「シロウ、遅いねー」
イリヤは面白くもなさそうにソファーにうつぶせに寝転がって足をぷらぷらしながら、ため息混じりにそう呟いた。
「最近は一緒に晩御飯食べてませんね……」
「全くよね……」
自分たちで入れた食後の紅茶を飲みながら、同じくため息をつく凛と桜。
「二人はまだいいです。私たちはシロウと顔を合わせる機会がほとんどない」
「朝食のときくらいしかありませんし、そのときも士郎は何かと忙しい。主に朝食の準備で」
その隣で同じく紅茶を飲むライダー、紅茶を飲むよりお茶請けがメインなセイバー。
ライダーは『朝食の準備』を強調して言ったのだが、その皮肉が向けられるべき相手は今は何を言っても聞かない状態にあった。
それはともかく。
そう、最近士郎の帰りがかなり遅いのだ。
理由は、またバイトを増やしたから。
食費が足りなくなったのかと一同は心配して声をかけたのだが、士郎本人が言うには何でも欲しい物ができたらしい。
今までどおりじゃ少し買うのに時間かかりそうだからさ。それにほら、頑張って働いて手に入れるからこそ価値があると思うし。
生き甲斐を感じています、という笑顔と共にそんなことを言われては、あまり無理をしないようにと遠まわしに言うのが精一杯だった。
士郎はどうにも自分を大切にしないところがあり、欲しい物があるなんて話は今回が初めてだ。そんな士郎が自分のためにこうして頑張っているのは、皆としては非常に喜ばしいことなのだ。
だが、だがしかし。
それでもやっぱり一緒にいたいなと、そう願ってしまうことはいけないことなのか。
士郎が自分自身を大切にしてくれることに対する喜びと、そのせいで味わうことになる寂しさ。
なんとももどかしいものだ。
「……はぁ」
一同、同時にため息。セイバーは除くが。
「………ふむ、成る程。存分に楽しめた。褒めてつかわすぞ」
それまでテレビにかじりついて離れなかったギルガメッシュが、なにやら偉そうなことをほざきながら立ち上がった。うんっとひと伸び。
凛はギルガメッシュが先日士郎に、なんだか最近やることが庶民じみてきたな、言われて激しく憤慨していたのを思い出す。
立派な庶民よねぇ、どう見ても。
「そういえば、貴方何見てたの?」
思ったことは口に出さない。士郎のような間抜けではない。
ギルガメッシュが食い入るように見ていたのは、時間帯から言ってドラマか何かだろうか。だがそういうものに疎い凛としては、ギルガメッシュが何を見ていたのか分からなかった。
テレビが映しているのは、森の中を颯爽と走りぬける一台の車がビールは天然水で出来ていますかと缶が川を下って水虫はかいちゃいけないとわかっていてもかいてしまう。
ありふれた、つまらないコマーシャルだ。
「いや、主題までは知らん。我も偶々見かけた程度のものだからな」
「内容は? それなら言えるでしょ?」
「そうだな。説明するほどの内容ではないが………む、ふーむ」
いきなりなにやら考え出したギルガメッシュ。それを見て、ああまたか、と凛はため息をついた。
ギルガメッシュのいいんだか悪いんだかわからない趣向。敬遠は全力投球。
またいらんことを考え始めたようだ。
難しい顔のまま動かない。彼はさすが王というべきか、表情のコントロールがずば抜けて上手い。楽しいときには本当に楽しそうに笑っているし、それを隠したいときはそれを全く気付けなくさせるほどに隠し通す。
士郎も自分のサーヴァントを少しは見習えばいいのに。いや、やっぱり楽しみが減るからいいや。
「……ふむ、さすが我だ」
どうやら考えがまとまったらしい。顔に浮かんでいるその笑みが実に楽しそうなこと。
「で、今度はどんな悪戯を思い浮かんだのかしら?」
「存外だな、そのように言われるとは。……まぁいい。それはともかく御前等、注目! ほら我に注目! こら無視して出て行こうとするなそこ注目!!」
こそこそと出て行こうとする皆の衆をちょっと必死になりながら集めて、テーブルに座らせた。
「で、今度はどんな悪戯を思い浮かんだんですか?」
「姉妹揃って同じことを言うな。悪戯などではない。むしろ御前等のためになることだといっても過言ではない」
「へー。どんな?」
かなりやる気なさそうに座る皆を前にし、ギルガメッシュは悠然と言い放った。
「断食だ」
「「「──はぁ?」」」
衛宮家のおしょくじ
「断食、ですか?」
「うむ、そうだ」
「断食って言うと、日が昇っている間は飲食物を一切口にしないって言うあれ?」
「あぁ。さらに言えば夜取る食事も出来る限り質素なものにしようと思っている」
「えー、それはちょっと辛いんじゃない?」
「あぁ、イリヤは外れるだろう。恐らくシロウがそれを許さん」
「でも何でまたいきなり断食なんて……」
「どうせ、さっきまで見てたドラマが断食する話だったんでしょ?」
「その通りだな。しかしドラマなるものは初めて見たが、ああも楽しめる上に興味深いものだとは思わなかったぞ」
一人乗り気なギルガメッシュに、否定的な四人娘。一方、一人沈黙を保っていた──と言うよりは凄まじい衝撃を受けたように硬直していたセイバーは、
「な、何をいきなり言い出すんですか!!」
咆哮と共に帰ってきた。
「断食だなんて私は絶対反対です! えぇそのような非人道的なことが許されるわけがない! ギルガメッシュ、貴方は人として間違っている!」
「あぁ分かった分かった。分かったから少し黙ってこっちへ来いセイバー」
耳をふさぎながらセイバーの腕を取って、台所まで連れ込む。
「一応言っておくが、御前の反論は予測済みなのだぞ? 不毛だと思うのだが、話し合いを始めるのか?」
「当然です! 貴方が何を言い出すのかは知りませんが、私はそれに決して挫けない!」
「ほう、いい覚悟だ」
ギルガメッシュはニヤリと笑った。
「でだ。我も別に考えなしであのような事を言い出したわけではない。この断食は、遠まわしにはなるがシロウの負担を軽くすることに繋がるのだぞ?」
「シロウの、ですか?」
シロウと聞いて早速牙を収めるセイバー。この時点で結果が見えていると思うが。
「そうだ。つい先日の話なのだが、奴が家計簿をつけていてな。わざわざ夜中にだ。不審に思った我は奴が眠りについた後それを読んでみたのだがな……」
ここで意味深に言葉を切った。その眼は、この先を話していいものか、と危惧するような色が伺えた。
先を促すようにセイバーは頷いた。それを見て、ギルガメッシュも頷く。
「簡単に言えば、赤字だ。それほど酷くはないが、確実に奴の貯蓄は削られていっている。ついでに言えば、奴が新しいバイトを始めたのはこの数日後のことだ。これが何を意味するか、分からない御前ではあるまい」
当然だ。それくらい分かる。
出来てしまった赤字をなくしたいのであれば、収入を増やせばいい。
つまり士郎は自分のために、自分の目的のためにバイトを増やしたわけではなくて。
「……黙っていようとも思ったのだ。だが、近日のうちに言おうとは思っていた。自身の問題とはいえ、奴はあまりに自分を考えなさ過ぎる」
何てことだ。それに気付かなかったのか。
違う。本当はうすうす気付いていたのではないのか。
ただ、それを認めたくなかっただけで。
「さて、落ち込んでいるところ悪いが話を戻させてもらうぞ。ここまで話せば分かるであろう。断食することで、奴の負担が減ると言うことが」
「それはつまり、遠まわしに、私に、食事量を減らせと言っているのですか…?」
「遠まわしにではない。はっきりそう言っている。確かに奴の作る食事はなかなかのものだ。だが、物には限度と言うものがあろう。人数が多いとはいえ米を三度も炊く必要があるというのはさすがに見ていられたものではない」
「……それは、確かに」
「気が乗らないのはよくわかる。御前にとって食事とは何よりの楽しみだからな。まぁ、今すぐにはじめるというわけではない。事が事だからな。状況によってはすぐに発言を撤回する。それまで考えてみるがいい」
それだけ言い残して、ギルガメッシュは居間へ戻った。
一人になって、セイバーは考え込んだ。
確かにシロウに負担をかけてしまっている。それは間違いのない事実だ。前々からそのことは気にかけていたし、そのことについてギルガメッシュに相談を持ちかけようとしたこともある。
だが、だがしかし。
「シロウのご飯が、おいしすぎるからいけないんですよ……」
はぁ、と大きくため息をついた。その口元は、ほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。
「と言うことでセイバーはとりあえず保留だ。それで、御前らは何か意見はあるか?」
「そりゃあるわよ。いきなり断食だなんて、唐突にも程があると思わないの?」
「そ、そうですよ。それに私たちもまだ育ち盛りなんですから、食事を抜くのはちょっと……」
次なる壁、桜と凛。
だがギルガメッシュは思った。我に策あり。
「育ち盛り、確かにその通りだな。ところで話は変わるが、風呂場においてあったはずの体重計がボロボロになって土蔵に捨てられていたのだがこのことについてどう思う?」
「う」
呻く凛。やっぱりお前か。
「さらに言えば一度はシロウが泣く泣く直したというのに、その次の日にはもはや修復不可能なほど見るも無残な姿になった体重計に対して抱く同情の念はあるか?」
「あ、あははは…」
乾いた笑いを漏らす桜。やっぱりお前もか。
「この調子でいけば、坂で押せば転がってとまらなくなる日も近いな」
遠い眼でしみじみと呟く。
「あぁもう、分かったわよ。参加すればいいんでしょ、参加すれば!」
「ね、姉さん? 本気ですか?」
「背に腹はかえられないわ。確かに士郎のご飯のおいしさに危機感を覚え始めてたころだし。ちょっと過酷なダイエットだと思えばなんでもないわよ」
「で、でも……」
「桜、このままいけば悲惨な結果になるのは目に見えてるのよ? セイバーやライダーとは違って、私たちのそれは食べた分だけ確実に増えていくんだから」
「……そう、ですね。背に腹はかえられませんね」
「そうよ。一人じゃ辛いかもしれないけど、私たちは一人じゃないもの。きっと何とかなるわ」
「姉さん……!」
「桜……!」
感極まったように抱きしめあう二人。
ギルガメッシュはそこまで深刻な話かとも思ったが、そこは王の偉大な器の大きさで触れないことにしておいた。
「あれらはいいとして、ライダー。御前は特に反論はないな?」
「そうですね。もともと私たちは食べなくても生活は出来ますから。たまにはこういうのもいいのかもしれません」
「御前の言うとおりだ。全く、そこまで大げさ事でもなかろうに」
「ところでギルガメッシュ。フジムラはどうするつもりですか?」
「あぁ、あれは端から無視の方向だ。どうせ参加すると言い出したところで初日から脱落するに決まっている」
「酷い言いようですね」
それでも反論しないあたり、ライダーも同意見なのだろう。
そんなこんなで夜も遅くなり、一同は眠ることとなった。断食の話はギルガメッシュが直接士郎に伝える、と言うことになった。
夜遅く、士郎がようやく帰宅した。
「ただいまー」
「遅い。待ちかねたぞ雑種」
ギルガメッシュは玄関で仁王立ちし、ずっと士郎のことを待っていたのだ。よっぽど暇なのだろうか。
まさか待たれているとは思わなかった士郎は、驚いたように目を見開いた。
「あれ、何やってるんだギル」
「見れば分かろう。御前を待っていたのだ。ともかくあがれ。話を始めるぞ」
さすがに退屈だったのか、ギルガメッシュはかなり機嫌が悪いようだった。自分から待っておいてそれはないよなぁと思いつつも、士郎は言われたとおりギルガメッシュについていく。
居間で座り、とりあえずギルガメッシュが入れてくれた紅茶を飲む。疲れた身体に染み渡るような甘さがなんともたまらない。
ギルガメッシュも士郎が疲れていることを分かっているので、とりあえず紅茶を飲み干すまでは黙っていた。
機嫌が悪かったギルガメッシュは気付かなかった。
廊下で身を隠し、聞き耳を立てている人物がいることに。
『──で、話って何なんだ?』
『ふむ、そのことなのだが』
二人が話を始めた。廊下の外で身を隠して聞き耳立てる人物ああ長い、正体セイバーはごくりと唾を飲み込み、より一層扉に耳を押し付けた。
セイバーがこんなことをしている理由は、ひとつ。
士郎がこの断食について、どんな思いを抱くのか。
ここまで来ては断食嫌だなんて駄々をこねるわけにもいかない。だが、せめて士郎がどんな風に考えているかくらい知りたい。そう思ったのだ。
「しかし、本当に帰ってくるのが遅いですね、シロウは」
待っていたのはギルガメッシュ一人ではないのだ。物陰に隠れてこそこそしていた分、愚痴のひとつも言いたくなる。
その原因の一端を自分が担っているので、あくまで呟くだけだが。
『いやなに、大したことではない。断食をしようかと思っているのだ』
『……は? なんて?』
『断食だ、断食。それくらい知っていよう』
『知ってるけどさ。何でまたいきなり断食なんだ?』
『色々と理由はあるのだが。とりあえずシロウ、御前のその馬鹿みたいな仕事量を減らすためだ』
『……何のことかな?』
『とぼけるな。我を欺けると思ったか』
『ばれてたのか。言い訳は結構完璧だと思ったんだけどな』
『完璧すぎたな。全く、我に賭け事をさせれば金の問題などすぐさま解決してやるというに……』
『それは絶対駄目だ。下手したらこの国征服しかねないからな』
『言うが、我も加減くらい知っているぞ。と、話が逸れてしまったな』
咳払いをするギルガメッシュ。そういえばつい先日、シロウに賭け事禁止と令呪を使われた、と愚痴を言っていたのを思い出す。
『ともかく、断食だ。あらかた了解はとってある。イリヤとフジムラは外してあるがな』
『あれ、セイバーも参加するのか?』
自分の名前がシロウの口から出てきたことに、ビクンと反応する。
『当然であろう。むしろ、あいつを参加させなければ意味がない』
『それはそうかもしれないけどさ。でも……』
士郎が言葉を切った。一体何を言うつもりなのか。
セイバーは大きく深呼吸して、次の言葉を待った。
そして、士郎は言った。
『セイバーには無理じゃないか?』
……は?
『だって、セイバーだぞ? お前も知ってるあのセイバーだ。それが断食だなんて、そんな』
一体、シロウは何を言っているのですか?
『断食なんてしたら倒れるって、絶対。長続きもしないだろうし』
なんと言うか、その。
『ふむ……それは確かにいえるかも知れんな』
凄く、侮辱されている気がするんですが……!
とどめとばかりに士郎は言った。
『セイバーに断食は無理だ。そんな無茶をさせると、彼女がかわいそうだろ』
可哀想とまで言いますかこの朴念仁は…!
我慢できず、セイバーは扉を蹴破った。仁王立ちし、目を見開く二人を悠然と見下ろす。
二人を交互に睨みつけて、びしっと指を突きつけた。
「いいでしょう! この断食、受けて立ちます! 必ず今の発言を撤回させて見せますよ、シロウ!」
「…はぁ」
セイバーは声高々に宣言した。
次の日に入念な計画が練られた。そのさらに翌日から本当に断食が始まるのだが、当然何事もなくいくわけがなかった、と言うのはまた別のお話。
「ところでセイバー」
「何ですか」
「ひょっとして、俺が帰ってくるまでずっと隠れて待ってたのか?」
「……あ」
後先考えず行動してしまったセイバーが恥ずかしい思いをしたというのもまた別のお話。