凛の話 - 雨が降った日


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1: ukk (2004/04/14 19:02:28)[u_k_k_ at hotmail.com]

雨が降った日
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「あっ!」
紙の束が、廊下に散らばる。

休み時間。お手洗から教室に戻る途中のこと。
廊下を曲がったところで、走ってきた女の子にぶつかった。
よろめいたけど、私は倒れない。
少しばかりかじっている格闘技のたまものだ。
だけど、とっさに私を避けようとした相手がバランスを崩した。
抱えていた紙の束を、落としてしまう。

散らばった紙を手にとる。
紙の上部には、名前欄とクラス欄。
テストの解答用紙だ。
職員室まで持っていく途中だったらしい。

「これで全部かしら」
拾い集めて、相手に渡す。
枚数を数えている。
その横顔をなんとはなしに眺める。
自慢じゃないが、同学年の顔と名前は全部覚えている。
その中にない顔。
ということは、下級生か。
制服の具合からみて、二年生だろう。
「ええと、大丈夫みたいです」
頭を下げると、走っていってしまう。
別に、お礼が欲しくてやったわけではないけど。いったいなんなのだ、あの子は。
と、戻ってきた。
私の前まで走ってくると、言う。
「ぶつかってすいませんでした。あと、拾ってくださって、ありがとうございます」
頭を下げる。
一生懸命な仕草に、毒気を抜かれてしまった。
「いいから。早く持っていかないと、休み時間が終わってしまうわよ」
あ、という顔をすると、彼女はもう一度おじぎをして、走っていく。
名前くらい、聞いておけばよかったかな。
後ろ姿は、もう見えない。
まあ、いいか。
教室に戻ろう。




昼休み、空に出てきた雲は、どんどん厚くなっていって。
授業が終わる頃には、雨が降り出した。


いつものように備品修理に行っていた士郎を待って、一緒に教室を出る。
廊下を歩きながら、校庭を眺める。
ところどころ水溜まりが出来ている。
校庭を使う部は、今日は室内トレーニングだけ。
一時間以上前に、活動を終わらせている。

学園を包み込む雨の音。
誰もいない廊下。
雨雲色の光。
閉め忘れられた廊下の窓。
少し冷たい湿気た空気。
出入り口が開けっ放しの教室。
不揃いに並んだ机と椅子。

静かな、放課後の校舎。
その中を、二人並んで、昇降口まで歩く。


靴箱に上履きをしまったとき。
「あ、いけね」
士郎のほうを見る。
ポケットから引っ張りだしたのは、どこかの教室の鍵だ。
「遠坂、ごめん。職員室に鍵を返してこなきゃ」
どうやら今日は、柳洞くんと組んでやっていたわけではないらしい。
いつもなら鍵の管理はそっちがやっている。
だから、つい忘れたのだろう。

私はすでに靴をはいている。
一緒に行くほどのことでもない。
「ドアのところで待ってるわ」
「悪い。すぐ戻る」
士郎はもう一度上履きをはいて、校内に戻る。
私は、鞄から折り畳み傘を取り出しながら、外に出る。

そこには。
胸に鞄を抱いて、水溜まりを見つめている生徒がいた。


「あら、あなた」
朝、見た顔だ。
彼女が、私を見る。
「あ、えーと」
「遠坂、よ」
「遠坂先輩。こんにちは」

朝は気にも留めなかったけど、この子、上背がある。
今は身体を縮こまらせている。
でも、ちゃんと立てば、百七十センチ近くあるんじゃないかしら。
私にもそれくらいあれば、士郎と釣り合いが取れるのに。

彼女は、空を見上げると、ため息をつく。
「傘、持ってこなかったの?」
「はい、降ってくるとは思っていなくて」
視線を水溜まりに視線を戻す。
「どうしようかって考えているうちに、どんどん雨が強くなってきちゃって」
また、ため息。
「駄目ですね、私。トロくさくて。いつも、迷っては失敗して」
私は、黙って水溜まりを見つめる。
輪が生まれては、消えていく。

しばらくして、彼女が口を開く。
「……あの、遠坂先輩」
「なに?」
「教えて欲しいことが、あるんです」

「遠坂先輩のこと、前から何度も校内で見かけてました」
私の目を見つめる。
「その度に、思っていました。いつも自信にあふれていて、前を向いていて」
彼女の目は、とても真剣だ。
「私には、自信を持てるものが、無いんです。何も、持っていないんです」
一つ一つ、丁寧に。
「頑張れば、いつかなんとかなるって思ってました。でも、いつも後悔してばかり。失敗してばかりで」
砂を噛むように、絞り出すように。
「どうしたら」
ただ真摯に、言葉を続ける。
「どうしたら、遠坂先輩みたいに、自信を持てるんですか」


彼女が今までどんな日々を送ってきたか、私は知らない。
どういう風に答えるのが一番いいのか、分からない。
でも、いい加減に誤魔化すようなことだけは駄目だ。

彼女は真剣なのだ。
傍からどれだけ滑稽に見えようとも、真剣なのだ。

自分自身に打ちのめされたことが無い連中は、彼女の真剣さを嗤うだろう。
壁があったとき、その横をすり抜けて通る連中は、彼女の要領の悪さに呆れるだろう。
迷うこともなく歩いていける連中は、彼女が泥にまみれて道を探す姿を醜いと蔑むだろう。

自分のどうしようもない無力さに唇を噛んだ者にしか、彼女の気持ちは分からない。
壁に挑んで、何度も滑り落ちて、それでも挑む者にしか、彼女の求めることは分からない。
泥に膝まで埋まっても足を動かし続ける者にしか、彼女の価値は分からない。

彼女は、それに、少し疲れてしまっただけ。
疲れて、立ち止まっただけ。
誰かが声をかければ、それだけで、また歩きだせるはずだ。

だから。
だからこそ、この言葉を。
私がずっと抱いて生きてきたこの言葉を、彼女に贈ろう。

「胸を張って、やると決めたことはやる。それだけよ」




「お待たせ、遠坂。この子は?」
士郎が戻ってきた。
彼女は、さっきから私の隣でうつむいたまま。
じっとなにかを考えている。
「ちょっとした知り合い」
「そうか。なあ」
士郎は彼女に声をかける。
「はい?」
彼女が顔を上げる。
「もしかして、傘、無いんじゃないのか。もしそうなら、この傘を使っていいよ」
士郎が折り畳み傘を差し出す。
「え、でも」
彼女は困惑顔。
それはそうだろう。
初見の相手に自分の傘を差し出すお人好しなんて、私だって一人しか知らない。
私の折り畳み傘を広げる。
「はあ、やっぱりそう言うと思ったわ。ほら、入りなさい」
「ありがとう、遠坂」
士郎は、彼女の手に傘を押し込む。
さっさと、私の傘に入る。
「しかたないでしょ。風邪でも引かれたら面倒だしね」
「いつもすまん」
「いいけど。傘、士郎が持ちなさいよね」
士郎の傘を持って呆然としている彼女にも、声をかける。
「ほら、あなたも。帰るんでしょ」
「あ、はい」
あわてて、士郎の傘を広げる。

彼女は、私たちの後を少し離れてついてくる。
校門までくると、私たちに声をかける。
「私、こっちですから」
私たちとは、逆方向だ。
「それで、あの、先輩。名前を」
「ああ、そっか。俺は、衛宮」
「ありがとうございます、遠坂先輩、衛宮先輩」
「ん。気をつけてな。傘、返すのはいつでもいいから」
「はい、なるべく早く返しますから。さようなら」
彼女は頭を下げると、歩き出す。
私は、その背中に声をかける。

「そうそう、言い忘れてた」
帰ろうとしていた身体が、こっちを向く。
「あなたことがうらやましいわ。私もそれくらい背が欲しかった」
彼女は、え、という形に口を開けて、呆然としている。
「それだけ。じゃあね」
手をふる。
背を向ける。
士郎をうながす。
帰る道を歩きだす。


さっきからずっと、士郎がにこにこしている。
「気持ち悪いわね」
「遠坂がいいやつだって確認できたから。なんか嬉しくて」
「なにそれ」
「遠坂は、他人に向かってうらやましい、なんてそうそう言わないだろ」
士郎は鋭いときと鈍いときが極端すぎる。
肝心のときはまったく駄目なくせに、ああいうときは私のことをすぐに察する。
どういう思考回路をしているんだか。
そこらへんを問いただそうとして、士郎の方を見たとき。
私から遠い方の肩が、濡れているのに気が付いた。
どうやら、私が濡れないように、傘を寄せていたらしい。
まったく、もう。
問いただす気がなくなった。
ぴったりと寄り添う。
「と、遠坂。歩きにくい」
士郎の顔が赤くなる。
「でも、こうすれば、あんたも濡れないでしょ」
傘の柄を、士郎のほうに少しだけ押す。
「どう、士郎。もっと嬉しくなった?」
「う、あ、えーと」
士郎の顔を見上げる。
「もっと、嬉しく、なった?」
そっぽを向いて、士郎がぼそぼそと言う。
「うん。もっと、嬉しくなった」
それでよろしい。




一週間後。
その日も、午後が過ぎてから、雨になった。


放課後になって、ずいぶんと遅い時間。
私は昇降口に一人。足元には士郎の鞄。
士郎はさっきまで、昇降口の鍵を付け替えていた。
今日の修理はそれで最後。
今、古い錠前と新しい鍵を、学園事務まで届けに行っている。
ガラス戸にもたれて薄く降る雨を眺めていると、あの横顔が靴をはく姿を見付けた。

「また会ったわね」
声をかける。
「あ、遠坂先輩」
彼女の手に、傘はない。
「今日も傘を持ってこなかったの?」
「そうなんです。私、トロくさいから」
えへへ、と笑う。
私の鞄には、折り畳み傘が入っている。
士郎の鞄にも、入っているはずだ。
「すぐに士郎が来ると思うけど、また傘借りていく?」
彼女は、首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。走って帰りますから」
「そう」
「それじゃ、遠坂先輩。さようなら」
鞄を頭に乗せて、外に出ていこうとする。
「ああ、ちょっと」
思わず、呼び止めてしまった。

「なんですか?」
鞄を下ろして、聞いてくる。
気のきいた修辞でもしようかと思ったけど、やっぱり素直に伝えることにする。
そのほうが、彼女には相応しい。
「頑張ってね」
「はい」
彼女は、鞄を頭に乗せる。
雨の中に駆けだす。
途中で立ち止まった。
私に振り返る。

両手は、頭の乗せた鞄を押さえたまま。
雨に、だんだんと濡れ始めている。
ひじに、雨の滴が落ちる。
彼女は笑顔になると、大声で言った。
「衛宮先輩と仲良くしてくださいねー!」
身体を返す。
雨の中、学園から走って出ていく。


しばらく経って、士郎が来た。
「お待たせ、遠坂」
靴を履いて、私の隣に来る。
鞄から折り畳み傘を取り出す。
以前、彼女に貸した傘だ。

雨は、降り続いている。
空を眺める。
少し薄くなったとはいえ、まだ雲に覆われている。
止むまでしばらくかかるだろう。

衛宮先輩と仲良くしてくださいね、か。
傘をさして雨の中に出てしまうと、その言葉が台無しになってしまう気がする。
まったく、そんなことを考えるなんて。
浮かんだ言葉が、ふと、口から漏れた。
「こんなの、心の贅肉よね」
士郎が苦笑する。
「それ、久し振りに聞いたな」

そういえば。
今まで、考えたこともなかった。
騒々しい毎日が、飛ぶように過ぎていって。
ただ楽しくて。
いまさら捨てることなんて、出来やしない。
でも、重い、と感じたことなんて一度もなかった。
それどころか、私は以前よりも、軽く、強くなったと思う。

それはつまり。
心の贅肉になるかどうかなんて、私の感じ方次第ってことか。


「遠坂、帰らないのか?」
雨の中に駆け出していった彼女。
「しばらく、ここに居るわ」
今日は、その言葉と後ろ姿に、敬意を表するとしよう。

「なんでさ。傘、持っていないのか?」
「持ってる。でも、なんとなく、ね」
「ふーん。俺も居ていいかな」
「好きにすれば」
「ん。好きにする」

誰も来ない昇降口。
静かな雨の音。
小さな水溜りに、輪が生まれては、消えていく。

「ねえ、士郎」
「なんだ」
士郎に寄りかかる。
厚い胸板に、頭を置く。
鼓動が聞こえる。
「なんでもない」
「そっか」


雨はまだ、止みそうにない。



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