Letter from 慎二  M:衛宮桜 傾:しみじみと独白


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1: CosMos (2004/04/29 14:56:28)[hinathi at yahoo.co.jp]

 間桐の血族は生きながら腐っている。

 そもそも人は、生きているうちに腐るのだろうか。普通ならばありえない。でも、だからこそ私は思う。
 生きながら、その方向を間違えて進む。自らの求めた理想を、常に裏切りながら進む。何がために生きるのでなく、生きることだけを目指し、裏切っていることすら忘れ、生きながらえる。それは、もはや腐っていると言えよう。
 だから、間桐の血族は生きながら腐っている。魔術回路も枯渇したこの血族にとって、もっともふさわしいあり方だと思う。

 Letter from 慎二

 その手紙を最初に手にしたのが私だったということは、衛宮桜にとって、とても僥倖だと思う。
 珍しく私が勝手に郵便受けを覗き込んだこの日に、その手紙はひとつ、なんとも言えぬもの寂しさを伴って暗い小箱の中に納まっていた。何気なく覗いたあて先は、無論この家の主たる人物。衛宮士郎へと書かれていた。
 そして、差出人は間桐慎二と書かれていた。もう、すでに亡くなった人からの手紙だった。
 思い起こすのはあの忌まわしい事件のことだ。聖杯戦争。七年も前の話だ。
 七年前のあの戦争で、私は自分のサーヴァントを兄だったあの人に預け、一人何事もなかったかのように暮らしていた。衛宮士郎の隣にいて、早くあの兄を殺してほしいと願っていた。でも、それはもう過去の話。
 もう二度と、この忌まわしい名前など思い出す必要などないと思っていたのに。
 ふぅ。
 私はため息をひとつつくと、意を決して封筒を開いた。

『元気にしているか、衛宮。元気にしてくれてないと頼むこちら側が困る。まあ、こっちの都合だが、お前は断ったりはしない。そういうやつだものな、お前は。だけど、とりあえず元気でいてくれるとこちらはうれしい。実はお前に、頼みがあるんだ』
 ありきたりな文面。あれだけ毒を含んでいた人物だが、文におこしてみるとずいぶんと気さくな感じがした。でも、もう十分だ。こんな手紙、捨ててしまおう。
 衛宮士郎を、煩わせるわけにはいかないから。
 手紙を持つ手に力が入る。そして、
『それとまあ、僕は元気じゃないのはわかっている。この手紙が届いたということは、僕が死んだということだからね』
 私は手紙を持って、衛宮家の自室へと足を向けた。一人で、じっくりとその手紙を読むために。
『頼みたいことというのは、ほかでもない。僕の妹、間桐桜ことだ』

◆    ◆    ◆

『僕が初めて桜と出会ったときの感想は、つまらない。その一言だった。
 おどおどとしていて、こちらと目を合わせることもなくうつむくその姿は、保護欲を掻き立てるよりもむしろいらいらする冗長さを持っていた。回りの流れに乗ってころころ変わるあり方、自分の意志の欠如。人間としての重要なものが欠けた、出来損ないの人形だった。
 そして何より、こんな出来損ないに自分の魔術師としての立場を奪われたということが、ひどく味気なく感じられた。冗談じゃない。何で、自分より格下のものを相手に、僕が引かなくちゃならないんだ。
 その日を境に、僕はよりいっそう魔術師を目指すようになったのは、当然の末路だ。
 そもそも魔術なんて、僕にはどうでもよかったんだ。それは僕にとって手段にしか過ぎない。だから僕の目指すものは、魔術師ではなく魔術使い。そして目標は、自分の誇りのためだった。
 自分たちの貧弱さを棚に上げて僕を見限った両親。最初から期待すらしていなかったとばかりに、存在そのものを無視してくれた祖父という化け物。こいつらを見返してやる、その手段が魔術だった。
 だが僕には魔術回路がない。スタートラインにすら立てず僕はずっと歯噛みするしかないんだ。あの出来損ないにすら追いつけずに。

 魔術回路を形成するにはいくつかの手段がある。
 魔術師の家系は、元から回路ができている。回路の認識さえすめば、あとは自由に魔力を生成することができる。
 突然変異として魔術の素質を持つにいたった人は、擬似的に神経に魔力を通すことによってオドを体中に循環させる。するとじきに回路が形成されていく。
 普通はこの二つしか魔術回路の形成する方法はない。だが、間桐家は腐っても長年続いた魔術師の家系だ。いろいろと胡散臭い資料はそろっている。
 曰く。神経の半分を魔術回路に書き換えた魔術師がいる。
 曰く。魔術師の脳髄を移植して魔術師になった人がいる。
 曰く。大量の魔力を直接流し込むと、才能のない人にも魔術回路が生まれる場合がある。
 曰く…
 試せるものは全部試した。あの化け物がいないときに地下室に行き、体を虫たちに食べさせたこともあった。気が狂うような苦痛と快楽、そのすべてを押し殺して耐え、そして魔術回路など生まれなかった。
 僕は誇りがないままここに朽ち果てつつある。

 そもそも桜のことに気づいたのはいつのことだったろうか。
 あの化け物祖父の体が虫でできていることは、前々から気づいていた。その本体を見つけ、思う存分靴のそこで踏みにじってやりたいと常々思っていた。だけど、その本体は桜の心臓に寄生していた。その事実を知ったとき、ようやく僕の中でけりがついた。この祖父は、僕に何一つ期待なんてしてなかったんだ。
 魔術師はみんなそうだ。僕に何一つ期待はしない。しかも先回りをし何ひとつ誇らせない。
 お前はくずだ。お前は出来損ないだ。お前に何ができる、何が。
 だから見返してやる。桜の心臓からお前を取り出し、靴のそこで思いっきり踏みにじる。桜も、両親も、あの遠坂ですらできないことを僕がやってみせる。そして僕は誇りをつかむのだ。
 それが僕の願い。魔術師になる理由だった』

◆    ◆    ◆

 手紙を持つ手が震える。だが落ち着け。
 なんてことはない。彼も生きながら腐っていたということだ。いつの間にか手段が目的に成り下がり、自分の理想を裏切り続けていただけだ。だから、彼が死んだのは間違いじゃない。
 生きながら腐っているのは間違っている。死んで腐ったほうがいいはずだ。だが間桐の姓はそれを良しとしなかった。あの兄だった人は自らの死で、間桐の呪縛を断ち切った。たぶん、そういったことなんだろう。
 私は手紙を閉じた。もう読む必要はない。間桐の呪縛はもう私を蝕んではいない。何しろ私は衛宮桜。間桐とはなんら関係のない一人の女だから。
 胸に手を当て、心臓の音を聞く。トクントクント落ち着いた調子を響かせる。こうやって自分の心臓の音を落ち着いて聞けるようになってから何年たっただろうか。もう、ここを蝕むものはない。
 間桐の名を捨てることができて、私は幸せだ。昔からあこがれていたあの人達と、私は今家族になっている。あこがれていたあの人達は、私の家族なんだ。
 初めて私が勇気を持ったときのことを思い出した。あの時初めて、私は自分の意志で手を差し出したのだ。

◆    ◆    ◆

 私がまだ間桐だったころ。衛宮士郎が学校を卒業するとき、ついに付き合っていた二人は結婚した。遠坂凛、実の姉。何もかも持っていた彼女は、横から颯爽と現れて私から先輩まで奪っていった。
 二人が付き合っていたことに気づいていたが、結婚をすると知らされたとき私の目の前はスーッと暗くなった。たぶんこのままじゃだめだ。このままいったら、
――姉さんを殺してしまう。そう思った。
 その日の晩私は姉さんを自室に呼んだ。本当に殺そうと思っていた。姉さんを殺して、先輩も殺して自分も死のう。心臓を思いっきり突き刺して、あの祖父も一緒に殺してしまおう。私は心から笑顔を浮かべ、姉さんを部屋に迎え入れた。
「桜。あなたの話は、士郎の事かしら」
「ええ、先輩のことです」
 自然と口元から笑いが漏れる。くすくす、お姉ちゃん――食べてしまいたい。
「そうね。確かにけじめはつけとかなきゃいけないものね。私も、あんたの気持ちには最初から気づいていたし」
「なら、何故!」
「好きだからよ。仕方ないでしょ」
 やっぱりそうだ。この姉は、私の気持ちに気づきながら、それを踏みにじって先輩の隣で笑っている。もういい、殺そう。
 その一歩を踏み出す前に、姉が目を伏せつぶやいた。
「ごめんね、桜。こればかりは譲れないわ」
 その言葉で、私は笑みを捨てた。心のそこから、憎しみの言葉をぶつけた。
「いまさら、いまさら何を謝るって言うんですか!姉さんは、いつも私から奪っていった!それを、そんな言葉だけで!」
 私の言葉は、部屋に張られた結界にぶち当たり空しく散っていく。先輩が起きてくる心配もなく、私は思う存分怒鳴りつける。
「桜、別に私は何もあなたから奪ってないわ」
 冷たい、凍てついた声。遠坂の魔術師が目の前に立っていた。簡易結界。その一つを見ただけで、目の前の魔術師は私の意図に気づいていたのだろう。懐から取り出した宝石を無造作に指ではじいている。
「桜、それはすべてあなたが放り出したものよ。自分のものでもないのに、私が手に入れちゃいけないって言うの?」
「ずるい」
「自分で手を伸ばせば届くものに、いつまでも手を出さなかったのは誰?」
「ひどい」
「士郎は私のものよ。貴方なんかにあげたりはしない」
「けち!」
「ケチって何よ。半分ことかできるものじゃないでしょ」
 私は思いっきりほほを膨らませる。なんだか殺す気が失せてしまった、情けないことに。
「だから、貴方に、遠坂凛として最後にプレゼントをあげるわ」
「先輩一日使用権ですか?」
「それは無理。あいつは律儀だから、ヤッたら責任取りそうだし」
「けちんぼ」
「だから、衛宮の姓を貴方にあげるわ」
「え!?」
 ふぅ、とため息をひとつつき姉さんは勝手に私のベッドの上に腰を下ろす。もう宝石はとっくにポッケにしまっている。
「私は明日から衛宮姓を名乗るわ」
「婿養子にするんじゃないんですか?」
「遠坂はもういいわ。魔術師は二の次の私に、遠坂の名は継げないわ。それより…」
 じっと姉さんは私の目を覗き込む。
「私の妹に戻る気はない?」
「え、でも、それは。遠坂だし」
「言い直すわ。衛宮凛の、妹になる気はない?そして、衛宮士郎の義妹に」
 息が止まった。理由なんてわからない、でも息が止まった。
 小さく深呼吸をする。そしてそれは小さな過ちに気づいたからだとわかった。
 私は、先輩を愛してはいなかったんだ。
 私は先輩が大好きで、あの人が笑っていると私もうれしくなって、ずっとそばにいたいと思っていた。その感情を私は何だか知っている。私が目の前にいる姉さんに抱いている感情と同じ。藤村先生が士郎に向けるまなざしは、実は私と同じだったんだ。すべては家族、その一言だ。
 私は先輩の家族になりたかったんだ。そんな小さな過ちに気づいて、私は息を止めた。
「まあ、ゆっくり考えなさい。でも、士郎は大歓迎してくれるわよ」
 姉さんは少しほほを赤く染めながら部屋を出て行った。それが、照れているのだとわかったときには、もう姉さんは自分の部屋に戻っていた。
 次の日、私は初めて勇気を持って告白をした。懐かしい思い出。大切な、私の宝物。

◆    ◆    ◆

『結局僕は聖杯戦争を無様にも生き延びてしまった。
 そして、魔術師に僕はなっていた。
 聖杯から流れてきた大量の魔力が、体を勝手に書き換えて魔術回路を形成していた。ずっと魔術師になることを目的としてきた僕にとって、それはとても嬉しいことであるはずだった。だけど、何の感慨も浮かばなかった。なんてことはない、それは僕の手段だったに過ぎないのだ。
 いつだったのだろうか。僕は手段を目的だと勘違いしていた。魔術師になるためだけに、目的まで切り捨て、自己を失い地面を這いずり回った。桜も傷つけ、祖父の思惑通り動いていた。誇りなんてひとかけらも持っていなかった。
 僕は、間違っていたんだ。ようやく僕はそれに気づけた。でも、償う気はない。懺悔する気もない。後悔もない。僕は前に進むことにした。
 衛宮士郎。僕の親友、少なくとも僕はそう思っていたが、ひとつだけ頼まれてくれ。
 もし僕が志半ばで倒れたとしたら、お前が桜を救ってやれ。それは僕の誇りの問題だからな、一切手を抜くなよ』

◆    ◆    ◆

 間桐慎二は二十歳になるほんの数週間前に亡くなった。交通事故だといわれているが、死体はバラバラで実際は何が起こったかわからなかった。
 私は何も知らない。
 義兄さんの書斎の引き出しに、この手紙と同じ封筒が入っていることも知らないし、手紙の最後の一文の内容も知らない。
『それと、この手紙は僕が二十歳になってから五年ごとに送るように頼んであるから、もし僕が早く死んだら定期的にお前を煩わせると思うが笑って流せ』
 そして、私の心臓に救っていた虫が取り除かれたのが、兄だった人が二十歳になるよりほんの数週間早かったことも、無論知らないのだ。


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