「いいですか。兄さんには遠野の長男として・・・・・」
ああ、私はどうしてこんなことを言っているのだろう。
「・・・学生の本分は・・・・」
こんなことを兄さんと話したいわけじゃないのに・・・。
「いいですか!」
ああ、これでは兄さんに嫌われるだけなのに・・・。
cicada
夏葵
「秋葉様」
その声に俯いていた私は顔を上げた。
「どうしたの。琥珀」
「はい。お疲れの様でしたので・・・」
「やっぱりそう見える?」
「ええ。お茶でもお入れしましょうか?」
「そうね。お願い」
はい、と返事を残してキッチンのほうへ向かった琥珀の背中を見送って私はまた俯く。
・・・なんでだろう?
どうして私は兄さんに素直に話し掛けることが出来ないのだろう。
早速、兄さんにむかって細かいことを言ってしまった。
「ふぅ・・・」
落ち込んでるな、私。
私は兄さんに嫉妬してるんだろうか・・・?
この遠野の家に縛られなかったことを。私が手に入れられなかった自由を持っていることを。
そうなのかな・・・?
だから、こんなに胸が苦しいのかな?
もやもやしたものが私を無性に駆り立てる。
どうしてこんなにイライラするの・・・?
「・・・ああっ、もうっ!」
とりあえず声に出して何とか感情を理性の下に置こうとした。
こんなことでうじうじ悩むのは遠野秋葉らしくない。
「秋葉様?大声を出して・・・どうしたんですか?」
声がした方を向くとちょうど琥珀が居間の扉をあけたところだった。
どうやら聞こえてしまったようで琥珀は怪訝そうな顔をして小首を傾げている。
「・・・何でもないわ。琥珀」
安心させるように軽く微笑してみる。
「そうですか?・・・まあ、とりあえずお茶でも飲んでください」
そう言いながら琥珀は運んできたティーセットをテーブルに並べ始めた。
「ありがとう」
「今日はもう遅いですから、気分を落ち着かせるためにハーブティーにしますね」
「・・・そう」
・・・相変わらず気が利く子ね。
私が今どんな精神状態なのか見破られているようだわ。・・・それとも、私が単純なだけ?
カチャカチャとカップの奏でる音を聞きながら琥珀の手捌きを眺める。
その流れるような手つきはとても美しい。
「ねえ、琥珀・・・」
「何ですか?秋葉様」
手を休めることなく琥珀は返事を返してくる。
「私、兄さんに厳しすぎると思う?」
「・・・そんなことを考えていたんですか?」
ポットで蒸らし終わったお茶をティーカップに注ぎながら琥珀は応じる。
「うん。ちょっと言いすぎたかなって思って」
「志貴さんなら気にしないと思いますよ」
「どうして?」
「うーん、どうしてって言われると・・・。まあなんとなくです」
そう言って琥珀はにっこりと笑う。
「なんとなくね・・・。でも、気にされないって言うのも困るわね」
・・・それじゃ私の一人相撲じゃない。
眉間に軽く皺が寄るのがわかる。
「秋葉様。秋葉様は志貴さんにどうしてもらいたいんですか?」
「・・・なんて答えれば良いの?」
すると琥珀は腕を組んで難しい顔をする。
「例えば・・・、威厳を持って欲しいとか。威張って欲しいとか」
「そんな兄さんにはなって欲しくないわ」
そんな兄さんはとても想像できない。
「私は兄さんにそんな風にして欲しくて小言を言ってるわけじゃないわ」
そう、ただ・・・。
なんだろう?私は兄さんに何を求めているのだろう。
「秋葉様は、いまのままの志貴さんは嫌いですか?」
琥珀は柔らかい笑顔を浮かべて尋ねてくる。
「そっ、そんな事は・・・・ない・・・・けど・・・」
思わず返事をしてしまってから内心舌打ちをする。これじゃ、誘導に引っ掛かったも同じじゃない。
「素直じゃ有りませんねぇ」
「・・・っ、琥珀っ!」
キッと琥珀を睨んでみたけどほとんど効果はない。相変わらずくすくすと笑っている。
「そんなことじゃ、志貴さんを翡翠ちゃんに取られちゃいますよ」
「ええっ!」
思わず睨んでいたのも忘れて目を見開く。
「こっ、琥珀・・・」
呼ぶ声もかすれている。
「あれっ?秋葉様気づいていらっしゃらなかったんですか?」
その不思議そうな声までは聞こえたものの意識は自分の中へ沈んでいった。
・・・志貴さんを・・・翡翠ちゃん・・・・取られ・・・・・・・・。
どっ・・・どうゆうこと・・・あっ・・・えっ・・・ええと・・・。
あああ・・・うまく頭が回らない・・・。
・・・翡翠・・・・取られる・・・・なにを?・・・琥珀?
志貴・・・・翡翠・・・・わたし・・・。
・・・にいさん。・・・・兄さんは・・・・私は・・・。
兄さん!
「琥珀っ!」
「はい」
私の声に驚くこともなく返事をする。
「翡翠が・・・その・・・・にっ・・・兄さんに・・・その・・・・こっ・・好意を・・もっているって・・・」
最初こそ勢い込んだものの段々と恥ずかしくなって声が小さくなっていく。
琥珀に出来るなら冗談と言って欲しいと思いながら。
「ええ、はっきり言われたことは有りませんけど・・・」
でもあっさり肯定されてしまった。
「どっ、どうして翡翠が兄さんに好意を持っているの?」
もう馬鹿みたいに聞き返す。私の頭が私のものじゃないように働かない。
「あんなトウヘンボクの鈍感男のどこが・・・」
「・・・秋葉様も本当にそう思っています?」
にこにこしながら琥珀は私の目を覗き込む。
「・・・・・・・・・・・・」
「ふふふっ秋葉様。秋葉様はもう少し素直になった方がいいと思いますよ。
志貴さんはやさしい方ですから・・・好意を寄せてくれる人を無碍にはしませんよ」
・・・素直にね。わかってるわよそんなこと。
でも今のまま素直に兄さんに頼ったら兄さんに迷惑がかかってしまう。
兄さんには遠野の家のことなんて重荷にしかならないだろうから。
「琥珀。あなたは・・・、あなたは兄さんのことをどう思っているの?」
「私も好きですよ。志貴さんのこと」
「そう」
今度はさすがに驚くことはない。
考えてみれば、幼馴染と言って良い私達だから互いのことを悪く思うはずがない。
私が幼いころから兄さんに恋したようにこの2人も兄さんに恋をする。
今まで可能性すら考えなかったけど決して不思議なことではない。
「秋葉様怒らないでくださいね。私は、秋葉様でも翡翠ちゃんでもどちらでも良いんです。
ただ、志貴さんがこの家にいつまでも居てくださるだけで・・・。私が望むことはそれだけです」
真摯なまなざしで琥珀は語る。
・・・翡翠に聞いてもそう答えるだろうな。意味もなくそう思う。
「そう。でも兄さんには貴方達なんてもったいないわ。まずは私に釣り合うようになってもらわないとね」
おどけるように私は言う。
そう簡単には渡さないわよ、言外にそう意味を持たせて。
「ふふふっ」
二人顔を見合わせて笑い合う。
・・・そういえば兄さんが帰ってくるまでこんなことはなかったな。
ああそうか・・・。
私はふと脳裏を過った考えに結論を見た気がした。
私がどうして兄さんに辛くあたってしまうのか。
簡単なことだった。
遠野の家だとか、当主としての義務だとか・・・、そんなことじゃないんだ。
ただ・・・・。
「ああっ!」
「どうしたの琥珀?」
琥珀はばつの悪そうな笑みを浮かべて視線をテーブルの上に向けた。
「折角のお茶が冷えてしまいました」
「仕方ないわ。また明日にしましょう。だいぶ気分も落ち着いたし」
「ふふふっ。そうですか」
琥珀はいつものように笑みを浮かべる。
その煙るような笑顔は私にも出来るかな。
「琥珀」
「どうしました?秋葉様」
「明日から家を出る時間を遅らそうと思うんだけど・・・」
そうすれば兄さんと話をする時間も少しは出来るだろう。
そう、もっと話をしよう。
つまらない事で良いから。
そうすればもっと兄さんのことがわかるだろう。
私に事もわかってもらえるだろう。
八年の空白なんてすぐに埋まるだろう。
ゆっくりいけば良い。慌てることはない。
まずは・・・。
「どうしてですか?」
小首を傾げて不思議そうな顔をする。
「そうすれば兄さんにおはようって言えるじゃない」
朝から笑顔で迎えられれば良いなと思いながら・・・。
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こんにちは、夏葵です。
結局何が言いたかったんだといわれると自分でも良くわかりません。
秋葉の一人称を書いてみたかったので・・。
あまり本編とは関係なく書いたんですけど、状況としては
志貴が遠野の家に帰ってきたその日の夜の出来事と言うところです。
拙作読んで頂いてありがとうございます。