自称魔術師見習いであるという少年、衛宮士郎にとって何が予想外であったかと言えば、
その日に起こった出来事の全てが予想外であったと言わざるを得ない。
厳密に言えば、その日の夕方以降に起こった出来事が、である。
学校でランサーに襲われて死んだ。
生き返った。
家に帰ったらまたランサーに襲われた。
死ぬ寸前でセイバーを召喚した。
ランサーを撃退した。
今度はアーチャーと遠坂凛に出くわした。
何とか和解して、それから聖杯戦争という自分が巻き込まれたモノについて教えられた。
激動の一日である。
今日起こった出来事を衛宮士郎が事前に予想していたというなら、彼は既知の外の住人であろう。
全ては予想外、魔術師とはいえ見習いでしかない衛宮士郎では事態の推移に頭がついていかないのだ。
冷静に考えようとしてもいろいろな事情で冷静になれない。
だから遠坂凛が「新都の言峰教会まで案内してあげましょう」と提案したときに、
「もう少し頭を冷やして考える時間をくれ。いや、頭を冷やして考えたところでどうにかなるものでもないとは分かってるんだ。
でも頼む、今夜は勘弁してくれ。死んだり生き返ったり忙しすぎだ。せめて一日猶予をくれ」
などと言ったこともある意味では無理なからんことであろう。
だが、この一言が決定的な運命の―――Fateの分岐であったことを、衛宮士郎は知らない。
夜半を過ぎた衛宮家には静寂の撒くが降りていた。
珍しく自室で布団を被る衛宮士郎は悪夢のようだった一日のことを思い、だが時折思い出したように痛む胸の傷痕に
今日の出来事がどんなに常識外れで、どんなに世の条理に適わない出来事であったにせよ、それが夢などでなかったことを自覚させられる。
現に、耳を澄ませば聞こえるではないか、常識の外にあるものの象徴のような彼女の寝息が。
ふすま一枚隔てて隣の部屋に眠る少女、セイバー。
彼女こそ今日の不条理の主役、これから始まる非日常のヒロイン。
銀の鎧で身を多い、見えざる剣で敵を討つ。
「なんだってんだ・・・チクショウ」
意味の無い独り言に返答は無い。
いい加減受け入れないといけないとは思っている。
それでも女々しく毒づいている自分が嫌になった。
聖杯戦争というものの概要は聞いた。
聖杯、魔術に携わるものなら誰でも知っている神秘の秘蹟。
それを巡って争う七組のマスターとサーヴァント。
血なまぐさい殺し合い、バトルロイヤル。
自分が巻き込まれたのはそんなものだ。
半人前であれ、未熟者であれ、一応は魔術に関わる人間として命に危難に関わるという覚悟は当の昔につけていたはずだった。
それでもいざこうしてそれが現実の可能性としてこの身に降りかかるとなると、相応の恐怖感は感じてしまう。
情けない、自らが情けない。
あの少女、セイバーは剣を振るっていたではないか。
セイバーが始めから“そういう”存在としてこの世に召喚されただとか、そんなことは関係ない。
彼女のような少女でさえ自身の命を狙わんとする者に対して立ち向かえるだけの意志力を持っているというのに、
自分は命を賭すということに恐怖を感じている。
死ぬのが怖い。
何故なら、自分はまだ正義の味方はおろか、何者にもなっていないのに、そんな自分のままで死んでしまうことがたまらなく怖いと思うのだ。
衛宮士郎という名の剣には芯鉄たる覚悟が足りない。
だからこうして震えてしまう。
くそ、こんなことなら教会でも何でも行って話を聞いてくればよかった。
それで覚悟出来るかどうかは知らないけど、遠坂から聞かされた断片的な情報に震えているだけの自分よりはよっぽど―――
―――カランカラン
不意になった音に布団を蹴って飛び起きる。
ふすまの向こうでもセイバーが身を起こした気配を感じた。
直後、ふすまを開きセイバーが士郎の部屋に飛び込んでくる。
「マスター!」
「ああ、侵入者だ」
飛び込んできたセイバーは既に銀の鎧を着込み、手には風に覆われた不可視の剣を携えていた。
風王結界―インビンシブル・エア―の放つ風にふすまがガタガタと揺れる。
どうしますか、と目で問うセイバーに士郎は頷いて返した。
「とりあえず庭で迎え撃とう。家の中で戦うよりはマシだろ?」
「それは構いませんが、マスター、貴方に問いたい」
士郎の質問にセイバーは質問で返す。
その目は真剣で虚偽を許さない強制力を持っていた。
「マスター、戦う覚悟はついたのですか?」
その質問に士郎の心臓がドクンと跳ねた。
それは当然の質問だろうと理解する。
彼女がサーヴァントに一人として聖杯戦争に招かれた以上、彼女自身にも聖杯という名の願望器に託す何らかの願いがあるはずなのだ。
その願いを叶えるために、人の身を超越した筈の彼女ら英霊は人間に過ぎない召喚者たちに従っているのだから。
鼓動に跳ねる心臓に手を当て、けれど士郎は真摯さと誠実さでもってセイバーの問いに答えた。
「覚悟なんて・・・正直まだついちゃいないさ。それでも降りかかる火の粉は払わなくちゃいけないだろ?
本当なら十年前にとっくに死んでいたはずのこの命だけど、だからこそ死にたくないと思うんだ。
まだ俺は正義の味方になっていない、何者にもなっていない、俺が、俺自身の意思で継いだはずの親父の夢を果たしちゃいないんだから。
だから俺は、俺が死ぬことを絶対に許容しない」
士郎の言葉にセイバーは眉をひそめた。
彼の解答は彼女の望むものではない。
だがそれでも最低限許容できる範囲の回答ではあった。
まだ彼は何も知らないのだ。
だから今はせめて死なない覚悟あるのなら、それでよしとしよう。
そう頷いて、彼らは戦場となるべき庭に降り立った。
夜風がクルリと巻いて落ち葉を運ぶ。
銀の月光は冴え冴えとして静か。
その銀の月光が剣の銀閃であったとしても傷つくことなど在りえないだろう鈍色の筋肉。
その銀の月光さえ霞んでしまうほどに美しい銀の髪。
ヒョウと鳴る風の運びに小揺るぎもしない巨躯と、風の運びにサラサラと髪を流す小柄な少女。
サーヴァントとそのマスターが庭で士郎とセイバーを待ち構えていた。
「こんばんは、おにいちゃん」
サーヴァントを制して前に出たマスターと思しき少女が士郎に微笑みかける。
その笑顔は純真で純粋で美しいまでに凄惨で、そして無垢。
「私の名前はイリヤスフィール。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えば分かるかしら?」
スカートの裾をちょんとつまんで優雅に一礼。
その可憐な仕草は、だが状況の非現実さも相まって、士郎の混乱を誘うだけであった。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
そんな名前は知らない、聞いたことも無い。
一度商店街で会ったことがあったけれど、そのときは名前など名乗らなかったじゃないか。
テレビなんて滅多に見ない俺が知らないだけで、ひょっとしたら有名なタレントか何かなのか、随分と可愛らしい少女だし。
士郎の思考がそんな風にずれていったところで、そのリアクションの薄さからイリヤの方もどうやら士郎が自分のことを知らないようだと気づく。
士郎やセイバーに分からないほどに小さく、彼女はギリと奥歯を噛み締め、
「そっか、知らないんだ。うん、それじゃあ仕方ないよね」
にこりと笑う。
「それじゃあ、やっちゃえ、バーサーカー」
ドン、と庭が爆発した。
巨体を思わせない俊敏さで、巨体を思わせるだけの重量の一撃が振るわれる。
狙いなどないような一撃。
実際狙いなど関係ないのだろう、その一撃が決まればそれで終わる。
豪快すぎる一撃はその豪快さに見合うだけの一撃必殺を込めた一撃である。
「フッ!」
だが、その一撃が士郎の身体を打ち砕くことは無かった。
炸裂する寸前にセイバーがバーサーカーと己のマスターの間に割り込み、一撃を受け流す。
「マスター、下がって下さい! このサーヴァントはっ―――」
不可視の剣で流された一撃はすぐさま翻り、再び、だが今度はセイバーを狙う。
「―――強力です!」
火花が散った。
それはバーサーカーの手にした斧剣とセイバーの剣が飛ばす剣戟の証である。
「■■■■――――!!!」
声無き咆哮と共に横殴りに振るわれる猛撃。
それを紙一重で回避し、だがその剣圧に翻弄されそうになる四肢を制御して身を躍らせた。
斧剣を振りぬき体勢が不安定になっているバーサーカーの懐へ一瞬にして潜り込む。
「ハァッ――!!」
踏み込み一撃を見舞おうとしたその瞬間、不安定な姿勢のままバーサーカーは四股を踏むように思い切り地面を踏みつけた。
ドゴンという在りえない轟音が上がり、それだけで地面が沈み、そして沈んだ部分の周囲が捲れ上がる。
「くっ!?」
踏み込んだ足場が崩壊したセイバーは一撃を見舞うことが出来ない。
それどころか逆に姿勢を崩された形になった。
対するバーサーカーは踏み抜いた足元を姿勢の軸に据えることでにわかに体勢を整え、
両手持ち、大上段に構えた斧剣をセイバーの頭頂目掛けて叩き落してくる。
まずい。
士郎は思う。
いや、士郎でなくともそう思っただろう。
実際にイリヤスフィールも「勝った」と唇の端を持ち上げた。
だが―――。
「心配無用です、マスター」
セイバーの静かな声が届いた気がした。
バーサーカーの斧剣の一撃が振り落とされるよりも早くセイバーは不可視の剣を真横に振り払う。
今も尚必殺の一撃を放たんとする英霊の足めがけて。
無駄よセイバー、貴方が今更バーサーカーの足を斬り落としたところで、その一撃は止まらない。
イリヤはそう思って笑みを深くする。
だがそのセイバーの一撃は今までの剣閃とは大きな違いがあった。
風王結界に閉ざされ見えないが、その剣は刃を寝かせ、剣の腹でバーサーカーの足を叩きつける。
ガギン!
金属同士をぶつけ合ったような鈍い、それでいて甲高い音がして、セイバーの身体がバーサーカーの一撃の攻撃範囲から完全に離脱した。
剣をバーサーカーに叩き付けた衝撃で身体を逃がしたのである。
まるで曲芸のような回避法であるが、セイバーの軽い体と、
必殺の一撃のために完全に地面に縫い付けられたバーサーカーの身体があったからこその成功である。
斧剣が叩きつけられた地面は爆弾でも投下されかたのような惨状であったが、
土煙が晴れると、何時の間に後退したのかセイバーは士郎の隣で油断無く剣を構えていた。
その無事な姿に士郎も安堵の息をつく。
「よかった、無事だったかセイバー」
「安心するのはまだ早いです、マスター。あのバーサーカー、何処の英霊か知りませんが規格外に強力です」
そのセイバーの言葉を肯定するように、晴れた土煙の向こうではバーサーカーとイリヤが何事も無かったかのように存在していた。
「当然でしょ、セイバー。バーサーカーはこの私のサーヴァントなんだから。
おにいちゃんみたいな半人前のマスターに不完全に召喚されている今の貴方で立ち向かえるはずがないでしょう?」
冷然と言い放つイリヤに今度はセイバーが歯噛みする番である。
歯噛みするのはセイバー、そして胸を刻まれるのは士郎だ。
自分がセイバーの枷になっていることが悔しい。
だが、この足手まといという立場を覆すだけの手駒のないのが今の衛宮士郎という少年である。
何か出来ることはないか、何か武器になるものはないか―――。
焦燥した思考で考える。
出来ること、セイバーとバーサーカーの戦いに横槍を入れること、傷などつけられなくとも注意を逸らすくらいは出来ないか。
武器になる物、衛宮士郎が扱える武装、自在に振るえるもの、そんなものはないか。
思考して、思考して、考え詰めて。
「それじゃあ今度こそ決めてあげるから、バーサーカー!」
「■■■■!!」
吼えて応えて一歩を踏み出すバーサーカー。
それに呼応するように士郎も動いた。
ただし、戦場から完全に背を向けて。
「おにいちゃん!?」
「マスター!? ―――くっ!?」
突然に背後に向けて駆け出した士郎にイリヤとセイバーの両方が声を上げる。
もっともセイバーはそんな士郎に構う余裕も無く再びバーサーカーの剣嵐に晒されることになったのだが。
対してイリヤは失望したような視線を士郎の背中に向けていた。
この状況で逃げ出すなんて。
大切な相棒であるはずの自分のサーヴァントを置き去りにして、自分だけ逃げ出すなんてと。
「・・・・・・バーサーカー、おにいちゃんを追って。殺してしまいなさい」
冷淡な声で告げる。
バーサーカーはマスターの命に応えようとするが、だがそれをさせじと剣を振るう英霊に動きを止められた。
振るわれる不可視の剣。
バーサーカーはそれを受け止め、一旦後退してセイバーに感情の篭らない視線を向けた。
「ここでバーサーカーがマスターを追うというなら、彼がマスターを手に掛ける前に貴方を討つだけだ、キリツグの娘よ」
「―――! ・・・・・・そう、知っていたの?」
「マスターはそのことを知らないでしょうが」
「ふぅん・・・・・・でも正気? エミヤシロウはサーヴァントである貴方を見捨てて逃げ出すような臆病者よ。
そんな男に守る価値なんてあるのかしら?」
「・・・・・・彼は偶発的に巻き込まれただけのマスターです。その彼に過剰な期待をするというのも酷な話でしょう」
「偶然必然の差異は関係ないわ。シロウは貴方というサーヴァントを召喚した。それはつまり聖杯戦争に参加したということよ。
嫌ならさっさとマスターを降りて教会にでも行くべきだった。もっとも、そうしていたらそうしていたで関係なく殺していたでしょうけど」
「そうでしょうね、貴方は“そういう”人間だ、イリヤスフィール」
そういう、の部分に込められたかすかな侮蔑の意思にイリヤがピクと反応する。
だがそれを否定することは無い。
それは確かにセイバーの指摘通りで、自分は士郎がマスターであろうとなかろうと関係なく、衛宮士郎を殺すというのも
目的の一つに定めた上でこの度の聖杯戦争に臨んだのだから。
だから、そう。
それはあまりにも当たり前なこと、今更指摘されるまでもないこと。
だからこそ、イリヤはセイバーの挑発に“乗ってやった”。
「いいわ、そこまで言うならセイバー、貴方から死になさい」
爆発するように、巨躯が動いた。
蹴破るようにして土蔵の鉄扉を開き中に飛び込む。
一刻の猶予も無い様子で辺りを見回しそれを見つけた。
弓道部時代に愛用していた弓矢である。
弓袋から雪を引き抜き、傍らにおいてあった弦を張る。
張り具合を確かめ問題のないことを確かめると、矢筒の中を確かめた。
矢筒の中にはもう使われなくなって久しい矢が12本。
通常6本一組で販売されるのだから、予備矢も含めて2セットの計算である。
慌てながらしっかりと弓掛を装備して土蔵を飛び出す。
庭の向こうでは、果たして今もセイバーとバーサーカーが激戦を演じていた。
「どこまで通じるかなんて分からないけど―――」
呟いて矢を弓に番える。
打ち起こし、引き分けながら自身の内側に語りかける為だけの呪文を口にする。
「同調、開始」
唱えるは強化の呪文。
自分のような拙い魔術師見習いの技巧がどこまで彼の英霊に通じるかは分からない。
というよりセイバーの、剣の腹での攻撃とはいえ、
あれで無傷だった相手にこんな急場しのぎの横槍が通じるとは思えないのだが、
「それでも、黙って見てるだけなんて、そんなのが正義の味方のはずがないだろう!」
ぎしり、と弓が鳴り、全身の魔術回路が悲鳴を上げる。
背骨に火箸を突きこまれたような激痛を押さえ込みながら、それでも弓を引く手は揺るがない。
精神は弓を引く過程で既に研ぎ澄まされている。
嵐のような剣戟の応酬をするセイバーとバーサーカーは動き回り、当然のようにその位置が定まることはない。
それでも士郎の視界と集中力はかつて無いほどに狭窄され、狙う唯一点のみを映し出す。
それは理性の灯火を失った英霊の目。
眼球の唯一点のみを打ち抜く絶対の一矢。
「―――離れ」
普通に弓道をするだけなら言う必要も無い一音と共に矢を放つ。
ィンッと大気を裂いて強化された士郎の一矢はバーサーカーの頭部の一点、
筋肉の鎧に覆われていないその瞳目掛けて空を駆けた。
裂帛の一撃を跳んで回避。
ついさっきまで立っていた場所を斧剣が粉砕する。
その破砕の衝撃すら自身を飛ばす推力に変え、セイバーがバーサーカーに踊りかかった。
「ハァァァァァァッァ!!」
大上段に構えた剣は先ほどのバーサーカーの一撃を模倣するかのごとく必殺である。
巨漢はその一撃に対し、やはりこちらも必殺の一撃でもって迎え撃つ。
地面にめり込んだ斧剣を無理矢理引き抜いて、だがその振り上げる斬撃はどこまでも剛直で鋭いのだ。
ガギ、と火花が飛んで打ち合う両者。
体重が軽く、そのうえ宙を舞っていたセイバーは自然弾き飛ばされるような形勢になるが、それは彼女の意思によるものだ。
ふわりという飛翔に見合う静かな着地、そして同時に地面を踏み砕いて一気にバーサーカーに肉薄する。
小柄な体躯をいかして縦横に駆け回り、あらゆる角度からバーサーカーに剣戟を浴びせかけ―――、
「■■■■―――!!!」
上段、中段、突いて下段、斬り上げて打ち下ろし、薙いで上段。
一撃一撃に込められた魔力は並のサーヴァントであるなら武器ごと滅せられるであろう剣霊の斬撃である。
それらを悉く防ぎきっていられるのも、彼がアインツベルンによって召喚された確実に勝利する為の英霊であるからだろう。
狂化によって増幅された筋力と感覚がセイバーの剣嵐に対応できるだけの能力を与えてくれる。
スピードに勝るセイバーの立ち回りに、にわかに後手に回っているようであるが、それでも決定打を受けることは在りえない。
セイバーが万全であったなら危なかったかもしれない、イリヤはマスターとして冷静にそう分析した。
とはいえ仮にセイバーが万全の状態であったとしても、バーサーカーには他に類を見ない宝具がある。
それがある限りはそう簡単に敗北することもないだろう。
「バーサーカー、一回くらいなら“死んでもいい”わ―――よ?」
告げて、同時に魔力の脈動を感知した。
続けて、ィンッと空気を切り裂いて飛来するグラスファイバーの一矢。
本来ならばなんてことのないはずのその一撃だが、脆弱なグラスファーバーという素材は今や隅々まで魔力を張り巡らされ、
なおかつその先端は確実にバーサーカーの眼球を抉りぬかんとしている。
今もセイバーと打ち合っているバーサーカーの眼球を!
「バー―――!」
思わず声を上げようとして、しかしバーサーカーは飛来するその一矢を斧剣を持たぬ左腕で叩き落とした。
結果としてその一矢はバーサーカーを傷つけることもなく終わったが、だがその一撃には値千金の価値が付与されることになる。
矢を叩き落したバーサーカー。
その隙を見逃すセイバーではない。
「―――見事な援護です、“シロウ”」
懐深く潜り込んだセイバー。
いつしか風王結界も解かれ、露になるは金色の光放つ英雄の剣。
「約束された―――」
不味い、致命的に不味い。
イリヤはアインツベルンの魔術師として前回の聖杯戦争でも呼ばれた彼女が何者であるかを知っている。
だからこそ分かるのだ、あの一撃は危険だ。
これによってバーサーカーが完膚なきまでに滅されるということはないだろうが、それでも“何回かは”確実に持っていかれる。
まだ聖杯戦争は始まったばかりなのだ。
ここで無茶をさせるわけには―――。
「くっ―――、避けなさい、バーサーカー!!!」
「勝利の剣ーーーーーーーーーーーーー!!!」
爆ぜる、閃光。
宵闇を切り裂くような裂光が衛宮家の庭から空高く駆け上る。
懐深い位置、深く沈みこんだ体勢から振り上げるように放たれたその宝具の名はエクスカリバー―約束された勝利の剣―。
やがて閃光が掻き消え、辺りが静寂を取り戻したとき。
「・・・・・・まさかあそこで水を差してくるなんて思わなかったわ。ちょっとだけ見直したよ、お兄ちゃん」
変わらず在り続けるイリヤスフィールと、そして寡黙なるその英霊バーサーカー。
「我が一刀をあの状況で避けるとは・・・・・・」
対するは不完全な状態にもかかわらず宝具を使用したことによって疲弊したセイバーである。
剣を地面に突き、それにもたれるようにして、だが変わらぬ闘志を秘めた瞳で銀色の少女とその守護者を睨みつける。
「あーあ、こんな所で令呪を使わされることになるなんてね」
「あの不可解な動きはそういうことでしたか。ですがそうと分かれば納得も出来るし安心も出来る。
令呪の縛りは三回まで。そう何度も同じ方法では避けさせない」
「そうね、確かに何度も使える方法じゃないわ。でもそう何度も宝具を使えないのは貴女も同じでしょう、アーサー王?」
バーサーカーが斧剣を構え一歩前に進み出る。
それに呼応するようにセイバーも大地から剣を抜き放ち正眼に構えた。
光の爆発の直後、だが変わらずそこに居る巨躯のサーヴァントに士郎は愕然とした。
あのタイミングで回避をしたということが信じられない。
士郎の位置は対峙する二体のサーヴァントから離れること数十m。
会話の中身は聞こえないが、それでも消耗したであろうセイバーが、
変わらずバーサーカーに立ち向かおうとするのを絶望的な気持ちで見つめた。
「まだやるのか、セイバー―――」
呻くように言って、第二矢を番える。
ギリと引き絞りながら、再び焼けた火鉢を脳髄へと差し込んでいくイメージ。
死にそうなほどの苦痛が全身を駆け抜ける。
それでもやらなくてはならない。
あの少女が今もなお剣を振るうというのなら、それはまだ戦いは続いているということだ。
聖杯戦争がなんであるかは知らない。
知らないが、それでもああして戦う少女を見逃すなんてことを衛宮切嗣ならば当然、
そしてその遺志を継いだはずの衛宮士郎がするはずはないのだから。
だから彼は、再び呪文を口にする。
「同調、開始」
ギシギシと鳴る弦の音に、ギシギシと歪む全身の魔術回路。
解析されたグラスファイバーの構造図を脳裏に思い描き、その隅々に魔力を通していく。
かくして強化された矢を構え、狙いは先ほどと違わず巨漢の瞳。
ヤツはさっき同じく目を狙った一撃を叩き落した。
嫌がったのだ。
つまりそれは、脆弱な魔術師見習いに過ぎない衛宮士郎の一撃でも、あの偉大な鬼神の邪魔をすることが出来るということではないのか。
張り詰めた空気。
狙いは先ほどと同じ鬼神の眼、そして決定的な瞬間。
戦闘の中にあって寂として空気を纏い、一瞬と一瞬の間隙にその一矢を滑り込ませる。
視界と集中力が狭窄し、そしてその瞬間が訪れ―――、
「そう何度も邪魔させるわけがないでしょう、お兄ちゃん?」
飛来した魔力の塊を咄嗟に射落とした。
同時に精神と魔術への集中が途切れ、特に後者の影響が大きく、士郎はがっくりと膝をついた。
脂汗がダラダラと流れ落ちる。
唐突に集中を解いてしまったために全身の回路がずたずたになっている。
強化が完全に完了する前に矢を解き放ってしまったために、行き場を失った魔力が士郎の全身を荒れ狂っているのだ。
「出来れば私自身の手は汚したくなかったんだけど・・・」
下唇に指先を当てて「んーっ」と思案しながらも、その手には魔力が溜まっていく。
だが、そうしているが故にイリヤは士郎の異常に気がつかない。
セイバーもバーサーカーなど打ち捨ててすぐにでも士郎の下に駆け寄ろうとするが、だがそれを許すバーサーカーでもない。
「でも、ま、こうなっちゃった以上は仕方ないよね」
それじゃさようなら、お兄ちゃん。
そう繋げようとイリヤはようやく士郎に視線を戻す。
そこで気がついた。
士郎はイリヤが手を下すまでもなく既に地面に伏していることに。
「へ?」
時ならぬ間抜けな声がイリヤの口から漏れた。
嘘、私まだ何にもしてないんだけど。
士郎に駆け寄って腕を取る。
脈を確かめながら全身の魔術回路を走査。
「うそ、なにこれ。こんなの、死んじゃうよ!」
悲鳴のような声を上げてイリヤは士郎に応急処置を施していく。
外部から強制的に魔術回路を閉鎖させていき、かつ不必要に荒れ狂っている魔力を外に逃がす。
先ほどまで殺そうとしていた相手だというのに、その様子は真剣にしか見えなかった。
動機はある。
イリヤスフィールには衛宮士郎を助ける正しい動機がある。
衛宮士郎を殺すのは自分の意義であるのだから、
こんなわけの分からない馬鹿みたいな魔術の失敗で死んでもらっては困るのだから。