「おっまた私ら三人は同じクラスか」
陸上部のスポーツバッグを肩に背負った色黒の女子生徒が目の前に貼り出されている紙を見て呟いた。
「またよろしくね。蒔ちゃん、鐘ちゃん」
ほにゃっとした笑顔がよく似合うマネージャー用に作られたバッグを肩に掛けた女生徒が声をかける。
「ふむ、どうやら我々は三年間丸ごと同じクラスという数奇な縁で結ばれているらしい」
眼鏡を掛け陸上部のスポーツバッグを背負う白髪の女生徒がわずかながら微笑んだ。
三年になっての始業式、三枝由紀香・蒔寺楓・氷室鐘・は穂群原学園の正面先に貼り出されたクラス表を確認していた。
始業式早々にも拘らず陸上部の朝練のために通常より三十分ほど早く登校したのでクラス表の周りには、同じく朝練で早く登校してきた野球部や弓道部の生徒たちがちらほらいるだけであった。
「あと他に知り合いは―――げ、美綴綾子―――」
楓はその名前を見て不機嫌そうにため息を吐いた。
彼女たち三人組の周りでクラス表を見ていた生徒達は楓のその様子に僅かながら不信感を抱いたが、そのようなことは気にせずに自身のクラスを確認するためにクラス表に見入った。
……彼らはこのとき何が何でも、このクラスを編成した教師たちに懇願して蒔寺楓と美綴綾子のクラスを別々にさせるべきであった。
――――――学園中を巻き込んだ事態に陥らないためにも――――――
「新入生、勧誘大作戦!」
学園長の長い挨拶と共に始業式が終わり、三枝由紀香・蒔寺楓・氷室鐘・の三人組は新しいクラスに入るため人ごみが絶えない廊下を、楓を先頭に列をなして歩いていた。
「あったあった、ここだ3−Bは」
先頭の楓が人ごみの中から自分たちのクラスの札を見つけ、そのクラスの中に入った。
「げ、もう美綴の奴いやがる…」
クラスに入るなり、その姿を見つけた楓はため息を吐きながらその場で足を止めた。
「はにゃっ!?」
突然の停止に対応しきれずに楓の後ろを歩いていた由紀香が背中に顔をぶつけてうずくまった。
「どうした楓、こんなところで止まっているのでクラスに入れないで後ろの生徒が迷惑しているのだが」
由紀香の後ろに並んでいた鐘が、この状況を把握しようと訝しげに身を乗り出す。
「あ、ああ分かったよ」
鐘に言われて再び足を進めながら、自身の席を座るために楓はクラス中を見渡した。
「どこだ28番の席は…げ!」
本日三度目のため息を吐き、美綴の後ろの席に腰を下ろそうとする。
「よう蒔寺、また同じクラスだな」
楓に気づき、美綴は片手を挙げてクラスメイトである楓に挨拶をした。
やはりこういうところはしっかりとしているなと思いながら楓も返事を返す。
「そうだな…ところで弓道部の調子はどうなんだよ?」
先ほどまでに何度も美綴に対してため息を吐いた楓だが、別に彼女のことが嫌いなわけではなく、ただ優等生である遠阪凛の数少ない友人である美綴綾子をライバル視しているだけなのだ。
「これから新入生の歓迎が忙しくてな、全くうちの部活は間桐兄妹は人を集めてくれるから大変なのさ」
何気なく言った美綴の言葉であったが楓の中で何かが引っかかった。
―――そう、ライバルとしての何かが……
「美綴、今年は部員は何人ぐらい入りそうなんだ?」
「…まあざっと20人ぐらいだろうな」
―――20人?
楓は頭の中で今年入りそうな新入生の数を数えていた。…どう考えても陸上のあまり盛んではない穂群原学園では20人を超えそうにはなかった。
――――――ライバルとしてこれは負けるわけにはいかない。
楓の中にあった何かがはっきりと訴えかけた。
「なあ美綴、今年の新入部員の数で勝負しないか?」
「別にいいけど…どうしたのよ一体?」
「深い意味はないよ、ただの思いつき」
―――ここに陸上部対弓道部の新入生争奪部員獲得合戦の幕が切られた。
「弓道部に新入部員数で勝つ……」
騒然と静まり返る陸上部の一同の中、楓が口を開いた。
「だから無理だろ、それは―――」
ある男子部員があきらめの声を上げた。それを聞いて楓は背後のホワイトボードを叩いた。
午前中は始業式のために午後一時から始まる部活の間、陸上部員一同はある会議室で作戦会議を開いていた。
しかし弓道部に勝つための作戦はなかなか思いつかず、苛立ちを表し始めていた。
叩かれたホワイトボードには10分前に提案されていた“ポスターを作る”とだけ書かれていて、それ以外は真っ白であった。
「あっそうだ!」
男子部員が思いついたように椅子から立ち上がり、ホワイトボードに文字を書き始める。
「三枝マネージャー売り出し大作戦?」
ホワイトボードになぶりがきで書かれた文字を読み、楓は首を傾げた。
鐘のみが理解したのか、納得したように頷いた。
「なるほど、確かに我々陸上部では由紀香が一番人気であるからな、それを押し出すと言う訳だな」
それでようやく理解できたのか部員たちは歓声を上げながら文字を書き終えた彼に賞賛の拍手を上げた。
由紀香のみがいまだに理解できずに、周りに合わせて拍手をしていた。
「じゃあどうする?三枝ドアップのポスターでも作るか」
先ほどの男子部員がペンを握り、ホワイトボードに落書きをしながら尋ねる。
「いいね、それでいこうか。なあ由紀っち」
すっかり上機嫌になった楓は由紀香の肩を叩いた。
「じゃあ部活終わったら撮影会だな」
ホワイトボードに今日の予定を書き記す。
「おっと、もうこんな時間か。じゃあ明日から貼り出すってことで…」
時計を見たある男子部員がもうすぐ一時になることの気づき、部員達は意気揚々と会議室を去り、練習場へと向かった。
「うん、結構来てるじゃん」
見学に来た新入生を見て楓は得意げな声を上げた。
集まった数は15人、まだ弓道部には勝てないが明日から実行する作戦のことを考えれば何とかなりそうな数であった。
その日の部活は誰一人途中で見学者が帰ることなく順調に終わり、新入生はこのまま本入部してあのマネージャーにお世話になろうか?と笑いながら帰っていった。
「もらったな、この勝負―――」
今日の部員の数を見てこれから繰り広げられるであろう戦いに確かな感触を感じ、陸上部員一同はそれぞれが弓道部との勝負の勝利を確信して不気味な笑顔を浮かべていた。
その日の撮影会は無事に終わり、九時ごろにはポスターも完成した。
―――翌日
信じられない光景が広がっていた。昨日15人ほど来ていた新入生は今ではたったの2人になっていた。
今日は昨日遅くまで作っていたポスターを学校中に貼ったはずであった。
この作戦の発案者である男子部員は泣く泣く残り2人の見学者に尋ねた。
「なんか、みんな弓道部のポスターを見て飛んでったらしいですよ、俺達はちょうどそれ見てないから分からないですけど…」
それを聞き、彼は思い出したように口を開く。
「そういえば確かオレが陸上部のポスター貼った後、誰かが新しいポスターを貼ってるの見たような気が―――!?」
彼は自分が貼ったポスターの場所へと走り出した。
数分後、くたくたに疲れた彼が、鬼気迫る勢いで自分が向かった方角を指し叫んだ。
「弓道部の奴ら、オレらのポスターの上に桜ちゃんと慎二のポスター…っていうか写真集みたいなやつを貼りやがってた!」
「それは違法行為だろうが」
鐘が指摘した。
「美綴のヤロー、そっちがその気ならこっちもやってやるっつーの!」
こぶしを握り、楓はタイムの記録をつけていた由紀香を引きずりながら会議室へと走っていった。
―――その日の翌日には見学者は30人を越えていた。
楓の手には、あの後一晩中かかって作ったポスターの余りが握られていた。
そのポスターには“今なら新入部員に、もれなく三枝由紀香マネージャーの生写真プレゼント”と書かれている…。
「やばいっす!マジでやばいっす―――!」
「なんだよ?偵察部員」
先ほどまで弓道部に偵察に行っていた二年生が、これまで大会でも見せたことのないほどのスピードで走ってきた。
「弓道部が桜ちゃんに水着着せてて・・・・見学者が百人越えて新入部員じゃない奴らも混ざってたっす!」
「それは完全に弓道とは関係ないではないか」
冷静なツッコミを入れた鐘を含む陸上部員一同がいつの間にか楓と偵察部員の周りを取り囲んでいた。
「それで蒔寺先輩…一つお願いがあるんすけど―――」
楓はその偵察部員の様子を見て何となくだがこれから言うであろう言葉が分かった。
「自分も弓道部に…ぐえっ!?」
みぞおちに強烈な一撃が入り、その場に倒れる。
きっとこの瞬間に喧嘩を売ってはいけない生徒のトップ3に蒔寺楓が入っただろう、とその場に居合わせた誰もが確信した。
見学者は別の意味でこの部活に入らなければいけなくなったのだった。
「由紀っちは料理もできるんだ、桜になんか負けないっつーの」
「さ…桜ちゃんも…料理できるらしいっす…ちなみに得意分野は洋風…ぐぁっ!?」
楓に再びみぞおちを蹴られた彼は最後の言葉を口にし、その場に昏倒した。
―――そのころ職員室では前代未聞の職員会議が開かれていた……
「どうします?これじゃあ学園中めちゃくちゃになっちゃいますよ…」
すぐにでも折れてしまいそうなひょろひょろの数学教師がシャーペンをカチカチさせながら言った。
「いいんじゃないの?生徒たちに任せようよ」
二十年ほど前からこの学園にいた国語教師がめんどくさそうに答える。
「ちょっと待ってください、それではだめでしょう?今から代表者を呼ぶべきです!」
生徒代表として呼ばれていた生徒会長の柳洞一成が、机を叩いて立ち上がった。
「…じゃあ呼び出しますか、うちの学園は自由ってのが売りなんだけどねぇ…」
最後までめんどくさそうに答えた国語教師は席を立ち、放送室に向かう―――。
―――『三年B組、美綴綾子・蒔寺楓、至急職員室に来なさい。話があります』
先ほどまでめんどくさそうにしていた国語教師は人を変えたような声で放送から呼び出しをかけた。
「げっこの声ってあのうるせぇ大竹じゃん、なんだよ一体?」
楓は“新入生歓迎かくし芸大会”を行っている途中に呼び出されて一気にテンションを落とし、職員室へ歩いていった。
美綴と共に職員室から出てきた楓は一層テンションを落としていた。
「こんなこともうやめろったって乗りかかった船だろ」
「まあ確かに私達もやりすぎたからな…そうだ、じゃあ勝負の趣旨を変えて今度の総体での結果で勝負ってのはどうだい?」
美綴の妥当な提案に頷き、二人は別々の廊下へ向かった。
…しかし二人とも部員の獲得数での勝負は終わらせるはずがなく、その後も密かに部活を無視した勧誘作戦が行われていた。
――――――結局は弓道部の勝利と共に楓の乱闘事件で幕を閉じたが、数週間後に行われた総体での結果は両部ともろくな練習をしないで勧誘ばかり行っていたために、立ち上げ以来最低の結果に終わったのは他でもない。
終わり