prologue
月が雲に隠れ、冷たい雨が降る夜。
家の周りは深い森に囲まれ、一歩外出でれば一寸先も見えぬ闇に覆われている。
こんな夜に本堂で独り座禅など組んでいると、世界中に自分一人しかいないかのような不安に襲われる。
「まだまだ修行が足りんな、俺も…」
自虐的な笑みを浮かべ、軽く呟く。
ここ数日、どうも胸がざわめく。
十年前にも一度感じた事がある、厭な感じのざわめきだ。
あのときは新都の方でなにやら大きな火事があって、ずいぶんな人が死んだらしい。
またなにやら起きねばよいが、と思い親父殿に一度相談したのだが、
『祭りの前はそこら中浮かれるものよ、はっはっは!』
と、豪快にのたもうた。ふむ、当分この地で祭りの予定はなかったと思うのだが……大丈夫か?親父殿。
ふと、空気が揺らいだ気がして、立ち上がり表を覗いてみた。
「……気のせいか」
闇に慣れた目にも、動くものは雨粒以外何も見えぬ。己の不安が作り出した錯覚かとも思ったが、念のため目を閉じて精神を拡げてみる。
「−−−−む」
俺の力量(レベル)でははっきりとした事は解らぬが、確かに何か動くものが結界内に存在している。
「親父殿も感じてはいると思うが、起きてこぬところを見ると−−−悪しきものではないか」
俺程度に感じられるのだ。親父殿ならとうの昔に察知していた事だろう。
「だが、この雨だ。捨て置けぬか……」
俺は傘も差さずに、サンダルを履くと雨の中に飛び出した。
気配は森の中だ、傘は邪魔になるだろう。
雨の中弱々しい気配をたどり森の中を進む。ガキの頃から遊びや修行で知り尽くした森だ。危なげなく歩を進めていく。
それが俺、柳洞一成の聖杯戦争の始まりだった。
interlude
……雨の音が聞こえる。
月のない夜だった。
周囲は一点の明かりもない暗闇で、からっぽな心のまま彷徨った。
そこで出会った。
血まみれの体と、冷え切った手足のまま。
どんな奇蹟よりも奇蹟のようだった、その偶然に。
それは、柳洞寺のあるお山だった。
降りしきる雨。
鬱蒼と茂った雑木林の中を、彼女はあてもなく彷徨っていた。
「ハア−−−ハア、ハ−−−」
血の跡を残していく。
手には契約破りの短刀。
紫の衣は雨に濡れ、白い手足は冬の雨に凍えていた。
「ハ−−−−ハア、ア−−−−………!」
木々に倒れ込みながら歩く。
泥に汚れ、呼吸を乱し、助けを求めるようにして手を伸ばして歩き続ける。
その様は、常に余裕を持つ彼女とは思えない。
否、その魔力さえ、面影は皆無だった。
−−−消耗している。
彼女にはもう、一握りの魔力しか残されていない。
サーヴァントにとって、魔力は自己を存在させる肉体のようなものだ。
それが根こそぎ失われている。マスターから送られるべき魔力もない。
だが、それは当然だ。
たった今、彼女は自らのマスターを殺害した。
彼女の消耗は、偏にそれが原因である。
彼女−−−キャスターのサーヴァントは、自由を得た代償として、この山で独り消えようとしていたのだ。
「ハ−−−−アハ、アハハハ−−−−」
乾いた笑い。
自分の身が保たないこともおかしければ、下卑たマスターの寝首をかいたこともおかしかった。
ついでに言うのなら、マスターとのつながりを甘く見ていた自分の甘さもおかしくて仕方がない。
−−−−彼女は、実に上手くやった。
彼女のマスターは正規の魔術師だった。
年の頃は三十代で、中肉中背で、あまり特徴のない男だった。
戦う気もないくせに勝利だけを夢見ている、ほかのマスターたちの自滅を影で待っているだけの男だった。
男は、キャスターを信用しなかった。
魔術師として優れたキャスターを疎み、他のサーヴァントに劣る彼女を罵倒した。
数日で見切りをつけた。
彼女は従順なサーヴァントとして振る舞い、男の自尊心を満たし続けた。
結果として簡単な、どうでもいい事に令呪を消費させたのだ。
令呪などなくてもいい、と。
令呪の縛りなどなくとも彼女はマスターに忠誠を誓っている、と信じ込ませた。
結論として、信じる方が悪い。
マスターはどうでもいいことに三つ目の令呪を使い、その瞬間キャスターの手によって殺された。
容易かった。
あの男との契約が残っていることも不快だったので、殺すときは契約破りでトドメを刺した。
「っ−−−−く、あ−−−−」
だが、彼女は失敗した。
サーヴァントはマスターからの魔力供給で存在できる。
それは何も”魔力”だけの話ではない。
サーヴァントはこの時代の人間と繋がる事により、この時代での存在を許されるのだ。
つまり−−−自らの依り代、現世へのパスポートであるマスターを失うという事は、”外側”への強制送還されるという事なのである。
……しかし、それでもここまで消耗はしない。
これは、彼女のマスターが残した呪いだ。
彼女のマスターは、自信より優れた魔術師であるキャスターを認めなかった。
故に彼女の魔力を、常に自分以下の量に制限していたのである。
人間程度の魔力量で英霊を留めておける筈もない。
本来の彼女ならば、マスターを失った状態でも二日は活動できるだろう。
だが今は違う。
魔力は存在するだけで刻一刻と激減していき、ついには底が見え始めた。
……おそらくは、あと数分。
このまま次の依り代を探し、契約できなければ彼女は消える。
何も成さず、ただ蹂躙される為だけに呼び出された哀れなサーヴァントとして、戦う前に消えるのだ。
「ア−−−−ハア、ハ−−−−」
悔しかった。
悔しかったが、どうという事もなかった。
だって、いつもそうだったのだ。
彼女はいつだって不当に扱われてきた。
いつだって誰かの道具だったし、誰にも理解される事などなかった。
−−−−そう。
彼女の人生は、他人に支配され続けるだけの物だった。
神という選定者によって選ばれた英雄を助ける為だけに、まだ幼かった王女は心を壊された。
美の女神とやらは、自らが気に入った英雄の為だけに、知りもしない男を愛するように呪いをかけ。
少女は虚ろな心のまま父を裏切り、自らの国さえ裏切らされた。
……そこから先の記憶などない。
すべてが終わった後、王女であった自分は見知らぬ異国にいた。
男の為に王である父を裏切った少女。
祖国から逃げる為に弟を八つ裂きにし、無惨にも海に捨てた魔女。
−−−そしてそれを望んだ男は、王の座を得る為に、魔女など妻にできぬと彼女を捨てた。
操られたまま見知らぬ異国に連れ去られ、魔女の烙印を押され、唯一頼りになる相手に捨てられた。
それが彼女の起源だ。
彼女に咎はなく、周りの者たちもそれを承知していた。
にもかかわらず、人々は彼女に魔女の役割を求め続けた。
王の座を守る為の悪。
暗い迷信の受け皿になってくれる悪。
彼らは、あらゆる災害の原因を押しつけられる、都合のいい生け贄が欲しかったのだ。
そのシステムだけは、いつの時代も変わらない。
人間は自信が最良であるという安堵を得る為に、解りやすい悪を求めるワケだ。
そういった意味で、彼女は格好の生け贄だった。
頼るべき父王は異国の彼方。
彼女を弁護する者など独りとしておらず、人々は気持ちよく彼女に咎を押しつけた。
生活が貧しいのも、
他人が憎いのも、
人々が醜いのも、
人が死ぬ事すらも、
すべてはあの魔女の仕業なのだと極め付けたのだ。
「は−−−−はは、あ、は−−−−」
……だから受け入れてやっただけ。
どうせ魔女としてしか生きられぬなら、魔女として生きてやろうと。
おまえたちが望んだもの、おまえたちが祭りあげたものがどれほど醜いものなのか、真実その姿になって思い知らせてやろうと、誓っただけ。
おまえたちがおまえたちの咎を知らないというのなら、それでいい。
それを知らぬ無垢な心のまま、自らの罪によって冥腑に落ちて、永遠に苦しむがいい。
彼らは冥府から出られやしない。
だって罪の所在が解らないのだから、一生罪人のままで苦しむしかない。
それが−−−彼女が自分にかける存在意義。
魔女と呼ばれ、一度も自分の意志で生きられなかった少女の、彼らが与えた役割だった。
「あ−−−−ぁ−−−−」
だが、そんなこと。
本当は誰が望んだわけでもない。
彼女だってそれは同じ。
彼女は自分の望みもないまま、ただ復習を続けるだけだった。
−−−−そう。
この瞬間、見知らぬ誰かに出会うまでは。
がさり、という音がした。
「−−−−−」
倒れそうな意識のまま、彼女は目前を睨んだ。
時刻は深夜。
こんな山林に、まさか寄りつく人間がいようとは。
「そこで何をしているんですか?」
まだ若い声だった。
若く、瑞々しく、生命力に満ちた少年と青年の間のような声。
相手を視認する余裕さえなかった。
ただ終わった、と思っただけ。
彼女には魔術を行使する力もない。
紫のローブは防寒具に見えない事もないだろうが、腰から下は返り血で真っ赤だ。
この雨の中、血に塗れた女が隠れている。
それだけで、この人間が何をするかは明白だった。
まずは逃げる。
その後はどうするだろう。通報するか、見なかった事にするか。
……どちらにせよ、もう満足に動けない彼女には関係のない話だったが。
それで、最後まで残っていた気迫が萎えた。
彼女は生前と同じように、独りきりの最後を迎えた。
−−−きっと、そうだと思っていた。
気が付くと、その場所にいた。
目前にはあの人間−−−林で出会った男が座っていた。
「目が覚めましたか。意識ははっきりしていますか?話は、出来ますか?」
それが初めの言葉。
彼女が呆然と男を見つめると、
「あなた、人間ではありませんね」
男はとんでもない事をさらりと言った。
まるで、初めからわかっている事実を確認するかのような、何の気負いも躊躇いもない声で。
……それが彼女のマスター、柳洞一成との出会いだった。
interlude out
「目が覚めましたか。意識ははっきりしていますか?話は、出来ますか?」
その女性は低く呻いててゆっくりと目を開けた。
眠っているときに見たその顔は、今のところ女性というものにさしたる興味を持っていない俺にすら、美しいと思えてしまうほどに整っていた。
薄紫色で滑らかな長い髪、白磁よりなを白い肌。悪夢でも見ているのか、苦悶に顔を歪めるその表情すらひどく艶めかしいものに見えた。
だが、目を覚ました瞬間、そこには美しさの欠片も残ってはいなかった。
いかに整っていようとも所詮人形は人形。瞳には一切の生気がなく、意志もなく、魂すらなかった。眠っていたときには確かに『人』だった。だが、今そこに横たわっているのはただの『人形』でしかない。
「あなた、人間ではありませんね」
だからだろうか。俺は聞かずにはいられなかった。
どのような人生を送ればそこまで、魂を枯れさせる事が出来るのか……
Fate/Another Blade
人でないのはもとより気付いていた。人を傷つけてきたのも知っている。ローブの前面に夥しい血が付いていたのだから。
だからといって事情も聞かずに処断するわけにもいかず、一応家に上げて看病していたのだが……ふむ、俺は何を気にしているのだろうか。
「わかるのですか?」
女はさして気にとめた様子もなく呟いた。
「これでも寺の息子でな、それなりの修行はしている。ま、まだまだ小坊主にすらなれぬ身だがな」
「……聖杯戦争というものがあります−−」
女は訥々と語り出した。何の感慨も湧かぬ声音で。
聖杯戦争というものがある。聖杯とはあれだ、キリストの血を受けた何でも願いを叶える万能の杯というやつだ。それがこの冬木市にあるという。が、勘違いしてはいけないのはここで言う『聖杯』とはキリストの何たら言ういかがわしい伝承のそれではない。『何でも願いが叶う』と信ずるに足だけの力が内包されたものの事を指しているようだ。
その力の存在を信じる根拠として『サーヴァント』というシステムがある。聖杯の中に一定の力が満たされると七人の魔術師が選ばれる。そしてその魔術師は聖杯の力を借りて『サーヴァント』という『英霊』を召還するのだ。過去英雄と呼ばれ神話や伝承になるくらいの人は死して後もっとも神に近い霊、すなわち『英霊』となる。その『英霊』、神に一番近い霊を使い魔として呼び出し使役するのだ。それがどれだけの奇蹟か解ろうというものだ。
聖杯戦争とは、七人の魔術師とそのサーヴァントたちが殺し合い、最後に残った一組だけが願いを叶えられるという。とどのつまりが外法の一つだ。自分には永遠に関わりがないと思っていたのだが……。
「話はわかった。で、あなたはどうしたいのだ?」
「わかったって……こんな眉唾物の話で納得したのですか?それにどう、とは−−」
「これでもこの地の坊主だ。魔術師ともいささかの交流がある、聖杯戦争の事は聞き及んでいた。それと、どうしたいとは、これからの事だ」
「これからの事……?」
「あなたの状況は理解した。境遇に同情もしよう。人を手にかけた事は許せぬがそれを承知の戦争。俺がとやかく言う事ではない。だが、このままでは後いくらもせぬうちに消えてしまうのだろう?それでいいのか?」
「−−私と……契約してくれるのですか……?」
正直、聖杯戦争などに興味はない。外法でかなえたい願いもない。なぜそんな事を言い出したのか、俺は自分の事なのにそれがわからなかった。しいて言うならこの女性の目、一切の光を放たぬ枯れ果てたその瞳が、やけに俺の気に障った。
「たった一つの条件をのんでくれたらな」
「条件……?」
「人は殺すな」
「戦争−−なのですよ?」
「何、戦線離脱させればいいだけの事。やりようはあるだろう?」
女の口が僅かに歪んだ気がした。何を甘い事を、と嗤っているのだろう。自分でもそうおもわんこともないが、見習いとはいえ坊主を目指すものが殺人に手を貸していい分けないだろう。
「わかりました、何とかしてみましょう。では……」
そこで女は言葉を切って身を起こした。枯れた瞳が、正面から俺を覗く。
「私を抱いてくださいますか?」
いまこのおんなはなんといったのだ「わたしをだいてくださいますか」だくとはなんだだきしめることかいやこのばあいはちがうだろうではまさかもしや
理解するのに時間がかかった。
理解したとたん、俺は正座したまま一メートル近く後ろへ飛び退いた。
「ななななななにをいいいいきなり……」
「契約してくださるといったではないですか」
「けけけけけ契約がせせせせ性行為などと、ききききき聞いてないぞ」
たぶん俺の顔は真っ赤になっている事だろう。当たり前だ、俺は純情な高校生なんだぞ。いきなり「抱いてくれ」などといわれて冷静でいられるものか。
「ですが」
「駄目だ駄目だ駄目だ。却下却下却下!これ以上言うならこの話はなかった事にしてもらうぞ!」
女は「はぁ」と一つ大きなため息をついて
「では、ともかく契約だけはしてしまいましょう。そうすれば私の存在も安定するでしょうから。あなたの名前は?」
「柳洞一成だ」
醜態をさらした恥ずかしさからぶっきらぼうにそういうと、彼女は右手を前に出してきた。
「私の手に左手を合わせて、私のせりふを繰り返してください」
「わ、わかった……」
俺がおそるおそる手を合わせると、女はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「−−−告げる!
汝の身は我の下に、我が命運は汝の杖に!聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら−−−」
ゆっくりと、意志を込めて力強く繰り返す。
「−−−我に従え!ならばこの命運、汝が杖に預けよう……!」
俺の台詞を受けて彼女が答える。
「キャスターの名にかけ誓いを受ける……!」
あなたを我が主として認めましょう、一成−−!」
左手に熱い痛みが走る。
手の甲から腕にかけて、赤い幾何学模様の痣が浮かび上がってきた。
これが『令呪』というやつなのだろう。
「これで契約完了か?キャスター」
視線を戻すと、彼女は呆然としていた。
「あ、あ−−−あぁ」
短く呻くと、彼女は突然うめきだし
「あつ、い−−から、だ…が−−−もぇる−−−」
「お、おい、キャスター?」
あわてて彼女を抱き留める。うわ、体が燃えるように熱い。人の体温じゃないぞ、これ。「あぁあ−−あ、からだが−−あつぃ−−もぇる−−からだの・・なか、が・・と、ける−−」
「ああああぁぁぁぁぁーーーーーー!!」
仰け反って絶叫するキャスター。俺は途方に暮れて彼女を支える事しかできなかった。
そのとき、母屋の方から誰かがやってくる足音が聞こえた。
「−−やばい」
確かにやばいが、この状況では如何ともしがたい。
俺は最悪の事態だけは避けられますようにと祈った。
「何じゃ何じゃ、夜の夜中に騒がしい……」
その声は親父殿の声だった。最悪の結果だ……。
「おぉ、ついに一成も夜中に女を連れ込んで嬌声を上げさせるような甲斐性を持ったか」 第一声がこれだ。
「親父殿、この状況でその台詞をはけるのは確かにあんたらしいんだが………何とかしてくれ」
「ふん、何ともならんわ。己の未熟さを呪え、小坊主」
これもまた実に親父殿らしい台詞だ……。
「大方、情に負けて迷い込んできたはぐれサーヴァントと契約したんじゃろうが、迂闊よな」
相変わらず大した洞察力だ。性格は最悪なのに性能は最高。ま、だから余計にたちが悪いのだが。
「確かにぐうの音も出ぬほどその通りだが−−なぜこんなに苦しむ?」
「だからお前は未熟なのだ、一成。サーヴァントの体は魔力で編まれておる。魔力とわしらの持つ霊力とは同にして異。根元を同じくしながらも真逆の性質。苦しむのが道理というものよ。
ふむ、じゃが腑に落ちぬな……」
親父殿はキャスターを注視しながら、なにやらぶつぶつ呟き始めた。
「聖杯戦争で呼び出されるサーヴァントは英霊と聞く。ならばその性質はわしらと同じ光の属性の筈。魔力と霊力の拮抗による苦しみはあろうがここまで酷くはないはずじゃ。
属性も真逆?闇属性の英霊……反英霊か?じゃが斯様な事態終ぞ聞いた事もないわ。
大聖杯になんぞ異変でも起きたか?一度よく調べてみる必要があるやもしれぬな……いざとなれば………こやつらがでおうたも天啓か………?」
「お……親父殿?」
「一成、そのサーヴァントを一人にしてやれ」
キャスターから視線を外して立ち上がると、親父殿は俺にそういった。
「だが、このままにしておくわけにも」
「わしらに出来ることなど何もないわ。苦しんでる女性の寝姿を見るのが好き、というのであれば敢えてとめんが。−−あまりいい趣味とはいえんぞ」
にったりと人の悪い笑みを浮かべるくそ親父。
「あいにくそのような趣味などもっておらん!」
怒鳴りながらすっくと立ち上がると、俺は障子に手をかけた。
「一成」
そのまま出ていこうとして、親父殿の真剣な口調に思わず立ち止まる。
「このサーヴァントの運命は二つに一つだ。こちらの属性に耐えられずにこのまま塵と消えるか−−−それとも、表返るか……」
「どういう事だ?親父殿」
「何にせよ、それでお前の運命も決まる。己の信ずる道を進め。よいな……」
親父殿はそういって、障子に手をかけたまま動けないでいる俺をおいて、一人母屋へと返っていった。
「俺の−−運命……?」
俺は障子を後ろ手に閉め、廊下に座り込んだ。到底部屋に帰る気がせず、ただそこで朝を待つ。寒さに身を震わせながら、それでも俺は、キャスターの呻き声を背中に聞きながら、浅い眠りに落ちていった。
「う、うぅ……ん」
朝の日差しに目を覚ます。キャスターの呻き声はすでに聞こえない。
俺は一つ大きな伸びをして立ち上がった。
『塵と消えるか……表返るか……』
親父殿の言葉を思い出しながら、俺は一瞬躊躇った後、勢いよく障子を開けた。
そこに天使がいた。
14〜16位の美少女が布団に半身を起こし、こちらを見つめている。
薄紫色の神は滑らかに長く、エメラルドのごとく澄んだ緑色の瞳は溢れんばかりの生命力に輝き、ただ俺をまっすぐに見つめていた。
俺が呆然として見つめていると、その天使は満面の笑みを浮かべ、こぢんまりとして形の良い薄紅色の唇から、信じられない言葉を紡ぎ出した。
『おはようございます、マスター』
interlude
「あ−−ああぁぁあぁ−−−」
マスターとの契約が終了した途端、レイ・ラインを通じて魔力とは違う、何か、もの凄い力が私の中に流れ込んできた。
その力は私の中を
隅々まで
燃やし尽くし
溶かし尽くし
喰らい尽くした
体中の神経が
体中の血管が
内臓の全てすらも
魔力回路の一本に至るまで
頭の真中から足の先端まで
その全てが
燃える
−−−熱い
溶ける
−−−苦しい
壊される
−−−痛い
あついあついあついあつい
だれか……
もえるもえるもえるもえる
たすけて……
いたいいたいいたいいたい
………だれが?
だれもいない
あついの………
たすけてくれるひとなんか
いたいの………
−−なんで……
わたしがころしたから……
ちちをうらぎり
わたしのせいじゃない
くにをうらぎり
わたしののぞみじゃない
おとうとをやつざきにして
わたしのいしじゃない
まじょとして
だれののぞみ……?
あくとして
だれのねがい……?
わたし以外の全ての人が、わたしを魔女だと決めつける
わたし以外の全ての人が、わたしを悪だと決めつける
そこにわたしの意志はなく
そこにわたしの声はなく
そこにわたしの身体(かたち)はなく
生前の全ては魔女として
ちがう……
死後の全ては悪として
ちがう……
生の全てに幸せはなく
ちがう……!
死の全てに安らぎはなく
ちがう……!!
幸せはあった。安らぎはあった。
ほんの僅かな。ほんの小さな。
それでも確かにそこにあった−−−!
大好きだった父様。
大好きだった母様。
大好きだった愛しい弟。
幸せであれと
安らかであれと
大好きだった父が、大好きだった母が、大好きだった弟が、大好きだった友が、大好きだった民が。
幸せであれと
安らかであれと
平和であれと
願っていた、望んでいた、祈っていた、信じていた……。
「あぁ−−暖かい……」
気が付くと、あれほど熱かった力が、あれほど痛かった光が。
暖かくて、優しくて、懐かしくて、愛しくて……
もういい、今はこのまま眠ろう。
暖かな光に包まれて
優しい光に包まれて
懐かしい思いを抱きながら
愛しい思いを抱きながら
大好きだった父様、大好きだった母様。
もう一度抱きしめて
もう一度抱きしめさせて
その温もりを、その優しさを
忘れてしまった過去
封じてしまった願い
奪われてしまった望み
踏みにじられた祈り
だけど
この思いだけは嘘じゃない
だれに強制されたものでも
だれに望まれたわけでも
だれに願われたものでも
だれに祈られたものでも
それでも、この思いだけはだれのものでもない。真実、わたしだけのもの。
愛している愛している愛している愛している
父を
母を
弟を
友を
民を
草を
花を
鳥を
獣を
空を
海を
光を
愛している愛している愛している愛している
この思いは、わたしの中だけから生まれたものだから……
今は……このまま眠ろう……。
暖かな日差しと小鳥の囀りで目を覚ます。
白く薄い紙で出来た戸を透かして、柔らかな光が部屋を満たす。
記憶の混乱を感じる。私が誰で、ここがどこで、なぜこんなところで寝てるのか。
目を閉じて考える。しばらくそうしていると、ゆっくりと記憶が鮮明になってきた。
サーヴァントとして召還されたこと。前マスターを裏切り森に逃げ込んだこと。
消える寸前にあの少年に助けられ、マスターとして契約を結んだこと。
………何か、懐かしい夢を見ていたこと……。
なぜだろう、気持ちがとても穏やかだ。
つい先日まで心の中で渦巻いていた、不安も、怯えも、畏れも、恨みも、妬みも、憎しみも、諦めもなく。
ただ部屋に満たされる光が暖かで。ただ小鳥の囀りが優しくて。ただ空気が綺麗に澄んでいて。
そんな、些細なことが嬉しくて。
私は、ただその時を楽しんでいた。
暫くそうしてぼぅっ、としていたら、勢いよく戸が開かれた。
視線をあげると、そこにマスターがなぜか呆然として立ちすくんでいた。
「おはようございます、マスター」
にっこりと笑って、朝の挨拶をする。でも、マスターは返事をしないで、私を指さしてなにやら口をぱくぱく開けるばかり。
「あの、マスター?}」
朝の挨拶は大切だと思うのですが。それに、なぜ私の方を物の怪でも見るような目つきで見ているのでしょうか。確かにサーヴァントたるこの身、似たようなものだと言われてしまえばそれまでなのですが。
「あ、あんた、誰だ……?」
第一声がそれですか、マスター。
「サーヴァントのキャスターです。昨夜のこと、お忘れになりましたか?」
「いや、そうじゃない、そうじゃなくて−−あぁ、もう」
頭を掻きむしって、どういえばいいのかわからない、といった感じで私から視線を外す。「とにかく、たって後ろを向け」
何がなにやらわからぬまま、とりあえず私は立ち上がった。
「あら、マスター。思いの外身長が高かったのですね。夕べの感じだと、こう……」
私と変わらぬ身長かと、と言いかけた私の言葉に、マスターの言葉が重なった。
「とにかくとっとと後ろを向け!」
仕方なく、私はゆっくりと後ろを振り返る。そこには女性の化粧台があり、その鏡の中に−−
見知らぬ少女がいた
いえ、そうじゃない。そうじゃなくて……
それは私のよく知る姿。なぜなら、それは−−
14の時の私の姿だったのだから。
正直私は混乱していた。こんな事があり得るのだろうか。
私は魔女メディア、裏切りの魔女メディアだ。少なくとも、呼び出されたときはそうだったはずだ。なのになぜ、なぜ鏡の中の私は、こんな可憐な姿をしているのだ……!
あり得ない、こんな事はあり得ない。だけど、これは紛れもなく私の姿だ。
幸せだったときの
安らかだったときの
愛していたときの
愛されていたときの
神の呪いを受ける前の……!
知らず私は泣いていた。鏡にすがりついて嗚咽していた。
鏡の中で、汚れを知らぬ、少女だった頃の私が泣いていた。
マスター、マスター!マスター!!マスター!!!
これはあなたの力ですか
これがあなたの力ですか
答えてくださいマスター
私はこの姿をしていていいのですか
薄汚れた、穢れきった魂のこの私が
このような姿をしていて本当に許されるのですか
答えてくださいマスター
私は救われたと思ってよいのですか
私は許されたと思ってよいのですか
私は愛してよいのですか
私は愛されてよいのですか
この薄汚れた私が
この穢れきった私が
全てを憎み全てを呪い全てを妬み全てを嫉み全てを裏切り全てを諦めた私が……
この姿でここにいてよいのですか
答えてくださいマスター
私はゆっくりと立ち上がりマスターの下へ近づくと、溢れる涙を拭いもせずにその足下に跪き、万感の思いを込めて、誓いの言葉を唱えた。
『サーヴァントキャスター、真名メディア。永遠の忠誠をあなたに』
interlude out
運動部の朝練さえまだ始まらぬ、早朝の生徒会室。俺は机に向かって課題のプリントに目を通しながら、しかし頭の中ではまったく別のことを考えていた。
「どうしたものかな……」
「何をお悩みなのですか?」
誰にともなく呟いた俺の独白に、人には見えぬ霊体として俺の後ろにいるキャスターが答える。
「うむ、聖杯戦争の件なのだが。と、キャスター。今は大丈夫だから姿を現してくれ。どうも話しにくくていかん」
俺の言葉を受けて、傍らに現界するキャスター。今朝は衛宮に用事を頼んであるのだが、奴が来るまでにはまだ時間があるだろう。
「聖杯戦争に、参加されるのですか?」
「いや、それを悩んでいるところだ。昨夜も言った通り、俺には外法でかなえたい願いなどない。そして今朝、お前も最早願いなどないといったな?」
「はい。今の私の願いは一日でも長くここに、マスターの側にいたいということだけです」 そう面と向かって言われると照れるのだがな。あまり、女性に免疫がないのだ、俺は。顔が赤らんでいなければよいが。
「だからといって、傍観してても良いものか、と思ってな」
「傍観、ですか?」
「うむ。魔術師同士が殺し合う、だけならまだ良いのだが、関係ない無辜の市民が巻き込まれないとも限らぬ。現に前回の聖杯戦争では、終盤あたりに百名近くの死者が出たと聞く。俺も坊主の息子だからな。救えるものなら救いたい、と。それにな、この学校には魔術師が三人いる。特にその中の一人は俺の友人なのだが、気持ちのいい奴でな。そいつがマスターに選ばれることなどない、と思いたいのだが……」
「その可能性がある、と?」
「あぁ、正式な魔術師、と言うわけではないようなのだが、奴の養父は前回の聖杯戦争の参加者でな。血が繋がってないとはいえ、縁がある。可能性は0ではないだろう。魔術師にしておくには惜しい、真っ直ぐで気のいい奴でな。こんなくだらないことで失いたくないと思う。万が一、奴がマスターになったならサポートしてやりたいと思うのだが…どうだろうか」
「と、言われましても。私はその方を知りませんので。マスターがそこまで言われるのですから、良い方だとは思うのですが……」
「もうじきここに来るから見ているといい。名を衛宮士郎という、気の置けない俺の友人だ」
噂をすれば影、と言うか。静まりかえった校舎に足音が響く。こちらへ向かってくる様子からして、間違いなく衛宮であろう。
「どうやら衛宮がきたようだ。じゃあキャスター……」
と、言いかけてドアに向けていた視線を戻すと、すでにキャスターは霊体に戻っていた。「出来うる限り気配は押さえますので」
虚空から聞こえる声に「ああ」とだけ答えると、俺はプリントに視線を戻した。
「一成、いるか」
「いるぞ。今朝は少し遅かったな、衛宮」
ドアを開けて入ってきた友人に返事をして、俺はちっとも頭に入らなかったプリントをまとめた。挨拶もそこそこに衛宮を伴い部屋を出る。
衛宮という男は、機械の修理が得意なものだから、たまにこうして、学校の備品の修理を頼むことがある。今日もこれから、冬に向けて必須な備品、ストーブの修理を頼んでいる。もう少し予算に余裕があれば新品に買い換えるのだが、そうもいかないのが辛いところだ。
「……っと、もう少しで済むから、ちょっと外に出ててくれ」
「うむ、衛宮の邪魔はせん」
衛宮は修理の時必ず一人になりたがる。ま、微妙な作業だから集中力が必要なのだろう。 俺は廊下に出ると、反対側の窓に寄りかかった。
「魔力の流れを感じます。何か、魔術を行使しているようですね」
「なるほど、道理でいつも一人になりたがるわけだ」
合点がいった。
「どのような魔術か、確認してきますか?」
「その必要もないだろう。修理の為に使ってる。それだけ分かってればいい」
「はい。しかし、確かにマスターのおっしゃる通りのお人柄ですね。実直で、真摯な瞳をしています」
「だろ」
思わず笑みが浮かぶ。衛宮が褒められるとなぜか俺も嬉しくなる。困ったものだ。
「ですが、何か危うい感じもします。なんと言いますか……存在感が希薄?生命力に溢れた感じはするのですが……不思議な方ですね」
「そうだな、確かに奴は見ていて危なっかしい」
「しっ、誰か来ます」
キャスターの注意にあわてて横を見ると
「−−−げっ、遠坂」
俺の天敵がいた。
「あら生徒会長。こんな朝早くから校舎の見回り?それとも各部室の手入れかしら。どっちでもいいけど、相変わらずマメね、そうゆうトコ」
開口一番、皮肉を連射してくれるこの女。2年A組遠坂凛。
坂の上にある一番大きな洋館に住んでいるお嬢様で、完璧なほどの優等生……風味だ。容姿端麗、品行方正、成績優秀、と世間では言われている。
俺に言わせれば容姿端麗、と言うよりも、妖弧胆冷、と言う方が正しい。
そう、こいつがこの学校の二人目の魔術師だ。魔術師という奴に、俺が多分に偏見を持っていることは認めよう。俺が知る魔術師にろくな奴がいないせいなのだが、それを差し引いても。
こいつが常にでかい猫を二三匹被っているのが見え見えなものだから。
どうも、俺は無理をしている奴に弱いらしい。こいつといい衛宮と言い、抱えているものが学生らしくない。大きすぎるのだ。こういう奴等にどうしてもちょっかいを出してしまう。坊主のさが、と言う奴か。
暫く遠坂と舌戦を繰り広げていると、修理を終えた衛宮が教室から出て来た。それを合図に、遠坂と別れ、俺たちは次の修理待ちの教室へと足早に進んだ。
「やはり、このままにはしておけないと思う」
放課後、衛宮と別れ柳洞寺への長い石段を登りながら、俺はキャスターに語りかけた。「では、先ほどおっしゃっていたことを実行するのですね」
「あぁ、サーヴァントはサーヴァントの気配を読める。だから、それを頼りに暫く夜の街を見回ってみたいと思う」
「私の能力特性は承知しておられますよね」
「拠点防衛、だろ。自らの構築した『神殿』の中では魔法に近い力も得るが」
「はい、それ以外ではからっきし、です。魔術に関しては外でも絶大な力を持ちますが、それ以外では全サーヴァント中最弱です。たとえば抗魔力に定評のあるセイバーなどに遭遇した場合、手も足も出ません」
「何もそこで倒す必要はない。ちょっかいを出して、こちらに意識を向けさせらればいいんだ。上手く挑発して『神殿』の中までおびき出せれば最良なのだが」
「ですが、それでも危険なことには代わりありません。特に、マスターは身を守る術すら何もないのですから」
「まぁ、しばらくは様子を見る、程度のことで妥協しないか」
「そこまでおっしゃるのであれば……。ですが、いいですか。私が危険を感じたらマスターは全速力で逃げてください。約束していただけますか?」
「うむ、善処しよう」
そう答えると、なぜかキャスターは額を抑えて深いため息を一つついた。
その後、夕食を食べた後、俺たちは新都を彷徨い歩いた。その夜は、特に成果はなかった。
「マスター、大変です」
次の日、校門をくぐった瞬間、霊体のままのキャスターが緊張した口調で話しかけてきた。
「どうした?」
相変わらずの早朝の学校。特に周りに人がいるはずはないのだが、それでも小声でキャスターに問いかける。
「学校に結界が張られています!」
「なんだって!?」
なぜ、この学校にそんなものが張られなければならぬのだ?
「生徒会室で詳しい話を聞く」
俺は少し早足で生徒会室に向かった。
「結論からすると、今学校に張られている結界は、生徒を溶かしてサーヴァントの養分にする、悪質きわまりない結界。と、言うことでよいのだな」
それが意味するところは、つまり。この学校には俺以外にマスターがいて、そいつの指示でこの悪趣味な結界が張られている、と言うことになる。だが……
「ありえん……」
「そうは言われましても、事実結界は張られています」
「だがこの学校で俺の知る魔術師は三人。その三人がこのような非道をすることは断じてない!」
「では、サーヴァントが勝手に動いてると?」
「もしくは、学外の魔術師の仕業か」
「学校というものは、生命力に満ちた若者の集う地で、確かに優秀な餌場といえるかもしれません。ですが、それ以上に部外者が出入りするにはリスクが大きすぎます。学内の者、と考えるのが妥当でしょう」
確かにキャスターの言う通りだろう。そう考えるのが一番納得いく。だが……。
そこまで考えたときに予鈴がなってしまった。生徒会長たる身で、遅刻するわけにもいくまい。
「とにかく、今大事なことは“誰が”それを成したかではなく“どうすれば”最悪の事態を回避できるか、だ。こちらで何とか出来るかどうか、もう少し詳しく調べてくれないか」「わかりました」
傍らからキャスターの気配が消えた。どうやら早速調査にいったらしい。俺は足早に教室へ向かった。
授業が終わり放課後。弓道場の方へ向かう衛宮の姿を見かけた。あやつ、すでに退部しているはずなのだが、何ようだ?俺は気になり、後を付けてみることにした。
「って−−なんだ、遠坂、いないじゃないか」
なんだ、遠坂を探していたのか。む、何かきにくわんな。
「へえ、誰がいないって?」
と、とっさに振り向く衛宮。俺を見て若干とまどっているようだ。
「お、お前か一成。あんまり驚かすなよな」
別に驚かすつもりは…あったんだけどな。
「うむ、それはしかり。だが無駄だぞ衛宮。遠坂はここにはいない。何故なら、あいつは今日ズル休みだ」
そう、あいつは今日、休んでいる。あいつがこの結界に関係あるとは思えないし思わない。だが、あいつはきっとマスターになったのだろう。今頃は聖杯戦争の準備をしているか、あるいは、すでに戦っているのだろうか。
あいつの父もマスターだった。だから遠坂も、きっとその跡を継ぐのだろう。
それは、俺の中で確信にも近い予感だった。
「だから全部だよ。あれは女狐だ。女生だ。妖怪だ。とにかく生理的に気にくわない。悪いことは言わないから、衛宮も気に入らないようにしろ」
ひとしきり、遠坂に対する毒をはいた後、衛宮と分かれて生徒会室に戻る。
「あまりいい趣味とは言えませんね、マスター。彼に関して言えば、逆効果のような気もしますが」
相変わらず霊体のまま話しかけてくるキャスター。
「だが言わずにはいられなくてな。遠坂に関わる、と言うことは、厭でも魔術の深みにはまっていく、と言うことだ。奴にはあまり、魔術師に関わって欲しくはないのだが」
「にしては、私にはまるで焚き付けているように聞こえたのですが」
声に笑みが混ざる。まったく、見透かされているな。
「このまま独学で魔術師として生きていくのは、漆黒の闇の中、手探りもせずに全速で突っ走るようなものだ。衛宮は一度、きちんとした魔術師の下で学ぶべきだと思うのだが……。二律背反、と言うやつかな。葛藤しているのだよ、俺も」
「彼の持つ危うさの一つは、そこに起因しているようですが」
「それだけ、というわけでもないようだからな。目がはなせんよ」
「友達思いなんですね」
「そうでもないさ」
少しむず痒くなって、頬を二三度かく。だから俺は、わざとらしく話題を変える事にした。
「そういえば、結界の方はどうなったんだ?」
「お手上げです。かなり特殊な技法らしく、私でも解呪出来ませんでした。あれを解呪出来るのは、仕掛けた本人だけ、ですね」
「何とかならないか?」
「解呪は無理でしたが、少し、悪戯を仕掛けてきました」
「悪戯?」
「はい。細工は流々 後は仕上げを御覧(ごろう)じろ 。ってとこですか」
実に楽しそうにそんな言葉をのたまうキャスター。神話クラスの人物が、どこでそんな言葉を覚えてくるのやら……。
「マスターの見てる時代劇で、です」
ふん……。
その夜も、特に収穫はなかった。
次の日。今日は俺の傍らにキャスターはいない。
「結界が張られている、と言うことは、学校に別のマスターがいる可能性が高いです。なら、私が側にいると、大声で別のマスター(正しくはそのサーヴァントに)自分がマスターであることを宣言しているようなものです。昨日まではその気配もありませんでしたが、今日もそうとは限りません」
そういって、キャスターは柳洞寺に残った。俺に、お守りのアミュレットを一枚渡して。
その夜、恒例となりつつある夜間の新都徘徊。今回もさしたる収穫のないまま、俺たちが柳洞寺への石段前まで帰ってきたときのことだ。
「サーヴァントの気配がします」
キャスターが緊張した声音で、ある方向を見つめながら報告してきた。
「しかも……三体?−−なんて事」
キャスターの向いている方向、それは……
「衛宮の家の方ではないか!」
「向かいますか?」
緊張した声音のまま、俺を振り返る。当たり前だ。
俺は答えもせずに走り出した。
「キャスター」
「はい?」
「先に行けるか?」
「はい」
「では先行してくれ」
「指示は?」
「止められるものなら止めてくれ」
「分かりました」
俺の指示に頷くと、一瞬で姿を消すキャスター。霊体になって飛んだ方が早いのか?
interlude
一際強く、風が吹いた。
傘のような雲が空を覆う。
明かりのない郊外は一転して闇に閉ざされ。
そのサーヴァントは塀を飛び越え、魔鳥のように舞い降りてきた−−
「−−−!」
アーチャーは反応していた。
けれど、私は反応できなかった。
それが失点。
一秒にも満たないその隙で戦いは終わった。
踏み込んでくる剣風。
「え、アーチャー……?」
私を突き飛ばすアーチャーと、
アーチャーを切り伏せようとするサーヴァント。
その瞬間、時が止まった。
塀を飛び越えてきたサーヴァントの動きが一瞬止まり。
だが、すぐにガラスの砕けるような音が鳴り響くとサーヴァントはそのまま剣を振りきる。
だが、一瞬で十分。
その一瞬で間合いを外すアーチャー。
「なっ!空間固定?!」
だが追撃はなく。
アーチャーもそのサーヴァントに正対するでなく。
二人とも道の向こうの闇を見つめている。
「もう一体のサーヴァント−−キャスターか?!」
闇の奥から人影がゆっくりと現れる。
紫色のローブを着た、薄紫の髪の少女だ。
そのあまりの美しさに−−私は。
状況も弁えず、一瞬見惚れてしまった。
「はい。サーヴァントのキャスターと申します。以後、よろしくお見知り置きください」
そういうと、少女は深々と頭を下げた。
「あ、いえ、こちらこそ……」
って、お辞儀を返してる場合か!わたし!!
「どういうつもりですか、キャスター……」
噛みしめるように低い声。すごく、怒っているみたいだ。
「どういうつもり、と申されましても。私はマスターの指示に従ったのみです。それに、それがあなたのマスターの望みでもあるからです。セイバー」
「なぜわたしのマスターの望みをあなたが語るのです、キャスター!」
「あなたのマスターがこの家の主だというのなら。衛宮士郎という少年が遠坂凛という少女を傷つけることは絶対にあり得ないからです。そうですよね、遠坂凛」
そう言って、キャスターはわたしににっこりと微笑みかけた。その笑顔があまりに邪気がなく、だものだからわたしもつい
「う、うん、確かに、あいつがわたしを傷つける事なんてないだろうけど……」
などと呟きながら、重大なことを見落としていたのだ。
「まて」
わたしの前に庇うようにアーチャーが立ち、いつの間に具現化させたのか、双剣をキャスターに向けて身構えていた。
「なぜわたしのマスターの名を知っている」
アーチャーの台詞に初めて気が付く。そうだ、なぜキャスターはわたしのことを知っているのだ?それに、あいつのことも。
わたしとあいつの接点−−学校……?!
「アーチャー、まさか……」
「そう考えれば合点がいく。キャスターのマスターは学校の関係者。そして」
「−−結界……」
「えと、前半は正解で、後半は違います。学校の結界は私ではありません」
「信じられるものですか!」
「んーー、私のことを信じられないのは当然です。だから、そこら辺はマスターに説明して戴くことに致しましょう」
そう言って、くるっと後ろを向くキャスター。
「ん〜、そろそろこちらに到着すると思うのですが……」
「敵を前に背を向けるとは……私を愚弄するか!キャスター!!」
セイバーが激昂して剣を構える。
「私は敵と思っていませんから。セイバー、私に害意がないことの証として、一つ忠告して差し上げます。魔術師が後ろを向いたからと言って…」
「油断していると思うのは大間違いですよ」
台詞の続きは、セイバーの真後ろから聞こえた。
「なっ……!」
振り向き様剣を凪ぐセイバー。だが、剣が両断したのは、一枚の布だけだった。
慌ててキャスターに視線を戻すと、彼女はそこから一歩も動いておらず、こちらに向き直ってにこにこと微笑んでいた。
「くっ……」
唇を噛んで、悔しげにキャスターを睨み付けるセイバー。
当然だ。誇り高き騎士が、魔術師風情に弄ばれたのだから。
「今のは私の影です。影と本体では存在の密度が全然違いますので、冷静でいれば騙されることはなかったはず。そこの、アーチャーのように」
アーチャーは構えを解いておらず、キャスターから視線を外した様子もない。
キャスターは笑顔を消すと、真剣な表情でセイバーを見つめた。
「今のあなたの行動は、サーヴァント同士の戦いでは致命的な隙。魔術師風情と、侮っているのはどちらですか、セイバー!」
唇を噛みしめて、キャスターから視線を外し項垂れるセイバー。キャスターの言葉が図星であったと、その姿が何より雄弁に語っていた。
だが、それも仕方がないこと。キャスターの肉体能力は全サーヴァント中最弱。加えて、セイバーの対魔力は特Aクラスだ。絶対的な優位。そこに油断が生じるのも当然のことだ。
だが。そこにつけ込むような戦いが。足下をすくうような勝利が。
この少女は許せなかったのだろう。
そう思わせるだけの誇りが、今の一言に確かにあった。
「と、私のマスターが到着したみたいです」
再び笑顔に戻るキャスター。その台詞に、私はセイバーから視線を外して道の向こうを見つめた。
やってきた人物を見て、私は絶句するしかなかった。
「よっ」
なんて気軽に挨拶かましてくれますよ、この男。
ああ、今ならキャスターの台詞を信じられる。
確かに、この男とこのキャスターが、あんな外道な結界張るはずがない。絶対ない。
「うん?どうした、遠坂に衛宮。二人そろって物の怪にでも遭遇したような顔で」
その言葉に慌てて振り返ると、そこには惚けたような表情で立ち竦んでいる衛宮君がいた。
も、何がなにやら……。
「どうしたって−−遠坂、それに一成も−−お前らこそなんで……。あぁ、もう。何がなにやら」
それ、私の台詞……。
interlude out
さて、俺は今衛宮の家の居間で茶なんぞ飲んでいるのだが。ちなみに時刻は午前一時近くだ。なぜこのようなことになっているかというとだ。
「遠坂様は私とマスターのことを詳しくお聞きになりたいでしょうし、衛宮様はそもそも聖杯戦争のなんたるかもご理解してない様子です。お互い、知らぬ仲でもないようですので、ここは一つ、話し合いの場を設けるべきだと思うのですが、いかがでしょうか」
というキャスターの台詞に、一同が納得したからに他ならない。正確には俺たち三人が、なのだが。
アーチャーと呼ばれた赤いコートの男は、やれやれ、といった風に肩をすくめて霊体になって消えたし、セイバーという少女は、俯いて、なにやら思い詰めた風を呈している。 で、今ようやく衛宮への説明が一段落付いたところなのだが……。
「はぁ、衛宮君がへっぽこなのはまぁいいとして」
いや、あまり良くないのではないか、それ。横で衛宮が傷ついてるぞ。
「問題はあなたよ、柳洞君」
「む、俺の方は説明した通りだぞ。寺に迷い込んできたはぐれサーヴァントと契約した、だけのことだが」
「百歩も千歩も万歩も譲ってそれはいいとしましょう。でもなんで、あなたは聖杯戦争のことを知ってるわけ?そもそも、私たちが魔術師だって聞いて驚いていないのはなぜ」
「それぐらい知ってて当たり前、と、言うか知らなきゃまずいだろう」
「ぐっ、どういう意味よ」
「柳洞寺(うち)の役目はこの土地の管理だからな」
「な−−何馬鹿なこといってんのよ!!」
テーブルの上に身を乗り出し全力を込めてに吼えたてる。
どうでもいいことだが、被ってた猫はどこに逃げたのだ?遠坂。
「ここは遠坂の管理地よ!私の土地なの!」
「これだから魔術師は度し難いというのだ。神秘が全て自分たちの専有物だとでも思ってるのか?
大体よく考えて見ろ遠坂。ここは日本でも有数の【霊地】だぞ。その【霊脈】の真上に建立している柳洞寺が、ただの寺のワケあるまい」
言葉に詰まり俺を睨み付ける遠坂。俺はお前の親の敵か。
「俺が聞いた話では、遠坂の家がこの地にきたときに【協会】との対立を防ぐ為不干渉協定を結んだのだそうな。だが、聖杯戦争が始まった頃から雲行きが怪しくなってきてな。
元々、霊脈への直接的な干渉はお互い暗黙のうちに禁忌となっていたわけだが、それが破られたのだ。それ以来、遠坂とは断絶状態らしいからお前が知らぬのも無理はないが、こちら側のことは聞いてないのか?」
「聞いてないわよ、そんなこと……」
「縁が切れた、といっても、これだけの大がかりな儀式だ。傍観しているわけにもいかないらしく、親父や爺様などいろいろと暗躍していたらしいのだが……そこら辺は俺も詳しく聞いてないからな、どのようなかたちで関わっていたかは知らぬが、それが縁で衛宮のことも知ったらしい」
「何?俺、監視されてたの?」
「いや、そこまで悪辣ではないようだ。桐嗣氏がこの地に根を下ろすとき、この館を紹介したのは親父だったと聞く。いろいろと付き合いがあったのだろう。
ま、狐と狸の化かし合い、といったところか。当然狸はうちの親父殿だろうがな」
「狸か、違いない」
ははっ、と嗤うと、衛宮は既に冷めているであろうお茶を一気に飲み干した。
「しかし、あの爺さんがそんなご大層なものだったは、とんと気づかなかったぞ、俺」
「衛宮に気付かれるような奴なら俺もこんな苦労はしないさ。何しろあの化け狸ときたら人を化かすこととからかうことに特化しているからな」
「とにかく、事情は分かったわ」
そう言うとすっくと立ち上がり、遠坂は俺たち二人に向き直った。
「とりあえず、登録はしなきゃ駄目よね。これから協会に行くわよ」
「教会?あの似非神父のところか?取り決めとは言え、あまりぞっとせんな」
「あら、柳洞君。綺礼のこと知ってるの?」
「同じ街の宗教法人だ、面識はある。宗教の違いは置いても、どうもあの神父は好きになれん」
俺が首を振りながら溜息付くと、遠坂も額を抑えながらやはり大きな溜息を付いた。
「あなたと意見が合うのもどうかと思うけど、あの男を好きになれる人がいるなら見てみたいものだわ」
「なんだ、遠坂もあの神父を知ってるのか?」
「私の兄弟子だもの−−」
「なるほど、通りで」
「それ、どういう意味よ」
じと目で俺を睨む遠坂。はっはっは、言わせるな。
「って、おい。二人ともすっかり行く気になってるみたいだけど、時間考えろ。いくら何でも遅すぎだろ」
「厭なことはさっさと済ませるに限る」
「そうね。それに明日はお休みだもの、ゆっくり朝寝坊できるわよ」
衛宮は一つ大きく溜息付くと、ゆっくりと立ち上がり、五人分の茶碗と急須を持って台所に消えた。背中がやつれて見えたのは気のせいだな、うん。
衛宮の家を出て十数分、俺たち五人は何も喋らずにただ黙々と歩いていた。俺たち、つまり俺と衛宮と遠坂、それにセイバーとキャスターだ。契約が不完全だった為か衛宮がへっぽこなせいか、霊体に戻ることが出来ないセイバーはまだいいとして、なぜキャスターまで現界したままなのだろうか。
俺と遠坂は、もとより仲良く世間話をする仲でもないし、衛宮は頭の中を整理するので一杯一杯みたいだ。キャスターは何が楽しいのか、にこにこしながら俺の横を歩いているし、セイバーは先ほどから黙り込んだままだ。鎧のままではまずいからと、黄色の雨合羽を着せられたのがそんなに不満なのだろうか。
「へえ、こんなとこから橋に抜けられたんだ」
隣町への陸橋が見える公園まできたときに、遠坂が感心したような声を上げた。どうやら今までこの抜け道を知らなかったらしい。
「キャスター」
それを合図に、というわけでもないのだろうが、セイバーが俺の横を歩くキャスターに声をかけてきた。
「はい?」
にっこりと笑顔を崩さずに振り返るキャスター。俺たちもそれにつられて、ふと足を止める。
「あなたの言う通りだ。いつの間にか、私は増長していたらしい。済まなかった」
そう言うと、セイバーは深々と頭を下げた。
「いえ、こちらこそ出過ぎたまねを致しまして。どのように非礼を詫びようかと考えていたところです」
考えていたようには見えなかったのだがな、キャスター。
「いや、あなたに非はない。むしろ、忠告してくれたことに礼を言わねばならないのはこちらの方です」
「俺が着く前に、何かあったのか?」
話の流れが見えず、俺はキャスターに尋ねてみた。
「いえ、たいしたことではありません。それよりも急ぎませんと、夜が明けてしまいます」
「そうね、話なら歩きながらでも出来るんだから、少し急ぎましょう」
キャスターの言を受けて遠坂が歩き出した。俺たちもその後に続く。
「で、一つ気になってるんだけど」
「なんだ。遠坂」
「魔術師でもない柳洞君と契約して、なんでキャスターが現界していられるの?」
「あ、それ俺も聞きたい。サーヴァントってマスターの魔力で現界していられるんだろう?で、俺が半人前だからセイバーは能力が制限されてるっていってた。なのに、魔力もなんにもない一成のサーヴァントが能力フルパワーって、納得いかないぞ」
なにげに攻められているような気がするのは気のせいだろうか。
「それは『是の呼吸』という奴ではないでしょうか」
「「是の呼吸?」」
遠坂と衛宮の声が重なる。ほぅ、それを知っているとは、なかなかやるな、セイバー。
「はい。イブキ、外気を体内に取り入れることは外界と内界を繋げる明確なイメージです。吸う、吐く、という動作は神を取り入れ、解放する動作の一環だとか。この“正しい呼吸法”は各流派で秘門であり、“学んでも倣えぬ”高等技術だと聞きます。習得できる者は一世代に一人いればいい方とも聞き及んでいたのですが−−イッセイ、先ほどから見ていたところ、あなたの呼吸は人として理想的だ。歩みもまったく無駄がなく、骨格にも歪み一つ見つけられない。既にその肉体自体が純粋な魔術回路になっているのではないでしょうか」
「あー、それ聞いたことある。足運びだけで魔を退けたり、柏手で魔を払ったりするやつ。ってことは一成、お前もそんなこと出来るのか?」
「って、ちょっと待ってよ。肉体自体が純粋な魔術回路だっていうなら−−私たち以上の、いえ、魔術師を越えた魔術師だっていうの?そんな馬鹿な!そんなにとんでもない魔術回路の持ち主、私が気付かないわけないわ!!」
「まったく、お前らは先ほどの人の話をどう聞いていたのだ?柳洞寺が唯の寺ではないといったばかりではないか。ならそこの住職が唯人の訳あるまい」
「唯人じゃないって、お前ん家の爺さんも魔術師なのか?」
「衛宮、神秘といえば魔術しか思い出せないのは西洋魔術師の驕りだと、さっき言っただろう。日本には日本固有の神秘というモノがある。我が家系は代々法力僧−退魔師−の家系だ。勿論、俺も物心つく前からそれなりの修行はしている」
「だったらなんで私が気付かないのよ!」
「それは己自信の不徳の致すところであろう」
「あんた−−喧嘩売ってんの……?」
歯ぎしりするような低い声で唸る。どうやらプライドを刺激してしまったようだ。
「マスター、言葉がすぎますよ。それは遠坂様の責任ではないでしょう?」
キャスターがやんわりと俺を諫める。ふむ、確かに少しばかり言い過ぎたか。
「今のは少しばかり意地の悪い言い方だったな、別に遠坂が魔術師として未熟だというわけではない、許せ」
頭を下げる俺を、遠坂はまるで幽霊でも見るかのような目つきで見つめる。
「いや、あんたが私に頭を下げたの、初めて……」
「失敬な。俺は自分に非があればどれほど気にくわない奴にでも頭を下げるし、非がなければたとえ目上の者にでも頭はさげん。人が素直に詫びているんだ、茶化すな」
「気にくわない奴って、私のこと?」
「気にするな、言葉のあやだ。ま、それはともかく。俺たちの持つ“法力”ってモノは、“退魔”“退霊”に特化したモノでな。そのものに意識を向けて探らねば察知するのは難しい。実戦経験の浅い魔術師は、退魔師と一般人の区別は付けにくいそうだ」
「確かに実戦経験は乏しいわね、私。というか、本格的な魔術戦闘はこれが初めてだもの。大体実戦経験の豊富な魔術師、なんて方が珍しいわよ」
「大概、魔術師なんてものは自分の研究に没頭しているものだしな。かくいう俺自身も、実戦なんぞしたことがない」
「何よ、偉そうなこと言って、自分だって大したことないんじゃない」
「ん、そんなことはないぞ」
「得意技の一つでもあるって言うの」
「大したことない、と言えるほどの力もないということだ。俺は見習い小坊主だと言っただろう。印も呪も何一つ満足に出来ないぞ。自慢じゃないが、全くの役立たずだ」
「うわっ、言い切った。ほんとに自慢じゃないわね。大体こう言っちゃなんだけど、キャスターってサーヴァントの中で一番能力値が低いのよ。マスターがフォローしないでどうすんのよ!」
柳眉を逆立て詰め寄る遠坂。ふむ、信じがたいことだが……
「もしかして心配してくれてるのか?」
「なっ………」
街頭の薄暗い明かりの中でも、それと分かるほどに真っ赤になる。魔術師にしては表情(かお)に出過ぎじゃないか?
「私はね、あんたや衛宮君みたいな魔術師としての覚悟も出来てない、そもそも魔術師でもなんでもない人に聖杯戦争に茶々入れられるのが厭なだけよ!」
「凛、先ほどから言おう言おうと思っていたのだがな」
虚空から皮肉混じりの声が響く。あのアーチャーとか言う赤い奴だろう。
「君の言動は無駄が多すぎる。これ以上この者達に付き合うのもどうかと思うのだが」
「こんなのは心の贅肉だって分かってるけど、借りっぱなしは性に合わないのよ。特に、この男にはね」
「遠坂に何かを貸した覚えはないが」
「あんたじゃなくてキャスターに−−あー、もう。いいから今はさっさと教会に行くの。このままじゃほんっきで夜が明けるわよ」
あからさまに会話をうち切って、大股で歩き出す遠坂の後を、俺と衛宮は肩を竦めて追いかけた。
「しかしな、遠坂」
「なによ」
振り返りもせずけんか腰で返してくる。
「無駄といえば、この聖杯戦争自体が無駄のような気がするのだがな」
「どういう意味−−?」
足を止め振り返り、俺を睨み付ける。
「目的と手段が入れ替わっているのではないかと−−ま、いい。先を急ぐか。せめて夜が明ける前には家に戻りたい」
俺はそれだけ言うと、遠坂を追い越して先頭を歩き始めた。出来ればこのまま家に戻り眠りたいのだが、そうもいくまい。もう二度と会いたくはなかったのだがな、あの神父には。
冬の星空のもと、教会から続く坂道を、俺たちはなにも言わずに下りていた。
遠坂が一人先行していた為でもあるのだが、俺も少々苛ついていた。
相変わらず、あの神父は人の古傷を無理矢理こじ開けて逆なでするのが上手い。
最初は戦うことを忌避していた衛宮を、あっさり聖杯戦争に引きずり込んでしまったのだから。
だが何より、最後に衛宮に告げたあの一言が、俺をとことん苛つかせた。
『喜べ、少年。君の願いはようやく叶う。−−正義の味方には、倒すべき悪が必要なのだから』
ふざけるな!あれは断じて聖職者などではない。奴はそれの対極に位置するものだ。
奴は、衛宮の古傷をさらけ出し、弄び、本人すら気付いていなかった葛藤を浮き彫りにさせ−−それを楽しんでいる。
「マスター、なにをそんなに怒ってらっしゃるのですか?」
どうやら表情に出ていたらしい。キャスターが、心配そうな声で俺に尋ねてきた。
ふん、俺も遠坂のことは言えんか。まだまだ修行が足りんらしい。今しなければならないのは、怒ることではないのにな。
「衛宮」
俺は後ろを歩く衛宮に、振り返りもせず話しかけた。
「なんだ、一成」
「お前への宿題だ。これから出す問いについて考えよ」
「勉強は勘弁してくれ」
軽口で返す衛宮を無視して、言葉を続ける。
「正義の味方とはなんぞや」
「−−−!」
息をのみ足を止めるのを感じて、俺も足を止め、振り返らぬままに話し続ける。
「悪と戦うモノか、悪を倒すモノか。それとも−−人を救うモノか」
「それは……」
「今は答えなくていい。考えるんだ。お前がそれを目指すというのなら−−まず最初にすべき事は、それがなんなのか、納得いくまで考え抜くことだ」
言うべき事だけ言うと、俺は歩き出した。前方で遠坂が苛立たしげに俺たちを待っている。やれやれ、また文句の一つも言われるかな。
坂を下りきり、分かれ道へと出る。新都の駅前に続く大通りに行くか、深山町に繋がる大橋へと進むか。
そこで、遠坂は立ち止まった。
「ここでお別れね。せっかくここまで出てきたんだから、捜し物の一つもして帰るわ」
「−−捜し物って、他のマスターか?」
「そう。貴方達がどう思っているか知らないけど、わたしはこの時をずっと待っていた。七人のマスターが揃って、聖杯戦争って言う殺し合いが始まるこの夜をね。
なら、ここで大人しく帰るなんて選択肢はないでしょう?セイバーとキャスターを倒せなかった分、他のサーヴァントでも仕留めないと気が済まないわ」
……遠坂の目に迷いはない。
遠坂凛は、一人前の魔術師だ。
その知識も精神も、魔術師として完成されている。
だが、その心は……。
だから遠坂はここにいる。
その心が、あまりに魔術師らしくないから。
それ故のアンバランスさを−−おそらくこいつは理解しているのだろうな。
本人はそれを『心の贅肉』と言い切るのだろうが。
その贅肉が遠坂を遠坂たらしめているのだから。
だからこそ、俺はこいつを嫌いになれないでいる。
「何よ、何か言いたそうじゃない」
勿論、そんなことを言えば機関銃のごとく文句を言われるのは分かり切っているから、俺は別のことを答えた。
「いやなに、たった二組のマスターとサーヴァントを探すのは大変そうだと思ってね」
「なんで二組になるのよ。ここに三組いるんだから、残りは四組でしょ」
「一組はアインツベルンだろう?なら家は森の中の筈だ。新都を捜したところで意味がない」
「それもそうだけど……なんでそんなに詳しいのよ」
「なに、親父に聞いた。言っただろう?なにやら暗躍していた、と。マスターになった後、そこそこの情報はもらっている。
アインツベルンのことだから、聖杯戦争に参加していないって事はないだろう……」
「うん、そうだね。あれはアインツベルンの悲願だもの。そんなことは絶対あり得ない」
−−ぞくん−−
背筋にいきなり氷柱を突っ込まれたような悪寒が走る。
歌うような−−嗤うような−−。
まだ幼さの残る声に振り返れば、そこに………。
「−−−バーサーカー」
雪の妖精のような白き少女と、この世ならぬ異形の巨人がそこにいた。
「お話の邪魔をして御免なさい。私のことを話しているものだから、つい口を挟んじゃった。
こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」
微笑みながら少女が言った。
その無邪気さが、何より恐ろしい。
少女の背後には天をつく異形の巨人。
それは悪い夢にしか見えなくて−−。
「初めまして、リン。私はイリヤ。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょ?」
俺は−−今日死ぬんだな。
視線すら合わせていないのに、唯そこにいるだけで。
あの異形の巨人は【死】そのものを象徴しているようだった。
「セイバー、アーチャー。相談があります」
傍らのキャスターの声で正気に戻る。
そうだ、俺は、こういう世界を承知でマスターになったのではなかったか?
なら、惚けている時間は一瞬たりともないはずだ。
「ここは一つ、共闘といきませんか」
「そうですね、この場はそれが一番いい手でしょう」
「ふん、都合のいい話だな。つまりは守ってくれ、という訳か」
「はい」
アーチャーの皮肉に、にっこり笑って返事をするキャスター。
「私はあれに勝てる気はしません。正直なところ、マスターを守りきる自信すらないのです。だから早い話が……助けてください」
や、いくら何でもぶっちゃけすぎじゃないか?
「私とセイバーであれの気を引きます。あなたは遠方から隙を見て攻撃してください」
「ふむ、どうやらそれが一番勝率の高い戦い方だな。いいだろう、乗ってやろう」
「相談は終わった?−−じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー」
歌うように、背後の異形に命令した。
interlude
巨体が飛ぶ。
バーサーカーが、坂の上からここまで、何十メートルという距離を一息で落下してくる−−!
「いきます!」
キャスターが私たちの前に出て両手を前にあげる。
そこには既に、高純度の魔力弾が出現していた。
「−−嘘……」
キャスターは呪文一つ唱えていない。だというのに
あの弾の一発に、私の全魔力の半分以上が込められているなんて−−!
バーサーカーは空中。避けることは出来ない。
正面からキャスターの攻撃を受ける。
凄まじい爆音と爆風。
バーサーカーは、家一軒消滅させて余りある破壊力を秘めた魔力弾を正面から受けた。「■■■■■■−−−!!」
なのに、なんで−−
「うそ、効いてない−−−?!」
傷一つ負っていないのか−−?!
「キャスター、下がって!」
激突する剣と剣。
爆炎の中から無傷で落下したバーサーカーの大剣と、
その落下地点まで走り寄ったセイバーの剣が火花を散らす……!
「ふっ…………!」
「■■■■■■■」
ぶつかり合う剣と剣。
バーサーカーの剣に押されながらも、セイバーはその剣を緩めない。
−−−闇に走る銀光。
明らかに力負けしているセイバーは、けれど一歩も譲らなかった。
旋風にしか見えない巨人の大剣を受け、弾き、真っ正面から切り崩していく。
「−−−−」
息を呑む音は誰のものか。
私か、柳洞君か、衛宮君か。それとも、
やはり私たちと同じようにこの戦いに見惚れている、アインツベルンの少女のものか。
「……っ!アーチャー、援護……!」
セイバーとバーサーカーの距離が近すぎて、キャスターは呪文を放てない。
私の声に応じて、虚空から銀の光が放たれる。
銀光は容赦なく巨人のこめかみに直撃する。
あの巨人が何者だろうと、それで無傷であろう筈がない。
「−−−とった………!」
間髪入れず不可視の剣を薙ぎ払うセイバー。
しかし。
それは、あまりにも凶悪な一撃によって、身体ごと弾き返された。
「ぐっ………!?」
飛ばされ、アスファルトを滑るセイバー。
それを追撃する黒い旋風。だが、
「やらせません!」
−−−−τρέχω−−−−
「−−嘘……」
キャスターの前に、いくつもの魔力弾が浮かぶ。
その一発一発が、
さっきの一撃と同じ威力を持っていた。
これは−−大魔術だ。
最高位の魔術師が、
大がかりな魔法陣を描き、
一分以上の呪文の詠唱を持って、
それでも、この半分以下がいいところだろう。
それを−−一工程(シングルアクション)で………。
「なんて−−化け物……」
豪雨のごとく巨人に降り注ぐ破壊の嵐。
それに併せて突っ込むセイバー。
「むちゃよっ−−!」
いくら対魔能力の高いセイバーでも、あの一撃でも浴びれば唯じゃ済まないだろう。
「■■■■■■■−−!」
爆炎を切り裂いて、巨人の大剣がセイバーを襲う。
「−−そんな……」
それは私の呟きか、キャスターの呟きか。
あれだけの攻撃を受けて、
なぜあの巨人は無傷なのか−−−?!
「ぐっ−−!」
巨人の大剣を正面から受けて、それこそボールのようにはじけ飛ぶセイバー。
「あれは−−なら……」
なにを見たのか、キャスターが呟く。
「アーチャー、足止めを!セイバー、剣の風を解放して!」
闇を貫く銀光。だが、それは既に足止めにすらならなかった。
「いいよ、うるさいのは無視しなさい。
どうせアーチャーとキャスターの攻撃じゃ、アナタの宝具を越えられないんだから」
アーチャーの矢をまるで気にせず、セイバーに迫る巨人。
セイバーはキャスターの言葉に驚きの表情を見せ、だがすぐに、
「−−はぁ−−!}」
剣がまとっていた風を解放した。
セイバーを中心に巻き起こる突風。
−−Ζέφυρο−− −−άνεμος−− −−νεμίζω−−
−−περιτυλίσσω−− −τυλίγω−−
呪を紡ぐキャスター。
あれだけの大魔術を一工程で作り出す者が、なにをしようと言うのか。
風が揺らめきだした。
セイバーを中心に渦巻いていた風が揺らめき、ながれ、そして……。
あの風はセイバーの宝具だ、それは間違いないだろう。
人の魔力の通ったモノに、別の魔力を通すのは大変難しいことだ。
なのに、それなのに……!
別のサーヴァントの宝具に魔力を通そうというのか−−!!
ありえない、そんなことはありえない−−!
「−−くっ……!」
キャスターは額にびっしりと汗をかき、苦悶の表情でうめき声を上げている。
−−κουρδίζω−− −−αντικρίζω−−
−−δεσμεύω−− −−σχοινί−−
風がバーサーカーのもとに集まり、
やがて細く長く収縮を初め、
バーサーカーの四肢にまとわりつき
そして
「−−風王縛鎖−−!」
バーサーカーの動きが止まった。
「−−うそ……そんな……」
アインツベルンの少女が呻く。
当たり前だ、私だって信じられない。
「−−アーチャー−−早く……長くは………」
今にも倒れそうなほど、苦しげに呻くキャスター。
そうとう、無理をしているのか。
いや、これは無理をして何とかなるレベルの問題じゃない。
限界を−−越えているのか………?
「我が骨子は捻じれ狂う。――――I am the bone of my sword.」
「“偽・螺旋剣―――”カラド、ボルク」
瞬間、世界が白く染まる。
バーサーカーを中心に、凄まじい爆発が起こったのだ。
だが
その爆音も、爆風も、爆炎すらも。
風が阻み、風が包み。
そして……
あぁ、今夜は信じられないことばかりだ。
なんで、あれだけの攻撃を受けて
−−バーサーカーは無傷なの……?!
「……バーサーカー……ランクAに該当する宝具を受けて、なお無傷なんて−−」
セイバーの声には力がない。
「−−そんな……」
キャスターが力つき膝をつく。
わたしたちは成す術無く、唯痴呆のように呆けた顔で見つめることしかできなかった。
interlude out
「−−そんな……」
キャスターが力つき膝をつく。
人知を越えた戦いを、唯呆然と見守るしかできなかった俺は、その声に現実に引き戻され、慌ててキャスターに駆け寄り後ろから支える。
「−−ごめ…なさい−−マス…ター……もぅ、限界−です……。
はや、く……逃げて………」
「ここで逃げられるような性格なら、初めからお前と契約なんかせんよ」
キャスターを支える手に力を込める。
「……ふうん。見直したわリン。やるじゃない、アナタのアーチャー」
楽しげな、少女の声が響く。
「それに、そっちのお兄ちゃんのキャスターもね。正直ちょっと驚いたわ。
お兄ちゃん、名前、なんて言うの?」
「柳洞一成だ」
「イッセイね−−うふふ、変な名前」
自分では結構気に入っているのだがな、この名前。
「いいわ、覚えといてあげる。あなたの名前。
戻りなさい、バーサーカー。つまらないことは初めに済まそうと思ったけど、少し予定が変わったわ」
……黒い影が揺らぐ。
巨人は少女の声に答えるかのように後退しだした。
「−−何よ。ここまでやって逃げる気?」
「ええ、気が変わったの。セイバーはいらないけど、アナタのアーチャーとイッセイのキャスターには興味が湧いたわ。だから、もうしばらくは生かしておいてあげる」
巨人が消える。
白い少女は笑いながら、
「それじゃあバイバイ。また遊ぼうね、お兄ちゃん達」
そう言い残して、闇の向こうへ消えていった。
それで、突然の災厄は去ってくれた。
口ではああ言っていたが、遠坂もあの少女を追いかける気はないのだろう。
それが無謀だと言うことくらい、あいつなら考えなくても分かることだ。
「−−ふぅ……」
大きく溜息をついて、キャスターは全身の力を抜いて俺にもたれかかった。
「疲れました、マスター」
「ああ、お疲れさま。霊体に戻って、休んでていいぞ」
「いやです」
はい?
「マスターに抱かれてる方が、暖かくて気持ちがいいです」
ってしなだれかかるな!胸に頬押しつけてすりすりするな!!
遠坂、白い目で睨むな!アーチャー、肩を竦めて呆れるな!!
赤くなるな!おれ!!
「マスター……?っ、シロウ……!」
セイバーの切迫した声が響く。
慌ててそちらに目をやると、衛宮が真っ青になって、今にも倒れそうにふらふらしていた。
「衛宮っ!」
慌てて立ち上がり、衛宮に駆け寄る。
「−−きゃんっ!」
“ごんっ!”
キャスターの短い悲鳴と、何かを打ち付ける鈍い音。そして
「……痛いです……」
とりあえず、今は気にしない方向で。
「どうした、衛宮」
「あぁ−−一成か……いや、何でも……」
「なんでもないことあるか、真っ青だぞ!おい、衛宮!」
「−−わるい……少し、寝る……」
「って、おい!待て衛宮!そう言うのは寝るとはいわん、落ちるというのだ!衛宮!!」
崩れ落ちる衛宮を支えるセイバー。
「ふう、困った……」
「とりあえず、今は早く家に戻って休ませた方がいいと思う。セイバー、衛宮君運べる?」
「はい、問題ありません」
そう言って、衛宮を担ぎ上げるセイバー。
そりゃ、バーサーカーの大剣を受けきったセイバーだ、衛宮一人くらい軽いモノだろうが……
「アーチャーは霊体になって周囲の警戒お願い。今他のサーヴァントにこられると拙いわ。 それと、柳洞君」
遠坂は俺に近づくと、ささやくように言った。
「キャスターを運んであげて。あの娘、隠してるけどかなりやばいわ」
「そんなにやばいのか?」
俺もつられて、キャスターに聞こえないよう小声で返す。
「ええ、あれだけの大魔術連発したんだもの。それに、最後のあれ。存在自体、消えてしまってもおかしくないくらいよ」
「わかった……」
自分で身を起こす力も残ってないのか、俺は横たわるキャスターに近付くと、ゆっくりとその身体を抱き上げた。
「マスター、私がんばりました」
「ああ」
「だから、ご褒美ください」
「なにが欲しいんだ?」
「−−キス……」
「−−落とすぞ」
「あ〜ん、嘘です、冗談です、御免なさい、もう言いません」
「はいはい、じゃれるのはそのくらいにして、とりあえず撤収するわよ」
呆れた遠坂が、両手を叩いて歩き出した。
正直俺はびびっていた。
なんの力も持たない、無力な一般人が、
あんな人外の戦いを目の当たりにしたのだ。
当然のことだろう。
頭では理解していた。想像もしていた。
だが、今初めて実感したのだ。
自分が、とんでもないことに巻き込まれたのだということを。
(それが、分かってたんだろうな……こいつは)
腕の中で、力無く眠るキャスターに目をやって。
聖杯戦争というモノに、押しつぶされそうな俺の心を少しでも軽くしようとして。
(まったく、自分も限界だったろうに……)
軽くなった心で、真っ直ぐに前を向いて。
俺は、一歩踏み出した。
引き返せない、戦いの道へ。
腕の中で眠る、小さな魔女と共に。
あとがき
やっと、ムービーが流れるところまでいきました。
『第一部』というより『序章』ですね、これは。
遅筆の身ですが、今後も細々とやっていきたいと思いますので
どうかよろしくお願いします。