ウロボロスの手慰み
始まりはいつも同じ。
目を開けば、目を閉じていたのと変わらない闇が広がっていた。
私は俯せになって寝ているらしい。首筋に触れる床は冷たく、漂う空気自体も相当冷え込んでいる。
見上げると壁には、格子の嵌った小さな窓が一つ。ぽっかりと闇に穴をあけており、そこから、ほのかな月明かりが差し込んで来ている。
慣れてきた目を瞬かせ、首を曲げて辺りを見回すと、転がったドラム缶や乱雑に積み重ねられた家具が視界に入ってきた。床からは黒光りする太い柱が何本も天井へ向けて延びている。
成る程。どうやら、ここは私がいつも修理や研鑽などを行っている土蔵で、時刻はとうに真夜中になっているらしい。
私はゆっくり身体を起こして、関節を伸ばしてから改めて周りを窺った。
周囲を取り巻く白い漆喰の壁に、格子模様のように走る黒い柱と梁。積み上げられたガラクタ。工具。床にはご丁寧にビニールシートまで敷いてある。
おそらく先刻まで、私は目の前に鎮座するストーブを修理していたのであろう。足下には乱雑にパーツが散らばっていた。
私は立ち上がろうと、床についた手に力を込めた。と、触れていた床の模様が鈍く光る。
次の瞬間、大気が爆ぜるかのような光の奔流に身体ごと飲み込まれた。
光の渦と共に、土蔵の内部を強烈な風が吹き荒れる。台風が中で発生したかのようだ。聾にならんばかりの轟音が狭い土蔵の中で暴れ回る。
そんな状況は何秒続いただろうか。一瞬と言えば一瞬、永遠と言えば永遠。激しい光と風の嵐が去った後には、
「――問おう」
華美な甲冑を身に纏い、
「貴方が、私のマスターか」
透けるような金の髪を後ろで縛った少女が立っていた。
その容姿をどのように形容したらよいのか。あどけなさの残る少女の顔は、それでいて、玲瓏な鋭さを備えていた。緑柱石のように澄んだ目。薄紅を少し曳いた小さな唇。つんと線が通った鼻。
私はその荘厳な美しさに、しばし目と思考を奪われ、茫然と見上げていた。
少女はこちらを見下ろしている。その佇まいが、ひどく神聖なものに感じられた。
「……ああ、そうだ」
私はやっとのことで喉の奥から声を絞り出した。未だ腰に力は入らず、地べたに這い蹲っている。
「契約は完了した。我が名はサーヴァント・セイバー。――契約に従い、我が身を貴方の剣と為そう」
少女、セイバーはそう告げて、私の方に手を差し出した。白磁のように美しい肌が、私の視線を奪っていく。
惚けるようにして、暫し突き出されたセイバーの手を眺めていた。
いい加減呆れたのだろう、その細い手が、私の身体に延ばされるに至って、漸く私はその意図に気がついた。
慌てて左の手で握り返すと、セイバーは握る手に力を込め、起きあがる私を引っ張りあげてくれた。
私は服に付いた埃を両手で払って、電灯のスイッチを入れるべく、土蔵の入り口へ目を向け、――動きを止めた。
土蔵の外。庭から延びる飛び石伝いに歩いてくる男が一人。青い甲冑に身を包み、野獣の如き相貌でこちらを睨み付けている。
槍兵のサーヴァント、ランサー。真名をクーフー・リンと言ったか。彼の宝具、握りしめた赤い槍は、今にも血がしたたりそうなほど艶やかに光っていた。
いや、現に血をたらしているのかもしれない。何せ、私は先刻あの槍に心の臓を突かれている筈なのだ。
「マスター、下がってください」
セイバーの声が暗い土蔵に響く。その華奢な手には、いつのまに取りだしたのか、不可視の剣が握りしめられていた。
――ここは、セイバーに任せるべきだろうか。それとも、自分で処理してしまうべきか。
頭の中で様々な状況を描き、そこから派生する枝葉を計算する。
ランサーには毎回、最初に殺されている。偶には自分で憂さを晴らすというのも良いかもしれない。万に一つ、うまくいく可能性だってある。
なら、私の雄志をセイバーに見せるのもまた一興ではないか。
「大丈夫だ。あの程度のサーヴァントに後れは取らない」
私は敢えて土蔵から足を踏み出し、青い槍兵を見据えそう言い放った。
「てめぇ、さっき殺された風情がでかい口叩くじゃねぇか」
ランサーは激昂して、槍を斜に構える。先刻までとは比にならない程の殺気が向けられる。サーヴァントでも無い私にあそこまで言われては立つ瀬があるまい。
しかし、私が言ったことは事実に他ならない。ランサーでは私を打倒することは不可能なのだ。
否、それはランサーに――。
今まで視界にとらえていた青い騎士の姿が、突如として掻き消える。残像すら残さない。
――限らず。
その突進、常人の動体視力では消えたことを理解するのにすら数刻要するであろう。まさに神速と言えた。
だが、その速さも意味は無く。
「投影、開始」
衛宮士郎の持つ唯一の魔術。投影。
私は両手に現れた曲剣を以て突きをいなす。一合。鉄と鉄の擦れる音が響き、独特の金属臭が立ちこめる。
地面を穿つように蹴り、ランサーの胸をめがけて右手の剣を振るう。
それで終わり。そもそも、私はこういった戦闘は苦手なのだ。交わす、避けるなんて事が出来る程器用ではない。故に、戦闘がどう行われるかすら解らないのだから仕方がない。
「マスター!」
背後から悲鳴に近いセイバーの声が聞こえる。取り乱していても気品のある声は、しかし、そこまでで途切れた。
ランサーは驚愕に目を見開いて、胸に空いた傷口を眺めている。未だ己の身に何が起きたのか理解できていないようだった。
顔を少し笑うように歪ませて、ランサーは蹈鞴を踏んで崩れ落ちた。
私は投影した剣を消して、セイバーの方を振り返った。彼女は息を飲んでその奇怪な光景を眺めていた。額には少し汗が浮かんでいる。生身の人間が易々とサーヴァントを倒したという事は、彼女にとってあまりに衝撃的な事だったのだろう。
私は茫然と立ちつくしているセイバーを視界の片隅にとらえて、考える。
さて、私は――。私はこの後どうすればいいのだろう。セイバーがあの状況では、塀の外に居る二人に気がつくとは思えない。ならば私がアーチャーを斬るというのか。
心の中を疑問が掠めた瞬間。
ピシリと、世界に黒いヒビが走った。
――しまった。
私は舌打ちをした。
歪に積み上げられた積木はついにその支えを失ってしまったように、ゆっくりと倒れていく。
ひび割れは徐々に広がって、屋敷を、庭を、植え込みを、ランサーを、セイバーを、そして私を飲み込んだ。
身体が暗闇に溶けていく中、私は己の想像力の無さを呪った。
始まりはいつも同じ。
目を開けば、目を閉じていたのと変わらない闇が広がっていた。
私は俯せになって寝ているらしい。首筋に触れる床は冷たく、漂う空気自体も相当冷え込んでいる。
また、いつもの土蔵に戻ってきていた。一体同じ事を何度行えば気が済むのか。
失敗の原因は解っていた。ランサーのサーヴァント、アレを己の手で始末してしまったのが問題だった。取り返しのつかない矛盾を作ってしまったのだ。
やはり、話を一からなぞる以外に無いのだろうか。
私は幾度も都合の良いように改変すべく行動したが、いずれもどこからか破綻してしまった。
小さな矛盾は、雪玉のように徐々に大きくなり、この世界そのものを壊してしまう。私はその矛盾を調節する術を持ち合わせていなかった。
しかし、物語を自由に改変するというものには抗いがたい魅力がある。最早、魅力と言うより、魔力と言っても過言ではあるまい。私はそれに囚われているのだ。
故に、何度と無く繰り返しても目的には至らなかった。十一日目。否、理想を言えば十四日目か。本来ならとうにたどり着いている筈だというのに。
私は苛立ちを、側に控えていたストーブにぶつけた。ガコンと間抜けな音を立てて、中身のないストーブは転がっていった。
床に手をついた。それが合図となって魔法陣のような模様が光りで浮かび上がる。
――始まってしまったか。
巻き起こる膨大な光と風の渦の中に、愛しの少女を見つける。その目鼻立ち、唇、髪。いずれとっても至上の作品と言えた。
私は嘆息する。ありがちながら、この世にこれほど美しいものがあったのかと。
やがて、渦は吸い込まれるようにして消えた。
「――問おう。貴方が、マスターか」
凛とした声が土蔵に響き渡る。鈴のような、否、クリスタルを鳴らしたような声は、幾度聞いても私を忘我させる。
私はまた、茫然と彼女を見上げていた。
今度こそ、この少女と添い遂げる。ただそれだけの決意を胸に。
始まりはいつも同じ。
目を開けば、目を閉じていたのと変わらない闇が広がっていた。
私は俯せになって寝ているらしい。首筋に触れる床は冷たく、漂う空気自体も相当冷え込んでいる。
また、いつもの土蔵に戻ってきていた。何度目だろうか、私はもう数えることすらやめていた。
今度の失敗は分かり切っていた。七日目、思い立った事があって柳洞寺へ行ってしまった。
その時点では出逢うことのない、山門に巣くうサーヴァント、アサシン。その存在の形そのものを変えてしまったのだ。
相対したアサシンは、十五、六の少年の形をしていた。眼光は蒼く光り、死に神を彷彿とさせるソレは、まごう事なきあの日に出逢った少年だった。
ナイフ一本を振り回すそのアサシンを、私は笑いながら十七個の肉塊にしてやった。
――そして、そこで世界は終わった。
私にその後の話を考える才能などない。分かり切っていた事実。それでも、私を死に追いやったその少年を切り刻む事は愉悦だった。
――故に、また私はここに居る。
十四日目まで遙かに遠い。短縮する方法も擦り切れるほど考えたが、妙案は浮かばなかった。短期の改変は可能だが、その後が続かないのだ。
その後が続かない。
――ならば、最初に改変してしまえばいい。
身体に衝撃が走る。今、私に天啓が下った。
何故、私はこの方法に今まで気がつかなかったのか。改変は短期なら矛盾に潰されることは無いのだ。ならば、最早答えは一つではないか。
今までの自分の愚かしさに腹がたつ。何て愚鈍。
私は手を床に押し当てる。
現れる光の濁流が鬱陶しい。早く。速く。
剣の少女が魔法陣の中心に現れる。
彼女がその定められた台詞を言う前に、――私は彼女を押し倒した。
台詞など考える必要もない。整合性は世界が壊れるまで保てば良い。甲冑はいつの間にか白い服と変わり、私はもどかしい手つきでそのボタンを外す。
白い艶めかしい肩が顕わになる。その美しさに恍惚としてしまう。セイバーは頬を赤く染めてうつむいている。
早く。速く。
震える手をスカートの中に延ばし、ショーツに手を掛けたその時。
「混沌よ、起きろ」
私の上の存在に声が掛けられた。
――馬鹿な
私の目の前で、半裸の少女は混沌に戻って溶けてしまった。土蔵も、庭も、私も原初の軟泥に戻ろうとしている。
世界を作る地盤そのものが崩れている
意識が外に向かってしまったのだ。
一度乱れた集中はもはや修復できる訳も無い。すべては混沌の渦の中に消えていった。
意識がまた別の世界へ繋がる。
視界が戻り、本棚に囲まれた狭い部屋が映し出される。
「何の用だ、蛇よ」
私は、目の前で机に向かって何か書いている男を睨み付けた。
フォアブロ・ロワインの手慰み
何の用だ、蛇よ。
いえ、用は特に……。貴方があまりにも気持ちよさそうに寝ているものですから。少し邪魔がしたくなっただけです。
……。まあいい。それより何を書いているのだ。
これですか? SSやFFと呼ばれるモノですよ。貴方も『fate/stay night』は買ったのでしょう? その二次創作物です。
当然だ。我が身はもはやtypemoonの新作をやる以外に存在する意味はない。
SS……、成る程。原作に置いて補完されなかった欲求をペンで埋めるか、しかし、それは――
効率が悪い。そうおっしゃりたいのでしょう? 仕方がないのですよ。私は、貴方とは違う。
貴方の様に混沌を体内に飼い、世界を造りえる程の力は持っていません。
そうだな。
――さて、私は続きを見なければならぬ。今度は邪魔をしないようにするがいい。何せ、セイバーたんと同衾する直前だったのだ。
そうだったのですか。道理で、貴方の寝顔が気持ち悪いと思いましたよ。
黙れ。
あとがき
済みません。やってしまいました。二度と使えぬ夢落ちです。
本当はもっと推敲してから載せたかったんですが、同じようなネタっぽいのが載せられてたので触発されてしまいました。
一発ネタなので、被ったらどうしよう!とか思ったのですが、どうやら杞憂だったようです。……というかもう使い古されてますか!?