「ッ・・・」
脚が・・・重い。
体に力が入らない。一振りの剣を杖代わりにして鉛が入っているかのように言うことの聞かない脚で赤い丘をゆっくりと進む。
俺の体にあとどれだけの魔力が残っているのか、自分でも正直よく分からない。
それほどまでに俺は消耗していた。体中に魔術回路を走らせてもそもそもの認識能力が欠損している。ならばこの身がどうなっているのかを確認できないのも道理。
「ゴフッ」
思わず咳き込み、口元から鮮やかな花が咲いた。内臓をやられたのだろう、この激しい嘔吐感に伴う大量の鉄の味は恐らくは体内の崩壊を意味している。
それはそうだ。
”彼女”の剣を受けたのだ。尋常な被害ですまない事は戦う前から知っていた。
ふと気がつけば袈裟に斬られたこの体は半分になる寸前の体でかろうじてその原型を留めているに過ぎない状態にあった。およそ生き物が活動するのに必要な命の水が際限無く傷口から漏れ、驚異的な回復力を誇る俺の自然治癒をもってしても一向にその傷は修復する兆しを見せない。代わりに刃。
刃が生える
刃が生える
刃が生える
傷口から刃が生える。
何百何千という無数の刃が欠け落ちたこの体の必要要素を補っている。だがそれはまさしく諸刃の剣。
これ以上の負荷は肉体が耐えられない。耐えられなくなった体は有名無名問わず、俺の心を形作る刃によって串刺しにされる。
何故、どうしてこの傷を治癒できないのか。
「フッ・・・」
そこまで考えて思わず苦笑いが漏れた。
それも当然、この傷は”彼女”が付けた傷だから。
かつての”俺”を幾度と無く救った”奇跡”、不死性を思わせる自然治癒。それを支えていたのは彼女と彼女の宝具。恐らくは自己という物が無かった自分が唯一求めて、愛して、そして失った筈の絆。
それを今この瞬間に再び感じているとはなんて皮肉な話か。
これを皮肉と言わずになんと呼べようか。考えてみれば自分は、いや自分たちはいつも運命に翻弄されてきたような気がする。それは英霊の地位にまで上り詰めても変わらなかった。変えることができなかった。
なんて、惨め。
この上なく惨めだ。道化としか表現すべき言葉が見当たらないほどに滑稽な存在。
でも惨めで良かったとも思う。そうでなかったらきっと今の状況は無かったから。
ふと眼前の”彼女”に眼をやる。
俺の血に塗れた剣を携え丘の微かな高みから俺を見下ろす小さな騎士。
幼さの残る可憐な騎士に、俺はかつての”彼女”の面影を見出すことは出来なかった。
白と青。
血なまぐさい死地においてさえ満天の青空を思わせた彼女の甲冑は深淵を思わせる黒に彩られており、草原の風を思わせた涼しげな緑色の瞳は闇夜の狼を思わせる無機質な黄金色を携えている。唯一変わらぬ黄金色の髪のなんと不釣合いなことか。
・・・・俺の知る彼女を思い出す。
かつて、自分がエミヤシロウであった昔、彼女は聖杯の呪縛に囚われていた。だが、彼女はその呪縛から解放され、そして自分のあるべき世界へと還っていった。
その美しさを、誇りを、優しさを、弱さを、その全てを憶えている。
あの黄金色の中での別離を憶えている。
あの時の言葉を、微笑を憶えている。
きっと彼女は救われたのだと、そう思うことが出来た。それが生涯の誇りとなった。
だから胸を張って生きた。
”彼女”が胸を張って自分の時を終えたように、自分の今までとこれからを誇りに思えるように生きていこう、と。
なのに君はここにいた。
背も、髪の色も、肌の色も、エミヤシロウを形作っていたなにもかもが変わってしまっても忘れることの無い愛しい少女。
なのに君はあの気高き美しさをおぞましい影に侵食されながら、文字通り身も心も聖杯に縛られていた。
それが許せなかった。
君があの”彼女”なのか別の”彼女”なのかは分からない。
それは問題ではない。
”衛宮士郎”と”セイバー”。”鞘”と”剣”。それが二人の関係。
そしてこの世界で二人は出会ってしまったのだ。ならば二人をつなげる物はそれで十分。
だから今は”彼女”のために戦う。
それだけでこの身は彼女のために全てを懸けることが出来るのだから。
アナザー スパークス ライナー ハイ
〜剣と鞘、鞘と剣〜 前編
柳洞寺地下大空洞。大聖杯本体があるであろうその奥へと遠ざかっていく凛の背中を私達はずっと見ていた。
「・・・凛は行ったようですね。しかしながらあなた方を通すわけには行きません」
漆黒の騎士の冷たい声音でふとこちらに意識を戻す。
私にとってこの展開は予想はついていたことだ。
今の間桐桜にとって都合の良い事悪い事、都合の良い立場の人間都合の悪い立場の人間。
それらを考えるに衛宮士郎をここに足止めするのは当然と言えた。
分身と半身。遠坂凛と衛宮士郎はこの関係にあたる。
勿論、そんな分類は脆弱な人間の認識上の絵空事、情念とも言える独り善がりな概念だがなかなかどうして、それを真実そうであるように振舞うことが出来るのが人間なのだ。
だから例え何があろうとも――もちろん例外はあるが――自身の半身、自分の一部とみなした者をむやみやたらと殺す者はいまい。
それは自身の崩壊にも繋がるのだ。だから間桐桜は彼女が彼女である限りは衛宮士郎を殺さないだろう。
が、分身は別だ。もうそれは分かたれたもの、つまり自分とは別物だ。
ならば殺せる。
間桐桜の凛への愛憎入り混じる偏執的な感情と衛宮士郎への独占欲から転じた嫉妬。彼女を殺しにくるであろう実の姉。
動機、状況まで揃えば確実だ。
成るほど、例え血を分けた兄弟であってもにこやかな表情で手を下せるに違いない。
今の間等桜はその状態だ。衛宮邸での様子を見る限り、彼女はかなり危険な状態まで来ていた。アンリマユによる意識汚染と自身の葛藤に耐えられなくなってきている今ならそれは実際問題として彼女の望みとなるだろう。
「・・・セイバー」
衛宮士郎はかつて自分にサーヴァントとして誓いの剣を捧げてくれた少女を見つめる。その目には悲壮ともいえる覚悟が込められていた。
今まで幾度となく手合わせを繰り返しただの一度も届かなかった騎士王。家族と認め共に手を取り合って戦い、そして自分の手の中をすり抜けていってしまった少女。命を救われた事もあった恩人とも言うべき存在。
愛する者を救うためとはいえその彼女を相手にしなければならないのだから当然と言えば当然か。
「・・・・・・・」
傍らのライダーは動かない。全身から張り詰めた空気を漂わせ咄嗟の出来事に対応できる様にしているようだった。
まずいな、と思う。こんな所で時間を食って自分のマスターである凛を放っておく訳には行かない。
アレは、遠坂凛という少女は危うい。
私から言わせてもらえばいつも危うい衛宮士郎よりもここぞと言うときにツメも相手にも甘いあのジャジャ馬な少女の方が100倍は危うい。
間桐桜を殺すと、それが冬木を管理する者の勤めだと。最初はそう言っていた。
当然だった。
彼女はこの10年を魔術師として生きてきた。魔術師たらんとするのであれば一人を犠牲にその他大勢を救う選択肢を迷わず選ぶだろう。事実、数日前までは彼女もそのつもりだったのだから。
しかし今は違う。可能であるならば間桐桜の命を優先するだろう。
それが彼女だ。誇り高く、面倒見が良く、魔術師でありながら最後には自分に重きを置くおよそ魔術師とは言えない健全な魂を持った少女。かつての自分が焦がれた、今は仕えるべき、守るべき少女。
「・・・・・」
・・・・・彼女には数え切れない借りがあった。数え切れないものを貰った。数え切れない謝罪が残っていた。故に私はこの身が続く限り彼女の守護者としてその誓いを捧げる義務がある。
だが、それでも私はこう言わねばならない。
「先に行け、衛宮士郎。お前が戦うべきはセイバーではない」
私は一歩自分よりも前にいる背中にそう言葉をかけた。
「アーチャー・・・?おまえどういう・・・」
ゆっくりと振り返る赤毛の少年。とまどったようなその眼を真正面から見据える。
「セイバーとは私が戦ってやるからライダーと先を急げ、と言ったのだが?理解できなかったか?」
馬鹿か?貴様は、というニュアンスを含めたイントネーションで紡いだ言葉はしかし、衛宮士郎には上手く作用してくれなかったらしい。
「ば、そんなこと出来るわけないだろうが!?お前一人でセイバーに勝てると思ってんのか!?」
「さてな。やってみなければわからん」
全く、これも予想に入っていた事だがやはりコイツは私の提案に異議を唱えてきた。
かつての自分だから次の行動、言動は突発的な物まで含めてある程度予想しうるのだが、それゆえに酷く煩わしい。もう少し物分りが良くても良さそうなものだが。いや、これは遠回しに自己批判に繋がるのでこの辺で止めておこう。
「やってみなければわからん、じゃないだろう!お前一人を置いて行くなんてそんなことできるか!」
「愚か者が。冷静に我々の利害を考えてみろ。ナイトを相手にここで三人足止めを食うよりも持ちうる手駒でキングを獲った方が手早く、確実だ。お前が間桐桜を救いたいというのならばそれが最善の策だと思うが。間桐桜を救うためには時間が無いのだろう?」
「ぐ・・・ぬ・・・」
「・・・・・・」
反論したくても反論できないのか衛宮士郎はこちらをにらめ付けながら押し黙った。
ライダーは押し黙ったまま私たちの様子を見守っている。なにか言いたげなその顔にはどこか納得できないかのような色が浮かんでいた。
「だいいちキングのすぐ傍にはアンリマユという最悪のクイーンが控えている。第二魔法の加護があるとはいえそんな処に凛が一人で乗り込んでいったところでどうなるというのか。」
「だけどそれじゃお前が・・・」
「心配無用だ。もとよりこの身はサーヴァント。どのみち朽ち果てるのならば主のためにその命を捧げようというものだ。」
・・・・嘘だ。凛は守る。それは絶対だ。彼女を見捨てるなどエミヤには決して出来ない。
だが、今この瞬間に俺が命を捧げるのは、捧げたい相手は、違う。主に忠誠を誓いながら胸に抱く想いは愚かな一人の男としての想い。求める物は遠い昔から抱き続けるたった一つの温もり。
だからこれは主への裏切り行為だ。
せめて、せめて凛の命だけは衛宮士郎とライダーに守ってほしかった。守る、とそう誓った誓いだけは守りたい。例えそれが他者に依るものだとしても、逆臣たる道を選んだ私にはもうその資格すら無いのだから。
「お前が死んだら・・・・遠坂が悲しむ」
「・・・・・・」
知っている。カンの良い彼女の事だ。きっと凛は衛宮士郎と私の関係に気づいている。それに気づいていてなお彼女は私の存在を・・・私が私である事を認めてくれた。もし私が消えれば彼女はきっと悲しむだろう。
いや、悲しんでくれる。裏切りと言う不貞を働くこの私でさえも、彼女は大切にしてくれていたから。
でも、ゴメン。
俺は衛宮士郎だから・・・・。彼女を救えずにいることだけは我慢出来ない。幾星霜の時を超えて歩み続けて来たこの魂は、きっとあの月の輝く夜から彼女と共にあるのだから。
・・・・・だからゴメン。君を裏切ることになろうとも今ここで”彼女の味方”を止める事はできない。
湧き上がる謝罪を胸に押し込め、俺は出来る限りの意思を込めて衛宮士郎を見つめた。
「いいか、衛宮士郎、お前がやっている事は間違っている。いや、正確にいうならばこの場に残っていること自体が間違いなのだ」
「なっ!?」
何を突然、といった表情の衛宮士郎。
「自覚しているのだろう?お前は悪だ。なら今更中途半端な正義も哀れみも振りかざすな」
そう、悪を選んだのなら一つの道を進むしかない。
「・・・桜を救うために世界を敵に選んだのだろう?ならば間桐桜を救う事はあっても他を救うことなど出来はしない。第一お前がここで残って誰を救う?俺か?セイバーか?ライダーか?」
「・・・・・・」
衛宮士郎は押し黙ったままだ。俯き、俺の罵倒とも言える言葉にじっと耳を傾けている。
「お前に救うことが出来る者は誰一人としてここにはいない。・・・だがそれでも。誰かを救いたいと思うのなら行け、といっているのだ。正義の味方を放棄した貴様でも間桐桜の他に凛を救うことくらいは出来るかもしれん。それだけでも悪者のお前にとっては十分すぎる役得だと思うが?」
「・・・・・」
そう、悪か正義か。それらは否なるものであってその実とてもよく似ているもの。ならば我等の選んだ道が違えども、その生き方はきっと同じ。
傷つき、大事な物を何もかも零していって・・・・・それでも最後に残された夢を追い続ける。そしてその道に救えるものがあるのなら救ってみせる。
それがエミヤシロウの生き方、魂のあり方だ。だからこの少年がきっと頷いてくれると信じていた。
「・・・任せていいんだな?」
「ああ」
ハッキリとした口調で返事をする。・・・衛宮士郎の返答に自分でも驚くほど心が充実している。むずがゆい喜びに近い気持ち。
フッ・・・やはりエミヤシロウはこうでなければならない。
ついつい浮かんでしまう微笑を堪えながら数歩歩みだし背中越しに決意を伝える。
「・・・任せろ。セイバーは、私が救う」
そう、我々の進む道が同じなのだから私がここで”俺”に戻っても・・・・・”セイバーの味方”として残っても、それはきっと悪い事じゃないよな?士郎。
インタールード RIDER
「柳洞寺での戦い、おそらく間桐桜はセイバーを足止めとして繰り出してくるだろう。もしそうなった時にはセイバーとは私に一対一で戦わせてほしい。」
敵の本拠地である柳洞寺に乗り込む直前、私を人目のつかない衛宮邸の土蔵に呼び出したアーチャーは開口一番にそんなことを言った。
意外と言えば意外だった。合理の塊といったこのサーヴァントからそんな提案、いや頼みが出るとは。
「・・・・・」
「ム・・・駄目か?」
目の前で眉に皺を寄せているこの男の心理が読めない。
セイバーは現時点で満場一致で最強のサーヴァントに挙げられる英霊と言える。
無尽蔵とも言える魔力を秘めたアンリマユの庇護の下に在る以上は恐らくは同じ英霊である私たちであっても大きな隔たりを持つ次元に属するだろう力を持つ。
セイバーは今や一騎当千どころか一騎で戦局を決する、まさに鎧袖一触の王者.
感情よりも論を駆使する性格のこの赤い騎士がよもやその現実に気が付いていないはずが無いのだが。
第一、そんな事をして彼と彼のマスターにどれだけのメリットがあるというのか。
「・・・約束はできません。貴方が何を考えているかは私には分からない。ただそれが桜に害をなすものではないと断言できない以上はその頼みを聞くことはできない」
「成る程、ならば害をなすつもりなど無い、と証明できればいいわけか・・・・」
・・・・そういう問題ではないと思うのだが。
私のそんな気持ちなどお構いなしに腕を組みますます眉根を寄せるアーチャー。
彼の癖とも言えるこの仕草に違和感を感じるのは気のせいだろうか・・・?
皮肉ともっともらしい事ばかりを言う嫌味な性格の持ち主のように感じていたのに今の彼は違う気がする。
憑き物が落ちた、とでも言えばいいのか。その表情には今までにはあまり感じられなかったような穏やかさが浮かんでいた。
このアーチャーは今までの彼ではない、と不思議なことにそのように思ってしまう自分が居る。
いや、それは彼がこの土蔵にやってきた時から感じていたことだ。
この弓兵とはほんの数日しか行動を共にしなかったが気配に敏感なサーヴァントである私にはむしろ今の彼が本当の彼だと、いままでの姿は偽りのモノだと、そのように思えてならなかった。
「ふむ、証明か・・・」
そんな私の内面に気が付くことも無くこの赤い騎士は頭をひねり続ける。
思考に熱中しているのか、鈍感なのか、はたまた私が顔に出さない性質なのか。
何にせよアーチャーは悩み続ける。
ああ、そういえばこんなアーチャーの姿も見たことがないな・・・などと私が思っていると
「私にはセイバーを救う義務がある、というのはどうだ?」
「・・・・それはどういう意味です?アーチャー」
目の前の男は全く予想だにしない言葉を口にした。
「言葉どおりの意味だ」
飄々とそんな事を口にしながら赤い騎士は言葉を続ける。
「・・・私は生前セイバーに縁のあった者だ。だから聖杯に取り込まれたままの彼女を見るに耐えん、とまあこういうわけだ。本来なら他人に言うつもりも言うべきでも無い事だったのだが・・・まぁ仕方あるまい。」
私から視線を逸らし苦々しく言うアーチャーの顔は苦渋に満ちている。握り締めた拳を微かに震わせながら深くため息をつく。
・・・どう判断したものか。
今になって気が付いたことだが私はセイバーに縁があるというこの騎士の素性を知らない。だから今の話をそのまま鵜呑みにしてもいいものか。
「貴方はそれを証明できますか?」
私は同じ問いを再度投げかける。
「これさえも証明が必要か。まったく君は用心深い」
「ええ、一部の不安の芽さえも残したくは無いので」
「そうか」
では、と言ってアーチャーは自身の右手の掌を私にかざして見せた。
「投影、開始」
「!!」
かの騎士の口をつくのは聞き間違えようの無い呪文だった。
我が主の想い人の独自の呪文であり、この戦争において彼がすがる唯一の希望。
人の手に余る事象を奇跡と呼ぶが、まさしくその奇跡の数々を具現化させてきた言霊。
まさかそれがこの赤い騎士の口から発せられるとは―――!
「・・・っ・・・ハァ」
額に汗を浮かべながら深く溜息をついた彼の右手には黄金の鞘に納まった光り輝く剣があった。
飾り気には乏しいがその剣が放つ魔力、鞘に収められ、あまつさえ満足に魔力を注入されていない状態でこれだけの存在感を持った剣は私が知りうる限り一振りだけ。
かの騎士王の代名詞とも言える勝利を約束する聖剣。
いや、問題なのはそこではない。問題は・・・・
「アーチャー、貴方、は」
喉から搾り出した呼気は掠れて上手く言葉にならなかった。
「フッ、私の正体が分かったらしいな。なら少しは信用を得られるかも知れん。・・・いいか、もう一度だけ言うぞ」
言葉を失った私の瞳を炎を思わせる決意を込めた視線が射抜く。その瞳の輝きは姿形こそ違えど私の、いや、私たちのよく知る彼と同じ。
「私は生前にセイバーと縁のあった者だ。ゆえに私には彼女を救う義務がある。・・・いや、自惚れを覚悟で言わせてもらうならば私以外に彼女を救えないし救わせる気も無い。」
「・・・・・」
「君の主を危険にさらしたりはしない。私と彼女の絆に賭けて、誓う。だから邪魔は・・・しないで欲しい」
「・・・・・・それは衛宮士郎としての言葉ですか?」
私の問いに一瞬呆けた様な表情になるがすぐさま元の毅然とした表情に戻る。
「・・・・フン、さてな。今の私は、英霊エミヤは一人の女に縋ってここまで生きてきた一人の男に過ぎん」
エミヤは握った拳を胸に当てる。双眸を閉じ何かに祈るような様は懺悔のようにも見える。
「ただ・・・理想に敗れ心は磨耗し信じる者に裏切られ、自分の全てを失った愚か者を彼女は支え続けてくれた。だから、今度は私が彼女を救いたいのだ。・・・例え彼女を救う為だけの悪になったとしても彼女をほうっておく事など私にはできん」
・・・それは士郎と同じ選択をしたという事。
たった一人の味方をするために他を敵に回すということ。
正義の味方の放棄。
なるほど、この告白は確かに懺悔と呼ぶにふさわしい。
でも違う。彼は正義の味方だ。私には詳しくは分からないがそれだけは分かる。
彼にとって、正義の味方を続けるために悪を演じる必要があるだけの話なのだ。
一人では抱えきれないものを自ら背負ってしまったから、相手が背負っていると知っているから、だからこそ共に在りたいのだと。
つまりはそういうことだ。
「・・・・・・」
それきりアーチャは押し黙る。消え入りそうだった最後の言葉にはどれだけの想いが込められていたのか。
他人には言えない事だったのだろう。
言いたくない言葉だったのだろう。
でも彼は言った。言ってくれた。ならばそれに応えるのが私の務めではないか。
桜を守るため、一時的にとはいえ衛宮士郎は私のマスターになっている。
かりそめの契約とはいえその誓いは遵守すると心に決めた。
ならばその”彼”の願いを、想いをどうして踏みにじる事ができよう。
「いいでしょう、貴方を信じます」
「・・・本当か?」
彼に似つかわしくない心からの安堵の笑み。
見た目も、中身もきっと随分と変わってしまったけれど、それは紛れも無い彼の物で、私としても安心した。
彼の人の心が変わらずまっすぐである事が我が事のように嬉しく感じる。
「ええ、私は桜のマスターとして誓いましょう。ただし、必ず生きて戻ってください。貴方のマスターが悲しむ事になれば桜も悲しみますので」
「なるほど・・・・いや、ありがとう。君の厚意に、・・・感謝する」
凛の事が堪えたのか苦笑いを残しながら深々とアーチャーは私に頭を下げた。
その仕草がいかにも彼らしくて私は微かに笑った。
ああ、きっとこの戦いは上手くいく。
だってシロウが二人もいる。
それならどんなに絶望が私たちを襲ってもきっと奇跡が起きてくれる。
・・・待っていてください、桜。私たちはもうすぐ、貴女の元にたどり着きますよ・・・?
インタールード FIN
「・・・・!」
誰かが息を飲むのが聞こえた。
おそらくは衛宮士郎の物か。
「行くのですね?アーチャー」
今まで沈黙を守っていたライダーが口を開く。
「ああ」」
俺は首だけを回してライダーに向き直る。
「予想通りの展開で助かった・・・時にライダー、例の件について君に提案、というか頼みがあるのだが」
「なんでしょう?」
「騎士の手綱を使って衛宮士郎と奥に進んでくれ。ある程度の魔力は消費するだろうが君の宝具を使えばセイバーの追撃を確実に、効率良く振り切れる。・・・桜が健在である以上魔力の貯蔵は充分だろう?」
例の件について目配せしながらこちらも確認の問いを。勿論セイバーには聞こえないように。
・・・生前戦った事のあるライダーの宝具は知識としてだけだが存在していた。
”騎士の手綱”。幻想種ペガサスを使役するあの宝具なら、例えエクスカリバーをもってしても捉えるのは至難の業だろう。
最速で強力な機動系の宝具であるそれは離脱を目的とするこの状況に最もふさわしい宝具と言えた。
「え、ええ。恐らくは。士郎とともに空洞の奥に至るだけならば魔力もそれなりに残ってくれるでしょう」
明かしてはいない筈の宝具の名前を言い当てた俺にライダーは狼狽していた。
「そうか、なら頼む。我が主と妹君と・・・そうそう、ついでにこの馬鹿者もな」
ニヤリと笑みを浮かべて二人を見比べ、俺は視線をセイバーに戻す。
「士郎、私から離れないように」
「分かった・・・アーチャー、死ぬなよ」
「ああ」
それが、俺達の、最後の会話となった。
微かに、だが徐々に背後のライダーの魔力が高まっていく。
宝具を使用するのに必要な魔力を集中させているのだろう。
濃密さを増していく魔力の渦。
背を向けていたとしてもその魔力が生み出す力が人の理を超えた神秘である事を実感させられる。
嵐の前の静けさ、とでもいうのか、声を発するモノの無い大空洞の中にあってはライダーの魔力が生み出す風の音だけが耳朶を打つ。
・・・それをセイバーが感づかない筈が無い。
それを承知でライダーに宝具を使うよう頼んだ。
”まったく、俺というヤツは”
我ながら無茶な要求をしたものだと呆れてしまう。思えば彼女には無理ばかり言っている。
実際問題として、セイバーと一騎打ちをした所で無限に等しい魔力の後ろ盾があるセイバーにはさほど痛手にはならない。
傷を追わせたとしても供給された膨大な魔力でたちまちの内に自己修復してしまうだろう。彼女と戦う場合、勝ち以外はこちらに有利な結末は存在しない。どんなに善戦しようと勝たなければ犬死になる。
加えて俺が奮戦しない限りはライダー達を先に行かてもすぐにセイバーが桜の護衛に戻ってしまう。宝具を使い魔力を消費したライダーではなすすべも無くやられるに違いない。
・・・我ながら本当に無茶な要求をした物だ。
俺のミスは即座にこちらの全滅に繋がる。
それを承知していただろうにライダーはこの要求を飲んでくれた。ならばその彼女の信頼に応える為にもこの戦いは絶対に負けられない。
「・・・どうやら私を一人で相手にしたいようですね?アーチャー。ですが言った筈です。貴方達はここから先には行けない、と。何かよからぬ考えがあるようですがそれは無駄だと言っておきます。貴方が私をいかに引きつけようと他の二人がここを通り過ぎる前に我が聖剣の錆となるのがオチでしょうから」
フン、と鼻を鳴らしながらセイバーは剣をやや下げ気味に構える。
彼女の構える不可視の剣から風とともに漏れる魔力の奔流。
いや、それは風なんて生易しいものではない。もはや暴風の域だ。
宝具”風王結界”。
彼女の本当の宝具のかりそめの鞘。だが今の彼女が使えば鞘でさえ途方も無い脅威となる。
「・・・・・・」
読まれていたか。
カンの良い彼女の事だから気づかれるのは時間の問題とは思っていたがここまであっさり見破られるとは思わなかった。
味方に居ると心強いことこの上ないが敵に回せば一騎当千の難敵と化す。
分かっていたことだが改めて自分が成し得ようとする事いかに困難な事なのかを改めて思い知らされた。
「・・・やってみなければ分かるまい?」
だが困難は百も承知。ならば今はこの戦いにのみ心血を注ぐのみ。
「I am the bone of my sword・・・・」
俺の心象風景、心にあの丘を思い浮かべる。
数多の剣のそびえる夕暮れの丘。挫けそうになる心にただ一つだけ残った誇り。
「・・・・・」
俺は投影した弓と魔剣を構え、無言でセイバーに向けて弓を引く。
ギチギチと張力の負荷によって鳴る弦の音が酷く物悲しく感じるのはきっと彼女に剣を向ける俺の感傷にすぎない。
そう、これは感傷だ。
彼女の金色の瞳に思わず飲み込まれてしまうかのように感じるこの心も感傷。
心、静かに。弓を取った以上は他に敵は存在せず。敵は己自身なり。
静まれよ。静まれよ。
我は射る者。
魔天より来る真紅の闘士也。
撃て、穿て、貫け、祈れ、愛せ、さらば見出さん。
喉の奥で言霊を紡ぐ。
精神安定と集中力維持の自己暗示を自らに施す。
これより始まる血で血を洗う死闘。
魂と魂のせめぎ合い。
それらに比べれば俺を苛む物など存在しない。
一瞬の静寂が帳を落とす・・・・。
「偽・螺旋剣!」
「騎士の手綱・・・・・!」
「風王結界・・・!」
各々の真名の開放による均衡を破る三者三様の宝具の同時発動!
俺の背後から恐ろしいほどの魔力に包まれた閃光が飛び出していく。
ライダーの宝具によって呼び出されたペガサスだ。余りの速さに目が追いつかない。
対して繰り出されたセイバーの風王結界はペガサスの速度には劣るもののまるで未来を見てきたかのように正確にライダー達の軌跡を追跡して向かってきていた。
が、しかし俺の偽螺旋剣もまた正確に風王結界の軌跡を追跡する。
弓を構えたときに狙った標的はセイバーではなく風王結界。
例え相手が高速で動いていようと関係ない。俺がそこに当たる、というイメージを得たからには偽螺旋剣は必ず風王結界を射抜く・・・!
爆音が大空洞の中に響き渡る。
風王結界がペガサスに襲い掛かる寸前、俺の矢が風王結界とぶつかり、爆発を起こした。爆発の影響で空洞内が煙幕で包まれる中、白い光が遠ざかり消えていくのがかろうじて見て取れた。
「上手くいった、か・・・」
自分でも驚く程安堵して消えた光を追い続けた。これなら大丈夫。きっとライダーも衛宮士郎も凛を、桜を守ってくれるに違いない。
ふと、白い残光の余韻の中に一人の少女の面影を見出す。
・・・・凛、済まない。俺が君のためにやれる事はここまでだ。その手にきっと勝利を。そして願わくば君の進む道に神光の加護を。・・・・ありがとう、君という人に、随分と救われた。
恭しく、出来る限りの想いを込めて光の消えた方角に一礼する。
それが彼女をないがしろにした最後の罪滅ぼしであり懺悔だった。
視線をずらす。そこには黒を纏いし金色の獅子。闇に囚われし我が想い人の姿。
さあ、行こう。ここからはサーヴァントでもなく英霊エミヤでもない、衛宮士郎として彼女と・・・・!
「I am the bone of my sword・・・・」
呪文の詠唱を始める。やっと、ここまで来た。
彼女を救う。
救ってみせる。
そのために俺は今一度己の全てをぶつけよう、とそう思うのだ。
インタールード・・・・・SABER
風王結界がアーチャーの矢に打ち落とされる様を人事のように見つめる。
それは私には分かりきった結末だった。
桜から聞かされていたライダーの正体。
宝具。
アーチャーが私と一騎打ちを望むようなそぶりを見せていた以上きっとシロウとライダーは宝具を使ってこの場を離脱するだろうという事は想像に難しく無かった。
想像というよりは直感といった方が正しいか。とにかく予想は出来ていた。
相手の行動を読む力は戦において戦略を立てる際に必要な能力で、ここにおいて私に絶対の有利が転がり込んでくるはずだった。
が、問題が一つあった。
いかに私の宝具が優れているとは言っても幻想種であるペガサスを打倒するのは容易ではない事だった。
出力を高めればかわされ、出力が低ければ一撃で仕留める事は困難。
ライダーの宝具を使われた場合、あの二人には逃げきられてしまうのは明白だった。
約束された勝利の剣を使えれば話は簡単だったかもしれない。
が、下手に使えば大空洞そのものに大打撃を与えてしまう。
大聖杯の儀式が完了していない以上それだけは避けなければならなかった。
ならば先手を打ってライダーを倒してしまえば事は簡単だった。だがそこで桜の命令が私の行動を抑制する。
”大空洞の奥に進もうとする者を足止めする”
その命令は一方で条件を満たさない限りは相手に仕掛ける事が出来ない、という事を表す命令でもある。
つまり、主である桜自らの意思によって相手に有利な状況を与えてしまわざるをえなかったのだ。
「風王結界・・・!」
だからあえてこの場は出力を抑えた風王結界でその場を演出した。
アーチャーの気を引き付ける事が出来ればアンリマユの影を介して桜の護衛に行くことは簡単だからだ。
騎士として一騎打ちを望む者を置き去りにすることに抵抗がない訳ではなかったが、自分は桜のサーヴァント。
彼女を守ることが最優先でありそこに私情を挟むことは許されない。
ただ、と思う。
そこにシロウが関係すれば別の問題だ。
衛宮士郎。
かつて私が守ると剣に誓った前のマスター。前回の聖杯戦争で私のであった衛宮切嗣の息子。
私が柳洞寺でアサシンに不覚を取ったあの日まで一緒にこの聖杯戦争を駆け抜けた。
私には彼に負い目がある。
守ると誓った、その誓いを守れなかった。いや、あまつさえ彼の敵として今ここに立っている。
私とて英雄と呼ばれた者。
この身を縛り侵しているこの世全ての悪が、大聖杯としてアンリマユに侵食されている桜が、どれほど危険な存在なのかは想像するに及ばない。
・・・・しかしサーヴァントはマスターにとって都合の良い奴隷でしか無い。
いかに抗おうともこの身にそんな自由は許されない。いや、そもそもあの黒い影にこの身を取り込まれた時からすでにそんな資格は無かった。
・・・主を裏切った。騎士としての誓いを違えたのだ。かつて自分が王であった頃、騎士として王として、数多の戦場を駆け抜けた。その先に無残な裏切りに会ってしまったけれど、騎士として、王として生きたことに後悔は無い。
だがその想いはもはや汚されてしまった。忠義と礼節を重んじた騎士は過去の遺物となり、その姿、その振る舞いに縋る事で変わり果てた自分を取り繕っているに過ぎない。
桜のサーヴァントとして桜を守る。
新たな契約を結んでしまった以上それは絶対だ。だが、そこには衛宮士郎が立ちはだかる。
桜は言う、”士郎を止めろ。止むを得なければ殺せと”、と。
士郎は言う”邪魔をするな。止むを得なければお前と戦う”と。
そんなこと、どちらも私に出来る訳が無い、のに。
にも関わらず私は剣を取った。
桜との契約に縛られ士郎との誓約に縛られ私は己の立場を確固たる物とすることさえままならない。
今の私は契約に突き動かさるままに、この身をはかつての主を執拗に付け狙う。剣を突きつけ絶望を与え心を砕き、そして・・・・?
・・・そういえば彼を追い詰めた果てに私は、”私は”どうしたかったのだろう?
ふと、そんな事を思う。
士郎を殺す。
それは大前提だ。
騎士、を建前に恥知らずにも現界している私だ。桜の命令を隠れ蓑にしてその命令を実に忠実に遂行するだろう。実際に今までの私はそのように行動している。
でも、それは私が本当にしたい事ではない。
この身が自由ならあるいは・・・・そこまで考えて気づいた。
いや、それは違う。
私は自由だった。最初から自由だったのだ。
桜と契約をしてからも隙を見つけて桜を殺すことは出来た。なにかと令呪を使わせるように仕向けることもあのアインツベルンの森で桜を裏切りバーサーカーを倒すことだって出来た。間桐臓賢を滅ぼす事だって出来たではないか・・・!
桜を悪と。
聖杯を悪と。
すでに気づいていた筈なのに!
・・・そう、私は恐れていた。
士郎に糾弾される事を、この裏切りを許してもらえないかもしれないことを。
だから私は桜のサーヴァントとして居続けた。
敵として、聖杯の影に取り込まれた哀れな英霊としていることで許してもらおうとしていた。
本当に士郎への忠誠心があるのなら自由になれるチャンスはいくらでもあったのに、私は逃げ道を選んだだけだったのだ。
”召喚に従い参上した。これより我が剣は貴方と共にあり―”
嘘だ!
”私は主の怨敵を滅ぼすための剣です”
デタラメだ!
全て、全てがデタラメ。そのような誓いをしたのならあの夜に、己が己では無くなったあの日に不覚を恥じて自害するべきだったのだ!!
・・・吐き気がする。ここまで自分が浅ましい人間だったとは。
結局私は士郎に甘えていたのだ。桜を救おうとする彼に自分も一緒に救ってもらいたかっただけ。操られていたから、なんて口にして自分の裏切りをなかった物にしたかっただけ・・・。
起こってしまった事は変えられない。失った物は戻らない。
・・・ああ、なんて皮肉な事か。
自分を、士郎を裏切った事で気づいてしまった。
私は、私が聖杯を望むことは、・・・・自分が招いた結末を恥じ、自分以外の王を求めるなど無駄な事だったのだ。
だってそれは変えようの無い事実だから。
それを捻じ曲げ改竄するなんて権利は私には無いのだから。
国を失い民を殺しもした。だがそれは永い歴史の結果の一欠片に過ぎない。
あの丘で私は生涯を終えるべきだったのだ。少なくともあの瞬間までは私の選んだ道に恥ずべき点は無かったのだから。
―――間違っていた。なにもかもを間違っていた。
・・・けどもう戻れない。もう救いを求めてはいけない。大事な人達の幸せを望むのならばここで私は死ぬべきなのだ。
「・・・・・」
目の前には背の高い赤い騎士。目を閉じ何事かを呟いている。
彼ならきっと、望みさえすれば私を殺してくれるだろう。実際そのために此処に一人残ったのだから。
でも、と思う。
ここで彼に殺されることを望むのもまた逃げる事になる。殺されて救われようとしているだけ。
私は魔力を全身にみなぎらせ、剣を構える。
ならば逃げはしない。全身全霊を懸けて彼と立ち会おう。そして勝たなければ。
だって私を殺していいのはシロウだけ。私が誓いを違えたその人の手でなければ私は殺されるわけにはいかない。
私には裏切りを償う義務があるから。
そして彼を殺していいのも私だけ。
裏切りを償えないのなら、せめて彼を大切に想っている誰かが彼を裏切らなくてもいいように私が彼を殺さないと。
だから士郎、私を殺してください。
それが駄目なら私に殺させてください。
貴方は私のマスターだから。
貴方にしか殺されたくない。
貴方を殺させたくない。
さあ、すぐに行きますから待っていてください、士郎
令呪にも他の誰にも屈しません。
貴方のために私は悪となりましょう。
悪のままで消え去りましょう。
眼前の風景が荒れ果てた荒野に変わり行く中、私はかの人を想い、声も無く懺悔と慟哭をただただ繰り返していた・・・。
インタールード FIN