「は?」
その日、わたしは思わずそう問い返していた。
目の前には不思議そうな顔をして、こちらを見つめている赤毛の少年。
少し視線をずらすと、その背後で困惑顔をしたままで、こちらを見つめている金色の髪の少女。
「――ええと、士郎? もう一度、言ってくれる?」
わたしは、尋ね返す。
「だから、さ」
目の前の少年は、少し苛立たしげな顔をして、繰り返した。
「遠坂は、いつ行くんだ? 墓参り」
なにを言ってるんだろう。このバカは。
『お墓参り』
From Fate/stay night (C)2004 TYPE-MOON
Written by Kei Takahashi
「お墓参りなんて行かないわよ? わたし」
わたしがそう応えると、士郎はギョッとした顔をした。そして、困惑顔でこちらを見つめている。
「あの、それって、お墓が無い、とか?」
恐る恐る尋ねた士郎に苦笑を一つ浮かべ、答える。
「さすがにお墓はあるわよ。――でも、士郎? 魔術師がお墓になんか、そうそう入ると思う?」
う、なんて呻く士郎。
そのまま考え込むように暫しの沈黙。――顔を上げて。
「入らない、かな」
「入らないでしょ」
手にしたお茶を一口。うん。甘露甘露。
「大体、魔術師なんて人種は、そうそう畳の上で大往生できる人種じゃないでしょ? 大体どっかで野垂れ死ぬか、『根源』に到ろうとして失敗するか、抑止力に滅ぼされるか、他の魔術師に殺されるか――どの道ロクな死に方なんかしやしないんだから」
セイバーは困惑顔のまま、わたし達を見比べている。甘露を楽しみ終えると、わたしは改めて士郎に向き直った。
「でも、どうして急にそんな事を?」
「え。あ、いや。俺は毎年、盆には墓参りをしてるから」
問われた士郎が困った顔のまま、そう答える。その答えに、わたしは唖然となる。
「――は?」
わたしの表情に驚いたのか、士郎はしどろもどろに説明を始める。
「いや、あの。切嗣の墓は、雷画爺さんが建ててくれてさ。藤ねえと二人で、毎年墓参りに行ってたんだ。しかも、なぜか藤ねえは盆は藤村の家の墓参りより先に、衛宮の家の墓参りをするんだ」
士郎は不思議そうにそう呟く。
あの能天気な教師が、そんな事をしていたとは知らなかった。
「……へえ」
それってつまり、そういう事なんだろうか。
「ねえ、士郎」
「ん?」
「士郎の父親……切嗣さんだっけ? その人は……そっか。士郎が看取ったんだっけ」
最後の方は、もう呟きのような声だった。心の中でしまった、と舌打ちもしていた。人の生き死にを一々気にしては、魔術師なんかやっていられない。けれど、それでも安易に触れて良い物と悪い物がある事くらい、わたしだって知っている。
けれど士郎は、少しだけ表情を暗くするだけで、頷いた。
「ああ。遠坂にも話したっけか? その後、藤村の家のおかげで葬式も上げられたし――」
縁側を見て、士郎は目を細める。
その横顔を見て、胸がズキンと痛んだ。
「……だから、切嗣は墓に入ってるんだ」
「……そっか」
その死に方は、魔術師としての堕落だ。けれど、きっと『衛宮切嗣』としてならば、満足のいける死に方だったのではないだろうか。
士郎に看取られ、彼に全てを託すことができて。
……ああ。何処で死んだかも知らぬ父よりは、ずっと良い。
「ところで、さ。士郎」
「ん?」
わたしが声のトーンを変えたのに気付いたのか、士郎も表情を変える。
「衛宮の家って、和風屋敷なだけあって、やっぱり仏教なの?」
そう尋ねてみた。
「う……ん。まあ、一応。柳洞寺に墓を作ってある」
「あ、そうなんだ」
「うん」
頷いて、それから困惑顔になる。
「でも実際のところ、切嗣は無神論者だったような気がする」
「そりゃまあ、そうでしょうね」
わたしも頷くと、士郎は少しだけ困った顔で、こちらを見上げた。
「なんでさ」
セイバーが呆れたようにお茶をすする。
「……考えてもみなさいよ。魔術師は神秘を解する者なのよ? 大体あんた、教会のことも一応知ってるんでしょ?」
「あ、ああ。まあ一応」
「神なんて人間が作り出した想念の塊みたいなもんじゃない。魂とその行く末たる根源に到る道を研究する魔術師にとって、いわゆる宗教としての『神』なんてものは居ないに等しいわ」
コクンと頷く士郎。
「でも一つだけ。わたし達も知る『神』がいる。それは、宗教者が語る神じゃない。『世界』という物を作り出している何か。――そう。いわば『根源』。わたし達が神と呼ぶならば、それはきっと、『根源』に他ならない」
士郎は少し困った顔で、こちらを見た。
「根源が、神?」
「万物の礎が『根源』よ。それは決して人類の為に存在している物じゃないけれど」
視線をセイバーに向けた。
彼女は涼しい顔をして、お茶をすすっている。
「……でも、そうね。神様がもしも本当にいるのだとしたら、きっと――」
そう。もしも神がいるのだとしたら、それは彼女のような英霊達のことを言うのだろう。
人の無意識によって構成された『世界』によって、その存在を現象とされた英霊達。彼らこそ、人が『神』と呼ぶに相応しいのかも知れない。
言葉を続けなかったわたしを見て、士郎が不思議そうに首を傾げた。
† † †
「大体、うちの父親、お墓に入ってないもの。お墓参りする意味なんて、無いでしょ?」
空気を変えるついでに、そう答えた。
士郎は驚いたように目を大きく見開いて――。
「あ。そっか。遠坂の父親って……」
そこまで言ったかと思うと、先ほどのわたしと同じように、けれど間違いなくわたしより分かりやすく、士郎の顔が顰められた。
「そ。前回の聖杯戦争で、誰に殺されたかも知らないけれど、敗退したわ」
だから遺体なんて物を見てもいない。もしかしたら、今も生きてるかも知れない、なんて思ってもしまう。けれど――。
「まあ、真っ当に死んだとしても、素直に墓に入るような人では無いわよ」
うん。それは間違いなく言えると思う。
士郎の表情を緩めたくて、わざとらしく大仰に両腕を広げた。
「それに代々の遠坂の当主も似たような物ね。素直にベッドの上で死んだ当主なんて、居ないんじゃないかしら」
「……それもなんだかなぁ」
士郎が少し強張った顔のまま、それでも苦笑いを浮かべる。
「……うん。だから、ね。わたし、お墓参りってした事ないかも」
改めて考えてみる。一応、うちのお墓は教会の墓地にある。あるのだけれど。
「そっか。綺礼がいたからか」
なおさらに、お墓に寄り付かなかったのは。
そこに思い至って、なんだかなぁ、と思えてしまった。
「士郎はお盆はお墓参りに?」
「ああ、うん」
「……聖杯戦争で柳洞寺を更地にしちゃったじゃない。あれ、大丈夫なの?」
「……まあ、墓地は反対側にあったから」
更地にしたの、奥の池と周辺だけだし、なんて呟く士郎。
「そっか」
「うん。まあ」
「……わたしも行って良いの?」
何気なさを装ってさらりと尋ねると、士郎はキョトンとした顔をして。
「当たり前だろ?」
――なんて、答えてくれたのだった。
† † †
石段を登る。
あの冬の日に、幾度もこの石段を登った。――生と死の狭間を分かつのが、この石段だった。
その頂上には山門がある。
かつて、そこには一人の剣士がいた。セイバーが懐かしげにその山門を眺めているのを他所に、藤ねえが手早く山門をくぐる。
俺と遠坂も、その後ろに続く。
今日の俺の手には何も無い。代わりに隣を歩く遠坂の手に、花束があった。
俺たちは特に何かを話すこともなく、ただゆっくりとした足取りで修復中の柳洞寺の横を通り、墓地へと足を踏み入れた。
盆という季節のせいか、線香の匂いがそこかしこから立ち上っている。
墓石の間を通り抜けて、目当ての場所に立った。
目の前のには御影石の立派な墓石が立っていた。刻まれた文字は『衛宮家之墓』。
「……随分、立派なお墓ですね」
遠坂が虚を突かれたように、そう呟いた。
「うん。まあ、お爺さまが作らせたからね。なんか、豪華になっちゃったみたいで」
藤ねえがそう言って、俺の背を叩く。
「ほら、士郎」
「あ、うん」
促されて、俺は藤ねえが持ってきていた線香に火をつけた。
それまで薄っすらとしか香っていなかった線香の匂いが、色濃く立ち込める。
遠坂が俺に花束を手渡してくれたので、それも一緒に飾った。
そのまま墓石を眺めて、数分。手を合わせる訳でも、目を閉じる訳でもない。
けれど、それが俺なりの切嗣への墓参りの方法だった。
振り返れば、藤ねえは手を合わせ、じっと目を閉じている。
セイバーはただ目を閉じて、何かを祈っているようだった。
そして遠坂は――。
ただ、じっと墓石を見つめていた。
振り返った俺の視線に気付いたのだろう。少し気まずげな顔をして、彼女は目を逸らす。
俺が立ち上がる気配で、藤ねえとセイバーも目を開けた。
「良いの?」
「うん。まあ」
頷いた俺と入れ替わるように、藤ねえが墓の前に屈む。
そして、先ほどと同じように手を合わせ、もう一度目を閉じた。
「……さっきも、祈ってたように見えたんだけど」
遠坂が俺の耳元で囁く。
「ああ。でも藤ねえが、ああやって祈ってくれるのは、いつもの事だから」
「ふぅん……」
遠坂はそう頷いて、もう一度墓石に視線を向けた。
どこか焦点の定まらない、ぼんやりとした視線。
その表情が遠坂らしくなくて、俺はそんな彼女をちらちらと横目で見ることしかできなかった。
すっと、藤ねえが立ち上がった。
「さって、と」
振り返った藤ねえには、もう祈っていた時の暗い雰囲気は欠片も残ってはいない。いつもの笑顔で、こちらを見る。
「やー。でも遠坂さんも一緒に行きたいだなんて、なんだかお嫁さんみたいだねぇ」
がはは、なんて女としてどうかと思う笑い声をあげて、藤ねえ。
「え――?」
遠坂はといえば、本当に虚を突かれたような顔をして、声を上げていた。
「あ、あの、藤村先生?」
「あ、遠坂さんもお祈りする?」
藤ねえが墓石の前を空ける。遠坂は本当に困惑した顔のまま、ちらりとこちらを見つめて――そして、もう一度墓石を見つめた。
「……いいんですか?」
ほんの暫しの逡巡の後に、そう尋ねる。
「良いの良いの。切嗣さん、女の子大好きだったし」
遠坂さんみたいな可愛い子なら、そりゃもう諸手をあげて大歓迎でしょ、あの自称フェミニスト、なんて。藤ねえ。死人に対してその言い方は酷いと思う。
「……じゃあ」
遠坂は墓石の前に屈むと、線香に火をつけて立てかけた。
両手をあわせて、目を閉じる。
その姿は先ほどまでの藤ねえと、そっくりだった。
何を、祈っているんだろう。
そう思った。
以前の会話を思い出す。彼女は、父親の墓に参る事もなく、魔術師としての研鑽を続けてきたのだ。それが悲しい事だとは思わない。それは『遠坂凛』が『魔術師』として存在するのであれば、至極当然のことだから。
では一体、彼女は今なにを祈っているのだろう。魔術師ではなく、遠坂凛として何かを祈ってくれているのだろうか。
真剣な横顔を背後から眺めながら、俺はそんなことを考えていた。
少しして、遠坂が立ち上がった。
「お待たせしました」
微笑みすら浮かべて、彼女は俺たちに振り返る。
「セイバーちゃんは? お祈りしなくても良いの?」
藤ねえがセイバーにも確かめる。
けれどセイバーは、小さく首を振って答えた。
「ここで祈りましたから、それで十分です。……シロウとタイガと凛が祈れば、切嗣も十分でしょう?」
淡い微笑みを浮かべて、セイバー。藤ねえは「そう?」なんて言って、肩をすくめる。
「さって、と。じゃあ、帰りましょうっか」
「ああ、そうだな」
来た時と同じく、藤ねえが先頭をきって歩いていく。
セイバーはその少し後ろを歩き、俺と遠坂がゆっくりとその後を追いかける。
石段の傍にきたところで、気になっていたことを聞いた。
「なあ、遠坂」
「ん? なに? 士郎」
こちらをちらりと見る遠坂。
「遠坂は、何を祈ってたんだ? 結構長いこと祈ってくれてただろ?」
正直なところを言えば、彼女がそんな事に時間を使うこと自体が、結構な驚きだった。
「ああ、それ?」
少しだけ遠坂は遠い目で石段の向こう――町並みを見る。
「切嗣さんだけじゃなくて、さ」
遠坂はそのまま、ぽつり、と呟いた。
「士郎のお父さんとお母さんの事も、祈ってたから」
「―――え?」
足が止まる。遠坂はスタスタと石段を降りていく。
その後姿。揺れる黒髪が、宙を舞う。
「と、遠坂?」
「今、あんたがここに居るのは、切嗣さんのおかげだけど――」
振り返る遠坂。
その顔は、まるでリンゴのように真っ赤に染まり――――
「衛宮士郎がこの世に生まれてきたのは、あんたのお父さんとお母さんのおかげでしょう?」
――――そして、笑った。
真っ赤になったまま、それでも嬉しそうに。
あの火災で死んでしまった両親。そのことを、俺はほとんど考えなかった。衛宮切嗣という男に養子にされてからは、なおさらに。
大体、俺の本来の家の墓だって、この世には無い。全ては火災で死んだ人々の慰霊碑の中だ。だから――。
「祈って、くれたのか」
だから。きっと彼女はそれを知っていたから。切嗣と、そして両親のことを祈ってくれたのだろう。
「あんたをこの世に生んでくれてありがとう、って。そう言いたかったの!」
遠坂はそれだけを言うと、ぷいと踵を返す。そのまま足早に石段を降りていく。
その背を見つめながら、俺は口元に浮かぶ笑みが隠せない。
彼女の背を追って俺も石段を降りていく。
少し先では、こちらを見上げている藤ねえとセイバー。
そして、ズンズンと石段を踏みつけて降りていく遠坂。
「――ああ。本当に」
俺からも遠坂の両親にお礼を言いたくなった。
ありがとう。彼女を生んでくれて。
ありがとう。彼女を育ててくれて。
おかげで俺は――――――
「遠坂に、逢えたんだ」
その背を追って、石段を駆け下りた。
End
2004/04/30 Kei Takahashi.