体感Fate(出張) M:弓 傾:スコップ


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1: マグナム先生(出張) (2004/04/20 15:07:17)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/


プロローグ:遠坂凛と私


ハッ と目を覚ましたのは、薄暗い洋館のロビーみたいな場所だった。

どこかで見たことのあるような白髪の赤いコスプレ野郎が私の顔を見下ろしている。
・・・誰よコイツ。人様の寝顔を無料で拝むなんて太い奴。私の寝顔は高いわよ。

見た目は若い癖にかなり頭が白い。若白髪とかそんな次元は超越してしまっていて、むしろブリーチやり過ぎ。服のセンスもおかしい。筋骨隆々のかなり良い体をしている・・・のはいい。だが、その赤と黒のファンタジーな服装は何だ。ゴスロリ系よりある意味飛んでる。顔は・・・うん、合格。許す。了承です。変なファンシーコスチュームも似合ってるから有りだろう。何よりその筋肉が良い。ムキムキのデブはキモいが、こうバシっと締まった体は胸の奥の方にキュンと来る感じでバッチリです。私はグっと親指を突き出して口元をゆがめた。有りです。告られたら落ちそうだ。

そのまま首をまわすと、買った覚えの無いアンティークな時計が午前二時頃を示しているのがわかった。ああ、まだ二時なんだ。床についてから二時間と経ってない。その割りには頭は嫌にスッキリしている。まるで8時間かっちりばっちり寝まくった後みたいだ。不眠症気味でいつも気だるかったのが嘘みたいで、私は少し上機嫌で上半身を起こした。

赤いコスプレ男が少し心配そうに私の顔を覗き込む。

「・・・大丈夫か。――もう少し横になっていたほうが良い」

「んえ? あぁ、ダイジョブダイジョブ」

「君は突然倒れたんだ。召喚が何らかの影響を及ぼしたのかもしれない」

「倒れた? そうなの?」

男は、やれやれと肩を竦めて溜息を吐いた。

「覚えていないのか。 とんだマスターに召喚されたものだな」

マスター? 召喚?
何か聞いたことある感じの単語だなぁと思って、私はようやくそれらの正体を思い出した。ああ、そうかそうか。この洋館も、壊れた天井も、砂だらけになって拉げたソファも、赤いコスプレも、そう言えば何となく見覚えがあった。

「あー・・・今気付いたけど、それってFateのアーチャーじゃない? あぁ・・・コスプレしてるのってそう言うワケ。ここどこよ、わざわざセット作っちゃって手が込んでるわね。 って言うかあんた誰よ」

「私は確かにアーチャーだが・・・本当に大丈夫なのか? すまないが、私には君が錯乱しているようにしか見えない」

誰が錯乱してるっつーのよ。失敬な奴。私は冷静だ。思いの他寝覚めが良くて、むしろいつもより断然調子はバッチグーである。辺りを見回す。感嘆が出る程、ここは良くできている。アンティークな家具の数々に、アーチャー召喚時の落下を再現したかのように壊されたソファや天井。ちょっと良い男で、笑っちゃう程コスプレがハマってる赤い青年。ああ、これで私が髪の毛を括ってたりすれば完璧。完璧にFateの、遠坂の洋館を再現している。私は少しだけ気になって髪の毛を触ってみた。苦笑が漏れる。寝ている間にされたのか、私の髪はきちんと遠坂凛と同じように結わえられていた。

「あんたね、女の子が寝てる間に髪弄るなんてちょっとヘンタイチック過ぎるわよ」

「・・・? 一体何の話だ? それよりも、もう少し横になっていたほうがいい。君はどうやら召喚の影響で記憶障害を起こしている」

「誰が記憶障害だってのよ。つうか、もう成り切らなくていいし。あんまりハマってるからさ、思わず私も自分が凛なんじゃないかって勘違いしちゃいそうよ」

「君は、遠坂凛だろう? そう名乗ったはずだが」

なーんか会話かみ合わない。このコスプレ、徹底してアーチャーぶるつもりなのか。宜しい上等。では、私は凛として振舞ってあげよう。経緯はわからない。何でこんなリアルなセットで、気絶してたのか。私の記憶は昨夜普通にお布団を被って抱き枕を抱えて睡眠導入剤飲んだところまでしかない。何よ、未成年者略取って奴? ・・・って怖い考えも浮かんだが、レイプされるわけでも無いようだし、少しは付き合ってあげてもいい。そう思えるほど、この場所は良く出来ていて、その男はアーチャーという役柄にバッチリハマっていた。いい男はむしろ歓迎。優等生で学園のアイドルな遠坂凛に見立てられているのも悪い気分じゃあない。まぁ、元から負けてるとは思わないけど。

「あー、ええと・・・そうだったわね、アーチャー。聖杯戦争だっけ? うん、了解了解。そう言うプレイなのね。てか、何時の間に攫われたんだか、私全然気付かなかったわ。ここ、遠坂の屋敷ね? 私は遠坂凛。そう言うこと・・・OK、思い出した」

心配そうと言うよりは少し呆れ顔で、アーチャーは頷いた。

「凛、あまり不安にさせないでくれ。記憶障害のマスターを持ったサーヴァントなど、冗談にも程がある」

「ごめんごめん、召喚?・・・のせいでちょっと疲れたみたい。もう平気だけどね。で、どうすんの? 何すればいい? 脱ぐ?」

「ぬ・・・凛、からかっているのか?」

少しだけ、アーチャーは不快そうに眉を寄せる。ああ、まだ何かこう、掴めないな。自分がどういう風に振舞えばいいのか。こいつは私に何を望んでいるんだろう? アーチャーと凛は結ばれない。だから、私とヤるのが目的ではなさそうだけど。・・・と、そこまで考えて私はあることに気付いた。右腕がやけに痛い。寝起きでぼーっとしていたのか、今までは何となくしか感じなかった。でも、意識するとその痛みは余計に強く私の腕を締め付ける。服の袖をまくると、手の甲に―――多分これ、令呪なんだろうけど―――変な模様が描かれている。その上には、刺青のように腕に刻まれたみたいに幾何学的な文様がびっしり私の腕を覆っていた。痛みの正体は、きっとこの刺青だ。私は左手で右腕をぐっと抑えて、少しの間絶句する。いたたた・・・常時針で刺されているようなその痛みは、我慢できないほどではないにせよ、物凄く不快。腹の底に力を入れて耐えていると、その痛みは徐々に引いてくれた。だが、気を抜けばすぐに痛み出しそうな予感がする。

これって、例のガンド撃つ奴じゃないの? そこに考えが至って、私は愕然とした。何よこれ。こんなの腕に彫られちゃうなんてちょっと洒落になってないし、本当に痛いってことは腕に何らかの細工をされたってことなんじゃないのか? 私は、アーチャー面した男を睨んだ。この変質者、私がちょっとかわいいからってやり過ぎだろう。普通に告ってくれれば今丁度空いてたのに。

いや、待て。そもそも、集中してれば痛みを感じず、気を抜けば痛む仕組みなんてどうやって腕に埋め込むんだろう? 馬鹿馬鹿しいとは思ったが、ある推論が浮かんだ。例えば、本当にFateの世界に入り込んでしまったとか。

この身が本当に遠坂凛で、そしてこの腕から本当にガンドが出ちゃうとしたら。

「はは・・・まさかね。さてとアーチャー。私、お外に出てみたいんだけどOK?」

「それは構わないが・・・凛、もう少し休んだほうが良いように私は思うが」

「いいわよ、体の調子が悪いわけじゃないもん」

「なら、いいが」

ふわり・・・と、アーチャーの姿が空気に溶けた。き、消えたっ!? 目が飛び出しそうなほど驚いた私は、思わず尻餅をついてしまう。何も無いはずの虚空から、困惑したような声が聞こえてくる。

「凛、どうした?」

「な、何でも無い。霊体になったってことね?」

「そうだ。良く知っているじゃないか」

わかっててからかったのか、この性悪サーヴァント。ていうか、何、このさっきの一番馬鹿馬鹿しい推論を裏付けるかのようなビックリ出来事は。胃がキリキリと痛み出した気がして、私は溜息を吐いた。夢と言うにはリアルすぎて、現実と言うには突飛過ぎた。この状況、一体どんな意味を持っているのか。私にはまだ判断が付かない。

まぁ、しばらく凛として行動するのは悪くない。どんなルートでも、凛は死なない。痛い目は見るかもしんないけど。段々開き直りつつあった私は、頷いて一つ決意した。

何とかなるわよ、多分。

「わかった。とにかく今は凛がするべきことをやるわ。最初は高いビルに登って衛宮士郎と顔あわせね。行きましょうか、アーチャー」

私は棚に掛けられていた赤いコートを羽織って、遠坂のお屋敷の、大きなドアを開けた。

「凛、そこは寝室だが」

うっさいわねっ

まず、自分の屋敷を把握するところからね・・・私は溜息を吐いて、行動を開始した。






続く




2: マグナム先生(出張) (2004/04/20 16:16:44)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/




一夜が開け、そしてまた夜。学校には行ってない。だって場所がわからない。

夜の街を歩く。地理なんか全然わからないし土地勘すらないのだ、その歩みは物凄い適当。でも、一応目的も無く歩いているわけではない。新市街ってのはこんな夜でもそれなりにネオンなり何なりで明るいはずだ。だから、明るいほうを目指していればFateのプロローグと同じように例のビルに辿り着けるはず。それに、私の中に芽生えている不思議な感覚が、この道で良いのだ、と教えてくれていた。それはきっと、魔術回路と言うものだ。魔力の残滓を感じる、匂いのような感覚。頭の奥でじりじりと神経を熱く焦がすような、何かが流れる感覚。きっと、これが魔術師としての感覚。

あぁ・・・ますます、現実染みていてこれが夢に違いないと言う切捨てを私に許してくれない。遠坂の屋敷を探索した時に見つけた手帳や辞書みたいに分厚い本の類、後宝石類も後で吟味する必要があるだろう。今の私は遠坂凛に及ぶべくも無い、ただ魔力を感じることができる魔術師未満なのだ。体は既に出来上がっている。知識だけが足りていない。今日の夕方くらいに粗方の基礎は凛のノートから吸収した。どうやら自由に魔術を使いこなそうなんて無理臭いということだけはわかった。

ガンドを撃つのは簡単だった。ただ、そうしたいと願って集中すれば、魔術回路は応えてくれた。真っ黒な後ろ向き全開の呪いの塊は、かなり簡単にソファをつき抜いた。この黒の弾丸の本分は、それが呪いであると言うその事実なのだろうが・・・単純に当たったら痛そうな威力がある。思うだけで出せてしまうって言うのは考え物だ。しつこいナンパ野郎に思わず出してしまいそう。身も心も自制が必要だろう。魔術師って大変だ。ま、私はガンドしか使えそうにないから、それさえ注意すればいい。

橋を渡り、商店街を抜け、高いビルの前に辿り着く。濃霧のようにじっとりと空気が湿っていて、嫌になるほど陰気な雰囲気と、重い魔力の残滓が私の肩にのしかかってきた。思わずクラクラするほど濃いそれは、吐き気すらもよおす程だ。口元を抑えていると、何時の間に霊体から戻ったのか、赤いコスプレ野郎・アーチャーが私の横に立っていた。一体何をしたのか、深い嘔吐感が唐突に引いてゆく。アーチャー、口は悪い癖に何だかんだ言って凛が好きなのね? 知ってたけど。

「気を張れ。君は結界に囚われかけていた」

「わかってる。呪いの類は始めての経験なのよ」

「・・・呆れたな。君はそれでも魔術師か」

「てへ・・・実は慣れてないのよね」

「それで良くもこの身を召喚できたものだ」

ま、召喚したの私じゃないから。心の中でそう言い放って、私は頷いた。怪訝そうにアーチャーが首を傾げる。そっか、アーチャーって衛宮士郎だもんね、元の凛を知ってるんだ。だから私が凛ぽくないって思っているのかもしれない。いいけどね。だって凛じゃないんだし。

私とアーチャーはビルの中を上り始めた。恐ろしく濃い残滓の残るドアを開けると、中でビルの清掃員と思われる男性八名が倒れて体をびくんびくんと震わせているのが見える。ほっといたら死にそうだけど、生憎私にはその手の治療技術は無い。残念だけど、救急車を呼ぶくらいがせきの山だろう。凛の携帯電話を取り出し、「119」をダイヤルし・・・ようとして躊躇してしまう。119なんか初めて電話するのだ。まぁ、でもそれでこの人たちが死んじゃったらかなり寝覚めが悪いだろう。私は腹を括ってダイヤルし、たどたどしい言葉遣いでようやくこのビルに病人がいるんだって言うことができた。

うーん、住所くらいは調べとくべきだった。

「ふむ・・・著しく精を奪われているな。魔力の補填を行っている敵がいる・・・と言うことか」

アーチャーが顎を撫でながら何となく暢気な様子でそう言った。こいつ結構自信家なんだよね。まぁ、固有結界なんて言う結構反則気味な能力の持ち主なわけだし、それも已む無しかな。隠れオタである私は、Fateの設定厨でもある。アーチャーの能力はかっこよくて好きだ。ああ、それにしても、憑依したのが凛で良かった。もしも士郎だったとしたら、トイレとかお風呂とか相当困ったことになっただろうし。

「やったのはキャスター。真名はメディアだっけな? なかなか萌えよ、あのサーヴァント」

「・・・凛、なぜ、それを知っている?」

「そう言う魔術が使えるからってことにしといて。あんまり戦闘向きじゃないのよね」

「ふむ・・・だが、それはこの聖杯戦争に置いて非常に強いアドバンテージだな」

「そうね。全員分真名知ってるから、後で説明するわ。もう居ないわよね、キャスター。サーヴァント同士でその気配とかってわかるんでしょ?」

「ああ、居ないな」

「筋通りね」

でも、まぁ一応はこなすべきイベントをこなさなければ。魔術回路の使い方は素人程度にしかわからないけど、視力だの聴覚だのを強化するくらいのことは朝飯前にできる。そう、集中すれば良いというだけのことだから。だってあの衛宮士郎にもできるんだから、体は既に出来上がっている遠坂凛ができないはずがない。でも、これって実は厄介で、意識せずにやっちゃうことがあるのだ。だから強い魔術師はいるだけでそこに残滓を残してしまうのだろう。

屋上に上がる。鍵が掛かっていたが、アーチャーが無理矢理壊してくれた。どこからともなく剣を取り出してみせたそれこそ、彼の宝具であるところの魔術「投影」なのだろう。見ていて結構不思議な感じだった。本当に何も無いところから、突然、瞬きの後には剣がある。何とも出鱈目な世界だ。ルールはあるにせよ、個体のポテンシャルのようなものに天井を感じない。この精神は素人だが、肉体は生粋の魔術師なのだ。それを思うと何とも感慨深かった。

屋上に出る。強い風がびゅうと私の前髪を散らした。遠坂凛の髪型のセンスはあんまり好きじゃない。でも、私は今、遠坂凛なのだから、そうあるべきだろう。結んだ髪が顔の前でばたばた揺られた。私はその髪を掻き揚げて、ビルの端から、街を見下ろす。

街は方々で明るく輝いている。さすがに新市街なんて偉そうに言うだけはあって、結構栄えているのか。ここで信じられない程突飛で、そしてエキサイティングな戦いが演じられる。どうして私が遠坂凛なのか。それは少し置いておこう。今は、私は遠坂凛なのだから。

タイミングはこれで合っているはずだ。しばらくビルの下を眺め続けていると、髪を短く刈りそろえて、多分ワックスか何かで散らしているのだろう今風の髪形をした男の子が、現れた。アーチャーを見る。アーチャーの表情が僅かに、ほんの一瞬だけ歪むのが見えた。私の顔に笑みが浮かぶ。そう、アーチャー。あんたあの小僧が憎いわけね? 案外心が狭い奴よね。殺したってどうにもならないんだから、ほっときゃいいのに。

少年は、顔を上げる。強化された視覚が、彼のその少し幼さの残る容貌を捉えた。成る程、言われてみればアーチャーと似ている。もっと老けたらアーチャーみたいになるんだろう。将来が楽しみな少年ではある。でも、私はもう少し年上のほうが好みだ。視線が絡んだ。驚いた顔をしている。私は戯れに微笑んでみせた。少年が赤くなって、何かを打ち消すように頭を振り、そして頭をぼりぼりと掻く。幻覚かな? なんて思っているに違いない。愉快になってきたが、これ以上筋を外すのは危険に思えた。私には魔術師としての力が、そんなにあるわけじゃない。Fateの物語において、遠坂凛はそれでなくても戦闘における主人公にはなりえなかった。つまりは私なんかに出来ることは無い。残念だが、筋通りにやるしか活路は無いように思えた。

「えぇと・・・ビルから飛ぶんだっけ。アーチャー、私がビルから飛び降りても死なないようにできる?」

「お安い御用だ、マスター」

「キャスターの居場所はわかってる。一応、確認に行くわ」

ビルの端に立つ。もう少年の姿は無い。それを確認して、私は再度街を見下ろした。絶望的に高くて、足が震えそう。でも、できるはずだ。劇中では、凛は迷い無く飛んでみせたのだから、私も飛ばなければ。一、二の、三だ。

ごぅ、と風が私の体を打った。不思議と、確信めいた何かが私に恐怖を感じさせない。背中に触れるアーチャーの腕。一応、筋力を強化できるところまで強化しようと魔力を通す。この感覚、段々慣れてきた。スイッチが切り替わる瞬間。そう、これだ。これが衛宮士郎の知らない、魔術師としての感覚。

着地はスムーズに行った。筋力の強化なんか不要だった。アーチャーが、優しく、壊れ物を扱うように私を綺麗に着地させようと腐心したのがわかる。この世界は面白い。私の心を溶かし尽くす程、それは心地良すぎた。

「柳堂寺、どっち? あんたが知ってることはお見通しなのよ、アーチャー。案内して」

身を包むこの全能感はどうだ。アーチャーの愕然とした顔すら、私の意のままであるかのような。
私は少し興奮していた。あんな高いビルから飛び降りて、傷一つ無い。この意思のままに、ガンドを放つことができる。残念ながら宝石を扱う知識はまだ無い。でも、凛が残したメモを読み解いてゆけばきっと、そのうち使えるようになるはずだ。凛だって元より魔術師だったわけじゃない。彼女はそうある為に勉強し、努力したはずだから。凛には及ぶべくも無くとも、きっと私にもできる。でなければ、この世界に私が来た理由がわからない。

私は、私であるべくして来た。ここで、聖杯戦争を行う為に。

きっと私は興奮しすぎだ。もうワケがわからなくなってきた。私であるべくして? 意味不明。理解不能。
でも、腹は括った。私は遠坂凛だ。どのルートだったとしても、そうあるように振舞おう。

差し当たって今日こなすべきイベントは終わった。後は描写されないシーンが続く。その描写は、私が自ら体感すれば良いのだ。
次は明日か。私に死者を蘇らせる技術は無い。帰ったら、この胸に掛かった宝石の使い方を調べねばならない。

私は遠坂凛だ。できないはずは、無いのだから。


続く

3: マグナム先生(出張) (2004/04/20 17:39:55)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/


いよいよ今夜。サーヴァント同士の最初の戦いが拝める日だ。
そしてこの物語の主人公、衛宮士郎が殺される日。ランサーの死の槍で、心臓を一突きにされて。でもまぁ、ゲイボルグで即死させられるわけじゃない。彼の体にはアーサー王アルトリアの不死の鞘が埋まっている。だから、この中途半端な復元魔術でも、彼を救えるはずだ。宝石に溜め込まれた魔力は、きっとそれを可能にする。あの子は特に好みじゃない。だから救わない選択肢も有りうるだろう。でも、私に筋を外す勇気は無かった。彼と、そのサーヴァント以外に、英雄王ギルガメシュを倒すことはできないのだ。

アーチャーでも何とかなるかなと思ったりもした。でも、この性悪男は死ぬ程運が悪いときている。だから筋通りならどのみち途中で居なくなる。頼りにはできそうにない。ちらりとアーチャーの姿を覗く。彼は紅茶なぞ嗜みつつ、ゆったりとソファに座ったまま、こちらを見返して少し首を傾げた。

「何か御用かな、凛」

「別に。ていうかあんた態度でかくない? 何で霊体になってないのよ」

「せっかくの生だ、楽しまねば嘘だろう。普段はあまりゆっくりできない身でね」

「いいけど、紅茶入れるなら私の分も入れてよ」

「これは気付かなかった」

嘘つけ、わざとな癖に。全く、素直さが無い。憧れの遠坂凛に召喚されて、嬉しいくせに素直になれない。結局中味は衛宮士郎のまま、実はあんまり変わってないんじゃないの? この男。私は恭しく紅茶を差し出したアーチャーの手からカップを奪って、それを啜った。美味しい。この分だと、衛宮士郎な料理の腕は衰えていなさそうだ。でも、きっと料理してくれって言っても拒むだろうなぁ・・・腕の令呪を見る。あぁ・・・令呪を使って料理しろ、なんて浪費もいいところか。甘い誘惑を断ち切り、私は辞書みたいな凛の愛読書のページをめくった。何語かわからないその本だが、凛が細かく注釈をつけているので何とか可読性を保持できている。私はそれを目で追いながらアーチャーの入れた紅茶を啜った。

「―――凛」

ふと、真面目な声でアーチャーが呟くように私の名を呼んだ。私は寝転んだ状態で、足をぶらぶらさせながら、本から目を上げる。アーチャーが私の目をじっと見据えていた。その表情は硬い。一体何? ・・・といいそうになったが、大体要件は推察できる。私は昨日、アーチャーに全サーヴァントの詳細な情報をすべてしゃべったのだ。アーチャー自身のことを除いて。それが私の魔術だ、とアーチャーには説明した。

であるならば、アーチャー自身のことも知られていて然るべき。この英霊はそう考える。そしてその私の推察はビンゴだった。

「もう、私のこともわかっているのだろう?」

「英霊エミヤ。それがあんたの真名でしょう? 知ってたわよ。体は剣で出来ている・・・てね」

「・・・そうか」

苦しそうに、アーチャーが表情を歪める。ああ、辛いのかもね、確かに。憧れの凛に、自分が衛宮士郎だって知られちゃってる。学校では顔見知りだったはずだ。だからアーチャーは知られたくなくて、記憶障害の振りなんかしてたんだから。自分が磨耗し、擦り切れてもうぼろぼろになってしまった殺し屋だなんて、確かに好きな子には知られたくないだろう。でも、安心してもいい。知っているのは私で、厳密には凛じゃない。

ああ、何となく、醒めていく。その感覚がわかった。心地よい夢はここで終わり。もう、大体冷静になりつつある。虚構で遊ぶのは夢の中だけで良くて、精々、ゲームくらいで終わりにしとくべきなのだ。それを現実としてしまった私は、およそ自然さから懸け離れた気持ちの悪い存在だろう。この身は他人のモノであり、そして精神だけがどこからとも無く現れた、遠坂凛と言う存在を汚し、犯す存在。間桐臓硯と今の自分がどう違うのか、私に応える言葉は無かった。それが自分ではどうしようもなかった不可抗力であったとしても、私と言うこの自我は恥知らず過ぎる。

気付いてしまうと、もう無邪気にはなれない。私は溜息を吐きながら・・・だから私は、こう言った。

「辞めとく? 聖杯戦争。嫌でも衛宮士郎に出会っちゃうわよ?」

「――――! そこまでお見通しなのか。これは参ったな」

「胸につけてんでしょ、今でもこのペンダント。どうしてこれがあんたの手に渡ったか、まで知ってんの。あんたはランサーに刺されたこと、覚えてる?」

私は胸から大きな宝石が付いたペンダント―――遠坂凛とアーチャーを結ぶその絆の石を出して、首から外した。これは、私が持つには少し重過ぎる。使えもしなければ、その絆の重みに耐えることもできない。ガラスのテーブルの上にそれをおく。アーチャーの視線がその石に集中した。

「予知・・・か?」

「厳密には違うわ。そうねー・・・過去となった事象を知った人格で遠坂凛を上書きした、そんな感じ。だからサーヴァント全員知ってるし、この先何が起こるのかまで知ってるってわけ。さっきまでさ、凛として振舞う気満々だったんだけど・・・あんた見てたら気が引けちゃって」

困惑を露わにするアーチャーを横目に、私は寝返りを打つように体を回して仰向けになった。

「どうしてこうなったのかわからないし、戻る方法もわからない。宝石剣でもあれば戻れるかもしれないんだけど・・・あれは平行世界への干渉機って設定だから。私の推論、聞く?」

「君が一体何の話をしているのか・・・まずそこがわからないな」

「いいわ、そこも含めて。・・・要するにね、私は凛じゃないの」

おっと結論から行き過ぎたか。アーチャーは絶句して、カップを落とした。紅茶がパシャっとソファの上に散る。あらら、火傷しなきゃいいけど。アーチャーは特に慌てた様子も無く、零れた紅茶を拭き始めたが、その動作は緩慢で、動揺しているのがすぐにわかった。私は口の奥で笑いながら、分厚い魔道書を放り出して体を起こした。

「現実よ、受け止めて。多分あんた以外には話せない。どっちみち戻る手立てを見つけるまでは・・・凛でいるしかないんだから」

アーチャーが、苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。何かしら似たような事象を知っているのか、何かにピンときたような顔だ。私はアーチャーの反応に満足して、話を続けた。昨夜の全能感も今は霧散して、ただじくじくと膿んだきもちわるい後悔の念だけが私の口を突き動かす。不遜にして大胆。そしてこの上も無い、恥知らず。借り物の世界で、昨日の私は神気取りだった。これが夢なのか現実なのか、それはこの際どちらでも良く、ただただ私は私であるべきだったはずなのに。

「私の居た世界をA、ここをBとするわ。Aでは、このBでこれから二週間くらいの間に起こった出来事が、大体ダイジェストになった感じでゲーム化されて売られてた。私は私の世界において、それを現実として生きたのよ。つまり、AにおいてBは虚構の、誰かが考えた物語でしかなかった。アンタや、凛や、士郎も。私にとってもそのはずだったの。でもね、一昨日、遠坂凛が倒れた時、私はB・・・この世界に現界した。凛の人格として」

「馬鹿な。そんな突拍子も無い話は・・・」

「英霊って存在も似たようなもんでしょ。Bに置いて私の常識はきっと通用しないのよ。そんで、ここから大事。このBには平行世界干渉機ってものがあるのね。宝石剣ゼルレッチとか言うんだけど・・・そこで説明される平行世界は、無限に広がってあらゆるパターンを網羅する。・・・と、私は考えてる。つまり、私は平行世界で、聖杯だの魔術だの英霊だの存在すらしない世界の、Bを虚構の物語として楽しむ遠い向こう側の遠坂凛なんじゃないかって。ほら、元々私って美人だったしモテたし。成績は良くなかったけど」

「・・・正直、信じ難い話だな」

「けど、実際に私は物語中で知り得たあんたのすべてを知ってる。衛宮士郎との関係も、その服の中に隠してる、遠坂凛の宝石も。勿論、そうなった経緯まで。それでも疑う? まぁ、平行世界云々は私の推論でしかないけど、あんた達Fateの世界を過去のことみたいに知ってるってのは事実よ。さて、私は一体誰なのかしらね?」

「それが事実だったとしても、この世界における君は遠坂凛だろう。それは間違い無い。この身の魔力は間違いなく君から供給されている」

「そうね。きっとそうなのよ。違う人格が入り込んでしまったと妄想している遠坂凛と、本当に違う人格が入ってしまった遠坂凛は、当人以外にはその差はわからないわよね。だからアーチャーにとっては私が遠坂凛で間違いない。でもね、私にしてみれば、こんな恥知らずな状況は無いのよ。もう三日目にもなる。さすがに冷静にもなるわ。ここはゲームの中の世界・・・私にとってそうである以上、あんた達は虚構。無いに等しい。そんな中でハッピーエンドを迎えたって・・・そんなの虚しい夢だわ」

私の溜息に、アーチャーは何ともいえない表情で額を押さえた。

「待ってくれ・・・ちょっと待ってくれないか・・・これは、さすがに」

驚いた、とアーチャーは私と同じく溜息を吐いたのだった。

4: マグナム先生(出張) (2004/04/20 17:49:24)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/

タイトルふざけててごめんなさい。

制式タイトルは

Fate/a little chance

です。よろしく。

5: マグナム先生(出張) (2004/04/20 18:33:14)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/

アーチャーは黙っている。言うべき言葉を捜しているのか、それとももう何も口に出来ない程、呆れ返ったか。私は首を少し傾げて、硬直するアーチャーを眺めた。何度見てもいい男。衛宮士郎はさしずめダイヤの原石ね。令呪を使えばこの男を意のままにできる。でも、それを実行することはとてもじゃないがこの私の矜持が許さなかった。私にだって、プライドってものがあるのだ。それより私が令呪を使うべきは、別のことだ。

「ねぇ、アーチャー。衛宮士郎、殺したい?」

そんなことを聞けば、アーチャーが渋い顔するのはわかっていた。でも、この際もう別にいいやって開き直ってしまった私は、一つの、一縷の望みを考え付いていた。この世界に留まり続けることは、私の精神衛生上酷く落ち着かない。本来の遠坂凛を、完膚なきまでに蔑ろにしている。だから、私は戻るべきだ。凛に返すべきだ。彼女が受けるべき、彼女が得るべき恩恵を。でも、その手段で、現実的なものはほとんど考え付かない。ニつの例外を除いて。

私の推論が正しいとすれば、ここは私の住む世界とどこかしら繋がっている平行世界の果てであるはずだ。だから、私は何としてでも宝石剣を手に入れ、そしてその魔法と呼ばれる奇跡を試さなければならない。それか、端的にどんな願いをも叶えるという聖杯を求めるのか。干渉機ゼルレッチ、又は願望機である聖杯しか、この歪みを補正する術はないのだ・・・それは確信染みていて、他に何も無い私が信じ込むのに充分な説得力を持っているように思えた。

狙うべきは聖杯だが、問題はそれがアンリ・マユに汚染されている点だろう。だが、宝石剣ゼルレッチは作成に何年掛かるかわからない。その名前と機能は知っている。しかし、それを作る為の知識も技術も経験すらも無い。一つだけ確かであることは、どちらにしてもアーチャーの力と、衛宮士郎の力が必要だ、と言う一点だけ。投影と言う魔術無しには、それは為し得ない奇跡なのだ。

だから、私はアーチャーに敢えて挑戦的に微笑んで見せた。

「私、戻るわ。何をしたって戻るって決めたの。これだけリアルな虚構なんだから、ここを現実として生きるのも・・・きっと悪くない。でもね、その結果、本来の凛は誰にも気付かれず、誰にも看取られず、死ぬのよ。私のせいで。―――戻る為には・・・干渉機ゼルレッチか、それとも願望機聖杯か、どっちかしかない。そのどちらを得るにも、衛宮士郎は必要。彼は、中心だから。―――だから、こうするの」

私は、右腕を高く掲げた。令呪が青白い輝きを放ち、そして私は強く、願った。

「英霊エミヤが、衛宮士郎を殺すことを禁じる。――誓いなさい」

これだけ具体的な令呪を、アーチャーが抗することはできないだろう。令呪の青白い輝きが失せた時には、私の手の甲に刻まれた紋章の一部が欠けてしまっていた。私の願いは受理され、そしてアーチャーは肩を竦めて、溜息を吐く。

「仕方無いな、マスター。誓おう、その命に」

物分りが良くて助かるわ。でも、きっと誓ってくれるとわかってた。なぜなら、遠坂凛はアーチャーにとっても特別だから。そして、彼は多数の為に人を殺す道よりも、遠坂凛と言う一人の為に戦うことをよしとするだろう。彼は彼の思想を憎んでいるのだから。

「ごめんね、アーチャー。さっきは辞める? 何て言ったけどさ・・・私、聖杯が欲しい」

アーチャーは苦笑し、そして頷いてくれた。

「―――了解した、マスター。私は元よりその為に召喚に応じたのだからな」

その男臭い笑みに、クラクラする。少しだけ凛が羨ましい。アーチャーは私をマスターと呼んだ。きっと二度と凛とは呼ばない。それは少し寂しいことだったが、私を戒める楔となるだろう。私はただの大学生だった。剣道ができるわけでも、柔道ができるわけでも、勿論魔術だってコッチに来てから初めての経験だ。だからどこまでやれるのか不安が無いとは言わない。でも、やらなきゃ駄目だ。私が、私である為に。

このままここに居座れば、私は凛になる。それは凛を殺すと同時に、私をも、殺すのだ。

私はそこまで私に絶望なんかしていない。私は、私を取り戻す。

これが、私の聖杯戦争なのだ。



続く

6: マグナム先生(出張) (2004/04/20 19:37:01)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/



物語の筋を外さない程度に衛宮士郎に肩入れする。それはなかなか難しいことだ。結局、ゲームから拾えた情報は一部だけで、すべてがわかっているわけではないのだから。それに、生の士郎がどのように反応するのか私は厳密に予想することができない。アーチャーは、味方でいてくれるだろう。でも、それ以外に今のところ信じるに足る何かを、私は持っていなかった。

それでも、今日のイベントはこなす必要がある。でなければ、衛宮士郎はセイバーを呼び出す事も無く、そして投影を使いこなすこともない。それは確信だ。まるで世界がそう望んでいるかのように、この世界でのそれは必然である、と。私はそう考えていた。

「マスター・・・やはりいるようだ」

霊体となって学校内を偵察してきたアーチャーが、私の傍らに姿を現す。私は頭を抑えて首を振った。

「たは・・・衛宮士郎って本当間の悪いって言うか・・・じゃ、ランサーも来るわね、間違いなく」

筋と少し違うが、私達は先に衛宮士郎がいることを確認しておくことで、ランサーに殺されてしまうことが無いよう対策を打つことにしたのである。でなければ、今の私に彼を蘇らせる力は無い。辞書みたいな教本を読んで多少の知識はつけたつもりだ。でも、失われつつある生命の復元なんて、彼の身に内臓されたセイバーの鞘の力を借りても無理だろう。私はまだまだ効率よく魔力を扱うことができない。

「確認するわ。ランサーのサーヴァントの真名はクー・フーリン。その宝具は死という因果を逆転させる。OK?」

「二度言われずとも、わかっている。ランサーに衛宮士郎を目撃させ、襲撃させれば良いのだろう?」

「そう。で、例の槍が届く前にカラドボルグで迎撃・・・まぁちょっとくらい刺さってもいいけど。タイミングはシビアよ、できる?」

「無論だ。私を誰だと思っている」

さすがに英雄。元は衛宮士郎だって言うのに、えらく態度がでかいし自信家だ。それに、彼のクラスはアーチャー。本来ならば遠距離攻撃こそ、その本分であるはずなのだ。投影によって作られるその弾丸代わりの剣は、無限。無限の剣製。おっかない能力である。弾数無限の砲台。考えてみればそれだけでもかなり強力なサーヴァントと言える。Fateの中で魔術の力量ナンバーワンに近い位置にいた遠坂凛が召喚するに相応しい、英雄だ。少し誇らしい。でも、これは私の力じゃない。複雑な気分。

ようやく、人影が見えた。つんつんに立てた髪、青いコスチュームに、複雑な装飾の槍を持っているとなれば彼しか居ない。ランサーだ。私はあのキャラもお気に入りなのだが、残念ながら彼のマスターはどうにもお友達になれそうに無い変人である。激辛マーボーをこよなく愛するあの男こそ、私の目的を果たす最大の障害である。セイバー召喚と言う目的が無ければ、私は即座にアーチャーに彼の殺害を命じていただろう。無限の剣製があれば、できないことではない・・・と、思う。これは物語だが、現実でもある。私は出し惜しみする気なんか全く無いのだから。

「ようこそ我が高へ、ランサーのサーヴァント」

一回も登校したこと無いくせに、私はそう言った。ランサーはぽりぽりと頬を掻いて、あっけにとられている。どうして来るのがわかったのか、そんな様子か。そりゃあわかるに決まっている。これは、既に決定済みの事項なのだから。だからこそ、曲げるのは最小限度に留めなければならない。衛宮士郎は、襲われねばならない。あの、最高の英霊を呼び出すその為に。そのプロセスの為の、生贄なのだ。そしてランサーは、目撃者は消せてもこちらに手を出すことはできない。彼が受けた命とは、悉く引き分けよ、と言う言峰埼礼の言葉である。ならば、こちらも最初からそうするように振舞うまでだ。

「アーチャー、任せたわよ」

「了解だ、マスター」

言葉はいらぬ、とばかりに赤い闘着に身を包んだアーチャーが、黒豹のようにしなやかな体捌きでランサーに疾走する。ランサーは一瞬だけ首を傾げたが、すぐに舌なめずりしてそのアーチャーの突進を槍で突いた。好戦的な奴だ、でもそれはこちらの計算通り。私は油断無く辺りを見回し、衛宮士郎が出てくるそのタイミングを計る。注意深く見ていれば、その姿はどこかの影に見つかるはず。

アーチャーの腕に現れた刀剣が、ランサーの眉間を襲う。恐ろしく早い速度で槍を引き戻したランサーはそれを軽々と弾き飛ばし、返す槍の穂先を、まるで分裂させたかのような速さで突き込んだ。アーチャーの剣が槍を受けた瞬間に粉々に折れる。だが、次の瞬間にはアーチャーの手には別の剣が現れていた。呪文すら必要としない、アーチャーの魔術。彼と、衛宮士郎だけの。

―――投影。

その流麗な戦いに見とれている場合ではない。引き分けるのはわかっている。ランサーも、アーチャーですらそのつもりで闘っているのだから。わざわざ拮抗する状況を作り上げるようアーチャーに命じたのは、私が衛宮士郎の姿を探す時間を稼ぐ為だ。

「いたっ!」

視線が絡む。目が合った。倉庫の影に、衛宮士郎がいるのを私の目がはっきりと捉えた。向こうは向こうで、私と目があったことに驚いている。魔力を通した両眼は、夜の闇を貫通してその彼の焦る様子を私に見せてくれた。決定的な瞬間が訪れる。彼は、逃げ出そうとして、足をもつれさせ、その場で無様に転んでしまった。手に持っていたものを派手にぶちまけ、そして一目散に立ち上がって校舎のほうに逃げていく。ランサーが、舌打ちしてアーチャーに背を向けた。アーチャーと私は目を合わせて頷く。OK、予定通り。

アーチャーは間髪入れずにランサーの後を追いはじめる。私は、更にその後を追って駆け出した。


続く

7: マグナム先生(出張) (2004/04/20 20:42:52)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/



首尾よくランサーを撃退したはいいが、衛宮士郎は気を失って倒れている。ま、そのまま正気でいられるのも困るんだけど。アーチャーは私の言葉どおりに槍が衛宮士郎の胸にちょっぴり刺さった辺りで彼を救った。やっぱり見ていると不愉快なのか、アーチャーは顔を背けて不機嫌そうだった。ほんとに刺さるまで助けないなんてね。彼の士郎嫌いも根が深いってことか。
浅くは無いが、深くも無い。その程度の傷だ。これくらいの復元なら、今の私でもできる。血を止めて、傷を塞ぎ、その傷の上に手を乗せる。もうスイッチを入れる感覚にも慣れてきた。魔術回路は容易く起動し、私の呪言に反応して、奇跡を起こす。首筋を流れてゆく熱い感覚。それは手のひらに至り、すぅっと衛宮士郎の傷に作用した。手のひらが熱い。でも、何度か練習しておいたお陰か、その感覚にはもう慣れていた。

「これで良し、と。後は衛宮くんが自宅帰ってセイバー呼ぶのを見届ければOKね」

「ほう・・・魔術は未経験だと聞いたが」

「体は既に出来上がってる。後は私の知識の問題なのよ。この程度はできないと話にならないでしょ?」

「努力家なのは結構なことだ。この男が目を覚ます前に、早々に退散するとしよう」

「相当嫌いなのねぇ、この子のこと」

くすくすと笑みを零すと、アーチャーは不快そうに顔を歪めてプイとソッポを向いてしまった。かわいい奴。私はほくそ笑みながら立ち上がった。衛宮士郎がううんと唸る。すぐに意識を取り戻してしまいそうだ。私は医者ではないから詳しいことはわからないけど・・・でも、もう意識を失った状態でいる理由は無いように思えた。アーチャーの言う通り、ここは引くべきだ。

私は昨夜と同じように、アーチャーの助けを借りて校舎の窓から飛び降た。ここは三階で、普通なら足くらい骨折しててもおかしくないような高さを、階段を二段飛ばして着地するみたいな軽さで着地する。悠長に階段降りて衛宮士郎が意識を取り戻しては元も子も無い。

でも、このまま家には帰れない。今から三時間後に、ランサーの衛宮邸襲撃とセイバー召喚が行われる。その後にアーチャーが斬られたり斬られなかったり色々だ。でも、衛宮士郎は遠坂凛に憧れている。それに彼は正義の味方なのだ。早々に協力体制を敷くのは悪いことではない。セイバールートに準拠するのが最も適切か・・・とは思ったが、アーチャーが斬られるのを見るのは忍びなかった。もう三日も一緒にいるのだ、それなりの情は沸く。いい男だし。

どうする? 私は少し迷った。ここで既に筋を外してしまうのか、それとも、あくまで筋通り進めるべきか。なかなか悩ましい。だが、結局私はこの時点で筋を外すことに決めた。私にとって確実に頼りになるのはアーチャーだけだ。彼以外に、この遠坂凛の真実は話せない。だから、アーチャーが一人犠牲になるような筋は避けたかった。アーチャーはその悉くのルートに置いて、エンディングを見る事無く死に至る。凛ルートだけが例外だったが・・・それはそれで避けたい。願望機としての聖杯の機能はあのルートでは為し得ない。そうすれば、私は何年も掛けて魔術師として修行を積み、ゼルレッチを完成させるしか手が無くなってしまう。そして、あれを投影できるのは、アーチャーの力あってこそなのだ。

最悪でも、アーチャーを常に現界させておけるだけの魔力。それを聖杯戦争で得なければならない。でなければ、私と凛は死に、そして凛の姿をした私と言うこの不自然で醜悪な存在だけが、この世界に残るのだ。それは世界の道具である英霊に勝るとも劣らない、化け物みたいなものだ。背筋が凍る。この身は真名を持たぬ反英雄、宝具は憑依。名を奪う者。そんな妄想が浮かぶ。ああ、嫌だ嫌だ、そんなのは嫌だ。

ぶるぶると身震いしていると、アーチャーが首を傾げてクスりと笑った。

「マスター、何を考えている? 先ほどから笑ったり顰めたり・・・せわしないな」

「うっさいなー・・・色々悩ましいのよこっちは。あ、衛宮くん出てきたわよ。案外、気付くの早かったわね」

「傷自体は大したことが無かったからな。あれが倒れたのは宝具を刺されたショックのようなものだろう」

「刺さるまで助けなかった癖に」

「ちょっとくらいは良い、とマスターに言われていたものでな」

この減らず口は・・・衛宮くんもこんな性悪に育っていくんだろうか? 嘆かわしいことである。

衛宮士郎は、ふらふらとした足取りで、自分の屋敷に向って歩き出した。一定の距離をあけて、それに続く。正直、衛宮のお屋敷の場所なんか知らないのだ。後で掛け付ける・・・みたいなことはできない。この寒い中三時間もランサーを待つのは憂鬱だが、仕方無いか。確認した後戻るのも面倒だし、ランサーが本当に三時間後に来るのか、と言う所にも確信はもてない。ちょっとタイミングがずれたら、衛宮士郎と関わるチャンスが一つ減る。マヌケだけど、じっと息を潜めてその時を待つしかないのだ。それを話すとアーチャーがブーブー文句を言うだろうことは想像できたので、私は黙っとけと彼を一喝して霊体になるよう命じた。

三十分程歩いただろうか、そろそろ足音すら立てないように気をつけて歩くのに疲れてきた頃、ようやく衛宮士郎の住居と思われる大きなお屋敷の前に出た。私は角を曲がった所で待機する為にしゃがみこむ。吐く息が白い。こんな冬の深夜に外で待つと言う選択は間違っていたのだろうか。本当にそう迷ってくるほど寒い。一応ちゃんとコートにマフラー、手袋まで完備してきたが、こう長い時間外にいるとそれらの防寒具を貫通して底冷えしてくる。

突然、ひょいっと空中から缶コーヒーが落ちてきた。私はそれを反射的に慌てて掴みとる。どこかの自動販売機で買ったものか、それは凍えた体に染みるような暖かさで、私はしばらくそれを無言で掴んだまま、その暖かさに浸った。

「アーチャー?」

「冷えているのだろう、飲むと良い」

プルタブをあけて、口をつける。熱い液体が、私の食道と胃から熱気を体全体に行き渡らせる。あぁぁあぁぁ・・・生き返る。

「アーチャーが買ってきてくれたの?」

「いや、自動販売機から拝借してきた」

「壊したの? 悪い奴ねー。でも、ありがと。生き返った」

アーチャーはぼそぼそと、マスターを気遣うのは当然だ、とかここで風邪でも引かれたら・・・とか言ってたけど、照れてることが丸分かりでちょっとかわいらしい。本当は凛にそうして上げたかったんだよね、アーチャーは。少し、申し訳ない気持ちになってしまう。アーチャー、作中で凛は気付いてなかったみたいだけど、物凄い凛に気を使うのがよくわかる。あぁ、まだ好きなんだな、そう確信できるほど。

できるだけ、早く戻らなきゃね。アーチャーに、本当の凛と逢わせてあげたい。一瞬だけだって、何も無いより、良いじゃない。アーチャーが、この世界に召喚されて良かったなって思える瞬間が、合ってもいいじゃないか。

絶対、戻るんだ。私は決意を新たにして、コーヒーをぐいぐい飲んだ。


続く

8: マグナム先生(出張) (2004/04/20 22:20:54)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/

寒さなんて、忘れた。
背は低い。私よりも幾分低いくらいだ。その甲冑は重さを感じさせず、片手に持つ見えない剣はごぅごぅと風を放っている。風が私の髪を撫で上げた。威圧感すら感じさせる、発散される魔力。それは既に物理的な圧力すら持っているかのように、私に後ずさりさせる。

――――これが、セイバー。

最強の英霊。
凛が欲した、最高の英霊なのか。その存在感は、桁違い過ぎた。
魔力の補充が充分でない、完調ではない状態で、これか。これは確かに・・・最強かも。

「アーチャー、霊体に戻って」

「マスター、君が殺されるぞ」

「あんたじゃ無理よ、だってあんたあのセイバーよ? 感慨深いくらいなんじゃないの?」

「ふぅ・・・何もかもお見通し、と言うのは気分があまり良くないな」

アーチャーが渋面を浮かべる。そんなの私だって同じだ。冷や汗が止まらない。これは敵に回すべきでない、と全力でこの体自身が訴えているのがわかる。アーチャーは「どうなっても知らんぞ」と、言い残し、溜息を吐いてすぅっと霊体に戻ってこの場から姿を消した。セイバーが剣を構えたまま、ピクリと眉を動かした。遠くで、衛宮士郎の叫ぶ声が聞こえる。ああ、あの子まだ状況わかってないだっけ。

「覚悟を決めた、と言う所か、英霊のマスターよ」

セイバーの声。細く透き通っているが、だが強く辺りに通る。ああ、一瞬にして私は悟ってしまった。存在の格が違うのだ。しかし、怯んでばかりもいられなかった。私は強く自分の心を掴むように歯を食いしばり、そして腹の底から叫んだ。

「衛宮くん! 聞こえてたら早くセイバーを引っ込めて!」

遠くの門から、走り出してくる衛宮士郎。彼は大声で「セイバー辞めろ!」と絶叫する。この場の頼りは彼だけだ。私は歯を食いしばったまま、この奇妙な膠着を耐え続けた。セイバーが眉を寄せる。まだ、このセイバーは衛宮士郎に触れてない。下手に動けば、私は斬られて死ぬ。それは予感ではなく、確信だった。

ようやく、衛宮士郎が私とセイバーの間に入った。ああ、腰が抜けそうだ。普通の大学生だった私に、こんな修羅場の体験は無い。足が今更ガクガク震えだした。ランサーの時は、向こうにこちらを殺せない理由があると知っていた。だからこその安心感があった。でも、今のは一歩間違えば私は肉塊となってこのあたり一体に赤い液体を撒き散らしていたことだろう。凛に体を返すどころか、何もかも駄目になってしまうところだった。安易に考え過ぎていた。この世界は、死と隣り合わせだ。駆け寄ってくる衛宮士郎をぼんやり眺めながら、私はその場にペタンと尻餅をついた。

「大丈夫かよ、遠坂!」

「あぁ・・・助かったわ、衛宮くん。あー、怖かった・・・」

「その、すまない。俺の責任・・・なのかな? 本当にごめん、悪かった」

「いいわよ、別に・・・セイバーはサーヴァントとして当然のことをしようとしただけなんだからさ。ねぇ、セイバー?」

セイバーはもう重苦しい程の威圧感を失って、剣を鞘に仕舞う最中だった。セイバーは私に対して細心の注意を払うように目を細め、そして小さく頷いた。

「その通りです。他のマスターは殺すべき相手だ」

「その通りです・・・って・・・人を殺そうとするのが当然だって、そう言ってるのか!?」

セイバーの言葉に衛宮くんが色めき立つが、私は手をヒラヒラと振ってそれを制した。

「あー、はいはい。めんどくさいから一々激昂しないように。要するに聖杯戦争って言うのはそう言うもので、何の因果か君はそのマスターの一人になっちゃったのよ。詳しくは後で説明してあげる。ここ寒いから中入っていい?」

あっけに取られる衛宮くんは、私の顔とセイバーの顔を交互に見て、首を捻った。ああ、混乱してるんだろうなぁ今。まぁいいけど。まだ私を警戒しているらしい、セイバーが、衛宮くんが私に手を貸そうと、右手を伸ばした瞬間にピクリと眉を動かす。その視線は私を射抜くかのようで、変な真似をすれば即座に斬るって言ってるみたいだった。私は立ち上がって服についた埃を払い、そしてセイバーに向き直った。

「最初に言っとくけど、私、衛宮くんと敵対する気、無いから。何なら、あなたの剣に誓ってもいいわよ」

「確かに貴方は私と戦おうとせずにサーヴァントを納めた。だが、その言葉を信用に足ると判断できたわけではない」

「たは・・・手厳しいわね。まぁ、これからそれは証明するわよ」

苦笑する。衛宮くんは未だに状況が把握できずに目を白黒させていた。悪いわね、後でちゃんと説明するから。
私は、首をかしげ続ける衛宮くんに連れられて、セイバーと並んで衛宮邸に入った。


続く

9: マグナム先生(出張) (2004/04/20 22:32:31)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/


お茶を飲む。外はもう白んできていて、今日は貫徹確定しそうな勢いだ。何となく学校なんか行けそうに無い気がしてきた。まぁ、二週間くらい行かなくたって優等生の凛が留年しちゃうようなことは無いだろう。私自身、今更高校に行きたいとも思えないし。聖杯で戻れなかったら、復学することも考るとしよう、他ならぬ凛の為に。

粗方聖杯戦争に関して説明を終えた私は、すっかりぬるくなったお茶を一気にぐいっと飲み干して足を投げ出した形で座った。ずっと正座していたせいで、足が軽く痺れている。しかし一挙手ごとにセイバーの眉がピクピクと反応するのは実際の所、かなり心臓に悪い。早く信用して欲しいものだ。衛宮くんは案の定、聖杯戦争なんて馬鹿げている、と吐き捨てた。そうだね、私もそう思う。こんなの、馬鹿げてる。サーヴァントは聖杯に捧げられるイケニケ、その中にあるものは呪いの詰まったこの世のすべての悪。がんばったって報われない、喜ぶのは言峰だけって出鱈目な状況。でも、ゲームでは上手くいった。上手く行く道があった。だからここにもあるんだって私は信じようと思っていた。勿論、そこは衛宮くんには話さなかった。衛宮士郎は、聖杯を壊そうと思うだろう。それでは私の目的は達することができない。自分の厚顔無恥さに呆れる。私は、衛宮士郎とセイバーを騙そうとしている。

「遠坂も・・・そんな馬鹿みたいな話に乗るのか?」

「その気なら、もっと早く君を殺そうとしてるわ。私も君と同じ、こんな馬鹿みたいなの付き合ってらんないと思ってるクチ」

「・・・そっか、良かった」

チクリ、と胸が痛んだ。好きな子が、自分が認められない何かと一線を画す、そのことに安心して衛宮くんは微笑んでいる。でも、君が目の前にしているのは、衛宮くんが憧れた女の子ではないのだ。叫びだしたくなる。私は一体何なのだ? 私は私の目的を達する為に、そう言うしかなかった。でも、それは本来の遠坂凛のセリフとは真っ向から相対する言葉だ。衛宮くんの安堵は、だから私の胸に突き刺さるほど、痛い。私が凛を食らっている。そんなこと、したくは無いのに。

「衛宮くんはどうするの? 私は身に降りかかる火の粉から、身を守るつもりでいる。言っとくけど、ここでじっとしてたって絶対に聖杯戦争からは逃げられない。殺したくないなら、素直に殺されてあげるの?」

「まさか。俺だって・・・素直に殺されてやる気なんか無いよ」

「じゃあ、どうするの? サーヴァントの中には・・・一般の人から精を奪うような奴だっている。じっとしてれば被害は増える一方。聖杯戦争が終わる、その時までね。そして、マスターが一人になるまで、聖杯戦争は続く。君は、どうするの?」

それは残酷な問いだ。わかっていて、言った。衛宮士郎は誰一人不幸にしたくない。彼は正義の味方だった。だから、マスターであろうが一般人であろうが・・・自分以外の誰かが不幸になることに耐えられない。この問いは、その衛宮士郎の思想を犯す。私は残酷だ。暗に、私はこう言った。「多数の為に、少数を切るべきではないのか?」と。全員を救う? それは理想だ。確かに高く届かない程清らかな、尊いものだ。誰一人として、その手から零したくないと。それは言う程に簡単な思想ではなく、およそ考えられうる最も慈悲深い思想だった。それこそが、衛宮士郎を士郎たらしめる要素である、と私は知っている。その思想に磨耗し、疲れ果てたアーチャーが、衛宮士郎とはその内面に置いて似ても似つかないように。

それなのに、私は追い詰めるような言葉を吐いた。言峰埼礼は敵だ。こちらが全てを知っているのだ、と気付く前に、私はあの男をこの世から抹殺するつもりでいる。そうすればランサーは現界していることができず、ギルガメシュも拠点を失うだろう。セイバーとアーチャーの二人掛りであるならば、いかに英雄王であろうとも簡単には勝てないはずだ。私は知っていた。セイバーは、単独でもギルガメシュを討てるのだ。だから、彼を言峰に会わせる気は無い。言峰が行った儀式は、私が行わなければならない。つまりは、衛宮士郎を戦いに駆り立てる。その理由を、作る。

私はおよそ遠坂凛には似つかわしくない、姑息で卑怯な人間だった。

「俺は・・・」

予想通り、衛宮くんは苦しげに顔を歪めた。またチクリ、と胸が痛んだ。胸の痛みは、凛では無く私が感じるべきものだ。この痛みは、捉えようによっては有り難い。私が私であることを意識し続けることができる、唯一のものだ。あるべき姿に戻る、その為に、必要な痛みだ。

「学校にサーヴァントが来てしまったら? きっと沢山巻き添えになってしまう。間桐さんや・・・藤村先生も。大量失神事件、あなたテレビで見たことあるでしょう? 今はあれで済んでる。でも、この先どうなるか、私にはわからない。でも、私も、そして衛宮くんもマスターなのよ。そいつらと同じだけの力を持ってる。私は、止めるは。この聖杯戦争。そして、衛宮くんにも手伝って欲しいと思ってる」

「とお・・・さか・・・」

気高く聞こえる私のセリフは、つまりは私の目的と都合の為に糊塗された嘘臭い言葉だ。でも、私のこの言葉を紡ぐのは、他ならぬ気高き魔術師、遠坂凛。セイバーが何かを言いかけ、そして迷うようにその口を閉ざす。彼女の直感が、私の言葉に嘘を感じたのかもしれない。でも、全てが嘘であるわけではない。あくまでついでだが、この世界で正義の味方として在るのも悪くは無いのだ。結果的に、そうなるだろう。私の望みは、悪だろうか。 違う。そう断言できる。ただ、自然に戻そうとしている。それが悪と規定できるはずがない。

この手を血に染めることになったとしても。ある意味で、私はアーチャーに共感する。多数を救う為に、少数を殺すのは善か? 否、善ではない。しかし、必要な局面も存在するのだ、と。

私は右手を、凛の右手を差し出した。

「協力しましょう、衛宮くん。みんなが幸福でいられるように」

その恐ろしい程偽善に満ちたセリフに、私は吐き気を感じていた。


続く

10: マグナム先生(出張) (2004/04/20 23:14:49)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/


「アーチャー、いるんでしょ?」

胃の内容物を全部便器にぶちまけて、私はトイレのドアに頭をつけた。激しかった動悸が、ようやく治まってくるのがわかる。嘔吐感も、三度も吐けばもう沸いてこない。胃液すらもう出そうに無い。ギシリ、とトイレの前の床がきしむ音がした。アーチャーが霊体から戻ったのか。私はくっくと笑った。

「あんたの気持ち、ちょっとわかった。衛宮士郎の思想って・・・腹立つわね。でも、尊いとも思ったわ。素であんなこといえる奴・・・いたら惚れてたかも」

衛宮士郎は、私の吐き気がするような提案に、少し迷った後、こう言ったのだ。「誰かを救うことができるなら、俺はもう迷わない」カッコいいセリフだ。高校生の若造が吐いたとは思えない。遠坂凛や、アーサー王アルトリアが惚れるのも已む無し、だろう。もう少し歳があれば、私も危なかった。決意に満ちたその真っ直ぐな目は、人の心を動かす。あんな奴いるんだな、と考えた所で、ここが私にとってゲームの世界であることを思い出してしまった。自らを鼻で笑う。でも、嘔吐する瞬間の苦しさは現実そのもので、私の心こそ磨耗してしまいそうだ。

「君はあまり趣味が良くないな」

アーチャーが呟くように言う。それが精一杯の皮肉のつもりか。それこそ鼻で笑っちゃう。私はくっくと笑いながら、後頭部でトイレのドアを内側からゴンと叩いた。

「それ、自分に跳ね返ってくるってわかってて言ってんの? こっちは全部お見通しなんだから」

「だからこそ、さ。あまり、無理をするな。見ていて痛々しい」

「そう? そっか、痛々しいと来ましたか・・・さすがに主のことはよく見てるわね? 残念、あんたの凛じゃないって認識だけ強くなっちゃったわね、それじゃ・・・でも、ホントの私はもうちょっと出るとこ出っ張ってるわよ」

「―――そのくらいにしておけ」

「騙しちゃった、衛宮士郎。バレたらセイバーに殺されるね。その時はあんた助けてくれる? あ、助けるに決まってるか、この体は凛なんだし」

「いい加減にしろ。君は俺に愚痴を言う為に呼んだのか?」

「・・・ごめん」

「わかれば、いい。君は・・・孤独だな。―――それは少し、わかる」

そうね、この世界で私は、例えようも無く、恐らく最も孤独な存在なのだ。私を知る者は誰一人として、存在しない。遠坂凛を知る者はいても、私を知る者は絶対に存在しないのだ。他者から見た時に、この私は遠坂凛以外にありえない。そこに”私”は居ないのだ。そして、そんな私が、遠坂凛と言う存在を食い散らかしている。吐き気がするほど醜悪な事態。きっとそれはサーヴァントが感じる孤独と似ているのだ。自分の居ない世界から、突然呼び出されて使役され、用が済めば混沌に戻る。その繰り返し。そこに、英霊エミヤという存在はあっても、彼と言う人格なんか意味を為さない。彼は、居ないのだ。

なーんだ。 私は溜息を吐いた。アーチャーに対して感じるこのシンパシー。考えてみれば当然だった。私達は、似ていた。ただ、ベクトルが違うだけ。その矢印の形状は、きっと似通っている。孤独。打ち捨てられる恐怖。行いに正義を信じることなんかできず、ただ、それは間違っていない、と言うだけで。私と言う存在は遠坂凛に塗りつぶされようとしており、そして遠坂凛は私によって内部から食いつかれている。このまま”私”と言う存在は、磨耗してゆくしかないのか。

「最初の二日はね、楽しかった。リアルなゲームみたいだった」

アーチャーは、黙って聞いた。

「でも、あんたの辛そうな顔見てさ、ここってゲームなんかじゃないんだって思い知っちゃって・・・凛に申し訳無くて。でも、今はちょっとだけ凛が憎いの。私は、ここには居ないから。何か複雑でしょ? 複雑で嫌になっちゃう。でも、やんなきゃ、だよね」

行わなければ。一歩でも進まなければ、先なんか無いから。それが私の結論であり、そして今こうして便器を抱いている理由だった。私は何だってやってやるのだ。凛に体を返したい。元の世界に戻りたい。それにも増して、卑怯卑劣を良しとするだけの、理由がこの身にはあった。

私は、私。 ここには私が、居ないから。

トイレのドアを開ける。アーチャーが立っていた。

「ごめんね、もう弱音吐かない」

「いや・・・いいんだ。マスターの愚痴を聞くのも、これサーヴァントの努め、だ」

「無理しないでいいのに。さて、吐くもの吐いたらスッキリしたわ。衛宮くんの家に、戻りましょ? 考えることは沢山ある」

ここには私は、居られないから。

私は私の居場所へ、帰りたい。



続く

11: マグナム先生(出張) (2004/04/21 00:00:02)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/

もう、外は明るい。明るいのに、どうしてこんなに暗いのか。
どんより湿っているのは、勿論、凛の妹である桜が恐ろしく凶悪な威圧感を放っているからだろう。私とは一切目を合わせないし、お茶だって入れてくれない。衛宮くんもさすがにちょっと引いてるようで、それをとがめようとしなかった。まぁ、事情が事情だ、桜の気持ちは痛いほどわかる。わかるけど・・・ちょっと酷くない? とは思うわけで。仕方なく自分でお茶を入れ、啜る。桜にしてみれば、愛する男性の元に上機嫌でやってきたら、この世で最もムカつく相手がその隣で談笑してたわけで・・・そりゃまぁ気分も悪かろうけど。 でも、私にそんな気は更々無いし、そんな資格だってない。一から全部説明してやりたい衝動をぐっと堪えて、私はこの居心地の悪い空間でじっと正座し続けた。

「で・・・」

桜が口を開くと、場が何らかの結界にでもとりこまれてしまったかのようにビシっと固まった。かなり嫌な感じだ。逃げ出したくなったが、ここで逃げても問題を先送りにするだけである。何せ桜もマスターだ、できれば彼女のサーヴァントも味方に取り込みたいところである。だからこそ、私は、酷く不躾でキツイ視線に晒されつつも、お茶を飲む手を止めないのだから。

「なんで、遠坂先輩がここにいるんですか?」

「何で・・・って・・・なぁ?」

あ、きったないっ! 衛宮くんはあっさりこっちに話を振って知らん顔を決め込んだ。まぁ、この家に泊まりこむと言い出したのは私だけど、少しはフォローとか何とかして欲しい。それだけでなく、ここにはセイバーまでいる。アーチャーは自分の服を着替えることを拒んだから、霊体になっておくよう命じた。ここにはいない。問題は、少女が二人、衛宮士郎の近くにいた、と言うその事実だけだ。これは桜にとって由々しき事態であることに間違いは無い。

「それだけじゃないです。その方はどちら様ですか?」

「私は・・・」

何か言いかけたセイバーの口を、衛宮くんが慌てて塞ぐ。

「あのさ、これはその、つまりは、親父の隠し子・・・って言うか」

焦った衛宮くんはとんでもないことを口走る。隠し子、ですか。余りにも嘘臭いその言葉を、桜が信じるはずも無く。でもまぁ、それは助け舟を出してやらねばならないだろう。微妙に筋を違えたこのセリフ、きっと私が現界したことによって生じた影響の一つだ。なら、私にもその愉快なセリフの責任の一端がある。それに、言い訳するのにも丁度良い。

「間桐さん、衛宮くんのお父さんはね、ちょっとその・・・盛んな人だったのよ。で、この子は旅先のワンナイトラブの結果と言うか。でも、それって衛宮くんには責任無いでしょう?」

「何で遠坂先輩がそんなこと知ってるんですか!」

「あら、遠坂と衛宮って実は遠縁の親戚なのよ? 知らなかった?」

「そ、そんな話初めて聞きました! そんなの嘘です!」

「本当よ。ねぇ、衛宮くん? 心配しなくても間桐さんと衛宮くんは三親等以上離れてるから色んな意味で問題無いわよ」

私の言葉に、桜が顔をボっと赤くして俯いた。衛宮くんの表情が、「遠坂スゲエ・・・」と如実に語っている。まぁ、こうなることはわかってた。だから私は桜を黙らせることができて言い訳となる会話のパターンを六種類ほど用意してきたのだ。これはその中のパターン2と4を組み合わせた、遠坂-衛宮血縁説。そして桜は、衛宮士郎と関係することを匂わせるだけでこうして黙るとわかっていた。そして、私と桜の関係も同時に匂わせれば完璧。桜は真実を衛宮くんに知られなく無いのだから。これ以上追求すれば、どうしたってそこに話が帰結する。・・・私は悪い奴だ。

「で、この子はセイバーっていうのよ。この間までうちで預かってたんだけど・・・実はうち、今リフォーム中でさ。誰かさんが天井に大穴あけてくれちゃったもんだから・・・で、私達は一番近所の親戚で、一番部屋が余ってそうなここに泊めてもらうことにしたわけ。ご理解できたかしら? 間桐さん」

衛宮くんがボソボソと、「オヤジ、すまない・・・」とか言うものだから危うく吹きだしかけてしまったが、私は平然とすべてのセリフを言いきった。厚顔無恥は承知の上だ、私自身が、もはやその程度の嘘なんか何とも感じなくなっている。桜は眉を寄せて、納得がいきません、と呟いた。

「何か筋通ってそうですけど・・・そんな話、私は一度も!」

「一度も聞かなかったんでしょ? そりゃ、聞かれなきゃ言わないわよ、身内の恥ずかしい話なんか」

「ぐっ・・・」

これ以上続けるなら、衛宮くんにバラす。虫のこととか。私は冷笑を浮かべてそう念じた。念は通じたのか、桜が悔しそうに引き下がる。悪いわね、桜。凛には悪いけど、私はあんたを応援してあげるから。だから勘弁しなさいよね。これは、必要なプロセスなんだから。

奇妙な沈黙の均衡は、あの人の登場によって破られた。

「しろーおっはよー! ご飯できてるー? ・・・て、何か沢山人がいるよ・・・」

「おはようございます、藤村先生」

「え、え、え? 何で遠坂さんがいるの!?」

「藤ねぇ・・・その、色々事情が複雑なんだけど・・・」

「何何何よ!? どういうこと!?」

本当に藤ねぇって言うんだ・・・ちょっと感動。でも、この後今度はこの人を黙らせなきゃいけないのか・・・と感じると、なかなか面倒臭くて、私は溜息を吐いた。


続く

12: マグナム先生(出張) (2004/04/23 00:03:59)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/

魔術とは・・・大気に溶けたマナ、そして内なるオドとの対話である。それらを均衡させ、ある一点における瞬間の因果へ干渉する。つまりは世界を改版する。ここに危険が存在する。精神と肉体とは紙片の裏表であり、そして世界の一部でもある。自らに対する行使の分類をもって”在るべき姿”を・・・私は辞書みたいなその教本を閉じて溜息を吐いた。ちんぷんかんぷんだ。

凛の注釈は実に小難しい。ドイツ語を解さない私としてはそれを追うしかないわけだが、それは単純な原文の解釈だけでなく、恐らくは凛独自の考えや思想も含まれている。この教本は三度読破したが、その内容の三分の一すら私の身になったわけではない。具体的な記述だけが、私の頼りだ。マナの操作法や、オドを回路に通すその手順。呪言に意味は必要では無く、それは音声と言う形を取ったスイッチである・・・と言う下りなど。凛のようなドイツ語でのその発音は私には難しすぎる。だから私は、衛宮士郎と同じような形で、もっと簡略したスイッチを作ることにした。凛の身に宿る大量の魔力をある程度扱うには、そうするしかない。初心者向けと思われるその教本すら、私には読み解くことができないのだ。

「インサート」

言葉に応じて、首筋から腕にかけて通った幾筋ものラインが熱気を放ち始める。ガンドを撃つならこれだけでも充分。回路化したその呪いの腕輪は、私の意志の篭った言葉一つで発動する。でも、それは凛が受け継いだ、凛のものだ。私が使うのは憚られた。私が扱うべきは、私の魔術。語学は苦手だ、単純にすべき。慌てないで済むように。

「イントゥ」

魔力とは無色の布のようなものだ。何色にも染まる。だから、一体それが何色なのかを先に決めておく必要がある。私はイメージし、そしてそのイメージを具現化すべく意識の固着を量る。ここが難しい。失敗する時はいつもここだ。集中し切れなければ、魔力は形を為すことができない。

「ヴァリュー」

そして、改変された未来に、何を私は推し量るのか。質的、量的な具体性を持った意思の具現を、ここで行う。工程を踏むことには慣れた。ここまで来れば、もう失敗することは無い。魔力は既に充分に通っている。内なるオドが、私の未来を具現する。私は差し込むのだ、本来起こり得ない事象を、世界に。

「―――コミット」

最後の呪文は、発動だ。私は世界に差し込んで、認証する。

ボっと掌から炎が上がる。三度行って三度とも同じ結果。今日は調子が良い・・・と言うよりも、恐らくは私はこの工程を踏むことに慣れつつあった。炎と言うイメージし易い具現を行っているせいもあるが、簡単な事象の復元や五大元素に関する魔術であるならば、おおよそ基礎くらいはこなせる自信が付いてきた。物理現象の再現は、それ程難しい類ではないようだ。

将来、就職する時にでも役に立つかもしれないと、気紛れに勉強したデータベース用語。それが私の呪文。私は世界をデータベースに見立てていた。情報を蓄積し続ける、スキーマの重なった平方の次元。そこに存在するデータの集合の中には、私が意図する何らかの事象が必ず含有されている。そこに新たなデータを差し込んで、関連付けることによって魔術は具現性を顕現させるのだ。恐らく、世界をどう解釈するか、が魔術の色を決めるのだろう。マナ、そしてオドは無色透明。私の解釈だけが、それを色づけする。新たなデータとして、解釈される。即物的な私は嫌に具体的な魔術以外、使えそうにないようだった。

パチパチと拍手の音が聞こえて、私は振り返った。なにやら目を丸くしている少年が、私の炎を上げた腕に注視しながら歩み寄ってくる。ああ、縁側で魔術の修行ってのはさすがに目立っちゃったか。でも、ここにいるのは衛宮士郎と私だけだ。厳密には霊体になったアーチャーが近くに居るのは確かなんだけど。

「凄いな、遠坂。やっぱり魔術師なんだな」

こんな基礎の基礎で驚かれても・・・ううん、でもまぁ、私も元の世界でやられたら目を丸くして驚いていただろう。知らなければそう言うものだ。この何ともいえない気分は、知っているからこそ。凛なら、もっともっとスマートにやってみせるに違いないし、そもそもこんな「分子を加速させ、酸素を急激に燃焼させて一瞬だけ炎を上げる」なんて児戯は鼻で笑うだろう。そんなものは見た目に派手な手品の類だって。だから私は自重気味に、首を傾げた。

「私は、ヘボだけどね」

「いや・・・凄いと思う。俺なんかつまらない強化しかできないから。しかも十回に一回くらいしか成功しない。一応、修行は欠かしたことないんだけどこれが才能が無いらしくてさ」

それは、嘘だ。いや、私は知っている。彼の魔術は強化なんかじゃない。魔術と言うものを知れば知るほど、その「投影」と言う奇跡の創造に恐れ入ってしまう。ある面に特化した魔術師程、結果的に強力な力を振るうのだ。私は広く浅いタイプなのだろう。事象を分析し、理解可能な事象の再現はある程度可能だ。けど、衛宮士郎の投影はそんな次元を超越している。彼の力は完全模倣。模倣とは、創造の始まりなのだから。私が解釈する世界で言う所の、クリエイトテーブル。新たな世界を作り出す―――。アルクェイド・ブリュンスタットの空想具現と同質の、恐ろしく突飛な魔術なのだ。

でも、それを知るのは私の口からでは駄目だ。一気にまくし立てたい気持ちをくっと堪えて、私は苦笑してみせた。

「似た者同士ってことね。聖杯戦争じゃ、役立たずもいいとこ」

「いいじゃないかよ。殺し合いの役になんかたたなくったって。その方が良い、絶対に」

「じゃ、セイバーにオンブ抱っこでいいってわけね?」

クスリと笑うと、衛宮くんは少し慌てたように首を振った。意地悪なことを言ってしまった。衛宮くんが悪いのよ、無邪気に私の無力を肯定したんだから。私は力が欲しくて仕方無いのに。私に力があったなら、聖杯を得てとっとと自分の家に帰れるのだ。存在の消失に怯えることなんて無く。この重さは、私みたいな一般人が背負うには重過ぎる。一瞬先に凛に塗り潰され、存在しなかったことになってしまう私を想像し、私は身震いした。そして、凛の体を占有している癖にそんなことを考えた自分自身の醜悪さに吐き気を感じる。最も嫌な瞬間だ。私が、私の暗部を自覚する。

でも、私は顔に出さずに微笑んでみせた。どうも、面の皮だけは厚くなったようだ。喜ぶべきかは、微妙だけど。

縁側は、少し寒い。ガラスの引き戸は締まっているが、その隙間から冬の風がすぅすぅと私の背中を冷やした。学校にも行かずにずっとここで魔術の教本を読み耽り、魔術の技を試す間に夜になり、そして衛宮くんが帰って来ている。辺りはもう薄暗い。藤ねぇこと藤村先生には、体調が良くないと言い訳してサボった。学校で暢気に授業を受けているより、やるべきことは沢山ある。

魔術の腕を少しでも上げようと四苦八苦しながらも、私は色々と考え続けていた。目の前の衛宮士郎が、唐突に黙った私に対して首を傾げる。少年、そんなにしげしげレディの顔を覗き見るのはマナー違反。私は衛宮くんの鼻先をぺしっと指で弾いた。衛宮くんが鼻を抑えて不満を訴える。そんなの聞こえない。君の暢気さは、私を少し苛立たせるのだ。そんなに真っ直ぐだと、眩しくて仕方無いわよ。

「衛宮くん。朝も言ったけど、学校へ行くのには反対。あそこには、マスターが居るもの。しかも君がよく知ってる人物よ。間桐さんも、ここで保護した方がいい。藤村先生も・・・誰も失いたく無いのなら」

唐突な私の言葉に、衛宮士郎は絶句した。


続く

13: マグナム先生(出張) (2004/04/23 01:49:14)[the_one_for_anyone at yahoo.co.jp]http://jbbs.shitaraba.com/movie/4172/


「学校に、マスターが居るだって?」

衛宮くんは今にも学校に向ってすっ飛んでいってしまいそうなくらいに強張った顔で、震えた。それは恐怖の戦慄ではなくて、憤りの震えなのだろう。彼は恐れない。自分の身は、度外視だから。くすりと笑みが零れてしまう。セイバーや桜も苦労するわね。見ていて不安感を煽られる程、それは顕著だ。私がすべてを知っているのだ、と言う面を除いたとしても、彼には一面の危うさがあった。

「遠坂――なら、尚更学校に行くべきだ。止めるって、言ったじゃないか」

「言ったわ。でも、衛宮くんは学校で戦う気? どれ程の被害が出ると思っているの? 血の雨が降るような真っ赤な結界で、肌を蕩かされるのは私達魔術師じゃない。学校の・・・何の関係も無い人達よ」

「・・・それ、どういうことだよ」

言うべきか、少し迷う。言えば、飛んでいきそうだから。危険なんて、衛宮士郎には関係無い。ただ、止めたいと言う一心以外、彼には何も無い。それが衛宮士郎という少年だから。私はそれを好ましく思うと同時に、腹立たしい程の苛立ちを感じる。冷静さが、足りない。最善の結果を求めるなら、少なくとも最善だと信じるに足る根拠を元に行動すべき。それは臆病や卑屈では無く、ただ冷静であるということだ。思慮薄弱、軽挙妄動は安んじて自らの足を掬う。ゲームを外から見ていた私にとって、彼の行為はそのほとんどが空回りである。ゲームは辻褄が合うようにできていた。でも、ここは現実。そして既に筋を違えている。

タイガー道場は、ここには無い。でも、話そうと私は思った。その上で、理を説こう。彼は馬鹿ではない。無謀でもない。やらなきゃならない場面で、出来得る、と言うだけだ。理は、通じる。

「学校にね、結界が張ってある。発動すれば、中の人間は無傷じゃ済まない。私も、君も、その学校のマスターに狙われてる。そこで出会えば、多分みんな巻き添えになるわね。死者は出ないかもしれない。でも、それは”かもしれない”でしかないわ。学校には足を踏み入れるべきじゃない。明日辺り、君はそいつに声を掛けられる。君はきっと拒む。そうしたら、猶予は無くなってしまうの。だから、そのマスターを殺すまで、君は学校へは行くべきじゃない」

「待てよ、遠坂。じゃあ、尚更学校には行くべきだ。だって、そのマスターを倒さない限りは学校は結界の中なんだろう? それに、そのマスターが結界を発動させない理由だってない」

「そうね。でも、私はこう考える。私は既にそのマスターが誰なのか、知ってる。だから、わざわざ不利な学校で戦おうとは思わない。出向けばいいのよ・・・そのマスターのお家までね」

「マスター・・・俺が知ってる奴なんだよな? 誰、だよ」

不安そうに、衛宮くんが呻く。私は、顔を顰めた。自分を彼の立場に置き換えて考えてみる。これほど、不安な話は無い。自分の学校に罠を仕掛け、そこに居る無関係な者達も含めて自分を殺そうとする誰か。そこまで恨まれる理由なんか思いつかず、そしてきっと様々な顔が彼の頭で交錯している。でも、恨みを買った覚えなんか無いのは当然だ。だって、その男は衛宮くんを逆恨みしているだけだから。自分の物だと思い込んでいた、血の繋がらない妹を奪われた。そう言う風に感じている・・・と私は解釈していた。当たらずとも遠からず、だろう。

「間桐慎二。君はよく知ってるはず」

「あいつが・・・ぷっ、遠坂ぁ、冗談が過ぎるぜ? からかうにしてももう少し相手を選べよな」

本当に冗談だと思ったのか、衛宮くんは吹き出して笑った。そして「アイツに何か恨みでもあるのか?」なんてからかいがちにのたまってくれる。このマジな顔に向って良い度胸。私はふんと鼻で笑って、わざと揶揄するような態度を取った。

「からかってるように見える? そう、残念。学校に血の雨が降るわね」

さすがの衛宮くんも、少し気分を害したのか眉を寄せて私に向って首を傾げてみせる。

「おい、遠坂・・・いい加減にしろよ。あいつがそんなわけないじゃないかよ。あいつ、魔術師なんかじゃ・・・」

まぁそれは正しい。魔術師ではない。本当は、桜がマスターなのだから。でも、間桐慎二は桜の令呪で作られた契約を元に、ライダーを使役している。それは性質の悪いマスターが居るのと同義なのだ。桜ルートは願望機としての聖杯を得る為にはなかなか良い筋だったが、既に筋を外れた今の私達が素直にそうなるとは思えない。だから、端的に無関係の人間に被害を拡大させる間桐慎二という人物はこの物語に必要無かった。精神衛生上、有害ですらある。彼の使役するサーヴァントは、多彩にして強力だ。桜の問題もある。早々にご退場願いたい、と言うのが私の考えだった。私が外の人間である、と言うアドバンテージはここで生かされる。つまり、ほとんど口も利いたことが無いような、でも悪評だけは知っている人間を殺すことに、さほどの罪悪感が無いと言う一点。私は誰にも彼にも優しくない。むしろ、自分と関係する以外の何らかにとって驚く程冷淡であり、自分の手で首を絞めるわけでも無いのだからその事象は私にとって記号染みていた。アーチャーに命じて、殺させる。殺す、と言う実感なんか沸こうはずが無い。そしてそれは敢えて意識しないよう、心するものである。これ以上の精神的な負担は、私を本当に磨耗させる。それでは目的は果たせない。

でも、間桐慎二がどのようにしてサーヴァントを得たのか・・・というくだりを説明するには、どうしたって桜の話になってしまう。桜ルート的な展開は、もはや予想不可能となった未来をある程度方向付ける意味で悪い選択肢ではないが、それはきっと桜が嫌がるだろう。不可抗力か、それとも彼女自身が語るのでなければならない。彼女の過去は、そして今も、私なんかが話して良いほど軽くない。さじ加減が難しい所だ。私は、原作の凛の言葉を借りて、こう説明することにした。

「何にも知らないのね。間桐家は遠坂と同じくこの地に根を張る魔術師の系譜。君が新参なのよ、ここでは」

「・・・桜も、そうなのか? 嘘だろ・・・信じられない」

「じゃ、信じなくていいわよ。どうせすぐ明らかになるんだから。」

桜の件はうやむやにして、私は首を振った。言質は与えられない。桜が、解決すべき問題だ。だから衛宮くんにヒントを与えることは望ましくなかった。私はそこにおいては公平であるべきだ。彼女と血の繋がった姉なのは、凛であって私ではないのだから。

「お前、慎二を殺す気なのか?」

厳しい顔で、衛宮くんが言う。私は、その視線を受けて、返す。衛宮士郎の甘さ、尊い思想は、今は邪魔だ。

「必要とあらば。私、聖杯戦争を止めるって言ったわ。その手段であるなら会った瞬間に有無を言わせず殺す。それが最も確実だから」

「でも、みんなが幸福でいられるように・・・とも言ったじゃないか。あれは嘘かよ、遠坂」

痛すぎる言葉。偽善に糊塗されたそれを素直に信じていたのか。それは彼の凛への好意の証だったのかもしれない。私の胸がチクリと痛む。また、私は凛を汚してしまった。だが、もはや譲れなかった。私にだって意地がある。この少年の恐ろしく尊いが、雲を掴むような有り得ない理想を、私は好ましいと感じる。しかし同時に、これ程私を阻害する何らかも、無い。衛宮士郎は敵にはまわせない。まわしたくは無い。でも、真剣に腹が立つ。考え付く最も最短距離での終局は、他ならぬ衛宮士郎こそがその最大の障害となる・・・と、私は既に気付きつつあった。彼の思想、正義を蔑ろにする形でしか、私は短縮方法を思いつかない。その束縛は、私の心を矛盾させる。彼は好ましい少年だ。だが、腹が立つ程、邪魔である。自分勝手は百も承知だが、でも、私にはこの時間が延びるのは辛すぎた。彼は、強い視線で私を射抜く。私は溜息を吐いて肩を竦めた。

「応えろよ、遠坂・・・」

「君のそう言うトコ、ちょっと好きだけどほんとムカつく。私を止めたければ、代案を出しなさいよ。生きてる限り諦めないわよ、彼。そして手段も選んでくれない。そう言う人だって、知ってるんじゃないの? 守りたいんじゃないの? 間桐さんや藤村先生が」

「・・・代案? 代案だって? ふざけんなよ、遠坂。例え慎二が本当に・・・そうだったとしても、だからって会った途端に殺すのが真っ当な案だって言うのか? あいつの家に乗り込んでいって、刃物で刺すってのか? 違う、それは違うと思う。そんなの、何の解決にもなってないし、止めたことにだってならない。そんなのは、聖杯戦争に乗ってる奴と同じだ」

言ってくれるっ・・・一瞬、真剣に殺意が沸くほど腹が立った。それはきっと図星だったからだろう。私は、私こそは、私以上にこの戦いで聖杯を求める者は居ない、と断じる。サーヴァントを得たことで有頂天の馬鹿よりも、誰もを救いたいと願う正義の味方よりも、何を考えているのかわからない堅物教師野郎よりも、聖杯の器である小娘よりも、ただ人の不幸を愉悦とするしかないゲームマスター気取りの不幸な男よりも、誰よりも、確固とした目的を持って聖杯を欲している。聖杯戦争に正に心底から乗っているのは、私だけなのだ。それを指摘された気になって、激昂しかけた。何て無様。私は深呼吸して、浮かんで来た呪いの言葉を呑み下す。年下の男の子に図星指されたからって怒ってるようじゃ、立派なレディとは居えない。

「それじゃ、間桐くんを説得でもする気? ライダーに襲われて死に掛けるのが関の山ね」

でも、わかってても、皮肉が口をつく。今度は衛宮くんがカチンと来たようで、口を尖らせて反論した。

「何でそんな何でもわかってるみたいな態度するんだ。やってみなきゃ、わかんないだろ!」

「いいえ、わかってる。私には、わかってるのよ! 君が選ぼうとしている選択肢の先には、数十行のバッドエンド以外に何も無いってね!」

「決め付けるなよ! 俺は・・・そんなの、認めない。認めないからな!」

「学校に血の雨が降ろうと、彼を守るって言うの? 馬鹿。信じられない程の馬鹿! 又は大馬鹿!」

「言ったな! それじゃ遠坂は分からず屋だ! ・・・正直な所、見損なった」

「ムカつく・・・喧嘩売ってんの!?」

「それは遠坂が悪いんだろう!?」

売り言葉に買い言葉で、しばらく私達は罵りあった。五分くらいその不毛な争いが続き、そして更に五分くらい睨みあいが続いた後で、私は馬鹿馬鹿しくなってきて、溜息を吐いた。気が合うことに衛宮くんも馬鹿馬鹿しいと思ったのか、頭を掻く。

「あぁ・・・悪い。言い過ぎた」

「こっちこそ、ごめん。そう言う奴だってわかってたのに、つい」

「でも、やっぱり殺すことは反対だよ、俺は」

「わかった。それでいい。衛宮くんに冷酷さを求めるのは、酷よね・・・それが衛宮くんの良いトコなんだしね。じゃぁ・・・何とかする方法、考えましょうか・・・」

「すまん、わかってくれて助かる。ありがとう、遠坂」

とりあえず、仲直りの握手。握った手は照れ臭かった。
さて・・・どうしましょうかね、間桐慎二対策。私は若干途方に暮れながら、溜息を吐いた。



続く


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