farewell day
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黒板の上にかけられた時計を見る。
ずいぶんと時間がたっていた。
「蒔ちゃん、まだかな」
卒業式が終わったのが三時間前。
教室に戻って、藤村先生から卒業証書を受け取ったのが二時間前。
それからみんなと写真をとったり、話をしたりしていた。
でも時間がたつと、みんな少しずつ帰っていった。
まだ教室に残っているのは、わたしと鐘ちゃんと遠坂さん、衛宮くん、美綴さん。
この六人だけ。
何も入っていない机。
カーテンのない窓。
教室をみまわす。
最後まで残っているわたしたちが帰ったら、クラスは完全に解散。
明日から、誰もこない。
だって、わたしたちは卒業したんだから。
わたしが三年間を過ごした学園。
朝、校門をくぐる。
靴箱ではき替えて階段をのぼる。
廊下を歩いて教室へ。
みんなに挨拶して席にすわる。
昼は机を集めてお弁当。
おかずを交換したり、宿題を写しあったり。
授業が終わったら、部室にいく。
荷物をロッカーに入れて着替える。
走って、跳んで、汗を流す。
チャイムが鳴ったら部活は終わり。
夕焼けと一緒に校門を出る。
単調だったけど、楽しい毎日だった。
柳洞くんもさっきまでいたんだけど、生徒会のお別れ会がある、って出ていった。
衛宮くんも連れていこうとしたんだけど、遠坂さんに邪魔されて、結局一人でいった。
教室を出るときに「いままでご苦労さまでした」って言ったら、「ありがとう。お元気で」と返してくれた。
遠坂さんたちは、桜ちゃんを待っている。
桜ちゃんは二年生だから、卒業式の後片付けをしている。
最後だから一緒に下校するつもりみたい。
でも、兄さんの慎二くんはさっさと帰ってしまった。
だからといって、妹の桜ちゃんや遠坂さんと仲が悪いようには見えなかった。
よく分からないけど、複雑な関係みたい。
ちなみに、遠坂さんは卒業生代表だった。
去年は在校生代表をやっていたから、二年続けて代表さん。
すごい。
その遠坂さんは、衛宮くんの机に腰かけている。
美綴さんと二人して、衛宮くんのことをさっきからずっとからかっている。
横向きにすわっている衛宮くんは、真っ赤な顔になったりそっぽを向いたりで、忙しい。
でも、どれだけからかわれても、遠坂さんを机からどかそうとしない。
遠坂さんだって、衛宮くん以外の男の子に、あそこまで近付いたりしない。
やっぱり二人は仲良しなんだと思う。
机と椅子に別れてすわっているのに、間なんてほとんど空いてないし。
鐘ちゃんは、教卓のパイプ椅子に座って本を読んでいる。
いつものように落ち着いていて、なんだか卒業したのもたいしたことじゃないように見える。
わたしはあんなに泣いちゃったのに。
わたしは、カーテンのない窓から外を見る。
校庭に桜の花が舞っている。
この風景を眺めるのは、三回目。
でも、今日で最後なんだ。そう思うと、ちょっと切ない。
「お待たせ、皆の衆」
「遅いよ、蒔ちゃん」
「まったくだ」
やっと戻ってきた。
わたしも鐘ちゃんも、部活を引退するときに自分の荷物をちゃんと片付けた。
もともとロッカーに入れていた荷物なんて、少なかったからすぐに終わった。
でも、蒔ちゃんはわたしが何回言っても、放りっぱなし。
持ってきたマンガ本も、変な小物も、ずっと置きっぱなし。
卒業式のあと、後輩のこがやってきて片付けるようにお願いしてた。
蒔ちゃんはさんざん後輩のこを待たせたあと、ようやく部室へ荷物を取りに行った。
そんなわけで、わたしと鐘ちゃんは、卒業式が終わったにも関わらず、教室にいたのだ。
「まあまあ。ちょうどそこで会ったから連れてきた」
「あの、皆さん卒業おめでとうございます」
桜ちゃんが、蒔ちゃんの後ろから入ってくる。
「これで遠坂と一緒に帰れるだろ、由紀っち。だから気にするなって」
そう言って、蒔ちゃんはわたしの肩に手を置く。
どうやらそういうことで許してもらうつもりみたいだけど、そうはいきません。
卒業旅行の買い物に行く予定だったのに、ずいぶんと遅くなっちゃった。
これじゃ、予定は明日に延期。
蒔ちゃんには、なにかおごってもらわなきゃ。
でも、遠坂さんと帰れるのは嬉しい。
うん、これは認めてあげよう。
みんなで昇降口を出る。
遠坂さんと帰るなんて、初めて。
なにを話せばいいんだろ。
な、なにかを言わなきゃ。
えーと。
えーと。
最後なんだから、なにかを話さなきゃ。
えーと。
えーと。
「あれ、もう校門だ」
悩んでいるうちに、校門に着いてしまった。
遠坂さんの帰り道は、わたしたちと違う方向。
だから、ここでお別れ。
せっかく一緒に教室を出たのに、なにも話せなかった。
お分れの前に、なにか、なにか言わなきゃ。
「と、遠坂さん」
「なにかしら」
「え、えと、あの、卒業おめでとうございます」
ああもう、なにを言ってるんだろ。
わたしだって卒業したでしょ。
うまく言葉を使えない自分がもどかしい。
でも、遠坂さんは、あたふたするわたしに言ってくれた。
「ありがとう。あなたも、卒業おめでとう」
「あ、え」
そして。
優しい笑顔で。
本当に優しい笑顔で。
「さようなら、三枝さん。いつまでもお元気でね」
そう、言った。
遠坂さんたちの背中が小さくなる。
それを見送っているわたしに、鐘ちゃんが気をつかった声で、話しかけてきた。
「どうした、ユキ」
「え?」
顔を向ける。
「なぜ泣いている。まさかと思うが、さっき、遠坂嬢になにかされたのか」
鐘ちゃんに言われて、頬を伝うものに気が付いた。
蒔ちゃんも、心配そうにわたしを見ている。
「ううん、違うの。遠坂さんじゃないの、わたしなの」
遠坂さんの最後の笑顔。
遠坂さんの最後の言葉。
あれは、遠坂さんのお別れの言葉。
わたしと遠坂さんは、これでお別れなんだということ。
本当に、お別れだということ。
それが、分かっちゃったのだ。
「無理にとは言わないが、理由を話せるなら聞こう」
蒔ちゃんもうなずく。
二人とも、心配そうな顔をしている。
わたしのことを、気にかけてくれているんだ。
なら、言わないといけないよね。
ともだちなんだから。
だけど、どう言えばいいんだろう。
ええと。
「……あのね、遠坂さんは王子様だったの」
二人とも、けげんそうな顔。
うまく言えない。けど、わたしには他の言いかたなんてできないから。
「最初は、何気なくこっちに立ち寄ってみただけで」
だから、身振り手振りをしながらなんとか伝えてみる。
「でも大事なものを見付けて」
それは、たぶん衛宮くん。
思い返してみれば、分かる。
遠坂さんは衛宮くんを大事にしていたし、衛宮くんも遠坂さんを大事にしていた。
「でも王子様の星は遠すぎて、本当に大事なものしか持って帰れないから」
遠坂さんは、ずっと遠くを、わたしには分からないくらい遠くを見ている。
ずっと遠い何かを目指して、頑張っている。
「だから、わたしはここでお別れ。わたしは羊の入った箱の絵にはなれなかったの」
つまり、そういうこと。
二人の顔を、そっと見てみる。
よく分からないって顔をしている蒔ちゃん。
鐘ちゃんはじっと何かを考えている。
「えへへ、うまく言えないや。ごめんね」
やっぱり、わたしじゃうまく言えなかったみたい。
そう。
遠坂さんは、向こう側の人だったのだ。
たぶん、衛宮くんも。
二人は、たまたまこっち側に来ていて、たまたま学園に入って。
その学園を卒業したから、本当の場所に帰るのだ。
これからも、どこかで遠坂さんを見かけることはあると思う。
でも、それだけ。
こっち側と向こう側は、近付くことはあっても、重なることはきっとない。
だから、遠坂さんとは、これでお別れ。
二度と重ならない、わたしと遠坂さんの道。
遠坂さんがいたのは、ショーウィンドウの向こう側だったのだ。
わたしには、ぜったいに手が届かない人だったのだ。
「アタシにゃよく分かんないけどさ」
蒔ちゃんが言う。
「由紀っちが言うなら、そうなんだろう」
鐘ちゃんもうなずいている。
――――――おどろいた。
「二人とも、あれで分かったの?」
おもわず聞きかえした。
「私はマキジより本を読んでいるからな。あの童話の知識くらい当然ある」
「む。その言い方だとアタシが本を読んでいないみたいじゃないか」
鐘ちゃんは、蒔ちゃんに手をひらひらと振る。
「ユキの話をよく分からんと言ったにも関わらず、先ほどのような発言。つまり、マキジは他人の本質を見抜くことにかけては、ユキを誰よりも信頼している。そういうことだろ」
「う、まあそうなんだけど」
蒔ちゃんはすごく照れた顔をしている。なんかめずらしいものを見ているのかも。
鐘ちゃんは、視線を私の手に落とすと、やさしい声で言った。
「なあ、ユキ」
「なあに、鐘ちゃん」
「王子の手は二本しかないからな。なにもかもを抱えて旅を続けることは出来なかったんだ。だけど、残された狐や"僕"には王子と過ごした時間がある。いつかは忘れるにしても、それは幸せな時間だったのではないかな」
鐘ちゃんが言うことは正しい。
遠坂さんは、いつかわたしのことを忘れるだろう。
新しい場所、新しい時間。
いままでわたしが居た場所に別の誰かが入って、わたしの代わりをする。
その人の記憶に塗り替えられて、遠坂さんの中にいるわたしの記憶は、少しずつ薄れていく。
わたしだって、そう。
同じようにして、遠坂さんのことを忘れていく。
でも、わたしは思う。
それは悲しいことじゃないんだって。
近くに居てくれた人たちから、わたしは小さな欠片をもらう。
もらった小さな欠片は、わたしを少しだけ変えていく。
記憶からその人のことが消えても、少しだけ変わったわたしは残る。
想い出のささやかな欠片は、ずっと一緒にある。
わたしと鐘ちゃんを交互に見ていた蒔ちゃんは、お財布を取りだした。
中身を確認している。
小銭入れの中まで確認すると、笑顔になって、わたしに言った。
「よし。フルールに行くぞ。今日の主役は由紀っちだ」
「うむ、異存はない」
鐘ちゃんもうなずく。
二人が歩き出す。
よかった。この人たちとお友達で、よかった。
目を閉じて、思い出す。
遠坂さんが最後に見せてくれた笑顔。
ほんとうに、ほんとうに、優しい笑顔だった。
「ほら、由紀っち。早く」
「主役が来ないと始められないぞ」
大切なお友達の声。
もう見えない遠坂さんの後ろ姿。
それに背中を向けて、わたしを待っている二人に駆けだす。
ずっと高いところにある真昼の月。
強い風に流されていく白い雲。
校庭から飛んできた桜の花は、わたしの顔をかすめて、舞い上がっていく。
春の空をどこまでも舞い上がっていく。
お別れには笑顔を。
出会いには握手を。
ありがとう、想い出の人たち。
そして、さようなら。
今日、わたしは、私立穂群原学園を卒業した。