Re-Conquista……Salida(再征服、開始)
「本当に、此処なのか?」
月夜が照らす深夜、男は目の前を向いたまま訪ねた。
「然様。此処が、我らが辿り着くべき場所にござります、我が主」
別なる声が答えた。その古めかしい言い方に、男は苦笑しながら、持っていた煙草を咥えた。吸いながら、やはり煙草はハバナのものに限ると、ほくそえんでいた。
「此処に俺と同じ奴が六人―――と、紛い物が一匹いるわけだな」
「御意」
「七人の魔術師、七つのクラス、それぞれ七組の最後に生き残った奴だけが、その聖杯とやらをお目にかける事が出来る。そして、聖杯にはすべてを叶える力を持つ……」
「然り」
「それがこの街のどこかにある。最初に、お前の話を聞いたときは、うそ臭いと思ったけどな」
「して、いかがするか?」
「下見だよ、下見。そのついでに、コイツをばら撒けば、一石二鳥。うまくいけば、他の魔術師も引っかかると思うけどな」
そう言って、男は、鞄の中から何かが入った袋を取り出した。しかし、周りが暗いせいで、何が入っているかはわからない。
「では参るか、我が主」
「勿論だ。まずは、お前の紛い物から、見つけ出すぞ」
「御意」
その日、冬木市は、これまでにないほど気温が低く、吹き付ける風も強かった。
外を出歩くものは、皆同じようにして、コートの襟を立てたり、マフラーを何重にも巻いて寒さを凌ごうとしていたが、それでも“寒い”」と言う声は耐えなかった。
冬木市は、大きく分けて二つの区域からなっている。昔ながらの街並みを残す深山町と、開発の進んでいる新都の二つが、川を隔てて、冬木市という一つの街を形成しているのだ。
特に深山町は、外国からの移住者が住んでいた洋風建築の住宅地と、山を背にする和風建築の住宅地の二つからなる。
さて、話は後者の住宅地にある武家屋敷―――と言っても、住んでいるのは、その血筋の人間ではないのだが―――から始まる。
「うわっ、やっぱり寒いな」
玄関を開けて開口一番、衛宮士郎は、やはり他の者たちと同じ感想を述べた。普段、冬木市の冬、特に2月は比較的暖かいのだが、それでもこれは寒すぎる。
「どうかしましたか、シロウ?」
振り返ると、清楚な服を着た金髪の少女が、首を傾げている。
「いや、いつもに比べて気温が低かったから、思わず言っただけさ。セイバーこそ、寒くないか?」
はて、この少年、奇妙な名前を口にした。少女は何処からどう見ても、日本人のそれには見えないから、洋風の名前だと言うのはまだわかる。
しかし、「セイバー」と言えば、武器、それも剣の名前ではないか。そんな珍妙で物騒な名前が、この少女に似合うはずもない。
「いえ、家の中は比較的暖かいですから。シロウこそ、体に異常を感じていませんか?」
「いや、俺は大丈夫だって。確かに寒いけど、注意していれば、そう簡単には、風邪を引かないから」
「なら、良いのですが」
そこで一旦、少女は言葉を切る。しばらくして、少し顔をしかめて見せて、またしても口を開く。
「マスターたるもの、自分の体調管理には充分に気を引き締める事。でなければ、いざ他のマスターやサーヴァントに襲われたとき、体調が良くない事は、致命的な障害になりかねない。特にシロウ、あなたは魔術師としては……」
「わ、わかったわかった! とにかく、俺の事は大丈夫だから、心配しなくてもいいよ。それじゃ、何かあったときは呼ぶから」
「くれぐれも、寒さに気をとられぬように」
セイバーに釘を刺され、士郎はそそくさと、家から出た。
実を言えば、士郎は魔術師―――と言っても、空想小説や伝説の類には程遠い、見習いと呼ぶにも及ばないが―――なのである。
先ほど、セイバーが言った“マスター”だの、“サーヴァント”だのといった言葉は、まずこの冬木市で起こっていることから説明しなくてはなるまい。
この冬木市には、あるものをめぐって行われている「儀式」が存在する。
その名は“聖杯戦争”。手にしたものの願いを叶えるという聖杯。それをめぐって、万人の目には触れぬところで、「儀式」と言う名の「争い」が続けられている。
その「儀式」には、少しばかり変わった特徴があった。それは、聖杯に選ばれた七人の魔術師(マスター)に、聖杯が選んだ七騎の使い魔(サーヴァント)が与えられると言うものだ。
サーヴァントの役割(クラス)は、それぞれ、
騎士“セイバー”
槍兵“ランサー”
弓兵“アーチャー”
騎兵“ライダー”
魔術師“キャスター”
暗殺者“アサシン”
狂戦士“バーサーカー”
と、いう風にわかれている。
マスターには、これらの内一つのクラスの使い魔と契約し、自分が聖杯にふさわしい事を証明する。
すなわち、他のマスターを始末して、自分こそ最強であると示さなくてはならないのだ。たとえそれが、自分の身内や知り合いを手にかけることになるとしても、だ。
衛宮士郎は、その中で最強と言われているセイバーのサーヴァントを―――ほとんど、偶発的にだが―――呼び出し、契約した。
ところが、士郎には、魔術師にとって重要なものである魔術回路と言うものを持っていなかった。
正確に言えば、士郎は元々衛宮家の実子ではない。幼い頃に火災で両親を失った士郎を、衛宮切嗣なる人物が養子として迎え入れたのだ。
この衛宮切嗣は、彼を引き取る際、自分を魔術師だと名乗った。それは決して間違いではなかったのだが、ともかく、切嗣の養子となった士郎は、養父と同じように魔術を習った。
彼が魔術を習う事に養父は反対であったが、士郎はそれをおしきって習ったのだが、今になっても魔術は上達せず、出来る事と言えば、物体をより“強化”させる魔術ぐらいで、養父もすでに他界している。
それはともかく、士郎はセイバーのマスターとなったのであるからして、その日から日常生活と言うものが、まったくと言っていいほど変わってしまった。
が、しかし、それを此処で語るのは野暮と言うもの。ともあれ、士郎は、己の意志とは関係なく、聖杯戦争に巻き込まれたのである。
教室へ入ると、朝のホームルームまであと2分と言うところであった。
チャイムが鳴り、生徒たちが各々の席に着くと、廊下からなにやら走ってくる音がする。が、士郎を含めた生徒たちは、それが何であるかは承知済みである。
丁度その音の正体はチャイムが鳴り終わると同時に教室のドアを空け、滑り込むようにして、教壇に立った。
「よーし、今日は早く来たぞー!」
ホームルームまで、まだ5分もあるというのに、その人物はやってきた。もっとも、他の教師にとっては、これが当たり前なのだが。
(おっ、今日は随分と早いんだな、藤ねぇ)
藤ねぇこと、藤村大河は士郎のいる2年C組の担任であり、士郎とは、切嗣の養子になる以前からの知り合いである。
今年で二五になるというのだが、何と言うか、色々な意味で大人気ない大人なのである。どのあたりが、と問われれば、士郎の家に朝夕の食事をたかりに来たりするあたりだとか、やけに子供染みたところがあるとか、そんなところである。
ちなみに、家は地主で極道であり、タイガーと呼ばれると怒る。おまけに、弓道部の顧問で、剣道五段の腕前を持つものだから、舐めてかかると痛い目を見る。
さて、ホームルームが始まり、いつもの通り、一間目開始ギリギリまで話すかと思われていたが、今日は違った。
「いきなりでちょっと悪いんだけど、明日、午後から厚生局の方が、薬物乱用に関しての講演会に見えるから、そのつもりで。じゃっ!」
それだけでホームルームは終わり、藤村は教室を出て行った。後には、余りの早さに、ポカンとしている生徒が残されているだけであった。
「何か、今朝のホームルーム、かなり早く終わったよな」
「うむ。いつもの藤村先生にしては、大病かと思うぐらい、迅速であった」
昼時になって、生徒会室にて士郎は、友人で生徒会長の柳桐一成と食事をしながら、今朝の事について話していた。
一成は、柳桐寺という寺の跡取り息子で、そのためか、時折、時代がかった口調で話すことがある。もっとも、それに関しては、誰も咎めようなどとはしないのだが。
「それにしても、いきなり明日の午後に講演会だなんて。一成、何か聞いていないのか?」
「一週間ほど前から、職員室の方で夕方の職員会議で何かを話し合っていたと言う事は知っているのだが、その内容までは俺も知らん。それにしても、急だ。普通ならば、2,3日前に連絡があると思うのだが」
「まぁ、別に害になるわけじゃない。むしろ、俺たちにとって為になるんだから、別にいいんじゃないのか?」
「それは、そうかも知れんが……」
釈然としない顔で、一成は言葉を濁した。実を言うと、士郎も納得しきれておらず、夕食のときにでも藤村に問い質してみようと思っていた。
放課後、特にすることもなく、真直ぐ家に帰ろうとした士郎は、和風住宅地と洋風住宅地、それに新都へ向かう方面に分かれる十字路で、おろおろしている男に出くわした。
よくよく見てみると、東洋人らしいのだが、それにしてはバタくさい顔だと思い、その男に声をかけた。
「どうかしましたか?」
士郎が声をかけると、男はビックリした様子で振り向き、士郎の頭部からつま先まで値踏みするように見ると、ホッとした表情で口を開いた。
「すいません。実は、オテルに行こうとしていたのですが、道がまったくわからなくて、困っているんでス」
オテル、と言うのは多分、ホテルの事であろう。訛りはあるがしっかりしている日本語で、男は道を尋ねてきた。
「すいませんが、そのホテルの名前、教えてくれませんか」
「あっ、はい」
慌ててポケットからメモ帳を取り出し、男は士郎に提示して見せた。そのホテルは、たまに訪れる観光客が利用しているホテルで、士郎も何度かそのホテルの前を通った事はあった。
「地図、書いてあげましょうか?」
「もちろんデス!」
やけに明るい声で男は答えた。ホテルをオテルと発音している辺り、どうやらラテン系のようである。とすれば、南米から渡ってきた日系人であろうか。
メモ帳に、今いる場所からホテルまでの道筋を簡単に記し、ペンと一緒に男に返した。
「お役に立てましたか?」
「オゥ、グラシアス! アリガトゴザイマス! また今日も、野宿するかと思いマシタ!」
そう言えば、男の服装といい顔と言い、何処となく汚れている。少なくとも、昨日、この冬木市にやってきたはいいが、深山町から入ってきてしまい、ホテルまでの道がわからず、途方にくれていたのだろう。
「いえ、当然のことをしたまでですから……ところで、一つ聞きたいんですが」
「ナンデスカ?」
「ひょっとして、南米の方でしょうか?」
「オゥ、その通りでス。私、フランシスコ権堂、言います。ペルーから、やって来ました」
やはり、士郎の読みは当たっていた。フランシスコと言う名前と言い、ホテルをオテルと発音した事や、グラシアスと言うスペイン語から、そうではないかと思っていた。
「俺は、衛宮士郎と言います」
「エミィーヤシルォウ?」
その余りにもスペイン語と言うか、ラテン語系の発音に思わず吹き出しそうになった士郎は、はにかみながら訂正した。
「いや、そうじゃなくって、エミヤシロウ」
「オォ、ごめんなさい。お礼に、何か渡そうかと思ったんですが、こんなものしか」
と、フランシスコがポケットに手を突っ込み、何かを握って、士郎に手渡した。
「何ですか、これ?」
「私のお守りです。それ持っていると、いつか幸福にめぐり合うヨ! グラシアス、アディオス・シルォウ!」
士郎がそれを返すよりも早く、フランシスコは大きく手を振りながら足早に、その場から離れた。おまけに、発音はまったく直っていなかった。
「あっ、ちょっと……」
士郎が止めるのもむなしく、フランシスコは新都の方に向かって、ステップをしながら歩いていった。
「行っちゃったな……どうしようかな、これ?」
渡されたものをよく見てみると、それは何かのバッジらしく、一瞬浮き彫りにされた猿が笛を吹いてるかのように見えてしまったが、よくみると笛の先からは煙が出ているらしく、それは煙草を吸っている猿を浮き彫りにしたバッジだと判明した。
「変なバッジ……まあ、いいか。またあったら、その時にでも返せばすむことだし。っと、随分時間を食ったな。急いで、晩飯の支度をしないと」
日が沈みかけている事に気付いた士郎は、急いで家への道を駆け上った。その際、何かの視線らしきものを感じたが、振り返ったときにはその気配は消えていた。無論、遅れた事で、セイバーに小言を貰ったのは言うまでもない。
士郎が動き出したのを遠目に見ている存在があった。
「魔術回路と呼べるものはないが……どうやら、あれもマスターらしいな。まさか、我が主と同じマスターがいるとは」
そのサーヴァントは、霊体化している事をいいことに、道の真ん中に出て、士郎の行った先を見た。
「しかし、紛い物と判断するには早計過ぎる。此処は一つ、様子見と行くか」
サーヴァントは、士郎の家のほうへ向かおうとはせず、高く上昇すると、そのまま何処ともなく、消えてしまった。
後述
あえて、オリジナルを絡めて見ることで、各々方の反応を見る。
文句その他の類は受け入れるが、あくまでも、IFの一つとして見てくれれば、それでよい。
決して、Fateを侮辱するような書き方は、一切しない方向で続ける。
その夜、新都の裏路地にて……
「よし、グラム七千で売ろうじゃないか」
「高い。五千だ」
なにやら、怪しげな風貌の男たちが、取引めいた事を口走っている。片方はイラン系の小男、もう一人は顔はよく見えないが日本人のようだ。
「こっちだって商売なんだぜ、アフマド。六千五百」
「まだだ。五千五百まで下げろ」
「おいおい、アフマド。俺のビジネスは破格の値段で、上等な物を売るんだぜ。これだって、カルテルの連中を通したら、七万かそこらはするぜ」
「……六千五百で、300グラム買おう」
取引は成立したらしく、男が何かの入った布袋を、アフマドと呼ばれたイラン人に手渡すと、厚い札束が男の懐に押し込まれた。
「全部旧札で、200万ある。これで、良いか?」
「オーケー、オーケー。これで取引は成立だ。わかっちゃあいると思うが……」
「お互い顔も知らない。名前も知らない。会ったこともない。そうだろ?」
「そう、俺とお前は赤の他人。俺はお前になーんにも売ってないし、俺もなーんにも受け取っていない」
「ありがとう、トウドウ。これで、ガキどもに売りつけることが出来る」
布袋を大事そうにトートバッグの中に入れ、アフマドは駅に向かって歩き出した。
その様子をしばらく見ていたトウドウは、シガーケースから煙草を一本取り出し、ジッポで火をつけて、深く吸い込むと、背後から出てきた人相の悪い男たちに声をかけた。
「喋りそうになったら、ばらせ」
無言で男たちはアフマドの後を尾け始め、最後の一人が見えなくなってから、トウドウは誰もいないはずの空間に声をかけた。
「どうだった?」
「一通り、冬木市の様子を見てきた。そのうち、確認できたのは4人だけ」
誰もいない空間に、よく通る低い声が返ってきた。声の主は、誰もいない事を確認するような気配を見せてから、実体化した。
まるでヨーロッパ貴族のような風体をしているが、腰に2本ずつ携えられたレイピアと羽根帽子の下から見える眼光が、人間ではない事を示している。
彼は、トウドウのサーヴァントであった。
「ほぉ。で、紛い物は?」
サーヴァントは、トウドウの問いには答えず、順を追って自らが探してきたマスターについて話し始めた。
「まず、郊外の森の洋館に住むアインツベルンの娘。結界から離れて観察しておったが、中々の魔力で」
「アインツベルンってのは何だ?」
「この聖杯戦争をこしらえた魔術師の家系の一つ、もっとも、現在ではマスターとしての一魔術師にまで身を貶めておるが」
「ふぅん、そうなの。で、二人目は」
「魔術師の家系の人間なのだが、どうやら魔術師としての血は絶えたようだ」
「魔術師の血って、絶えることがあるのか?」
これはトウドウも初耳であった。彼のサーヴァントの話では、魔術師の家系は代々、魔術回路が形成されているのが普通だと、聞いていた。
「その土地柄に合わなければ、魔術師としての力は衰える。やがて、何代目かの時に魔術回路は消え失せる。そういう摂理である」
「何だ、魔術師も全能ってわけじゃないんだな。ほい、3人目」
「……3人目のマスターは、相当な実力者のようだ。何せ、探ろうとしても、向こうが拒否してくるほどだからな」
「そいつが、お前の紛い物じゃねえのか?」
「それは、早計と言うものであるぞ、主。ともかく、アインツベルンの娘と3人目は注意したほうが良い。なんであれば、今すぐにでも……」
「おいおい、待てよ、お前。4人目はどうした?」
「さほど注意すべきではないので、放っておいても良いかと」
「はぁ? どういうこった、それは?」
トウドウが疑問に思うのも無理はなかった。何故か、彼のサーヴァントは4人目に関しては、言うのを渋るかのような表情になっていたからだ。
「あまり、言うほどでもないのだが……4人目は、マスターでありながら、貴方と同じです」
「それってつまり……」
「然様。4人目には魔術回路が元々存在していない。故に、他のマスターに処分を任せても良いと思うのだが……」
と、サーヴァントが目を向けてみると、トウドウは煙草を指に挟んだまま、ブツブツと何かを呟いていた。そして、苦虫を噛み潰した表情になり、さらに凶悪な本性の出た表情で、彼のサーヴァントに顔を向けた。
「おい、お前、今からそいつの家に行ってこいや」
「む? 何か、思い当たる事でもあったか?」
「思い当たるも何も、俺の勘じゃ、そいつが紛い物に違いねえ。うん、絶対にそうだ。俺の勘が外れた事は、今の今まで、一つもないからな」
トウドウが自信満々に言って見せると、彼のサーヴァントは口元を覆い隠すほどの髭を撫でたかと思うと、呆れたような表情を見せた。
その表情に、トウドウは、あからさまな不満をぶつけた。
「何だよ、勘だけじゃ頼りないって言うのか?」
「確証が無いのだよ。私が英霊になる以前も、ある探検家がインドまでの航路を探して新大陸を発見したのだが、その当時でさえ、そんなものがあるという確証などなかった」
「結局、そいつは発見したんだから、良いじゃねえか。結果さえ良ければ、確証なんかどうだって良いんだよ。お前だって、そうやって征服者になったんだろ?」
「まあ、否定はせんがね。私もあれを見つけるまでは、半信半疑であったからな」
「だったら、そいつの家に行ってこいよ。それでどっちが紛い物か、白黒はっきりさせればすむ事じゃねえか」
「単独行動は、本来アーチャーの領分なのだがね。致し方あるまい」
サーヴァントは首を何度か振り、トウドウに背を向けると、霊体化して視界から消え、夜の帳の中に溶け込むようにして消えていった。
「さてと、こっちはこっちで、ちょっくら豪勢に何か食うとするか」
そうしてトウドウは、煙草を投げ捨てて踏み消すと、表通りに向けて足を運んだ。表へ出た途端、仕事帰りのサラリーマンがギョッとした表情で出迎えてくれた。
「おっと、ごめんよ」
片手を挙げて颯爽と去っていくトウドウが前を通ったとき、ふと、サラリーマンは妙な臭いを感じた。それは、彼の脳内で軽い刺激となって現れた。
「藤ねぇ、今日は晩飯いらないって?」
「はい。部活の帰りに呼び止められて、先輩にそう伝えるように言われたんですけど……」
後輩の間桐桜に、その旨を聞かされた士郎は、持っていた小あじの入った包みを落としそうになった。今日のメニューは、小あじのから揚げをメインにするつもりである。
桜は、今はあまり良い関係とは言えないが、士郎の友人である間桐慎二の妹で、朝晩とちょくちょく食事の手伝いに来る事があった。最初は、桜が士郎に料理を教えてもらっていたのだが、今では程なくこなせるまでになっている。
「それじゃあ、ちょっと小あじが余るかもな。残った分は、明日の弁当にでも回すか」
「そうですね。とりあえず、明日、藤村先生に渡す分はとっておきましょうか」
そう言って桜は、保存用の真空パックに小あじを数匹入れて袋の口を閉じると、それを冷蔵庫にしまった。
「から揚げのほうは俺がやるから、桜はゴマ和えをやってくれないかな?」
「はい、わかりました」
笑顔で桜は応じる。その姿に、一瞬士郎はたじろいだが、すぐに気を取り直して、小あじを下ろしにかかる。昨日、いつも利用している魚屋で、丁度良い値段で売られていたため、少し多めに買ってきたのだ。
今日のメニューは、小あじのから揚げとほうれん草のゴマ和えのほかに、学校への出掛けに砂を吐かせたアサリとたまねぎ味噌汁がつく。
セイバーの方はと言うと、魔力の消費を抑えるために、道場で正座をしている。もっとも、昼間はほとんど寝ているので、起きている分、消費量は増えているのだが。
「あれ? 今日は藤村先生はいないの?」
小あじに片栗粉をまぶしていると、後ろから、士郎にとってはあまり聞きたくない声が聞こえてきた。
「ああ、何か明日の事についてでも、職員会議があるんだろ」
「そう。まあ、あの人なら襲われる事はないでしょうけど」
確かに、彼女の言うとおりだと、士郎は思った。どんなに悪質な変質者だろうがなんだろうが、藤村とまともに向かい合って、勝てるはずがないからだ。
「で、遠坂、お前暇だったら、何か手伝えよ」
「あら、そんなこと言ったって、もうほとんど終わってるじゃない。何なら、セイバー呼んで来ましょうか?」
その言葉に、何か別の意味が含まれているような気がして、士郎は毒づいた。
「遠坂、お前、何か言いたい事でもあるのか?」
それに対し、遠坂凛は、士郎がどんな事を思ったかを見透かしたかのような笑みを浮かべて、
「別に。ただ、邪魔しないほうが良いかなっと思って」
そう答えて、士郎が微かに赤くなる前に、凛は道場へと向かった。
「せ、先輩、どうか、しましたか……?」
振り返ってみると、桜が不思議そうな表情で自分の顔を見ている。それをかき消すかのように、士郎は天ぷら鍋に目を戻した。
「い、いや、何でもない。から揚げは後で持っていくから、他のおかずを頼む」
「はあ……?」
首をかしげて一応の返事はしたものの、桜は疑問が拭いきれなかったが、道場のほうから二人分の足音が聞こえてくると、てきぱきと味噌汁の入った鍋を食卓の上に置いた。
藤村がいないため、食事は黙々とすすんだ。元々、4人とも喋るほうではないので、当然と言えば当然なのだが。
食事の後片付けを終え、桜を家に帰してから、士郎は自室へ戻る手前で、凛に呼び止められた。
「衛宮君、ちょっと話があるの。セイバーも」
なにやら深刻そうな表情で、凛は言った。3人とも居間に入り、食卓を囲んで腰を下ろすと、凛が口火を切った。
「衛宮君、最近、妙な気配を感じた事はない?」
妙な気配。そう言えば、と士郎は思い出し、帰宅途中の出来事とその後の誰かに見られている気配について語った。
「道に迷っていた南米人ね……そっちはまだ何とも言えないけど、衛宮君が感じた気配って言うのは、サーヴァントで間違いないわね」
すると、やはりあれはサーヴァントのものであったのか。だとしたら、それはアサシンかランサーか、それとも―――
「でも、そのサーヴァントは、外から入ってきたみたいよ。それも、ここ最近に」
「ちょっと待ってくれ。確か、サーヴァントは7人いるはずだ。それなのに、8人目がいるなんて―――」
「そう。普通なら8人目のサーヴァントがいるなんて有り得ない事。しかも、アサシンでもキャスターでもないとしたら、それは間違って呼び出された可能性が高い」
「間違って呼び出された?」
「つまり、その英霊が本来サーヴァントとなるはずの聖杯戦争から、遅れて、或いは早すぎて呼び出されたと思うの。要するに、ダブりってわけね」
「そんなことがあるのか?」
「もちろん、確証があって言っている事じゃないけど、少なくとも、今回はそのサーヴァントを選ぶはずの聖杯がミスをした。矛盾しているかもしれないけど、世の中、絶対ってことは有り得ないからね」
そこで一旦、凛は黙り込んでしまった。彼女はアーチャーのマスターであり、そのアーチャーのサーヴァントはセイバーに殺されかかったのだが、訳あって今は協力関係を結んでいる。今は、外で見張りを努めているはずだ。
と、急に何かが鳴るような音がした。それは、この屋敷に施された警報のようなもので、侵入者があった場合にのみ発動するものだ。
「遠坂……!」
無言で凛は頷き、いつの間にか鎧を纏っていたセイバーも連れて、士郎は庭に出た。瞬間、何か奇妙な臭いが彼の鼻をくすぐり―――
「あ……れ……?」
「この……臭いは……!」
どういうわけか、士郎と凛は縁側に倒れこんでしまい、驚いたセイバーはその場で何があったのかを考えるのに、必死であった。
「ふむ、どういうことか。アーチャーよ」
「どういうことも何も、こういうことだ」
羽根帽子を被ったサーヴァントと、赤い衣服を纏ったサーヴァント―――アーチャーは、正面から向き合っていた。
「敵同士であるはずの貴様らが、共同戦線を張るというのは、まったく持って理解しがたい。何か、魂胆でもあるのか?」
「さて。私は特に、下卑た魂胆など持ち合わせていないが」
「まあ良いわ。ここで、貴様ともう一人のサーヴァントのマスターを始末するに越した事はない。弓兵よ、覚悟は良いか?」
両手にレイピアを握り、フェンシングの体勢をとったサーヴァントに呼応するかのように、アーチャーの両手にも中華風の短剣が握られる。
名は、干将・莫耶。唐土の地にて、己が妻を犠牲にした刀工が鍛え上げた双剣である。
「む? アーチャーよ。我が目が確かならば、それは弓ではあるまい」
「弓兵が、弓以外のものを使ってはならんと言うルールなどない筈だが?」
「確かにそうだ。我が軍勢にも、弓兵でありながら、短剣で戦う者はいたからな」
二人の間を流れる空気が張り詰める。それは、鋭利な刃物の如く凶暴性を剥き出しにしており、如何なるものをも近づけんと言う気配を放っている。
「貴様が本物であろうとなかろうと、私が認めるセイバーはあれ以外にはいないぞ。異なるセイバーよ」
疾風の如き速度で、異形のセイバーのレイピアが、アーチャーの喉元を狙う。それが弾かれるや否や、もう一振りが心臓目掛けて突き出される。
異なるセイバーの突きと、アーチャーの斬り。それらは、確実に相手の急所を狙うべく、或いは己に向けられたそれを防ぐべく、何度となく繰り返される。
その流れに変化が生じた。異なるセイバーのレイピアが折れ、アーチャーはそのまま首を狙って、短剣を横へ薙ぐが、バックステップを踏んで異なるセイバーは、後方へ大きく跳び退る。
折れた細剣の断面を見て、そこにアーチャーが只者ではないと言う証拠を見つけた異なるセイバーは、ちぢれた黒髭の中に隠れていた口元を笑いの形に歪め、折れたそれを捨てて、3本目のレイピアを抜いた。
「なるほどなるほど。何処の英霊だかは知らんが、中々の腕前」
「国王支給品の只のレイピアを強化して、渡り合えた貴様の腕も認める」
異なるセイバーの持っているレイピアは、生前彼が征服者となった時に持っていたもので、それは只の人間の手によって打たれたものだ。それをこのサーヴァントは強化して、干将・莫耶の猛攻を受けきった。
しかし、アーチャーの言葉を聞いた異なるセイバーは、笑いを引っ込め、興味深そうな顔で尋ねた。
「ほう? 気付いたか、わが真名に」
「どちらかまでは判断しかねたが、貴様の身なりと言い、スペイン式のレイピアと言い、性格と言い、思い当たるのは一人しかいない」
「ハハッ、それは結構だ」
「ついでに、貴様のマスターが何を生業としているかもな」
それを聞いた異なるセイバーの目から、笑いの色が消えた。次に浮かんできたのは、明らかな恫喝の色だった。
「何だと?」
「そのようなつまらぬもので、人の心を惑わすような男をマスターにするようでは、英霊としての品性を疑う」
異なるセイバーの正体を知ったアーチャーは、明らかに挑発している。しかし、どうやって彼は、そのサーヴァントのマスターが何者であるかと見抜いたのだろうか。
「やはり、庶子であった事、無学文盲であった事、もう一人の征服者と対比される事が原因であったか?」
「それ以上言うでない!」
激昂した異なるセイバーは、まだアーチャーが語り終わらぬうちに、彼の懐目掛けて飛び込んだ。対するアーチャーは、それを迎え撃とうとして―――
「何?」
異なるセイバーの異変を悟った。何故か彼は、あと少しで踏み込めると言うところでたたらを踏み、困惑した表情で何事かを呟くと、持っていたレイピアを鞘に収めた。
「どういうつもりだ?」
「我が主に危機が訪れた。この勝負、一時預ける」
それだけを言って屋敷の屋根から飛び降り、アーチャーもそれを追おうとしたが、何をどうしたのか、異なるセイバーはすでに気配を消していた。
「逃したか……」
庭先へ降りたアーチャーは、縁側で苦しそうにしている士郎達の姿を認めると、瞬時に何があったのかを悟った。
「奴め……このような罠を仕掛けていたと言うのか?」
「アーチャー! 敵は!?」
「残念だが逃がした。下に降りたと思うのだが、見なかったのか?」
「いえ、確かに何かが上から降りてきた気配はしましたが、その後は何も……それより、シロウとリンは一体?」
「それは、恐らくこれだろう」
アーチャーがしゃがみこんで、縁側の下から何かを引っ張り出した。そこには、燃えた痕跡のある白い粉が入った袋が握られていた。
「それは……?」
「奴のマスターが、生業としているものだ。おそらく、奴は二人が外で出る瞬間に、これが燃えるように仕掛けていたのだろう。それも、動けなくなる量まで一気に燃やしたとしか考えられん」
まるで汚いものでも触るかのように、親指と人差し指でそれを掴んでいたアーチャーが小声で何かを唱えると、その袋は一瞬にして蒸発してしまった。
(セイバーですら気付かぬうちに仕掛けていた……やはり、呪われた皇帝の力をものにしていたのか?)
「とにかく、二人を中へ運ぶぞ。下手をすると、二度と使い物にならなくなるやも知れん」
それが意味するところはたった一つ。すなわち、廃人になる事を示していたのだ。
「お嬢ちゃん。まま事にしちゃ、随分物騒じゃないか?」
奮発して豪勢なイタリア料理のコースを食べ終えて、店から出たトウドウは、いつもの「倉庫」に向かおうとした矢先、半裸の巨人を連れた少女に出くわした。
少女の名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。半裸の巨人は、彼女のサーヴァントで、バーサーカーのクラスだ。
「外から来たマスターって言うのは、あなた?」
トウドウの軽口には答えず、イリヤは尋ねた。そこには親愛の情も可憐な少女の愛らしさも無い。ただ、トウドウに向けられた敵意のみが存在するだけだ。
「まあ、そういう事になるかねぇ。もっとも、俺のサーヴァントは、他の紛い物とダブってるらしいが」
相手が少女だからなのか、それとも元々そういう性格なのか、そんな敵意をものともせず、トウドウは答えた。
「で、何? 生憎だけど、俺のサーヴァントは紛い物潰しに行ってるぜ」
「紛い物ね……」
考えるそぶり見せたイリヤは、しばらくしてから、満面の笑みでこう言った。
「じゃ、やっぱり、場違いはあなたね」
その言葉を聞いた、トウドウは出かけた怒りを胸のうちに押さえ込み、少女をたしなめるように言った。
「おいおい、お嬢ちゃん。場違いって言うのは、どういうことだい? そもそも、俺は……」
「そのままの意味よ」
トウドウの言葉をさえぎり、笑みを消して、険しい表情になったイリヤは、言葉を続けた。
「あなたは、今回の聖杯戦争に参加する資格は無い。今回のセイバーは、エミヤシロウのセイバー只一人だけ。紛い物は、あなたのほうよ」
それを聞いたトウドウは、柔和な笑みを一変させ、凶悪な本性を剥きだしにすると、イリヤを罵った。
「毛も生え揃ってねえガキが、大人を舐めるんじゃねえよ。ヤク漬けにして、バラされてえのか?」
その言葉を待っていたかのように、イリヤは背後の巨人に命じた。
「じゃ、決まりね。やっちゃえ、バーサーカー!」
巨人が吼えた。巨大な斧剣を手に前へと躍り出たバーサーカーは、トウドウに向かって斧剣を振りかぶった。
「おおっと!」
慌てて腰をかがめ、横へ転がったトウドウは、斧剣の放った風圧で破壊されたコンクリート製の壁を見て、身震いした。
「とんでもねえ馬鹿力じゃねえか。けど、こっちだって、伊達に荒事を切り抜けてきたわけじゃないんでね!」
懐に呑んでいたホルスターからS&WM19コンバットマグナムを取り出したトウドウは、バーサーカーの頭部に銃口を向けたが、それより早く、バーサーカーの二手目が飛来する。
「早すぎるんだよ、手前!」
ごろごろと転がっては銃口を向け、引き金を引く寸前で迫ってくる攻撃をかわし、大規模な円を描いて元の位置に戻ってきたときには、全身が汗に塗れていた。
「お前のサーヴァントは、疲れ知らずかよ! このアバズレ!」
口汚く罵るトウドウだったが、イリヤは意にも介さないという風に、笑みを浮かべて言った。
「どっちにしたって、あなた一人じゃバーサーカーに勝てっこないし、そんな鉛玉じゃ掠り傷一つつかないわよ」
「あぁ、そうかい。それじゃ、先に手前を仕留めてから……」
トウドウの言葉は、そこで中断された。またも転がるようにして回避したトウドウだったが、垂直に振り下ろされた斧剣で砕かれたアスファルトが顔に当たり、そこから血が流れ出した。
「アハハ、無理だって。バーサーカーを倒さなきゃ、私は殺せないもん」
にべも無く言うイリヤとは対照的に、憔悴しきったトウドウは、生まれて始めての絶望と言うものを感じた。
(畜生、このメスガキ……俺の野望を、こんなところで終わらせたりするもんか!)
すぐにそれは、彼の飽くなき欲望へと追いやられ、彼は左手を高く掲げると、令呪に向かって命じた。
「おい、セイバー! 今すぐ、俺のところに帰ってこい!」
それを冷ややかな視線で見つめるイリヤは、ため息をついたかと思うと、明らかな失望の声を上げた。
「何だ、結局どうしようもないクズだったわね。バーサーカー、やっちゃって」
マスターの命令を受けたバーサーカーは、一歩一歩確実にトウドウに迫ってきた。そして、最後の一歩を踏み込む寸前で、彼とトウドウの間に人影が割り込んだ。
「!?」
一瞬、バーサーカーがたじろいだように見えた。が、すぐにそれは咆哮にかき消され、トウドウと彼のセイバーに向かって、斧剣が振り下ろされた。
「逃げるぞ、主」
間一髪で、セイバーがトウドウを小脇に抱えて高く飛び上がると、そのまま屋根を伝って、彼らは姿を消した。
「逃げられた……それにしても、嫌なものを残してくれたわね」
トウドウがいた場所にイリヤが歩み寄ると、そこには少量ばかりこぼれた白い粉が、溜まっていた。
「まったく……こんなもの売りさばいて、何が面白いのかしら?」
それを答えるべき人物は、もうここにはいない。
そして、多くの謎を残したまま、一夜が明けた。
後述
前回、偉そうな物言いで書いて、すいませんでした。
とりあえず、細々とやって生きたいと思います。
昨夜の一件以来、何とか普通に動けるまで回復した士郎と凛だったが、まだ頭がぼやっとしており、目の前がチカチカしていた。
「二人が嗅いだ臭いと言うのは、床下に仕掛けてあったヘロインの煙の臭いで間違いないだろう。あれは、強い酩酊感をもたらすからな」
アーチャーに言わせれば、もし吸った煙の量がもう少し多ければオーバードーズ、所謂、麻薬の過剰摂取による理性の崩壊を迎えていただろうとのことだった。
そして、あの異なるセイバーがヘロインを仕掛けていた事から、そのサーヴァントのマスターが、麻薬の売人であることも確認できた。
相手が犯罪者の類であると聞いた凛は、難色を示した。もし、組織的だった場合、相手が人間ならサーヴァントで太刀打ちできるが、向こうもサーヴァントを出してくるであろうから、簡単には相手の元へ向かうことは出来ない。
加えて、もし飛び道具を持っていた場合、凛はともかく、士郎では危険すぎるだろう。
「癪に障るけど、そう言った類を見つけ出すのは、その道に通じている人間に任せるしかないわね」
その道とは、もちろん警察のことを指しているのだが、端から警察がそのマスターを逮捕できるとは思っていないだろう。警察とはいえ、普通の人間ではあのサーヴァントには、適わないはずだからだ。
翌日、だいぶ意識ははっきりとしてきたものの、まだ軽い頭痛が残っており、その日は結局、桜一人に朝食を任せる事になった。
「先輩、大丈夫ですか……遠坂先輩も」
「ああ、いや、気にしないでくれ」
「放っておけば、そのうちに治るから」
さすがに魔力を使って、依存症までは防ぐ事が出来たものの、完全に酩酊感を取り除くのは無理があった。
結局、士郎と凛は半分も食べないうちに朝食を終えてしまった。やはり、まだ気分が悪いので、食事する気にはならないのだ。
桜とセイバーは休むように進言したが、またあのサーヴァントが襲ってくるかもしれないと考えた二人は、気分が悪いのを推して、学校へ行く事にした。
第一、士郎は、何故急に薬物乱用防止の講演会を開く事になったのかを、藤村から聞いていない。
外へ出ると、少しは気分がよくなったが、それでもまだぼんやりとしている。そうして、通学路の途中まで来たものの、ついに士郎は根を上げてしまった。
「すまん……ちょっと、休んでいくよ。多分、ホームルームには間に合うだろうから。遠坂はどうする?」
「人をそんなに甘く見ないで。とりあえず、今日一杯は何とかなりそうね……」
結局、士郎は道路脇の塀に体をもたれて休憩する事にし、心配そうな顔をした桜に支えられながら、凛は学園へと向かった。
二人の姿を見送りながら、士郎は息を荒くしながら、腰を下ろし、胸のムカつきが治まるまで、休憩する事にした。
「本当に、間に合うのかな……」
そう思い始めた矢先、中折れ帽子を被り、白いワイシャツに地味なネクタイを巻いた中年の男が、息を切らしながら、走ってきた。
男は焦っているようだったが、具合の悪そうな士郎の様子を見ると、さすがに人情には勝てないのか、息を荒げながら、尋ねてきた。
「お、おい、坊主。大丈夫、か?」
「あ、いえ、大丈夫です。ちょっと気分が、悪いだけですから」
そうは言ったものの、おそらく自分の顔色はとても青くなっているだろう。それは、男の心配そうな表情から読み取れた。
「坊主。お前、穂群原学園の生徒だろ?」
「は、はあ、そうですけど……」
「負ぶってやるから、ついでに道を教えてくれ。何せ、はじめて来たものだから、道がわからなくてさ。なっ? 別に良いだろ?」
有無も言わさず、士郎をその恰幅の良い体の背に負うと、男は人一人を背負っているのにもかかわらず、中々の速さで走り出した。
とても、口を開く気分ではなかったが、それでも男に学園までの道筋を教え、どうにか予鈴がなる前に、校門の前まで辿り着いた。
「いやあ、本当にすまねえな。それより、さっさと保健室に行ってきたほうが良いぞ」
「は、はあ、そうします」
一応返事してみせると、男は顔に満面の笑みを浮かべて、校舎の方へ歩き出した。
「また後で会おうな、坊主」
手を振った男に、思わず手を振り返したが、はてあの男は何しに来たのだろうかと思い、士郎は考えた。
が、男の言う事を裏切る事は出来ず、一応保健室へ向かってから、教室へ入ることにした。
そうして、何とかして昼まで持ちこたえ、早めに食事を切り上げた士郎は、藤村に聞いてみようと職員室へ向かったが、何故か職員室には、テストでもないのに、「生徒立ち入り厳禁」の札がかかっていた。
そして、問題の「講演会」を聞くために、全校生徒が体育館へ向かった。無論、その中には凛や一成、何故か慎二はおらず、桜もいる。
そうして、体育館へ入り、整列のために並びながら、士郎は教師たちの顔に目を向けてみた。
藤村にしろ、世界史と倫理担当の葛木宗一郎にしろ、教師陣の表情はいつも通りのはずなのに、どこか固い。そうして、整列が終わり、教頭が講師の名前を読み上げた。
「それでは、ここで本日の講師、県の地方厚生局麻薬取締部からいらっしゃった、里中平太郎さんにおいでいただきたいと思います。皆さん、拍手で出迎えてください」
拍手が鳴り響き、あまりこういう場には慣れていないのか、照れくさそうな表情で、里中平太郎なる人物は壇上に立った。
その顔を見て、士郎は思わず、声を上げそうになった。
(あの人は……!)
何と、本日の講師である里中平太郎とは、あの時、自分を負ぶって学園まで連れて行ってくれた、一見何処にでもいそうな、冴えない風体の恰幅のいい中年男であった。平太郎と言う名前も、その年代の人物にとっては、ふさわしいものだった。
「あー、えーっと、何分、こういう事は初めてするもので、皆さんのためになるかどうかわかりませんが……」
あまり慣れていない語り口で、里中は講演を始めた。内容は、最近の学生を狙った麻薬売買や麻薬による症状など、この手の講演会としては、ごくごくありふれたものであった。
「……ですから、皆さんも、怪しそうな人に引き止められても、絶対に話を合わせない様にしてください。もし、危険だと感じたら、迷わず助けを呼んでください。稚拙な話ながら、ご清聴を感謝いたします。ありがとうございました」
再び拍手が鳴り響き、足早に里中は壇上から下りる。解散してから、真っ先に里中の元へ向かった士郎は、自分から先に声をかけた。
「今朝は、どうもありがとうございました」
怪訝そうな顔で、里中が振り返り、じっと士郎の顔を見ると、今朝の事を思い出したのか、顔をほころばせる。
「おお、だいぶ良くなったじゃねえか。どうだい、体の調子は?」
「おかげさまで、この通り、ぴんぴんしています。それにしても、あなたがまさか、今日の講師だったとは……」
その時、聞き覚えのある声が、士郎の耳に入った。
「あー、ここにいたのか。し……衛宮君」
振り返ってみると、藤村がものめずらしげな視線で、士郎と里中を交互に見ていた。二人が話し込んでいる姿を見て、何を思ったのか、藤村は士郎の耳元でこっそりと尋ねた。
「ねえ、士郎……あんた、里中さんと知り合い?」
「いや、今朝、通学路の途中で知り合ったんだけど……」
「あっ、そうなんだ。いやー、もし知り合いだったら、どうしようかなって思ってさ。だって、里中さんと知り合いだったら、ま……あ、いや、なんでもない、何でもないから」
慌てて言葉を打ち消したり、そこに妙な響きを感じた士郎は、藤村の態度が気にかかった。もし、士郎が里中の顔に目を向けていれば、一瞬だけ彼の目に鋭い光が宿ったのに、気がついたかもしれない。
「藤村先生。そこの坊主、教え子かい?」
「ええ、そうなんですよ。衛宮士郎って言うんですけど、まあ、弟みたいなもので、ちょくちょく家に遊びに行ってるんです」
普段、士郎と藤村は、あまりそう言ったことを学校内では言わないのだが、このときばかりは、里中の人の良さを信頼してか、簡潔に話した。
「へぇ、子供の頃からの付き合いなのか。坊主、良い姉貴分を持ったな」
「まあ、確かにそうだとは思うんですけどね……」
思わず、苦笑して士郎は答えた。どっちかと言うと、今では藤村のほうが、自分の家で厄介になっているのだが。
「あの、里中さん。今のお話ですけど……」
「おう、もちろん内緒だろ? でなきゃ、言うはずがないって」
里中は、豪快に笑いながら答えた。麻薬取締部と聞くと、冷酷でスマートなイメージがあるが、目の前にいる里中にはそんなものは、微塵も感じられない。むしろ、田舎の駐在さんと言った方が良さそうな顔つきをしている。
「それじゃ、士郎。わたしは、他の先生たちと一緒に、里中さんとお話があるから。あっ、そうそう、ついでに夕食だけど、里中さんの分も用意しておいてね」
「おいおい、藤村先生。俺みたいな門外漢が、そんな、大事な生徒の家に押しかけちまっても良いのかい?」
「いえいえ、ちょっと色々と聞きたい事があるものですから。それに、他にも里中さんのお話を聞かせたい子がいますし」
その言葉が、セイバーのことを指しているとわかった士郎は、少しだけ迷った。
(うーん、確かにセイバーにも聞かせたほうがいいとは思うけど……何となく、里中さん、そういうのに厳しそうな雰囲気がするんだよな)
心配する士郎をよそに、里中と藤村は何かの話で盛り上がりながら体育館の出口へ向かい、士郎も心配するのを止めて、教室へと戻った。
家に帰ってから真っ先に、士郎はセイバーと凛に、里中が来る事に関して相談した。
「別に良いのではないですか? その里中と言う人物、マスターではないのでしょう?」
「うん、そうなんだけどな……でも、ちょっとこれはやばいような気がするぞ」
渋面を作って士郎は二人を交互に見る。セイバーは小首をかしげているが、凛は士郎が何を考えているのかがわかったようで、同じように渋面を作ってみせた。
「そうか……あの年代なら、男子の家に女子二人が同居している事に、うるさいかもね」
「おまけに、桜も晩飯の手伝いに来るからな……藤ねぇと晩飯で、どうにか納得してもらうしかないかな」
そうして、桜が晩飯の手伝いに訪れ、桜も士郎と凛が言おうとしている事を悟ったのか、やはり困ったような顔をした。セイバーは、相変わらず3人が何を言いたいのかがわからずに、不満げな表情をみせている。
ブリの照り焼き、リンゴと鳥のささみのサラダ、ほうれん草の代わりにワカメを使った茶碗蒸しを食卓に並べ、最後に炊飯器を持って行こうとしたところで、玄関のチャイムが鳴った。
「……」
一斉に、セイバーを除く三人の顔が気まずくなり、誰が出迎えようかと、目で会話している。しかし、それは、ドスドスと言う重そうな足音のせいで無意味となり、勢い良く襖を開けた里中は満面の笑みで挨拶した。
「ウォーッス! 晩飯、ごちそうになりにきた……ぞ……?」
言い逃れをする術はなかった。似たような表情で固まっている3人と、一人だけキョトンとしているセイバーを見回した里中は、一気に顔が青ざめ、瞬時にこめかみに血管が浮き上がり、顔が紅潮した。
「あっ、いけない! 遠坂さんとセイバーちゃんがいるってこと言うのを、忘れてた……」
慌てて藤村が弁解するが、その言葉は、燃え盛る里中の怒りに、さらに油を注いだ。
「て……てめえら……」
強く握り締めた里中の拳は震えている。もう、何を言っても、これは避けられないだろう。瞬時に、藤村を含む4人は判断した。
「てめえら、そこに正座しろ!!」
その怒声は家中に響き渡り、その声に驚いた鳥が、飛び去っていく音が聞こえた。
もうほとんど冷めてしまった食卓を前に、士郎たちは正座をさせられ、まるで一家の家長のように、どかっと座布団に胡坐をかいた里中は、鼓膜が破れそうな怒声で説教をした。
「まったく、てめえら、一体何考えてやがんでぇ!? まだ酒も満足に飲めねえ小便垂れの小僧のところに、年頃の娘さんを二人も、同居させて、恥ずかしいとは思わねえのか!?」
物凄い下町言葉で捲くし立てる里中に対し、士郎たちはただ、頭を下げるばかりであった。セイバーは事情が良く飲み込めていないが、さすがに里中の威勢に気おされたのか、同じようにして頭を下げている。
「大体、藤村先生よぉ。あんた、教育者なんだから、何か言ったらどうなんだい!?」
「そんなこと言われても、わたしは、最初は反対だったんですよ! まあ、遠坂さんとセイバーちゃんなら大丈夫だと思って、此処に置いたんですけど……」
「カーッ、最近の教師ってもんは、そこまで情けなくなっちまったのかよ! 良いか、俺がはなたれのガキの頃はな、男と女の同棲ってもんは、不良の第一歩だって教えられたんだぞ! それだと言うのに、今の教師は……情けないにも、ほどがあるってもんでぇ!」
次に里中の矛先は、士郎に向いた。
「おい、トンチキ!」
「ト、トンチキって……」
いつの間にか、坊主からトンチキに呼び名が変わっている。このままだとその内、すっとこどっこいとかデコスケとか言う言葉に変わりそうだ。
「お前もな、何を言いくるめられたかは知らねえが、そう簡単女を家に置くんじゃねえよ! しかも、片一方は外人で、片一方は同級生だぁ!? てめえは、大金持ちのジゴロにでもなったつもりか、このすっとこどっこいの、デコスケの、頓馬の、マヌケの、ボケナスが!」
すっとこどっこい、デコスケだけでなく、頓馬やマヌケ、挙句の果てにボケナスまで飛び出した。此処で何かを言うと、今度は拳骨が飛んでくるかもしれない。
そうして、凛にも厳しく叱咤し、桜は少し軽かったものの、やはりそう簡単にひょこひょこと男の家に通うんじゃないとか言われ、遂にセイバーの番が来た。
「そこの外人の嬢ちゃんには、通じないかもしれないけどよ、一応言っておくぜ。あんたもな、この家の主人を頼ってきたんだったら、さきに……」
そこで、里中の言葉が途切れた。何が起こったのかわからず、顔を上げてみると、里中は口を半開きにして、セイバーの顔に見とれていた。
「お、おめえは……」
「あの……わたしの顔に何か?」
セイバーの声で正気に戻った里中は、気まずそうに咳払いをすると、先ほどまでの威勢は何処に行ったのか、だいぶ大人しくなってしまった。
「まあ、決めちまったんなら、しょうがねえや。悪いな、晩飯、冷めさせちまって」
そうして冷めてしまった食事を暖めなおし、今日は藤村ですら、一言も喋らずに箸を勧めている。
片づけを終え、士郎は、藤村と共に里中を玄関まで送った。
「悪かったな。腕によりをかけたって言うのに、台無しにしちまってさ」
「いえ、充分、里中さんのお話が身に染みましたから……」
「本当にすいません。やっぱり、駄目ですよね……?」
恐る恐る藤村は里中に尋ねたが、里中は意外な答えを返した。
「いや、構わんさ。あんたが認めたんだったら、まず不純なものはないだろうからな」
そうして玄関の引き戸を開け、外へ一歩踏み出した途端、里中は士郎に向かっていった。
「なあ、坊主。偶然って言うのは恐ろしいものだよな」
「は?」
「せいぜい、あの嬢ちゃん、大切にしてやれよ。 ……間違っても、東堂隆史のような奴に明け渡すんじゃねえぞ」
その東堂隆史と言う人物が誰なのかはわからなかったが、ともかく、里中はセイバーの心配をしてくれたようだった。
「じゃあな」
後ろ手に手を振った里中を見送り、士郎は、さすがにもう、藤村にあのことを聞こうとは思わなかった。
「まったく、俺も厄介なヤマに首を突っ込んじまったものだな……」
坂を下りながら煙草の火をつけた里中は、ふと、周囲から殺気を帯びた視線が自分に向けられているのを感じた。
「……さっさと出て来な。東堂の犬ども」
すると、周囲の電柱や塀の影から、鉄パイプやバール、スパナ、木刀を持った、明らかに柄の悪い男たちが出てくる。
「お前ら、此処でやるつもりか? 目撃者が、出たらまずいんだろ?」
「残念だったな、里中。この時間帯、この辺りを出歩く人間なんて、一人もいないよ」
リーダー格と思しき、中国拳法に使われる棍らしき長い棒を持った黒服の男が、嘲りを含んだ声で答える。
「悪いが、東堂さんのことを嗅ぎまわるのは此処で終わってもらおうか? でなければ」
「でなきゃ、何が何でも黙らせるってか?」
「察しが良いな。こいつらは、おつむの出来はよくないが、荒事は三度のメシよりも好きな連中だ。あんた一人で、相手に出来るかい? 里中平太郎特別広域麻薬取締官殿!?」
煙草を投げ捨てて靴で踏み潰し、ネクタイを緩めた里中は、鋭い目つきになって黒服を見据えた。
「痛い目みなきゃわからんのは、てめえらのほうだぜ」
奇声を上げて、タンクトップの男が角材を振りかぶる。その手を掴み、後ろ手にひねった里中は、背後から襲ってきた鼻ピアスの男の顔面目掛けて、タンクトップを蹴り飛ばす。
続いて、鉄パイプを持った男が横薙ぎに里中の体を狙うが、両腕でガードした里中は、逆に鉄パイプを握って、思いっきり男の腹部目掛けて押した。男は激痛の余りうずくまり、里中に奪われた鉄パイプで頭に一撃食らって倒れる。
「このジジイ!」
「ぶっ殺してやる!」
仲間を倒された事で怒りの炎を燃やした男たちが、一斉に襲い掛かってきた。
しかし、里中は鉄パイプを振り回して、戦闘の男たちの足を払い、倒れた拍子にその男を踏み台にして、後ろの男目掛けて、ドロップキックを放つ。
まるでドミノ倒しのように倒れた男たちは、起き上がろうとしたところを、再び鉄パイプを握った里中に頭部を強打されて失神する。
一人が里中の体を羽交い絞めにし、ナイフを持った男が近づいてくる。
だが、里中は両足を一思いに振り上げたかと思うと、偶然にもナイフを持った男の股間を潰し、前の男が悶絶している好きに、羽交い絞めにしている男の腕を振り払って、顎に掌打を食らわせ、止めとばかりに鳩尾に正拳突きを入れる。
「てめえら、一々言う事が、三流なんだよ」
再び鉄パイプを握った里中は、呆気に取られている黒服に近づいた。慌てて正気に戻った黒服は、おぼつかない足取りで棒術の構えを取る。
「どうした? 足が震えているぞ」
「う、うるさい!」
黒服が、力いっぱいに棍を突き出す。それを鉄パイプで弾き返し、手元から飛んで呆然としている黒服に走りより、髪の毛を引っつかむと、その顔面に目掛けて膝蹴りを入れた。
「帰ったら東堂に伝えやがれ。あいつの仇をとるためなら、俺は悪魔に心を売り渡そうが、逃げた先が地獄だろうが、必ずてめえを捕まえてみせるからな!」
顔を押さえて逃げ出す黒服と、まだ失神している仲間を放り出して一目散に逃げる男たちには気にも留めず、里中は手についた血を、彼が持つにしてはつりあわなさ過ぎる、綺麗なコスモスが刺繍されたハンカチで拭った。
「待ってな……必ず、お前の墓前に、東堂の観念した姿を見せ付けてやるからな」
そうして里中は携帯で警察に男たちの処理を任せる旨を伝え、新都のほうへと向かった。
それを、東堂のサーヴァントが見ているとも知らずに。
後述
なんと言うか、すぐにでも誰の作品の影響か、わかりそうな話になってしまいましたね。
それにしても、ちょっと強すぎたかも……
「そんで、逃げ帰ってきたわけか?」
「は、はい……」
鼻と口元を押さえて話す黒服と向き合った東堂は、わざとらしい演技で悲しげな表情を作り、「商品」の入った木箱の上に腰を下ろすと、隣に立っていたハゲ頭の男に、持っている煙草に火をつけるように指示した。
「あのな、安田。俺は、お前が棒術のプロだって信用したから、チンピラやゴロツキどもの指揮を任せたんだぜ。それなのに、この様で帰ってきて、負けましたじゃ、どうしようもねえよな?」
跪いた安田の頭を、つま先で軽く小突き、口から紫煙を吐いた東堂は、安藤の真後ろに立っていた彼のセイバーに目を向けた。
「セイバー、やっちまいな」
無言でセイバーは頷き、レイピアの一本を抜く。
「そ、そんな、東堂さん!」
慌てて安田は東堂の足にしがみつくが、蹴り飛ばされた拍子に強かに腰を打ち、起き上がれなくなっている彼の額に、セイバーのレイピアが突きつけられた。
「アタシ、弱い奴嫌いなのよ。だから、残念だけど、もう顔を見せないでね?」
女言葉で安田に死刑宣告を下した東堂は、指を鳴らした。と、同時にセイバーは、安田の頭部を躊躇なく、レイピアで串刺しにした。
「死体は、コンクリートに詰め込んで、どこかに埋めておけ」
東堂の腹心らしい瓜実顔の男が、他の男たちに命令すると、彼らは即座に動き出し、即死した安田の死体を運んで、空っぽのドラム缶に詰め込んだ。
「里中の事は、室岡、お前に任せる。岸谷は、紛い物の家を見張っとけ。何か、弱みを握れるものがあるかもしれないからな」
「サーヴァントが出てきたときは?」
「その時は、お前がなんとかしろ。ブラジルで魔術の一つや二つ、齧ったことあるんだろ?」
岸谷と呼ばれた銀縁眼鏡の男は、額に冷や汗をかいたが、恭しく頭を下げて、倉庫から出て行った。
「それじゃ、俺はお天道様に顔出しでもしてくるよ。ついでに、教会にも行ってくる」
「わかりました。どうぞ、お気をつけて」
室岡と呼ばれた瓜実顔の男を筆頭に、手下たちから送り出された東堂は、そのまま新都へ向かって歩き出した。
翌日の朝、休日だと言うのに、士郎は藤村が真剣な顔つきでいる事が、気がかりであった。
「藤ねぇ……昨日の事、気にしているのか?」
「うん、それもあるんだけど……士郎、あなた、誰にもこのことは言わないって約束できる?」
何時になく、藤村の声音が沈んでいる事に気がついた士郎は、首を縦に振った。
「遠坂さんも、セイバーちゃんも、約束してくれる?」
「ええ、もちろん。あまりそういう事を言いふらすのは、好きじゃありませんので」
「私もです」
二人の答えに安堵した藤村は、息を整えてから、話し始めた。
「実はね、里中さん、本当は講演会に来たんじゃないの。昨日、里中さんが東堂隆史って名前を出したの覚えてる?」
「ああ、確か、セイバーをそいつに明け渡すんじゃないぞとか、何とか言っていたけど……」
「その東堂隆史って言う男、昔、里中さんが追っていた麻薬の密売人で、この冬木市にいるんだって」
その言葉に、3人は戦慄した。あのセイバーのサーヴァントのマスターが、麻薬の売人でこの冬木市にいるということは、つまり、その東堂隆史と言う男がマスターである可能性が高い。
さらに藤村は続ける。
曰く、東堂隆史と言う男は某一流私大医学部の出身だったが、その頃から麻薬にのめり込んでおり、卒業と同時にコロンビアの麻薬カルテルへと入った。
所謂、インテリヤクザに属する東堂は、ある理由でカルテルから離れ、独自の路線で麻薬の販売を開始した。彼に従属している手下たちは、その過程において、中南米へと逃げ込んでいた凶悪犯などが多かった。
里中は、厚生局の特別広域麻薬取締官として東堂の本拠地であるペルーへ向かったが、すでにもぬけの殻であり、彼が日本へ帰ってきたときには、東堂の麻薬が日本中に広まっていた。
特に東堂が密売の対象として選んだのは、10代の少年少女たちであった。体も心も未発達な彼らに、仕事のないイラン人や南米人を通し、或いは自らの手下を使って、甘い言葉をかけて誘い込む。
しかも、東堂はその年代がどれだけ金を持っているかも考慮し、1グラムにつき最低でも三千円と言う価格で、自らの私腹と彼の麻薬に汚染された少年少女たちを増やしてきた。
里中は、日本中を逃げ回る東堂を追い掛け回し、一時九州において姿をくらまされたが、この冬木市に東堂がいると言う情報を聞きつけ、講演会の名目で訪れたのであった。その事を藤村ら教師陣が内緒にしていたのは、学園の生徒の中にも東堂と通じている生徒がいるかもしれないと言う事を、懸念していたからであった。
一通り話を終えた藤村は、3人に注意を促し、自宅へと帰っていった。
「……東堂隆史、か。どう思う?」
「どう思うも何も、そいつがあのセイバーのマスターであることは間違いないでしょうね。問題は、どうやって見つけ出すか……どこか、そう言った場所はない?」
「そうだな……山の中とか?」
「それはまず、あり得ないわ。そういうところは、逆に人の目につきやすいし、登山でもないのに山を上り下りする人間がいたら、かえって不自然よ」
「それじゃあ、街の中か……まさか、この深山町と言うことはないだろうな?」
「それもありえない。と言うか、アーチャーに見回りをさせてみたんだけど、サーヴァントらしき気配はまったくなかったわ」
となれば、後は新都以外に思い当たらない。しかし、そんな絶好の隠れ家と言うものがあるのだろうか。
「別に人目のつきにくい場所ばかりが、隠れ家って事はないわね。案外、人の目に付きやすい場所に隠れて、不自然さを消しているのかも」
「それだと、ホテルだとかそんなところか」
「もっとも、肝心の麻薬は別の場所に置いてあるでしょうけどね」
それを聞いて納得する。もし、東堂が麻薬を肌身離さず持っているとすれば、それではプロの売人とは呼べないからだ。多分、売り上げも一部を除いて、そこに保管されているであろう。
それらしい人物がいなかったかを、士郎は思い出してみる。と、やはりと言うか、ある一人の人物にぶち当たる。
(まさか、フランシスコ権堂とか言っていたあの南米人が……? それに、あのバッジ、見ようによっては煙草じゃなくて、麻薬にも見えるし……)
「セイバー、ちょっと思い当たることがあるんだけど……」
「もしもの為に、私についてきてほしいと?」
「そう、そうなんだ。ひょっとしたら、そいつが東堂かもしれないから、俺一人じゃまず危険だ。だから……」
「わかりました。もし相手が、辺り構わずにサーヴァントを仕向けてきた場合は、止むを得ませんが、対処して見せます。リンはどうしますか?」
「私はここに残る。あのサーヴァントに関して、アーチャーから聞きたいことはまだまだあるし、隠れ家も見つけないとね」
結局、凛を家に残し、セイバーと共に外へでた士郎は、真っ先に新都へ向かった。
真直ぐにフランシスコが泊まっているホテルに向かい、フロント係に尋ねる。
「申し訳ありませんが、お客様のプライバシーに関わるものでして、そう簡単に教えるわけには……」
フロント係の男性は、ビジネス用の笑みを浮かべながら、言った。内心では、仕事の邪魔だからさっさと帰れ、と毒づいている。
「すいません。実は、彼女はフランシスコ権藤さんの妹で、お兄さんが日本に来たから、喜んで会いに来たのですが、中々見つからなくて……」
もちろん、これは嘘に決まっている。後で、セイバーには謝っておかなければならないだろう。
「妹さん、ですか? それにしては、だいぶ年が離れているようですが……?」
フロント係が疑わしそうな目つきでセイバーを見たので、慌てて弁明する。
「じ、実は、フランシスコさんと彼女は腹違いでしてね。フランシスコさんのお母さんはペルー人なんですが、彼女のお母さんはイギリス人なんですよ」
我ながら、下手糞な演技だと思った。もし、これでばれてしまったら、警察沙汰になるであろう。
「お願いします。どうしても、兄に会いたいんです」
士郎に合わせるようにして、セイバーも頭を下げてみる。これも演技なのだが、やはりセイバーもどこかぎこちない。
ところが、フロント係はあまり芝居には詳しくないらしく、本気だと思い込むと、こっそりと士郎に耳打ちした。
「フランシスコ権堂様は、現在、外にでていらっしゃいます。確か、ベェルデに行くと、仰っていましたが……これで、よろしいでしょうか?」
「はい、どうもありがとうございました! さあ、行こう、セ……え、エリザベス」
「は、はい」
誰か気付かないだろうかと、内心ビクビクしながら、ホテルを出る。エリザベスと言う名前は、咄嗟に出たでまかせだ。
「ふぅ、どうにかばれなくて済んだな……ごめん、セイバー」
「いえ、お気になさらずに……確か、ベェルデでしたね?」
「ああ、あそこならすぐにでも行ける」
ベェルデ、と言うのは、最近新都に出来たデパートの名前だ。もっとも、二年後には潰れて、映画館となってしまうのだが、今の所、それを知るものはいない。
二人は、ベェルデに向かって走り出した。もし、見失ったら、振り出しに戻ってしまうからだ。
だと言うのに、神様は余計なおせっかいをしてくれると言うか、邪魔が入った。
「ヘイヘイ、オニイサン! ヒトツ、カッテカナイカイ!?」
片言の日本語と共に、ヌッと伸びてきた手に引き止められ、士郎は躓きそうになった。その手の先を見ると、明らかに怪しげな風貌のイラン系の男が、小汚い歯を見せ付けながら笑顔で見ている。
「ヒトツ、ヨンセンエン。コレサエアレバ、ベンキョウ、ハカドルヨ?」
卑しい笑顔と共に、男は白い粉が入った袋を見せる。瞬時に、それが麻薬であると、士郎は判断できた。
「すいません、急いでるもので」
男の手を振り払い、セイバーに促してから、再び走り出そうとする。しかし、強い力で肩を引かれ、思わず尻餅をついてしまった。
「いてて……」
振り返ってみると、男は大衆には見えないように、小さなナイフをちらつかせて、士郎に迫ってきた。
「オイ、オマエ! ヒトガカエトイッテルノニ、ムシスルカ!?」
「シロウ!」
危険を察知したセイバーが、男に飛び込んでいこうとする。が、それはたたらを踏んで、止まった。
男の肩に手が置かれ、驚いた男は思わず振り返って、口汚く罵る。
「ナンダ!? ショウバイノジャマダ!」
隠し持っていたナイフを背後の人物につきたてようとして―――思いっきり男は、腕を掴んで投げられ、頭を強く打って気絶した。
「麻薬、売るの、良くナイ。しばらく、警察で反省するといいネ」
騒ぎを聞きつけた見回りの巡査に男を引き渡し、士郎の方へ向き合った男は、輝くばかりの白い歯を見せ付けて、笑顔で挨拶した。
「オラ、シルォウ! また、会ったね!」
「フ、フランシスコさん! ベェルデに行ったんじゃないんですか!?」
「オゥ、そのつもりだったんだけど、また道を間違えちゃったんですヨ! ハッハッハ!」
身振り手振りを交えて語るフランシスコは、ふとセイバーに目を向けると、首を傾げて見せた。
「シルォウ、そちらのセニョリータは?」
「あっ、えーっと……俺の親父の知り合いで、居候の」
「セイバーです」
「セイバー? 何か、変な名前だネ」
やっぱり、そう言うと思った。その証拠に、セイバーは変な名前と言われて、顔を顰めている。それを見て、フランシスコは慌てて弁解した。
「オゥ、別に悪気はないんですヨ。それより、何で、私がベェルデにいくことを知っていたんですカ?」
やはり、そう来るか。恐る恐る士郎は、ホテルでの一芝居を話した。興味深そうな顔でフランシスコは聞いていたが、全部聞き終わると、以外にも笑顔で褒めてくれた。
「ハッハッハ、面白いですネ! でも、今度からはやっちゃいけませんヨ?」
「もちろんです。と言うか、もうやりたくないです……」
やっぱり、後ろめたい気持ちになってしまい、士郎は心の中で、あのフロント係に向かって謝った。
「それにしても、強いんですね」
「これでも、ペルーでは柔道教えてまス。あんなの、初心者でも軽いネ」
そうフランシスコは言ったが、男を投げ飛ばしたとき、フランシスコは隙を微塵も作っていなかった。さらに言えば、顔つきも真剣そのもので、かなりの猛者である事が窺い知れる。
「ところで、私に何か用事があったんじゃないですカ?」
「あ、はい、そうなんです。実は、この前貰ったバッジのことなんですが……」
「ああ、あれなら気にしなくていいですヨ。私、何個も持ってますからネ」
「そうですか。ところで、フランシスコさん、東堂隆文と言う名前を知っていますか?」
敢えて、直球に尋ねてみる。遠まわしな表現や言い方では、はぐらかされそうだと思ったからだ。
「トウドウタカフミ? 誰ですか、それハ?」
フランシスコは、首を傾げてみせる。どうやら、本当に知らないようだが、油断は出来ない。もし、彼が東堂と同一人物であった場合、危険だからだ。
「シロウ……どうやら、この人物は違うようです」
ところが、セイバーがフランシスコの証言を裏打ちするように言う。後で聞けば、サーヴァントとマスターを繋いでいる魔力を供給するケーブルのようなものが、見当たらないからだと言うのだ。
「そうですか。いえ、何でもないんです」
「そうですカ……それじゃ、気をつけて帰ってくださイ。アディオス」
手を振ってフランシスコと別れる。人違いであった事に肩をすくめ、セイバーに声をかける。
「これで、振り出しに戻ってしまったな」
「そうでしょうか?」
先ほど、フランシスコと東堂が別人である事を裏付けたと言うのに、セイバーは異を唱えた。
「あの人物、東堂の名前を聞いたときに、目の色が変わりました。まるで、仇にでも会ったかのように……」
士郎たちと別れてから数分後、建物の影に入ったフランシスコは、何と自分の顔を引き剥がすと、懐から出した携帯からある番号を押した。数秒の呼び出し音の後、相手が応答に出る音が聞こえる。
「こちら、特別広域麻薬取締官、コード“ゴースト”。“リベンジ”、応答願います」
その語調にはまったく訛りがなく、ごく普通の日本語であった。
『こちら“リベンジ”。どうだった?』
「やはり、東堂はこの冬木市に潜伏しているようです。先ほど、衛宮士郎と接触して、彼の口から聞き出しました」
『繋がりはありそうか?』
「いえ、鼻の下や目の状態から見て、無さそうです。引き続き、行動探ります」
『そうかい。それにしても、藤村先生、喋っちゃったのか……』
「人の口に戸は立てられませんよ、里中さん。じゃ、私はこれで」
『おう、頼むぜ、権堂、いや定岡。何が何でも、東堂を捕まえなきゃならんからな』
その一方で、深山町の士郎の家の前に張り込んでいた岸谷は、中から伝わってくる凛の魔力とアーチャーの気配に恐れをなし、交差点まで逃げてきた。
「くそっ、なんて魔力だ……俺みたいな、半端者じゃ、すぐに潰れちまう」
毒づいて新都の隠れ家に戻ろうとした岸谷は、ふと、目の前を通り過ぎていった少女に目を奪われた。
(あの小娘は……確か、東堂さんのサーヴァントが言っていた、紛い物野郎の後輩だか何だかか……)
しばらく、岸谷はその場で桜を見ていたが、不意に口元に卑しい笑みを浮かべると、
「Encobrimento―――Silencioso(遮断、無音歩行)」
と、ブラジルで学んだ魔術の呪文を唱えると、岸谷の体は見えなくなり、革靴の歩く音も聞こえなくなった。
そしてそのまま桜に近寄り、口元にハンカチを当てて物陰へ引っ張り込むと、抵抗する桜の額に指を当て、意識を剥奪してから、同じく遮断の魔術をかけて姿を消し、そのまま新都の隠れ家へと向かった。
後述
結構、短く終わりそうな気配。
フランシスコの正体は、少し拍子抜けだったかもしれません。
「東堂さん、東堂さん!」
誰もいないはずの空間から声が聞こえてきたので、東堂は最初、彼のセイバーかと思ったが、すぐにそれが岸谷のものだとわかり、軽く罵った。
「馬鹿野郎。何時まで、姿消してやがるんだ」
「あ、すいません」
まるで目の前の壁から抜け出すかのように姿を現した岸谷と、彼に抱きかかえられた桜とを、交互に見た東堂はすぐに事情が飲み込めたようで、にんまりと笑った。
「やるじゃねえか」
「俺みたいな半端者でも、遮断と無音歩行と意識剥奪、それに“強化”だけは、ちゃんと使えるもんでして」
桜を一時木箱の上に下ろし、眼鏡を布で拭きながら、岸谷は尋ねた。
「ところで、この小娘、どうします?」
「そんなもん、決まってるじゃねえか。轡噛ませて、ガロットに縛り付けておけ。もちろん、首輪はちゃんとセットしろよ」
「はい」
嬉々として桜を「ガロット」なるものに縛り付けている岸谷を見ていると、室岡達が帰ってきたらしく、東堂は煙草に火をつけながら尋ねた。
「どうだった?」
「まだ、此処を突き止めることが出来ていないようです。放っておいても、問題はないでしょう」
上等なスーツに身を包んだ室岡は、木箱の裏から一本の日本刀を手に取ると、刃こぼれが無いかを確かめてから、桜を縛り終えた岸谷に渡した。
「随分、気が早いな」
「試し切りも必要だからな。そうでしょう、東堂さん?」
切れ長の目を動かして尋ねた室岡に対し、煙草をくゆらせながら、東堂は卑しい笑みを浮かべたまま答えた。
「室岡の言うとおりだ。岸谷、室岡だけじゃなく、他の連中の得物も強化しておけ」
「わかりましたが、東堂さんの拳銃(チャカ)は?」
「俺のは、別に強化する必要ないだろ。大体、刀で弾丸が切れると思うか?」
東堂の問いに対し、岸谷は笑って答えただけであった。その後も、室岡の日本刀に続き、鋼鉄製の棒やスコップ、マチェットを次々と岸谷は強化して見せた。
「それじゃ、セイバー。挑戦状のほう、頼む」
誰もいないはずの空間に声をかけた東堂は、セイバーが頷く気配を見せると、桜の方を見て、一人愉悦に入っていた。
「これで、アーチャーのマスターと紛い物が始末されて、俺とセイバーは晴れて、本物となる。ああ、楽しみだなぁ」
士郎とセイバーから、フランシスコが東堂ではないことを聞かされた凛は、ため息をつき、仕方なさげな表情で呟いて見せた。
「そう、残念だけど、振り出しからやり直しね」
「なあ、遠坂」
「何?」
「ひょっとしたら、東堂はホテルなんかに泊まっていなくて、本当は麻薬のある場所にいるんじゃないのか?」
推測でものを言ってみたが、唯一思い当たったフランシスコが東堂ではないとすると、やはり犯罪者にありがちな人目のつきにくい場所に潜伏していると考えられる。
士郎の意見を聞いた凛は、しばらく腕を組んで考えていたが、悔しげな表情になると、士郎の意見を認めた。
「確かに、そうかもしれないわね。プロの犯罪者だからこそ、あえて犯罪者が隠れそうな場所を選ぶ。でも、そうすると一体何処に……」
丁度そのときであった。玄関のほうで、チャイムが鳴った。
「ん? 誰だろ?」
チャイムの間隔はだんだん短くなり、まるで相手は焦っているようだった。急いで玄関へ向かい、引き戸を開けると、
「おい、衛宮! 桜は何処だ!?」
と言う声と共に、何時になく険しい表情をした慎二が、掴みかかってきた。
「し、慎二!? ど、どうしたんだよ、一体!?」
「どうしたもこうしたもあるか! 衛宮、お前、桜が何処にいるか知っているのか!?」
「ちょっと待てよ、慎二! 桜がどうかしたのか!?」
「こんな時間になっても、帰ってこないんだよ! 衛宮、桜は何処にいるんだ!?」
(桜が帰っていない……? まさか!?)
丁度、そのまさかを考え始めたときであった。
「間桐桜ならば、我が主が身を預かっているぞ」
不意に慎二の後ろから声がかかり、そちらのほうへ目を向けてみると、羽根帽子に4本のレイピアと、奇抜な装いをした男が立っていた。
「お前が、東堂のサーヴァントか!?」
「いかにも。衛宮士郎、もし間桐桜を助けたくば、貴様のセイバーとアーチャーのマスターを連れて、私の言う場所まで来い」
「おい、お前! 桜をどうした!?」
矛先を士郎から、東堂のセイバーに移した慎二は、彼に掴みかかろうとして、額にレイピアを突きつけられ、思わず仰け反ってしまった。
「お前が、間桐桜の兄で、ライダーのマスターだな?」
「そ、そうだ!」
「ならば、お前も来い。場所は新都の冬木第二倉庫だ。期限は今夜中、もし来なければ、貴様の妹は首を折って、糞尿を垂れ流した姿で死ぬことになるぞ?」
「こ、こいつ……!」
レイピアを収め、二人に背を向けた東堂のセイバーは、念を押すようにして、もう一度言った。
「良いか。今夜中に、冬木第二倉庫まで来るのだぞ」
言い終えた東堂のセイバーは、景色に溶け込むようにして霊体になると、どうやらそのまま、主の元へ帰ったようであった。
「慎二……わかっていると思うが」
「ああ、わかってるよ。今日のところは、僕もお前と遠坂に協力してやる。ライダー!」
慎二が叫ぶと、目隠しをした長髪のサーヴァントが、彼の前に姿を現した。
「何でしょうか、シンジ?」
「……今日一日だけ、こいつらと協力するぞ」
「ちょっと衛宮君、本気で言っているの!?」
「本気も何も、桜はあいつの妹だ。何処に、妹を助けない兄貴がいるって言うんだ?」
「それは甘いです、シロウ! ライダーのマスターと協力するなんて、命を投げ出すようなものです! 大体あなたは、一度ライダーに殺されかけたのですよ!?」
凛やセイバーの言うことももっともだった。確かに、一度士郎は、危うくライダーに殺されかけ、セイバーに助けられた。
「けど、あいつは、慎二も来なければ、桜を殺すと言っている。 ……あいつは、冗談なんて言う様な雰囲気じゃなかった」
「……まったく、本当に衛宮君は、甘いんだから」
「遠坂、良いのか?」
「東堂のセイバーが指定したのが、一人でも欠けてちゃまずいでしょ? 慎二とはあまり協力はしたくないけど、それ以外に方法は無いわね」
「リン、あなたまで……!」
憤慨するセイバーだったが、いつの間にか彼女の目の前に立っていたアーチャーが、
「諦めろ、セイバー。貴様とて、あのような外道に紛い物呼ばわりされるのは、心外であろう?」
「くっ……!」
それでもまだセイバーは諦めきれないようだったが、遂に観念したと見え、顔を伏せると、力なく言った。
「……わかりました。今回ばかりは、認めてあげます」
「ごめんな、セイバー。ところで、遠坂、あのサーヴァントに関して何かわかったのか?」
「ええ、はっきりとね。彼の真名はフランシスコ・ピサロ。かつて、ペルーにあったインカ帝国を滅ぼしたスペインの征服者よ」
「スペイン式のレイピアや服装、それに私が庶子と言ったことに憤慨したことから、間違いは無いだろう。問題は、宝具が何かわからんと言うことだ。おそらく、インカの秘宝であることは間違いないのだが……」
ともかく、相手のセイバーの真名がピサロとわかったのだから、後は武器の問題だ。土倉へ入り、何か手ごろなものは無いかと探してみると、丁度古くなった物干し竿が目に入った。
「コイツを強化すれば……」
物干し竿を手に取り、神経を研ぎ澄ませる。
「同調、開始(トレース・オン)」
物干し竿を解明し、全神経を魔術回路に集中させる。剣のイメージを思い浮かべ、物干し竿を強化する。
「基本骨子、変更」
出来上がった物干し竿は、多分、武器としては申し分ないはずだ。凛には、魔力を蓄えた宝石があるし、慎二だって素手でやっては来ないだろう。
セイバーと凛、それに霊体化したアーチャーを引き連れて、士郎は、東堂のセイバーが指定した冬木第二倉庫へ向かった。
「あいつ……こんな時間にあんなもん持って、何処へ行くつもりだ?」
深山町で東堂の行方を追っていた里中は、士郎達が新都の方角へ向かうのを見て、これは何かあるなと思った。
「まさかとは思うが……一応、追ってみるか」
深夜11時過ぎ、新都の冬木第二倉庫の前にやってきた士郎たちは、人相の悪い男たちの案内に従い、倉庫の中へと入っていった。
「やっと来たか」
右手でS&WM19コンバットマグナムを弄びながら、大量のヘロインが入った木箱の上に腰を下ろした東堂は、士郎たちを見て、怪訝そうな表情になった。
「おい、ライダーとそのマスターはどうした?」
「もう少し後で来る」
「へっ、そうかい。まぁ、別に良いけどね」
木箱から降り、岸谷に目を向けた東堂は、首を振って、指示を促した。
無言で岸谷は、影になっているところへ入り、鋼鉄製の首輪の付いた椅子に縛り付けられた桜を、東堂の前まで滑らせた。
「おっとと、セーフセーフ」
「桜……!」
慌てて前へ出ようとするが、他の男たちが前に出てきて止められ、さらに椅子の後ろについていたネジに東堂が手をかけたのを見て、身動きが取れなかった。
「下手に動くと、このお嬢ちゃんは、一発であの世行きだ。こいつは、ガロットっつってな、昔スペインで処刑と拷問に使っていた椅子なんだ。このネジを軽く回すだけで、頚椎が折れる」
まるで嫌がらせのように、少しだけ東堂がネジを回すと、轡を噛まされている桜は、声にならない苦鳴を放った。
「今ので、一回だ。さあ、取引と行こうか。このまま、お前のセイバーの令呪を消費してマスターを止めるか、それとも力づくでも助け出すか。さあ、どうする?」
「そんなもの……言わなくても、はっきりとしています」
「断じて俺は、マスターをやめない。俺が、セイバーのマスターだからだ!」
取引に応じない士郎達に、首をすくめて見せた東堂は、煙草を投げ捨てると、一際低い声で言った。
「やっちまいな」
瞬時に、凶器を持った男たちが、4人を取り囲む。
「セイバー、お前の相手は俺のセイバーだ!」
東堂が叫ぶと、セイバーの頭上から無数のレイピアが降りかかり、瞬時に鎧を纏って、風王結界に隠れた剣を手に取ったセイバーは、一瞬にしてそれを振り払った。
舌打ちする音が聞こえ、セイバーの目の前に東堂のセイバー、ピサロが降り立つ。
「さすがは騎士王、良くぞ我が剣を退けた」
「このような卑怯な手口を使う男をマスターに持つようなサーヴァントなど、セイバーの名に恥じると思え!」
「時代は変わったのだよ! 騎士物語の時代とはな!」
ピサロを追ってセイバーが男たちの円から離れ、それを待っていたかのように手斧を持った男が、士郎に襲い掛かる。
士郎はそれを物干し竿で受け止めたが、強化したはずの物干し竿は真っ二つに折れてしまい、仰け反って回避したものの、腹の皮を一枚破かれた。
「馬鹿め! こっちにも、強化を使える魔術師はいるんだよ!」
レンチを持った岸谷が士郎に殴りかかり、折れた物干し竿の片方を岸谷に投げつけて回避した士郎は、彼の手からレンチを奪い取ると、続いて二節棍で襲い掛かってきたハゲ頭の男にレンチを投げて、男が倒れた拍子にそれを奪う。
一方の凛も、魔力を込めた宝石をはなって、襲い掛かってくる男たちを吹き飛ばす。その背後から、音も無く忍び寄った室岡が、その首目掛けて日本刀を振り下ろす。
しかしそれは、彼女の背後に立ったアーチャーの干将に受け止められ、大きく跳び退った室岡は、日本刀を構えなおす。
「貴様が、アーチャーのサーヴァントか?」
「ならば、どうだと言うのだ?」
「ピサロから話を聞いたが、面白い。俺と戦え」
無表情で日本刀を構える室岡に対し、アーチャーはもう片方の手に莫耶を握る。
「北辰一刀流か」
アーチャーの問いに、凄惨な笑みを浮かべて答えた室岡は、地面を蹴ってアーチャーに切りかかる。干将でそれを受け止め、莫耶を室岡の腹に叩き込もうとしたアーチャーは、彼の左手が背後に伸びていることに気付き、日本刀を振り払って、彼から離れる。
「二刀流か」
「半分正解だ。俺はな、一通りの剣術と言うものを身につけた。次は、薩摩示現流が出るか、天然理心流が出るかわからんぞ」
室岡の言うとおり、彼は無為の構えを取って、アーチャーに次の手を悟られないようにした。
(なるほど、無為の構えを取るところまで見ると、本当のようだ。だが……)
「来ないのか? ならば、行くぞ」
相変わらず構えを悟らせないように腕を下ろしたまま、室岡は走り出して跳躍する。一旦、向かいの壁を蹴ってから、がら空きのアーチャーの頭部目掛けて日本刀を突き出す。
「その首、もらったぁ!」
体を起こし、両手で日本刀を握って、大きく振りかぶる。その瞬間、アーチャーが振り返り、彼の腹目掛けて、干将と莫耶を放り投げる。
「なんとぉ!?」
回転する干将と莫耶に腹を分断され、臓物と鮮血をぶちまけながら地面に転がった室岡に、アーチャーは戻ってきた干将・莫耶を握ってから、冷たく言い放つ。
「多ければ良いと言うものではない」
それから奇声を上げてスコップを振り下ろしてきた顎の出っ張った男に短刀を突き刺し、凛の背後に着く。
「凛、こんな外道たちに、手加減する必要は無い」
「言われなくとも、そのつもりよ!」
宝石をまともに受けて頭を吹き飛ばされた男を見やりながら、凛は言った。ふと、東堂がいた木箱に目を向けてみると、東堂はガロットに拘束されたままの桜を担いで、二階へと逃げていた。
「衛宮君! 東堂の奴、二階へ逃げたわ!」
二節棍を振り回して、群がってくる男たちを薙ぎ倒していた士郎は、凛の声を聞き、急いで二階へと上がった。
「くそぉ、室岡達め、役に立たない奴らだ!」
こともあろうに、自らの手下を罵倒した東堂は、下で戦っているピサロに向かって、大声で叫んだ。
「おい、ピサロ! てめえ、何、紛い物風情に手こずってやがるんだ!」
そうは言っても、ピサロとセイバーでは実力の点で、差がありすぎた。見る見るうちに追いやられていくピサロに対し、東堂は頭をかきむしりながら、叫んだ。
「ピサロ、宝具を使え!」
最後のレイピアまでも失ったピサロは、失いかけていた自信を取り戻すと、虚空から人骨で出来た剣を取り出した。
「それは!?」
「これぞ我が宝具、絶対たる征服欲の骨剣(コンキスタドール)!」
インカ皇帝アタワルパの人骨で出来た剣を、ピサロは地面に突き刺すと、不気味な眼光を放った頭蓋骨の影響か、死体となっていた東堂達の手下が起き上がり、生前と変わらぬ速度で、セイバーの周りを取り囲んだ。
「我が征服欲は、決して絶えぬ! たとえ、外道と呼ばれてもだ!」
地面から抜いた人骨剣をセイバーに向けると、死体たちは一斉に、セイバーに向かって飛び掛った。
「はっ!」
見えない剣を振りかぶったセイバーは、死体たちを薙ぎ払うが、それでもまだ、死体たちは襲い掛かってくる。
セイバーが死体たちに気をとられている隙に、ピサロは人骨剣でセイバーの首を狙って跳躍する。
慌てて気付いたセイバーは、左腕でガードするが、何故かピサロは笑ったままだ。再び見えない剣を両手で握ろうとしたセイバーは―――不意に奇妙な動きをはじめた左腕が剣を握ると、セイバーの喉元に向かって剣を押し付けようとする。
それを右腕で制御するセイバーに向かって、ピサロは笑いながら言った。
「我が宝具が動かすは、死体だけに非ず! たとえ貴様が抗おうと、体の動きを私に奪われては、戦えまい!」
そう、ピサロの人骨剣は、死体を意のままに動かす対軍宝具ではなく、相手の体の一部分を自分の意のままに操る対人宝具だったのだ。
「フヒャハッハッハッハ! どうだい、俺のサーヴァントはよぉ! 紛い物なんぞに、負けてたまるか!」
「何が紛い物だ、この腐れ外道!」
不意に窓が割れる音と共に聞こえてきた声に驚いた東堂は、辺りを見回してみると、後ろから飛び掛ってきた里中に首を掴まれ、引き倒された。
「さ、里中!」
「やっと見つけたぜ、東堂! てめえの悪行も、これまでだ! 神妙にしろぃ!」
「ちっ、畜生!」
里中と東堂が争っている隙に、桜をガロットから開放したフランシスコこと定岡は、二階に上がってきた士郎とばったり出くわした。
「あ、あなたは!?」
「本当の顔で、会うのは初めてだね、士郎君。私は、定岡勝次。里中さんと同じ広域特別麻薬取締官だ」
「じゃあ、あの変装は!?」
「一度ペルーで、東堂達に殺されかかってね。日系ペルー人の人工皮膚マスクを被って、こっそり東堂達の動きを探っていたのさ」
その時、何処から隠れていたのか、大勢出てきた東堂の手下たちが二階へ上ってくるのが見えた。
「士郎君は、里中さんと一緒に東堂を押さえてくれ。私が相手をしてくる」
コートを脱いで桜にかけてから、定岡は手下たちに向かっていく。その彼の頭上を、女のものらしき影が跳び越し、長い鎖の先端に付いた釘のようなものが、先頭の男の喉に突き刺さり、鎖に引っ張られた男に続くように、他の男たちも会談を転がっていく。
「あれはライダー! 慎二、来たのか!」
別の階段を上ってやってきた慎二は、桜の姿を認めると、奪い取るようにして彼女を抱きかかえた。
「おい、桜! 大丈夫か!?」
「大丈夫です、シンジ。ただ、気を失っているだけですから」
ライダーの言うことに安堵した慎二は、一瞬士郎の方を見てから、鼻を鳴らすと、そのまま外へ向かって走り出した。
「気になさらないでください。あれでも、シロウには感謝しているのです」
微笑みながらライダーは言った。その後ろでは、困ったような表情で腕を組んでいる定岡が、ライダーに向かって文句を言っている。
「まったく、困るよ。私の見せ場が無くなったじゃないか」
ライダーは苦笑し、里中達が入ってきた窓から姿を消す。
おそらく、もう残っているのは東堂とピサロだけであろう。その東堂はS&WM19コンバットマグナムを奪われまいと里中と格闘しており、ピサロは―――
「セイバー!?」
セイバーの様子を見て、士郎は愕然とした。こともあろうに、セイバーは自分の喉元に向かって、見えない剣を押し付けようとしている。
「どうした、時代遅れの騎士王! 貴様は、その程度か!」
わざとよけやすいように人骨剣を振るうピサロ。セイバーは右腕で左腕を押さえながらも、それを一生懸命にかわそうとしている。
「くっ、こ、この程度で……!」
遂にセイバーの力にも限界が来たらしく、見えない剣は、その刃をセイバーの喉元に吸い込まれようとした。
「偽・螺旋剣(カラドボルグ)!」
僅か一瞬であった。アーチャーが引き絞った弓から放たれた異形の剣は、ピサロの心臓を貫き、人骨剣の魔力が解けたセイバーの左腕は、あと数ミリと言う位置まで剣を入れて止まった。
「そ、そんな……私が……私が、紛い物だったと言うのか……!」
カラドボルグに貫かれた胸元を押さえ、人骨剣を握ったまま、口から血を垂れ流しながら、ピサロは叫んだ。
「私は決して……紛い物なんかではないのだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
絶叫したままピサロは、仰向けに倒れ、地面に着く寸前のところで、姿が消えた。
「よし、後は……!」
後は東堂だけだ。急いで里中と東堂の元へと向かった。
「里中さん、東堂のサーヴァントはもう……!」
そう言おうとした時だった。くぐもってはいるが、明らかに銃声と思しき音が、東堂と里中の間で鳴った。
「!!」
全員が一斉に二人の方向を向いて―――愕然とする。
「とっ……東堂、てめえ……」
さらに三発、東堂のS&WM19コンバットマグナムから発射された銃弾が、里中の胸に吸い込まれる。
「里中さん!」
士郎と定岡の叫びが重なり、それに合わせるようにして、里中の体が崩れ落ちる。
「こ、このクソガキ……! 俺の野望を……世界中を俺の麻薬で屈服させる野望を、邪魔しやがって!」
返り血を浴びた東堂の拳銃の銃口が、士郎に向けられる。その時、東堂の後ろに赤い外套の人影が立った。
「ひっ……!」
振り返った東堂の顔には、絶望しかなかった。震える手でS&WM19コンバットマグナムの引き金を引こうとした東堂は、一瞬にしてアーチャーの短刀に、その体を両断されていた。
「貴様に慈悲はやらん……おとなしく地獄へ堕ちろ、外道」
アーチャーは真っ二つになった東堂の死体を踏み越え、士郎に抱きかかえられた里中の様子を見て、首を横に振る。
「里中さん……!」
「へっ、ざまあねえや……あいつの仇をとってやるつもりが、こうなっちまうとはな……」
苦しげに話す里中だったが、何故かその顔には至福の笑みが浮かんでいた。
「昔よ……エリザベスってガキが、麻薬所持でしょっ引かれてな……今になって思えば、恥ずかしい話だが……惚れちまってさ」
セイバーと凛も二階へと上がり、セイバーに顔を向けて、里中は指を指す。
「そう……そこの嬢ちゃんと、似たような年恰好だったかな……仲良くなった俺たちは、本当の親子みたいだった……」
「それを……東堂が、奪ったんですね?」
震えている声で尋ねる士郎に対し、里中は苦しげに頷く。
「エリザベスの買った麻薬は……東堂が売っていてな……俺が仕事で離れている間に……輪姦されて、ガロットに括りつけられて、殺されていたよ……」
その時の光景を思い出したのか、里中は泣きながら言う。
「たった1週間の付き合いだったけどさ……俺は、自分が悔しくて……守ってやれなかったのが悔しくて……」
アーチャーと凛は沈痛な表情になって里中から目を逸らし、定岡も里中と同じように泣いている。
「なあ、坊主……東堂は、死んじまったけどさ……俺の代わりに……あいつの墓に、報告してくれねえか……?」
「わかった。わかったから、これ以上喋らないでくれ!」
いつの間にか、自分の目にも熱いものがたまっている。しかし、里中は笑い返すと、力なく士郎の顔を叩いて見せた。
「馬鹿野郎……てめえが、泣いてどうする……定岡、後のことは頼むぜ……」
「は、はい……ありがとうございました、里中さん」
「士郎……サーヴァントだか何だか知らねえが……セイバーを、不幸にさせるんじゃねえぞ……じゃあ、な……」
そうして、里中は息を引き取った。恐らく彼は、死の間際にエリザベスに出会えたのだろう、幸せそうな笑みを浮かべて死んでいた。
そして、聖杯戦争が終わり……某日、某市の霊園。
「里中さん……あんたの言ったこと、守って見せたよ」
定岡と共に、里中の墓を訪れた士郎は、嬉しそうに報告した。聖杯戦争の結末は、「この世の全ての悪意」に汚染された聖杯を破壊したことにより、セイバーは本来の彼女があるべき場所へ戻った。
「もう、セイバーはここにはいないけどさ……あいつ、やっと幸せになれたよ」
そして、里中の墓に線香をあげ黙祷を捧げた士郎は、定岡の車に乗って、冬木市へと帰った。
里中の墓には、「里中平太郎とエリザベス・クーパー、すべてを終えて再びめぐり合い、此処に眠る」と言う碑文が刻まれ、その彼の墓には、あのコスモスが刺繍されたハンカチと共に、里中とエリザベスが笑顔で写っている写真が奉納されていた……
こうして、聖杯戦争と二人の男を巻き込んだ再征服の物語は終わり……新たな着せ湯を迎えようとしていた……
後述
短く終わってしまったな……もう少し掘り下げれば、色々と描写が出来たんですが、さすがに自分の脳では此処までが限界でした。
趣向に合わぬ拙文、失礼致しました。
訂正
会談→階段
着せ湯→季節
なんてとんでもない間違いをしてしまったんだ……