―――そうして、彼は再度現界した。
場所は暗い洞穴。その上どのような惨状か、崩壊寸前である。
このような場所で、英霊を召還することの正気を疑うとともに、その実力に感歎する。
なにせろくな魔法陣もない。膨大な魔力と反則じみた触媒があったにしろ、尋常なことではない。
「―――それで、君が私のマスターか?」
目の前には天の衣を纏った聖女。
白磁のような肌。それよりもなお白い、輝かんばかりの雪色の髪。ただ一点だけだけ色をなす朱色の瞳は何処までも透き通った聖火。
―――まさしく、聖女である。
輝かんばかりのその姿は、このような場所に在ってなお神々しい。
「わたしはマスターじゃないわ。しばらくは単独行動のスキルでなんとかして」
―――ふむ、どおりでマスターとの繋がり、令呪の縛りを感じないわけだ。
独り納得する。
目の前の聖女に問い質す。
「―――それで、私に何をさせようというんだ? イリヤスフィール」
「イリヤって呼んでくれないんだ。お兄ちゃん」
こんな状況にあっても少女はいたずらっぽく笑う。
その様子に思わず笑みをこぼした。苦笑い半分、微笑ましさ半分といったところだ。
「了解した、イリヤ」
―――赤い騎士は、再度現界した。
『―――君の幸せ/アーチャー―――』
ド、ど、が、ど、どど、ガっ、ッ
落盤が豪雨のように激しい。
地面に激突した岩塊が砕け散り少女に襲い掛かるのを、投影した夫婦剣をもって叩き落す。
それにしても此処は何処なのか。
再び双剣を振るいながら、周囲を見回す。
冬木の街にこの様な巨大な洞穴があったとは記憶してない。
―――それでも、この雰囲気には覚えがある。
怨念。
救われぬ魂の嘆き。空気に絡み、生者を惑わす怨嗟の声。
纏わりつく魔力に、体は水を吸ったように重い。
固有結界ともいうべき、果てない妄執。
「―――そうか、ここが聖杯の中枢か」
「―――そう、此処が大聖杯。
500年の迷走の始まりにして、終わりの場所」
少女は謳うように呟く。
その声は澄みわたり、冷たく、そして乾いた響き。
その深淵は知れない。
「終わったのか?」
「―――ええ、シロウが終わらせた」
少女は背後に横たわる未熟者を優しく見下ろす。
そこにどのような感情があるのか、赤い騎士には知れない。
彼にはアインツベルンの1000年の祈願や、聖杯になるべくして生まれてきた少女の心の内など読み取る術もない。
すべて。
そう、それは少女のすべてと言っていいものだろう。
たとえ聖杯が歪んだ願望器に堕したとしても、それは少女のすべてだったのだ。それを失った少女にかけるべき言葉を、騎士は持ち合わせていなかった。
1000年。あるいは一生。
長い。長い時間だ。
その長さを彼は知っている。
いや、あるいはもっと短かったのかもしれない。あるいはもっと長かったのかもしれない。
待った。待ちつづけた。
磨耗しきった心で、ただそれだけを待ち望んだ。
有り得る筈の無いほどの低い確率。
―――それこそ、奇跡。
そう、彼もまた奇跡を望んだのだ。
「それで、この状況は、衛宮士郎を抹殺する機会を与えてくれたと。そう考えてもいいのかな?」
赤い騎士の声に殺気がこもる。
そしてそんな中、抑えようなない狂喜。いや、狂気か。
少女の背後には、衛宮士郎が横たわっている。傍らにはセイバーもいる。
せっかく貸してやった左腕は切り取ってしまったのか、既に無い。
―――否。
自らの考えを否定する。切捨てた筈がない。大聖杯はそこに棲む澱ごと払われ、この場にはこの未熟者。
その奇跡。人の身にあまる奇跡。そこに英霊の腕が必要でない筈がない。その奇跡をこの未熟者がなしたというのなら、奇跡の動機と機会が必要だ。
そしてその奇跡の動機。それを使うことは即ち死を意味する。―――それが代償。
肉体の損傷など問題ではない。抑えきれぬ自分は剣の丘となり、内から衛宮士郎を崩壊させる。それを逃れる術はない。
―――だが、残った。
生き延びた。
勝ちえる筈のない理想の自分に対峙して、なおそれを乗り越えた。
ならば誇れ、未熟者。
胸を張れ、未熟者。
そして、悔やめ未熟者。
その愚考、その偽善、その傲慢、その理想を今、断罪しよう。
その奇跡が、その救済こそが罪なのだと咎めよう。
「―――だめ。シロウはこれからも生き続けるの」
白い少女が騎士を遮る。
だが、その立ちはだかる壁のなんと薄いことか。
制約は既にない。影は闇にかえり、令呪の束縛も消えた。彼は守護者、彼は英霊。だが
アベンジャー
この瞬間彼を縛るものは彼自身。この一瞬は彼こそが 復讐者。
「―――くっ」
知らず、嗤う。
抑えられぬ狂気に唇を歪める。
どけ―――とは言わぬ。少女では妨げにもならない。彼の妄執もここで果てる。
騎士は一歩、歩を進める。
「シロウがここで死んだら、サクラは救われないわ―――」
少女は謳う。
―――さくら、ああ桜。穏やかな日。優しい日常。
零れ落ちる。取りこぼす。尽きる。
―――ああ、でも大丈夫。
「桜は強い。
それに凛もいる。彼女なら桜を支えてやれる」
だから、大丈夫。彼女たちを切り捨てられる。
騎士の歩みは止まらない。
「シロウがここで死んだら、セイバーは救われないわ―――」
少女は詠う。
―――せいばー、ああセイバー。我が半身。オレの剣。
磨耗する。錆びる。折れる。
―――ああ、でも大丈夫。
「セイバーは強い。
いつか彼女を解き放つものが現れる。彼女は折れない」
だから、大丈夫。彼女を切り捨てられる。
騎士の歩みは止まらない。
すでに赤い騎士は少女の眼前に立っている。
見上げるほどの長身。赤い、どこまでも赤い騎士。暗く、くすみ、それでもなおも猛る炎。
だがしかし、少女は目をそらさない。
どこまでも真っ直ぐに、その視線を受け止める。
「シロウがここで死んだら―――」
少女が謡う。
その瞳が告げる。
―――わたしは、救われない―――
「―――ほう」
騎士の歩みが止まった。
赤い騎士は嗤う。
「―――つまり、君は自分のためにその未熟者を救うと?」
少女は言う。
わたしを救うために、シロウを殺さないで、と―――そう言った。
嗤う。
騎士は嗤う。
「ええ、そうよ。
わたしを救って、アーチャー」
少女は臆面もなく言い放つ。
どうしようもなく、唇が皮肉げに歪む。
「ならば衛宮士郎を殺して、その後で君とセイバーを助ける。そういう選択肢も、あると思うのだがな」
無意味だと知りつつ、そんな提案をしてみる。
当然、少女は一笑のもとに切り捨てた。
「そんなのムダじゃない。
セイバーはシロウがいなきゃ、この時代に残る意味はないし、わたしだってそうよ。
最後の場所がココか外か。その違いしかないわ」
少女は断言する。
彼女は自らの救いが、この粗忽者抜きでは成し得ないのだと断言する。
それを、騎士は鼻で笑う。
「その男にそれほどの価値があるとは思えんがな。
聞くがイリヤ、君にとって衛宮士郎とは何だ?」
「宿主よ。
聖杯という拠り所を失ったわたしは、シロウという新たな器に寄生するの」
そう言いながらも、少女には自らを卑下する様子はない。
自らの我侭を欺瞞に思うこともない。
―――ただ純粋にその生を、その幸福を追求する。
歪んでしまった彼には出来ない、どこまでも真っ直ぐな、自然な生き方。
騎士は嗤う。
どうしようもなく、嗤う。
―――それは彼にとってあまりにも馴染んだ、そして同時に、あまりにも馴染みのない感情だった。
彼はいつだって、他人のために生きてきた。
しかしそうでありながら、他人の事情など考えた事はない。そんなものを考えてしまったら最大限は救えない。
やるべき事は抹殺。迅速にして、完膚なく。
ただ多くを救うため、即断をもって切り捨てる。
目の前にある、生きたいという感情を悉く切り捨ててきた。
いくつもの断末魔の叫びを、この身に浴びてきた。
―――それは、守護者になってからも変わらない。
殺戮の対象を自ら考えずとも良くなっただけだ。
―――そう、彼のすることは切り捨てるだけ。
「拾う」のではない。「捨てる」のだ。
なにせその方が効率が良い。
それが最も多くを救う手段なのだ。
―――しかし
「―――懐かしいものだ」
ふと、そんな言葉がもれた。
英霊になる前は、そんな事もあったのだろう。
未だ守護者になる前であれば、掃除屋になる前であれば、そんなこともあった筈だ。
既に生前の記憶などない。
自分に出来ることといったら剣を模造する他ない。だからきっと、自分では大した事はできなかっただろう。
―――それでも、その頃なら拾いあげる事だってちゃんと出来た筈だ。
誰を傷つけることなく、救うことだって出来たはずだ。
―――それを今になって、ようやく私怨を果たせる今になって、そんな機会を再び得られるとは。
どうして、その皮肉を嗤わずにいられよう?
イリヤを切り捨てる―――それは彼には出来ない事。
彼女を切り捨てても、誰も救われない。
彼女を切り捨てる事は、彼の在り方を否定する事。
他者の幸福だけを望んだ、彼の存在を否定する事。
彼女は自らの幸福を盾に、彼に救済を求めてきた。
衛宮士郎がいなければ、この少女には幸福は訪れない―――そんなことはない。
人間は、心というものはそんな純粋ではない。
幾星霜という年月は容赦なくそれを磨耗させ、誓った筈の想いすらも容易く失われる。
―――残ったのは、硝子のような脆い剣。
英霊にまでなった彼ですら、自身に残るものはそれしかない。
少女が衛宮士郎なしで幸福を得られないというのは嘘だ。
彼女が望めば、こんなにも真っ直ぐな彼女が望めば、幸福など自らの手で容易く掴み取れよう。
断言しよう。彼女は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという少女は、衛宮士郎などいなくとも幸福になれる。
―――だがこの少女は、そのきっかけを衛宮士郎に求めた。
―――そこに嘘はない。
たった今、この時この瞬間、目の前の少女は確かに衛宮士郎のために生きている。
衛宮士郎が生きているから、衛宮士郎が生き延びることが出来るから、だからこそ、ただ衛宮士郎のためだけに生きている。
そう、ここで衛宮士郎を救えば、この少女も救われるのだ。
この事実に、どうして嗤わずにいられよう?
「アーチャーは結局お人好しだから、助けられるわたしをほっとけないでしょ?」
少女は笑う。
それはなんと残酷な微笑みなことか。
―――だが、それは事実。
英霊エミヤはどんなカタチであれ、救うことしか出来ない。
「―――今一度問おう。
イリヤ、君は私になにをさせるつもりだ?」
「シロウとセイバーをここから連れ出して。
あ、勿論わたしもよ」
当然の要求だ。
自身の幸福に自らの生命を勘定しない者など、この惚けた二人以外そうはいまい。
「だとしたら、何故セイバーを起こさない。
彼女がいれば、私など必要でないだろう」
イリヤは助ける。
それが自分だ。それ以外の自分はいない。
だが、衛宮士郎を救うことは我慢ならない。
この未熟者を救う―――それだけは、彼の手でやる事は出来ない。
そう思って眠る騎士王を見る。彼女は熟睡中だ。それこそ二度と目覚めぬと感じさせるような深い―――
それで得心する。
「―――なるほど、充電中か」
どうやら、はらぺこ騎士王は空腹で動けないらしい。
魔力の残量が限りなくゼロに近い。
起きているということに使う魔力さえ惜しいのか、ただ自己を現界させることのみに与えられる魔力を使っている。
とても二人の人間を地上まで運べるような状態ではない。
「うーん。それもあるけど、大聖杯が壊れて、わたしの中で帰る場所を無くしたアーチャーを開放する意味もあったかな」
「なんだ、君は私をしかたなしに呼び出したのか?」
呆れつつも安堵する。
少女が狙って自分を呼び出し、尚且つこのような仕打ちをしたのだというのなら、彼も嗤うだけで気がすんだ筈がない。しかしそれが必要不可欠で、かつ不可抗力というのならまだ許せるものだ。
やれやれ―――そう言って嘆息する。
どうやら彼に道は残されていないようである。
―――それともこの事すら抑止力の力なのか。目も当てられないほど愚かな、未熟な過去の自分を抹殺することさえ、彼には許されないのであろうか?
「アーチャーは後悔してるからシロウを殺すの?」
余程不景気な顔をしていたのだろうか、イリヤが不思議そうに問い掛けてくる。
―――なるほど、他人には理解できない感情だろう。
「少し違うな。
私がそれを殺したいのはただの八つ当たりだ」
そう、八つ当たり。
愚にもつかない理想を掲げ。何が出来るでもなく、ただ自滅していく。
そんな自分を見せ付けられて、抱く感情に殺意の他なにがあろう?
「―――わたし、アーチャーの気持ちってわかんない」
ぽつりと、少女が漏らす。
「―――それでいい」
騎士は頷く。
それでいい。そう思う。
死ぬまで裏切られ続け、死んだ後にはその理想にまで裏切られた彼の気持ちなど、誰に解る筈もない。知る必要もない。
これは彼だけが知っていればいいこと。
そして衛宮士郎にだけ突きつければいいこと。
―――ただそれだけの事だ。
「それに、何も今殺す必要もないと思うの」
「ほう、今以上の機会が何時あるというのだ?」
半ば機械的に問い返す。
彼の私怨は果たされそうもない。
最早少女の言葉には何の関心もない。
後は速やかに救済を行い、疾くと失せるだけだ。
―――だというのに、
「わたしはセイバーと契約してるからアーチャーに魔力供給はできないけど、リンならきっとアーチャーと契約してくれるよ」
そしたら、いつでもシロウを殺せるでしょ?―――少女はそんなとんでもないことを言って、無邪気に微笑んだ。
「なっ―――」
絶句する。
それはつまり、彼にもこの時代に生きろということ。
彼女は自分の幸せな日常のために、凛やそして彼までも巻き込もうとしている。
「―――まったく、悪魔か君は……」
暫しの自失の後に、ようやくそれだけの言葉が出る。
唖然として、少女を見つめる。
しかしその言葉に、少女は憮然とした表情を見せた。
「みんな人のことばっかりで、自分で幸せになろうとしないから、わたしがお膳立てしてあげてるだけじゃない」
言いながら、今度はイタズラっぽく微笑む。
それは悪魔というには眩しすぎる笑顔。
―――まるで、悪戯な天使。
「―――いやはや」
堪らず、苦笑した。
確かに少女の言う通りだ。衛宮士郎然り、セイバー然り、自分もまた然り。
―――幸せ。
彼らにとって、それは他者にこそ求めるもの。他者の幸福こそが至福を感じるもの。
そこに自分は勘定されていない。
寧ろ自分を犠牲にするのを善しとするのが彼らである。
それをこの少女は、蹴飛ばしてでも幸せな方向に持っていこうというのだ。
彼らとは微妙に違う。
他人の幸せを望みながら、自己も含めた大団円を描き出そうとしている。
自分の幸せ、それで他人を幸せにしてみせると言ってのけた。
彼らには出来ない、ごく真っ当な、ありきたりの小さな幸せ。
自分と周りの少しだけの、小さな幸せ。
それを望む少女が、悪魔であろう筈がない。
「―――失礼した、イリヤ。
レディ
君は立派な淑女なのだな」
少女は満足げに微笑む。
「それで、どうするのアーチャー?」
決断をせまられる。
―――まったく、してやられたものだ。
赤い騎士はひそかに自嘲する。
まさかこんな幼女に、自らの妄執を一蹴されるとは思わなんだ。
騎士は少女に向き直る。
「―――いいだろう。
契約しよう、イリヤスフィール。
私は此処から君らを助け出し、君はその粗忽者と共に幸福になる。
それでいいのだな?」
騎士は首肯した。
―――それで彼の鬱憤が晴らされるわけではない。
だが、それで誰かが幸福を得られ、その上自分には衛宮士郎を抹殺する機会があるというのが気に入った。
実際にはそのためには凛が彼との再契約を承諾しなければならないのだが、不思議とそれを心配する気は起きない。
自惚れだろうか?
しかしそれもいい。凛が再契約を拒んだなら、その場で衛宮士郎に当り散らせばいいことだ。
騎士は笑った。
ここにきて、彼は初めて笑った。
皮肉な運命に苦笑するでもなく、自らを自嘲するでもなく、ただ楽しいという感情から零れ落ちた笑み。
―――つまり彼は、情けないことに、この少女の思惑に嵌ってしまったのだ。
その事実に笑ってしまう。
少女も笑いながら答える。
「誓うわ。
わたしたちは、絶対に幸せになってみせる」
ここに契約が成立した。
―――赤い騎士は再度現界した。
以下、割と蛇足的なモノを気の向くままに 傾ほのぼの?
だらだらとおまけ/脱出とイリヤと初体験
「―――さて」
契約を胸に刻み、笑いをおさめると、騎士は現状を思い返す。
あまり悠長にしていられない。
落盤は一層激しく、舞い上がる土砂に視界が霞む。
―――どうしたものかな。
転がっている未熟者の頭を蹴飛ばす。
「あ、こら、アーチャー!」
「む、すまん。無意識だ」
助けるとは言ったが、なにも無傷で助かることを保証した覚えはない。
多少手荒になることはしょうがない筈だ。
イリヤは自分と小僧の間に立ちはだかってむーっ!と睨みつけてくるが、とりあえずそれは無視する。
生憎自分の腕は二本しかない。
この場には自分を除いて動けない者が三人。正確には自力で此処から出られそうにない者が三人。
―――助けるとは言ったものの、これをどうやって運んだものか……
考えながらも、瓦礫を払うことは忘れない。
「聞くが、イリヤ。
君自身はどうやって此処から出るつもりだったのだ?」
参考までに尋ねる。
ひょっとしたら脱出用の魔術くらい用意しているかもしれない。
なにせ今まで散々余裕をもって話していたのだ。空間転移は無理だとしても、飛翔や高速移動、擬似空間転移程度の魔術なら期待できそうだ。もし彼女が自力で脱出できるのなら話は簡単である。
だが、少女は―――
「……え? わたし、そんなの考えてないよ。
もともと大聖杯を閉じるつもりだったし、帰りのことなんて考えてないわ」
―――と、アッサリ言ってくれる。
非常に参考になる話である。
つまりは全てが彼次第、というわけだ。
呑気なのか彼を信頼しているのか、イリヤは動揺した様子もない。どちらにしろ大したお嬢さんである。
「……仕方ない……イリヤ、乗れ」
やれやれ、と一つ首を振ってから、その場にしゃがみこんだ。
「え?」
少女は当惑顔だ。
……どうやら解ってないらしい。
「肩車だ。
君を肩に乗せて、二人は担ぐ。
それくらいしか方法はあるまい」
「……え?」
イリヤは躊躇ったまま動かない。
「どうした?
この際文句は無しだ。もっとも衛宮士郎を捨てておいていいのなら話は別だが」
「……え? それはダメよ」
軽口を叩くも、イリヤの反応は鈍い。
騎士は訝しげに少女を見つめる。
「イリヤ?」
少女は固まったまま動かない。
「……なんだ。高いところは苦手か?」
「……」
ふるふると首を振る。
どうやらそうではないらしい。
「……私に触れるのが嫌か?」
「…!!」
ぶんぶんと首を振る。
どうやら激しくそうではないらしい。
かお
少女はどこか不安げな、そしてどこか期待するような表情。
……それで、なんとなく分かった。
「……初めてか?」
「……」
少女は黙って頷く。
―――つまり、肩車のやり方が分からないと。
「―――といっても私も初めてなのだがな……」
「そうなの?」
互いに困惑顔で見詰め合う。
共に如何に殺伐とした人生を送ってきたかが伺えよう。
「―――初めては、シロウが良かったんだけど……」
「―――此処から出たら、好きなだけしてもらえ」
場違いな台詞に呆れながらも、そう言って少女を促す。
そろそろ本格的に危なくなってきた。のんびりとしていられるのも、ここまでだ。
ようやく、イリヤは恐る恐るといった感じにこちらの頭に手をかける。
「シロウには内緒よ。
きっと嫉妬しちゃうから」
「わかった、わかった。早く乗れ」
「はーい」
うんしょ、と―――そんな可愛らしい声を上げて跨る。しかし、落ち着かないのか、何度もモゾモゾと位置を調整する。
「ん〜、―――いたっ。
もうっ、アーチャーの頭ってなんでこんなにツンツンしてるの?」
どうやら座り心地が気に入らないらしい。
髪をひっぱたり、撫でつけたり、好き勝手やってくれる。
「―――む、そんなことよりイリヤ。君の着ているものは何だ?」
頭の上から文句を言ってくる少女からは、微かな違和感。
まるでライダーの瞳に睨まれたような、それほどの重圧を感じる。
「え、コレ?
ヘブンズ・フィール
これは “天のドレス” 今回の聖杯の飾りみたいなものよ。
ちなみに人間が触れたら黄金になっちゃうんだけど、アーチャーなら大丈夫よね」
またも、あっさりととんでもないことを言ってくれる。
これほどの魔術兵装なら、ランクが一つ二つ下がってもおかしくない。
「―――凛には見せるな。取られるぞ」
とりあえず、後々最も危険になるであろう事を忠告しておく。
この場から離脱するのに、この程度の制約なら制約のうちに入らない。
この身は英霊。
不可能を成し得た奇跡の結晶。
たかが三人を運ぶだけのことになんの問題がある?
「そうね、リンには気をつけなきゃね」
ましてや、この肩に乗る少女を見ろ。
そう言って笑い。いつもとは違う目線にはしゃいですらいる。
この状況にあって、自分が助かることを微塵も疑っていない。
その期待に応えられなくて、なにが英霊だ。
未熟者を左手に、セイバーを右手に抱えて立ち上がる。
―――こいつを黄金バットにして振り回した方が楽そうだ。
一瞬、そんな素敵な考えが浮かんだが、それは黙っておくのがいいだろう。
肩の上の少女に声をかけて、走り出す。
「―――とばすぞ。振り落とされぬようしっかりと掴まっていろ」
「え?―――きゃあ」
走り出すと同時に少女の悲鳴。
それも当然。フロントガラスのないオープンカーに時速50キロで乗り込むようなものだ。その上乗り心地は最悪。上下左右、引っ切り無しに激しく揺れる。
ジェットコースターなどの比ではない。
跳躍、落下、落盤を避けるために急ブレーキ、急加速。左右に蛇行し、降りかかる土砂を投影した剣によって切り払う。
「きゃーっ、きゃーっ、こらっ、アーチャー止まりなさい」
「無茶を言うな。これ以上此処にいては、本当に生き埋めになるぞ」
騒ぐ少女に、つとめて冷静に返す。
とっくに埋まっていた入り口は、偽螺旋剣を蹴飛ばして破壊。
最後まで、ノンストップで駆け抜ける。
この身は英霊。
不可能を成し得た奇跡の結晶。
そうして無事、全員脱出できましたとさ。
―――ま、つまり。
アーチャーは好きな子にはイジワルだというお話。
ずるずるとおまけ2/再契約
明け方に近い寒空の下、夜の街を疾駆する。
両手にはボロボロの半死人。肩の上の少女は半べそ。
人影がない時刻なのは幸いだ。
それでも、新聞や牛乳配達等、早朝から職務に励む連中もいる。なるべく人目につかなそうな所を選んで走る。
程なくして、衛宮邸に到着した。
塀を乗り越え直接縁側から進入するも、屋敷の主がいるからか警報は鳴らない。
―――それとも自分に敵意がないのか。
その可能性に思い至って苦笑した。
―――凛と再契約できたなら、暫くは成り行きに任せるのもいいか。
聖杯戦争中は、訪れた機会に興奮して、焦り。失った機会に苛立った。それなのに今は驚くほどに余裕がある。
自分は思っている以上にイイカゲンなのかもしれない。
二人を縁側に下ろし、一人を放る。
「どうしてシロウだけボロボロなの?」
その途端、イリヤが半眼で睨みつけてくる。
彼女の言う通りで、イリヤ、セイバーに関しては多少埃を被った程度、擦り傷一つない。それにも関わらず、衛宮士郎ときたら打撲や痣やらで斑模様になっており、かなり酷い有様だ。
「ああ、これは抑止力のせいだろう。
全員同じように運んできたというのに、面白いものだな」
半ば本気でそんなことを言う。
もはや小僧の事などどうでもいい。
今は他に為すべき事がある。
イリヤは諦めたような、ため息を一つ。
「……で、リンはそんな所で何してるの?」
少女の視線の先には、懐かしき我がマスター。
彼女がいるというのに、どうして衛宮士郎の事など気にかけていられよう?
「え? え、えっと。士郎を助けに行こうと思って、それで……」
そう言いつつも、視線はイリヤの方に向いていない。彼女の目に映るのは、イリヤの傍らに立つ、赤い騎士。
「そう。もうその必要はないわよ。
シロウはちゃんと連れ出してきたから」
「……え、ええ、そうみたいね」
少女は茫然自失としている。
当然だ。彼が此処にいるとは夢にも思わなかっただろう。
苦笑しつつ、いつものように、なんでもないように話し掛ける。
「元気そうでなによりだ、凛」
「……アーチャー?」
「む、寝ぼけているのか、凛。
私がセイバーやライダーに見えるかね?」
「見えない、全然見えない」
ぶんぶんと首を振る我が元マスター。
いや、珍しいものを見た。
突発的な出来事に弱いと思っていたが、ここまで我を忘れるのも珍しい。
「―――どうでもいいが凛、年頃の娘が口を開いたまま呆けているというのは如何なものかな」
それでようやく我に返ったのか、出会った時のように、挑戦的な視線でこちらを睨みつけてくる。
「―――あんたこそ、こんな所で何してんのよ」
「即席の使い魔というやつだ。
そこのそれを運ぶのに借り出されてね」
「へ、へー、そう。
それで、その運び屋さんはこれからどうするつもりなのかしら?」
虚勢を張っているつもりなのか、腕を組んであさっての方向を向く。
うわずった声なのを自分でも自覚しているのか、ほのかに顔が赤い。
その様子に、思わず笑ってしまう。
彼もつい、いつもの調子で軽口を叩く。
「いやなに。君が私の助けを必要とするとは思えんが、
茶坊主の一人くらいは、いても良いのではないかと思ってね」
そう言うと、彼女は慌てた調子で、
「―――ま、紅茶を淹れる腕だけは最高だしね」
しょうがないわね―――そう言って、そっぽを向きながら了承してくれた。
互いに相手の顔を見ずに、笑い合う。
この遣り取りの、なんと彼ららしいことか。
「二人とも素直じゃないのね」
呆れたような、イリヤの声。
まったくだ。
苦笑する。
ああ、イリヤ。君はこんな大人になってくれるなよ。
「―――それじゃあ、契約しちゃいましょうか。
何事も、最初が肝心だしね」
笑いをおさめると、少女は詠唱を始める。
相変わらず、マイペースなマスターである。
なんとも頼もしいことだ。
「―――告げる。
汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に、聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――」
「ちょっと待て、凛」
「む、なによ」
契約の祝詞を妨げられて、少女は不快そうだ。
―――だが、その言葉には従えない。
彼が従うのは、そんなモノではない筈だ。
「なんだその『聖杯のよるべ』というのは。
私はそんなものに従うつもりはないぞ」
「―――へ?」
少女はキョトンとした顔をして呆け―――、
「―――そっか」
―――そう言って、極上の微笑みを見せた。
「そういうことだ」
騎士はぶっきらぼうに答える。
それを見て少女はどうしようもなく可笑しくなってしまう。
彼は変わらない。彼は紛れもなく彼女のアーチャーだ。
「アーチャー、アンタやっぱり最高よ」
「―――当然だ。誰が私を召還したと思っている」
誓おう。
制約を此処に、
絆を言葉に、
少女は謳う。
「―――告げる。
汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に、我がよるべに従い、この意、この理に従うのなら応えよ。
誓いを此処に、
我は常世全ての善と成る者、
我は常世全ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より出でて我に従え、ならばこの命運、汝が剣に預けよう」
騎士は謳う。
「我と汝の名において誓いを受けよう。
―――凛、君をマスターと認める」
―――アーチャーは、此処に現界した。
どろどろとおまけ3/だって遠坂だもんっ
「凛、すまんが魔力が全く流れて来ないのだが……」
「しまった! ごめんアーチャー、傷直すのに魔力使ちゃって今空っぽだわ!」
「……凛……」
「だ、だめよアーチャー! 我慢して! ほら単独行動のスキルでなんとかして!!」
「……さて、どうしたものか」
「わ、わたしが回復するまでにいなくなったら許さないんだからっ!!」
「わかった、わかった」
「……台無しよね」
「そう言ってくれるな、イリヤ……」
「〜〜〜っ!!」
ねちねちとおまけ4/versus?
士郎、お目覚め後。
「……」
「……」
「……なんでおまえが此処にいる」
「見て分からんか? 横暴なマスターに餌付けの準備だ」
「そうじゃなくて、なんでおまえが現界してるんだよ?」
「知れたこと。召還された他あるまい。ちなみにセイバーとおまえをわざわざ大空洞から連れ出してやったのも私だぞ」
「……」
「つまり、おまえは私に二度助けられたことになるな」
「二度ってなんだよ」
「やれやれ、物覚えの悪い男だ。
腕を貸してやったのを忘れたか?」
「む」
「別に借りを返せとは言わんが、礼の一つでも言ってみたらどうだ?」
「……おまえこそ、感謝してもらいたいな。今の自分があるのは俺のおかげですって」
「ほう、貴様のような小僧などいなくとも、誰に支障があると思えんがな」
「……やってみるか若白髪」
「言ったなチビスケ」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「まったく、なんであの二人ってあんな仲が悪いのかしら?」
「さあ、何か相容れないものでもあるんじゃない?」
『くっ、シロウとアーチャーが双方共に食事を作ったのだとしたら、私はどちらを選べばいいのだ?』
「ねえねえ、さっきからマスターとかショーカンとか言ってるけど何?」
「……え? え、えっと……姉さん?」
「スラングです。わたしも意味はわかりませんし、藤村先生が知る必要もないと思います」
「へー、士郎ってばそんな言葉使ってるんだ。
む、よろしくないわね。アーチャーさんにも止めて貰わないと」
「同感です。私からも後できつく言っておきます」
「よろしくねー」
『確かに、料理の腕ならアーチャーの方が僅かに上。しかし士郎の作った料理を断るなど、私には出来ない!』
「それにしても、シロウとアーチャーって同じ……ような人でしょ? 仲良くなってもおかしくないと思うんだけど」
「んー、同類嫌悪っていうか、ほら不倶戴天ってやつ?」
『あらミストオサカ、お金に困っているのならワタクシつきのメイドにしてあげてもよろしくてよ四番街のしみったれた悪趣味カフェのウェイトレス一年分の月給は保証しますわオホホ』
「ん、なんか今わたし知らない人の声が聞こえた気がするんだけど、何故か納得できるような……?」
「タイガも? わたしもなんか納得できちゃうんだけど……」
「……私もです」
「? みんなして何よ?」
「セイバーは?」
『……ああ、そうか。両方食べてしまえば良いのですね。いえこれは決して私の食い意地が張ってるのではなくせっかく二人が作ってくれた料理のどちらかを選ぶなどという事は失礼にあたるのではないかというのであって二人がこのまま競いあって食事を作ってくれればいいなどとは決して思ってませんともとも……』
「セイバー、なに一人で嬉しそうにしてんのよ?」
「いえ、シロウがアーチャーと切磋琢磨してくれるのなら、彼の成長にとって良い刺激になると思っただけです(きっぱり)」
「「「「?」」」」
トレース・オン
「「――― 調理、開始!!!―――」」
衛宮家は、今日も平和です。
後書き代わりの次回予告
桜「ら、ライダー。
せ、先輩に私の淫夢を見させることできないかな…?」
蛇「サクラ。
そのようなことで手に入れた愛にどんな意味があるのです?」
桜「え?」
蛇「愛とは互いに歩む中で育むもの。
魔法によって手に入れた偽りの愛は容易く瓦解してしまうものなのですよ」
桜「ご、ごめんなさい、ライダー、わたし…ぐす」
蛇「いいのですよ、サクラ。
貴女は貴女自身の力でもって士郎の愛を勝ち取りなさい。
大切なのは心です。それを忘れないように」
桜「ライダー…」
凛「あ、ライダー。
今週分の輸血パック、ココに置いとくから」
蛇「ありがとうございます、リン。
では、いつものように」
凛「よろしくー♪」
桜「………え?」
次回 君の幸せ 第三回
「クスクスと笑ってゴーゴー」
お願いですから、お楽しみに!!