「判決。被告人を死刑に処す。」
そう熟年の裁判官が告げるのを、自分は何処か当たり前の様に聞いていた。
――それも、仕方ないか。
自分は正義の味方にはなれなかった。
戦いに戦いを重ね、
命を奪い、
それでも誰も救えず、
聖杯に縋り世界と契約し、
結局は犯罪者に成り下がった。
――ご免なセイバー。結局、君のようには生きられなかった。
衛宮士郎は、心の中で唯一愛した女性にそう詫びた。
彼の人生は聖杯戦争で始まった。
聖杯戦争の果てに起きた大火災。
彼はその中で産声を上げた。
業火に身をさらし、全てを失って空っぽの人形になった彼。
そんな彼に衛宮切継は生きる意味を与えた。
――全てを救える正義の味方になる。
それから10年。父であり師匠でもあった切継亡き後も、士郎は夢を追い続けた。
士郎は正義の味方を目指して。
誰も彼も救える正義の味方になってみせると決意して。
そんな彼に転機が訪れる。
聖杯戦争。
知らず身に降りかかった、聖杯を巡る戦い。
その中にあって、彼は自分の信念を貫いた。
傷つき倒れ、何度も死にそうになりながらも、彼は走り続けた。
――セイバーという得がたいパートナーと共に。
彼女は王だった。
生まれたときから王となる事を定められ、求められ、そして自身も迷わずその道を選んだ。
あまりにも有名な聖剣を手にいくつもの戦いを切り抜け。
騎士として冒険を求め、名誉を求め、王として民の安寧を求めた。
6つもの大きな戦いを自身の手で勝ち取り、円卓の騎士たちに土地を与えた。
そうして、強大な王国を作り上げた。
戦いの果てに手に入れた、悠久の平和。
その終わりはあまりにあっけないものだった。
内乱である。
彼女の妻ギネヴィアが、円卓の騎士誉れ高いラーンスロットと不貞を働いたのが原因だった。
アーサー王物語には、多くの有名な騎士が登場する。
アーサー王がそうであり、ラーンスロットがそうであり、トリストラムやパーシヴァルやギャラハドがそうだ。
どの騎士も誇り高く、武勇に優れ、勇敢であったが、同時に恋や愛のせいで身を滅ぼした騎士も多かった。
そして、アーサー王自身もラーンスロットとギネヴィアの愛によって、その最期を迎える。
実際には甥であるモウドレッドの裏切りによるが、引き金は間違いなくこの二人による。
ラーンスロットを追い詰めた「喜びの砦」で行われた戦い。
王に付く者とラーンスロットに付く者の壮絶な戦いは、王の甥モウドレッドの裏切りにより中断される。
急いで王都キャメロットに引き返す王。それを迎え撃つモウドレッド。
後にカムランの戦いと呼ばれる壮絶な戦いは、お互いの将の最期によって幕を閉じる。
瀕死のモウドレッドと王との一騎打ち。
彼女は勝利を収め、モウドレッドを討ち果たすが、呪いによって操られたモウドレッドに深手を負わされそれがもとで、命を絶った。
・・・・・・・これが本当の歴史だ。
しかし、アーサー王物語では違う。
「王は槍を両手に握り締めると、モウドレッドの方へ駆け寄りながら叫びました。
『裏切者め、今やお前の最期の日がやってきたぞ』
そして楯の下からモウドレッドを突きました。ぐさりと一突き、相手の体を貫いたのです。
モウドレッドは致命傷を受けたと知ると、残る力を振り絞ってアーサー王にうちかかりました。
剣を両手で握り締めながら、アーサー王の頭の側面を打ったのです。
剣は王の兜を割って頭蓋にまでも達しました。
それからモウドレッドは体を硬直させて大地に倒れるとそのまま死んでしまいました。」
そこまで読んで、士郎はパタリと本を閉じた。
もう何度も繰り返し読んで、覚えてしまった。それでも彼はこの本を手放さない。
そして、毎日読むのを欠かさない。
ここに、自分の愛した彼女の全てがある。
最期まで己を貫いた彼女の生涯が。
なりたかったモノになった彼女。
なれないであがいている自分。
その隔たりを少しでも埋めたくて、彼はこの本を手にした。
何度も何度も読み返し、彼女に触れ、その仕草の一つ一つを思い出し、心に刻みなおし、そしてきっと自分もこうなると新たに決意する。
そうして、人々を救うためにあらゆる場所に出かけた。
誰かの為に自分の出来る事をすれば、皆が幸せになれると信じて。
別にアーサー王の様に称えて欲しいわけではない。ただ、誰かが悲しむのを見たくなかっただけだ。
だから、戦った。
戦って戦って、傷つく事も厭わず戦って。
その末に、自分は死体の丘に辿り着いた。
魔術も投影以外に満足に行う事も出来ず、結局剣術だけしか能がなかった。
その投影にしても、得意なのは干将・莫耶かアヴァロン、エクスカリバーなど限られたものだけだ。
あらゆる剣と僅かなその他。
それを投影することが出来るだけ。その果てには辿り着けなかった。
あとは、それを補うように、極限まで極めた剣術のみ。
そんなもので救える数など限られていた。
それがこの結果だ。
だから、救えなかった人々。その上で彼は世界と契約した。
自分の死後と引き換えに、彼らを救って欲しい。
そう願った。
世界はそれを叶えた。
そうして、自分が救った人たちは言った。
「こいつがこの惨事を生んだ犯人だ」
彼らの証言で、自分は犯人に祭り上げられた。
そして、全世界の人々は皆それを信じ、自分を憎み、蔑み、怒りをぶつけた。
唾を吐きつけられ、石を投げつけられ、罵倒され、救えなかった遺族の叫びを身に受けた。
自分に出来る事はそれを甘受する事だけ。
彼らの怒りはもっともだと思う。
自分は彼らを救えなかったのだから。
信じてくれる人もいた。
彼らは自分を励まそうと面会に来てくれたが、断った。
自分が会えば、彼らにまで危害が及ぶ事は明白。
もう、自分の為に誰かが傷つくのは嫌だったから。
彼女のように、なって欲しくはない。
そう彼女のように。
「セイバー。俺は・・・」
疑問を口に出す。
厳重に封印された独房の中。
答えが返ってこない事など分かりきっている。
それでも、口に出さずには居られなかった。
「俺は、君のように誰かの役に立てたかな。」
――この身は、あらゆるものに憎まれてはいるけれど。それでも構わない。
「俺は、君に近づけたかな」
――それよりも重要な事は彼女の様に生きる事。
「俺は、君が愛するに相応しい男になれたかな。」
――彼女の顔に泥を塗らないで、彼女が自分を愛したのは間違いではなかったと胸を張れる事。
きっと彼女なら、肯定してくれるだろう。
『貴方は精一杯やりましたよ。シロウ』そう言って、笑顔で抱きしめてくれる。
「セイバー・・・君を心の底から愛している。」
あの時、咄嗟に返せなかった台詞。
返答など求めていない。
自分以外誰も居ないこの独房は、魔術協会の高名な魔術師が何十人と集まって描いた封印によって、完全に隔離されていた。
たとえ、すぐ外の扉に人が立っていてたとしても、自分の発した言葉は届かない。
ここに入るにも、一級の魔術師が何人も必要だ。
だから、誰かがいることも、返答が返ってくる事はありえない。
だというのに――。
「分かっています、シロウ。私も貴方を心の底から愛している。」
何故彼女がここに居るのだろうか。
呆然とベッドに腰掛けたまま、声の方を見る。
そこには、鎧に身を包み、月光を背に受けて微笑む彼女が居た。
それはまるで、初めての邂逅の焼き直しのよう。
死の直前にあって、思わず目を奪われたあの光景。
あの頃と違うのは、自分の身長が随分と伸びた事だろう。
「セイバー・・・・・?」
彼女がここに居るはずはない。だから最初、これは幻想だと思った。
死を目前にした自分が勝手に作りあげた幻覚だと。
「はい。」
それを否定するように、再び彼女は返答すると。
未だに呆然としている自分を、力強く抱きしめた。
そうして、自分の紅い髪を愛おしそうに撫で、頬に口付けをする。
「嘘だ・・・・こんな事。在り得ない。君が、ここに居るはずない。」
抱き返せば、彼女は消えてしまうんじゃないか。
そんな思いから、彼女に触れたいと思っている自分を律するために、そう呟いた。
それを彼女は笑顔で否定した。少しだけ身を離し、こちらを見つめて。
「私は、間違いなくここに居ますよ。・・・・シロウ」
もう、抑える事は出来なかった。
彼女の記憶より小柄な体を抱きしめ、その唇に口付けをする。
お互いに息が出来なくなるほど力を込めて抱き合い。
何度も何度も唇を寄せ、彼女もそれに応えてくれた。
懸命に互いを抱き寄せ合う。
もう2度と離れないように。
今までの分を取り戻すように。
――このまま、押し倒してしまいたい。
けれど、寸でのところでその衝動を押し留める。
彼女には聞かなくてはいけない事がある。だから、名残惜しいが唇を離して、抱きしめていた腕の力を抜いた。
「んふ・・んっ・・・・あ、シロウ?」
何故やめるのですか?そう潤んだ瞳が訴えている。
「セイバー何で・・・君がここに?」
「簡単ですシロウ。等価交換だ。」
そう言うと、彼女は優しく微笑んだ。
「貴方は全世界の人々から憎まれる代わりに、一人の女性の完全なる愛を手に入れた。それだけの事です。」
彼女は力を込めて俺をベッドに押し付けると、その上に跨る様にした。
「大丈夫です。貴方の死後も、私は貴方の傍らにいますから。もう私達が離れる事はありません。そうでしょう?シロウ・・・」
――私達は剣と鞘。二人で一人の半端な英雄なのですから。
そう耳元で囁く彼女の言葉が、魔法のように俺の心を捉えた。
ああ、そうだ。俺は彼女の鞘なのだから、彼女の傍らに居なければならない。
だから、あの邂逅は必然で、
その後の別れは偶然で、
今この再会は絶対だった。
「セイバー・・・」彼女の鎧を丁寧に剥がし、その服に手を掛ける。
焦らす様に、彼女の素肌を少しずつ露にさせ、唇を寄せる。
「・・・シロウ。あ・・・ん、シロウ・・・」
もっと、と訴える目を受け止めて、優しく一層力を込めた。
二度とありえないと思っていた夢のような逢瀬の時は終わり。
ゆるりと流れる倦怠の時。
それがとても心地よく。
衛宮士郎は、数年ぶりに笑顔を取り戻していた。
「それでは・・・シロウ」服と鎧を身につけ、髪を纏めると、改まって彼女は微笑んだ。
夢の時間は終わりだ。
続きは向こうで。
この世界での最後の抱擁を彼女と交わす。
「また後で会いましょう。」彼女は自分の胸に顔を埋めて別れの言葉を口にする。
「ああ、また後で。・・・セイバー」
彼女はもう一度こちらに笑顔を向けると、あの別れの時のように風と共に姿を消した。
同時に、独房の扉が開く。
「出なさい。衛宮士郎」数人の魔術師と警備員を伴って、一人の女性が入ってくる。
「ああ、今行くよ。遠坂」
何だか不思議だ。故郷の冬木市を捨ててここまで来たというのに、こんな所で学友と会うなんて。
後ろ手に手錠をされ、更に魔術で拘束された上で、後ろから小突かれながら処刑所への道を進む。
建物を出て、特別仕様の車に乗せられた。
あとから遠坂が乗り込む。
他の魔術師達はもう一台の車に乗り込んだ。
車が走り出す。そして、しばらく経って彼女は口を開いた。
「久しぶりね、衛宮君。まさかこんな再会をするとは思わなかったわ。」
「同感だ。」語るべき事はあまりに少ない。
「・・・・無様ね」途切れ途切れの会話が延々と続いた。
「そうだな」
「そのわりに満足そうだわ」
「そうだな」
「この未熟者」
「そうだな」
「・・・・・・・・本気で言ってるの?」そこで、不意に遠坂の口調が変わる。
敵意を含み、同時に妬むような、そんな声。
「ああ。」
その返答が逆鱗に触れたのか。
「ふざけないで!何処の世界にサーヴァント並の魔力を持つ人間がいるっていうの!そんなあなたが未熟者!?」
「遠坂。それは君にとっては違うんだろう。だけど、俺はこれだけの力があっても誰も救えなかった」
俺は魔術師としても剣士としても大成したのだろう。しかし、正義の味方としては未熟者もいい所だ。
「でも・・・俺は頑張ったから。だから、結果はこうなってしまったけど。後悔はない」
世紀の大犯罪人。その看板を背負っての公開処刑。
異例とも言えるその措置。
それを許すほどに世界中が自分を憎んでいた。
「そうだ。皆に、ありがとうと伝えてくれないか。遠坂」
いつの間にか自分が一人で話していたけれど、話すべき事など最初からない。
遠坂風に言えば、『心の贅肉』なのだから。だから、一方的に話して一方的に終わらせた。
「・・・分かったわ」
それきり遠坂も自分も黙ってしまった。
階段を上る。
一歩一歩。
周囲からは、罵声が上がり。
歓声が起き。
石が飛び、缶が飛び。
呪いの言葉と憎しみの視線が向けられた。
覆面を被せられる直前に、会場を見渡して一成たちを探した。
居た。正面右よりの後ろのほうの席に。
普通ならオペラグラスが必要な距離だったが、自分は生来目がいい。
右から一成、美綴、藤ねぇ、桜。
一成と美綴は懸命に何事かを叫び、桜は見ていられないとばかりに目を逸らし、藤ねぇはそんな桜を叱咤していた。
こんな俺を励ましてくれた彼らに祝福を――。
そう心から祈る。
覆面が視界を覆い、首にロープがしっかりと付けられる。
――いよいよか。
「最後に何か言いたい事は?」そんな言葉が囁かれる。
「全ての人が幸せでありますように。」
そう言って、その時を待つ。
周りが静かになる。そして鳴り響くブザー音。
急になくなった足場。
首に急激な力が加わって、折れた。
その音を最後に、俺は意識を手放した。
ガコンと扉が後ろで閉まる。
いかにも館と言った趣の玄関。
左右に分かれた2階への階段。その先にあるテラス。
上を見上げれば、ステンドグラスを通して光が入ってくる。
その光を追って、自分の足元に目をやれば、高尚な趣味の絨毯。
ここは何処だろうと首を捻っていると、右手の食堂らしき場所から嬉しそうな声が響いた。
「ああ、来たのですね。シロウ・・・」
白のブラウスに青いリボン。黒のロングスカートという懐かしい格好で、彼女は佇んでいた。
「やあ、セイバー」
「終わりましたか?」その様は、まるで宿題の進行を尋ねる母親のようだった。
「終わった」
彼女が穏やかに微笑む。
「後悔がないようで安心しました」
「うん。後悔はない」彼女の方に歩み寄り、すぐ傍で立ち止まる。
「それは良かった。・・・む」身長差が大きくなってしまったせいで、自然と彼女はこちらを見上げる格好になる。
拗ねたように彼女が口を開いた。
「シロウ。今の貴方は背が高すぎる。これでは労いの口付けが出来ないではないですか。初めて会った頃の貴方になって欲しい」
「え・・・・あ、うん」言われるまま、自分の肉体年齢の設定を下げる。彼女の望むとおりに。
それを見て、彼女は満足そうに微笑む。
「ご苦労様でした。シロウ」そうして、唇を重ねた。
息が続かなくなるほどに長く情熱的な口付け。
あまりにも熱いそれは、唇を離す際に吐息が漏れるほどだった。
何だか、それがお互いにとても恥ずかしく感じて、雰囲気を払拭するために彼女に提案した。
「じゃあ、久しぶりに・・・飯でも作るかな。セイバーの為に」
彼女をエスコートする様に腕を差し出す。彼女はそれに腕を絡めると。
「それはいいのですが・・・私はもうサーヴァントではありませんよ。シロウ」
――アルトリアと呼んでください。
そう言って、逆に俺を引っ張るように厨房に誘った。
あとがき
始めまして。高梨 結城と言います。
え〜と、とりあえず。思いついたままを書いたのですが・・・・
アーサー王のところのシーン要らなかったかなぁとか思ったり・・・・・
でも消すと、うまくあとの繋げられなかったのでこのままで。
結局、力量不足を露呈しただけでした(汗