「シロウ、お祭りとは何ですか?」
それはセイバーとの日課である剣の鍛錬を終え、道場で弁当を食べている時だった。
「お祭り?」
「はい。朝食の後大河が教えてくれたのですが、今日の夜に柳洞寺で夏祭りいうのものがあるそうなので」
「夏祭り? ああ、もうそんな時期だったのか」
今は八月の中旬で、俺は夏休みの真っ最中。
それで、今セイバーの言った夏祭りだが、これは毎年今頃になると柳洞寺で行われる深山町最大の祭りのことだ。
「それで、夏祭りとはどのようなものなのですか?」
「祭りっていうのはだな、簡単に言えば外でする大きなパーティーみたいなものさ」
「パーティー? では祭りとは舞踏会のような感じなのですか?」
まぁ、祭りによっては踊りがないことはないが、舞踏会とは基本的に違う。
「いや、舞踏会とは違うんだ。ええと、何て言ったらいいのかな」
祭りなんて人に説明したことがないからなんと言えばいいのか分からない。強いて挙げるなら行けば分かると言うしかない。………だったら行けばいいじゃないか。
「セイバーはお祭りに興味ある?」
「はい。日本の文化は私の国の文化とは全然違うので大変興味深いです」
ふむ。これなら反対されることはないだろう。
「よし、だったら今日、お祭りに行こうか」
「え? わ、私とですか?」
「うん。夜はどうせ暇だし、それにセイバーも行ってみたいだろ?」
「行ってはみたいです。ですが…」
ですが、何なんだろう。セイバーが俺と一緒に祭りへ行くのに反対する理由はない筈だ。
「私は浴衣を持っていません」
「浴衣? 何で浴衣が必要なのさ。いつもの服で行けばいいじゃないか」
別に浴衣でなければ祭りに行けないということはない。と言うか、最近は浴衣を着ている人の方が少ない。
「然し、大河の話では夏祭りの正装は浴衣であると」
確かにそれは間違っちゃいないが、一度も浴衣で祭りに行ったことのない奴が言う台詞か、藤ねぇ。
「私服でも全然問題ないよ。セイバーが浴衣の方がいいっていうなら浴衣も用意するけど?」
「用意できるのですか?」
どこか期待のこもった目で俺を見るセイバー。
「ああ。多分藤ねぇの家に腐る程あると思うから」
そう。極道だからかも知れないが藤ねぇの家には浴衣や着物といった和服が沢山ある。何でも雷画爺さんがことあるごとに買ってくるのだとか。でも雷画爺さんなら貸してくれって言うと喜んで浴衣を特注してくれそうだ。
「それならば大河に頼んでくれませんか?」
「分かった」
俺は空になった弁当箱を片付ける為、それと藤ねぇの家に電話する為に居間へと向かった。
時間は飛んで午後八時。
俺達は藤ねぇの家で浴衣(青を基本としていて、セイバーによく似合う)を借り、自転車の荷台にセイバーを乗せて柳洞寺に向かっている。このぶんだと後十分ぐらいでつきそうだ。
「シロウ」
不意にセイバーが俺を呼ぶ。
「何?」
「…凛や桜は誘わなくてもよかったのですか?」
「いや、二人共から一緒に行かないかって誘われたけど断った」
昼間に二人から誘いがあった時は本当に困った。桜は予想してたからあらかじめ答えは考えていたけれど、まさか遠坂も自分から誘いにくるなんて思ってなかった。
「断ったのですか!」
何故か驚くセイバー。
「そんなに驚くようなことか?」
「あ、いえ、シロウが女性、特に凛や桜の誘いを断るとは思わなかったものですから。然し、誘われたのなら皆で一緒に行けばよかったのではないですか?」
セイバーには二人だけで行きたいって気持ちはないのだろうか。
「セイバーは俺と二人で行くのが嫌なのか?」
「い、いえ、決してそんなことはありません! ただ、私ばかりがシロウと一緒にいてもいいのかと思ってしまって」
何だか妙にテンションが低くなっているセイバーさん。雰囲気の所為だろうか。
「何だ。そんなことか」
「な、何だとは何ですか! 私は真面目に言っているのですよ!」
「そんなことは考えなくてもいい。俺はセイバーが好きでずっと一緒にいたいと思ってるんだ。ならそれでいいじゃないか。遠坂や桜を気にする必要はないよ」
「で、ですが」
「ですがも何もない。ちょっと飛ばすから黙っててくれ」
強引に話を打ち切って俺は自転車のスピードを上げた。
柳洞寺に到着。
階段下は人がまばらだが、上からは賑やかな声や音楽が聞こえてきている。
「セイバー、それ歩き難くないか?」
俺はセイバーが歩く度にカランコロンと音をたてる下駄を見ながら尋ねる。
「はい。少し違和感はありますが問題はありません」
とは言うものの初めて着る浴衣も手伝ってか凄く歩き難そうに見える。もし走りでもしようものなら転ぶのは必至だ。
「それでは行きましょうか、シロウ」
「ああ」
左手には祭りへ行く時の標準装備品である団扇が握られていてセイバーは自然と俺の左側に並ぶ。珍しくセイバーから握ってきた手を握り返して階段を登り始める。が、
「しかし、この履物は――きゃっ!」
二十段ぐらい登ったところで段差に下駄を引っ掛けて転んだ。俺は咄嗟に握っていた手を引いてセイバーを抱きとめる。まぁ、浴衣も下駄も初めてだから仕方のないことではある。
「大丈夫か?」
「…はい」
セイバーは顔を赤くして俺から離れる。
それからは段差に気をつけるようになったが、それでも登りきるまでに二、三度転びそうになった。
柳洞寺の門を潜ると途端に祭りの喧騒が大きくなる。セイバーは目の前に広がる数々の出店に目を丸くしている。
「これが、お祭りというものですか」
「楽しそうだろ?」
「ええ。とても賑やかで、凄く楽しそうです」
そして嬉しそうな優しい笑顔を浮かべる。うん。これだけでもセイバーを祭りにつれて来た甲斐があった。
「よし。それじゃあ一通り見て回ろうか。お金は全然問題ないから出店を全部制覇してくれても構わないぞ」
「シロウ! 人のことをそんなに食い意地の張っているように言わないでください!」
…何てことをいいやがりますかね、この王様は。そんな嘘をつくのはこの口か、とか言いながら頬を引っ張ってやりたい衝動を必死に抑えて歩き出す。今度我が家の家計簿でも見せてやろうか。
三十分後。
やはりと言うか当然と言うか。
別に最初から予想していたことなので然程驚きはしないが、何ものにも限度というものは必要だと思う。
今、俺の左手には出店で買った焼きそばにたこ焼きの入った袋とイカ焼きが、右手にはリンゴ飴と水風船が二つ、金魚が四匹入った袋が引っかかっている。言うまでもないがこれの殆どはセイバーが買った物だ。それで、当のセイバーはというと右手に持ったワタアメを幸せそうに食べてたりする。俺はもう恋人ではなく荷物持ちに成り下がっているような状態だが。
因みにイカ焼きはセイバーではなく俺のものだ。
「あ、シロウ。あれは何ですか?」
セイバーがが団扇で指したその先にはライフルを持った人が立っている。
「あれは射的だな」
「射的、ですか」
「ああ。あのライフルで置いてある景品を狙って撃つんだ。弾が当たると当たった景品が貰えるようになってる」
「そうなのですか。…あの、シロウ」
何か言いたそうな目でこっちを見てくる。
セイバーはここに来てからずっとこんな感じだ。あれは何これは何と訊いてきて、俺がそれに答えると控えめに欲しい、やりたいと言ってくるのだ。一体何に遠慮しているのだろうか。もしかしたら俺が言ったことをセイバーなりに気にしているのかも知れない。然し、このままいくと結局のところ出店を制覇することになる。
「やりたいなら構わないよ。ポケットに財布があるから取ってくれ」
「すいません、シロウ」
食べ終わったワタアメの割り箸をゴミ箱に捨ててポケットから財布を取り出す。
「それでは行ってきます」
お金を取って財布を戻すと小走りに駆けていく。
「あ、セイバー」
「え?」
走ると危ない、と言おうとしてセイバーを呼んだのがまずかった。セイバーは振り向きながら下駄を地面に引っ掛けて、転んだ。
あの転び方はよくない。多分足首を捻るか挫くかしただろう。
「走ると危ないって言おうとしたんだけど、足大丈夫か?」
駆け寄ってセイバーの横にしゃがみ込む。
「大丈夫です。この程度なら全然――っ!」
立てろうととするが、左足を地面につくと痛みに顔をしかめてしゃがみ込んでしまう。左足には力も入らないみたいだ。
「どこが大丈夫なんだよ。…ほら」
セイバーに背を向ける。
「シ、シロウ、そんな事をしなくても私は本当に」
「馬鹿。一人で立てれないのに何言ってるんだ。早く乗ってくれ」
「…分かりました。失礼します、シロウ」
肩に手をかけ、静かに負ぶさってくる。
…軽い。毎日あれだけ食べてるのに、と不思議になるくらいに軽い。
「セイバー、ちょっと悪いんだけど袋とか持ってくれないか」
「分かりました」
セイバーに袋や水風船なんかを持たせて歩く。取りあえず人の少ない境内裏にでも行くか。
境内裏。
流石にここまでは祭りの喧騒もあまり聞こえてこない。
「もう大丈夫ですから、ここで降ろしてください」
耳元で何度目かの抗議の声が聞こえてくる。
「本当に大丈夫なのか?」
「何度も言っているでしょう。もう何も問題ありません」
あまりにセイバーが何度も言うので仕方なく地面に降ろす。
「見てください、シロウ。何も問題ないでしょう」
言いながら左足だけでジャンプしてみせる。決して痛みを我慢しながら無理して跳んでいるようには見えない。
「…痛くないのか?」
「当然です。シロウ、もしかして貴方は私が英霊であるということを忘れていませんか?」
「あ…」
忘れていた。聖杯戦争が終わってからもう半年が経つし、あれからというものセイバーが英霊として活躍するときなんて一度たりともなかった。更に言い訳をするならばセイバーは完全に衛宮家に溶け込んでいて全然違和感がないからだ。
「あ、とは何ですか。まさか本当に忘れていたのですか」
「い、いや、セイバーが英霊だなんてことを忘れるわけがないじゃないか」
「それならちゃんと私の目を見て言ってください」
そしてわざわざ俺の前に回りこんでくる。じっとセイバーの目を見詰めて答えようとしたが、そんなことできるわけがない。
「すいません。忘れてました。許してください」
観念して素直に謝る。
「…はぁ」
セイバーは何やら呆れた風なため息をつく。
と、その時ドォン! という爆発音が聞こえてくる。
「! まずい! セイバー、急ぐぞ!」
「ちょ、いきなり何なのですか、シロウ!」
「説明は後だ! とにかく急げ!」
セイバーから袋を奪い取り、手を引いて走り出す。目指すは柳洞寺の西にある広場だ。
「シロウ、ちょっと待ってください! この履物では走りにく――きゃっ!」
本日二度目の悲鳴。その理由は俺がセイバーを抱き上げたから。俗に言うお姫様抱っこというやつだ。
広場には一分ほどで到着した。急いで座れる場所を探すが何処も既に埋まってしまっている。
「シロウ、沢山人が集まっていますが、一体此処で何が――」
その声は途中に割って入った爆発音によって掻き消される。
「あ」
「分かったか?」
セイバーは俺に抱かれたまま空に咲いた大きな花火を見て固まっている。
「あれは?」
「知らないか? 花火って言うんだけど」
「いえ。私の国にはあんなものはありませんでした」
打ち上げられる花火を眺めながら、俺はどうにか二人が座れる場所を見つけてそこに移動する。
「セイバー、降ろすぞ」
「はい」
セイバーを地面に降ろすと、俺もその横に腰を落とす。
空を見上げると何度も火弁が咲いては消えていく。
「シロウ」
「ん? 何?」
「花火とは綺麗ですね、本当に」
「ああ。綺麗だな」
そこで俺はセイバーの横顔を見る。その顔は花火に照らされて普段とは違うセイバーを映し出していた。
「また、来年も見に来られるといいですね」
「大丈夫。何回でも見に来られるさ」
「そうですね。何回でも見に来ましょう」
そこで一端会話が途切れる。
「お祭りに行く途中」
花火を見ていると不意にセイバーが話しだす。
「シロウは私のことを好きだといいましたね」
「…ああ。確かに言った」
「ずっと一緒にいたい、とも」
「…言った」
あの時は何気なく口にした言葉だったが、今思うと結構恥ずかしい台詞だったと思う。でも、何故セイバーは今この話題を持ち出したのだろう。
「私もです」
「え?」
「ですから、私もシロウに負けないぐらい貴方のことが――」
絶妙のタイミングで花火が上がり、そこから先の言葉が聞こえなくなる。謀ったな、セイバー!
まぁ、聞こえなくても台詞の内容は大体想像がつくけれど。
「十分わかってるよ、セイバー」
言ってセイバーの肩を抱き寄せる。
それから俺達は花火が終わるまでずっと空を見上げていた。
そして俺達が祭りから帰った次の日の朝、遠坂が極上の笑顔で特製麻婆(しかも大盛)を俺だけに作ってくれたり、桜が妙に冷たかったりしたのはどうしてだろう。