子さんだとようやく心も認識しはじめてくれた。

「でもどうしたんですか、そんな格好で」

という質問に対し、ヤボ用、の一言であっさりと終わる。

「ヒマか?」

いつもの一子さんの声なのに、こうして着飾った姿で聞かされると、とても上品そうで、なぜか不思議だった。
 でも返事するまえに手をぐいっとつかまれ、抱きつかれる。
 ドキリ、とする。
甘い香水の香りが鼻腔をくすぐる。
抱きつかれた腕に感じる柔らかな胸の感触と弾力。

「つきあえ、有間」

そういって、俺をぐいぐいひっぱっていくのは、やはり俺の知っている一子さんだった。





/一子
 わたしが有間と逢えたのは偶然だった。
ヤボ用で出かけた帰りに、のこのこと歩いている有間を見つけた。
そこにいるのはいつもの、有間、だった。
 わたしが髪を染める前、煙草を吸う前から、ちっちゃいときから知っている、有間。
 わたしのもう一人の弟、だった。
 そう、だった。
 たぶん、あの時のことは、有間は忘れたに違いない。
 ただの欲望にまみれた一時。
 あの狂おしく熱い一時。
 有間は忘れたに違いない。
 そう思うと、胸が少し痛んだ。
 なんて――痛い。
 昔の遠い思い出は、まだなお熱をもって、わたしを苛む。
 一夜の情事。
 救いはあんな情事があった後も私と有間の関係が以前のそれと変わらなかったこと。
 それが唯一の救い。
 でも、その救いには痛みがあった。
 なんて――痛い。
 こんなにも痛い。
 有間も――痛いのだろうか?
 わかるわけない。
 わかりたくない。
 わかってはいけない。
 誰にも。
 そう、わたしにも。
 だから――わたしは有間をつれて、繁華街を歩いている。
 腕に躰を絡ませて。
 まるで恋人のように。
 恋人?
 胸が――痛い。
 痛くて、たまらなくて、わたしは有間の腕にしっかりと抱きつくしかできなかった。





/志貴
 まるでデートだった。
 夜の街をふたりで歩く。
 誰から見てもデートだった。
 着飾った女性とともに歩いている。
 甘い香水の香り。
 華やかな薄紅色のドレス。
 ふっくらとした口唇。
 ちらりとみせる笑み。
 そして見下ろすと、そこにはアップされた髪と。
 耳とうなじ。
 なんともいえないライン。
 そこからゆるるかに肩へ、胸へ、そして腰へと続いている柔らかそうな曲線。
 大人の仕草。
 何もかもが知っている一子さんで。
 何もかもが知らない一子さんだった。

 一子さんの指の爪は長い。
 綺麗にマニキュアで塗られている。
 色は統一してか、真紅。
 思えばまわりに爪の長い女性はすくなかった。
 アルクェイドは……延びないらしい。
 シエル先輩は、黒鍵の捌きの邪魔だという。
 秋葉はバイオリンを弾いているため。
 翡翠も琥珀さんも使用人、メイドとして清潔にしているため。
 朱鷺恵さんも医療関係だから。
 だから、みんな短く整えられている。
 なのに。
 なのに、一子さんの、この腕に絡めてくる、やわらかく暖かい腕の先にあるほっそりとした指先の爪は長く、綺麗で、真紅色で、まるで宝石をはめているよう。
 ネオンの灯りで、キラキラと反射して、つい見とれてしまう。
 朱鷺恵さんをお姉さんとしたら、一子さんは大人だった。
 まだ朱鷺恵さんは少し年上といった感じ。
 でも、今日の一子さんは完全に年上の女性。
 綺麗な年上の女性。
 そんな綺麗な年上の女性とともに、ウィンドショッピングを愉しんでいた。
 愉しんでいる俺がいた。





/一子
 有間の視線がとても熱かった。
 何気ない視線に、ドキリ、とする。
 そして視線の高さ。
 あの時は同じぐらいだった。
 今はこうして見上げないといけない。
 前よりも背が伸びていた。
 そう、有間は男なのだ。
 あの時よりも大きくなったところで不思議はない。
 うちのバカも大きくなったのだから。
 なのに、しがみついて絡みついた腕の逞しさに。
 胸板の厚さに。
 有間の匂いに。
 その背の高さに。
 男を感じていた。
 はじめての――男。
 そう思うと、わたしはまた、ドキリ、とする。
 その音を、肌の熱さを、心臓の鼓動を、わたしの心が有間に知られないかとひやひやする。
 でもどこかで。
 ばれてもいい。
 知って欲しい。
 そう思っているわたしがいる。
 そうしたいと衝動に駆られる。
 だから、腕を突然放したり、ぎゅっと抱きしめたりする。
 どんどん胡乱になっていく。
 自分の思考に溺れていく。
 わたしは――何をしたいんだろうか?





/志貴
 まるで恋人みたいだ。
 なんて考えていた。
 大人っぽい女性をエスコートして歩く。
 着飾った一子さんを見とれている人がいる。
 アルクェイドのときもそうだけど。
 一子さんの場合、素を知っているから。
 あのぐーたらで刹那的な人となりを知っているから。
 だからこそ。
 この着飾っている一子さんの姿に、俺も見とれてしまう。
 あのガサツさはきえていて。
 これが衣装の、化粧の力かと思うぐらい。
 とても優雅で。
 とても典雅に。
 知っている一子さんの知らない側面に触れて。
 ドキドキしっぱなしだった。





/志貴
 食事を済ませたという有間に合わせて、軽くバーへ。
 未成年ですよ、なんていうけど、こっそりうちのバカと飲んでいることはわかっている。
 照明が絞られて薄暗いバーのカウンターに腰掛ける。
 こういうときは、カクテル。
 色鮮やかなカクテルそれだけで心を和ませてくれるから。
 そしてなぜか乾杯。
 よくわからない心情に、つい笑いを漏らす。
 有間の笑い。
 よく響く低い通る声。
 いつも聞いていた。
 あの――声。
 話すことなんてあんまりない。
 ただ流れるジャズを聞くだけ。
 サックスが響く。
 たゆんだリズム。
 柔らかな沈黙。
 暖かい沈黙。
 なんて心地よい。
 有間が横にいる。
 ただそれだけだというのに――。
 しばし、うっとりと雰囲気にひたる。
 たぶん、今だけの魔法、だから。
 だから飲む。
 まぁ有間はわたしの素を知っているし。
 有間はあまり飲まないから。
 だから、酔うのはわたしの方。
 わたしじゃないといけない。
 アルコールに酔ってしまえば、この雰囲気に飲まれることはないから。
 でも頼んだカクテルは、ベットインシーツ。
 つい嗤ってしまう。





/志貴
 ドキドキしていた。
 俺はそのまま乾家へと彼女をエスコートしている。
 何気ない談笑。
 こうして着飾った女性と夜歩きする。
 ただそれだけだというのに。
 繁華街のネオンが煌めいて。
 雑踏の中。
 アルクェイドのことも、シエル先輩のことも、秋葉も、翡翠も琥珀さんも忘れていた。
 目の前の麗しい女性に心奪われていた。

  こんなに尻軽男だったっけ?

 などと思っても。
 目の前の茶髪の女性にときめいていた。
 ――できれば。
    できればずっとこのまま歩いていたかった――

 でも乾家の前まで辿り着いてしまった。
 終わり、だった。





/一子

 じゃあこれで。

 夢のような魔法の終わりを告げる有間の声。
 真っ暗な家の前。
 あのバカもいない家にわたしを置いて、彼は行こうとしている。
 見知らぬ女のところに。
 もうわたしの知ることのないところへ――また。

 劣情に身を任せた一夜限りの情事が愛に結びつく道理はない。
 だから今までのわたしを壊してしまったというのに。
 ただの男と女の秘めやかな情事。
 何のために髪を染めたのか――。
 あいつに別れを告げるためではなかったのか?
 煙草を吸うのは新しいわたしを作るためではなかったのか?
 なのに。
 わたしは振り向いた背中にそっと手を伸ばしていた。
 暖かい背。
 有間の背中。
 その上着の裾を掴んでいた。

「有間……あがっていけ……よ……」

わたしの声は、そんな有間の背中よりも熱く、そして震えていた。





/志貴

 綺麗な宝石をはめたような爪先で。
 震えた、熱い女の声で。
 呼び止められた。
 振り向くと。
 そこに、欲情した女がいた。
 牡をもとめる牝の貌をした女が。
 その潤んだ瞳に。
 朱を散らしたような頬に。
 綺麗な形の顎先に。
 けぶったような眉に。
 心を鷲掴みにされた。
 ――気がつくと。
    抱きしめていた。
    男して――

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